「俺が……蒼に……?」
「ああ」
何かおかしいところでも? と言いたげに束がこくりと頷く。無論、一夏としては何もかもがおかしい。
「いや……待って、下さい。そんなの……」
「ありえないことかな?」
「そ、そもそもっ……あ、あいつ、男、ですよ?」
「まあ、男の子だね」
確認するまでも無く、上慧蒼は男だ。女っぽい外見をしているワケでも、本当は女の子だという秘密もない。正真正銘、“織斑一夏”にとって同性の友人だ。異性に対するときめきは殆ど無かったが、かと言って同性に対するものがある筈もなく。何をもって一般的かとするに多少の議論の余地はあれ、世間的な男女の仲を念頭に置いたとすれば、一夏は至って普通の感性の持ち主だ。となれば、当然好きになる相手は異性でなければおかしいのだが。
「俺……同性愛者とかじゃありませんし、そもそもアイツのこと、そんな目で――」
「見ていないって、言い切れるのかな。加えてもう一つ。君は重要な見落としをしている」
「み、見落とし……?」
篠ノ之束の感覚と思考回路は文字通り人間離れしている。それらはきっと彼女自身にしか理解できない特殊なものだ。徒人には到底辿り着けない天災の考え方。理由は多くあれど、一言で表すのなら次元が違いすぎるため。同時に彼女からすれば、単純な計算式のようである凡人の考えなど手に取るように知れる。理解は出来ないものであっても、ある程度の予測と判断でどうにかなってしまう。一夏の気持ちなど、頭を悩ませるものでは無かった。
「今の君は女の子だ。体が余すところなく、完璧に女性化してしまっている。精神だけが織斑一夏というカタチを保っているんだよ。だから、何らおかしなことじゃあないさ。君は女の子として、蒼くんを素敵な人だと思ってしまったんだろう?」
「なっ――ち、違うっ! 違います! そんなの……そんなこと」
「否定する前に、いっくんの心に聞いてみたら分かるんじゃないかな? 胸の内は偽れないんだから」
「……そんなこと、ありえねえだろ」
苦い顔で呟きながら、一夏は胸を押さえつけた。僅かとは誤魔化せない、邪魔な脂肪の塊。既に受け入れた事である。現状、言い逃れも出来ないぐらい、一夏の体は女の子のモノだ。それでも、心だけは必ず変わりないと、一年前からそのまま織斑一夏であると。そう信じ切っていたから、己を見失わずに済んでいた。
「だって……だって、俺は……」
「素直になりなよ。間違いなく、いっくんは蒼くんに惚れている。私もまあ、
「嘘だ、そんなの……だって、俺は、あいつと……」
――俺は女の子としての君を好きにならない。友人として出来る限り側に居て支える、って約束。それでまた男に戻った時。あの頃は大変だった、なんて振り返って、二人で盛大に笑い飛ばしてやるんだ。
「あいつと……」
――戻れるよ、絶対。うん、絶対だ。……絶対、俺が元に戻す。
「……ずっと、変わらないままやってきたんだ……っ」
「なら、変わる時が来たんだよ。君の心がもう傾いてしまったのなら、後戻りは出来ない。逃げても待っても結果は同じだ」
「……嘘だ、こんなの。それに、俺は……俺はまだ」
「まだ好きになっていない、なんてつまらない答えでも言うのかい? それこそ、よく考えてみなよ」
否定したかった。これは違うと。こんなものは違うと、丸っきり否定してしまいたかった。一夏にとって蒼は他より少し付き合いの長い友人で、この数ヶ月を共に乗り切ってくれた戦友でもある。自分に向けられる好意で折れそうだった時期、緩くあれどたしかな意志が込められた彼の言葉に救われた。一人でも織斑一夏という“中身”を、外見のフィルターに誤魔化されず見ていてくれる事実が、彼女に今日まで歩く力を与えた。上慧蒼はかけがえのない友人だ。それ以上
「……ああ」
文化祭より始まった変な状態、慣れない感覚。
「くそ、ふざ、けんなよ。どうして……」
ずきりと胸が痛む。理性が受け入れるのを拒んでいた。皮肉な事に、彼女を救った彼の言葉は、ここに来て傷付けるものへと変化した。
「なんで俺、あいつの言葉でざわついてんだよ……っ」
約束とは呪いだ。ただ、二人を縛るその糸が、柔らかいものか、刺々しいものかというだけ。質が悪いのはこの糸というのが、必ずしも両方同じ性質とは限らない。片方にとって緩く結ばれた暖かな約束であろうとも、もう片方にとっては苦しく締め付けられた痛い呪いであったりする。なればこそ、間違いなく一夏にとってのソレは、紛う事無き“呪い”と言えるだろう。
「そこまで行けたのなら十分さ。もういっくんは後に引けない。ようやく君に本題を持ちかけられるね」
「……本題、って……」
「――君と蒼くんの、今後についてだ」
◇◆◇
「悪い事は言わない。いっくん、今からでも遅くないよ。蒼くんから離れることをオススメする」
はっきりと、束はそう言った。顔色も変えず、真剣な表情で、己の感情に困惑する一夏に向かって畳みかけるように。冗談の類いであれば、笑って流せただろうか。もしもの話ほど無駄なものは無い。
「……蒼から、離れる」
「うん。率直に言って、いっくんが恋心を抱くなんて私の予想外だった。可能性すら計算していなかったのさ。君なら大丈夫だと、そういう気持ちを抱く筈がないと、確信した上での設定だった。……けど、君は
「……っ」
否定の言葉が、喉から出ない。
「なら終わりだ。きっといっくんじゃあ蒼くんを理解できない。例え、有り得ないことに想いが通じ合っても、結局は彼の問題を解決してあげられない。……幸せになんて出来ないよ」
「…………、」
それは、全ての記憶を覗いた篠ノ之束だからこそ言える事。彼女は真実、上慧蒼のことも、■■■のことも余すところなく見てしまった。詰まるところ、殆どの彼が抱える問題を束は知っている。尤も、世界で随一の天才をもってして、確証が持てないぐらいに蒼の感覚と思考回路は別物だ。生きながら死ぬという体験が一人の少年に与えた衝撃は、どこまでいっても傍観者である束では完全に把握できない。
「私なら可能だ。絶対に蒼くんを不幸になんてさせない。間違った答えも出さない。彼にとっての正解を伝えてあげられる。……分かるかい? いっくん。友達とはまた別だ。彼の隣に立つということは、そういうことなんだよ」
「隣に、立つって……」
「説明なんて要らないだろう。ただ、ひとつ言えるのは。今の君には荷が重すぎるということかな。……だからいっくんには、大人しく彼への想いを捨てるか。もしくはここですっぱりと、彼との関係を絶ってほしい」
二つ、束は選ぶ道を提示した。けれども実際は一つだ。不器用な一夏では蒼のように綺麗に“割り切る”ことなど出来る筈もない。一番最初に告げられた、離れるという選択肢しか取れないことを理解している。
「蒼くんのカミングアウトも意外だったけど、タイミング的にはばっちりだったかな。彼にもどうするかを託されたんだろう? だったら、ちょうど良いね」
天災は笑った。一夏は何も答えられない。ただ、今はとにかく、パンクしそうな心と頭を静かに休ませて欲しかった。
前作←メンタルクソ雑魚ヘタレオリ主(尚トラウマ無しの綺麗な転生)
今作←メンタルハイパームテキオリ主(尚それでも耐えられない悩みとトラウマ持ち転生)