君が可愛く見えるまで。   作:4kibou

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レールの上からはみ出して。

「ごめんね、いっくん。でも、彼は私にとって大事なものなんだ。色々と、ね」

 

 去っていく一夏の背中を見ながら独りごちる。上慧蒼という人間に対する情は勿論、一度死んだ生物としても極めて興味深い存在だ。己以外の手に渡るのは面白くない。そも、彼の意思を尊重しなければあの時(・・・)からずっと手元に置いているだろう。記憶を覗いただけではまだ足りなかった。蒼の抱く感情は予測出来ようと、どうしてそうなったのかが不可解な部分もある。だからこそ、とも言うべきか。

 

「……ああ、でも、束さんにも分からないことがあった」

 

 全体像を掴めている彼女にとってはほんの一欠片、無くしたどうでも良いパズルのピース。当の本人である彼にとっては、今の自分の原点となる大事な歯車。

 

「でも、良いさ。君がそう思うのならそうするのが私のやる事だからね。その役目、私が引き受けてあげるよ」

 

 天災は気付かない。それが致命的な問題であると、気付くはずも無い。なんてことはなかった。例え転生という異常事態を経験しようが、死んでいく感覚を思い出として引き摺ろうが、どこまでいっても蒼は生きている人間でしかない。壊れた部分も変わらない部分も、全部含めて本来の形として纏めあげる。そんな、下手すれば精神が腐り果ててしまいそうなことさえやってのける、少し変わった男だったのだ。

 

「安心してくれ。君に手が届かないモノなんて、この世界には無いんだから――」

 

 言ってしまえば、過大評価。死んだという結果に着目し続けた結果、今を生きる蒼に意識が向かなかった失敗。束の対応は一番初めが正常であり、正答であった。路傍の石ころとしか見ていない態度。絶対的なまでに関わろうとしない。そうであれば、きっと蒼は少し楽に生きられただろう。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――凍えそうなぐらいの寒さ。気が狂いそうになる程の喪失感。死んでいく中で抱けたモノは多くない。なにせ、ふと浮かび上がった側から消えていく。まるで泡がぱんと弾けるように、跡形も無く失われるのだ。何も思うな、何も考えるな、何も感じるな。囁きかける声は恐らく、冷静な自分だった。最早死ぬのだから、諦めろと。

 

『……冷たい。冷たいな。どうしてこんなに、冷たいんだっけ』

 

 外は雨が降っている。身体が濡れていた。上からは大量の雫、下には水溜まりの絨毯。おまけに冬場、気温は決して高くない。でも、理由はそれだけではないと、どこかで気付いていた。

 

『熱。出来るなら、熱が欲しいな』

 

 痛みから来る灼けるような熱さは既にない。恐らくはつい先ほど死んだのだろう。直にここも死んでいく。何かを思っていられる時間は、残された僅かな奇跡の量だ。長くは無い。

 

『でも、熱いのはいらない。ちょうど良い、ものが』

 

 ふと、母親に頭を撫でられた記憶が蘇った。偶然か、それとも無意識のうちに過去から選び抜いていたのか。なんにせよ、答えはそれで見付かってしまう。

 

『……ああ、そっか』

 

 全て、気付いてしまった。

 

『そういう、ことだったのか』

 

 愚かなのは自分だった。一人が好きだと周りを顧みず、誰かとの関わりを最小限に抑え、常に孤独であろうとした己の馬鹿さ加減に呆れる。もっと早くに思い至っていれば、少しは変わりもしただろうか。否、そこまで簡単な問題でも無い。それこそ、()()()()()()()ぐらいでなければ。

 

『どうりで一人が、いけないわけだ』

 

 死の間際。冷たくなる己の体。その手を、弱くても握ってくれる誰かが居たのなら、きっと寒さも耐えられた。暖かな人肌の安心感が、一番に求めるものだと理解出来る。ならば人が誰かと過ごすのは、最後に残る孤独(寒さ)から逃れる為かもしれない。

 

『馬鹿だな、俺。最後になって、誰かと居たいなんて。避けてたのは自分(おまえ)じゃないか。本当に、ああ……勿体ないことをした』

 

 他人との繋がり。一緒に過ごすという大切さ。ここに来て遅くも知ってしまう。人間は集団の中で生活するのだ。一人では何事も限界がある。死んでいく時の苦しみが大きいままになる。となれば、俺が二度目の人生で望んだものは単純で。

 

「いつか死ぬ時に、側で手を握ってくれる人が居たら良いな」

 

 でも、それは高望みというやつだ。招かれざる存在である己に、誰かを幸せにする権利は無い。精々が友人として関われるかどうか。自分にとってはせめてもの我が儘だった。異物だろうがなんだろうが、誰かと仲良くする程度はさせて欲しい。願いは届いたようで、友人と胸を張って言える人が何人か出来た。だったらもう十分。これ以上を望むとすれば、今度こそ“世界”に怒られてしまいそうで。

 

「しょうがないけど、現状で満たされているから」

 

 俺は、望んだものを諦めた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 かちゃかちゃと、食器が小さな音をたてる。その日の夜、織斑家の食卓は珍しく二人分の料理が用意されていた。言うまでも無く、殆ど戻って来ない千冬の久方ぶりになる帰宅だ。一夏が帰った頃には既にプライベートモード全開であり、開口一番「メシを作れ」との命令。気晴らしついでにも良かった。体に染み付いた動きで難なく夕飯を拵えた彼女だったが、肝心の気分は一向に晴れない。食事の席は、不気味なほどに無言だった。

 

「おい、一夏」

「……なんだ、千冬姉」

「お前、今度は一体なにを抱え込んできた?」

「…………、」

 

 見かねた千冬が問い掛ける。精神状態は誰よりも一夏自身が雄弁に語っていた。暗く沈んだ表情で居れば、誰しも何かあったのだと感付いて当然だ。姉弟でなくとも見破るのは容易い。

 

「……今日さ、蒼が倒れて」

「なに?」

「それ自体は、大したことじゃ無かったんだけど。なんて言うか……それが原因で、色々と知ったっていうか」

「……ほう」

 

 缶ビールを傾けながら、千冬はすっと目を細める。

 

「……俺、今まであいつのこと何も分かってなかった。表面だけ捉えて、分かった気になってただけだった」

「…………、」

「笑っちゃうだろ? 友達なのに、幼馴染みなのに。ここ最近じゃ一番側に居たって言うのに……蒼のこと、全然知らなかった」

 

 彼の秘密、悩み、苦しみ、記憶、思い。どれもこれも、一夏にとっては初めて耳にする内容で、まともに返す暇もなかった。尤もそれは仕方のないことで、蒼が誰かに話したのも初めてなのである。既知だったのは一方的に頭の中を覗いた束のみ。かの人物による衝撃が大きすぎて、一夏はそのことをすっかり忘れていた。

 

「まあ……あいつはあれで、よく分からんやつだからな」

「ああ、分からない。俺には蒼のことがさっぱり分からない。きっと理解出来ないって、束さんにも言われた」

「……束? あいつと会ったのか」

「うん。会ったよ。凄いな、束さん。全部……本当に全部、知ってた」

 

 渇いた笑い声を溢しながら、一夏は続ける。

 

「俺は分からないのにな。本当おかしいよ、俺。蒼のことよく知りもしないで。でもあいつは俺のために色々と頑張ってくれて。友達だからってだけで」

「……ああ、そうだな」

「それなら俺も、友達って思うのが普通だろ? それ以外なんてないだろ……? なのに、さ。俺……俺、あいつのこと、違う目で見てたんだ」

「――――、」

 

 異性として。恋愛対象として。好きになった相手として。女の子になった織斑一夏は、蒼のことを意識してしまった。

 

「ふざけんなって。めちゃくちゃ認めたくないのに。男に戻そうとしてくれてるあいつのためにも、認めたら駄目なのに。……束さんに突きつけられて、はっきり否定しきれなかった」

「…………まさかとは思うが、お前」

「ごめん、千冬姉。――俺、蒼に惚れたみたいなんだ」

「……どうして謝る」

「ごめん。……本当に、ごめん」

 

 たかが一年、されど一年。沢山あった懸念事項のうちの一つ、一夏が女子として慣れきってしまうこと。若しくは心身共に女の子に変わってしまうこと。よもやまさか、と切って捨てていた可能性がいきなり現実になった。千冬と言えど、少なからず驚きもする。

 

「束さんは、あいつを理解出来ないんだから、大人しく離れろって。当たり前だ。理解なんて出来るワケないじゃないか。あいつ、俺の想像もつかないようなこと体験してるんだ。そんなの、どうやって理解しろって言うんだ」

「……あの馬鹿が。要らんお世話だと突っぱねてやれ」

「いや、でも、事実だろ? 俺はそんな――」

「お前もだ馬鹿者。大体、何を悩んでいるかと思えばそんなことか。下らん」

 

 吐き捨てて、かつんと千冬は空になった缶ビールをテーブルに置く。

 

「く、下らないって……」

「ああ、実に下らん。分かっていないだ理解できないだのと、逆に聞くがそれのどこがおかしい」

「え……?」

 

 鋭い瞳に睨まれるのと同時に訊かれて、一夏は思わず首を傾げた。千冬は本気でつまらないように二本目の缶を手に取って、ぷしゅりと開けながら言い放つ。

 

「他人のことなど分からん。もし完璧に理解出来るヤツが居るのなら、それは紛れもないそいつ自身だ。私とてお前の……弟の気持ちすら全部は把握できん。だからこそこうして言葉を交わして、相手を認知していく。理解なんぞ馬鹿馬鹿しい。お前と蒼は同じ人物か? 違うだろう。あいつはあいつ、お前はお前だ」

「それ、は……」

「そも、この世に幾つの人間が居ると思っている。自分とそりの合わないヤツも、逆に妙に気の合うヤツも探せば腐るほどいる。それら全員理解していくつもりか? お前は。どう考えても無理に決まっている。だから理解なぞしようとするな。ただ相手がそういう人間なのだと認めろ」

「……相手を、認める」

 

 天災は彼の過去を見た(・・)。故にこそ、理解(わか)るものがある。対する彼女は彼の過去を聞いただけ。捉え方は全てこちらに任された。理解(わか)ることなんてない。――何故ならそれを、理解する必要がないからだ。

 

「認めて、接して、いつしか分かったとしても、理解はできんよ。人間とはそういうものだ。蒼が変な経験をしているというのなら尚更、あとはお前がどうしたいかだ。ここまで来たら聞いてやろうか。一夏、お前、あいつと離れたいか?」

「それは……嫌、だけど」

「ならばそれで良い。下らん馬鹿の戯れ言など聞き流しておけ。……分かったらさっさとその辛気くさい顔を明日にでもどうにかして来い。お前のことだ、一晩考えれば自分なりのものが見つかるだろう」

 

 ぐいっとビールを呷って、千冬は何事もなかったように食事へ戻った。もやもやとしたナニカは残っている。綺麗さっぱりと解決した訳ではない。けれども先に比べれば、随分と心に余裕が出来ていた。何だかんだと言って、姉の言葉は力強い。敵わないのだ。姉弟とは数年先に産まれたというだけなのに、どうしても勝ち目が見えない。

 

「……ああ、それはそれとして」

「ん?」

「お前の惚れた腫れたについてはもう少し詳しく聞こうか」

 

 にやりと、意地の悪い笑みを浮かべながら。

 

「……冗談、だろ……?」

「どうした、ほら。蒼に惚れたのだろう? 正真正銘妹にでもなるつもりか?」

「まだ落ち着いてないんだからそっとしておいてくれよ……」

 

 尚、十月のとある事件から今日までの顛末を、一夏はきっちり説明することになったという。

 

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