君が可愛く見えるまで。   作:4kibou

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山あり谷あり。

 朝のこの時期は最早、指先がかじかむ寒さだった。気温は既に真冬かというぐらい。色付いた木々の葉は一つ残らず地面に落ち、眺める風景に映るのはどこか寂しそうな枯れ木のみ。蒼はほうと白い息を吐きながら、ゆっくりと人通りの疎らな道を歩く。登校時間も少しずらせば不思議なもので、余裕はなくなるが落ち着きは出るのだ。元来、大勢の人間に囲まれるのをあまり得意としない彼では尚更、多少遅らせるのが最適解かと思ってしまうほど合っていた。

 

「にしても、こうやってお前と並んで学校行くのも数週間ぶりか」

「……うん。そうだね」

 

 不意に、隣からかけられた声に落ち着いて、肯定の言葉を返す。聞き慣れた、しかし最近はずっとご無沙汰だったもの。ちらりと視線だけ動かして、つかつかと踵を鳴らしながら歩く姿を視界に収める。校内一と密かに噂される長い黒髪、諸事情を忘れさせるかのような抜群のスタイル、そして並以上に整った容姿。くしゃっとそれを朗らかに崩して、織斑一夏は笑顔を浮かべていた。

 

「本当、避けてて悪かったな。ちょっと、自分でもワケ分かんない事になっててさ」

「別に良いよ、もう。君が俺を嫌ってなかった、ってだけで十分だ」

「当たり前だろ、誰がお前を嫌うか。……ていうかむしろ真逆だしな

「? なにか言った?」

「いや、なんでもないぞ。なんでも」

 

 ははは、とあからさまに誤魔化すような笑い声をあげて、一夏がそっぽを向く。一体何なのか。どことなく気になった蒼だが、あまりしつこく訊ねるのもどうかというもの。まあ、関係がある問題ならいつかは知るのだろうし、無理矢理聞くことでもないかと静かに前へ向き直った。一夏としても絶対に口を割る気はないので、おおよそ考えられる中で最も正しい選択肢である。

 

「ところで、俺が言うのもなんだけど、朝飯とか大丈夫だったか?」

「問題ないよ。一応、今年の春までやって来てたんだから。それに、今日からは母さんが作ってくれる。もう一夏の手を煩わせることはない」

「そうか。なら良いんだ……けど、それはそれでなんとなくこう、寂しいものが」

「なにを言っているんだ君は……」

 

 労力が減るのは純粋に喜ぶべきところなのだろうが、一夏としてはやはり複雑だ。朝食を作るという大義名分も無くなった今、わざわざ蒼の家に朝から行く理由は皆無。登下校は成り行きでどうとでもなるが、以前までのように同じテーブルを囲むことはないかと考えると気分も下がる。大して気にしていなかった些細な時間が、ここに来て彼女には貴重なモノにすら思えた。はっきり言って、かなりやられている。

 

「あー……うん。これはいかん。恋する乙女か己は」

 

 実際、恋する乙女である。

 

「急に変なコト言わないでくれよ。どうしたんだ?」

「気にするな。色々とあるんだ、今の俺には。主に気持ち的に」

「? そうなのか」

「そうなんだ」

 

 覚悟を決めていれば我慢するのも随分楽だ。現在進行形で蒼の近くに居る一夏だが、はっきりと不自然な態度はしていない。見るだけ、話すだけ、聞くだけなら負担も少なかった。なにがなんだかワケも分からず混乱していたあの時とは違う。正体さえ掴めてしまえば、それなりの制御は容易いのであって。

 

「あ、そうだ。一夏」

 

 ぽんと、肩に手を置かれる。

 

「うへぁっ!?」

「…………うへぁ?」

 

 ……まあ、逆に言ってしまえば、想定外の接触となると一気に崩れるのだ。

 

「あ、いや、いい今の違うぞ!? ただ驚いただけだぞ!?」

「……そこまで驚く事か?」

「そ、それは、あれだ! ちょ、ちょっと考え事しててな!?」

「考え事」

 

 ふむ、と蒼が頷く。

 

「なら仕方ない。俺もそんな時に話し掛けられたら驚く」

「だ、だよな。うんうん。俺もってことだ」

「そっか。ところで話は変わるけど――」

 

 校門も僅か十メートル目前に迫ったタイミング。何気なく蒼は、肝心の話を切り出した。昨日よりずっと頭を悩ませていた問題。色々とあるのは決して一夏だけではない。彼もまた、元より抱えるものが軽くなった矢先に、一つ増やしてしまったのだった。

 

「もうそろそろ時期も時期だし、勉強に集中しないか?」

「……え?」

 

 詰まるところ、あれこれと足掻いても上手くいかないのが人生であり、恋愛というものである。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 時は流れ、十二月の初旬。猛威を振るう外気はまだ低くなるかといった具合で、彼らの通う学校の教室にもストーブの火が灯り始めた。一クラスに一つ貸し出される暖房器具は凄まじい人気を誇る。登校時のホームルーム前、授業の間にある休み時間、昼食を終えたあとの昼休憩。必ず何人かは周囲に群がり、唯一と言っていいほどの温もりを享受していた。ちなみに設置場所は毎日ランダムで、本日は運良く窓側の後方だった。

 

「なんつーかさ」

 

 ぽつりと、ストーブに手をかざしながら弾が呟く。彼の席は真逆にあたる廊下側最前列辺りからすると実に羨ましいもので、常に暖かさをその身に受けられる楽園であった。ドアや窓の隙間から吹き抜ける風に体を震わせる中、そんなものとは無縁のぬくもりライフを堪能する馬鹿。一部のクラスメイトからは明確な敵意の視線を向けられている。けれども当然、弾がそのような些末ごとに囚われる繊細な心は持っている訳も無い。

 

「お前とまた話すようになってから、蒼、よく笑うようになったよな」

「……ああ、かもな」

「前までも笑ってたんだけどよ、今はほら、気持ち良い笑顔っていうかさ」

「……ああ、かもな」

 

 二度、同じ答えを繰り返すのは一夏だ。話の主題である蒼は、絶賛トイレに行っていて席を外している。そも本人が居れば弾がこのような内容を持ってくる訳が無い。ともあれ、休憩の暇つぶしにはなるかと思っていたのだが、相手の様子からするに恐らく単純な会話は繋がらない。ここは一肌脱いでやるか、と机に突っ伏して溜め息を吐く友人に顔を向けた。

 

「おいおい、今度はどうした」

「いや……別に……なんでもねえよ……はあ……」

「……どこからどう見てもなんかあったようにしか見えねえよ」

「さいですか……」

 

 ここ最近の一夏は漏れなくこうだ。蒼が近くに居る時は至って普通どおりの様子だというのに、彼が居なくなった途端にぷつんと糸が切れる。二面性もかくやという変わりよう。ちょっと前から弾も気になっていたコトであり、ちょうど良いと言えばちょうど良かった。

 

「……なあ、弾」

「おう。なんだ一夏」

「……勉強ってさ、この世に必要かな……」

「はあ? 今更何を言ってやがる。やれやれ、そんなことも分かんねえのか」

 

 カッ、と彼は妙に格好つけて笑う。

 

「――んなモン必要ねぇンだよォ! 勉強も受験も試験も授業も! ぜぇんぶこの世に必要ねぇ! むしろ考える脳みそすら要らねえ! ははは! なにが受験だクソ食らえ! つうか俺に“ジュケン”っていう言葉を使わせるんじゃねえッ!!」

「……すまん。馬鹿(お前)に聞いた俺が馬鹿だった。許してくれ、馬鹿(だん)

「謝んなよ俺も現実見据えて悲しくなっちゃうだろうがよ……」

 

 五反田弾、十五歳。受験勉強に対する嫌悪感は、人一倍激しい。

 

「で、何をいきなりそんな血迷った考えを持った。俺でも勉強は必要だって分かる。特にエッチとかは知識が大事だって親戚のおっちゃんが言ってたからな」

「後半はともかく、ちょっと色々あるっつーか……蒼からのアレがアレというか……」

「……どれがどれだよ」

 

 渾身の下ネタを軽く流された弾は若干むくれつつも、一夏の言葉に耳を傾ける。

 

「いや、そろそろそういうシーズンだろ? だから勉強に集中しないか、って言われて」

「ふうん。それのどこが悩みどころなんだ?」

「俺もさ、大抵の事は解決したから、元に戻るとばかり思ってたんだがな」

 

 がくん、と大袈裟に肩を落として。

 

「前と比べて、あいつと過ごす時間が八割ほど減ったんだ……」

「八割は言い過ぎじゃねえか? お前ら校内ではしょっちゅう近くに居るだろ」

「そうでもねえよ。蒼がふらっと居なくなることもあるし、つうか最近はそういうの増えてる気がするし……」

 

 再度、重いため息を吐く。一夏の体感はかなり盛られていたとしても、事実として蒼が一緒に居る時間を無くしているのは本当だ。勉強に専心すると言って遠回しに普段付き合いを控えたのも含め、全て彼の思惑である。が、つい先月まで距離を取られていると悩んでいた男がまさかそのような行動に出ているなど気付く筈もなく。

 

「なんか避けられてるみたいで、どうもすっきりしねえんだよ」

「気のせいだ気のせい。大体、お前と以前同様の距離に戻って元気になったヤツだぞ? 純粋に本腰入れただけだろ」

「……そう、だよな。それしかないよなあ……」

 

 結論として、一夏からは何も言えない。

 

「しっかしまあ、あの一夏クンが見事にやられちゃって……」

「……うるせえ。仕方ないだろ、気持ちの問題なんだから」

「おうおうはっきり言いなすって――ん? あれ? お前自覚してたっけ?」

「ついこの前にしたよ。……させられたとも言うが」

「――――な、なん……だと……!?」

 

 今世紀最大の衝撃でした、と後に弾は語った。

 


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