煌びやかな電飾に、普段よりも何倍か多い人通り、加えて絶えない喧噪。町は夜にさしかかったとは思えない明るさだった。本日の日付は十二月二十四日。世間的にはクリスマス・イヴとして盛り上がっていようが、受験生には関係のない話だ。飲食店の窓ガラス越しに外の様子をぼうっと眺めながら、一夏はずずっとオレンジジュースをストローで啜る。子連れ、カップル、家族、友人同士、中には一人の姿もちらほらと。出歩く人の人数も種類も様々だ。それこそ余計なものまで想像してしまいそうになっていた。何気なく、溜め息を一つ漏らす。
「……なんというかさ」
「ん?」
対面に座る弾が、必死で頭を抱えつつも解いていた問題集から顔を上げて反応する。私服のせいもあって余計に
「俺、なんでわざわざクリスマスにお前と勉強してんだろうな」
「んなのアレだろ。うちの妹がお前に頭下げて頼み込んだからだろ。ちっ、余計な真似を」
「そこは素直に感謝しとけよ……」
「けっ」
嫌だね、とでも言うように顔をぷいっと逸らしたあと、弾はコップに入ったコーラを一気に飲み干して、かたんとテーブルに置いた。筆記用具を手放さなかっただけ、やる気はそこそこある。そも、妹が本気で心配して持ちかけたことだ。その時点で弾の中から手を抜いてやり過ごすという選択肢は消えている。
「悪かったな。俺なんかと過ごすことになっちまって」
「そこは別に問題ねえよ。……元々、家で千冬姉とケーキ食うぐらいだったろうからな」
「ふうん。それじゃ、冬休みに入ってから
「……ああ」
肩を落としながら呟く。会っていないどころか、見かけてすらいない。一夏の方から会いに行くのは気が引けて、ならば蒼の方からはというと言うまでも無くだ。家の距離は近いのに、存在だけがどこまでも遠い。手で触れられる範囲を越えて離れた感覚。考えすぎかそうでないのか、一夏には判断が出来なかった。
「……やっぱり、おかしいのかな」
「あ?」
「俺、今は女だけど、元は男だし。蒼もそっちで解釈してる。告白なんて以ての外だ。……あと数ヶ月経てば、元にも戻っちまう。のに、あいつのこと、アレだし」
一時的に“女”として居られるタイムリミットはあと少しだ。残された時間はそこまで多くない。
「まあ、ノーマルとは言い難いよな」
「……なあ、弾。お前さ、もし俺に惚れられてるって分かったらどうするよ?」
「ん? そりゃあ……真面目に答えんなら徹底的にスルーだろ。んでもってちょっと距離もとる。もし告白なんかされたら……あー、やんわり断るだろうな」
「だよなあ……」
もう一度、深い溜め息をひとつ。一夏は肘をついた手に顎を乗せながら、つまらなそうに外へ視線を戻した。
「……もしかして気付かれたのか?」
「それはねえだろ。あいつ、結構鈍いし」
「……それもそうか」
「だからと言っても、受け入れるかどうかは別だけどな」
「そこなんだよ問題は……」
無論、そこだけではないが、数ある中で大きなものであるのは確実。一夏の恋愛事情は途轍もなく複雑だ。すんなりといく事は先ず有り得ない。ましてや、相手は絶対友情宣言をしている蒼。どう考えても、一筋縄でいかないのは目に見えていた。
「……はあ。本当、面倒な体になっちまった。元から女だったら気も楽だったろうに」
「おいおい、ちょっと前まで拒否感示してたのはどこのどいつだよ」
「冗談だ、半分は」
「半分本気ってコトかよ……」
こりゃ相当だな、と弾が内心で溢した直後。
「あ」
「ん?」
「……いた」
「いた? いたって……なにが――」
問い掛けるのも待たずにがたりと一夏が立ち上がった。ばっと防寒具を纏めて抱えて、財布から千円札を一枚取り出しテーブルに叩きつける。
「ちょっ、おい! なにがどうした!」
「悪い弾! ちょっと抜ける!」
「はあ!? いきなりなんだ! 説明をしろ!」
「――蒼が居たんだ! スマン! また今度な!」
「なっ、馬鹿待てこの――」
だっと、店から勢いよく飛びだす一夏の背中へ向けて。
「割り勘だとしてもこれじゃあ足りねえぞーーー!!」
弾は切実な、苦しいお財布事情を嘆きつつ叫んだ。
◇◆◇
「蒼!」
ふと、名前を呼ばれてぴたりと足を止める。どこかで聞いたことのある声。それでいて脳に焼き付くような音。考えるまでもなく相手が分かってしまって、蒼は思わず息を吐いた。取り敢えずは、心を落ち着かせる。唐突な出会いなど予期していない。平常心を保ちながら、彼はゆっくりと声の方へ振り向いた。
「……一夏」
「おう。良かった、見間違いじゃなかった」
ほっと安心するように彼女は笑う。よもや、こんな時に会えるとは夢にも思っていなかった。気持ちとしてはそんな感じ。なにはともあれ面倒なものは置いておいて、顔が見られたコトを喜ぶべきだ。一夏はにっこりと自然な様子で笑みを深める。蒼も返すように、うっすらと微笑んだ。
「なにしてるんだ? こんなところで」
「買い物。母さんが夕食の準備で忙しいから、代わりに。そういう君は?」
「弾と勉強会だ。まあ、お前の姿見かけて切り上げたんだけどよ」
「……わざわざそんな事しなくてもよかったのに」
苦笑と共に蒼が言う。まだ数ヶ月先とはいえ、大事な時期なのには変わりない。勉強は真っ先に優先するべきものだろうが、ただ単純に今の一夏ではこちらの方が順位が高かっただけ。彼女の想いについて何も知らない蒼では、分かる筈もない。
「良いだろ。お前とは、冬休みに入ってから全然会ってなかったし。せめて連絡ぐらい寄越せよ」
「そうだね。まあ、たしかに、全然会ってなかった」
会う気が無かった、とも言うが。
「……ああ、でも、ちょうど良いのかな」
「? ちょうど良い、って……」
「いつかは言わなきゃ、って考えてたから。……ちょっと、話でもしないか?」
◇◆◇
「……それで話って、なんだ」
人気の無い公園。街中とは正反対に暗く、明かりはベンチの周辺を照らす電灯のみ。まるで切り離されたように、空間は打って変わって静寂が支配していた。地面を踏みしめる音だけが虚しく響く。蒼は買い物袋を手に提げたまま、ぼうっと空を見上げる。昼間から晴れてはいない。雲に覆われたそこに、星の明かりは一つもありはしない。
「うん。ちょっと、伝えなきゃいけないことがあって」
「伝えなきゃいけないこと?」
こくりと、蒼が頷く。今更迷ったり悩んだり、なんてのは無かった。彼の覚悟はとうの昔に決まっている。後はタイミングさえ合わせれば、言うことはない。だから、今日に会えたのは恐らく幸運だったのだろう。
「……これまで、沢山君と接してきた」
「……? そりゃあ、そうだな」
「特に、今年に入ってからは。もう色々あった。俺も、君も、一緒にいる時間は断トツだ」
「あ、ああ。それが、どうかしたのか?」
若干戸惑いつつも、一夏が訊く。
「だからもう、良いだろう?」
「――は?」
一瞬、本気で意味が分からなかった。
「もう、良いって……」
「言葉の通りだ。俺と君が一緒に居ることはない」
「……なに、言ってんだよ。お前、なんで、そんな……」
声を震わせて、なんとか言葉を紡ぐ。蒼は眉尻を下げて、困ったように笑っていた。
「ちょっとだけ、君を見てたんだ。学校の時、離れて、遠くから様子を窺ってた。……俺と居ない時でも君は、笑ってた。十分、笑えてたんだ。なら、もう俺はお役御免だ」
「……ま、待てよ。蒼、なに、考えて」
「終わったんだよ。俺が出しゃばる時間は、とっくに。終わってたんだ。……要らないんだよ、俺は」
「要らない、って……そんなことねえだろ? 馬鹿、言うな」
本人から言われようとも、答えは変わらず。織斑一夏にとって、上慧蒼は不必要だ。どこまでもいっても無駄な存在だ。そうなってしまった。ならば最早、隣に立つ資格はない。
「あと数ヶ月無事に過ごせば、一夏は男に戻る。晴れて問題は解決だ」
「それ、は…………」
「なら、俺は余計だよ。むしろ居ちゃ駄目なんだ。弾も数馬もいる。クラスの皆だって、もうとっくに君を織斑一夏だって理解してる。きっと無事に乗り切れる」
「な、なら! ……なら、良いだろ。お前も、お前も一緒に――」
「ううん。それは、できない」
はっきりと、蒼は答えた。突き放すように、決定的な溝を作るように、首を振って否定の意思を表す。
「俺は駄目だ。俺だけは駄目なんだ」
「……どうして」
「どうしてもこうしてもないよ。俺は
詰まるところ、己だけが“織斑一夏”を男として見られなくなっていた。
「ごめん一夏。――でもって、好きだ」
「…………え」
どくんと、心臓が跳ねる。
「友達としてじゃない。
「……うそ、だろ」
「嘘じゃ無いよ。本当に、恋してる。……馬鹿だよね。あんなこと言っておいて、結果がこれだ。俺も君に告白したあの人達と、なにも変わらなかった」
自嘲して、蒼はすっと目を伏せる。友人としては、最悪と言っても良い。己で信念を持って決めた役目すら果たせなかった。たった一年という間でさえ、全う出来なかった。
「蒼が、俺に……」
「うん。本当にごめん。本当に、本当に」
「……い、や、なんで、あやまるん、だよ。俺は、その」
「――いいよ、一夏。俺のことなんて、もう」
諦め。否、それは彼なりの割り切りだ。
「ただ、タイミングが悪かっただけなんだ」
だからこそ、彼は気付かない。己のものでしかないと決め付けているが故に、一夏が抱える問題を見落としていた。容赦なく自分の気持ちを叩き切る。その余波が、一夏にもしっかり及んでいるとは知らずに。
「……悪、かった?」
「ああ。ちょうど君が女の子で、俺が大分弱ってて、そんな時に救われたっていうだけ。一つでも違ったら、こうはなってないよ。本当に……最悪だった」
「あ…………」
痛みは同時に。しかして体は別に。精神を抉る言葉はどちらも違わない。
「こんなものは本来、あってはいけない。間違いでしか無い。密かに抱く事も許されない。そのぐらいは、分かってる」
「…………っ」
「だから俺は駄目なんだ。君と一緒には居られない。少なくとも、君が男に戻るまでは」
心が軋む。叫び声をあげる。限界は間際、堪えきれなくなるのは当然。決壊するのも時間の問題。衝撃は、決して優しくなど無い。
「……大丈夫だよ。男に戻ればきっと、こんな馬鹿な感情は捨てられる。無理矢理でも捨ててみせる。前みたいに男同士の感覚でやっていけるよう、俺も頑張るよ」
「――――ッ」
「そのためにも、君から離れさせてくれ。一夏も、惚れられてる男に側に居られるのは嫌だろう?」
ぶちんと、織斑一夏のナニカはその時、決定的に切れた。