しんしんと降り積もる雪。電灯が照らす近くより向こう、辺りは暗闇に覆われている。ほうと、吐いた息が白い。真冬の夜、寒さは日中の比ではなかった。コートにマフラー、防寒対策はばっちりだったが、それすらも貫いて冷気が身に沁みる。ぶるりと肩を震わせれば、左手を包む熱がぎゅっと力を増す。少々驚きながらも、どこかすっきりした様子で蒼は微笑んだ。
「……いま、何時ぐらいだっけ」
「ちょっと待て。えっと……うわ、もう十時過ぎてるぞ」
「そっか。……案外、長い事居るんだな」
「だな。……なんなら、明日の朝まで居るか?」
ふざけたように一夏が言う。流石に明日までは、と胸中で真っ先に否定した。もっとも、少し……ほんの少しだけではあるが、それも良いかと思ってしまう。外の空気は冷たくて冷える。その分、中身は燃え上がるほどの熱に浮かされていた。なんとも慣れないが、心地の良い暖かさ。
「……千冬さん、心配してるんじゃないか」
「かもな。お前だって、家の人が心配してるだろ」
「かもね。だから、きちんと帰るぞ?」
「……はいはい。ったく、さっきまで弱々しかったくせに」
ぼそりと呟かれた言葉に、そんなの当然だろうとジト目で主張する。本来なら此方の想いだけを伝えて離れようとしたところへ、思わぬ返答に驚愕的な情報の連続。キャパシティがオーバーしなかっただけ大分マシ。正直に言えば今でも尚信じられないが、現実は一夏と並んで公園のベンチに座り、手を握り合っている。夢幻の類いではないと、触れた感触が訴えていた。
「……一夏」
「なんだよ、蒼」
「ごめん」
「……良いよ、許す」
何が悪いのか、何を謝りたいのか。彼女は肝心の内容を聞かずに、笑って謝罪を受け入れた。既に分かっているからか、それとも中身などどうでも良いのか。どちらにせよ、真面目に振る舞ったこちらの損だ。呆れて肩を落とす蒼は、しかし口の端が自然とつり上がっていた。
「君も馬鹿だな。こんな貧乏くじを態々引くなんて」
「お前も本当変わんないよな。その自分下げる考え方」
「なんだ、まだ分かってなかったのか。俺は最低最悪なんだって」
「それじゃあそんなヤツを選んだ俺も最低最悪だな」
むっと、蒼が眉間に皺を寄せる。対照的に一夏はしてやったりと、意地の悪い表情を浮かべていた。相手の性分を分かっているが故の言葉。自分がどれだけ傷付こうが悪く言われようが大して
「……一夏は違うだろう。こんな余所者を救ってくれる時点で良い人なのは明らかだ」
「なーにが余所者だ。ここで生まれてここで育ったんだから、お前も立派なここの人間だろうが」
「そう思えたら、気が楽だったんだけどね」
「だろうな。お前がそこまで器用な人間じゃないってのは知ってる」
ついでに、どう足掻いても他人からの言葉では、彼の背負うモノを下ろしてはやれないことも。
「なあ。率直に聞くから、正直に答えて欲しいんだが」
「うん、なにを?」
「お前ってさ、自殺願望とか……ないよな?」
「……ないない。俺、死ぬのが怖いんだぞ? 自分から死のうなんて思えるワケないよ」
彼は苦笑しながら否定した。
「……なんつう皮肉だよ。というか、ぞっとしねえ」
「? 急に何言ってるんだ?」
「いいや。お前が死んでくれて助かったってことだ」
「……随分酷い事を言うんだな」
流石に怒るぞ、と低い声を出して、うっすらと目を細めた蒼が睨む。彼の中でも己の“死”は特別、壊れものどころではない扱われ方だ。数ある中で紛れもなくデリケートな部分。尤も、それですら“そこまででもない”と一時的に割り切れる蒼の精神は明らかにおかしいのだが。
「でも、蒼がここに生まれた切っ掛けなんだろ? なら、悪い事ばかりじゃない」
「……訂正。君は意外と最低だな。俺の事、知ってるくせに」
「だろ? だから俺ら二人はお似合いってことだ」
自分が恋をしたのは、どこにでも居る上慧蒼という男では無い。緩くて、マイペースで、年の割に落ち着いていて。けれども本当は面倒くさくて、重くて、有り得ない記憶を持っている、変わった男。過去の記憶も抱えるモノも無ければ、恐らくはこんな事態になっていない。ならば相手は目の前に居るたった一人。IFの世界の誰でもない。転生という異常を経て生まれた彼のみ。
「――良いんだ。お前が変わんなくたって」
「……一夏」
「自分は違う、この世界に要らない邪魔者、余所者。お前はずっと、そんな苦しみを抱えたまま生きていくんだろ?」
「…………そう、だね」
案の定、蒼は首を横に振らなかった。振ってはくれなかった。それも、分かっていたこと。
「だったら、俺が少しでもそれを軽くするよ。例えお前に届かなくたって……お前が俺らと同じなんだって、証明する」
「……まあ、同じ“人間”ではあるかな」
「話を逸らすな。話を。……もういいか。とにかく、そんな感じだよ」
きっと、前途は恐ろしく多難だ。この男に隣を歩かせるということは、並大抵の意識ではできない。問題は幾らでも向こうから転がってくるだろう。今はまだ、無理矢理細かくして小さな器に収まりきっている。だが十年後、二十年後、いつかはきっと溢れて、重さに耐えられなくなり、粉々に砕け散る。そんな様子を幻視した。
「覚悟しろよ? 俺を女にした責任、とってもらうからな」
「女にしたのは束さんだ」
「違う。それはカラダ。お前はココロ。おーけい?」
「……発音がなってないよ受験生」
次は彼女の番だった。女になってからの数ヶ月、十二分なぐらいに支えてもらった。返しきれないほどの借りを作った。今からは彼を支えていくようになる。一人で歩けないことはない。言わば蒼は自分の力でどうにかなる険しい道を歩いているだけ。ただそれがどうにも見ていられない光景だから、ちょっっとだけ手を伸ばすのだ。
「あ、そう言えばさ」
「なんだい、今度は」
「やっぱり、女として生きるからには口調とか変えた方が良いんだろうか。……
「……お嬢様にでもなるつもりかい? 君は」
「違うか。うーん……
「……凄まじい寒気がした。なんだろう。こう、関わっちゃいけない世界線に触れたというか……」
「いやお前何気なく酷いな」
一夏の感想はともかく、彼の感覚は気のせいである。
「無理に変えなくて良いと思う。一夏は一夏のままの方が良い。強いて言うなら、一人称を私にするだけでも」
「そうか、なるほど。……こほん、私を女にした責任、とってもらうからな?」
「……千冬さん?」
「……
いや千冬姉に女らしさが足りないという可能性も……? と考えた一夏だが、瞬時にして強烈な悪寒に襲われて思考を中止した。余計なことは考えない。姉は強くて美しく綺麗で女性的だ。もっと言えば全国の女性の憧れの的である。一部の層に“お姉様”と呼ばれて慕われている事実からは目を逸らす。
「それじゃあ、そろそろ帰ろうか」
「……だな。お互い、心配させてる人が居るだろうし」
「うん。俺、携帯置いて来たままだから。母さん、暴走してないと良いけど」
「千冬姉は……連絡寄越さないし、まあ、大丈夫かな……いやむしろ大丈夫か?」
酒を飲んで潰れていたりしたらあとが大変だ。外と内の切り替えがしっかりしているのは良い所だろうが、良すぎるのも考えものである。
「……あ」
「ん?」
ふと、手を離して立ち上がり、一夏がぐっと伸びをした時だ。蒼が何かを思いだしたように声をあげて、くるりと彼女の方を向いた。
「……これも、伝えておくかな。誰も知らない俺の、最後の秘密」
「知らない? ……って、束さんもか?」
「多分そう。長い間、もやがかかって思い出せなかったんだ。あの人が記憶を覗いたってだけなら、きっと知らないよ。今は、はっきり覚えてる。……多分、心が蓋をしてたんだろうね。それだけ、複雑なものだったから」
「……また面倒くさい案件かよ」
そこまでじゃない、と彼は目を伏せて。
「もう一つ
「もう一つ……って。ああ、前世、つうか、向こうの……?」
「うん。上慧蒼も正真正銘本名だけど、やっぱり、なんていうか……俺はきっと、コッチのほう」
「……そっか」
頷いて、耳を澄ます。受け入れるかどうかなど、考えるまでも無かった。
「――
「……上里、青。……良い名前だな」
「そうかい? 大分陳腐なもんだと思うけど」
「……そうでもねえよ」
なによりその響きは、彼に似合っている。
「青。青か……。そっちで呼んだ方が、良いのか?」
「別にどちらでも。ただ、そっちで呼ぶなら……その」
がしがしと、誤魔化すように後頭部をかきながら。
「……ふ、二人っきりの時だけに、してほしい」
「――――、」
言葉を失う。いや、失わなくてどうするというのか。なんなのだろうこの男は。反則だ、どこまでもズルい。眼前で立つのはしっかりとした中学生男子だ。身長もそこそこ、体付きは貧弱だが、男らしさは相応にある。だというのに、
「……可愛い」
「え?」
「あ、いや、悪い。素直な感想だ。気にしないでくれ」
「……とても気にするぞ……」
蒼とて僅かながら、男としてのプライドがあった。可愛いと言われるのは、少し、抵抗感がある、というか。
「ま、いいだろ。それよりほら、帰ろうぜ、
にっと笑って、一夏が言う。
「……うん。帰ろう」
二人は再び手を取り合って、暗くなった夜道を並んで歩く。雪は舞い続けている。この分では明日には積もっているだろう。ホワイトクリスマスだ。勿論、今はまだ路面がしっかりと見えている。聖夜を前日に控えた今日。彼らの足跡は見えずとも、しっかりと隣のまま、消えないぐらいに残っていた――。
申し訳程度のリメイク要素。
次回、最終話ッ!(迫真)
……諸々の理由は後に出す活動報告に書いときます。