「え、あの、コレは」
「ご安心ください。お客様にとてもお似合いだと思いますよ」
「いやそういう問題じゃなくてですね! ちょっ、その、千冬姉ぇーっ!」
「店内だ静かにしろ一夏」
一夏女体化事件より数時間経ち、正午にもなろうかという頃。場所は上慧家より変わって、およそ彼らが暮らす地区より二駅ほど離れた巨大デパート。試着室に閉じこめられた友人の悲鳴とその姉による容赦のない一言に苦笑しながら、蒼はどうしてこうなったんだろうと疑問を浮かべていた。
「だから本当、流石にちょっとコレはきついですって!」
「そんなご謙遜なさらなくても、お客様はとっても可愛いですよ」
「あ、どうもありがとうござ……じゃない! 違う! あのですね!」
わーわーと喚く一夏の声は、流石に他の買い物客の迷惑にならないよう気持ち小さくされてはいたが、それでも必死さがこちらにまで伝わる。割と本気で嫌なんだろうな、と長年の友人関係による勘から思いながら、蒼はちらりと隣で腕を組む千冬へ目を向けた。
「千冬さん、止めないんですか」
「そうだな。そろそろ抵抗をやめさせるか」
「いやそうじゃなくて、店員さんの方です」
「なんだ、そっちは問題ないだろう」
あれで問題ないのか、と若干驚きながら視線を試着室へ戻す。側で色々な服を持ちながら丁寧な対応で勧める女性の店員と、中から精一杯の話術でどうにか断ろうとする一夏。一進一退の攻防というには店員側がかなり押してはいたが、それもその筈。なにせ、こういう場面で止める筈の切り札である千冬さんが全く助けていない。むしろ一夏より店員側を押している。それはもう露骨なくらい押している。これが姉弟の絆なんだろうな、なんて少しズレたことを考えながら、蒼はふと千冬に訊ねた。
「そういえば千冬さん」
「なんだ、蒼」
「正直、一夏の服とか下着とかの用意に、俺が着いてくる必要、ないと思いますけど」
どうして連れてきたんですか、と言外に問い詰める。蒼本人の意思としてはこの買い物に着いて行くこと自体考えてもいなかったのだが、お前も来いという千冬からの圧力及びストレートな一言に押されて半ば無理矢理連れて来られたワケだ。それだけならまだしも、あいにくここは主に女性用の衣類を取り扱っている売り場となる。
『……いや、別に、邪なことは考えていないけど。なんというか、周りの視線が辛い』
四方八方からちらちらと向けられる多種多様なそれに、僅か十分もせずに蒼は疲労感を覚えていた。男である彼の身の回りにインフィニット・ストラトス関係の事柄はそう多くないが、それでもこの世界は間違いなくインフィニット・ストラトスである。女尊男卑、という固定観念が渦巻く社会は、中学生の男子にも同じく厳しい。……ただ、たまに、どれもが責めるように鋭い視線を向ける中で、一人か二人ぐらいが背筋をぞっとさせるような熱い視線を送ってくることもあったが、そちらに関しては蒼も深く考えないようにした。ただ確かに言える事は、どの世界にも、年下に魅力を感じる人間は居るのである。
「なにを言っている、お前が居なければこの買い物自体成立せんだろう」
「……それって、どういう」
「さあな。私としては、今朝に女になったばかりの奴が、こうも冷静に居られるかと疑問を抱いたワケだが。さて、その秘密はなんだと思う?」
「それは純粋に、一夏自身の強さ、とかじゃないですかね」
「…………はあ。お前も負けず劣らずだな」
「?」
ため息をつきながら、千冬はやれやれと首を振る。蒼はその言い分が全く理解できなくて、どこかもやもやとした気分になりながら首をかしげた。短所だろうが長所だろうが、自分のことになるとからっきし。良いところも悪いところもあるくせに、そのどちらも上手く見られないのが蒼の欠点だ。落ち着いているのはマイペースによるもの。慌てないのは危機感が無いから。滅多に怒らないのは誰かに怒るほど人付き合いをするタイプではないため。
「精神安定剤だよ、一夏と私の」
「……えっと。それは、喜ぶことですか?」
「馬鹿者、怒れ。そうして偉ぶれ。……昔からお前は、側に居ると落ち着くんだ」
「え……」
初めて言われた、と蒼が目を見開く。
「一夏も同じ筈だ。人を落ち着かせるオーラ、とでも言うかな。それがあるような気がするよ、私は」
「…………ちょっと、信じられないですね」
自分がそういう人間というのはなんか違うな、なんて考えてしまう蒼だった。
◇◆◇
「………………っ」
織斑一夏は今、猛烈な羞恥心に襲われていた。冷静に考えても、昨日まで清く正しい男子中学生だった彼にとって、この体は正しく自身をも削る毒である。肉体はあますところ無く女性になってしまったが、心は十四年培ってきた日本男子としての魂。千冬という姉が居る分ある程度耐性はついていたが、それでも一夏とて男だ。鼻血を噴出した蒼ほどではなくも、己の体を見るのは色々ときつさがある。加えて、着るものも変えてくるとなれば、ダメージは二倍を超えて二乗。――借り物のジャージから変身した一夏は、まるで湯気が出そうなぐらい顔を真っ赤にしていた。
「ほう、なかなか似合っているじゃないか」
にやにやと笑いながら千冬が言う。なんとなく蒼は途中から気付いていたが、事態を呑み込んだ少し後あたりからこの人は楽しんでいる。もう間違いなく楽しんでいる。絶対に楽しんでいる。日頃の仕事による疲れとかストレスとかを弾けさせたように。完全なプライベートモードだ。公私によって千冬の態度がかなり変わるのは蒼も知っていたが、今だけは仕事モードでも良かった気がする、と彼は思った。
「か、勘弁してくれよ千冬姉……」
消え入りそうな声で一夏が言う。周りから見てどうであろうと、彼――もとい彼女にとっては羞恥プレイだ。幸いなのは、他の人の視線を蒼が居るおかげで彼が一身に受けてくれていたことか。蒼自身にとっては堪ったモノでは無かったが。
「どうだ蒼、うちの弟を見た感想は」
「やめろ、見るな蒼。そして何も言うな、頼む」
「いや、えっと……」
と言われても、目に入ってしまっていたのだから仕方がない。要するに止めるのが遅かった。蒼はぼんやりと、カーテンが開けられた試着室に立つ一夏を見る。髪型はまあ弄っていないのでそのまま後ろに流したロング。服装に関しても、一見そこまで奇抜なものではない。白のブラウスに暗色のハイウエストスカート、おまけにシンプルな黒のニーソックス。ここまでくればお馴染みなモノで、所謂それは一部の界隈の人間にこう呼ばれていた。
「…………、」
――“童貞を殺す服”、と。
「………………まずいな、普通にドキッとした」
「蒼ォ!」
本当にしっかりしてくれ! と一夏がまたもや叫ぶ。だが仕方ない。彼は前世今世含めて性行為の経験がない魂レベルの童貞。最早特攻ダメージが入ってしまうレベルで、その系統の衣服には弱かった。
「あ、でも、似合ってるのは本当だ。その、凄い可愛いぞ、一夏」
「ええい嬉しいかどうか微妙な褒め言葉を今日はたくさん貰うなあ!」
「良い彼氏さんですね、お客様」
「違いますよ!?」
いや、本当に、どうしてこうなった、と蒼は半笑いで考える。一年経ったら元に戻るとは言え、一年間体は女なのに男物を着ていては不都合がある、という話までは良かったと思うのだが。
「フォローしたのは上出来だが、簡単に一夏をやると思うなよ?」
「千冬さんも悪乗りしないでください……」
この人もしや、自分が羽目を外して巫山戯たいために俺を呼んだんじゃ。今更ながら、蒼はなんとなく連れて来られた真の目的を知ったような気がした。
格好いい千冬さんは有休消化中。