リカバリーガール──師匠に拾われたのは、9歳の時だった。
赤ん坊のころに親に捨てられたらしい俺は、孤児院で育った。
親がいなくても、友達がいた。職員の人がいた。それでよかったのだ。個性が目覚めるまでは。
俺の楽しかった日々は4歳で終わりを告げた。
初めは確か、食器を壊してしまったのだ。食事中に落としてしまった食器を、俺はただ「元に戻したい」と思った。気づけば食器は元どおりになっていて、周りは恐怖の目でこちらを見ていた。
「時を操作する」個性──そういえば世界を掌握できそうだが、実際は大したことはできない。それでも周囲は怖がった。個性は成長していくものだから、いつかとんでもないことをされるのでは、そう思っていたのかもしれない。
そんな噂を聞きつけてか、孤児院の職員が俺を追い出したかったのか、師匠が俺の元へやってきた。寒い冬の日のことだった。
東京中に雪が降ったその日、俺は孤児院の庭で一人で座りこんでいた。周囲と出来るだけ遠い場所にいたかったのだ。
はらはらと雪が降る。体も心も、冷え切っていた。
「あんたは人を救える優しい個性を持ってるんだね」
そういって隣に座り込んだ師匠の姿を、かけてくれた言葉を、俺は忘れることができない。
個性は体の一部、そう言われている中で、俺の個性は怖がられてばかりだった。初めてだったのだ、優しい個性と言われたことは。
師匠は俺を引き取って、個性の使い方を教えてくれた。段々と人とまともに話せるようになって、毎日が楽しかった。
右手で時間を進め、左手で時間を戻す。両手を使えば対象の時間を止められる––便利そうだが中々癖の強い個性だ。
まず触れていないと時間を操作することはできない。更に何の時間をどれくらい操作するか、を意識していないと失敗し、大変な事故になる。
時間を進める分には体に負担はほとんどないが、時間を戻すのは相当辛い。そして、時間を操作する対象に生命が伴っているかどうか。それも俺自身の負担に関わってくる。
恐らく、時間を戻すということは自然の摂理に反しているからなのだろう。それを捻じ曲げるとなると、負担が大きいのも頷ける。
一箇所の時間を大体30分戻すと、俺自身の身体の年齢が1年分戻る。分かりやすく言えば小さくなるわけだ。
1時間経てば1年分元に戻るが、時間を戻す規模が大きければ大きいほど大幅に体に影響が出る。
それを俺は「人を治すための力」として教えられた。傷ついた人の怪我を無かったことにする。そのために使った。
初めはそれだけで良かった。それをヒーローとして、人を救けるために使いたいと思ったのは中学の時だ。
雄英での養護教諭としての仕事以外にも多くの活動をしている師匠の負担を減らしたくて、プロヒーローになって雄英に勤め、彼女の手助けをする。それが目標だったからだ。
師匠に初めてそう言った時、彼女は少しぶっきらぼうに言った。
「全く……あんたは仕方のない子だね」
いい、とは一言も言われなかったが、認めてくれたと思った。これは俺を救ってくれた彼女への親孝行のつもりで、それを察してくれたのかもしれない。
無事、雄英高校ヒーロー科に受かってからはあっという間だった。
多くの個性的な同級生と出会って、親睦を深め、切磋琢磨した。いろんな意味で忘れられない三年間だった。
その中でかけがえのない友人にも出会い、プロヒーローの資格を取った。それから養護教諭としての資格も取り、サイドキックとして事務所に五年間所属し、教師見習いとして雄英に赴任してから三年が経つ。
師匠との仕事の日々は思った以上に大変で、保健室の先生としての仕事も、ヒーロー科の先生としての仕事も舞い込んできててんやわんやだった。
人を治すだけでなく、教える日々。基本的に授業のサポートしか受け持っていないものの、生徒に頼られるというのは新鮮で、難しいことだった。
そして雄英赴任四年目の今年、初めて新一年生の副担任を担当することになった。
これは、保健室の先生である俺が生徒たちを立派なプロヒーローにするために奮闘する、そんな物語だ。
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