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校舎裏、木々に囲まれて人気の少ないその場所は、心操人使のお気に入りの場所だった。
木陰をつくる大きな木の幹にもたれかかる。
陽射しが木の葉によって遮られほどよい気温を感じられる。爽やかな風が木々を揺らし、葉が擦れる音が心地いい。
人付き合いを避けるとまではいかないが、そういった類のものがあまり得意でない心操にとって、ここは考え事に最適なスポットである。
(欲を言えば、猫がいればいい)
心操の好きな猫がいればもっといい空間になったのだが、マスコミの侵入を許さない雄英が野良猫を侵入させるはずもない。
体育祭まであと3日。ヒーロー科のA組に宣戦布告もした。どんな競技が来ても対応できるように作戦も立てている。しかしそれでも、心の中で「もっとやらなければ」と囁く声が聞こえた。
臨時休校になった翌日に宣戦布告に行ったA組は、ただただ真剣だった。慢心もせず努力し続け、懸命にヒーローを目指している。
ヒーローに憧れた。どうしようもなく憧れてしまった。
洗脳という個性はヴィラン向きだと、ずっと言われ続けて来た。そう言われるのもわかる。人が持っているのを見たら、まず悪用することを考えてしまう。
それでも憧れたのはヒーローだった。誰かを救けるヒーローになりたかった。
俺のようにヒーロー科に落ちた人間がいることを、普通科からヒーロー科に編入できる可能性があることを知らしめてやりたいだけだったのだ。1年A組はヴィランを迎え撃って注目されていて、その分調子に乗っていると思っていた。
(……でも、違った)
あんな姿を見てしまったら、どうすればいいかわからなくなる。個性が戦闘向きでないからと言って体も鍛えない自分が、浅ましくて仕方がない。
ヒーローになりたい。周囲が何を言おうとも、ヒーローを目指す気持ちは変わらなかった。
疲れ気味の目元を抑える。考えれば考えるほど、何をすればいいのかわからなくなる。
「……どうすりゃいいんだよ」
「……どうしたの?」
思わず口からこぼれた言葉を、誰かが拾う。
誰もいないはずなのに、と顔を上げると、小学生くらいの見た目の少年が立っていた。大きなクマのぬいぐるみを抱えるその姿は愛らしい。
目の前にいきなり子どもが現れた衝撃はかなり大きいもので、心操の頭の中は半ばパニックに陥っていた。
「……お前、小学生か?」
やっとのことで言葉をひねり出す。自分でもしょうもないことだと思ったが、心操にはこれが限界だった。
「……うん、7歳」
「誰に連れて来てもらったんだ?」
大方関係者の子どもだろうと当たりを付けて尋ねる。流石に一人で雄英に侵入してきたとは考えられない。
「マニュアルおにーちゃん。知ってる? プロヒーローなんだって」
「マニュアル……あぁ、ノーマルヒーローか。家族じゃないのか?」
「ちがうよ」
家族、という言葉に顔を暗くする少年に、心操は地雷を踏んだか? と1人焦る。
少年は一度クマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめると、あどけない表情を見せて言った。
「あのね、マニュアルおにーちゃんがおひげのおじさんと話してて、たいくつだったの」
雄英教師にヒゲが生えている人は多いから、誰だか検討がつかない。なるほど、こいつは勝手に逃げ出してきたお転婆なのか。それにしてはよく騒ぎにならずここまで来たものだ。
「……お前、名前は?」
「しゅう。秀でるって書くの。おにーさんは?」
「……人使、かな」
普段下の名前を言うことはほとんどないのに思わず言ってしまった。子どもは強いな、そう思わされる。
「じゃあ、人使おにーちゃんだね!」
人使、おにーちゃん。その言葉の暴力に心操は顔を抑える。子どもとは無垢で純粋なゆえに、信じられないような強打を放ってくることがある。今の言葉は心操の心にクリーンヒットした。
少年––秀が心操の正面に座り込む。このくまさん、えいたくんって言うんだ。そんなことを言う姿はやはりかわいらしい。子どもは罪な生き物だ。
「人使おにーちゃん、元気なさそうだった。大丈夫?」
秀を見ていて半ば忘れかけていた考え事が、胸の内から湧き上がってくる。心操の表情が暗くなったのを見て、秀がクマの人形を差し出してくる。
「えいたくん、もふもふでかわいいよ?」
無垢な言葉が心操の心を殴りつける。お前の方がかわいいよ、と叫びたくなる気持ちを抑えて、くまを少し触らせてもらう。
「……ヒーローになりたいんだ。でも、今のままじゃなれない」
「……なにかあったの?」
「色々あったさ。俺の個性がヴィラン向きだったり、ヒーロー科の入試に落ちたり、それでも俺は諦められなかったり……俺の個性、洗脳なんだよ。ヒーローの個性じゃねぇよな」
ヒーロー科の面々はたゆまぬ努力をしていて、自分は普通科で変わらぬ日々を過ごしていた。個性があって頭は回っても、日々肉体を鍛えることもない。
考えれば考えるほど、自分が醜く思えてきた。
「……そんなことない、だって人使おにーちゃんはやさしいもん」
「……優しくなんかねぇよ」
「ぼくのお話、聞いてくれた。近くに行ってもおこらなかった。それに、目がやさしいもん」
こんな隈だらけの不健康そうな目を優しいなんて、この子はどうかしてる。
だけど、ばかげたその言葉がとても嬉しくて、心操は秀を引き寄せて頭を撫でた。
さらさらで、ふわふわ。子どもらしい柔らかい髪は触っていて気持ちがいい。
「お前も、優しいんだな」
「……へへ、うれしい。人使おにーちゃん、お師匠さまと一緒だ」
「お師匠さまがいるのか?」
「うん。ぼくのこと、拾ってくれたの。優しいねって言ってくれた」
本当に幸せそうに話す秀を見ると、この子はお師匠様が大好きなんだな、と伝わってくる。
それにしてもさっきから話が不穏だ。拾われただの、近くにいけないだの、話を聞いてくれないだの、この子は特殊な境遇にいたのかもしれない。
「ぼくもね、こわい個性だ、って言われてたの。でも、お師匠さまがやさしい個性だって言ってくれて、教えてくれた。どんな個性もつかいよう、ってね!」
「……俺の個性も、優しくなれるかな」
「なれる! だって、人使おにーちゃんはやさしいもん!」
子どもは無垢だ。だからこそ大人がくれない欲しい言葉をかけてくれる。
「……俺、頑張るよ」
「うん! ぼくもがんばる!」
そろそろこの子を返してやらないといけない。マニュアルも先生もこの子のことを探しているだろう。
「…よし、マニュアルさん、探そうか」
「えー、マニュアルおにーちゃん。話がへいきんてきなんだよね」
ノーマルヒーローの話は普通すぎてつまらないらしい。随分辛辣な評価だ。
秀を抱き上げて校舎へと向かう。職員室あたりにいけば大丈夫だろうか。
「……最後に、写真撮っていいか?」
「いいよ?」
片手で秀を抱いて、スマホを構える。
夕陽でオレンジ色に染まった校舎裏、ヒーローを目指す青年と、くまを抱きかかえた少年。写真の中の2人は、とても楽しそうに笑っていた。
–––––
「……まさか普通科のやつに保護されるとはな」
「逃げ足がすごかったですね…」
職員室、相澤は膝の上に眠る秀を乗せながら、プロヒーローのマニュアルと話していた。
心操に連れてこられた時は既に眠りの世界に入っていて、起こすことも出来ずにただ寝かせている。
相澤としてはおひげのおじさんと呼ばれたことが若干不満で、ひげを剃っておにーちゃんと呼ばせてやりたい気持ちがあった。しかし不合理ゆえに、それが実行されることはないだろう。
「んで、さっきの説明の続きしてもらってもいいか?」
「はい。今日の午前病院で目を覚ましまして、検査の結果記憶の混濁のようなものだということです。しかし今までのことを覚えていないわけではなく、むしろ別人格が代行しているような感じですね」
「別人格、代行…? どんな話になってんだ」
秀、フルネームは時任秀──先日のUSJ襲撃事件で意識不明になった雄英教師である。
1週間半経った今日ようやく目を覚ましたものの、全快とは程遠い現状であった。
「見ての通り幼い精神になっていますが、時任が幼い頃の様子とはまた違うようで。彼だけど彼じゃない……そんな人格が出ているそうです」
「今日に至るまでの記憶はあるんだな?」
「知識としては、ですが。特にここ数年の記憶は知っているだけで、自分が経験したものという実感は薄いようです」
「……なるほど、肉体の次は精神か。厄介な対価だな」
時任の個性で時間を戻すと、身体年齢が若返る。しかし今回新たにわかったのは、肉体の限界を超えると精神の方に影響が出るということだ。
現在時任の人格は"眠っている"らしい。今は身体年齢に見合った子どもの人格が表面に出ていた。
ただそれも時任の子ども時代とは違うという厄介な状態である。
「本人曰く、明後日くらいには"俺"に戻ると思う。と言ってましたね。恐らく明後日には精神のデメリットの時間が終わるのだと思います」
「そこから一日経って、体育祭当日に身体も戻る感じか……ま、ちょうどいい頃合いだな」
自分の命を賭してまで治療をしたこの後輩は後で説教してやらないといけないが、個性により命を失うことはないというのは朗報だ。
未来永劫そこまで治療させる予定はないが、知らないよりは知っていた方が安心できる。
今の時任は小さく無邪気で、ただどこか心の傷を感じさせる様子だった。
彼が幼い頃の話は少しだけ本人から聞いている。随分と壮絶な人生で、そんな彼がここまでの好青年になったことは驚くべきことだった。それほど彼の傷は深いはずだ。
今も見えないだけで、奥底には生々しい傷が残っているのだろうか。
人の心は不合理だ。体と違って完璧に治すことはできない。
すやすやと眠る時任を見つめる。早く戻れよ、と思いながら水島との話を済ませ、迎えに来たリカバリーガールに彼を託した。
時任が目覚めたことは、A組の生徒たちにはまだ知らせていない。いつ知らせるか、どうせなら体育祭当日まで秘密にしておいてもいいだろうか。
今のこの姿を生徒たちに見せたらきっと複雑な気持ちになるのだろう。可愛らしい反面、傷ついたあの姿を思い出してしまうに違いない。
それでも、目を覚ましたことは生徒たちにとっても朗報なのだ。
生徒たちに言うべきか、言わないべきか。思い悩みながら相澤は明日の授業の準備を始めた。
くまのぬいぐるみはA組の生徒がくれたのでえいたくんです。