夏休みが始まろうかという頃、二人で遊んだ帰りに絡まれている女の子を見つけてしまう。当たり前のように飛び出す琢磨。
……それから数日後、山に行くなんて琢磨が言いだして――
友人とはどういうものなのだろうか。
明確に区別をするのは難しい。学校では大体の相手を友人などとのたまう人も居るが、それが事実かと問われれば戸惑う人の方が多い。殆ど便宜上であろう。
勿論狭い範囲で言えば共に遊ぶ相手、話す相手、趣味が合う相手などとなるのだろう。
しかし腐れ縁や幼馴染など友人と同類なのか若しくは別なのかで考えると、ごちゃっとしたまとまりのないものになってしまう。『それは友人とは違うのか?』と。
人によって定義が違う。そう片付けてしまえる話ではある。
分かりやすく全人類皆友達と言えば全員が友達なのだろうか。あまりにも頭をからっぽにした結論で少し心の中で苦笑をしてしまう。
退屈な授業中。耳障りな蝉の声、殆どが教師の喋りだけで進行し、時折思い出したようにチョークで黒板を叩く音。一昔前ならここに蒸し暑さが追加されていたのかもしれないが、僥倖と言って良いのか、この学校にも昨年から空調が備えられたので、それを感じることはない。
しかしそんなものがあったとしても、テストが終わり夏休みに入る前ともなれば授業の進歩も悪いし生徒の様子も怠惰だ。蔓延している雰囲気を払拭することは遠望している日が来るまでされることはないだろう。
ボーっとそんなことを思いながら、僕は目の前に座る話をしたことも無い人の背中を視界に入れながら思考に耽っていた。
「――というわけだ。む、そろそろ時間だな。分からないことがあれば職員室まで来るように」
そう、誰も従うことはないであろう言葉を口にして教材を纏めはじめる。
教師がそうであるならば、生徒も似たようなものだ。むしろすでに終わったかのように前後の席でお喋りをする奴や、さらにいえば席を立ち歩く奴も居る。
何時もの光景とはいえ、秩序の無さでいえば動物園と場所を間違えたんじゃないかと錯覚する。人も動物の一部と考えればおかしな状態ではないが。
そんな再び思考の海に溺れていた所にガンッと音を立てて誰かが机の淵に手を掛ける。
意識を戻され顔をあげればそこにはよく見る相手。
「まーたつまらないことを考えてるのか、一樹」
「つまらないって……」
つまらないと言われればその通り。こんな事を考えても一文の得にもなりはしない。ただの暇つぶし。
然し目の前の相手……活発そうな雰囲気を纏うそのクラスメイトの男、四條琢磨(しじょうたくま)は僕こと宮原一樹(みやはらかずき)にとってあまり得意な相手ではない。こいつといつまでも会話をするくらいなら想像の世界にいる方が何倍もマシである。
そんな僕の想いとは裏腹に、彼は何時ものように有り余る元気を伴い押しかけてくる。
「それより、今日何も無いだろ。どっかで遊んで帰ろうぜ」
「何も無いって、こっちの都合も考えてよ。それに、いつもの相手は」
「いつもって、ただ幼馴染ってだけだし、今日は用事があるらしい」
「それで、僕に?」
「たまにはいいだろ! なっ、なっ」
相手の圧力に気圧される。いつもながら無駄に押してくる相手だ。
確かに今日の予定はない。やる事は昼休憩の内にしておいたし、男の僕が居ない方が部活の雰囲気も良いだろう。勉強も真面目に進んでいない授業に対して時間を掛けて復習する内容も無い。
他に予定は……と思い返してみても何かがあるとは言えない。
それを考えればこいつの誘いを断ることも難しい。何も無いと分かれば引っ張っても連れて行くその強硬な姿勢は見習いたくもあるが、必要以上に参考にしたくもない。
さらにいえばもう週も半ば。そろそろ付き合わねば休日に家まで押しかけてくるのも想像に難くない。
どうして僕みたいなのを遊びに誘うのか。それは僕にとって永遠の謎だ。
「わかった。今日はどこに行くつもりなの」
「お、そうじゃなくちゃな。今日はな……」
そうしてあれこれと行き先を口にする。
どうせ行き先に興味はない僕はその言葉を聞き流すようにしてさっきのことを考える。
授業中にあんな事を考えたのも大体がこの男のせい。
彼は所謂幼馴染、とは思いたくないので腐れ縁に分別する相手。彼との付き合いはもう十年にわたるだろう。こうした光景を見れば他の人は僕と彼を友人だと口にする。
僕としてはそんなつもりは無い。彼は物事が雑であるし、礼儀もまるでなっていない。頭の出来も良いとは言えない。付け加えるとトラブルメーカーであり、いつも余計なことに首を突っ込む。正直に言って、こいつに付き合っていると疲れるのだ。
ただ、こいつといるおかげで僕がクラスから隔絶されていないのは確か。あまり人と交流が無い僕からすればこいつの存在は気疎いのと同時に助かる相手でもある。
そんな拒絶するにはデメリットの方が上回る奴、というのが僕の率直な評価だ。
「んじゃ、行こうぜ!」
とりあえずは行き先が決まったらしい琢磨は鞄をひっさげ、なぜかついでに僕の鞄まで持って教室から出ようとする。
それを咎めるのは当たり前というべきか、教室に残っている教師だった。
「授業は終わったがホームルームはまだだぞ。どこに行くというんだ?」
「あ、へへ、ちょっとトイレにっすよ」
鞄を持ってか、などのつっこみにクラス中が笑いに包まれる。一部は何時もの事かと呆れるような物もある。
僕はそんな光景を前に頭を抱えるのだった。
夕焼けに塗れる住宅地を二人で歩いて帰る。
琢磨はさっきのゲーセンで負けたことをいまだに悔しがってずっと謎のシャドーボクシングをやっていた。
「やっぱこう、あそこでバシッとやるべきだった!」
「暴れすぎなんだよ。もうちょっとじっくりやらなきゃ」
「くう、次きたときは絶対に負けないからな!」
「はいはい」
どうやらシャドーボクシングは飽きたらしい。その言葉を最後に鞄を持ち直しながら顔の向きをあげる。
見れば綺麗な夕日が先にある。もう日が沈む頃合いだ。
ふと何を思ったのか隣の琢磨がポツリと口にする。
「やっぱ、お前と遊んでるときが一番楽しいわ」
「男から言われても嬉しくも何とも無い」
「お、やっぱ一樹だって女に興味があるのか? このこの」
「誰でも思う事だろ! 小学生か!」
やっぱこいつと付き合っていると疲れる。溜息にそんな思いを混ぜる。
そもそもこいつは今日こそ僕を誘ったが、基本的に誰かに誘われていることの方が多い。こいつには可愛い幼馴染もいるし、異性の友達や突然の転校生とも楽しく話している。考えてみれば、こいつの周りは女ばかりだ。妬ましい。
琢磨はそんな僕の様子に何を感じたのかは知らないが、楽しそうに笑いながら足取りを軽くした。
そうしてほとんど一方的に向こうから話し掛けられる時間が続く。
こいつの凄い所は僕がどんなに適当に相槌を返しても、飽きることなく話を続けさせる点だ。僕は楽で良いのだが。
「まあ、そうい……」
ふと、琢磨の声が途切れる。
話に飽きるような奴じゃない。どうしたのかと視線だけ向けると、琢磨が路地裏の方を見つめていた。
路地裏は暗く陰鬱な雰囲気が纏っており、一般的な感性であれば好きで入る人は居ない。とはいえ、住宅街の隙間のような場所、別に幽霊が出るとか不良のたまり場などの話は聞いた事はない。普通に考えれば気にするような場所ではないのだが。
嫌な予感がする。視線を向けている先ではなく、琢磨にだ。
「何か用事?」
ひとまず軽めに声をかける。とはいえ嫌な予感が予感だけで済まなくなる確信だけはしっかりともてた。
琢磨は一瞬だけこちらを振り向き、謎に頷いてからバコッと音を立ててから路地裏の方へ駆けて行った。
もはや間違いはない。が、万一に気のせいの可能性もある。
僕もそれに続くように、琢磨が蹴とばしたであろうゴミ箱を直してから駆けだした。
そうしてその予感は的中する。
「や、やめてくださいっ」
「やめてくださいだぁ? じゃあ、こいつはどうしてくれるんだ。え?」
「それは……で、ですけど、きちんと謝りましたし、必要ならクリーニング代も……」
「そうじゃないだろ、えぇ?」
犬が西向きゃ尾は東ともいうべきか、やはりこいつが向かった先には厄介事が待っていた。
そして当の本人は足を止めている。臆している訳では無い、きっと自分が関わるべきかどうか見極めているのだろう。
――とはいえ、この状況、女の子をチャラチャラとした男三人で囲っている状況。そして交わしている会話からは決して平和的なものではないだろう。
もはやトラブルは決定づけられたようなもの。こういうことはすでにこいつと付き合って何度も体験してきた。
だからこそ、僕はいつものことのようにその場を立ち去る。
なにもおかしなことではない。僕は幾度となく同じような状況を体験してきて、この選択をしている。
「俺はあの子を見捨てておけない。お前は先に帰ってろ」
言われなくてもそうするさ。そんな口に出さない言葉と共に走り出す。
あいつは馬鹿だ。あの女の子を助けて何になる。何のトラブルかはっきりとは分からないが、巻き込まれて良いことなんてありはしない。だからこそ、僕の選択は至極まっとうなものだ。
そんな言い訳がましく僕は元来た道を戻っていく。
後ろからあいつの声がする。すぐさま、聞きなれない男の声が響く。
ああ――だからあいつのことは嫌いなんだ。自分が、惨めに感じられるから。
後ろに気取られ過ぎて前を見ていなかったからだろうか、路地を出た直ぐ足元に衝撃を感じた。
衝撃自体は小さい。しかし、何かにぶつかったのは確かで、それがなんなのか確認しようと足元に目を向ける……瞬間に当たりに大声が響いた。
「うわああああああああああああん!!!」
耳を劈くような泣き声。足元に子供、おそらく五歳くらいの女の子。
急ぎ泣き止まそうと屈みこむも、こちらを気にかけることなく泣き続ける女の子。
たまたま通りすがった女性に怪訝な目を向けられる。
まずい。そう思って再び怪訝な目を向けた女性に視線を向ければバッグから何かを取り出そうとしている。
チラリと見えたそれは、手帳のようなもので、でもそれは明らかカバーで、二つ指を触れて、下の方に触れる。
それは、この場を逃げ出すことが必然となる情報だった。
結局、僕はその後何をすることも無く家へと帰った。
残ったのは惨めな気持ちと最低な事実だけ。今までの事からあいつの行動は放っておいてもなんとかなることが多い。それが分かっていながら、この選択しか取れないことに僕自身情けないことだと理解している。
だけど仕方がないことだろう。あいつは僕と違って大馬鹿者なんだから。
次の日、琢磨は何事も無かったかのように登校してきた。
顛末が気になりはするが、今までだってあいつにそれを聞きに行ったことはない。どうせ、なんやかんやで纏まったのだろう。
そもそも現在アイツはいつものように女に囲まれている。囲まれていると言っても、万人受けするのではなくいつも特定の女だが。
じっと見ていると、琢磨は僕に気付いたのかサムズアップをしてきた。意味が解らない。
とりあえず今日は僕のところに来ることはないだろう。
僕は顔を伏せることによって自分の世界に閉じこもった。
昼休みのチャイムが鳴る。あちこちで廊下の方へ飛び出していく男達。購買組だ。
少し遅れて学食組、残ったのは弁当を持っているか既に勝っている人達。僕はそんな人の話し声に紛れるように椅子を引いて静かに教室を出て行く。
昼休憩の喧騒。それから遠ざかるように場所が切り替わる。
「さて。今日もやるとするか」
着いた先は園芸部用の花壇。
この花壇は昇降口の少し離れた所にあり、昼の間であれば人が通る事は滅多にない。花が美しく咲く時期であればちらほらと見かけることもあるが、今はそんな時期ではないのでせいぜい暇潰しに散歩する人くらいしかここにはこない。
花の様子を確認し、てきぱきと備え付けているホースなどを準備する。
花の状態を加味しつつ水の量を加減する。他の部員はいい加減なことが多いのでこうしなければ枯らしてしまう危険があるのだ。
そんな部員のおかげといえばいいのかせいといえばいいのか、昼休みは僕の時間となっている。
「はぁ……そのおかげで昼に自主的に来ることはないんだけど」
昨年に先輩たちが唯一の新入部員である僕に献身的に教えてくれたこともあり、僕一人でも問題はないくらいに花壇の扱いは心得ている。
しかし、それ以上に目の上のたんこぶとなってしまうのが今年の子だ。困るのは気分によってやったりやらなかったりという中途半端なところ。いっそ全くやらない方が助かるというのに。
先輩がいた頃まではその辺りも良かったが、夏が近づいてから先輩方は受験の為来ることが殆ど無くなり、それからは今のように世話はまちまちになり怠惰になった。先輩が教えてくれた知識もあいつらにとっては花を可愛がる方法の一種でしかない。
それを注意するのが先輩の務めというのかもしれないが、園芸部員は僕を除けば女ばかり。そんな環境は先輩といえ唯一の男である僕はカースト最下位にもなるし、何か口にすれば二倍三倍にもなって中身の無い発言で返されるのも当然というべきか。
結局、放課後は花壇の様子がおかしいときや作業が終わらなかったとき以外は顔を出すことは避けることで落ち着いたのだ。
「ひとまず、これでいいかな」
そうして隅っこの方にあるそれを眺める。
これは先輩たちが気を利かせて買ってくれた植物。僕がこうしてわざわざ部活に来るようにしている理由の一つ。
「男の子に似合う花……ね」
口振りは面白半分だったが、その気の使われ方は少しばかり嬉しくもあった。これがあるからこそ、僕は毎日のように此処に来るのだろう。
それにしても昨日の放課後になんだかんだ世話をしてくれた子がいたのだろうか。今日の作業は殆ど時間を掛けることなく終わらせることが出来た。昨日もそうだったが、先輩が顔をだしに来なくなったときよりはましになっている気がする。
時計を見る。この時間であればゆっくりご飯を食べて、読み進めていた本の続きに没頭することが出来るだろう。
そう計画をたてて持って来ていた昼食のふたを開ける。
そこで、聞く事が無いであろうと思っていた音がこちらに近付いてきている事に気が付いた。
「あっ、その」
少し駆け足気味に聞こえて来た音から、散歩という線はない。ランニングもわざわざコンクリートの上でするはずもない。この先には部室棟もあるがこっちから来るより素直に正面から出た方が早い。
こちらを見て少し戸惑っている少女の目的が思い当たらない。しかし、彼女のせいでせっかくの気分も壊れた。開けた蓋を元に戻して僕は別の場所を探そうと移動をすることに決める。
「あ、あの、宮原一樹さん、ですよね」
驚いた事に彼女は僕の名前を知っているらしい。
いや、よくよく考えてみればここに来る可能性のある人物の中に園芸部員だっている。よく見てみればどこかで面識があったような気がする。
三年生、ではない。園芸を教えてくれた先輩達を忘れるほど、僕は不遜ではない。同じ二年、はない。僕以外に新入部員はいなかったはず。ならば一年しかいないだろう。
しかし珍しいこともあったものだ。僕がこの時間に来るようにしてからというもの、他の部員なんて一人も見た事が無い。
そんな疑問に思う僕の様子に彼女は手持無沙汰に花壇の様子をちらちらと見ている。
「今日のお世話ならもうやったよ」
「あ、う……」
少し嫌味を込めて言うと、彼女は怯んだように顔を俯かせる。
やっぱり園芸部員の一人ということは間違いない。花壇の様子を見に来てくれたというのも邪推ではないだろう。
だとすれば、こういう応対は失礼だ。自分の気分だけでせっかくのやる気を潰すのはあまりにも馬鹿らしい。
「昨日きちんとお世話してくれたのは君?」
「きちんとかは、わかりませんけど……」
「ううん、ちゃんとできてた。おかげで今日の作業は少なくて済んだ、ありがとう」
しかし不思議なのはこの時間に来た事だ。確かにはっきりと決めごとをした訳では無いにせよ、昼休憩の間は僕が世話をしているというのは分かっているはず。
なんにせよ、僕がここに居ては向こうもやりにくいだろう。止めていた足を再び動かし、花壇を気にしている彼女の横を通り過ぎてその場を去った。
彼女は俯いていて、この昼休憩の時間に何をしに来たのか感情を読み取ることは出来そうになかった。
マナーモードにしているスマホからLEDが光る。
午後となればそれなりにだらだらとしている人が多いのも当然なもので、今まさに僕のスマホにも暇人が現れた事を示される。
送信相手はなんとなく予想がつく。それも当然、僕のスマホには基本的にアイツ以外のSNSが来ることは殆ど無いからだ。それも授業中ともなれば疑う余地も無い。
教師の様子を確認して画面を点ける。今行っている科学の教師はプリントを配っているだけで本人は寝ているので注意される可能性は限りなく低い。
『今日も時間あるか?』
珍しく二日連続のお誘いらしい。
てっきり昨日のことはすべて解決済みで全て終わったものだと思っていたが、もしかするとさらにトラブルが生まれた可能性もある。
それでも疑問が残る。あいつはあまりトラブルに巻き込もうとするやつではない。昨日のことからも明らかであろう。
もしそれで僕を呼ぶとすれば……
「山に行くぞ!」
馬鹿だなこいつ。
「どうした?」
「あんたの馬鹿さ加減に皆呆れてるのよ」
琢磨の幼馴染、白瀬南(しらせみなみ)がここに集まっている人を代表として琢磨につっこむ。
ホームルームが終わった直後、引っ張られて連れて来られた先は学校の近くにある喫茶店。近くにあると言っても、ここを利用する生徒は数少ない。一見さんお断りというわけではないのだが、単純に高校生は喫茶店に縁なんてないのだろう。だからこそ、僕は好んで利用するのだが。
さてここに集まっている面子は僕に琢磨、白瀬と今年春に入ってきた天野瞳子(あまのとうこ)。それとどこかでみたような知らない女性がいる。座る位置は通路側から天野、白瀬、僕。向かい側に琢磨とその女性である。
基本的には琢磨と交流が深い相手というところだろう。
「そうですよ、皆さん驚かれていますよ」
知らない女の子が手で口を押えてくすくすと笑う。
琢磨と対象に上品なその仕草は、すぐさま今までに一度は面識がある可能性を捨てきる事が出来た。もし琢磨の近くにこんな女の子が居たらギャップ差に忘れることが出来そうになったからだ。
だとすれば、可能性は一つしか無い。
「昨日の人?」
「さすが一樹、鋭いな」
それしかないだけだ。
それにしても、改めてみても雰囲気の違う人だ。着ている服も繊維が細かく、間違いなく上質なものだろう。
視線が集中したことに気付いたのか、彼女は音を立てることなく立ち上がり、美麗な佇まいで礼をする。
「忙しい中すみません。私は柳栞奈(やなぎかんな)と申します」
「は、はい。ご丁寧に……あ、あたしは白瀬南です」
「ボクは天野瞳子。よろしく」
「宮原一樹……」
つられるように自己紹介。琢磨がしないのはすでに知己の関係だからだろう。
しかし改めてみても立てば芍薬座れば牡丹、歩いている姿は見ていないのでわからないが、間違いなく美人といった形容詞が合う人だ。他の二人、天野は分からないが少なくとも白瀬は同じように思っているに違いない。
とにかく、なぜ僕達が呼ばれたのかわからない。それはみんな一緒だろう。
「栞奈とは昨日知り合ったんだけどな」
「もう名前で呼んでいるのね」
「栞奈の方から良いって言ったんだ」
琢磨の呼び方が気に障ったのか話を遮る白瀬。
僕としてはそんなことはどうでもいいから話を進めてほしい。琢磨がこういう奴ってのは昔からだ。
「はい。皆さんもできれば名前でお呼び下さい」
「そんな、初対面ですし」
「こちらとしましては、もっとフランクに話してくださった方が嬉しいんですよ。ですから、敬語とかもやめて……私の方は癖になっているので、申し訳ないですけど」
「い、いえいえ、えと、その……ええ、分かったわ」
向こうの言い分に押されたのか白瀬は素直に頷く。
なんというか、僕も少し驚いた。見た目からは想像できないアグレッシブな面もあるんだな。
ひとまとまりしたので、次を急かす。
「親の都合でこっちに引っ越して来たばかりで、なんでも、俺らの通っている高校に転入するらしい」
「へえ、ボクに続いて転入生。珍しいね」
「それと今回集まるのに関係あるの?」
白瀬の問いはもっともだ。
とはいえ、さっきの雰囲気といい、何となく察するものも生まれてきているが。
「俺らの学校に転入することが決まってるなら、今の内に親交を深めておこうと思うんだ」
「それで、山に行くって事かな」
「おう!」
天野は得心が行ったのか、満足そうにメニュー表を開いた。そういえば、喫茶店に入って何も頼んでいなかった。
ひとまず話は中断。喫茶店に来て何も頼まずに長々と居るのは心象に良くない。特に僕はよく此処を利用するので行きにくくされるのは勘弁して欲しい。
あれやこれやと相談して全員分のメニューを決める。
僕以外は軽食も頼んでいたけれど、話も終わってないうちから物を口にする気にはなれない。しばらくたって届けられたアメリカンを飲んで一息つく。
「僕はいかないよ」
「えっ!?」
「なんでそんなに驚くの……」
琢磨が驚愕した表情で僕を見てくる。
いきなり山に行くとか言って、はいそうですかと答えられるほど暇なわけじゃない。こっちにだって予定はある。
そもそも細かい話が何もされてないのに行く空気になっている方がおかしいのだ。
「いや、だってお前の親には既に了解を取っているんだけど……」
「は!?」
今度はこっちが驚く番だった。
こいつは出まかせを言うような奴じゃない。おそらく、すでに手回しはされているのだろう。
そこで、軽食にケーキを頼んでいた天野が口を挟んできた。
「もしかして、話は僕たちが思っているよりかなり進んでいるのかい」
「ああ」
「それなら、順を追ってボク達に話してくれないかな。多分それで把握することができると思うから」
言われてみれば、僕たちと琢磨たちの間には温度差のようなものが感じられる。
そこから、琢磨が時折柳さんの合いの手を貰いながら説明をした。
琢磨の話では、僕があの場を走り去った後やはりというかそのまま絡まれたらしい。狭い路地裏、逃げ場も無くてどうしたものかと思い、なんとか逆上しないように機を探っていると近くでサイレンの音がしたらしい。当然の如く狼狽する相手。琢磨は柳さんの手を引きその場を逃れた。――のはこの話になるの前日談。
その後、柳さんの家に招待された琢磨は柳さんの話を聞いて友人になり、その親交を深めるために柳さんの別荘があるという山に遊びいく、ということらしい。
「な、面白そうだろ」
ニコニコ顔の琢磨だが、こちらとしてはそれに対して呆れ果てるしかない。
言ってみれば、その誘いは怪しいことこの上ない。付き合う意味があるとは思えないのだ。
しかし、そう思っているのは僕だけのようで他の二人はそわそわしているみたいだった。
「んー、そういうことなら付き合おうかな」
「本気?」
「楽しそうじゃない? それに、こっちに引っ越して来たばかりなら、不安だろうし」
不安だから良く知らない人達を誘うというのか。そっちの方がわからない。
白瀬も琢磨と付き合うだけあって適当なところがある。この二人が乗り気な場合に変なことになった事はないが、不安というのはそれだけで払拭できるものではない。
僕は助けを求めるようにもう一人の人物に視線を移す。
「ボクもかまわないよ」
「……」
「君は多分栞奈さんの素性に怪しさを感じているのだろうけど、彼女はれっきとした柳グループの孫娘だよ」
「柳グループ……」
聞いた事がある。というより、こちらの地方であればそれなりに話を聞く名前だ。
地域密着が功を制し、数年前から急上昇している組合のはず。その話が本当であれば、この子はそれなりというより、ここいらに限ればかなりのお嬢様ということになる。
「や、柳なんて、どこにでもある名前ですよ」
すこし焦ったように口にする。その不自然な様子は逆にそれが事実であると言わんばかりだ。
天野はそれに対して涼しい顔でレモンスカッシュを飲んでいる。涼しげな冷気を放つそれに、僕もそれにすればよかったなんてどうでも良いことを考える。
「そうかい? 気のせいなら構わないよ。それとは別に、この街の中心に柳グループの会社が設立されたそうだね」
「うぅ……」
「関係無い話とは言え、君も少しは不安が解消されんじゃないかな」
こちらをみて薄く笑う。
なんとなく遊ばれているようで面白くない。それに、僕の視点からだと彼女が机の下でスマートフォンを操作しているのがしっかりと視界に入る。せめて隠してからその顔をしろ。
「……だとしても、僕はいけない。部活のことだってある」
むしろ、断る一番の理由と言っても良い。
後輩の子達がしっかり世話をしてくれるのなら良いが、まともに出来るとは思えない。それに花壇ならともかく、先輩たちが残してくれたあの植物だけは枯らしたくはない。あれは一日でも欠かせばそのまま枯れてしまう可能性だってある。
僕の部活の様子について知っているのか閉口する天野。
これで諦めてくれればいいが、琢磨はそれでも無理に言って来るのだろう。そんな予感がしつつ、僕はさらにアメリカンを口に含んだ。
そんな時、喫茶店の扉のベルが鳴る。
「あ、あの、兄……四條琢磨は」
「おお、こっちだこっち!」
「に、兄さん、お店で大声は駄目だから」
他のお客さんの目を気にしてこちらに近付いてくる女子生徒。
その顔は今日の昼にも見たもので、思わず面をくらう。しかし向こう側は僕の存在は織り込み済みなのか一瞬目線を移した後
「遅れました、四條琢磨の妹、四條沙夜です」
そう、自己紹介してぺこりと頭を下げた。
「遅いぞ沙夜」
「昨日遅くなるって言ったよね。あ、話は聞いています、柳さん」
「あら、可愛らしい妹さんですね。柳栞奈です、できれば栞奈とお呼び下さい」
「その、はい、栞奈さん」
照れたようにはにかみながら琢磨の隣に座る四條沙夜。
まさか琢磨の妹が園芸部にいたとは思ってもいなかった。入部の時に自己紹介はあったかもしれないが、あまり興味が無く覚えていなかったというのが実情だろう。
それに妹がいることは聞いてはいたが、家に行ったときなどに顔を見る機会がありはしたものの話をした記憶なんてないので、覚えていなくてもおかしな話では無い筈。
自分でそんな言い訳をしていると、琢磨の視線がこちらに向いている事に気が付いた。
「……なに」
「いや、もう部活の事は気にしなくて良いぞ」
「どういうこと」
無言で画面がついているスマートフォンを差し出してくる。色も明るめでキーホルダーも着いている。明らかに琢磨の物じゃないことに気後れするが、持ち主てあろう相手は気にした様子も無いので引き寄せて中身を確認する。
そこに書いてあるものは、一瞬真偽を疑うものと、やられたという感情だけ。
「三年の先輩たち、来てくれるんだって」
琢磨は僕の部活状況も筒抜けだったらしい。いや、彼女の存在を考えれば、それも当然と言えるか。
僕はその後、良い断り文句を思い付かず、流されるままに承諾してしまうのだった。
そうして始まる夏休み。すぐさま訪れる柳栞奈の別荘。
あれから欠員が出ることも無く順調に計画も進み、僕たちは件の山の中へと向かっている。
車窓から見える景色は木ばかり。偶に開けて川なども見えるが、基本的に民家一つない山特有の緑一色だ。これが秋ならもう少し紅葉も混じっているのかもしれないが、季節は夏であってもセミの抜け殻があるだけだろう。
「それにしても、黒塗り高級車って本当にあるんだな」
「白の方がよろしかったでしょうか?」
「そういう意味じゃないと思うわ」
大きめの車に乗り、道中はそれなりに話も弾んでいる様子。
と言っても、僕と天野は後ろの方で本を読んでいるのでそれに混ざるようなことはない。琢磨は真ん中の座席で妹と幼馴染を両手に侍らせている。言い方は悪いが、間違ってはいない。
しかし、ここにきても僕は天野の事は良く分かっていない。今読んでいる本だって、なぜかエッセイ物。さっきはSFを読んでいた。
「こう見えても、ボクも楽しみなんだ」
本から視線を逸らさないまま、天野がそう口にする。
僕への返答は求めていないのだろう。ただ、自分はそうであると意思を示しただけ。
当たり前のように僕は言葉を返すことなく本の世界に没頭しようと顔を俯かせる。――そんな行動を邪魔するように、琢磨が大きな声をあげた。
「でっけぇ!」
「本当……」
つられて、僕も顔をあげる。同時に車も停車した。
そこには、切り開いた森林の中に佇む一軒の豪邸。豪邸、といっても海外のお城のような物ではなく、あくまで二階建ての大きなお屋敷といった具合だが、少なくとも一人の人間が持つ日本の別荘としてはかなり大きい部類に入る。
「なんだか、事件とか起こりそうだね」
面白半分の天野の感想だが、あながち間違いではない。きっとホラー映画であれば惨劇なども起るのだろう。
しかしここは現実。現実離れしているとはいえ、僕らの前に建っているのだ。
ちなみに、準備段階で聞いた事だがこの別荘に僕ら以外人は居ないらしい。いつもは管理者が居るのだが、実家の帰省でいないとかなんとか。こうしてすぐさま予定が決行されたのは、おそらく僕らがその合間に都合よくここにいることができる相手だったという事もあるのだろう。
「皆様方、それでは三日目にまた参ります」
「ありがとうございます」
「いえ、お嬢様もお気を付けて」
全員が荷物を抱えて降りると、運転手の妙齢の男性が優雅に礼をし、黒塗りの車に乗ってエンジン音を響かせ元来た道を戻っていく。
てっきりお目付け役として一緒に居る物かと思っていたが違うらしい。というより、このお嬢様を一人にしても良いのだろうか。僕たちが危害を加えない相手という保証はどこにもないのに。
「それでは、ご案内いたしますね」
このお嬢様はそれを理解しているのかいないのか、柔らかな笑みを浮かべ玄関へと案内する。
……まあ、彼女がどう考えているのかは知らないが、実際何か起こることはないだろう。むしろ、僕としては何も起こってほしくないところである。
そう考えていたとしても、琢磨がいて何も無いなんてことはまずないのだが。
さて、一般家庭の扉より大きめの玄関を開いてみると、夏に似つかわしくない冷気と思ったよりかは質素な内装。パッと見た感じだと洋風だが、ところどころ和風の家具も置かれている辺り気にしていないのかもしれない。
外が豪華なものだから中ももっとすごいのかと考えていたのだが、それは杞憂らしい。同じことを考えていたのか、柳さんの隣を歩いていた白瀬が案内する柳さんを引き留めた。
「どうかしましたか?」
「ねえ栞奈さん、どうしてこう……なんだか普通の家みたいな感じにしてるの?」
「あら、もしかしてシャンデリアやキャンドルなどが置かれていると考えていましたか。別荘なので、管理しやすいようにしているんです」
「そうなんだ。確かにそっちの方が理にかなってるかもね」
なるほど、と納得する。確かに避暑地に余計な装飾は要らない。本来客人を呼ぶ場所でもないし、こんなものなのだろう。
納得したところで案内が続く。簡素にしているおかげか、一つ一つの部屋が広々としている。そもそも一部屋が一般家庭よりはるかに広い。食堂なんてうちの学食とそうかわらない広さなのではないか。
階級の差に愕然としつつも、柳さんは僕ら男性用の部屋まで案内をした後、女性陣を連れてまた別の方へ向かって行った。一応の防犯意識はあるのだと、少しだけ安堵して部屋を一望する。
広々とした部屋には大きめの窓にクローゼット、ベッドとテレビなどしかない。どちらかといえば殺風景の方が近いかもしれない。
「みろよ一樹、ここから緑が見えるぜ!」
「森林を切り開いた土地に作ってるから当然だろう」
この部屋は二階。まだ木の方が高いこともあり、景色が見えるなんてことはまずない。 それでもはしゃいでいる琢磨は環境の違いでも楽しんでいるのだろう。
さて、荷物も置いた。何をしろとは言われていないためやることがない。勝手に行動するのも不作法すぎるし、この部屋で待っておく方が得策だろうか。
そんな僕の考えとは裏腹に、琢磨は扉に手を掛ける。
思わず琢磨に声を掛けた。
「ちょっと、動き回るのは迷惑でしょ」
「でも暇だろ」
「暇だからって……」
彼のようなアウトドア派には部屋でのんびりする発想はないのだろうか。
とはいえ、ここまできて屋内でのんびりするのももったいない気持ちも分かる。ならばと、僕は誰にでも思い付くような提案をする。
「連絡してみればいいんじゃないの。交換してるでしょ」
「その手があった!」
嬉々としてバッグに詰め込んでいたそれを取り出す。普通ポケットに入れてそうなものだが、琢磨はそういう奴だと思い直して再び途中だった本を読み始める。
相手が女性だからなのか、返信はすぐに来たらしい。琢磨は即座に肩をゆすってきた。
「とりあえず飯だってよ! 行くぞ!」
「はいはい」
昼食、と聞いてあまり感じていなかった空腹が主張し始める。
食堂は案内されている。迷うことなくすぐに向かえるだろう。
「そういや、昼御飯ってどうすんだ?」
「どうするって……」
用意してくれている、のはありえない。現在この屋敷には僕ら以外居ないと聞いた。そうなると、ご飯は自分たちで用意することになるのが必然。
……もしかして、これは僕たちが作るということになるのでは。
「やっぱ俺が腕を見せるか!」
琢磨もその可能性に思い当たったのか、腕まくりをして力こぶしを見せる。
こいつは何故か料理が出来る。昔から親が忙しくて自分たちで作る事が多いからと聞いてはいるし、その理由にも納得はいくが、キャラとしては似合わないんじゃないかと思う。
琢磨が料理を作るにせよ、誰かが料理をしてくれるにせよ、そのことについて聞いた方が良いだろう。そう考えて僕は更に琢磨に連絡を促した。
「あ、琢磨」
食堂の扉の前、タイミングよく女性陣も到着したのかバッタリと会った。
ちょうどいい。先ほど琢磨と考えていた事を尋ねるチャンスだ。
「御飯はどうするの?」
「何も無いなら俺が作るが」
「食事でしたら幾つか用意した物があると伺っています。それと、ご自分で調理するのであれば、食材も好きに使用してよいとも」
考えてはいてくれていたのだろう。ならば、今日のところは用意してくれている物になる。なぜなら琢磨が外に出たそうにそわそわしているからだ。
「早く遊びに行きたいから、昼はそれを食べて外に行こうぜ!」
予想を裏切らない男だ。
しかし、こんな森の中でやる事があるのだろうか。僕としては木々に囲まれて嗜む読書というのも捨てがたいものではあるが。
僕らは冷蔵庫にあったカレーを温め、それぞれ思い思いに外へ駆けだすのだった。
そのカレーを見たとき、すごく庶民くさく感じたのはここだけの秘密。
あくまで見つけたのは偶然。
当たり前だが、下流に繋がる前には上流がある。ならば来る途中に見えていた川にはそういう場所があってしかるべきだろう。
探索するという子供のようなことを口にして向かった先は川があった。これ幸いと僕は釣りを提案。このまま何があるかもわからない森林の探索をさせられるよりはるかにマシだ。
そうして琢磨の「今晩は焼き魚だ」なんていう妄言を耳にしながら釣りを始めた。水質には問題なさそうだが、安全と保障されていない川の魚を食べる気にはなれない。
「釣れねえな」
「だね」
水しぶきが広がる。
魚が居ないという訳では無い。先ほどから魚影は見えているし、偶にルアーを揺らす魚がいるのは感覚で分かる。
しかし、かからない。
「……釣りなんてこんな物でしょ」
「そうなのか? あー……」
釣竿を固定してごろんと横になる。
ちなみに、この釣竿は借りものだ。柳さんに聞いたら倉庫にある物なら好きに使っていいと言っていたので、お言葉に甘えて借りさせてもらっている。
僕もこうしてじっとしているのは時間の無駄のような気にしかならないので、持ってきた小説を広げる。琢磨は一瞬こっちをちらりと見たが、興味の無い者だと分かると再び雲を数える作業に入った。僕らはあまり釣りの才能は無いらしい。
「暇なら白瀬たちのところに行っても良いんじゃない」
「あいつら写生、だっけ。絵を描いてるからなぁ。流石に興味無い」
「琢磨なら何でも楽しみそうだと思ったんだけど」
「女同士の親交も必要だろ」
「そっか」
意外とそういうところも考えているらしい。個人的には興味無いが八割くらい占めている気がしたが、特につっこむ必要も感じられないので黙っていることにする。
川のせせらぎがバックミュージック。思いのほか環境の違いは気分転換をもたらしてくれるのか、小説を読む速度も上がる。
一冊目を読み終える頃にはバックミュージックに琢磨の寝息もついてきた。
今日は何冊読めるか……穏やかな風に身を任せながら、僕は日が傾くまで引く事の無い釣竿を時折気にしつつも読書を続けたのだった。
「んが」
間抜けな声と共に僕も現実に引き戻される。
辺りは夕日に照らされ川の色も赤みが掛かっている。釣竿は終ぞ反応することはなかった。
琢磨は目をこすり周りを見ると、急に立ち上がって叫んだ。
「もったいないことをした!」
僕としては有意義な時間だったが、琢磨にはそうではなかったらしい。まあ、元々探検ということで外へと繰り出したんだ。もったいないと思っても無理はないだろう。
もう帰ろうと声を掛けようとすると、琢磨は草が生い茂った方へ走りだして行く。
「ちょっとトイレ!」
なんとも忙しい男だ。
僕は溜息を吐きつつも釣竿などの片付けに入る。ルアーにも問題はない。なんらかの知識不足か、そもそもここじゃ釣れないのかもしれない。もし次に釣りをするときはきちんと前準備をしておこうと心に誓う。
ついでに琢磨のを片づけると、僕は暇潰しに再び読書の世界へと入る。少し遅い気もするが、琢磨の事だし実は大……という可能性だってある。川の傍は涼しいし、お腹を壊しても不思議ではない。間抜けさはより一層酷くなるが。
さて、そんなこんなで十分くらい。ようやく琢磨が戻って来た。
「良いものを見つけた」
トイレスポットをか? なんて口に出そうとしたが、先程の本の読了感をこんなつまらない返答で台無しにしたくないので、曖昧に言葉を濁すだけにしておく。
お礼にと琢磨が僕の釣竿を持って屋敷へと戻る。
どちらかと言えば下山の方向なので、戻る方がはるかに楽であった。
何とか日が落ち切るまでに見慣れた建物が目に入る。
僕らが屋敷に戻ると、白瀬たちが忙しそうに外へと何かを持ち出しているのが見えた。
「あ、おかえり」
「準備は進んでるか?」
「もちろん。焼くのは琢磨だからね」
「分かってるって。この食べ放題で鍛えた焼き技術を披露してやる」
「あんた食べ放題に行くと食べる専門でしょ」
二人が軽口を交わす。殆ど言ったことはないが、ああいう食べ放題は自分でするのが普通ではないのだろうか。
持っているのは炭だろう。すでに何らかの準備は整っているらしい。……いや、何らかではなく、明らかではある。
「バーべキュー?」
「ああ。元からやるつもりで材料を持って来てたしな」
「道具は忘れてたからちょっとまずいかなって思ってたんだけど、栞奈さんが快く貸してくれたのよ」
そういえば、計画の時に話していたような気がする。琢磨が意気揚々と準備するといっていたのもあり、あまり興味がなかったので聞き流していたが、肝心な器具を忘れるのは詰めが甘すぎる。
釣り道具を借りるときに好きに使っても良いというのは、これを含めてのことだったのか。なんというか、色々と先回りはしているのだとそこについては感心した。
「まずは肉だな!」
「バランスよくよ」
琢磨と白瀬は馴れた手つきで準備を進める。
この場は任せても大丈夫だろう。僕は近くでボーっとしているのも居たたまれないので、他に手が必要そうなところを探す。
丁度良く、材料を外に持ち出している柳さんの姿を見つけた。
「手伝いますか」
「ああいえ、わたしの方は問題無いので、キッチンの沙夜さんの方に……あと、何度も言っていますけど、敬語は止めて下さい。一樹さんだけですよ?」
「それは……」
敬語を使うな、と言われても立場が立場だ。一般庶民が社長令嬢に対して遜ってしまうのは仕方がない。聞けば両親も柳グループの会社に勤めているという。そんな相手に不遜であれというのもなかなか難しい。特に今は相手のホームでもあるわけだ。
それに敬語と言っても砕けている方だし、相手もそんな感じだ。別にかまわないんじゃないだろうか。
「馴れたら、で」
「そうですか……」
シュンと落ち込んだようにふっと顔を伏せる。
しかし、すぐに思い直してたのか、柳さんは食材を琢磨たちの方へと持って行った。前向きな人だ。
さて、手が足りないというキッチンの方へと向かう。
扉は開いたまま。恐らくバーベキューの物を外に持ち出すために開放しているのだろうが、虫とかが入って来ないのか心配になる。
キッチンに向かえば材料を切っている四條さんと天野の姿があった。
「手が足りないって聞いたけど」
「ああ、宮原かい。手伝いなら、そこにおいてるものを持って行ってくれるかな」
「……全部か?」
「勿論」
天野が指差した先はキッチンの机。
そこには材料に加え、調味用のタレや、皿などの食器、釜一杯のご飯などが置いてあった。
このキッチンから外に出るまで微妙に距離があるせいか、本来そこまでおかしくはない量も幾分か大量に見えてくる。
「全部食べられるか、そもそも」
「さあ。ボクは言われているままに切っているだけだからね」
二人の方を見てみれば小気味よく包丁を扱う音が聞こえる。琢磨の妹である四條さんは家庭の事情から馴れていると思っていたが、天野に関しては正直意外だった。
「なんだい。早く持って行ってくれよ」
たしかにここで見ていても仕方がない。僕は観念して机に有るものを運べるだけ抱え、琢磨たちの下へ運んでいくのだった。
後でサービスワゴンを借りればよかったのではと気付いた。
肉の焼ける音。辺りはもう既に暗いが、屋敷の明かりと古めかしいランプのおかげで辺りを見る分には問題無い明るさ。
バーベキューグリルに近付けば暖かいのもあり、気温も問題無いといえる。熱帯夜だったら地獄だっただろう。
そんな夜に僕らはバーベキューに勤しんでいた。
「要る奴は言えよー」
ささっと焼いては皿に入れるを繰り返している琢磨。半分くらいは自分の皿に入れている。
しかし改めて考えてみても、この面子でバーベキューというのはどうなのだろうか。三分の二が女性で、一人はお嬢様。なんとも似合わないものだ。
しかし当のご本人達は馴れた手つきで食しているのを見ると、逆に成功だったんじゃないかという気もしてくる。
「食べないんですか?」
そんな琢磨たちから離れて見ている僕の下に声が掛けられる。
隣を見れば、琢磨の妹……四條さんが皿を手にして立っていた。
「いや、食べてるよ」
「そうですか? ですけど、なんだか少し輪から外れているような……」
「思ったよりみんなガンガン食べていくから、落ち着いたらまた混ざるよ」
天野はそれが顕著だ。クールなようで、ああやってさらりとバーベキューの取り合いに参加している。主に相手は白瀬だが。その白瀬は天野に取られながら焼き過ぎた肉など具合の悪いものに誘導されている。憐れだ。
なんにしてもあれが落ち着いてから貰いに行った方が良いだろう。いくつかはすでに食べたし、あれに参加するほどでは無い。
四條さんは逡巡して、手にもった皿をこちらに近付けた。
「あれ、まだまだ続きそうですから、どうぞ」
「でも、四條さんのが」
「私は兄さんに言えば、優先的にもらえますので」
照れ笑いを浮かべる四條さん。そういうことなら貰おうと、皿に手を伸ばす。
ふと彼女が使っていた皿だった場合。少し不味いんじゃないかと気付いた。しかし頷いてしまった以上、手を下げる事も出来ない。そんな中途半端な状況に、四條さんも首を傾げてしまう。
せめて何か場を繋げなくてはと言葉を練っていると、一つ思い出したことがあった。
「そういえば、先輩を呼んだのって君?」
「その、ちょっと違います。私は兄さんに相談しただけで……」
あのお人好し琢磨か。琢磨ならやりかねないというところが実ににくい。
あの後先輩を訪ねてみると夏休み中に再教育をする、とか先輩は意気込んでいた。だが、それであの一年たちが如何にかなるとも思えない。
夏休みがあけてしまえばいつも通りに戻りそうな気がする。彼女たちが欲しいのは花咲く未来ではないのだから。
「……先輩が危惧する理由も、分かります」
「ん、ごめん。態度に出てたみたい」
「いえ……」
これ以上は愚痴を漏らしてしまうかもしれない。僕は誤魔化すように皿の中にある肉に食らいつく。
焼き加減が丁度良い。琢磨の大言豪語も嘘ではなかったらしい。取り合いの中心地となった肉は犠牲になっているみたいだが。
そんな意識を逸らそうとするのを止めるように、彼女が袖を引っ張ってきた。
「もし、そうなったら、私が世話をします」
「……」
少しだけ呆然とする。彼女は名前こそ記憶はないが、部に入ってきたばかりのころは周りに流されるように陰に隠れていたはずだ。だからこそ、彼女の印象は薄かったわけだが。
しかし、今の彼女の瞳に映る意志は前向きなもので、少なくとも夏休みに入る前、花壇で僕と出会った頃と変わっていた。何を考え直したのかこそ分からないが、いい方向に向かっているのは確か。
そんな成長が垣間見られ、先輩らしいことをした訳でもないのに嬉しくなる。
「そっか。それなら、頑張って」
「はい」
彼女は力強く頷き、再び琢磨たちの下へ向かっていった。もしかしたら、琢磨が何かしたのかもしれない。あいつならやりかねないから。
取り残された僕は再び皿に乗っているものに手を出す。
やっぱり、琢磨はおせっかい野郎だ。問題解決を放棄していた僕をこんなにも惨めな気持ちにさせる。
四條沙夜も、琢磨の妹というのがしっくりとくる肩書だ。時間を掛けずとも、問題に折り合いをつけることができるのだから。
なによりも醜いのは、そんな彼らを嫉妬している僕自身なのだが。
そう、夏の夜空に向けて深い溜息を吐いた。
二日目は床の叫び声によって目が覚めた。
目をこすり隣を見れば、足だけベッドの上に乗せ、逆さになっている琢磨の姿。こんな状態になっても起きないなんて、頑丈な身体をしているといえばいいのだろうか、鈍いというべきなのか。
なんにせよ、まだ時間は早いが起きてしまったものはしょうがない。あくびを堪えつつ、タオルなどを持ち洗面所へと向かう。広い部屋だが洗面所がついていることはない。この家だとおしゃれな言い方でパウダールームにある。
「あ、おはよう、ございます」
「……おはよう」
心構えをしておらず、先客がいた事に面をくらう。
考えてみれば、少し早いだけで誰か起きていてもおかしくない時間。むしろ驚く事が失礼だろう。改めて、先客である四條さんに向き直る。
「四條さん、も今起きたの」
「は、はい。一樹さんも早いですね」
「琢磨が勢いよく床とキスしたせいでね」
「あはは……兄さんは寝相が悪いですから」
床とキスで伝わるということは琢磨がベッドから落ちることは珍しくないらしい。
しかし、改めてみても見てくれに関してはこの兄妹は似ていない。何回も言うが、彼女を琢磨と結び付けられなかった理由でもある。こうして四條と呼ばなければ琢磨の妹である事実を忘れてしまいそうになる。
もっとも、似ていないなどと二人の結びつきを忘れてしまえば、その似合った気質が僕を追い詰めることに昨夜気が付いたのだが。
なんにせよ、入口で立ったまま話をしていては邪魔になるだろう。女性の準備は時間が掛かるというし、キッチンあたりの水でも使う事にする。
僕は四條さんと別れを告げてキッチンの方へ向かった。
入り口で水温を聞いた瞬間、またかと心の中で呟く。
「ここにも先客が」
「なによ、悪い?」
今度は白瀬と出会う。どうにも今日は朝から運が悪いらしい。
「別に、使いたいなら使っても良いわよ。どうせ今日も外で遊ぶのでしょうし」
そう言いながらささっと片づける。
白瀬とは昔からこんな感じだ。だからこそ琢磨と違って会話も少ない。あいつと付き合っていると勘違いされやすいが、白瀬は多弁な方じゃない。僕としてもその方が楽なので、簡潔な物言いの白瀬は好きな部類だ。
そうしてお互い余計な会話を交わさず立ち位置を交換する。
「あんたが参加するとは思わなかったわ」
「そんなに珍しい?」
「ええ。好きじゃないでしょ、こういうの」
なるほど、正解だ。
向けられる視線は疑いではなく確信。会話は少ないが幼馴染ゆえの感覚なのかもしれない。
「だからこそ、琢磨は誘ってきたんだろう」
「ああ、そうね」
琢磨は多分そんな俺の性格を分かってはいる。だからこそしつこく誘いをかけてくることはないが、押せそうな気配があれば無理にでも約束をさせてくる。それが不躾であるのだけど。
今回だって、部活のことがなければ無理に琢磨は誘いをかけてくることはなかったはず。事実、園芸部はあと一年なにもしなければある種の崩壊を辿っていただろう。それを三年と一年で再教育をかけ、来年以降も無事に存続させるようにする。この夏休みはそれの最後のチャンスだったはずだ。
僕はその中にいると邪魔になる。それは新学期から続いたこの状況が何よりの証拠。それがあるからこそ僕はこの旅行へと付き合ったわけだ。
「そういうところ、本当に律儀よね」
そう言って白瀬はこの場を去った。
天野とチェスをしていたら昼食の時間になり、お互い決めていた時間に全員が食堂に集まった。
琢磨がご飯を作るということになっていたが、当の本人がギリギリに帰ってきたことであえなく作り置きカレーになってしまった。個人的に味がしみ込んでてかなりおいしいので琢磨の料理よりは嬉しい。
そんな昼食の途中、当たり前のように昼食以降の話が出る。負け越しているチェスの続きがしたいと思ったが、今の実力じゃ引き分けはあっても勝ちはなさそうなのでやっぱり止めておいた方が良いかもしれない。
そんな折、琢磨がガタッと椅子をならす。
「今日は肝試しをする!」
僕らはカレーを口にしながら琢磨の提案を耳にする。
立ち上がった琢磨に向けられる目は困惑したもの。いきなり肝試しと叫ばれたら誰だってそうなる。
昨日のバーベキューも寝耳に水だったが、彼のこの手の案は何処から降りて来るのだろうか。一回彼の頭を除いてみたいものだ。
「肝試し、かい」
「ああ、面白そうだろ」
琢磨の行動理念の大半は『面白そうだから』で間違いない。あの天野でも呆然としている様子をみると、彼の唐突な発言には驚きがあるのだろう。
とにかく、琢磨がそう口にしたのなら今日は肝試しになるだろう。他に案が無いというのもあるが、琢磨の発言が叶わないことはあまりないのだから。
「山の中の肝試しは、危険では?」
しかし、珍しく天野からの反論が入る。今年転入してきた故に僕はあまり彼女の事を知らないが、それでもイベントごとは嬉々として参加していたイメージがある。白瀬が琢磨のサポーターが増えたなどと愚痴っていたのを聞いた事があるし。
それは琢磨や白瀬も思った事なのか、意外そうな顔をしていた。
「朝の間に道順は確認した。目印はつけるし特に危険なことはないと思うぞ」
「ええ、あたしもそれに付き合ったし、特に危険なところはなかったわ」
朝二人が居ないと思ったらそんな事をしていたのか。僕としては平和で良いことだと考えていたが、実際には嵐の前の静けさだったわけだ。
僕はすでに諦めの境地に至っているが、天野はまだ何か考えている。ふと、もしかしてと頭の中で過る。
そこにきょとんとした表情の柳さんが会話に混ざった。
「私は楽しみなのですが……」
「けどね、私有地とはいえ山、何があるかわからない」
「……あ、瞳子さんもしかして怖いんですね!」
柳さんの一言で天野が固まる。やはりというか、そうだったのか。
こんな状況になった事が無いので、天野が怖い物が苦手というのはここで初めて聞く。飄々としたあの天野がホラー苦手……なんだか似合わない。
「そ、そんなことはないとも。ボクが怖い物苦手? ははは、そんなことはない。ま、まあ君たちがしたいというのなら、ボクも参加することはやぶさかじゃない。だから、ボクは怖くなんてない。わかったね」
必死過ぎるのがさらに哀愁を漂わせる。柳さんは言葉をそのまま受け止めているのか「そうなのですか」などと微笑を浮かべている。多分天野はつい口から出てしまった自分の言葉を後悔しているだろう。
なんてことがあったが、結局は全員参加で肝試しは決行。僕はその準備をする為、朝に琢磨たちが考えたルートというのを下見に行くことになった。
僕が下見に行くのは三つ理由が有る。
一つは印をつける為。夜に行う為、道が見えにくくなって道から外れてしまうのを防ぐため。
二つはびっくりするような仕掛けの準備。これは言わずもがな。
三つは、これは僕が行く理由なのだが、琢磨は夜のためと食事の用意や遊びの準備をする為だ。肝試しの後も遊ぶのかと僕は少々呆れ気味になったが。
流石に僕一人というのも味気ないと思われたのか、僕の隣には柳さんが居る。道順自体は白瀬から聞いているが、地形に関しては柳さんの方が詳しいからという配置だ。とはいえ、仕掛けの際には外れることになっている。彼女は初見で楽しみたいのだろう。
「この先には小さな社があるので、それを見つけたのかもしれませんね」
「そうなんですね」
「むむ……」
山に社があることは珍しくない。土地神なんてどこにでもいるものだし、山の神を祀る事で災害が減るならいくらでもするだろう。
ならばそこに繋がる道も出来ていることも納得できる。そしてそれを見つける琢磨もだ。あいつは本当にこういうことに鼻が効く。
足音が一つ減る。振り返ってみると、柳さんが頬をふくらませて険しい目付きでそこに立っていた。
「柳さん?」
「敬語!」
「敬語が……ああ」
昨日もそう言っていたことを思い出す。
もしかすると、柳さんが案内に立候補をしたのはそういう理由なのかもしれない。
個人的にそんなに重要な事なのかと問いただしたくなる。
「そんなに、気になりますか?」
「はい!」
なかなかアグレッシブなお嬢さんだ。でも、譲歩するならこちらなのも確か。ただ向こうの地位が高いだけなので、僕がそれを気にしなければいいだけ。親に聞いたら不遜なマネだけはするなと念を押されそうだが。
まあ気を付けるのは僕だ。それに、このままだと逆にこのことで怒られそうでもある。観念して、覚悟を決める。
しかし、どうしてこんなにも敬語をやめさせようとするのか。彼女にも譲れない何かがあるのだろうか。
「……分かった。こんなにも押して来るとは思わなかったよ」
「やっぱり、琢磨さんの言う通りでした」
「琢磨の?」
「はい。一樹さんは押せばいいって言ってました」
「はぁ……」
ものの見事に琢磨の策略にはまったわけか。力押しが策略に入るのならば。
なんにせよ、柳さんの目的が達成したのなら、彼女にとってここに来たことは無駄ではないのだろう。別に此処に来るほどでは無かったと思うが。
「社ってあれ?」
「そうみたいです」
山の中にある社というからにはもっとボロボロなのかと考えていたが、意外と綺麗になっている。
屋敷も管理者が居るらしいし、もしかするとここも管理の内に入っているのかもしれない。
祀るものは何もないため来ただけなのだが、一応参拝だけはしておく。
さて、ここにくるまでの間に印はつけておいた。印といっても、布を木に巻いただけだが、今夜だけなので問題無いだろう。
「それじゃ、帰ろうか」
「今日の夜、楽しみです」
仕掛けられそうなものはここにくるまでに当たりはつけた。僕は仕掛ける側に回る予定だが、それ以外に無人でもかかりそうなものを考えなければ。
というか、役割分担とかほとんど何も決めていない。戻ったらまずはそこから決めなければ。
さて、やることはいろいろある。こうして考えている間にも時間は過ぎているわけだし、印を帰りてがら確認しながら考えを纏ようか。
ふと隣を見れば、先程からずっと笑顔の柳さんが僕をじっと見ていた。
「どうかしま……した?」
「ふふ、いえ、とても楽しそうに見えたもので」
楽しそう、ねえ。認めたくはないが、そういうわけにはいかない。僕自身、笑みが浮かんでいることを実感しているのだから。
『俺が思うには、お前は何かの手伝いをしている時が一番楽しそうに見える。ま、縁の下の力持ちってやつだな』
そう言われたのは何時だったか。それがいつにせよ、僕自身の性質が変わっていなければそれは間違っていなかったといえる。
なぜなら僕は一人、こんな暗い森の中でみんなを待っているのだから。
「普通の人が見たら間違いなく貧乏くじをひかされたと思われるな、これは」
独り言が木霊する。
スマホで時間を確認すると、皆が来るまでにまだ時間があることが分かる。早めに出なければならないといっても早すぎたかもしれない。
小さなライトは持ってきているから、時間つぶしは不可能じゃない。個人的な問題は本に熱中している間に時間が過ぎ去ってしまうことだ。
「……」
なんだかんだ適当にアラームを仕掛けて本を読んでいると、ふと肩を叩かれた。
「どうぞ。夏とはいえ、夜は少し寒いでしょう」
肩越しに暖かいココアの香りが広がる。そちらの方に手を伸ばせば、暖かな温度が手に広がった。
一口つけてみれば甘みとほんの少しの苦みが口に広がる。市販の物とは比べ物にならない。お金持ちはこんな所にも力を入れるのだと感心する。
「ありがとう」
「いえ、わたしも楽しみにしていますからね」
それだけを最後に気配は消えた。
差し入れの為だけに来たのだとすると、なんとも献身的だ。後でお礼……この場合だと思い切り驚かすことかなとそんな風に考えて読書を続けた。
夜、琢磨のつくった料理を食べて、それぞれの部屋に戻る。
肝試しは成功した。唯一つ問題を除いては。
「ココアの差し入れって誰だったんだろうな」
「さあ……」
不思議なことに、といえばいいのか、僕が貰ったココアはみんなそんな記憶はないという。
そんなはずはないと僕が言えば、そもそもそのコップ自体がここの屋敷にあるものじゃないと。とはいえ、倉庫など探せばコップなど幾らでもありそうなので、そこについてはそれ以上つっこみが入らなかったが。
なによりも、皆その時間帯は肝試しの為、虫避けスプレーなど皆で集まって準備をしていたという。一人で行動していた奴も居るが、それは琢磨だ。琢磨は琢磨で料理などを考えれば一人でもおかしくはない。
そもそも、話し掛けてきたのは間違いなく女の声だ。読書に集中していたとはいえ、琢磨の声と間違えるはずが無い。
「ま、考えないようにしようよ」
「不思議ってのは気になるがなー」
僕ら自体はそんな調子で深く考えてはいなかった。そもそも女性陣だってずっと一緒に居た訳じゃ無いし、僕らは正確な時間を確認していたわけじゃない。ど忘れか誰かふざけている程度にしか考えていないのだ。
もちろん、それなら問題にはならない。問題なのは……そこで、ガチャリと扉が音をたてた。
「それじゃ、ご同伴にあずかるよ」
「部屋割りとか変わらないのね」
「同じ客室ですから」
「兄さん、一樹さん、こんばんわ」
天野、だろうか。
こんにゃくや模造品の蜘蛛にかかったりして夜の森に声にならない声が響いたかと思えば、天野が倒れたと連絡を貰った。さらに運悪く僕はメイクの途中で駆け付けたものだから、ちょうど起き上がった天野にいの一番に見られ、今まで見た事も無いような速さで屋敷に戻っていった。ちなみに、僕のメイクは他の人からもドン引かれながら怖いと言われた。
その後、参拝だけはして屋敷に戻れば優雅そうにココアを飲む天野。僕がそれを見て思い出して差し入れの話をすれば、天野は半分くらい残っているココアを置いて項垂れてしまった。
そんなほとんど天野に被害が被っただけのものだったが、琢磨が気を使ってまくら投げを提案。即座にそれに跳び付きこうして女性陣が部屋に来たという訳だ。
「本当に不運だよね」
「……」
まだ天野は青い顔をしていた。
「よーし、枕は持ってきたな!」
「こんな歳にもなって子供っぽい気はするけどね」
「私は楽しみですよ!」
まくら投げも普段であれば参加は半々だったかも知れないが、天野があの状態に加えて柳さんがやる気満々の様子。
気をつかったり、周りに流されたりで難無く全員参加ということになった。
僕は一番に脱落する予定ではあるけど。
「よーし、ルール無用の投げあいだ! いいな!」
……当たったら脱落とか、そんな発想は彼にはないらしい。
そういえば昔雪まみれになるまで雪合戦をした事もあったか。琢磨はあの頃から成長していないらしい。と、そんな事を考えていたら一番に枕をぶつけられた。
琢磨は高笑いをしながら次々と僕にぶつけていく。どこにそんな量の枕があったのかとも思ったが、いくら僕でも一方的にやられるだけでやり返さないのはありえない。
その後、照明に枕が当たって一瞬全員の動きが止まったり、僕が投げた枕が琢磨に当たってよろけた勢いでラキスケが起きたり、意外と早寝の白瀬が眠気でぶっ倒れたりあったが、最終的に何故か全員が同じ部屋で雑魚寝することでこの騒ぎは収まった。
ここの奴らはそういうところ無頓着だな、なんて思いながら僕も眠気に負けてそのまま就寝してしまったが。
雨が窓をたたく音で目が覚める。
二日連続で不自然な目覚めに、いまいちな不快感が襲う。
時間は昨日と違って早すぎる。すぐに二度寝しようと、いつの間にかかけられていた布団をかぶり直すが、今度はのどが渇いているのが気になってくる。
我慢しようと思えばすることはできる。が、わざわざ我慢するほどの事でもないだろう。すぐに身体を起こし、キッチンの方へと向かった。
二日続けて、時間を考えれば滅多にないといえるだろう。今日も今日とでそこには先客がいた。
「おはよう、よく眠れたかな」
「天野、早いんだな」
「そうでもないよ」
もう前日のように周囲を伺う事は止めたようだ。さすがに一晩経てば恐怖も薄れた様子。
天野はすでに用事は済んでいたのか、こちらへ振り向き雑談モードに入っているみたいだ。
こっちは顔を洗いたいから早く退いてもらいたいのだが。
「ところで、今日は一雨来そうだね」
「少し雨が降っているみたいだけど、すぐに晴れるんじゃ?」
「どうかな。でも、このまま終わるのも寂しいと思わないかな」
天野は何か事件でも期待しているのだろうか。
何も無いのが一番。そもそも昨夜変なことがあったばかりだろうに。懲りないというか、なんというか。
そもそも本気でそんな事を思っているのだろうか。ひょっとして、昨夜キャラが崩壊したから取り繕っているだけなんじゃないか。
僕がそんな懐疑的な視線を送ると、天野は腕を組んでスッと目を細める。
「僕は思うんだ。この広い屋敷で、本当に僕たち以外誰も居ないのかなってね」
「天野、それは」
ただ昨夜のことに理由を作りたいだけなんじゃないか。そんな言葉は心の中だけにとどめた。
だとしても、屋敷内は琢磨が探索した。誰も居ないことは確認しているだろうに。本当に天野は追い詰められているのだと、哀憫してしまう。
その視線に気づいたのか、少し不機嫌になって天野はようやくその場を退いた。
外は小雨だ。山の天気は変わりやすいというし、少し経てば晴れるだろう。
僕らはそんな微かな雨の音を聞きながら、集まりやすいという理由で食堂でUNOに勤しんでいた。
「青スキップ。あがりね」
「では青の0だしてあがりです」
「げっ、また負けた!」
本日四度目となる琢磨の最下位。バッとカードをぶちまけて椅子の上で項垂れた。
琢磨の負けパターンはいつも一定の色を止められてそれを捌けなくて終わるのが多い。反省して色か絵を頻繁にして手札をばれないようにすればいいのに、いつも一色に拘るせいで手札がばれている。それを利用しているのが僕だが。
そんなおかげで僕は本日五度目の一位を手に入れている。数え間違えではなく、琢磨とて最下位ばかりではない。
「あー、そろそろ飽きてきた」
「琢磨、負けてばかりだからね」
「一回は南に勝ったぞ!」
あのときは琢磨に二枚もドローフォーが来たからだけども。むしろそれで最下位の方が難しい。
しかし、琢磨の言うことにも一理ある。そろそろ外も晴れて来ただろうし、UNOはお開きにしようと片づけることにする。
片付けながら琢磨の方を見ると、珍しく何かに悩んでいるように見えた。
いや、あの悩みはおそらくどうでも良いことだろう。
分かっているのか、白瀬はスマートフォンを弄りながら確信をつくように尋ねる。
「最終日は流石にネタ切れ?」
「散策もやったしなぁ……あ、そうだ」
何かを思い出すと、琢磨は柳さんに近付いて耳打ちをした。
柳さんは始め不思議そうにしていたが、じきに満面の笑みに変わっていく。なんともまあ良い笑顔で。
ここまで見ていて思ったのだが、実は柳さんは琢磨に似てイベント好きなのかもしれない。そもそも、この面子でいえば好きでない人の方が少ない。
「では、また後で、ですね」
「ああ。楽しみにしていてくれ」
そんな二人の様子にじとっとした視線を向けていた白瀬は、ため息一つ付いてフリックで文字を打つ速さをあげた。白瀬は白瀬でなんとも複雑そうだ。
さて、晴れを確認したら僕も昨日の片づけの続きをしなければならない。流石に暗い中、山の中を動き回る気にはなれなかったので、そのままにしてあるのだ。
とはいえ、柳さんからそのままにしておいても後で片付けてもらうと言われたのだが……そういうわけにはいかないだろう。
「晴れだーーーー!!」
馬鹿騒ぎをしながら飛び出していく琢磨。
その後ろを柳さんがついていく。先ほど話していた事だろうか。
二人で駆けだす横で、白瀬と天野が話しをしている。
「今日の夕方に迎えが来るんだね」
「栞奈さんの勘違いじゃ無ければね」
「なら、ボクはここで森林浴でもしているよ」
「地面濡れてるわよ」
「……ハンモックを借りて来よう」
天野、ここに来てから大分化けの皮がはがれて来ているような気がするぞ。
さて、見ていないで僕も動こう。印と生ものだけは持って帰っているし、あとは纏めて置いておいた小物類だけ。さっさと終わらせて同じように森林浴でもしようかと考えていると、後ろから声を掛けられた。
「私も手伝います」
「四條さん? でも、手は足りているけど」
「あの、お邪魔じゃ無ければ……」
着いて来て困るようなことはない。もしかすると、何も準備を手伝っていなかったことが気にかかっているのかもしれない。
そういうのは自分の性質によるものだし、断るのもあまり良くはない。それにせっかく手伝ってくれるというのだから、大人しく頷いておいた方が良いだろう。損はない。
「じゃあ、ついてきて」
「はい!」
朝に降った雨が湿度をあげているのかじめっとした空気が蔓延していて、蝉の声も合わさって不快になってくる。
とはいえ、そんな文句を言っていても仕方がない。片付けるといったのは僕自身だし、四條さんも居る中すごすごと引き返すのも情けない。
昨日の夜中の気温を懐かしみながら、僕はようやく纏めて置いておいた場所へとたどり着いた。
「これだけですか?」
「うん。そんなに道具も使って無かったよね。って、そういやほとんど天野にかかってたか」
「ふふ、ほとんど天野先輩が驚いていただけですからね」
「まさか途中で帰るとは思わなかった」
駄弁りながらそれぞれが持つ道具を選ぶ。
当たり前だが、重そうなものは僕が持って、袋などでひとまとめに出来る物を持たせるようにする。しかしこうして持ってきたものを再度考えてみると、蜘蛛の模型や蛇の抜け殻とかなんで倉庫にあったのだろうか不思議に思う。
いや、考えてみればそんなどうでもいいものがあるわけがない。一つ数十万の高額商品だったりする可能性の方がはるかにあるだろう。
少し持つ手が震えて来たが、大丈夫、問題無い。
「それにしても、あっというまでしたね」
「そうだね。僕も、この三日間は、それなりに楽しかったかな」
「ふふ、兄さんも楽しそうでした」
「琢磨はいつも楽しそうじゃないかい?」
「兄さんは、あれでもいろいろ考えているんですよ」
困ったように笑う四條さん。
彼女の様子から普段の琢磨を想像することは出来ないが、それでもいいのかもしれない。おそらく、琢磨の本質がどのようなものであっても、僕からの評価は変わりようはないのだから。
それはある意味で傲慢な考えなのかもしれない。
屋敷に戻り、倉庫に道具を片づけたところで、再び雨が降って来た。
もう少し早くに雨がきていたら濡れて帰ることになっていたかもしれない。危ない所だった。
同じような状況になったのか、若干濡れている天野と玄関先でバッタリと会う。
「ふうん、突然降ってくるなんて、まいったね」
「どうして濡れてるの」
「ちょっとね」
意味深げにかっこつけているが、どうせハンモックの上で寝ていただけだろう。傍に置いてあるハンモックの中心部が濡れていないところから明らかだ。
三人で食堂に入れば、白瀬もつまらなそうに窓から外を見ている。まあ、最終日に雨に遭うのは不運としか言いようがない。ついでに、時間を考えればこのまま帰る時間になってしまうだろう。
僕としては十分に気分転換になったし、意義が無いわけではなかった。個人的にはこのまま帰宅となっても問題はないのだが。
なんにしても帰りの準備はするべきだろう。僕はそのことを四條さんに告げ、部屋に戻ることにした。
何事も無く帰る事が出来ると思っていた。この時までは。
「琢磨知らない?」
忘れ物が無いかチェックをしている最中、白瀬がドアを開け聞いてきた。
確か、琢磨は朝に柳さんと一緒にどこかへ歩いて行ったはず。それから誰も見ていないなら、まだ外にいるのではないだろうか。
「雨宿りしているだけなら良いんだけど……」
心配そうに口にする白瀬。時間は夕方に差しかかろうとしているし、雨も強くなっている。もしこれ以上連絡も無いのなら、迎えに来た人に恥を忍んで捜索を頼まなければならないかもしれない。
しかし、その選択肢はなるべくとりたくはない。大事にしているであろう娘さんがあの琢磨と共に居なくなったと知られれば、どうなるか分かった物ではない。
とりあえず、白瀬にはこっちは心配していると連絡をしてもらい、時間が解決してくれることを祈るしかない。
しかし一時間たっても、そのまま琢磨からの返事が来ることはなかった。
時計の針が進む音が響く。
僕らは食堂に集まり、それぞれが自分のスマートフォンを眺めていた。それは何も喜ぶべきものではなく、ただただ重苦しい時間が引き続いていくだけ。
帰るなんてこと、この場に居る誰もが考えていないだろう。
外では轟々とうねり、もはや嵐と呼べるほどの空模様が広がっていた。
「……探しに行くわよ」
遂に痺れを切らしたのか、白瀬が手を握りしめながら立ち上がる。
それに続くように四條さんも声を合わせる。
「はい。心配、ですから」
なんというか、健気な人達だ。彼女らが探しに行きたいのはおそらく琢磨だろう。もちろん柳さんの事が心配じゃないという意味じゃない。
だが、外は台風が来たかのような天候。探しに行くといってもこの天気じゃ二次被害となってしまう危険性がある。
だからといって、このまま手をこまねいているのも、気が気でない。
「わかった。だけど、分担しよう」
だから、皆が勝手に動き出す前に提案をする。こういうのは琢磨の役目なのに、なんて今居ない奴を考えても仕方のない。
この提案はあくまで、各自で勝手に動き出さないようにするためのもの。こうして決めておけば、行動を縛る事が出来るから。
しかし、その場合はどうするか。あまり外に出したくはないとはいえ、自分だけが外を探しに行くなんて選択肢は誰もが納得しないだろう。
危険では無さそうなところ。ならば、昨日全員通った肝試しの道。一人、屋敷に残らせる。そして、僕は。
一つ、思い出した。
「白瀬と四條さんは昨日肝試しに行ったところを探して欲しい。天野は琢磨が帰ってくるかもしれないからここで待機」
「一樹さんは?」
「僕は、おととい琢磨と行ったところに行ってみる」
レインコートを叩く雨の音が煩い。それ以上に、自分の息切れの音も煩雑に聞こえる。
そうだ、あの時琢磨は『良いものを見つけた』と楽しそうにしていた。
今日の柳さんの様子からして、それに関係ある可能性は十分にある。
白瀬たちはあの場所を知らない。僕も何に対して言っていたのかこそはわからないが、その道中までは記憶している。
何が待っているかわからない以上、僕一人で行くべきだ。もちろん、念の為いつでも助けを呼べるように準備してある。回収してきた印になる物は持ってきているし、携帯もビニールで包んで防水は完璧にしてある。
いくら琢磨と柳さんの為と言っても、自分の命を投げ出すほどでは無い。
「っと、ここか」
雨のぬかるみに足を取られながら、なんとか辿り着く。
川も氾濫している。あまり近づけばのみ込まれて二度と地を踏むことは叶わなくなってしまうだろう。
細心の注意を払いつつ、琢磨が消えていった位置を探す。人は何処か道を歩く際に歩きやすい道を選ぶはず。特に山道でわざわざ草むらを踏破していく人なんていない。ならば、琢磨が入った場所は少なくとも周りと違って進みやすい入口になっているはず。
同じような景色が続く。自分たちが釣りをした細かい場所なんて覚えてはいない。雨という事もあり、景色が違って見れることもあって、一度は来た場所の筈なのに全てが未視感のようだった。
だが、おそらくあの場で少しでも心当たりが有るのは僕しかいない。せめて、いないという証拠を見つけなくては。
そんな悪魔の証明にも似た探索に疲労感を感じ始めて来たとき、それは見つかった。
「なにか、引っ掛かってる?」
ほんの少しだけ開けた場所。おそらく、注視して居なければ気付かないような生い茂った草の枝に布地がかかっている。
記憶が正しければ、これは琢磨が着ていた服と同じ物。やはり、琢磨はここを通っていったのか。
徒労感は消える。すぐさま簡単に防水仕様にしたスマホを取り出した。
「連絡、を入れなくては」
何か見つけたら報告。それは僕が初めに言ったことだ。しかし、だからといってこっちに集まられても困る。
彼女らはおそらく冷静を欠いているだろうし、川の傍で発見したなんて伝えてしまえば、川を探索してしまう危険性もある。
もし琢磨たちが川に落ちたのなら……その場合はどうしようもない。が、僕はあいつがそんなことになっているはずないと確信できる。
ならば伝える内容としては、ただ布切れが引っ掛かっていた。それだけでいいだろう。
「この先、か」
もし一昨日に引っ掛かっていればその時に大騒ぎをしていただろう。ならば、これは今日引っかけられたもので間違いない。
この先に琢磨の言っていた『楽しいもの』がある。
誘蛾灯のように先に待つものを目指して進む。そこにいればいいと、期待を抱いて。
そして、それはすぐに見えた。
「ああ、なるほど……」
琢磨が言っていたもの。それは僕からすると『楽しいもの』ではなかった。
ただ、タイミングさえよければ、それはとてつもなく美しいものへと変化する。
「景色、か」
ここは視界が開けている。すぐ下を見れば急な斜面、だが気を付けていればそうそう足を取られたりはしない。
正面を向けば町が一望できる。今は雨のせいで黒く淀んでいるが、せめて晴れてでもすれば今と違った光景が見られるだろう。
だから、夕方の日の落ちる時間、琢磨が言っていた『楽しいもの』とはここなのだろう。
問題はその琢磨と柳さんだ。ここを目指していたのは明らかだが、その当の本人達は一体どこに行ったのか。
ここに来るまでに雨宿りできそうな所はなかった。もし何事も無ければ屋敷に帰ってくるはず。
なら、やはりこの下に。
「琢磨ーーーーーーー!! 柳さーーーーーん!!」
自分でも気が付かない内に声を張り上げてしまう。
辺りを探す。荷物がある。濡れているだけ。最近落とした物。琢磨は荷物を持たない。あれは確実に柳さんの物。
この急な斜面。もしかしたら、ここから落ちた可能性。いや、可能性などではない。おそらくそれは事実。
ロープを用意するか。もし動けなくなっていたら。それより救助を。誰に。どこに。
焦燥が募り、まともな思考回路を組むことが出来ない。
焦るがまま、もう一度大きな声を出す。おそらく、一生で今後出すことの無いような大声を。
「……ぃ」
雨に紛れて、声が聞こえた。
「琢磨!?」
『おー……一樹かー……栞奈もいるぞー……』
聞き取りづらい声。しかし、それは雨が地面を打つ音のせいであって、琢磨自身のせいではない。声も張りがある。重傷を負っている、という訳でもなさそうだ。
ひとまず、無事らしい。
むしろ、こっちがここまで焦っていたというのに、向こうがのんきに返事をしているという状況に、安堵より怒りの方が湧いてくる。
「スマホはどうしたー!」
とりあえず連絡を一切しなかったことについて聞かなければ。
こんな雨だ。防水でなければ壊れてしまっていてもおかしくない。その時は、僕のスマホを斜面から流せばいいのだろうか。
ふと、スマホのLEDのランプが点灯した。
『すまん、忘れてた』
きっと目の前に琢磨が居たら叩いていただろう。
結局、雨が上がるまで待ってから迎えに行った。いけそうにないならロープで上から引き上げようと思ったが、普通に歩いて屋敷から行くことができる場所だった。
琢磨と柳さんは雨がやむまで横穴で雨宿りをしていたという。それなら連絡できるだろうに。これについては僕は怒りが過ぎて呆れに変わったが、聞かされた白瀬は遠慮なくグーで殴っていた。その目尻には涙が浮かんでいたが。
暫く経って、迎えが来た。予定時刻よりかなり遅れていたが、尋ねると雨で危険だから遅らせた、という。
そのおかげで何事も無かったかのように振舞う事が出来たので助かった。いや、雨のせいであんなことになったのだから、感謝は出来ないか。
その時の運転手の方はどこか柔和な笑みを浮かべていた。理由は分からないが、どこか満足そうだったのが印象に残っている。
しかし、それにしても送迎のタイミングが実に良かったような……まあ、いいか。
そうして、色々あった旅行は終わった。
「これは、土が乾いていたら水をたっぷりあげるように」
「はい」
僕は久しぶりに部活へと来ていた。隣には四條さん。バーベキューのときの言葉はその場だけという訳では無かったようだった。
僕は教えることに問題はなかったし、知りたいという子に物を教えることはなんだかんだ嫌ではない。
でも不思議なのは、先輩たちも現在きてくれているのにわざわざ僕から教えて貰っている点だ。先輩たちの方が知識も豊富だし、分かりやすく解説をしてくれるだろうに。
それを聞くと彼女は
「知っている人からの方が……聞きやすいですから」
と答える。
人見知りとまではいかなくても、内気であればそういうこともあるだろう。僕も人と打ち解けるのは苦手なので、その気持ちは分かる。
今日はこれが終われば喫茶店へ行く予定だ。これにはあの山に行ったメンバーが呼ばれている。
また琢磨が何かを考えているらしいが、きっとまたトラブルが起こるのだろう。
「そういえば、どうしてあれだけ離してあるんですか?」
「あれは僕が先輩から貰った花だから」
「花……」
四條さんの視線の先。それは先輩から貰った、ちょっと刺々しい植物。
いずれ彼女にあれの世話を任せても良いかもしれない。ちょっと無骨で、意外と繊細な、あれを。
「さて、そろそろ向かおうか」
「はい!」
集合時間になる。また遅れると琢磨が煩そうだ。
今日は天気が良い。穏やかな風に乗って蝉の声が響く。今度来るときは帽子を用意した方が良いかもしれない。夏はまだまだ続く。
僕は彼女と荷物を持って学校を後にした。
いつも、助けて貰っていた。
昔は、自分一人で出来ると思った。出来ていると思っていた。
それは思い上がり。誰かを巻き込んで、それで一人で全てを解決するなんて、それこそ物語の中だけ。
一人だったら、きっと女の子一人逃がすことも難しかった。不安がる女の子を安心させる事も出来なかった。楽しい思い出を増やすことは出来なかった。
だから、心の中で感謝をする。きっと表だって口に出すことは出来ない。自分もそうだが、あいつもそれを認めようとしないだろうから。
「遅いぞー!」
「ちょっと先輩に引き止められて。というか、少し遅れるって、連絡入れたよね」
「え? ……ほんとだ」
「まったく……」
友人同士の軽口。
思えば、あの時もそれを忘れていたせいで大事になっていたか。
「じゃあ、山に行ったんだから次は海に行くか!」
「安直ね」
「でも、楽しそうだと思います」
海にも別荘はありますし、と続けて全員が驚く。山以外にもあるのか。流石お嬢様だけあるな。
幾らなんでも、という思いが浮かぶ。
今度は自分たちで宿泊先を決めて出かけるのも面白いだろう。いや、海なら日帰りでも良いかもしれない。
色々と構想が浮かぶ。きっと今度も楽しいことになる。そんな確信にも似た予感がよぎる。
「とにかく、まずは予定が合う日から決めなきゃ」
「夏休みに入るから、どうせみんな暇だろ」
「琢磨じゃないんだから」
あいつは呆れてこそいるが、本気で嫌がってはいない。他の皆も楽しそうに思い思いに予定を立てていく。今回も楽しい旅行になりそうだ。
またあいつはいろいろ準備をしてくるのだろう。俺に足らないものを補うように。
だからこそ、俺も勝手に突っ走る事が出来る。全員が楽しめるように、それだけを考える事が出来るんだ。本当に世話になってばっかりだな。
「やっぱりみなさん、仲が良くてうらやましいですね、琢磨さん」
「栞奈だって、今からこの輪に入るんだ。他人事じゃ無くなるさ」
「ですけど、みなさん旧知の友人みたいですし……」
「何言ってんだ。そんな心配はする事無い。ほら、山で打ち解けてただろ」
山で友達ができないと嘆いていた。この辺りにいる限り、柳の名は強すぎると。
だけど、そうだと分かっていて俺も、他のみんなもあくまで等身大で接していたはずだ。
「そうですけど……その、一樹さんはやっぱり柳の名前がひいているみたいで」
「それこそ心配いらない。だって」
言葉に詰まる。なんで心配いらないか。表面上こそは確かにあいつは傍観者のようだが、誰よりも他人のために動こうとする。いや、これじゃ栞奈は納得しない。
語彙が少ないせいで、良い言葉を思い付かない。あいつならもっといい言葉が出てきそうなんだが。
ああ、だから、そうだな……もしあいつを一言でまとめるとするなら、こうだな。
「俺の友達はいいやつだからな」
閲覧ありがとうございました
裏設定や出さずに終わった話はありますが、これ以上の続きは考えていません