空から女の子が降ってくる(落ちてくる)、ベタなボーイ・ミーツ・ガール風味の話がお好きなそこのあなた。
黒髪ロングのおっぱい娘が好きというそこのあなた。
本質的には優しいので、イマイチ冷たくなりきれない娘が好きというそこのあなた。
そして何より、頭上で飛行機のエンジン音が聞こえるとつい見上げてしまうそこのあなた。
そんな方々にこの物語を捧げます。

もともとは画像掲示板の+にじうら+に投稿していたものですが、+にじうら+が行方不明(鯖落ち。再開未定)になってしまったため、バックアップもかねての転載となります。
それにあわせて、一部修正等を施しています。

~お断り~
この物語はフィクションであり、実在する人物や団体等とは一切関係ありません。

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窓から見えたもの

 朝8時半までの24時間勤務を終えると、僕は朝10時になるまで待って、職場の対面にある某民放テレビ局の24階へ向かう。

 24階の南側と北側にある通路――コリドールと呼ばれている――は、観光客に無料で開放されていて、最上階の有料展望室にわざわざ上がらなくとも、東京湾内外の景色を堪能出来る。しかも、南側のコリドールからは、羽田空港を利用する旅客機の離着陸の様子を見る事が出来るのだ。

 数ヶ月前に、たまたまこのテレビ局を見学に訪れた際にその事を知り、僕はそれ以来夜勤明けのたびに入り浸っている。もっとも、旅客機の写真を撮るわけでもスケッチするわけでもなく、ただひたすらガラス越しに離着陸の様子を眺めるだけだが。

 そしてその日も、僕は南側のコリドールに立っていた。

 首都高の向こうに見える空き地、通称『Q街区』の上あたりを、着陸態勢に入った全日空のボーイング747が、左にバンクしながら飛び去っていく。

 滑らかな流線型の機体と大きく左右に広げられたしなやかな翼は、どことなく女性的なイメージを受ける。遠ざかる機影を見ていると、どこからか悲鳴が聞こえた。

『きゃあっ! ど、どこ見てるんですかっ!?』

「へっ!?」

 若い女の子の声だった。僕はとっさに振り向き、辺りを見回した――誰もいない。

 いや、いるにはいるが、若い女の子だった時期は間違いなくあったと思われる、高齢の女性観光客ばかりだ。きっと鳩のマークで御馴染みのバス会社のツアー客だろう。

 ここ最近忙しかったから、疲れていて空耳でも聞いたんだ。とっとと帰って寝よう。

 そう思いながら、僕はこの日の旅客機観察を終了した。

 

 それからちょうど1週間後。

 観光客で賑わう南側のコリドールから旅客機を見ながら、僕は先週この場所で聞いた、女の子の声を思い出していた。

「……可愛い声だったよなぁ、うん」

 腕組みなんかして一人で頷き、僕はふと思い出した。

 女の子の声が聞こえる直前まで、飛び去る旅客機の尾端を見ていた事を。

 あの時『どこ見てるんですかっ!』と言ってたけど、女の子がじろじろ見られて嫌がるところって言ったら、お尻か胸だよね。……尾端ってお尻なの?

 するとナニか? あの声は旅客機の声だっていうのか? そんな馬鹿な!

「つーか、僕には旅客機の尾端に欲情する趣味はないぞっ!!」

 思わず叫んでしまった。コリドールが静まり返る。目の前にいたおばちゃんの団体が揃いも揃って、憐れみ半分蔑み半分の生温い眼差しで僕を見ていた。

 しかも、わざわざ僕をチラチラと見ながら、ヒソヒソ話をしている。

「まだ若くていい男なのにねぇ……かわいそうに」

「きっと、彼女いない歴イコール年齢で溜まってるのよ」

「溜まっているからって、こんなところで発散しなくてもねぇ」

「発散と言えば、アンタんとこの旦那、この前ソープランドのはしごをしてたっていうじゃない。別の意味で若いわねぇ」

「若いと言えば……かわいそうにねぇ」

 僕を見るな! というかわざわざハモるなっ!!

 話のネタにされるのが癪なので、僕はそそくさとその場を立ち去った。

 北側コリドールで下りエレベーターを待っていると、背中に誰かの視線を感じた。

 振り向くと、1人の女の子が南側の通路から僕をじっと見ていた。

 はっきり人目を引く美人だ。細身だけど出るところはしっかりと出ている理想的なプロポーション。やや青みがかった髪は腰まで長い。

 青・白・グレーがバランス良く配色された、メイド服っぽいシルエットのドレスは、女の人にしては高めの身長によく似合う。

 被り物――多分カチューシャだと思う――にはANAとプリントされていて、背中からは白い羽根のようなものが見える。航空会社のキャンペーンガールか何かだろうか?

 で、何故か女の子は僕を睨んでいる。睨んでいるのだが、プウッと頬っぺたを膨らませているせいか、いまいち迫力がない。

『……エッチ』

 怒ったような女の子の声が聞こえた。耳元ではなく、僕の頭の中に直接響いた。

「だ、誰だよっ!?」

 慌ててキョロキョロと見回すが、近くに若い女性の姿はない。通路の向こう側で怒っている女の子以外は。――いや、女の子は怒っていなかった。それどころか、僕の様子を見てクスクス笑っていた。

 僕が見ているのに気付くと、女の子は慌てて笑うのを止めて、先ほど同様怒ったようなそぶりを見せた。その様子が余りにも可愛いので、僕は思わず吹き出してしまった。また女の子の声が頭の中に響いた。

『な、何で笑うんですか!?』

 女の子が僕を睨んできた。顔が赤くなっているように見える。怒ったからなのか、それとも照れているからなのかは不明だが――あるいはその両方?

「あ、ご、ゴメン! えっと、今のは君が喋ったの?」

 テレパシーなんて特殊能力は使えないから、僕は、エレベーター乗り場の係員に聞かれない程度の小声で呟いた。

『声に出さなくていいです。頭の中で考えてもらえれば、私は分かりますから』

 そっけない言いようだが、まぁそういうことなら。

『さっき“エッチ”って言ったのは君?』

『だったら何だというんですか、覗き魔さん』

「のぞっ……!? あのねえっ!!」

「申し訳ありませんが、他のお客様にご迷惑となります。大声を出すのはご遠慮下さい」 係員に怒られてしまった。向こうで女の子が笑っている。

『わ~い、怒られた怒られた』

『……あのさ、見ず知らずの人間に、エッチだの覗き魔だのって、失礼だと思わない?』

 女の子が表情を曇らせ、何か口篭った。

『何か言った?』

『なんでもないです! まったく、覗き魔の上に詮索魔ですか?』

『――もういい、好きに言ってくれ。大体、何なんだよ君は?』

『さぁ、私は何でしょう? エレベーターが来るまでに見事正解したら、覗きの件は許してあげます』

 僕の問いを逆手にとって、女の子は含み笑いを浮かべた。こういうのって、試されているようで(実際試されているわけだけど)好きじゃないし不愉快だ。フェアじゃない。

 抗議しようかと思っていると、ちょうどそこへエレベーターが到着したので、僕は女の子からの問題には答えず、エレベーターに1歩足を踏み入れた。女の子の声が聞こえた。

『見ず知らずじゃないです』

「えっ?」

 慌てて振り向いた僕の目線の先で、女の子は寂しそうに微笑んだ。

『見ず知らずじゃないです。あなたは、私の事を毎週見ているはずですよ?』

「毎週って――うわっ!」

 僕の後から大挙してやってきたおばちゃん達によって、僕はエレベーターの中に押し込まれてしまった。エレベーターの扉が閉まる向こうで、女の子が手を振った。

『来週までの宿題にしておきます。答えを考えておいて下さい♪』

『そんなの、勝手に決めないでよ!』

 そして、エレベーターが下に動き出した。女の子の姿はもう見えない。

 何なんだよ、一体……。そう心の中で呟きながら、僕は女の子の言葉を反芻した。

 女の子は『見ず知らずじゃない』って言うけど、生憎と僕は今回が初対面だ。向こうは僕を知っているから『見ず知らずじゃない』と言ったんだろうが、あまりに一方的すぎるというものだ。

 それに『毎週見ているはず』って……ねぇ。確かにあの場所には毎週来てるけど、僕が見ているのはあくまでも旅客機であって、女の子ではない。ついでに言えば、あれだけの美人だ。1度見れば絶対に忘れるはずがない。

 やっぱりANAの旅客機? 大きな機体があんな可愛くコンパクトにトランスフォームするのかぁ。技術革新は凄いねぇ。

「絶対にありえん」

 脳裏に浮かんだおバカな考えを声に出して打ち消すと、僕はひとつ溜め息をついて帰宅の途についた。

 

 そして翌週。僕は職場の救護室で横になっていた。

 深夜の台風対応中に小さな段差を踏み外して足を捻挫し、挙句の果ては全身ずぶ濡れになって作業をした為、風邪を引いてしまったからだ。捻挫は大した事はないのだが、風邪のほうはと言うと熱が40度近くある。

 解熱剤を飲んだものの、まだボーっとする頭で、僕は先週会った女の子の事を思い出していた。霞む目で室内の時計を見ると、既に午前11時を大きく過ぎている。

「宿題の答え、出せないな……」

 僕が姿を見せるのを待っているであろう女の子に、心の中で一言「ごめん」と謝り、僕は眠りの精に意識を委ねた。

 

 目が覚めると、時計は夕方5時を指していた。

 眠ったお陰で頭はだいぶ楽になった。まだ少し熱っぽいけど、一晩救護室に泊まるわけにもいかない。

 幸い、家に帰る分には支障はなさそうなので、僕は着替えて救護室を辞した。

 職場を出ると、テレビ局のシンボルとも言える、総チタン張りの球体展望室が否応なしに目に入る。左右に走るコリドールは、球体を支える土台になっている。

 北側コリドールからレインボーブリッジを見ようとする多数の観光客の中に、見覚えのあるシルエットがあった。

 メイド服っぽいデザインのドレス。その背中から見え隠れする羽根のようなもの。

 寂しそうに佇むあの女の子に、僕は手を振った。

 僕の存在に気付いた女の子が手を振ってきた。その様子がどこか嬉しそうに見えたのも束の間、女の子はプイッと僕に背を向け、南側のコリドール方向へ姿を消した。

「今まで待ってたんだ……まったく」

 このまま放って帰ったら悪者確定だ。というか後味が悪い。

 苦笑しながら、僕は小走りで目の前のテレビ局へ向かった。

 

 息せき切って24階に到着した僕を出迎えたのは、南側のコリドールでうつむき加減に窓の外を見ている女の子の後姿だった。

 ガラスに映りこむ僕の存在に気付くと、女の子はピクッと顔を上げた。微かな笑みを浮かべたのも束の間、またすぐにうつむいてしまった。

 僕は女の子のそばに駆け寄り、頭を下げた。

「ごめんなさい!」

「遅いです。何時間待ったと思っているんですか?」

 女の子は振り向きもせず、僕を責めた。窓に映るその顔は微かに赤みがさしていた。

 7時間以上も放置していたのだから、怒るのも無理からぬ話だ。

「ごめんなさい。けど……待っててくれてたんだ?」

 女の子が振り向いた。耳元まで顔が赤くなっていた。

「しゅ……宿題の答えが聞きたかっただけです! 別に帰っても良かったんですよ!? けど、私が立ち去ったすぐ後にあなたが来るような事になったら、後味が悪いから……ただそれだけです!!」

「僕も、別に帰っても良かったんだけどね。君がコリドールを右往左往している様子を下から見ていたら、どうにも放っておけなくて……だから、ここに来た」

 僕の言葉を聞いて、女の子の目が揺れた。

 僕の身体も揺れた。風邪が本復していない状態で全力疾走した反動らしい。

 コリドールの床にへたりこんだ僕を見て、女の子が慌てて駆け寄ってきた。僕の顔色を見るとやおら額に手をあてた。

「――熱があるじゃないですか!」

「いや、熱なきゃ死んでるし」

「……ぶちますよ?」

 僕としては軽口のつもりだったが、女の子は厳しい口調で柳眉を逆立てた。

 冗談が通じないというより、命に関わる事を軽く扱われるのが嫌いみたいだ。

「……ごめんなさい」

「まったく。そこのベンチで休みましょう。――立てますか?」

 女の子は苦笑しつつも、僕の身体を優しくしっかりと支えてくれた。そのまま僕をベンチに導く。僕がベンチに身体を横たえると、硬質のベンチとは異なる柔らかい感触が後頭部から伝わってきた。

「膝枕、お嫌ですか?」

 女の子の問いに、僕は黙って首を横に振る。ホッとしたように女の子は微笑むと、僕の額を優しく撫でた。ひんやりとした感触が、火照った額に心地よかった。

「先週の宿題の答えだけど……君、CAじゃないよね?」

「こんな格好じゃ、機内を動きづらいですよ?」

 それはそうだ。イタズラっぽく笑う女の子につられて、僕もつい笑ってしまう。

「私は、あなたがいつも見ていた全日空のボーイング747-400です」

「……そうなんだ」

「驚かないんですね?」

「一応そういう考えが、頭の中をかすめた事もあったから……ね」

 僕の反応が薄かった事に不満なのか、女の子は拗ねるように唇を尖らせた。

 初めて会った時にも感じたのだが、大人っぽい外見とは裏腹に、思いのほか子供っぽいところがあるみたいで、可愛い。知らず知らず見惚れてしまう。

「どうかしましたか?」

「あ、うん……技術革新って凄いなぁって」

「技術革新、ですか?」

「あんなに大きい旅客機が、こんな美人になるんだから」

「そ、そんな……美人だなんて……」

 女の子が照れた様子で、僕の額に指先で“の”の字を書いた。身体もくねらせている。

 身体が動くと膝も動く。必然的に膝枕の上で僕の頭も揺れる。ただでさえ熱で頭がボケているのだから、負の相乗効果だ。

 目を回しかけている僕を見て、女の子は慌てた様子で身悶えをやめた。

「ご、ごめんなさい! 嬉しくなって、つい……」

 神妙な顔つきで謝る女の子に、僕は気にしないように言った。

 僕と女の子はそのまま黙り込んだ。

 

 どれくらいそうしていただろう。女の子が口を開いた。

「私は、技術革新という言葉とは無縁の存在です」

「え?」

 女の子はちょっと気取った様子で、コホンと咳払いをした。

「私は、物質や物体が内包する霊的存在……この場合ですと、全日空のボーイング747-400に宿る魂が、人間の姿をかたどって現れたものなんです」

 ……霊的存在が人間の姿をかたどって現れた?

 要するに、それって擬人化というやつだろうか。

 僕の頭に浮かんだ疑問が分かったのか、女の子はニッコリと笑った。

「そうとも言いますね」

 そうとしか言わないと思う。いちいち勿体つけた説明をしないで欲しい。

 世の中には、身の回りの物を擬人化するのが好きな人達がいる。外見や性能から創造されるそれは、その物が内包する魂がどうのという事はまったく考慮の外である。

 しかしながら、今、僕の目の前にいる女の子は、航空機の魂が擬人化されたものなのであって……って、あれ? あーっもう! 訳分からん!!

 それにしても何故女の子の姿? 僕の脳内に素朴な疑問が芽生えた。

 女の子は「エッヘン♪」と言いながら、服の上からでも分かる形の良い胸を反らした。

「私を認知する人の、私に対する印象を良くする為です」

 勝手に僕の考えを読まないで下さい。

 不意に、何かのにおいが、僕の鼻腔を微かにくすぐった。

 なんだろうと鼻をクンクンさせていると、女の子は僕を叩く手を止めた。

 僕に倣ってにおいを嗅ぐ仕草をすると、女の子は顔を曇らせた。

「ケロシン……航空燃料の臭いです。私の身体に染み付いちゃってるんですね……気に障りましたか?」

「いや。空翔ける乙女に相応しい匂いだと思うよ」

 言い終えた瞬間、顔が熱くなるのを感じた。女の子の顔も真っ赤になった。

 我ながら、恥ずかしい事を言ったものだと思う。

「……あ、あの、その……良く聞き取れなかったので、もう1度お願いします♪」

「あ……そ、それにしても、よく空から僕の事が見えるよね?」

 少しはにかんだような悪戯っぽい笑顔で、女の子がリクエストしてきたが、あんな歯が浮くようなセリフ、2度と言えるもんじゃない。

 露骨に話題を変えた事を咎めるように、女の子が僕の額を軽くはたいた。

「高度300メートル、水平距離300メートルなら、飛行中でも余裕で識別出来ます」

「……そりゃまた凄いね」

 素直に脱帽。人間で言えば走行中の新幹線車内から、窓外300メートル先にいる人の顔を裸眼で見極めるようなものだ。元が機械だから当然ではあろうが、生身の僕には到底出来っこない。

 

 どこからか、見学コースの営業終了を告げる声が聞こえてきた。

 僕と女の子。どちらからともなく顔を見合わせると、女の子が寂しそうに微笑んだ。

「残念。今日はここまでですね」

「……そうだね」

 それだけ言って、僕は膝枕から身を起こした。

 僕の身体を気遣うように、女の子が見つめてきた。

 心なしか潤んだ瞳でジッと見られると、かなりドキドキしてしまう。

 動揺を隠す為、僕は話題を振った。

「君は明日はフライト?」

「整備場で臨時点検です」

「臨時点検?」

 僕の問いかけに、女の子がうなずいた。

「ええ。羽田空港到着後、エンジンや電子機器が原因不明のトラブルで動かなくなったからです」

「そいつはまた難儀な……」

「原因はハッキリしているんですけどね」

「何で?」

「私が機内に留まっていないと、本体、つまり747-400は動かないんですよ」

 幽体離脱? と考えたのと、女の子が僕の額をはたいたのはほぼ同時だった。

「てことは、昼の11時頃から、ずっと止まったまま?」

「ええ。羽田空港の駐機スポットに到着してすぐここに来たんです。出発前の準備で何故かエンジンが動かないわ、電子機器が作動しないわで、皆さんてんてこ舞いだったでしょうね」

 私の存在はあなた以外には認知されてませんから、と女の子は困ったように笑った。

 他人事のように言わないでもらいたい。

 はたかれた事に対する仕返しも含めて、僕が女の子の額に突っ込みという名のはたきを入れようとした瞬間、女の子の語り口が変わった。

「お客様、キャプテンやCAの皆さん、グランドやタワーの方々、そして代替機の子。皆に迷惑を掛けた事は分かっています。だけど……」

 湿り気を帯びた女の子の声に、僕はどうしたら良いのか分からなかったが、とりあえず上げた手を下ろす事にした。

 女の子の、きちんと揃えられた膝の上で、2つの握り拳が小さく震えていた。

「Q街区上空を通過する時この場所を見たら、いつもいるはずのあなたがいないから……何かあったのかと居ても立ってもいられなくて、それで……」

 そう言うと、女の子は俯いてしまった。

 握り拳に1つ、また1つ。小さな水滴が落ちた。

「来てくれて……良かった、です」

 女の子が涙の痕を拭おうともせず、真っ直ぐに顔を上げた。

 優しく微笑むその姿を見て、僕は何も言えなかった。

 顔を上げた女の子とは対照的に、僕は俯いた。

「ごめん。僕が遅れたばかりに、君に迷惑をかけることになって……」

「気にしないで下さい。待っている間も、結構楽しかったですよ」

 女の子の穏やかな口調が、逆に辛かった。

 

 ふと、僕はある事に気付いた。

「あ、あのさ、どうして……」

 コリドールから羽田行きの旅客機を見ているのは僕だけではないはずだ。

 どうして、僕の前にこうして姿を現したりしたのか。

 そう尋ねようとすると、女の子が立ち上がった。

「もう、行きますね」

「……そう」

 そして、女の子は僕に背を向けた。しかし、一向に歩き出そうとしない。

 不思議に思っていると、女の子が肩越しに僕を見、拗ねたように口を開いた。

「……女の子が帰ろうとしているのに、送ってもくれないんですか?」

「羽田まで? 電車賃高いし」

「窓際まで、です」

 プイッと顔を背けると、女の子は露骨に肩を落とした。

 こんな鈍感さんとは思わなかったです、もう……と呟いたみたいだけど、言ってくれないと分からない事ってのも、間違いなくあると思う。

 ともあれ僕は立ち上がり、女の子の手を取った。

「あ……」

 女の子の頬が赤く染まった。

「失礼しました。謹んで、送らせて頂きます」

「えっと、羽田まで、私の分も電車賃出してくれるんですか?」

「え? 窓際まででしょ?」

 しこたま額をはたかれたのは言うまでもない。

 

 2人で窓際に歩み寄ると、女の子は窓ガラスに両手を触れた。

 女の子の手はすうっと窓ガラスをすり抜け、見る見るうちに腕の付け根まで外に突き出される格好となった。

 女の子はその手を下ろすと、外側から掌でガラスをつっ……と軽く押した。

 次の瞬間、女の子の身体はガラスをすり抜けてしまった。

 面食らう僕を見て、女の子が可笑しそうに笑った。

『精神体ですから、こういう真似が可能なんですよ♪』

 女の子の声が僕の頭の中に響いた。

「いや、まぁ……そうだろうけどさ」

『来週は、電車で送って下さいね?』

 遠まわしに、来週もここで会おうと要求してきているのが分かった。

 さて、どう答えたらよいものか。

「僕が羽田に行って、君を待とうか?」

『それは……皆に冷やかされると恥ずかしいから、却下です』

 照れ笑いを見せながら、女の子が外からガラスに触れてきた。

『来週も午前11時に、ここで会って下さい。約束、してくれますか?』

「遅刻してもいいなら」

 僕は女の子の手のある位置に僕の手を重ねた。

『待ってます。あなたが来るまで、ずっと……』

 ガラスをすり抜け、女の子の指が僕の指に絡まる。

『今日は私の事しか話していませんから、来週はあなたの事を聞かせて下さいね?』

「大して面白い話じゃないけど、それでも良ければ」

『楽しみにしています。それでは』

 女の子は名残惜しそうに指を離し、飛び去ろうとした。

「待って! 最後に1つだけ、聞きたい事があるんだ」

『何でしょうか?』

「ここから羽田に向かう旅客機を見ているのは、僕だけじゃない。なのに、どうして僕の前に姿を現したんだ?」

『それが知りたかったから、来週遅刻せずに来て下さい♪』

 そう言って、女の子はスカートの裾をつまむと、優雅な仕草で僕に深々と礼をした。

 そして、背中の羽根を羽ばたかせ、女の子は闇の中に姿を消した。

 女の子が去り際に残した言葉の中の『皆』という単語が意味するところの一部と、翌週会う事となるのだが、神ならざる身の僕は知る由もない。

 

 翌週。陽光照りつける某テレビ局南側コリドール。

「……遅い」

 所在無げに佇む僕以外に人影はない。

 腕時計の長針は、正午を指し示そうとしていた。

 先週大幅に遅刻した(やむを得ない事情があった、と自己弁護)から、今週は気合を入れてコリドールに来てみれば……。

 ひょっとして意趣返しだろうか?

 それもしょうがないか。そう思っていると、床上1メートル2~30センチのところから、女の子の声が聞こえた。

「お兄ちゃんこんにちは♪」

 見ると、白いワンピース、白い麦わら帽子(翼の形をした水色と黄色のツートンカラーの飾り付き)という出で立ちで、クマの形のポシェットをたすきにかけた少女が、僕を見上げてニコッと笑っていた。

 僕はしゃがんで、少女に話しかけた。

「こんにちは。どこから来たの?」

「う~んとねぇ――お家から?」

 ……おいおい。某鼠の国でアルバイトをしていた頃、まったく同じやりとりを、数多のお子様達と交わした記憶が鮮明に蘇った。――確か、その時も『おいおい』と突っ込みを入れたような気がする(無論心の中でだが)。

 基本的に、家以外のどこから来るというのだ。というか、なぜ揃いも揃って語尾に疑問符を付けるのだろうか。

「お家どこ?」

「ん~と、お家っていうか、新千歳から来たの!」

「新千歳って、ひょっとして空港?」

 喜色満面で少女が頷いた。

 まさかこの子も?

「うん、ひこーきだよ♪」

 いや、だから考えを読まなくていいから。というかあっさり肯定されても困る。

 不意に少女が僕のシャツを引っ張った。

「何だい?」

「んとね、お兄ちゃんに伝言があるの」

「伝言?」

 うん、と頷くと、少女はポシェットから1枚のメモ用紙を取り出した。

「はいこれ!」

 少女はメモを僕の手の中に押し込むと、じっと僕を見つめた。

「確かに渡したからね?」

「ああ、ありがとね」

「うん! んと、その、頑張ってね、お兄ちゃん!」

 少女はニッコリ笑うと、元気良く窓際に走り寄り、あっという間に窓外へ姿を消した。

 僕は手の中のメモ用紙を開いた。

 

《ANAおねえちゃんかられんらくがありました。すこしおくれます、だって。あさひ》

 

 全日空のスリーレター以外は、ものの見事にオール平仮名のメモ書きだった。文字も少し幼い感じ。文を書いたのはあの少女(あさひ、という名前らしい)だろう。

 それにしても『だって』って……まったく。

「他人にメモを渡すなら、少しは文章を考えようね」

 と苦笑しつつ、僕はメモ用紙を丁寧に畳んで服のポケットにしまった。

 どこからか、微かだけど、誰かの短い会話が僕の頭の中に飛び込んできた。

『あ、ANAお姉ちゃん! 早く早く! お兄ちゃん待ちくたびれてるよ!!』

『ありがとう、あさひちゃん』

 最初の声は、さっきの少女の声。

 次の声は、何度も聞いたあの女の子の声。

「定刻より1時間遅れで到着、か」

 そう呟きながらガラス越しに見つめる空はどこまでも青くて、広くて。

 ところどころに浮かぶ雲は白かったり、グレーだったり。

 ――そういえば、あの女の子の服のカラーリングと一緒のわけで。もしかして保護色?

『コーポレートカラーもしくはイメージカラーですっ!』

「ひぇっ!?」

『まったく、保護色なんて失礼な事を考えないで下さいっ!』

 語気を荒げたあの女の子の声が、僕の頭の中というか鼓膜にもろに響いた。三半規管にほんの少し影響を来たしたのだろう、足元がふらつく。

 なんというか、航空機の魂さんの前では、脳内空想垂れ流し状態らしい。うかつな事は言えないし考えられない。

「……ごめんなさい」

『遅れちゃってごめんなさい。今、中に入りますね』

 微かな笑いを含んだ穏やかな声が、僕の頭の中に柔らかく響いた。

 そして。

 窓が開かないコリドールに、待ち人到着を告げる1枚の白い羽根が舞い込んだ。【終】




 この作品を書いた頃、私は台場地区で働いておりまして、夏場の出勤は望遠レンズ付きカメラとエアバンドのレシーバーが必携でした。
 といいますのも、当時は主に夏場の南風が吹く時期になりますと、東京湾を北向きに進入してきた旅客機がテレコムセンター手前で大きく左旋回して南へ転進し、羽田空港のC滑走路に着陸するという、いわゆる『羽田ターン』を見ることが出来たのです。
 頭上をフライパスしていく機体の高度は300m足らずと迫力満点。肉眼で登録番号を読み取れるほどでした。
 概ね綺麗な着陸コースをとる日本の航空会社に対して、定期チャーター便を就航させていた某国の航空会社はコースがめちゃくちゃ。見ていてハラハラするというか酷すぎていっそ笑えてくるというか、別の意味で迫力が満点でした。
 D滑走路運用開始以降、羽田ターンを見ることは出来なくなりましたが、一番ほっとしているのは某国の航空会社かもしれませんね。

 ここまでお読みいただいた全ての皆様に感謝します。広田でした。


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