イグニスside
たった一人に課せられた使命はオレ達の想像を遥かに超えたもので、到底人の力だけで敵うものじゃない。
大きな力はいずれ彼女の体を蝕んでいくと、なぜオレは予想しなかったのだろうか。
その身に宿る強大で枯渇しない魔力、抜きんでた戦闘の能力。誰よりも才覚際立つその頭脳。敵でさえ篭絡してしまうそのカリスマ性。人の気持ちを汲み取り労わりを持って接する優しさ。臆することなく敵に立ち向かっていく強さ。潔い決断力。天真爛漫でありながら、いざという時は男のオレよりも行動力が早い。度胸も据わっているし頼りがいもある。
多面性を持つ彼女故に、自然と人が集まっていく理由も納得ができた。
全てが備わっているように見えて、実際はかなり不器用な生き方をしていたが。
……召喚獣さえ従わせてしまう何かが彼女に隠されていると早くに気づくべきだったんだ。そうしたら、こうなることはなかったかもしれない。
オレは、何度自己嫌悪に陥ったか。
平和になった世界に君はいなくて、オレはノクトを支える立場にいる。日夜執務に追われるノクトを精神面でもサポートしているが、たまに机に頬杖ついてぼんやりとすることがある。
そんな時、ノクトの気持ちは手に取るようにわかってしまう。ノクトもオレと同じようなことを考えているんだと感じたよ。
もし、レティがここに居たらどうなっているのか、と。
ああ、そうだ。レティが好んでいた図書室は今もまだある。ただ、君が全ての本を持っていったからノクトがレティがいつでも帰ってきて好きなだけ本が読めるようにとまた棚中を本で埋め尽くしているよ。まだまだ空いている棚は何十か所もある。一体全ての本棚を埋めるのにどれだけかかるのやら。予想もできない。
オレは、肌身離さず持っている鍵で誰も訪れぬ図書室に足を踏み入れた。
本独特の匂いが充満している室内は、本来の主が不在のまま昔と変わらず、時の中から切り離されたようでオレは自然と君の幻想を見る。
レティがいつも座っていたお気に入りの椅子。
あの場所で、予期せぬキスをした。
君は心底嫌そうな顔をした。ファーストキスを奪った上、君が憧れていたシチュエーションじゃなかったから、だそうだな。
『イグニス、これあげるわ』
手渡されたのは、あの図書室の鍵。陛下とレティだけが持つ二つしか存在しない特注の鍵だった。怪訝そうに見返すオレに君はフッと口元に笑みを浮かべて言った。
『別に意味はないのよ。ただ、何となくあげようと思って。……どうか、ノクトを支えてあげてね』
まるで別れの挨拶だ。
そう、後から嫌ってこと気づいた。
あれは未練を断ち切るためのレティなりのけじめだと。図書室の鍵は、レティの過去を縛る楔の一つだった。
『私、イグニスの瞳好きよ』
さらりとオレの頬を撫でる君の手は少し冷たかったのを覚えている。だからオレは君の手に自分の手を添えて少しでも温かくしたかった。
ああ、オレも君の深緑のような深い瞳が好きだ。
すぅっと胸にしみ込むような慈愛に満ちた色だ。たとえ、苛立つことがあっても君の瞳を一目見れば苛立ちなど一瞬で消え去ってしまうように。…まるで魔法だな。
君は、以前妃殿下のような瞳が欲しかったと言っていたな。でもオレは君の本当の御父上に感謝したい。最後の瞬間までミラ王女を想い続ける想いの強さ。
君のその強さは御父上から受け継いだものかもしれない。
『真っすぐで曲がったことが大っ嫌いでスッキリしてないと落ち着かないところも、そんなに視力が悪くないのにぼやけているのが嫌で眼鏡に拘ってるとことか』
君がオレをよく知っていたように、オレも君を知っている。
君の倍以上に、君を見ていた。
無邪気で年齢に合わず落ち着きがなくて危なっかしくて目が離せないところも、誰よりも身を挺してノクトを守ろうとする強さも、頑なに泣くところを見せまいとする意地っ張りなところも誰かに寄りかかることを恐れるところも、まだまだたくさんある。一日では語れないほどに君の魅力は有り余るほどにオレを虜にしている。君と過ごした毎日はいつも同じじゃなかった。毎日、毎日が新しい発見だった。
次はどんな顔を見せてくれるのか、期待が膨らむばかりでオレの視線は自然を君を探す。そのたびに君はまったく違う表情をオレに見せる。
王女としての君を。
普通の女性としての君を。
一人の戦士としての君を。
目の当たりにするたびに、胸に想いが積み重なっていく。
ああ、オレは君を好きになって良かったと心底そう、思うよ。
何よりも、誰よりも。
……もっとも『人』らしい君が、好きなんだ。
ただの泣き虫じゃない。ただの強がりなわけじゃない。誰かに寄りかかるだけじゃない。甘えるだけじゃない。偽りの優しさだけじゃない。流されているだけの人形じゃない。飾りだけ人形などたかが知れている。だが君はルシスの王女として責任を立派に果たした。同時にニフルハイム帝国最後の皇族として、その責務を終わらせ帝国に引導を渡した。世界に光を取り戻させた。言葉だけじゃない。君は今まで有言実行していった。全て君の揺るぎない意思と努力して得られた力によるものだ。
一体どれほどの功績を重ねていくんだ?
その身一つで、どれだけの可能性を導いていくんだ?
成長し続ける君は、素敵で太陽のように眩しかったよ。オレの、心の拠り所だ。今もその気持ちは変わらない。
『イグニスはきっと立派な宰相になれるわ』
ああ、レティのお陰でオレは今、多忙な日々を送るノクトをサポートしている。たまに仕事から逃げ出そうとするけどな。
『わかってる。ノクトのことだから逃げ出そうとするかもしれないけど、そこは先回りして捕まえるのよ。貴方には頼もしい仲間がいるもの』
王が逃げ出す場所なんて一つしかないからな。あえて捕まえるようなことはしてない。ノクトは君に会いに行っているよ。時間さえ開けば必ずあの場所を訪れている。……オレは君に会いにいけないのが口惜しいが。
『それにルナフレーナ嬢もいるわ』
ルナフレーナ様はレイヴス様と共にテネブラエ復興に力を注がれておられる。帝国領から解き放たれたテネブラエはきっと昔以上に豊かな国になるだろう。こちらとも同盟国としてできるだけの助力は行っている。もう、以前の様な蟠りはないのだから。
『きっと世界は救われる』
ああ、君の言った通り。世界は光を取り戻して全てが正常に元に戻りつつあるんだ。自分たちの力でこの平和をどう、守っていくかが重要課題だ。
だから、レティ。君もいい加減目を覚ましたらどうだ。
そもそも君が一番の発端だろう?無責任じゃないか。そのまま後は放り投げというのは。
『……私は』
言い淀んだのは、ああなることを分かっていたからだろう。全て受け入れていたから言わなかったんだろう。君が泣き虫なのはよく知っているつもりだ。君が、精一杯に強がっているのも知っている。だからこそ、あの時、気づけていたらと何度も後悔の念に襲われているんだ。
『……ありがとう、イグニス』
記憶の中に残るレティは、泣くのを堪えて無理やりに笑っていた。
縋ることもできない、選べない選択肢を受け入れて笑顔でいることの辛さはオレには理解しがたいことで、もし代われるのならこの両目を失ってでも代わっていただろう。
だがそれすれも彼女は良しとしないはずだ。……なぜなら、それがレティだからだ。
オレが好きになった女性。君はオレの光だ。
その想いは今もずっと、変わらない。
「レティ、オレは信じている」
奇跡は再び起きることを。また、皆で笑いあえる日々が来ることを。
ああ、そういえば、もうすぐ君の命日だ。……久しく会っていない仲間が集う大切な日。やはり、君の死を今も皆は受け入れていない。オレもそうだ。
レティーシア・ルシス・チェラムがこの世にいないなどと、オレは認めたくないんだ。それでもオレ達は前に進まなきゃならない。それが、君がオレ達に残してくれたものだから。
だから。
少しでも皆の気が晴れるように、あの頃よりも上達した腕で料理を振舞おうと思う。今でも君が作るあの爆弾おにぎりが懐かしくてたまらない。たまにノクトに作ってくれとせがまれて作るが君のようにうまくいかない。やはり、本人でなくてはな。
……オレはここで君を待つ。君と全てが始まったこの図書室で、君の帰りを待っているよ。
【この願いが、どうか叶いますように】