レティーシアside
私は大丈夫。私は大丈夫。
震える両手を組んで祈るように自分の額に当てる。これからやることは全部ノクトの為。彼と彼の愛する神薙の為。
たとえ初めて顔合わせになることになるルナフレーナ嬢と対峙することになっても一瞬たりとも動揺は見せちゃいけない。
彼女は敏い人だ。振舞いに表情一つ、目の動きに関しても絶対に完璧でなくてはならない。本当は怖い。顔を会わせるのが怖くてたまらない。私のコンプレックスの塊を刺激させる人だから。私情を挟んじゃいけないのは分かっているけど、辛辣な言葉が口から飛び出てしまいそう。だから役になりきることにした。
「私は悪役の魔女。私は悪役の魔女」
意識せずに口から洩れていた言葉に私を守ってくれるニックスがぎゅっと抱きしめてくれた。
「オレはお前を守る。何があっても、な」
彼の言葉は魔法のように体の隅々まで染み渡り私の震えをピタリと止まらせた。
何があっても。言葉通り彼は命を投げ捨ててでも私を守ろうとしてくれるはず。でも私はそんなこと望んでいない。
「これからも共に歩んでくれるのならその命は私のもの」
組んでいた手をほどいて彼の頬を指先で軽く撫でると、彼はフッと微笑んでその手を取り、私を視線を交わしたままチュッと指先に口づけた。
「これ以上お前に溺れてるのに、さらにオレを嵌めるつもりかよ。女神様っていうより小悪魔だな」
そう揶揄うようにさらに私の額へキスをする。
地獄の門だろうが魂の還る場所だろうが怖くはないぜ。何処までも一緒だ。
彼がくれる愛情に返せるだけの気持ちはまだない。けど彼が後押ししてくれるから私は頑張れる。ノクトの為に。彼を死なせない為に。
「行こう、ニックス」
私は強く頷いて召喚獣を呼び出すため意識を集中させた。
赴くは水神の儀、神薙の元へ。
ルナフレーナ嬢、貴方に引導を渡すわ。
異界の門が開き、馬の嘶きと蹄のリズミカルな音と共に雷の召喚獣イクシオンが私達の前に姿を現す。私に顔を摺り寄せてくる甘えた仕草につい、口元が緩くなり鼻先を軽く撫でてやる。
「お願いね」
『了解した』
私達はイクシオンの背に跨って空中へ舞い上がった。
※
嵐の前の静けさ。封印されていた祭壇が解放されルナフレーナの透き通るような歌声に導かれて、荒ぶる水神リヴァイアサンが目を覚まそうとしていた。穏やかに揺らめく海面に変化はなく、彼女の目覚めの歌が終わる。
何事も変化はないように見えた。
だがその時、常人では理解できない言語で語り掛ける謎の声が海面から発せられる。
『我が夢域侵す。下劣な種』
彼女をけなすかのような見下したいい方に、一切狼狽えずにルナフレーナは逆鉾を左手に持ち右手を胸に当て会釈をして声高らかに名乗りを上げた。
「我が名はルナフレーナ。神薙の血を引く者。水神リヴァイアサンよ、王に聖石の力を迎えるため、どうか誓約を」
燐とした声に反応するようにルナフレーナの目の前に広がる海から盛大に海面を割って天上へ届かんばかりに姿を現したリヴァイアサン。龍の咆哮を上げながら威嚇するように大きな口を開けて一度ルナフレーナに接近した。
大きな羽をはばたかせ、海水を巻き上げて水しぶきを起こしうねるような波を起こして祭壇へと波を叩きつける。
だが動じることもなくルナフレーナは悠然と佇み、自分の丈よりも何倍もの巨体であるリヴァイアサンを諫めるような視線で見上げる。
『人なる種よ、あまねく理を介さぬ種でありながら我が力得るを望むと?』
「はい」
淀みない口調でキッパリと言い切ったが、リヴァイアサンは簡単に誓約を承諾することはなかった。轟くような鳴き声を上げる。
『我、万物を知り愚劣なる種、万物の石片なり』
凡庸な人間に神々と対等であることが不敬に値し、高をくくっているのだ。たかだか人間にできることなどなし、と。
口先を振り子のように大きく横に振って祭壇の一部を破壊させ、ルナフレーナを脅す。
「聖石に選ばれし王は星の闇を払い世界を救う。古き時代より託されたその使命を忘れたか?それはお前も承知なはず!」
ノクトを愚弄されたことに憤りを隠せないルナフレーナは叱責を飛ばすが、荒ぶる水神は大きな水球を創り上げ叩きつけるような勢いの水を飛ばしルナフレーナを弾こうとする。
「ゲッフ、っ、グッ!……」
地に膝をつけ逆鉾を地面に食い込ませて何とか攻撃を凌ぐルナフレーナだったがドレスは太ももまで生地が裂け肌が露わになり、右肩に傷を負ってしまう。だがそれでも逆鉾を杖頼りに強き瞳で屈することなくよろめきながらも立ち上がる。
神を前にして己の使命を全うせんと一歩をも引けを取らず凛々しい姿。それは誰もが胸打たれる光景だろうが、リヴァイアサンにとっては違った。
本来の捻じ曲げられた伝承をうのみにし、六神こそが敬うべきであり頼りにするべきものであるかのようないい方に怒っているのだ。六神ではなく正しくは七神で、彼らに課せられた使命はあくまで監視。過度な介入は女神の意思に反することである。それを愚かな人々は尊き女神の存在を軽んじ、創世の始まりを召喚獣達が創り上げたものだと信じ込んでいる。しかも頼むべき立場でありながら殊勝な態度から高圧的な物言いにまで豹変させる姿に呆れを通して愚かであると侮蔑さえ籠っていた。だからこそ、リヴァイアサンは行いと正そうと声に出す。
『否!万物守護聖神たる我崇めたてるは彼の尊き女神なり。恩恵無くして種、塵となす。崇めたてよ!』
本来の理とはすなわち人間の根本である。
支配されることを拒み、独立したはずの世界は再び得た自由よりも支配される快楽に落ちようとしている。願い与え叶えてもらう。考えることをやめた自堕落な世界はやがて混沌『心』すら不要としてしまうかもしれない。
その影響がシ骸と星の病である。人々の心に陰りが増すごとに次第に世界は闇に覆われるだろう。日が差さぬ昼とも夜とも区別がつかぬまま人々の心は完全に死滅する。
無力でありながら心血注いで人間を愛しんだ死の女神はさぞ嘆き悲しむだろうか。始まりから終わりまでを知る彼女が愁えることなど臣下である召喚獣達は望んでいない。
だが無知なる種は自分たちの始まりを知ることはなく、仮に永劫の時を遡ろうとも理解しようがないだろう。
「女神?一体何のことを言っているの?人はその慈悲故に神を崇め、神は人に慈悲を与えてこその神。その役割、放棄なさるか!」
神の道理を説く人の言の葉。
歪められた伝承により人は神と同等の位置に座していると驕り、無知は時に罪となって現世にその姿を露わにす。
『救い難し』
リヴァイアサンが咆哮を上げ、巨大な水柱が轟轟といくつも海面から湧き上がり街全体を囲い覆うほどの巨大な大波が発生しオルティシエ全体を飲み込もうとその勢いを増す中、突如馬の甲高い嘶きとどんよりとした灰色の天上から降り注ぐ光輝く稲妻が全てを止めた。
ルナフレーナは息を呑みその光景を凝視した。
「貴方、は……!?それに、ニックス?」
空中を闊歩して現れたのは雷を操る召喚獣、イクシオン。
逞しい角が生えた白髪の鬣と強靭的な体躯の雷を操る馬はリヴァイアサンとルナフレーナの中間的な場所で歩みを止めた。
イクシオンの背に跨るのは一人の女と顔見知りの男。王都で指輪を嵌めたはずの男、ニックス・ウリックは再びルナフレーナの前に現れ女を後ろから抱き抱えるようにお腹に腕を回してルナフレーナを見下ろし少し口元を緩ませた。
「よう、ルナフレーナ様。王都以来だな」
一瞬、ルナフレーナは現実なのかと疑ってしまった。ニックスが生きているとは思っていなかったからだ。王以外の者が指輪を嵌めて生きられるなどと考えられなかったから。それに召喚獣を従えさせている女は特に目を引く容姿だった。
揺蕩う銀髪を風に踊らせ、射貫くような瞳でルナフレーナを見据える瞳は吸い込まれそうな深緑の色。ルナフレーナはその女が誰であるのか、すぐには理解できなかったが召喚獣を従えさせさせられる人物はこの世界で一人しかいないことを思い出し表情をハッとさせた。
幼い頃ノクトの話題に上がった妹である、レティーシア・ルシス・チェラム。そしてカメリアがルナフレーナと話した時に帝国の皇女と仄めかした人物が今まさに目の前にいるとは信じがたかった。しかも、召喚獣を従えさせた状態での邂逅とは。言葉を失うしかない。
一方、レティーシアは見下したような態度を取り辛辣な物言いを馬上から投げかける。
「神薙であるなら何をしても許されると驕った態度では叶う願いも叶わなくなるわよ」
「レティーシア、様……」
互いに初めて対面しあう二人の間にはピンと張り詰めた空気が漂っていてニックスは肩身の狭い思いを感じたが、決して表情にはおくびも出さなかった。仮守護者としての矜持である。そんなニックスを少し一瞥してからレティーシアは一方的に挨拶を始めた。
「馬上からご挨拶失礼させていただくわ。初めましてルナフレーナ様。レティーシア・エルダーキャプトと申します。我が腹心リヴァイアサンを目覚めさせてくれたこと、まずは感謝するわ。――リヴァイアサン、鎮まりなさい」
まくし立てるような挨拶を終わらせ、ルナフレーナの言葉を待つことなく、リヴァイアサンに命令をした。
たった一言。
それで今にも街を飲み込みそうだった大津波は自然と収まっていき、あれほど荒れ狂っていたリヴァイアサンが大人しく首を下げてレティーシアの次なる指示を待っているかのように従順な姿を見せたのだ。
人間ではない。
本能的にルナフレーナはレティーシアに対して畏怖の念を抱き、足を竦ませた。逆鉾を持つ手が震えて止めようとしても止まらず、だが自分の動揺を悟られないようにキッと視線を険しく鋭くさせて
「六神の一柱に対し腹心などと物言いこそ、ご自身が驕った態度なのではないですか?」
と口調を強くして言い返す。これにレティーシアはどこ吹く風と言った様子で
「綺麗な御顔が台無しだわ。そのドレスもね。せっかくの晴れの舞台だったでしょうに」
と軽い嫌味を言い可笑しそうに両目を細めて小さく笑った。
瞬間、カァっと羞恥心から頬が熱くなると同時に悔しさからルナフレーナは自分を軽んじるレティーシアを睨みつけた。
「……貴方はその力で一体を何をしようというのです!?なぜノクティス様を悲しませることばかりっ!」
レティーシアが皇女であることは先ほどの名乗りで明白のものとなりそれはノクトと敵対関係にあるということ。事実を知ればきっとノクティスは胸を痛めて悲しむだろうに目の前のレティーシアは勝手な行いばかりする。ルシスの王女のままでどうしていられなかったのか。自分の保身の為に皇女に成り下がったのか。言いたいことは他にも沢山あった。だがそんなことよりも、つい口に出た素直な気持ち。
「………」
「……なぜ貴方ばかりが、貴方ばかり、ノクティス様に大切にされてっ!」
感情をコントロールできずにむき出しになる嫉妬心。幼い頃から気づかない内に少しづつ増殖してきた気持ちが今あふれ出て、神薙としてのルナフレーナの仮面を崩していく。
一人の女として、恨まずにはいられない。
いつもノクティスとの文通の中でレティーシアの影を感じ、家族であるレティーシアには一生敵わないと諦めていた。それでもノクティスの役に立てるなら。二番目でもいいと思っていたのに。それなのに。
「どうして、そこまで自分勝手なのですか!」
憤りぶつけてくる彼女にレティーシアはさも不快そうに眉を吊り上げた。
「自分勝手で何が悪いの?他人である貴方に言われる筋合いは欠片ほどもないわ。……それに、私が気に入らないというのなら貴方が喜ばせればいいだけの話よ」
そう言ってレティーシアはおもむろに指をパチンと鳴らした。すると、途端にルナフレーナの体に異変が走った。
「……うっ!」
急激に全身に襲い掛かる倦怠感と心臓を直接鷲掴みされたかのような鋭い痛み。立っていることもままならず、その場に倒れるように膝をつきへたり込んでしまい手からすり抜けた逆鉾が地面に転がっていく。
「いったい、なに、を……?」
胸を抑えながらなんとか声を絞りだして耐えているルナフレーナを冷笑し、祭壇へと近づいたイクシオンから降り立ち祭壇の地面にふわりと足をつける。
「その力、人には過ぎたる力だわ。自分の命を削ってまでノクティスを助けようとするのは立派だけれども、……貴方にはまだやるべきことがあるのよ。だから、その力全て奪うの」
神薙としての力を奪うとレティーシアは宣言したのだ。
もはや人ならざる者と自分で認めているようなもの。
ルナフレーナはどうしても彼女に会って確かめたかったことがよくよく分かった。この身に襲いかかっている状態がはっきりと事実を知らしめている。
彼女は、レティーシアはノクティスの敵で世界に仇なす者。
ノクティス様に伝えなくては――。
そう必死に想い、鉛のように重い体を引きずって転がる逆鉾へ手を伸ばそうとするが、先に逆鉾を拾い上げたのは銀の魔女だった。
「これも貴方には不必要なものよね。私がもらっておいてあげるわ」
ルナフレーナは唇を噛んで憎々し気に睨み付けて「かえし、て!」と叫ぶが、さらなる痛みがルナフレーナを襲う。
「くっ、うぁああ――――!」
耐えがたい痛みから悲鳴を上げる神薙を前にレティーシアは、水神の名を呼んだ。
「リヴァイアサン」
『我が主よ』
悠久の時を超えて再び仕えることの喜びに満ち溢れたリヴァイアサンは素直に応え恭しく頭を垂れる。対してレティーシアは淡々と命を口にした。
「お前の力を貸してちょうだい。ノクティスがこちらに向かってきているはず。お前はノクティスの相手をしてあげて。決して殺しては駄目」
『承知』
「………これで、第一段階クリア」
地に伏して苦しむルナフレーナを横目にし、
『貴方には、ノクティスを幸せにしてもらわなきゃならないんだから』
と彼女に聞こえないようぽつりとつぶやいた。
舞台は出来上がり、この後予定通り現れたアーデンによって指輪は奪われることになる。
最後の抵抗として、
「あ、なたは……魔女よ」
と罵りを受けるとレティーシアは
「ええそうね、私は魔女よ。そして貴方は物語のお姫様」
と肯定してみせた。
【どうせ悪役の魔女ですもの】
※
ノクトside
あの巨大な水神と直接対決するなんて自殺行為だ、と平常運転なオレだったら考えるだろう。
怒涛のような展開に追いつくのが必死で自分が何をやっているのかわからなかった。ただ、レティに繋がる道だと信じてやってきた。カメリアとの取引だって水神の儀を成功させる為だ。水神と戦うのだってルーナから指輪をもらう為だ。ルーナから指輪を受け取れば召喚獣と対話できる。そうすればレティへの手掛かりを得られる。王になる為なんて二の次だって構わない。
何よりもレティに近づく道が欲しくて、無我夢中で戦った。魔導兵が入り乱れて襲い掛かってきても屁でもなかった。プロンプトの無茶ぶりな運転でリヴァイアサンに飛び乗れと無謀極まりない事平気で言われた時だって、実際にアレと対峙した時だってレティに近づく為なら怖いなんて感情後ろに放り投げた。
命惜しんでたら絶対近づけないって分かってたからだ。レティが命がけでオレ達を救ったようにオレも命賭けてレティを助ける。イリスから託されたモーグリ人形背負ってさ、出来るだけ汚さないようにって気遣ってたりなんかして。
結果、オレはリヴァイアサンに勝った。
恰好悪く意識失っちまったけどなんとか勝てた。
でもさ、変な夢なのか分かんねーけどとにかく変な場所でオレは目が覚めた。ふっと、耳に入る海のさざめきのような音と鼻腔を擽る塩の香り。オレは浜辺に立っていて少し足を動かしたら靴のそこで砂のこすれ合う感じがあった。
海鳥すら飛んでいないそれどころか、周りは人影すらない。無人島かと首を捻ってみた。
けどずっと砂浜にいても仕方ないから適当にぶらつくことにした。意外と落ち着いていたのは自分でも驚いた。
不思議とここは気持ちが落ち着いたんだ。まるで、帰ってくる場所みたいに思った。
そうしたら、古い神殿みたいな崩れかかった遺跡が目に入ってオレはふらりと吸い込まれるように足がそっちに向かった。
暫く遺跡の中を探検しまくった。すでに崩れかかっているデカい柱や辛うじて立っている柱とか壁とかあった。でも潮風に吹かれて風化が始まっているのかどこか寂しい印象で昔は荘厳だったんだろうなと柄にもなく感慨深く思った。
遺跡の中央付近までたどり着くとそこには目を引くものがあった。
『……あれは』
玉座だ。デカいクリスタルがあってさ、その中央に誰かが座る玉座があったんだ。ルシスにあったクリスタルよりもデカいし、なんかオレが知るクリスタルとは何かが違うと思った。天上からはとめどなく純白の羽が降ってきて地に落ちた羽は消えてなくなっていきその場に積もっていくことはない。
変なの。暫く見てたけど飽きたオレはそう心の中で呟いて遺跡を出ようと踵を返そうとした。けど、誰かの声がオレの動きを止めた。
『……レグルス、か』
女の、声にオレは反射的に振り返った。
いつの間に背後に!?
その女は白い甲冑を身につけていて空の玉座を見上げながら佇んでいた。オレが声を掛ける前にその女は振り返った。鋭い目が印象的な女だった。
『アンタは、誰だ』
警戒するオレに女は無表情に答えた。
『私は、女神の守護者だ』
『女神?女神ってなんだよ……。っていうかここは何処なんだよ?』
『………器用な奴だな。魂だけ一時的に飛ばされたか』
『はぁ?』
全然意味わかんねぇし。
『彼女はいずれこの地に還ってくる。このヴァルハラに』
『ヴァルハラ?……死の国か?』
確か死の女神エトロが住まう場所だったとはず。おとぎ話で子供の時から自然と学ぶことだ。誰だって知ってる常識みたいなもの。
女は玉座をまた見上げながら沈んだ声で説明した。
『魂が還る場所。玉座はずっと女神が消滅したあの時から空席のままだ』
あれがエトロが鎮座する玉座ってことか?
いやいや、オレ死んでないし。縁起でもねぇ、さっさと出る方法を探さねぇと。というかこれは夢なのか?夢だよな。
自分の体をぺたぺた触りまくって感触を確かめているけど、確かにオレだ。最後に頬を抓ってみる。痛い。
ということはこれは現実なのか!?
焦るオレとは裏腹に女は唐突な質問を投げかけてくる。
『レグルス。お前は女神を手折ることを望むか?』
『女神……?知らねぇしそんなのオレに関係ねぇよ。大体オレはレグルスとか名前じゃねーし』
眉間に皺寄せて否定するとお構いなしに頓珍漢な回答をしてきた。
『女神は[忘却【レテ】の禊]を終えれば全てを忘れ完全なる女神へと目覚める。かつて利用された[忘却【レテ】の禊]とは違い、これは完全復活への足掛かりとなる。そうすればお前が知る女神は二度とお前たちの世界に足を踏み入れることはない。―――そしてお前達も女神を忘れ新たな世界に息づくだろう。互いに干渉することなく死後の繋がりだけが唯一無二の世界へと全ては変わる』
『………あーとりあえずアンタがオレに話したいってことはわかった。結局、一体何が言いたいんだ?』
構っている暇はないが、この女に言いたいこと言わせればこっちの質問に答えてくれるだろうと考えたオレは肩を落として聞く体制に入った。投げやりな態度が気に入らなかったか女は整った鋭利な眉を不愉快そうに少し上げた。
『失ってからでは遅いと忠告しているんだ』
『見ず知らずの女に忠告受けるほど馬鹿じゃねーけど』
ただでさえイグニスの説教に耳が痛いってぇのになんで他人から忠告受けなくちゃならないんだ。
どうやら、オレのいい方が気に入らなかったらしい女は窘めるように視線を鋭くさせた。
『驕るな、レグルス。お前は、本当に大切な者を手放す恐ろしさを知らない。―――忘れることの辛さを。忘れられていく者の虚しさを。全てなかったことになることが幸せに繋がると思うか?』
『だから!意味わかんねぇっつーの!』
『二度はないぞ』
女はもう言うことはないと言わんばかりにオレに背を向けた。一方的に言われ続けて納得いかないオレはおいと声を上げて近づこうとした。けど、グラリと女が背を向けた世界が斜めに傾いた。
『おわ!っ』
いや、傾いたのは世界じゃなくてオレだった。
ずぶりと地面がぬかるんでバランスを崩した足元がグラついた結果、オレはそのまま横倒しに地面に倒れこむ!
強打する痛みと衝撃に瞼を瞑るしかない。
だが一向に地面に倒れる衝撃は来なかった。それどころか何かに引っ張られるような感覚に意識が飲み込まれてそのままオレは気を失った。
【止まらない指針】
※
ノクトが出会ったのは、薄いピンク色の髪と中性的な言葉遣い、それと身に纏う甲冑が昔の絵本から飛び出たような印象を与える女だった。名乗りもせずにノクトをレグルスと勝手に呼び続け彼からの質問には一切答えずに説教までしてくる変な女とノクトは感じただろう。だが、それもつかの間の邂逅。
彼の中から目覚めた瞬間に出会った記憶は消去され、生きている限りこの地に訪れることはない。
『時は、近い』
空の玉座を仰ぎ見て荒涼とした風景に染まる日没時。
彼女は薄暮の女神の誕生を迎えることを心から望んではいなかった。女神と深い繋がりを持つ彼女ゆえに新しき女神の苦悩と葛藤がひしひしと胸に伝わってくる。人間としての生に執着し未練を感じており、大切な者との別離に深く悲しんでいる。
一度女神に忠誠を誓ってはいるものの、それは前女神にであり、今度の女神にはすでに守護者が選出されている。この地に縛られていた自分が果たしている意味があるのかと自問を繰り返しては導き出されぬ答えに釈然とせず、時が止まった世界で一人ただ空の玉座を見つめるしかない。
『これが、本当に貴方の望みだったのか。―――』
女神の名を呟きながら彼女は来るべき時をひたすらに待つ。
新たな女神の誕生の瞬間を、指折り数えて彼の地から世界を覗き見る。
廃墟と化した神殿に、彼女以外の姿はない。
【守護者という立場】
※
気が付けば背中に程よい柔らかさがあってノクトはゆっくりと意識を覚醒させていき瞼を開いていく。見知らぬ天井と鳥のさえずりの声。陽の光から夜ではないことを知る。
「………ここ、は?」
喉がチリチリと痛い。海水でも飲んだのか無性に喉が渇いて水が欲しくなった。
「み、ず」
「ノクト!気づいたんだね。良かった……」
ベッドのすぐ傍に椅子に座っていた誰かがノクトの声に反応し椅子をひっくり返す音がした。
ほっと息をついてノクトの顔を覗き込むのは親友のプロンプト。
「みず、くれ……」
「ああ、ちょっと待って!」
ノクトはプロンプトの手を借りてベッドから起き上がり、コップになみなみと注がれた水を受け取るとそれを一気に口に含んで喉の渇きを潤す。ごくごくと喉を動かして最後の一滴まで飲み干し、ぷはっと息を吐いては満たされていく感覚にほっと息を吐く。
「……生き返った。プロンプト…ここってどこだ」
辺りをきょろきょろと視線を彷徨わせながら空になったコップをプロンプトに手渡した。
「ああ、官邸。来客用の部屋借りてるんだよ。ノクト、リヴァイアサンとの戦闘で気を失ってさ。ここに運び込まれたんだ」
プロンプトはコップをテーブルに置いてから倒れた椅子を起こしてドカッと座りなおして髪をかき上げた。疲れた表情でノクトに説明をしているが、何か他にも理由がありそうだ。それとなく何かを察したノクトは自分がここに運び込まれるまでの経緯を聞くことはしなかった。
「……そっか……。そういや皆は?」
「グラディオはコル将軍と連絡とってる。シドさんたちは別件で街の方に。ルナフレーナ様は……その、眠ってるよ」
歯切れの悪い言い方をしているのが引っ掛かったノクト。怪訝そうに尋ねた。
「眠ってる?疲れて寝てんのか」
「いや、違う……。もうあれから三日経ってるんだ。それでもルナフレーナ様は目を覚まさないんだよ」
衝撃的事実にノクトは驚愕してベッドから身を乗り出した。
「そんなにか!?どうして」
プロンプトは沈んだ声で、軽く頭を振り困惑した様子で語った。
「分かんない。オレ達が駆け付けた時にはルナフレーナ様はノクトを庇いながら眠っていたから」
「ルーナがオレを庇って?」
「うん」
ノクトの中に複雑な想いが沸き上がり表情に一瞬影を落とす。
身を挺して守ってくれたかもしれないルナフレーナに対してありがたさと負い目を感じてしまい、これから結婚のことについて伝えなければならない言い難さが尚難易度を増してしまった。だが今はルナフレーナが目を覚ましてからだと後回しにさせることにした。軽く流して相槌を打ちながらそれとなく話題を逸らすノクト。
「そっか。起きたら礼言わないとだな。あれ、そういやイグニスは?」
「………あの、イグニスは……」
言い難そうに言葉を濁すプロンプトを「ん?」と首を傾げて先を促すとついに意を決してプロンプトは重い口を開いた。
「イグニス、目を……怪我したんだ」
「怪我?大丈夫なのかよ」
ノクトが想像していた怪我はそんなに深い物とは考えていなかった。イグニスに限ってそんな大事に至らないはずと信じていたからだ。だからプロンプトの信じられない言葉に声を失った。
「……失明、したみたい」
失明。
すぐに頭がその言葉を受け入れられず、ノクトは呆然としてしまった。掠れた声が「………うそ、だ、ろ……?」と声を漏らす。
「……」
だがノクトの否定したい気持ちとは裏腹にプロンプトは無言で首を横に振った。つまり肯定という意味で。
一気に目の前が真っ暗になってしまうくらいにノクトにとってショックだった。項垂れシーツを強く握りしめては悔し気に唇を噛んだ。
「魔導兵と戦ってる時にやられたみたいなんだ。幸い、リベルトさんがイグニスを助けてくれてすぐに逃げることはできたらしいんだけどさ。それでも、……オレ達の力じゃ治すことはできなかった」
自分がのうのうと寝ている間にイグニスは突如光を奪われた状態に陥りどのような気持ちでいたのか。どう慰めの言葉を掛ければいいのか。いや、そもそもそんな言葉すらかける資格すらノクトにはないと思った。自分がこの戦いに引きずりこんでしまったのだ。ノクトはただレティの為にと気張っていて自分の仲間だから一緒に戦うことは当たり前だと思い込んでいた。だが実際にこうやってイグニスが怪我を負ったことでノクトは仲間の命を背負っている事実を嫌でも身をもって体験した。
自分以外の誰かを背負うということは彼らの責任を持つということ。命を預けてもらうということ。
上に立つ者の責任が重く肩にのしかかる。王としてまだ未熟者のノクトには辛い現実だった。
「………」
「それで、さ。ノクト」
「……なんだよ」
正直、話しかけないでほしかったノクトは沈んだ声でプロンプトの方を向かずに答える。プロンプトはノクトの落ち込んだ様子に躊躇し口を噤みかけたが、意を決して真剣な表情で口を開いた。
「……吃驚しないで欲しいんだけどさ。……レティが今官邸の客室にいるんだ」
「レティ?が……」
「うん。実は……」
プロンプトがレティが官邸に来るまでの経緯を説明するもノクトの耳には届いていなかった。
レティが、いる?
ずっと探していたレティが、同じ場所で同じ時間を過ごしている?これは夢じゃないよな、夢じゃないんだよな。
ただにわかには信じがたい話だった。けれど今求めていた人がすぐ近くにいるという事実だけでノクトは求めるようにベッドから腰を上げた。絶望のどん底に叩き落されたノクトにとってレティがいるという話は吉報だった。オルティシエにいる経緯などどうでもいい。ただ、顔がみたい。抱きしめたい。自分の腕に閉じ込めて離したくない。
突き動かされる感情に理性という言葉は吹っ飛んでいく。
「レティは!!どこにいんだっ!?」
そしてすぐに椅子に座るプロンプトの服を掴んで激しく揺らし問い詰め始めた。
「ちょっ、苦しいっ!」
「プロンプト!」
鬼気迫る表情にプロンプトは仰け反り大声で「イグニス!イグニスの目を治療してる!」と説明した。当然ノクトは靴を履くことすら忘れ裸足のまま部屋を飛び出そうとした。イグニスがいる部屋も知らずに。それを止めたのはプロンプト。羽交い絞めして部屋に再び押し込めようとする。
「待って、待ってってば!」
「離せよっ!オレはレティに会いにっ!」
暴れようと抵抗するノクトにプロンプトは険しい視線で声を荒げて言い聞かせた。
「今治療中だって!オレ達には治せないけどレティなら治せるかもしれないんだっ!でもすっごい集中しなくちゃいけないくて邪魔するなってキツク言われてる。だから今は駄目なんだよ!もし治療が失敗したらイグニスの目は治らないままなんだよ?ノクトはそれでもいいっていうのっ!?」
「!?」
イグニスの命運に関わる治療をもしノクトの身勝手な行動で邪魔して失敗してしまったら、今度こそ責任は取れない。
はたりと我に返ったノクトは冷水を浴びせられるがごとく大人しくなり、苦虫を噛み潰したような顔で、
「……わかった……」
と渋々、レティの治療が終わるのを待つことにした。プロンプトの話では治療が終わればレティが部屋から出てくるらしい。
本当はすぐにでも走って掛け込みたい気持ちを必死に抑えてベッドにぼすっと再び腰かける。
待つ時間が長く感じ時計ばかりちらちらと見つめてはため息の連続。
ノクトは知らなかった。
レティがどのような治療法でイグニスの目を治しているのかを、知らなかった。
だから、レティが部屋から出てきたと教えに来たグラディオが浮かない顔つきだったことも気にならずに、一目散に部屋を飛び出た。息急き切って長い廊下を駆け足で喧しく走りレティがいるという部屋のドアを乱暴に開けた。
だから、レティが部屋から出てきたと教えに来たグラディオが浮かない顔つきだったことも気にならずに、一目散に部屋を飛び出た。息急き切って長い廊下を駆け足で喧しく走りレティがいるという部屋のドアを乱暴に開けた。
一番に目に飛び込んできたのは、窓辺で椅子に座りながら晴れ渡る空を見上げていた見慣れたシルエット。
一日として忘れたことがないノクトにとってたった一人の家族であり大切な人、彼女は、ふとノクトの存在に気づき顔を動かした。彼女の唇が薄く弧を描き、ずっと聞きたかった声が発せられた。
「……おはよう。ノクティス」
ぴしり、と何か罅が入った音がした――。
悲しい顔に笑みを浮かべてレティはノクトを見てそう挨拶をした。ノクトは部屋に足を踏み入れることを躊躇してしまった。
戸惑っていたからだ。本当に今微笑んでいるのは自分が知るレティなのか、と。だからつい、レティの名を呼んでしまう。
「レティ……?」
「なあに?」
耳に心地いい声も目を引く容姿も何もかもが別れる前のレティと同じだというのに、彼女が纏う雰囲気が全くの別人で、まるで、まるでなんだか、知らない【女】みたいだとノクトは言い知れぬ不安を抱かずにはいられなかった。
【愛称で呼ばない理由は】