レティとノクトの再会より時は遡る。
※
全て必要なことはやり遂げた。レティとニックスはノクトがリヴァイアサンに打ち勝つところをひっそりと見届けたのちすっかり人気が無くなったホテルへと帰った。元々宿代は前払いして置いてあるので勝手に部屋に入ってもさほど問題はない。どさっとソファに背中から座り込んだレティは大きなため息をついた。
「……はぁ……」
「お疲れ」
労いの言葉と共に冷たいグラスに注がれたアイスコーヒーがレティに手渡される。レティは小さく微笑み「ありがとう」と礼を伝えてグラスを受け取った。
二人でソファに寄り添いながら一息つくと、テーブルに置いてあるレティのスマホが鳴り出す。
「ん、アーデンだ」
「タイミング良すぎだな」
どうにも邪魔されているようで若干不機嫌になるニックスを宥めてからレティは「はい」と電話に出た。
『やぁ、お疲れ様。どうだい、そっちの首尾は』
「こっちは大体大丈夫よ。そっちは?」
『いやぁ、オレも今帝国に撤退中なんだけど。実は指輪を奪ってきちゃった。どうしようか?』
「はっ!?」
あっけらかんと相談されレティは一瞬卒倒しかけた。
奪う振りをしてとは言ったが、まさか本当に奪ってくるとは……。どうやってそうなった!?
『いやぁ、ついつい演技に力入っちゃってさ、奪うつもりなかったけどね。気分は悪役?っていうの、そのスイッチ入っちゃったら気がついたら手に持ってたよ』
「ルナフレーナ嬢に怪我させてないでしょうね!?ふぅ、とりあえずまぁいいわ。指輪は本国で私が受け取ります。大事に大事に扱って。壊さないように!」
と痛む米神抑えながら伝え、『承りました、お姫様』と要件だけ伝え早々に電話をブチッと切ったアーデンに対してむっとせずにはいられなかった。その後、すぐにまだ電話がかかってきてついレティは画面の相手を確認せずにすぐ電話に出て声を荒げた。
「ちょっと!あのね……」
『………レティ、か?』
だが、電話の相手は飄々とした男の声ではなかった。確認するように自分の愛称を呼ぶ男は、昔からレティの兄貴的存在だった人。
「………グラディオラス?、どうして、なんで……」
『驚いて電話切ったりするなよ、頼むから聞いてくれ』
「………」
どこか切羽詰まった様子にレティは違和感を感じながらも押し黙った。なんというタイミングで出てしまったのか。レティは自分の失態を悔やみながら電話を切ろうかどうしようか迷ってしまった。
その悩んだほんの短い間にグラディオから告げられた言葉は死刑宣告を受けたも同じ内容で、レティの胸に刃を突き立てた。
『レティ、イグニスが――失明した』
頭が真っ白になり何も考えられなくなった。
憔悴しきった声は本当にグラディオかと思うくらい沈んだ声音で、それが真実だと受け止めたくなかった。
「いきなり、何?イグニスが失明したとかって……そんな悪い冗談言わないでよ。いくら私が……」
強張った声で言い返すと、グラディオは
『冗談じゃない。帝国軍との戦闘で負傷した。両目ともな』
とはっきりと言った。スマホを持つ手が震え、レティは今度こそ言葉を失う。
「………」
『お前なら治せるんじゃないか。プロンプトから粗方の話は聞いてる。ノクトはまだ知らないがオレ達は官邸で休ませてもらっている』
だから、来てくれ。と彼は直接言葉にしなかった。強制ではないということだ。だか彼はあざとい。レティが行かないわけがないことを知ってそのように遠回しな頼み方をした。それはお互いの立場がすでに違う場所にあることを示唆しているようなもの。
レティは案の定すぐに
「―――わかった。すぐに行くわ」
と返していた。着信を切ってすぐふっと眩暈を覚えたレティは額を抑えると自分の肩にそっと手が回され隣の人物へと抱き寄せられる。レティは縋るようにニックスを見上げた。
「―――悪い知らせか?」
「………イグニスが、失明したって……」
「あの軍師か……」
ニックスは渋い表情で初めて王子達と顔合わせした時にいた自分を射抜くように見つめていたインテリ眼鏡のことを思い出す。
歓迎はされていないと感じたが、だからといって相手の不幸を喜ぶことなどない。同情心がわいてしまうが自分にできることはないと考えている。だが、自分の隣にいる人物はどうだろうか?何があっても何をされても王子達の元に行こうとするのは明白である。
だが今自分たちの立場はとても危ういものだ。なぜなら自ら帝国に籍を置くことと決めたレティは皇女としてオルティシエ入りを果たしている。そしてその情報は既に王子達に伝わっていてもおかしくはない。現にプロンプトという青年が先に接触している以上大体把握されているはず。ニックスとしては出来る限りレティの負担になるようなことは避けたい。だが本人が行くと決めている以上、何があってもレティを守る覚悟はある。
敵対関係という隔たりでレティが傷つかなければいいがとニックスは憂わし気な表情でレティを見つめた。
対してレティは不安と怯えから顔を青ざめていた。スマホを持つ手がガタガタと震え抑えようともう片方の手をそえるが意味はなかった。その手も同じ状態だったからだ。
自分の立ち位置がプロンプト経由でグラデイオラスに知られた事。それでも自分に来て欲しいこと。イグニスの失明の理由が帝国軍との戦闘にあること。
全ての事柄はレティが招いてしまった。レティが皇女として自分の立場を受け入れて、レティがノクトの為に王としての舞台を作り上げてしまったこと。その犠牲にイグニスが選ばれてしまったこと。全ては、自分の所為だ。
自分を追い詰めずにはいられないレティはニックスの胸に手を付けて身を離そうとした。
「……私、行かなきゃ……」
だがその手はニックスに簡単に奪われ再び引き戻される。視線を合わせられ、
「いいのか、王子に会うことになるぞ」
と指摘されるとぶるりと肩を震えさせる。もしレティが逃げたいと一言でも漏らせばすぐにでも彼女を抱えてオルティシエを出発することはできる。だがレティは今にも泣きだしそうな顔で首を振った。
「………いいの、いいの!全部私の所為だものっ。イグニスをそのままにしておけない……!」
ノクトに会うのが怖い。怖いがそれ以上に自分の責任を野放しにしておくなどできないのだ。逃げたくない。今退いてしまったら後悔してしまう。
レティの心の底からの気持ちを聞いたニックスは苦笑した。
やっぱり、オレが好きなレティだな、と。
「……レティがそれでいいなら、オレは何も言わない。だが無理だけはしないでくれ」
「うん、ありがとう……」
逃げることはいつでもできる。だが逃げずに立ち向かうことはその時でなければうまくいかないこともある。
自分が始めたことは自分でケリをつける。そう決めたのはレティ自身だ。だから逃げない。
二人は身支度を整え官邸へと向かった。
※
静寂に包まれた部屋の中で、彼は天蓋のレースが引かれたベッドの向こう側で眠りについていた。すぐ側のチェストの上に彼の眼鏡が折りたたまれて置かれていたがレンズにはひびが入っており使い物にはならないようだ。どれだけ衝撃が強かったのかが伺い知れる。
恐る恐る、ベッドへと歩み寄る。イグニスの寝息と時計の秒針の音、そして自分の心臓の音がやけに耳に大きく聞こえた。
そっと、レースを引き彼の顔を覗き見る。
「…っ……!」
声にならない声を押し殺して口元を覆う。
浅く上下するイグニスの胸。
涙が一気に零れて止めようと拭っても拭っても止まることはなく、私は暫くの間立ち尽くすように見ているしかできずにいた。ベッドに寝ている端正な顔立ちな彼の、両目の部分に不似合いの大きな傷が横に走っていてそれは確実に彼の視力を奪った証だと悟った。
そろり、そろりと音を立てずに私はゆっくりと彼の元に向かう。グラディオラスは気を利かせて案内だけ済ませると静かにドアを閉めて私だけにしてくれた。
すぐ傍にある椅子に腰かけて、彼の眠る横顔を見つめる。
イグニス。イグニス。
ああ、私は彼の大切な眼を奪ってしまった。光を奪ってしまった。
一生、彼はこのままなのか。このまま、杖を頼りに一生を生きていかなければならないのか。
そんなことさせたくない。嫌だ。
私は最大級の回復魔法を眠るイグニスにかけた。手を翳して放たれる淡い光。春の日差しのような温かさが手の平越しに感じられ、効果はすぐに現れる。そう確信があった。けれど、イグニスにさほど変化は見受けられなかった。私は信じられなくて二、三度同じ魔法を試した。けれど結果は皆同じ。自分なら治せる。
そんな過信に満ち溢れた私には目の前の現実はショックで信じられないもので、
「どうして……?なんでっ!?」
と思わず大きい声が出てしまった。
これしかイグニスの目を治せる方法がないのに。縋る思いだった私にとって、もはや手はなしと絶望の淵に叩き落されたような気分だった。けれど、今の私の状態に詳しい人なら何かもっと間接的な方法を教えてくれるのかもしれないと藁にも縋る思いで私はクペに頼み込んだ。イグニスの目を治す方法を教えて。
今の私では治すことができないの。貴方ならもっと確実に治せる方法を知っているはず!
そう頼みこんだ。
けど私の力は万能ではないらしい。幾ら魔力が強いからといって死んだ人間を蘇生できないように死んだ細胞を蘇らせることは私にはできない。けど一つだけ方法があるという。
「……レティの魔力と直接繋がった状態で使うともしかしたらうまくいくかもしれないクポ」
「私の、魔力?……どうやって?どうやればいいの!?」
小さなクペに縋りつく私にはその方法しかない。自分の居場所を得る為に誇示してきた枯渇しない魔力が役に立つ時がきた。暗雲たちこめていた視界に一筋の光が差し込んだのだ。
なのにどうしてクペは苦しそうな顔をして言い淀むの。
「そ、それは……」
「……?」
「レティの」
「私の?なに、いいから教えて!なんでもやるから!」
この言葉が彼女の何かを押したのか、観念したように重たい口を開いた。
「一つは、レティの守護者にすることクポ。レティと繋がりを持たせてイグニス自身の体を強化するクポ」
「……そんなの無理よ。イグニスにはそんなことさせられない……。他には!?他にはないの?」
ニックスだから受け入れられたのに、イグニスに背負わせるなんて考えられない。これ以上誰かの命を背負うなんて弱気な私には無理な話だ。
私は必死な形相でクペに詰め寄った。
もっと他に確実な方法はないのか、と。
クペは泣きそうな顔をして語尾を濁した。まるで口にしたくないように。だが私はどうにかしてイグニスを救いたかった。それこそ、何をしてでも。
「……後は、その、レティの……」
「私の、なに?」
だから、クペから衝撃的なやり方を教えられた時は何をしてでもと救うと決めた決意が一気に崩壊した。
「レティの、レティの―――を直接繋げるしかないクポ……」
「………………」
息を呑み、その言葉に胸を突かれて何も言えなくなった私は、死んだ貝のように口を閉じるしかなかった。
何を言えばいいというのだ。
ああそうなのねと相槌でも打てばいいのか。そんなことできるわけない。あっさりとできるわけがない。私は、まだ人間で女で下らないけど矜持だってある。イグニスに好意を抱いていると言えばyesとなり、好きな人と問われればnoとなる。
彼の気持ちだって分からない。そういう行為が治療法だと納得して受けてもらえるかどうかもわからない。彼の気持ちなんて、知らない。今の私には分からない……!
「手をつなぐとかキスをするとかよりも一番効果が期待できるやり方クポ。……でもそれは……レティの体を傷つける行為クポ。……クペは反対クポ」
体を傷つける行為。それでイグニスが救われる。治る可能性がグンと上がる。なら、答えは一つしか、ないじゃない。
私は、逃げるわけにはいかないんだ。
下らない矜持なんて道端に投げ捨ててしまえ。
「………いいよ。やる」
「レティ!?」
クペが驚愕し、一重の目をクパっと見開いた。
自暴自棄?そうかもしれない。
自己犠牲?そういう見かたもあるかもしれない。
なんにしろ、私に選択権なんて最初からないんだ。グラディオラスに呼ばれた時から。ここに自分の意思で来た時から、ない。いや、むしろ彼らを裏切った贖罪をこの身で帳消しできるかもしれない。喜ぶべきなんだ、本当は。
右手で左腕を握った。最初はただ掴むだけ。
「……イグニスの両目が見えるようになるなら、やるよ」
「でもっ!」
「こうなった責任は私にある。……彼が苦しむ必要は、ないわ」
私の所為で誰かが傷つくのは嫌だ。責任を取れるなら取りたい。心残りがないようにしたい。未練がないようにしたい。その為なら、なんだってやる。反対されても意見は変えない。
掴むだけの手に力が篭った。ぎゅぅぅううっと強くなる。
「……レティ……」
「ありがとう教えてくれて」
私は口早に礼を口にし、さっとクペから視線を逸らす。
力を籠めるだけじゃ満足できない私は自分の肌に爪を立てる。自ら自傷行為をし、気分を落ち着かせようとする。けど落ち着かなかった。いつもならこれで終わるのに。
クペの柔らかく小さな手が爪を立てている手にぴたりと添えられ自傷行為を止められる。
「クペは、クペは……!もっとレティの役にたちたいクポ……!」
「……クペは十分私を助けてくれてるよ……」
彼が苦しむ必要はない。私が何かを捨てればいいだけだ。
所詮この世に留まる時間は少ない。未練がないようにやれるだけのことをしよう。そう決めたんだ。
無駄に本を読みまくった甲斐はある。経験はない。あるわけがない。けど、やり方は知ってる。だから、大丈夫。
大丈夫、大丈夫。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。
きっと痛いのは最初の内だけ。後はきっと快楽に落ちてあっという間に朝になる。そうすれば私は一つ心残りを昇華できるんだ。
最優先はイグニスの視力回復。
自分の気持ちなんて後回しにしろ。
「………っ…!」
「レティ……」
わたしは、だいじょうぶ。
だいじょうぶ、だよ。
【大丈夫なはずなのに、この焦燥感と悲痛はなんだろう】
※
私は小さな嘘を一つニックスについた。取るに足らない小さな嘘。
『あのね、イグニスの目を治す方法が一つ分かったの』
『どんなやり方なんだ』
『うん。一晩かかるかもしれないけどうまくいくかも』
質問をはぐらかしそれとなくうやむやにさせる。昔からの常套手段。こうやって私は逃げてきた。
『そうか、それはレティに負担が掛からない方法なんだな?』
念を押してくるニックスに私は笑顔で答えた。
『ううん、少し体力を消耗するかもしれない。けど大丈夫よ』
『本当に、か?』
疑念が晴れない瞳で見つめられる。
『うん』
本当である。体力は使うだろう。あと、精神的疲労もあるだろう。でも大丈夫なのだ。そうでなくてはいけないのだ。イグニスを救えるのは、私だけなのだ。自分に対する嫌悪感とこれからの行いによる不安と猛烈な吐き気が私を襲う。きっと顔色もよくないはずだ。だからか、ニックスは気に入らないと不満そうだ。
『……レティはどうしてもそいつを助けたいのか』
『……助けたいわ』
だって他にいないもの。私の所為なんだもの。誰が代わりに責任取ってくれるっていうの?私だけしかいないもの。
『……何をしてもか?レティはいつも無茶ばかりして、どうして自分の体を労わらない?どうして我慢ばかりするんだよ……!いつも傷つくのはレティじゃないか』
傷ついてなんかいない。そう否定しようと思えばできた。けどすぐに口に出すことはできなかった。だって図星だったわけで、私は気まずくてさっと視線を逸らして動揺を悟られないように逃げる。逃げるしかない。
私が行おうとしていることは人として最低なことだ。相手の意思関係なしにゴリ押しで事を進ませようとしている。
『……我慢して無茶しないと、うまくいかないこともあるんだよ。それがたまたま今日だっただけ』
『……心が悲鳴上げそうなほど、か?』
『………』
それ以上優しくしないで欲しいとレティは思った。
ニックスの優しさが、辛い。
ニックスはレティの肩を掴みもう片方の手の甲で愛おしそうに頬を撫でた。
『決意は固いのか』
『……うん』
無骨な手だがレティはこの手に何度も助けられ励まされ続けた。だから、好ましい。
『確認だが、その軍師に恋愛感情は持ってるか?』
『……イグニスに、?……分からない。……でも好きな人かと問われたら違うって思う……』
『分かった。じゃあ一つオレの願いを叶えてくれ』
『願い?』
『……そうだ。それなら【今回】は見逃してやる。癪だがな、仕方ない。レティが責任感から負い目を感じているっていうのは信じるよ。まだオレの方が優勢だって構えてられるからな』
『ニックスの、願い?』
目を瞬かせるレティにニックスは真剣な表情で頷いた。
『ああ。レティじゃなきゃ叶えられない』
『それってどんなこと?』
『……帝国に戻ったら、な。いいだろ?』
私にできることなんてたかだか知れてる。自分自身の力で手に入れたものなんてほとんどないのに。
『それって本当に私でできるもの?』
『ああ、レティじゃなきゃ駄目だ。他の奴なんて考えられない』
『……わかった。私で出来ることなら』
彼が何を欲しているのか理解せずに私はそれで納得してくれるならと軽い気持ちで承諾した。のちに、彼の私に対する気持ちを明確にさせるものとも知らずに。ただ、熱情を宿した獣の瞳だったことは分かる。
『レティ、目、閉じろ』
『うん』
最初は抵抗のあったキスも、今は割と受け入れることができている。すんなりとは言えないが慣れてきていると言ったら不謹慎よね。顎先を取られ後頭部に回る大きな手。彼の服に縋りついて私は蹂躙されるような荒々しいキスに飲み込まれてしまわないように必死に耐える。身長差もあることから彼は腰を屈めるようにして私にキスをしてくる。最初は軽く触れあう程度のフレンチキスで次第に私の唇を堪能するようにじっくりとねっとりとしたものに変わる。
『っ……』
『レティ』
最初は息継ぎのやり方が分からなかったから半分パニックになったりした。けどニックスに鼻で息しろって可笑しそうにアドバイス受けてその通りにやったらちゃんとできた。そうしたらニックスは隙あらばキスをしてくるようになった。
したいからするんだって。全然英雄らしくないわ。
少しだけ唇を開いたらすかさずニックスの舌がするりと割り込んできて舌先を絡められて軽く吸われる。何度も何度も、その内私からも遠慮がちに舌先を絡める。互いの唾液を交わらせながら艶めかしい音と共に少し唇を離すとそこから糸を引かれる。
私だけを見つめ、私だけを求める彼の瞳は飢えた獣そのものだ。私の守護者ではなく、一人の男。
でもそれだけじゃ彼は物足りないらしい。今度は唇から首筋へと降りてくる。強く吸われ気持ちよさでどうにかなってしまいそうではしたなく声が漏れる。
『ぁ……!』
ニックスはしたり顔で私の首筋から顔を離すと
『マーキング完了』
と言いニヤリと意地悪く笑った。私はぎょっとして急ぎ彼から飛びのいて首元を手で押さえた。
『……マーキング?……もしかしてキスマークつけたの!?』
『オレのもんだって証だ。暫く消えないだろうさ』
『……!ニックスっ!』
羞恥心から彼を叱り飛ばすがまったく反省の余地なし。それどころか、ニヤニヤといやらしい笑みまで浮かべて腹立たしいことこの上ない!
『レティだって満更でもないだろ』
『そういうことじゃないわっ!』
やられた箇所を抑えてながらじわりじわりと熱くなっていく頬。一体いつからニックスは女たらしになったのか。以前の印象などお空の彼方に放り投げたような変化ぶりに私はいちいち翻弄されてしまっている。
まるで調教されている気分だ。
『オレに慣れてきた証拠だな』
『ニックス!』
それ以上聞きたくない私は一発ニックスの胸に拳を入れた。でも鍛え抜かれた胸板には敵わず、逆に手を掴まれてまた捕らえられ貪るようなキスを味わうことになる。
【まるでこれからやることを知られているような】
イグニスside
※
夢の中でレティが俺の名を慈しむように呼んだ。
夢だ、これは夢だと自分に言い聞かせる。彼女はニフルハイム帝国で囚われの身となっているはず。だからオルティシエにいるわけがない。だがなんて心地いい声だろうか。
『大丈夫よ、イグニス』
するりとオレの頬を撫で、顔を寄せて吐息を吹きかける。
こんなに彼女を近くに感じたことはない。たとえ夢の中だとしても浮き立つ自分を止められない。
『私があなたの目を治すわ。貴方をこのままになんてさせない。絶対に……!』
まるで慈愛の女神のように失われし両目に光を再び宿してくれるという。敵から不意を突かれオレのミスで負った傷なのに、自分の痛みのように受け止めてくれているなど、彼女の優しさが心に染み入るようだ。
『イグニス、ゴメンね』
レティはそう謝ってオレの瞼の上から口づけをする。ふんわりと羽のような軽いキスをしてくる。それから唇に啄むようなキス。ほんの少し開いた唇から先っぽの舌が彼女の伸びてきた舌と軽くタッチする。怯えたように少しずつ少しずつ触れ合いを重ねて徐々に舌を絡ませる。唾液が口元から滴り落ちるまで丁寧に舐めあげられる。だが手探り状態のようでぎこちない動作だ。まるで初々しさを感じる。
『―――拒まないで。逃げないで。貴方を助けたいの』
そう彼女は懇願し、オレの手首を縄で縛り上げ身動きできないように封じる。助けたいと言っている癖してオレを縛り上げる。まるでオレに余計な動きをされるのを拒んでいるかのようだ。キツク締め上げらられ痛みから声が漏れる。
『私はね、初めてなの。だからって恩着せがましいことなんて考えてない。貴方がノクティスに必要な人だから。これからのルシスに掛け替えのない人だから』
処女であることを打ち明けながら、手慣れた様子でワイシャツのボタンが一つ一つ外されていく。それと同時に首筋を這うように舐める舌遣いの感触。ざわり、と背筋に鳥肌が走る。艶ある声がオレの口から漏れて、ヤバイと感じた。攻められるってこうなのか。このオレが『受け』だなんてな。
『お願いだから。気持ち悪いって思わないで。ね、お願い―――。私、怖いの―――』
泣きそうなほど悲しみが含んだ声に胸が痛む。
どうしてそんな声を出すんだ?
君との行為で気持ち悪いなんて言葉が出るわけない。むしろ、ずっと浸っていたい快楽だ。君が他の男に微笑むたびに狂いそうなほどの嫉妬心を抱えていた。知らないだろう、レティ。
オレがどんなに醜い存在であるか。
普段通りのオレなら紳士らしく振舞うだろう。淑女らしくない君の破天荒な行動を窘めては君から顰蹙を買ってばかりだったが、レティの将来を案じて己を律し続けた。オレぐらいしか君に厳しく接する者はいないと考えていたからだ。だから君がノクトの傍に向かうほどに、惨めな嫉妬心を抱かずにはいられなかった。レティを甘やかす役ならいくらでもやりたかったさ。
現実の君を汚すことなどできない。そんなこと当たり前だ。だからオレは妄想の中で君を汚す。この旅を初めて、君を好きだと自覚しなおしてから夜中、仲間が寝静まった頃を確認して一人トイレで君を想い火照った熱を冷ます勢いで吐き出していつも思うことは、自分は一体何をやっているんだということ。
ルシスの王女で陛下の愛娘で召喚獣を従えさせられる尊い存在である彼女に対して、己の性欲を満たすため何度オレの欲望で君を染め上げるのか。
ベッドに組み敷いたオレの下で君は艶やかに咲き誇る。互いに生まれたままの姿で絡み合い、深く深く繋がりあう。一心同体となったオレと君は果てるまで欲望のまま精を吐き出し合う。身分の差関係なく、一人の男と、一人の女として。
いつもいつもこのままではいけないと言い聞かせつつも止まらないんだ。止められない。君を想う気持ちが強くなるほどに、君が欲しいと思ってしまう。抑えられない欲望にいつか歯止めが効かなくなってしまうのではないかと、いつも以上に自分を律した。
知らないだろう、こんなオレは。……浅ましい男なんだよ。
君が好きな料理やお菓子を作ることだって君を喜ばすためだ。元々の趣味がいつの間にか君に好かれるための口実になっていた。それでもオレは楽しかった。君との数少ない時間を共有できて独占できた。君の瞳に映るのはノクトじゃなくて、オレだけ。
『イグニス、イグニス』
下へ下へと伸ばされる手がズボンの中に入っていく。
『こわいの、いぐにす』
彼女が泣いている気がした。
泣かないでくれ、レティ。オレで出来ることならなんでもする。君が望む限りのことをやり遂げると約束しよう。……今のオレでは君の涙を拭うことはできないんだ。手首を締め付けるロープが食い込んで皮膚がヒリヒリする。
だから、どうか。
【どうか、オレを甘い夢に堕としてくれ。君の手で】
※
レティは知らなかった。
ノクトがどのような想いでここまでやってきたかを。どのような気持ちを抱えてリヴァイアサンに打ち勝ったかを。
イグニスとの情事のあと、疼く下腹部を抑えながら逃げるように脱ぎ散らされた下着と服を急ぎ身につけよろよろと部屋をでた。イグニスは追ってこようとはしなかったのがせめてもの救いだ。廊下でグラディオラスとすれ違った時、レティの首元に咲く赤い花や歩く様子の違和感からイグニスとレティの戸の間で行われたことを瞬時に悟った。
「……レティ……」
「何も、言わないで」
掠れた声でレティはさっと視線を避け、ショックを受けたように固まったままのグラディオラスの脇をすれ違い様、レティはこう続けた。
「イグニスの両目は回復したわ」
「!」
「私の責任はこれで果たした。……もう、構わないで」
吐き捨てるようにそう言い残し、レティはニックスが待つ部屋へと足を動かした。
洗いたい。全身をくまなく洗いたい。そんな衝動に駆られているのだ。
自分が汚すぎて嫌になる。受け入れてたはずなのに、自分の責任なのに、自分の肌に彩られたイグニスの痕がおぞましく感じる。抉り取りたくなる。
彼を傷つけて、自分を傷つけて本当にこれで良かったのか?もしかしたらイグニスはあのままで良かったと思っていたかもしれない。私との行為を無駄にさせまいと気遣ってあのようなことを言ったのかと勘ぐってしまう。
ああ、私は正常ではない。
駄目だ。ここにいては私はおかしくなる。
残りかけの理性を振り絞ってレティは外へ出ようとした。
「ふっ、ふふっ……」
口元から漏れる怪しげな笑い声は歪だった。
やっぱり自分は壊れてしまっている。まともなじゃい。まともじゃないから正解の選択肢も探せない選べない。
ふらついた足取りで自分の体を抱き込むように腕を回しレティは人気のない廊下を進もうとした。だが後ろから引き留めるように大声で呼び止める声がした。
「レティ!!」
余裕ない様子でニックスは呼ばれても振り返ろうとしないレティへと手を伸ばす。だが拒絶するように一言レティは告げた。
「来ないで」
だがニックスはお構いなしにレティへと距離を詰めると肩を掴んで自分の方を向かせようとした。だがレティは頑なに拒んで顔を背けた。
「………」
「私、今汗かいてるから臭いの汚いの汚れてるの」
「知るか」
バッサリと一言で斬り捨てるニックスは
レティの首元にある赤い痕を忌々しそうに憎々し気に睨み付けた。
反対にレティは身を縮こまらせニックスから逃げようとする。
知られたくなかった。見られくなかった。
「ニックス、お願いだから……放っておいて」
「できない」
「………」
ニックスはレティを後ろから抱きこんだ。
「頑張ったな」
「っ!」
ニックスはゆっくりと言い聞かせるようにレティに伝えた。
「これでアイツへの責任は果たしたんだ。帝国に、戻ろう。もう王子は子供じゃない。ルシスの王だ」
「ニックス」
レティは聞きたくないと首を横に振った。だがニックスは続けた。
「もういいだろ?十分お前は頑張ったんだよ。後は帝国に戻ってさっさと片つけてゆっくりしよう。【あっち】に行く前に二人でのんびり旅に出るのもいい。自由気ままなやつだ。何したっていい。縛る者は何もない。自由なんだ」
甘い言葉はレティの鋼たる決意を揺るがせる。
彼の世界に行くことに何の躊躇いも未練もない様子のニックスにレティは寄りかかりたくなる。疲れたと、言いたくなる。
「にっくす」
「レティ、お願いだ。……もうこれ以上自分を傷つけるな」
肩にニックスの頭が乗る。彼の声は震えていた。レティの痛みに呼応するように。キツク抱きしめられレティは痛かった。体も痛かったが心も痛かった。
立っていることも辛くてレティはズルズルと座り込む。ニックスも同じように床に膝をついた。
「だってぇ……わたしの、せきに、ん……」
口元に手を当てがって嗚咽を飲み込もうとする。労わり優しさある言葉にレティの我慢の決壊は崩壊した。
「もう十分だ」
「……」
へにゃりと表情が崩れてぼろぼろと大粒の涙がレティの瞳から零れていく。
「もう、レティが傷つくのは見たくない」
この言葉で、ようやっと肩の荷が降りた気がした。
我慢しなくていい。我慢するたびに自分の皮膚に爪を食い込ませて痛みに耐え続けてきた。我慢する必要があったから。
だがもういい、らしい。
「……わたしぃ……もう、もう……」
つかれたよ。
そう告げることはできなかった。
「いい。もういい。分かってるから」
しゃっくり上げながら声をかみ殺して静かに泣くレティをニックスは黙って抱きしめ続けた。
【もう十分だ。その言葉だけでどれだけ救われたことか】
もう頑張らなくていい。
だからレティは頑張らないことにした。自分の出来る範囲内でやれることをやろうと決めた。
だから、誰かが慌ただしく廊下を駆ける音が自分がいる部屋に向かって進んでいることに気づいた時も、
ああ、来た。
と身構えることなく椅子に座って彼を迎えいれた。
乱暴に開かれるドアから現れたのは、自分の家族元義兄でルシスの王子で新たな王になったもの。
たった一人の王子様だった人。
過去形にさせることで心がすぅっと軽くなる、『気がした』。
彼女の唇が薄く弧を描き、ずっと聞きたかった声が発せられた。
「……おはよう。ノクティス」
ぴしり、と何か罅が入った音がした――。
それは私と彼との淡く綺麗な思い出の石。必然に起こるべくして起こった事実を果たして彼は受け入れるだろうか。つい、彼の悲しむ顔を想像しレティは表情を暗くさせる。
「レティ……?」
「なあに?」
警戒した子猫みたいとレティはクスリと小さく笑った。
まるで私ではないことを知っているかのようだ。
そうよ、ノクティス。私は、もう貴方の知る純粋無垢なままのレティじゃない。
縋るような声も王という新たな地位に肩書を背負う彼は一人の男だ。紛れもなく自分の兄ではない。家族でもない。
敵対関係にある者。これから崩壊を辿るであろうニフルハイムに最後のメスを入れるルシスの王。
疲れ切ったレティは割り切ることにした。疲れたのだ。何もかもに。感情を割いて報われない無駄な行いに疲れたのだ。
【愛称で呼ぶのは子供の証。だから私は貴方を名前で呼ぶことにした】
To be continued――