昔々、豊かな可視世界を治める母なる女神ムインがいました。
七つの世界を治めし彼女には跡継ぎがいませんでした。ムインは自分の後継者として全能神ブーニベルゼを創りだしましたが、彼は女神ムインに反旗を翻しムインを不可視世界へと追いやってしまいました。
七つの可視世界を手に入れたブーニベルゼでしたが、命の循環が行われているのは母、ムインの呪いのせいではないかと勘違いをしました。不可視世界に逃げ込んだ母、ムインを追う為、ブーニベルゼは三人の従神(ファルシ)を創りだしました。
男神パルス、女神リンゼ、女神エトロ。
パルスは世界の開拓と不可視世界への扉を見つけることを命じられました。
リンゼはブーニベルゼを守護し世界の終わりを知らせる役目を命じられました。
エトロは誤って母、ムインに似せて創ってしまったのでその存在を疎まれて何の役目も与えられませんでした。
ブーニベルゼはそれぞれ二神からの吉報を待ちながらクリスタル化して眠りにつくことにしました。
エトロは他の二神が役目を受けていて自分だけが無能で何もないことに嘆き悲しんで自分の体を引き裂いて不可視世界へと飛び込みました。
自分に似ているという母、ムインに会いたかったからです。その時、彼女の体から流れた血で人間が出来上がりました。人間達は沢山数を増やして可視世界に住むようになりました。
不可視世界に飛び込んだエトロの前でムインは混沌に飲み込まれていようとしていました。最後にムインはエトロに向けてこう言い残しました。
『世界の均衡を崩さないよう見守って欲しいのです。エトロ、頼みましたよ』
そう言い残してムインは混沌に飲まれてしまいました。母、ムインの言葉を理解するにはその時のエトロには難しすぎました。ですが彼女なりに理解しようと必死でした。彼女には大それた力はありませんでしたが他者に幸福を授ける特別な力がありました。
それは人間に会うことで知恵をつけ、想いを育んでいく中で学んで自力で得たエトロだけの特別な力でした。
混沌の世界に身を置く彼女の元に寿命を迎えるようになった人間が訪れるようになりました。
『彼らは不思議な者だわ。でも嫌じゃない』
エトロは彼らを温かく迎え入れ、【混沌】を分け与えるようになりました。
それは何時しか人間の中で変わって【心】となり彼らは大切にしていき、エトロを敬愛していくようになりました。
エトロは長き時の中で人々から沢山の事を学びました。空っぽだったはずの中が満たされていくのを感じては、人々を慈しみました。いつしか、人間のように世界を歩くことが彼女の密かな夢となっていました。そして再び、母ムインに会うことを願っていました。
『いつか、きっと願いを叶えたいわ』
彼ら人間もエトロを敬い、信仰を世界に広めていきました。そんな中、自身をクリスタル化して母ムインを倒す事を目標にしていたブーニベルゼはエトロの事を快く思っていませんでした。隙あらば自分に反旗を翻すのではないかと疑っていたのです。
『あの者はムインに似ているだけではなく【中身】も似てしまったか』
エトロも完璧さを求めるブーニベルゼの存在を良しとしませんでした。
『きっとあの方は私を滅ぼしに来るわ。永遠だけに囚われて目の前の命の儚さ、尊さに目を向けることはないもの』
互いに意見が交わることはない。
ここから主神ブーニベルゼと女神エトロの七つの世界と混沌を巡った長きに渡る争いが始まりました。ファルシに選ばれた数奇な運命を辿るはずのルシ達を憐れに思い、自分の力で産み出した召喚獣達を送り出し手助けをさせたりしました。
彼らが幸せになるように、エトロなりに心を砕いていました。ですが、クリスタル化しているはずのブーニベルゼの策により隙を突かれてエトロは自分の力を使い果たしてしまいました。エトロを慕う召喚獣達は彼女の復活を願いました。
どうすれば女神が再び蘇ることが出来るのか。エトロは自分の守護者、召喚獣達にこう言い残しました。
『私の心臓は戻らないわ。でも魂は循環するもの。だからいつの日にか私は再びエトロとして蘇りこのヴァルハラに戻るでしょう。その時、また私の守護者をしてね』
エトロはそう言って母、ムインのように混沌の海に沈んでいきました。
召喚獣達やエトロの守護者は永遠の時の中でエトロ復活だけを願って静かにその時を待っていました。ブーニベルゼの干渉に目を光らせながら。
可視世界では召喚獣達が気づかない内に女神エトロの魂を宿した者が何度も転生しては死の循環を繰り返していました。ですがその魂はヴァルハラに戻ることはなく、召喚獣達はしびれを切らして不可視世界から可視世界へとそれぞれ舞い降りました。すると様変わりした世界で召喚獣達を目の当たりにした人間達は彼らこそが創造主であると勘違いをし、勝手に信仰を開始しそれは瞬く間に世界中に広げました。
自らを産み出し母であるエトロは影日向の存在に変わり、表立って召喚獣達の活躍により世界は創造されたと人間達に間違って認知されました。召喚獣達の中で意見は真っ二つに別れました。
女神の恩恵を忘れし罪深き者たちに制裁をと意気込む召喚獣と
女神復活まで静観するのが望ましいと考える召喚獣達。
その中で長たる八神のバハムートは皆の意見を取り入れつつ、あくまで静観を貫き通すと決めました。ですがそれは各々の判断に任せると条件をつけたのです。気まぐれな性格のアレクサンダーは可視世界にいたく興味を持ち、人間に紛れ込むとそれ以降仲間の前から姿を消しました。それから人間達には八神ではなく六神と認知されていくのです。
女神復活までの長すぎる幾千年、ついに時が満ちました。
召喚獣達が多大な期待を寄せる中、小さな小さな産声がある国から上がったのでした。
※
白銀の王女は産まれるたびにその命悲しみの中に散らしていきました。
まるで産まれ散ることが性(さが)とされているように。どれだけ召喚獣達が心砕いたとしても彼女たちの運命だけは変えられない。そう、いうなれば彼女達は運命から逃れられないマリオネット。女神たる証を持ちながら、その数奇な運命に翻弄され鳥籠の中で朽ちていくしかない。
未来を羨望しながら動こうとしなかった故、彼女達は同じ結末を辿る。
それは同じ輪の中で腐っていくことと同じ。
だが遂にある姫がその産声をあげて誕生しました。
その容姿、歴代の姫達と瓜二つだが瞳の色だけは違いました。
深く慈愛籠った深緑の色。ルシスの血とニフルハイムの血を受け継いだ混血の姫。
複雑な出自でありながらも向上心高く常に最善の手を尽くそうと努力を惜しまない彼女は、今度こそ新たな女神をヴァルハラへと意気込む召喚獣達によって蝶よ花よと大切に大切に育てられた。常に傍に居ることで自分たちの存在を必要不可欠であると小さな姫に植えつけ様、まるでインプリンティングのよう。
だがそれが功を奏し姫は明るく快活に育っていきます。父王から与えられぬ愛情を召喚獣達から注がれ、いつか外の世界に出てやるという決意を幼い身ながら心に誓って日々読書漬けという大人顔負けの毎日。それだけではなく、外の世界で生きていけるように体術や武術を身につけ、教養や不特定多数の相手に対しての話術など学べるだけのもの全てを吸収しようと努力をし怠ることはありませんでした。
姫のその健気な様を見守る者にとっては胸打たれるもので、誰もが姫を好いていました。
その見た目に囚われるわけではなく姫の様々な面に心惹かれ助力を惜しみませんでした。ですが姫自身は自分の事だけで精一杯でとても視野を広げることはできず、自分に向けられる愛情に気づくことはできませんでした。それは父王から注がれる隠された愛情とて同じこと。
『愛して欲しい』
『愛されたい』
今まで理由を並べて姫が自分磨きに注いだ時間は根底を覗いてみればこの理由にありました。
見返してやりたい、自分の存在を見せつけてやりたい。
人誰しも一度は思うであろう感情を抱いていた姫は決して他人にその胸の内を曝け出す事はなく語ることもありませんでした。なぜならそれが姫にとって矜持でもあったのだから。もし下らないと他人から評価をされたとしても姫は気にも留めないでしょう。
それは紛れもなく人である証だから。だから姫は夜空の星のように強く光り輝いていました。その意思を表すように。姫は愛されていることを知らずに育ち、そして念願叶い世界へ飛び出る機会を得ました。それが策略に呑まれた王子の結婚式だとしても。それが父王の愛情の証でした。戦火に巻き込まれる王都にいては必ず姫は狙われる。そう危惧した王によって王子と共にルシスを旅立たせることで姫を皇帝の手から守ろうとしたのです。
不器用な愛を交差させる父娘(おやこ)は、二度と会話を交わすことなく別れることになりました。
王都陥落。
その一報は王子達に衝撃を与え、姫を錯乱状態にまで陥れるほどに最悪なニュースとなりました。
姫はどれほど嘆き悲しみを堪えようとしたか。
愛情を求めていたがそのやり方を知らず、子供のような癇癪の仕方でしか父王に表現できなかった姫にとって父は、やはり父だった。
たとえ血が繋がっていなくとも、姫にとって敬える親は父王、そして母である王妃だけ。
大切な家族だった二人を失った姫にとって、もう家族と言えるのは王子だけ。
だが王子と姫は血の繋がりはない。そう信じていた姫にとってただ孤独に耐えるしかなかった。婚約者の元へ向かうであろう王子に自分の元にいて欲しいなどと懇願できるわけがない。だから姫は耐えて耐えて、王子の為に動きました。
彼を真の王とさせる為に。
婚約者である神薙の目指す、真なる王とは別の邪道なやり方で。
清廉潔白の塊のような神薙と対照的である姫は、召喚獣達の元を回って王子の為に啓示を集める彼女の逆の手を取りました。召喚獣と親しい間柄である姫はその啓示を王子へ渡さないよう召喚獣達に願うことにしたのです。
それは神薙の想いを踏みつぶす行為であると知っていましたが、王子が最終的に行きつく先は選ばれし者という名誉ある死のみと姫は知っていました。だからこそ神薙の行いを否定したかったのです。
王子を生きさせるため。
どれほど困難な道であろうと姫は諦めませんでした。なぜなら姫は馬鹿がつくほど一途。たとえ道端に不意に転がろうとも痛みを堪えて立ち上がる根性が備わっていました。誰よりもずる賢く誰よりも卑怯で誰よりも優しい。
そんな姫は自分が思ったよりも多くの人々に慕われている事を知りませんでした。姫には周りを見る余裕がなかったのです。ただ、王子の未来の為に。我武者羅に進んで土壇場で機転を効かせて自分の流れに持ってこさせる。簡単なようでいて運が備わっていなければできないことを姫はやって見せました。
元からある力なのか、それとも姫自身が学び得た力なのか。隠された事実を知ることになるのはまだ先の話でした。
※
姫にとって神薙という世間的に認められている王子の婚約者は太陽のように眩しく思えました。月の名前を与えられながら皆にサンサンとした輝きを与える存在。唯一無二の存在であり、妬ましくもありました。幼い頃より我慢を強いられて誰よりも孤独に耐えてきた姫にとって、王子だけは自分を庇護してくれる者であり縋ってもいい、心を許してもいい存在であったのに彼女の存在がそれを揺らがしていました。
奪われてしまう。自分の唯一無二が。
毎夜、姫は夢の中で魘されながら涙を零して目を覚ますという行為を何度と繰り返しました。
酷い時は朝目元が腫れているくらいに。それでも姫は誰にも打ち明ける事はありませんでした。指摘されたとしても誤魔化して事実を語ることもありませんでした。
言えるわけがない。自分が彼女に嫉妬しているなどと。
奪わないでと言える立場でないことを十分理解しているからこそ我慢するしかない。その度に姫は自分の腕を傷つけて耐えました。今は王子を『借りている』だけなのだ。いずれ彼女の元に返す。そう、そう考えることで自分の気持ちを押し殺してきました。溜めてきました。だからこそ、彼女は拠り所となっていた男の元で静かに涙を流すこともありました。無防備に男のベッドで横になるくらい彼女にとって男は大切な部類に入っていました。
その気持ちが愛情なのか、友情なのか知らぬまま。
男の無骨な手が眠る姫の髪を丁寧に梳くのを許しながら二人は微妙な距離を保ち続けました。
王の長年の友であり宰相に知られるまでは。
悪役の魔女、悪役皇女、悪役女帝。
全て彼女にとっては誇るべき立派な経歴となっていました。それは自分が生きた証であるから。王子の為に粉骨砕身して身を捧げる姫を心から慕い付き従う守護者となった男はいつ、いかなる時も傍を離れぬと姫の手の甲に口づけをして誓いを立てました。その男、姫とは運命づけられた出会いを果たしてからも密かに城を抜け出てくる姫と身近な逢瀬を繰り返していました。最初こそ興味本位からの付き合いだったがいつの間にか姫の存在は男の中で強くなっていくのに時間はかかりませんでした。くるくると表情を変える姫にいつからか心惹かれるようになり身分違いであることを理解しつつも、姫を想う気持ちは加速する一方でした。城を抜け出ていることを知られ、二人の関係に終止符が打たれ姫と会うこと叶わなくなるとも男の気持ちは募るばかり。
王都襲撃事件で命を落とすはずだった男は姫からもらった王妃の形見のブレスレットのお陰で難を逃れ、姫に再び会うために親友と共に王都を脱出し、様々な出会いをして度重なる苦労の末にようやく愛しの姫との再会を果たしました。それからどんな時も姫の傍を片時も離れなかった男は、ついに姫の秘密を知ることになりました。
なぜ彼女は召喚獣を従えさせられるのか。
なぜ彼女は神と崇めたてられる召喚獣達に愛されているのか。
隠された真実を目の前にしても彼の意思は鋼のように揺らぐことはありませんでした。
この命、全て彼女の為に。
惜しいものは何もない。むしろ光栄なことだ。彼女の傍に居る権利を得られるのなら。
男は守護者として彼女を守ることを選び取りました。
姫は男の決断に困惑しました。なぜそこまで自分の身を犠牲にするのかと。
人であることを捨ててまでなぜ私に。
その問いに男は笑いながらこう答えました。
『お前を愛しているからだ』
姫は何も言えずただ涙を零しました。自分を愛してくれることを嬉しいと思いながら、自分はその想いにすぐ応えることはできない。すぐに返事を返すことができない。姫の中で何かがあったからです。
それでも男は構わないと姫を抱きしめました。
『お前の傍にいさせてくれ、レティ』
懇願するように言われ、姫は小さく頷きながら男に願いました。
『どうか私の為に命を捨てる真似だけはしないで』
『分かった』
姫の願いを男は受け入れ、姫を支えることを誓いました。たとえどんなことが待ち受けようとも全力で守ると。
男の腕の中で姫はひと時の安らぎを得ました。すぐ目の前に厳しい現実が待ち受けていること、承知の上で。
それでもその時だけは誰かに寄りかかっていたかったのです。
ずっと待ち焦がれていた王子の腕ではないと知っていても。後に男は女帝の愛人と周知されるようになりました。
どんな時も女帝の後ろに控えその身を守り続けていた、と。