ついにディーノから明日乗船の手配が取れたと意気込んで伝えられたのは、花火を終えた次の日であった。その際、感極まったディーノから両手を握られてきょとんしたレティだったが、ノクトとイグニスがバリッと引きはがすように二人の間に割り込んだのは明らかな嫉妬からによるものである。レティ本人は男二人の真意がわからず不思議そうな顔をしていたが。ディーノが以前依頼をしてきたのは、どうしても手に入れたい原石だったからだと手渡す時にバツが悪そうに謝罪してきたのは余談である。
さて、最後ということで贅沢に過ごしたい!とのレティからの提案にノクトたちも賛同し、唯一、予算が険しい顔つきをしていたイグニスもレティからのおねだり作戦にかかればあっという間に陥落してしまった。美味しく新鮮な魚介類を贅沢に使用した名物料理と体の隅々までもみほぐす極上のマッサージ、そしてお洒落な部屋から望める夕闇に沈む太陽とオレンジ色に染まる海の景色。
もういうことはなし、である。レティと同じ部屋に泊まろうとしたノクトはイグニスやグラディオによって抑え込まれ、男部屋へばいばーい。
お洒落なバスタブにクペと共にゆっくりと浸かり、白いバスローブのままふかふかのベッドへとダイブ。はしたなくもレティは気が付けばそのまま眠ってしまった。
さぞ快適な朝を迎えたかと思えば、そうでもなかった。
「……なんか、変な感じ…」
何か、おかしい。
心が騒めいて落ち着かないのだ。
くわっと欠伸一つして、隣に眠るクペを見やっては、ああ珍しくもクペより早く起きたことを知る。ノクトたちが見れば思わず目を背けてしまうほど悩殺的な格好だということを忘れていているレティはベッドから降りると素足のままバスローブの乱れも直さずにバスルームへと向かった。
バスローブをばさりと足元に脱ぎ捨て、バスルームに入りシャワーの栓をきゅっと回す。温かなお湯が頭上から降り注ぎ、レティは目を瞑って全身でその温かさを受け止めた。
だが、気分を変えてシャワーを浴びているにも関わらずやはり言いようのない不安感は消えない。
「…何なの…、これは」
たまらずにレティはバン!と両手で鏡に手をついた。
レティにとってこんな気持ちは初めてだった。
何も問題もないはず、環境もいい。これから結婚式に向かいノクトの晴れ姿を確認してきれいさっぱり消えるはずなのに。
いや、確かに問題はあった。あの男の存在をついぞ忘れていた。
いや、脳内から意図的に削除しようとしていた。
あの男は確実にレティの存在を掴んだという事実。召喚獣であるクペも同様にあの男は自分たちに目を付けた。なぜそう思うのか。
その裏付けは既にとれている。
男がこの辺で手当たり次第に配っていたというあの銀貨は神薙就任記念硬貨であることをディーノから教えられた時だ。理由としてはそれが一般で配られることはまずないこと、あの男が帝国関係者であることが決め手である。
このまま手立てなしにのこのこ敵地に赴けば、何かしらの罠が仕掛けられていることは明白である。最悪、レティは結婚式の途中で途中退席し隙を見て逃げなくてはならなくなった。だが向こうも式の最中に手荒な真似はしないだろう。
必ず機会を見て動くはず。その隙をついて脱出せねばいけない。その時は多少手荒な行動に出るかもしれない。レティは覚悟を決めいつでも戦える準備をしておかねばと気を引き締めた。
「絶対、逃げてやる」
鳥籠からやっと解放されたのだ。今度は鉄の檻に入れられるのは御免だとレティは決意に満ちた瞳で己に言い聞かせるように呟いた。
【何をしても逃げる覚悟はある】
※
「クペ、行くよ」
「……クポ」
何か言いたそうなクペを抱っこしてレティは部屋を出る。
リビングルームにはすでにプロンプトとグラディオそしてノクトが来ていてイグニスの姿はなかった。レティはクペを肩に乗せて、
「おはよ」
と挨拶をした。ノクトは普通に「はよ」と挨拶をしたが、プロンプトとグラディオの二人は暗い表情でレティを迎えた。
「あ、おはよう。姫」
「どうしたの、朝から葬式でもあったみたいな顔して」
レティは首を傾げながらノクトが座る隣の椅子に腰かけた。ノクトにどうしたのかと視線を投げかけるもノクトも理由がわからないようだ。
「……ある意味、そうかもな」
グラディオが苦虫を噛み潰したような顔をしてそう言ったのに対して、レティは意味わからないと困惑した。ここにイグニスがいないことと何か関係があるのだろうかとレティは考えたが、カチャリとドアがゆっくりと開き、イグニスが沈んだ面持ちで新聞片手に入室してきたのを見た時、やはり何かあったと確信した。
だがそれが、突然の訃報だとは思いもしなかった。
イグニスはグラディオに力なく新聞を渡しながら、
「どの新聞も同じだ」
というと、怪訝に思ったノクトが、椅子から立ち上がり「なにが」と尋ねた。
レティも椅子から立ち上がってグラディオが持つ新聞を覗き込む。そして、トップ記事を飾る一面を見て、一気に頭の中が真っ白になった。
プロンプトが抑揚のない声で、ある一文を読む。
「王都が、――陥落した」
「はぁ!?……なに、言ってんだよ」
ノクトは驚愕し、信じられないような声を出す。
イグニスは静かな声音でノクトとレティに話しかけた。
「落ち着いて聞いてくれ。ノクト、レティ」
「落ち着いてんだろ!?オレはっ」
ノクトは声を荒げながらイグニスへと詰め寄った。レティはいまだその記事に視線を向けたままだった。
「インソムニアがニフルハイム帝国軍の襲撃を受けたらしい」
「『昨日の夜、調印式の席で騒ぎがあった。帝国軍は王都城周辺を爆撃。国王陛下が――死亡』」
グラディオが読みあげる一文にノクトが息を呑んだ。
「おい、待てよ」
「知らされていなかった」
「何がだよ一体――」
「調印式は昨日だった。そして王都は――」
「バカ言うな!オレたちはオルティシエに」
「向かってたさ!だが襲撃されたと報じている。今朝の国内すべての新聞にだ」
イグニスは全て真実だという。
「――っ、冗談」
「だと、いいのに」
ふらふらとした足取りでノクトは力なく椅子に座り込む。
レティは、呆然とその場にへたり込んだ。
「嘘、……あの人が……しん、だ」
「まだわからない」
そう付け加えるイグニスの言葉などレティには届いていなかった。
死んだ、レギス王が。
もう二度と帰ってくるなとあの目は語っていたのだ。
だから帰るつもりもなかった。自分だけの世界を見つけると意気込んだはずだった。
けど……。
死ぬなんて。
「姫!」
プロンプトが膝をついてレティの体を支えた。
「あの人が、しん、だ」
あそこにはイリスが、クレイが、いる。私を受け入れてくれた人が、いるの。
母上だってあそこに眠っている。私を唯一愛しんでくれた人が、眠っているの。
あそこを荒らした?あの場所を襲撃したですって?
せめて安らかな眠りをと、静かな場所でねむっておられるのに。汚らわしい奴らは土足で踏みにじったのだ。
「……」
何も考えられなかった。
纏わりつく、死という言葉。レティにとって母を失った時の衝撃よりも強烈だった。
「し、んだ…」
言葉として口から出る単語の意味は知っている。
だが現実として受け止められなかった。レティには。
涙が、出ない。
泣かないって決めたから、泣けなくなった私は、非情な女だろうかとレティは思う。
悲しいという感情よりも、寂しいと思う感情よりも、激しい憎悪がレティを突き動かそうとする。プロンプトが切なそうにレティを見やった。
「……ニフルハイム帝国……」
「アイツらが、あの人を……ころした」
私は、あの人を毛嫌いしていた。
それは今も同じで変わらない。でも、だからって。
こんなこと、ある?
別れ際、あの人は普段とは違う穏やかな声だったような気がする。
『……ああ、お前も、な』
と。そもそも、なぜあの人は自分をこの旅に同行させた?
今まで外へ出ることをあれほど禁じていたのに、手の平返したみたいに許可するどころか命じてくるなどおかしい。
まさか、王都が襲撃されることをあらかじめ予見していた?
だから、私を外へ逃した??
私を、帝国側から守るために――?
「ははっ、ははは!」
「レティ?」
そんなわけない、あの人が私に興味を抱くはずなんかない!
だって、今の今まで私になんか目もくれなかったくせに!?
「ははっ、はは……」
きっと気のせいよ、私の気のせいよ。
そうよ、あの人は、私を見ないもの。
ああ、でも許しがたし。
母上が眠る場を乱すなんて。
私の大切な人がいる場所を壊すなんて。
【あの人を、私の許可なく、壊してしまうなんて】
許さない。
滝のようになだれ込む憎悪。言い知れぬ怒り。どうして自分にこんな感情が生まれるのかレティにはわからなかった。だが、どうしようもなくレティの心は抑えきれない怒りで染まっていまい、
「ニフルハイム、……潰してやる……。全部、つぶしてやる……!」
下唇を強く噛んだことでぷちりと皮膚が切れ、血がじわりと溢れ出した。口端から流れる血を拭うことも忘れ、レティは怒りに囚われた。
「許さない」
「レティ!」
クペがレティの怒りを全身で感じ取り必死にレティを止めようと体にへばり付いた。
だが、レティは止められない。止まらない。
「許さないわ」
レティを支えるプロンプトを乱暴な手つきで押し退けてふらりと立ち上がった。
まるで呪詛を唱えるかのように、「ニフルハイム、帝国…ニフルハイム、帝国…」と低い声で敵国の名を呟くレティの瞳は激情に渦巻いていた。
「レティ、おい」
誰かがレティに触れようとする。だがバチリ!と静電気が発したように弾かれ驚愕した。
ぶわりと広がる何か。
体が熱く燃え滾る。全身から何かが溢れ出してくる。
「駄目クポ!?」
「なっ!?」
「これはっ」
明らかにレティは魔力の暴走を起こしてしまった。
二度目の体験となるグラディオはその脅威に戦慄を覚えている。
レギスに頬を叩かれ、怒りから見る見るうちに形相を変えて様変わりしていくレティの姿を。
「レティを止めろっ!魔力の暴走だっ」
「これが?!」
感情のコントロールが効かない彼女はただ全てを破壊せんと周りを巻き込んでいく。
レティの体から発する高密度な魔力は全てを吹き飛ばす魔力の風を生み出しその猛威をノクト達に襲わせた。耐え切れぬ強風にふわっと体を浮かせられて勢いよく壁に叩きつけられる。
「ぐっ!」
「っ!?」
痛みに悶絶するノクトたちの周りでは同様に部屋にある家具たちも壁際に吹き飛ばされていた。レティは、被害を受けるノクト達に一切関心を向けずに、ガラスに向かって手を大きく開き向け一気に魔力を集中させためらいもなく放つ。すると
パリィィィ―――ンん
海を一望できるガラス張りに罅が入り瞬く間に砕け散った。
レティは己に降り注ぐ硝子の破片もものともせず、ゆっくりと外へ歩き出す。
硝子の破片がレティの頬を掠め、ピッと鮮血を飛ばす。だがそれでもレティは硝子を踏みしめて外へ出る。
頭上には先ほどまでの穏やかな天候から一転したどんよりとした雷雲が出現していた。
レティの怒りを敏感に感じ取った彼は、今か今かとその言葉を待ち望んでいた。
「全部、潰してやる……イクシオン!!」
レティの力ある言葉に、雷撃が海面へいくつも叩き落され大きな雷で創り上げられる異界へとつづくゲートが出現した。そこからやってきたのは雷の召喚獣イクシオン。
鼻息荒く、レティの怒りを全身で受け止めその怒りを同調させるように嘶き、レティの目の前にカツンと蹄を鳴らして海面から降り立った。
レティはそっとイクシオンの肌に手を伸ばし、イクシオンはレティの手に自ら擦り寄った。その怒りを我にも委ねよと言うように。
「私をインソムニアに、連れて行って」
そう囁くとレティは軽い身のこなしでイクシオンの背に跨った。
その背にクペは悲痛な声で叫ぶ。
「レティ、駄目クポぉぉ――!!」
幼い頃から共に過ごしてきた友の声は、レティには届かなかった。
「レティ――――!!」
ノクトの制止する声も聞こえない。自分の所為で痛みに耐える仲間たちも気にならない。
一度も振り返ることなく、レティはイクシオンと共にあっという間に駆けていく。
「全部、壊してやる」
レティは止まらない。
いや、止まれないのだ。
何かが、切れてしまった後だから。
【破壊に身を委ねて彼女は進む】
To be continued――