豊かなスローライフを目指して   作:どん兵衛

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四話

 

 僕が想像していたよりもずっと、私塾で過ごす日々は穏やかなものだった。

 始まりこそ曹操、袁紹といった超大物と出会ったことで慌てたが、二人と話すようになり、対決に連れ回され、呼び名が姓名から真名の華琳、麗羽へと変わる頃には深い親しみも感じた。

 華琳や麗羽だけに限らず、私塾のみんなとも仲良くなった。僕は未来の有力者候補だけでなく、誰とでも親しく接するように心掛けた。通い始めた当初は特に意識していなかったが、同じ教室で机を並べ、切磋琢磨し互いに高め合うクラスメイト達に、僕は次第に仲間意識を覚えていた。

 

 約一年ほど、私塾で学問を修めた。

 その間に起こったイベントは色々とあるが、取り立てて語るべき事といえばなんだろう。

 華琳に関するものだと、すっかり二人に慣れた僕と麗羽が余計なことを言ってしまい起こった「華琳、巨乳撲滅宣言(春)」と半年後、同理由で起こった「華琳、巨乳撲滅宣言(秋)」か。

 

「巨乳死ぬべし、慈悲は無いわ」

「華琳様!お考え直し下さい!!」

「ハハハッ。無いのは君の胸だろ華琳!」

「ごめんなさいね春蘭。私は修羅と化す宿命なの。で、大和────遺言はそれだけかしら?」

 

 僕も無茶をしたがる年頃だったのかな。

 華琳から空間が歪むほどの殺気を当てられた時には、自らの浅はかさを魂魄から悔いたものだ。

 そして、その頃には華琳と麗羽、それぞれの側近達とも顔を合わせていた。華琳は夏侯惇と夏侯淵。麗羽は顔良に文醜。四人全員が女性であったことには、もはや驚きは感じなかった。

 彼女達の姿を見ていると、僕にもやがて部下ができるのかと考える。荊州だと誰になるんだろう。甘寧に魏延。それに黄忠が加わってくれれば相当厚みがあるな。全員とは欲張らないが、誰か一人でも加わってくれないだろうかと思う。

 

 次いで麗羽に関するものだとなんだろう。色々とあるが、やはり一番はアレかな。

 娯楽の提供にと僕が時代を1000年以上も先取りして考案した麻雀が「高い知性と閃き、そして天運が求められる雅な遊び」として私塾内で、そして都で流行ったことで起きたイベント。

 

「あら、どうしましょう?」

「ちょっと麗羽、切らないと始まらないわよ」

「まあ、麻雀って慣れるまで大変だからね。どれ僕が見てあげ────あれ?和了ってる?」

 

 そう「麗羽、炎の80連勝達成」だ。

 運が強いとかそういう次元じゃ到底語ることのできない麗羽の豪運イベントである。

 簡単に説明すると麗羽が通常、4人で行う運の要素が非常に強いテーブルゲームで、ルールも把握し切れていないスタートから80連勝を達成するという、無類の強さを誇ったイベント。

 麗羽に食い下がれたのは、ルールを瞬く間に理解しては誰よりも高い状況判断能力に長けた華琳と、麻雀の発案者であり、隙あればイカサマを行っては小遣い稼ぎしていた僕ぐらいだった。

 そんな麗羽の連勝記録を止めたのは、連敗続きで悩んでいた華琳が苦闘の末、覇王の闘牌に目覚めたことで麗羽の牙城を遂に崩すという、これまた説明が難しい覚醒イベントが起こったことも記憶に新しい。色々と僕の知る麻雀とは大きくかけ離れていたが、楽しかったし別にいいかな。

 

 緩やかに流れる時間の中で、楽しくも穏やかな日々を過ごすのは心地良いものだった。

 だが、僕達はいつまでも同じ地点に留まっているわけにはいかない。郷挙里選の時期が迫ると、僕と華琳と麗羽の三人は揃って出身の国郡より考廉に推挙されることが決定した。

 

「さて、いよいよなんだけど────」

 

 それに合わせて私塾の卒業日時も決まり、さあ本格的に役人へ、という今日のこと。

 僕は深く悩んでいた。このまま卒業を迎えてしまって、果たして本当にそれでいいのかと。

 悩みの種は華琳と麗羽の二人についてだ。親しくなれたのは嬉しいことだが、今のままで満足していて果たしていいのか。二人の友人という恵まれた地位をもっと活かすべきではないか。

 僕は思う。今のままだと、いざ乱世となった際、たとえ友人関係にあっても「悲しいけど、これ戦争なのよね」という言葉と共に攻められるかもしれない。というか普通にそうなるだろう。

 

「────うん、そうだな。体が健康であるうちにこそ、保険は正しく掛けておくべきだ」

 

 僕の目指すスローライフに平穏は必須だ。

 ならば一体どうすればいい。僕はしばらく思い悩み、やがて一つの結論に辿り着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────と、言うわけだから華琳。この血判状に署名と血の拇印を押してはくれないか?」

「何事!?」

 

 卒業も間近に迫った、とある日の夕暮れ時。

 私塾帰りの華琳に声をかけては、人影の無い校舎裏まで連れ出し、僕は話を切り出した。

 

「こんな場所に連れ出して、一体何事よ」

「これは互いに悪くない話だと思うんだ!」

「思うんだ、じゃないわよ。大和、貴方はこの国を相手取って反乱でも起こす気?」

「まさか。僕ほど平和を愛する人も居ないよ。既に僕の署名と拇印は済ませているからさ」

 

 僕が悩み、導きだした答えとは、華琳と麗羽の二人と将来的な不可侵条約の盟を結ぶこと。

 互いの治める領土を尊重し、侵略行動の一切を禁じ、仲良くしようというもの。出来れば三人それぞれで結べればベストであるが、流石に戦う宿命にある華琳と麗羽が結ぶのは困難だろう。

 

「まったく、こんな怪しい物を用意して貴方は────って、中々質の高い紙じゃない」

「僕は準備を惜しまない性質でね」

「あら、そう。ま、なんにしてもダメ。私は書かないわよ。そんな得体の知れない物なんてね。なぜか麗羽の名前が貴方の名前の横に書かれているけど、私はなにも見なかったことにするわ」

 

 ダメ元で頼んでみたが、案の定ダメだった。

 こんな怪しい物に署名してくれるなんて麗羽ぐらいか。その麗羽ですら拇印はダメだった。

 トントン拍子で署名まで漕ぎつけたはいいが「君の血が欲しい」と言った後から妙な雰囲気になってしまった。まあ、血なんて欲しがられたら困惑するのも無理ないか。

 

「血の証明だけでも済ませてくれれば僕も譲歩する準備はある。署名は代筆でも可としよう」

「そういう話じゃないのよ」

「う、うーん。なら血ではなく朱肉による拇印でも────いや、それは流石に足りてない?」

「足りていないのは大和、貴方の倫理観だと思うのだけど、まあいいわ。とにかく、とにかく私は書かないし押さないわよ。そんな物には」

 

 やっぱりこうなってしまうのか。

 統一志向の強い華琳は難しいと思っていたが、ここまで取りつく島もないとは悲しい。

 だが、この世界でも将来的に僕ら三人の治める領土が、僕の知る未来のそれと一致していると仮定した場合、華琳の同意は必要不可欠。

 麗羽とは地理的な関係から軍事衝突に発展する可能性は非常に低いが、華琳は領土が隣接するから不味いんだよね。華琳が北の麗羽を打ち破って南下してきた時、次の狙いは僕の領地となる。

 

「つまり華琳は僕の命を所望すると」

「どうしてそんな極端な話になるのよ」

「うーん、やっぱり麗羽と組んで早い段階で華琳を仕留めるのが平和的なのかな…………」

「────へえ、それもまた面白いわね」

「うそうそ、冗談だよ。僕に軍才なんてないし。まあ、それ以前にそもそも僕は────」

 

 華琳が南下してくる時期まで生きてるかな。

 三国時代の劉表は丁度その頃、寿命か心労かまでは覚えてないが、死んでしまったはずだ。

 まあ、この世界の劉表である僕は本来の劉表より遥かに若い。正確な年齢までは把握していないが、おそらく本来の劉表と僕は、親子ほどの大きな年の差があるはずだ。

 

「麗羽もだけど、華琳とは特に争いたくないんだよね。僕じゃ敵わないだろうから」

「あら、自信ないのかしら?」

「争い事はごめんだよ。僕は将来、領主となった後は静かに穏やかに過ごすと決めてるんだ」

 

 そうなると生き残ると仮定する方が正しい。

 何かの拍子にポックリと死んでしまうのかもしれないが、そんなこと考えても仕方ないし。

 なぜか歴史上の主要人物が女性のこの世界。年齢や性別に変化があるように、先の歴史にも相応の変化が生じる可能性を考慮しては、あらゆる不測の事態にも備えておくのが賢明。

 だからこその血判状。華琳と麗羽の安全を買えれば、歴史がどう変化しようが乗りきれそうなんだよな。でも、やっぱり厳しいか。麗羽も拇印ないし、書いたことを忘れてそうな気もするし。

 

「ふーん、静かに穏やかに────ね」

「ん?」

「大和、貴方は平和を望みながらも、動乱期の到来を確信して動いているんじゃないの?」

 

 僕の知る歴史とズレが生じている世界。

 この先の世がどうなるかなんて、僕には確信をもって言い切れることは何一つない。

 だが、そんな中でも華琳は、たとえ歴史がズレようが主役を張るだろうと確信していた。

 そして同様のことが麗羽にも言える。手垢のついた表現になるが、要するに二人は大器。麗羽の場合は晩成タイプかもしれないが、完成に至れば天下を取れる資質を秘めていると見ていた。

 

「…………確信はしてないよ」

「あら、本当にそうかしらね?」

「昨今の情勢とこれまでの歴史を鑑みれば、そんな未来も十分起こり得る事ってだけの話さ」

「ええ、そうね。私も同意見だわ。言うならば乱世。古く淀み腐った時代は終焉を迎え、新たに個々の才覚が強く光を放つ世が来るのよ」

 

 だからこそ、多少強引にでも二人と血の固い契約を交わしたかったのだけど────。

 

「やっぱり貴方は先が見通せているわね」

「そうかな?」

「ええ、そうよ。私がこれまで出会った者の中で、間違いなく貴方が一番才知に富んでいるわ。だからこそ私は、貴方の提案を受けることはできないの。近い将来、きっと後悔してしまうから」

 

 華琳は僕と結ぶよりも戦いたいようだ。

 なんとも価値観が合わないように思う半面、少しだけわかるような気もする自己矛盾。

 

「後悔の無い人生なんて、きっとつまらないよ」

「そうかもしれないわね。それだったら大和、貴方が私を後悔させても構わないのよ?」

 

 陽は西に傾き、空は茜色に染まる。

 花も恥じらう美しい容姿から放たれる言葉の下では、地に伸びた影が妖しく蠢いていた。

 その影に僕は「乱世の奸雄」という言葉を思い出す。良い意味とは言い切れないが、乱世を呑みこみ、収める人物は、華琳のような大器なのだと思う。やっぱ血判状、書いて欲しかったな。

 

「はあ、面倒な世になるね」

「ワクワクしてこないかしら?」

「どうだろう。僕は君や麗羽のように親しい友人と平和的に過ごせたら、他は強く望まないよ」

「欲があるような無いような話ね。そして確かに、貴方は私が友と呼ぶに相応しいわ。この私を幾度も打倒した才覚も、誰とでも打ち解ける包容力の高さも好ましく思う。だからこそ────」

 

 沈みゆく日輪を背に華琳は微笑んだ。

 淡く朱に染まる空にあっても、華琳の髪は霞むことなく黄金に強く光り輝いていた。

 

「────友よ強く気高く在りなさい。小人のような振る舞いは貴方には相応しくないわ」

 

 そう言われればもう、返す言葉がなかった。僕は目を閉じては華琳の言葉に小さく頷く。

 僕にとっての幸運は、華琳と麗羽の二人と知り合えたことだろう。そして不運もまた、二人と知り合ってしまったことかもしれない。

 乱世。これも時代の流れなのかな。未来を知っているかといって避けられるような緩慢な流れでなければ、時代の勝者に与すれば必ず勝てるという安易な保証があるわけでもない。

 劣勢であるからこそ勝ちを拾え、優勢であっても敗れるのが世の倣いだ。僕が介入することでひっくり返る盤上もあれば、逆もまた然り。未来を知る優位性に胡坐をかくのも考えものか。

 

「そして大和。貴方が麗羽と一緒に行った私に対する数々の無礼。忘れてないから」

「僕の記憶には既にないな…………」

「ふふふっ。まあ、いいわ。私にとっても楽しい日々であったことには、違いないからね」

 

 僕の目指すスローライフへの道は険しいな。

 おそらくはこの先も、僕は華琳と麗羽の二人と深く関わっていくことになるんだろう。

 まあ、楽しい日々を送れるのなら、それもまたいいかもしれない。たとえ本格的に華琳と構えるハメになったとしても、それはまだ十年、二十年以上も先の、遠い未来のことなんだから。

 

 こうして僕らは私塾を卒業した。

 そして程なく考廉に推挙されては郎官となり、来る日に備えては英気を養う日々を送る。

 

 


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