豊かなスローライフを目指して   作:どん兵衛

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五話 女の戦い

 

 私塾を卒業し、考廉に推挙されて郎官となった劉表、曹操、袁紹の三人。

 郎官とは光禄勲に職属する。そこで次代を担う新人官僚として経験を積んだ上で転出────という小難しい話は省略し、ここでは劉表、曹操、袁紹の関係について今一度触れることにする。

 私塾時代と同様、郎官となっても三人は何かと一緒にいることが多くあった。関係は変わらず良好、と続けたいところではあったが、卒業間際に劉表が袁紹に血判状の一件で「君の血が欲しい」と言ってしまったことで、三人の関係は少なくない変化を迎えることになってしまう。

 

「わ、わたくし大和さんから熱烈な求婚を受けましたわ。ああ、どうしましょう…………」

 

 主に変わったのは袁紹。

 袁紹は劉表の言葉をプロポーズの一種であると受け止めては顔を赤らめ、戸惑いを見せる。

 袁紹にとって劉表の言葉はまさに青天の霹靂。あまりにも急な告白。袁紹は大いに戸惑い、返事を返すことも叶わぬまま私塾を卒業しては、郎官となった今日まで至った次第である。

 それでも悪い気はしていなかった。袁一族の威光を恐れ、これまで出会った多くの人々は媚び諂い、または平伏し、上辺だけの浅い付き合い方を選ぶ中、劉表は自分と真っ直ぐに向き合ってくれた。袁紹はそれが嬉しかった。劉表と同じく、袁紹も劉表に深い親しみを感じていた。

 

「し、しかし急!急な話ですわ!!」

 

 だが、袁紹は返事ができなかった。

 その理由は単純に、袁紹は劉表のことを親しい友人としか見ていなかったからである。

 異性として見る、という発想がなかった袁紹。袁紹はこの時代でも屈指の名門の出自。つまりは生粋の箱入り娘。異性と接する機会自体さえ乏しければ、求婚なんてもっての外である。

 屋敷の自室にて目をグルグルさせては戸惑う袁紹。その脇には側近の顔良(斗詩)に文醜(猪々子)の姿もある。二人は未だ戸惑う主である袁紹に対し、ニヤニヤとした視線を送っていた。

 

「ヒュー!姫、やっるー!」

「良かったですね麗羽様。私、麗羽様はあんぽんたんだから一生、行かず後家とばかり…………」

「斗詩さん!?」

 

 黒いジョークも飛び出す和やかな室内。

 戸惑う袁紹とは裏腹に、顔良と文醜の二人は凄く良い話であると思っていた。

 それもそのはず、劉表も袁紹と同じく名族の出自。この世界、袁紹と釣り合う家柄の異性となると希少。さらに同年代で当人同士が親しい間柄とあっては、その価値はさらに倍増する。

 劉表は私塾での成績も極めて良く、言葉遣いも丁寧で穏やかな人柄をしていた。史書にて「身の丈8尺、威厳ある風貌で容姿も非常に立派」と称えられた劉表に転生しただけのことはある。

 背は高く、威厳は些か足りていないかもしれないが、涼しげな風采の良い男であった。後に出会う荀彧(桂花)をもってしても、劉表の容姿を罵倒するのを躊躇ってしまうほど優れていた。

 

「なあ、斗詩。あたいですら良い話ってわかるのに、姫はどうして悩んでんだ?」

「だよね、文ちゃん。麗羽様も半分照れ隠しだと思う────って、この話も何度目だろう?」

 

 そんなわけで名族にして秀才、秀麗、性格良しと、実はハイスペックな劉表。

 しかし名族は袁紹。秀才は曹操という、この時代を代表するチート二人と常日頃から接しているせいか、劉表自身にその自覚は薄い。

 劉表は傍から見れば十二分に袁紹、曹操の二人と比肩し得る存在だった。もし袁紹が袁一族の者にポロッとこの話を洩らしていれば、即座に囲い込みに走られるほど、都での評判も高かった。

 

「む、むむ、むむむむむ…………ですわ」

 

 それでも煮え切らないのは袁紹。

 年頃の乙女心というのは難しいもの。ガラス細工のように繊細で、それでいて移ろいやすい。

 袁紹は劉表を親しい友人としてだけではなく、一人の異性として見るようになってからというもの、自らの察しの悪さを深く恥じていた。

 思い返せばそれらしいサインは何度もあった。劉表が自分と話す時、頻繁に視線が胸へと流れていたことも、悪戯な風が衣服を捲り上げた際に、満足そうに何度も頷いていたこともそうだ。

 劉表は自分のことをずっと愛していたのだと袁紹は気づかされる。そして思う。あの日、あの時、あの場所で劉表が放った言葉。「君の血が欲しい」。なんと優雅でストレートな求婚であると。それなのに、それなのに自分は────。

 

「わたくしはなんと愚かな…………。呆気に取られては茫然と立ち尽くすなど、優雅さの欠片もない所業。そして大和さんはあの日以来、この件について頑なに話そうとはしない。まさか、わたくし避けられているのでは…………?」

 

 袁紹の脳裏に不安が過ぎる。

 察しが悪く、優雅さの欠片も示さなかった自分は見限られてしまったのではないかと。

 不安が過ぎる。が、そこは底なしのポジティブ思考の袁紹。すぐに方向性を改めては、自分の都合の良い解釈をとる。それは────。

 

「────いえ、違いますわ!これは試練!試されているのですね!わたくしが優雅で華麗な答えを出す日まで、大和さんは敢えて待たれているのですね!ええ、納得ですわ!なるほど!!」

 

 袁紹はそう解釈し、いよいよ覚悟を決める。

 

「そうと知れば────斗詩さん!猪々子さん!大和さんの下へすぐ行きますわよ!!」

「なんか急展開だけど、まっいつものことかー。あらほらさっさーっ!」

「はーい。私が心労に悩む日もやっと終わるんですね。あの方なら麗羽様を御せるはずです!」

 

 こうして袁紹一行は屋敷を出発し、それから数刻後、街にいた劉表を見つけることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見つけましたわ大和さん!!」

「探したぜ大和!さー覚悟するんだ!」

「私の心労のためにも絶対逃がしませんよ!」

「────ん?麗羽…………と、それに斗詩に猪々子もか。相変わらず君達は賑やかだね」

 

 開口一番から物々しい三人の言葉にも劉表は動じず、慣れた様子で対応する。

 この時期にもなると曹操と袁紹の側近達とも真名を交換していた劉表。先の時代の猛将達とも友好的な交流を深め、着々とスローライフに向けての地盤固めが進んでいた。

 

「大和さん!お話がありますわ!!」

「どうしたの?」

「それは…………え、ええっと────ま、まだ考えがまとまっていないのでお待ち下さい!」

 

 特に返答を考えないまま、矢のように屋敷を飛び出してきた袁紹はたまらずタイムを宣言。

 劉表はこれを承諾。この手のやり取りも割とよくあることだった。劉表は袁紹達がやってくるまで考えていた仕事のことを一旦思考の脇に置き、目の前の三人に意識を向ける。

 優雅な返答に悩む袁紹。その様子を見た顔良と文醜の二人は目配せを交わし、袁紹の返答が決まるまで劉表が状況に混乱、または退屈しないようにと話し相手を買って出ることにする。

 

「まーまー大和さんや。姫が落ちつくまで、あたいらの話し相手になってくれよ!」

「それはいいけど、なんかあったの?」

「それはだなー大和────って、うん?これからはアニキって呼んだ方がいいのかなー?」

「え、なんで??」

 

 まずは文醜が声をかけるも狙いは外れ、さっそく混乱する劉表。

 そんな劉表の肩を文醜はパンパンと叩きながら「わかってるくせに」と陽気に笑う。

 劉表はさっぱりわからなかったので、やってきた袁紹、顔良、文醜の三人の中で唯一の常識人にして、苦労人ポジションの顔良へと視線を送り、状況の説明を求めることにした。

 

「ごめん、斗詩。説明頼める?」

「またまた大和さんったら、気づいてらっしゃるくせに!焦らすなんてニクい演出ですね!」

「え、ぜんぜん気づいてないけど、何事?」

「これからは大和様とお呼びするべきなんでしょうか。大和様。ああ、実にしっくりきますね!」

 

 頼みの顔良も不発に終わり、劉表ますます混乱。そして役目を果たさない顔良と文醜。

 文醜に続いて笑みを浮かべる顔良からも、控え目に肩をポンポンと叩かれる劉表。劉表は状況がさっぱり掴めずに混乱するも、なんとなく二人の空気から悪い話ではないことを察する。

「なら、まあいいか」劉表は思う。よくわからんが、三人の中では呼び名を変える遊びでも流行っているのかもしれないと。そして本命である袁紹を見る。袁紹はそれからも少し考え込むも、やがて意を決したように胸を張っては口を開く。

 

「大和さん!あの時のお返事ですわ!」

「あの時?────ああ、うん。頼むよ」

「わたくしずーっと悩んでましたの。ですが今日!この場で!お返事致しますわ!!」

 

 あの時、という抽象的な言葉で察する劉表。

 珍しく言葉を選ぶ袁紹。妙に馴れ馴れしい感じの顔良と文醜。そしてあの時という単語。三つのヒントから劉表は、変な雰囲気になったせいで保留気味に流れた血判状の話であると察する。

 ここで「あの時っていつの時のこと?」なんて言ってしまえば興醒めとなる場面。僅かなヒントから答えに辿り着くあたりは絶妙に察しがいいが、袁紹から放たれている桃色の空気に気づいていないあたりは絶妙に察しが悪い。

 

「君の答えを聞かせて欲しい」

「お待たせしてしまい申し訳ありませんわ。是非拝聴下さいまし。わたくしは────」

 

 袁紹の出した答えは要約するとこうだ。

 申し出はありがたく受ける。が、お互いまだ年も若く、幾分未熟な身の上であること。

 まずは互いにきちんと実績を積んだ上で、名族として相応しい地位にまで昇る。そして結ばれるのが最良の道ではないかということ。

 袁紹には「無条件で快諾してもいい」という気持ちもあったが「流石にちょっと恥ずかしい」と思う乙女心もあった。そして何より「自分の気持ちを正しく理解する」という点においては一定の時間が必要だった。要するに袁紹は、結ばれる過程においてのロマンを求めたというわけだ。

 

「スッキリしましたわ!」

「ふむ、麗羽はそういう考えか…………」

 

 袁紹が素晴らしかったのは屋敷での目論見通り、実に優雅で華麗な言葉選びが出来たこと。

 そして袁紹が不味かったのは、その優雅で華麗な言葉選びが良すぎたことであった。求婚に対する返答のつもりであった袁紹、それに顔良と文醜には正しく伝わったのだが────。

 

「なるほど(同盟を)結ぶのは時期尚早と」

「そうです(婚姻を)結ぶにはまだ少し、わたくし達には時間が必要なのではないかと」

「確かに実績もないしね。そんな中で結ぼうとしても、空手形に終わるかもしれないか…………」

 

 不可侵同盟の返答のつもりで聞いていた劉表には正しく伝わってはいなかった。

 袁紹が普段の調子で答えていれば劉表も「何かおかしいな?」と気づいていたが、珍しく真面目な口調で話すものだから、逆に劉表に勘違いされてしまうという、悲しいすれ違いっぷり。

 

「あ、あの…………わたくし、実のところ気持ちの整理が、自分でも不十分のまま話を始めていたのですが…………その、いざ話していると、心が躍っている自分自身に気づかされましたわ」

 

 照れる袁紹というレアな光景も────。

 

「僕をそこまで評価してくれて嬉しいよ」

「も、もちろんですわ!」

「しかし麗羽の言う通りだな。きちんと実績を積んでからの方が、より効果的かも…………」

「その通りですわ!周囲の者達にも祝福されてこそ、結びつきも強まるというものですわ!!」

 

 熟考に至る劉表には気づかれぬまま、何事もなく華麗にスル―されてしまい────。

 

「よし、なら頑張るか!」

「そ、そうですわね!頑張りましょう!」

「より豊かな未来を掴むためにも互いを励みとし、高みに昇るとしようか麗羽!」

「は、はい!大和さん。きっとわたくし達なら位人臣を極めることだって出来ますわ!!」

 

 結局、劉表と袁紹の思惑はすれ違ったまま、話は良い感じにまとまってしまったのである。

 それに対する袁紹の側近である二人の反応は両極端。静かに黙っていたという点では同じであったが、途中から話が難しくなりわからなくなった文醜は、最後の二人の言葉を聞き────。

 

「なーんか途中からよくわからなかったけど、とにかくあたいは今、猛烈に感動している!」

 

 と、適当に納得していた。

 一方の顔良は文醜とは違い話を最後まで理解できていた。が、それ故に結論に納得できない。

 

「あ、あのお二人様…………?」

「なに?」

「なんですの斗詩さん?」

「名族同士の結びつきに、実績なんて言う程必要あります?そこはゴリ押しで封殺してしまえばよろしくありません??どうせ反対派なんていらっしゃらないと思いますし、ね…………?」

 

 この場で決まると踏んでいた顔良にとって二人の結論は非常に困るものだった。

 下手をすれば年単位どころか十年単位でかかる話。同盟を結ぶつもりの劉表にとっては全く問題ないのだが、袁紹側にとっては長い目で見すぎている感も否めない。

 というか顔良の本音は劉表と袁紹が結ばれた上で、劉表が私生活では度々暴走気味の袁紹と文醜の手綱をガシッと握り、自分の負担を減らしつつ、四人で仲良く楽しい日々を送りたいというものだった。ある意味では顔良もスローライフを目指す同志。方向性も地味に似通っていた。

 

「そこは浪漫ですわ!」

「そうだね。別に急ぎの話でもないし」

「ちょ、ちょっと大和さん…………いえ、大和様!お願いします!お考え直し下さい!!」

「そんなマジになられても…………って、まだ様付け続いてるんだね。意外と違和感ないけど」

「今でこそ麗羽様はキリッと真面目に話されてますが、どーせ明日になったら突然また発作みたいに高笑いを始められるんですよ??それに文ちゃんも便乗して私の心労さらに倍、ですよ??」

「ハハハッ。いつものことじゃないか!」

 

 顔良の叫びも届かず、劉表と袁紹は話し合いに満足したまま、やがて解散の流れとなった。

 

 

 

 

 

 今回の話には続きがあった。

 どうにもすれ違う劉表と袁紹とは別に、全ての事態を正しく把握している人物が一人いた。

 

「はあ、耳の痛い会話が聞こえるわね…………」

 

 劉表達四人の会話を偶然耳にした曹操。

 少し離れた場所から様子を窺っていた曹操だったが、次第に話が食い違っていることに気づく。

「放っておいてもいいけど…………」と考えるも、仕方ないので間に入ってあげることにした。そしてこのまま曹操が場を正しく収めていれば、今回の話はそれで終わっていたのだが────。

 

「────ふふふっ」

 

 四人のいる場所に近寄ろうとする曹操。

 いち早く曹操に気づいた袁紹が、意味深な笑みを浮かべたことで話は縺れることになる。

 袁紹の笑みは普段の高飛車なそれとは違う種類の、余裕ある勝ち誇った女のものだった。それを狙ってやったかどうかは定かでないが、その笑みは曹操のプライドを刺激するには十分だった。

 

「────ふーん、そう。まあ、いいわ。麗羽がそのつもりなら、乗ってあげようじゃないの」

 

 人知れず曹操が静かに笑みを浮かべる。 

 こうして劉表本人が知らぬところで、劉表を巡る女の戦いの幕が開かれようとしていた。

 

 




次話で続きを書いて私塾編は終わりです。
いつになるかはわかりませんが、袁家強制ルートの閑話も派生で書ければと考えてます。

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