そこは、およそ人の生存が許される領域ではなかった。
吹き荒れる紅蓮の焔。溢れ出す純白の光輝。立ち上る濃密な魔力――十秒、いや一秒とて常人には耐えられまい。どれ一つをとっても人間が耐えられるレベルをはるかに超えている。
だがいた。そこに。焔と光が一点へ収束し、ようやく只人の目にも見通せるようになったそこには、確かに一人の男が立っていた。
ひどい有様だ。
代名詞となった真紅の外套はずたずたに裂け、そこから垣間見える鎧や手甲はぼろぼろに砕けて素肌が見えている。その肌も裂傷や火傷、青あざまみれで見れたものではない。
それでも――それでも、彼は立っていた。抱いた奇跡に押しつぶされることもなく両の足でしかと大地を踏みしめて、ぼろ雑巾のようにされながらも爛々と輝く瞳に宿す戦意は欠片も衰えている様子はない。
その手には、剣があった。焔と光が象ったこの世界における究極の一。星の産み落とした神造兵装。
星の聖剣。
「――軍神マルスの光をここに」
対するは三条の輝きを示す異形の剣。星の聖剣よりさらに旧い、太古の神が振るった神造兵装の原典にあたる武装。アルテラが練り上げる魔力を吸い上げて輝きをいや増していくそれは、今にも力を解放せんと猛り狂う。
刀身をはい回り、バチバチと大気を焼く紫電が一際大きく散った瞬間、空間に穴を穿つ勢いで軍神の剣が突き出される。かっと瞬いたそれは五条の光芒を放ち、目にも鮮やかな赤い光弾が満身創痍を絵にかいたような外套の騎士めがけてくらいついていく。
その一つ一つが堅牢な城壁を粉々に破壊するだけの威力を持ち、まともに受ければたとえ万全の状態であっても即死を免れない。今の彼ならば言わずもがな、かすめただけでも致命傷だ。
「おおッ!!」
傷だらけの体に鞭打って外套の騎士が動く。気合一閃。ローマ軍の標準的な装備である
「砕くッ!」
アルテラは気にも留めず、軍神の剣を高々と振り上げた。彼女を焦がす衝動の出所は知れたのだ。もはや一切加減をする理由はない。虹の残像をまとってうねる刀身が、鎌首をもたげた蛇のように狙いを定めて振り下ろされようとしている。
「ぐっ?!」
――が、しかし。アルテラが追撃を放たんとした瞬間、燦然と輝く物体が彼女めがけて飛来する。絶妙なタイミング。アルテラは舌打ちしながら軍神の剣を無理やり引き戻して
投擲物は軍神の剣とぶつかり合い、火花を上げて空へ舞いあがった。日光を反射して白刃がギラリと光っている。
そう。星の聖剣。外套の騎士が持つ唯一にして最後の武器。つい先ほどまで振るっていたそれを、彼は一切の躊躇なく投擲していた。
「――ッ!!」
一歩、二歩三歩――呼吸の手間さえ惜しむように、稼いだ一拍の間を最大限に利用して外套の騎士は無手のままアルテラに打ち掛かる。構えは斬り下ろし。肩口へ引き絞られた両手の先に紅蓮を携えて、鬼の形相で振り下ろす。
「成程……っ!」
一見すれば意味不明、ともすれば滑稽にも映るその姿を見て、瞬間的に悟ったアルテラは即座に軍神の剣を構え直した――直後、同時に振り下ろされた剣がぶつかり合って火花を散らす。
「出し入れ自在、というわけか。便利なものだな」
鍔迫り合い。あり得ざる光景。瞬き一つ前まで確かに無手だった騎士の手には再び聖剣が握られ、紫電をまとう軍神の剣と真っ向からぶつかり合っている。
弾かれた聖剣がタイミングよく落下してきて、それを外套の騎士が見事につかみ取った――などという、そんな都合のいい現象が起きたわけではない。
これは必然、当然のこと。外套の騎士は、なにも考えなしに聖剣を投げつけたわけではなかったのだ。
上空を舞った聖剣が陽炎のように揺らぎ、焔となって彼の掌中へ舞い戻る――その一部始終を、アルテラの瞳は確かにとらえていた。
「ッ!!」
ぎりっ、と歯ぎしりが響く。至近で紅と碧の視線が交差した。
「なっ」
ふっ、と。唐突に支えを失って、アルテラがつんのめるように体勢を崩す。外套の騎士が聖剣を消したのだ。再びの驚愕。鍔迫り合いからそんな真似をすれば、何かする前に即座に斬りこまれて致命傷を負うのが関の山。
しかし、極限状態にある外套の騎士は、そんな常識を軽々と踏み越えてさらなる離れ業を実行してみせた。
「貴、様……っ?!」
コンマ一秒でも遅れれば軍神の剣がその身を焼き切る……そんな状況にありながら、外套の騎士の行動には一切の怯えが見られない。いや、そんな状況だからこそ怯える余裕さえ持てないのか。直感的にそれを可能であると判断したのなら、躊躇なく実行に移すのが今の彼だ。
半身になって一歩踏み込む。自身の腕をアルテラのそれに蛇のように絡みつかせる。そして、彼女に振りほどかれる前に
「おおおお!!」
ハンマー投げの要領で、明後日の方向に向けてアルテラを投げ飛ばした。きりもみしながら飛ぶアルテラの姿は見る見るうちに小さくなっていく。
が、そこまで。絶好のチャンスでありながら追撃は放たれない。当たり前だ。聖剣抜刀からここまで、怪我の影響など微塵も感じさせないで奮戦してみせた外套の騎士だったが、その体は今にも斃れそうなほどボロボロであることに変わりはないのだ。
「……トゥ、トゥニカ」
「…………」
「おい……おい、返事しろ」
がくりと、騎士が膝をつく。ようやく事態を飲み込みつつあった友人たちの声が、外套の騎士の耳に遠く響いた。
近くで見ればことさらに痛ましい。処々の傷からは今でも血が滲んで赤い外套をなお赤く染め、赤紫に変色した斑紋がそこかしこに浮かんで見た者のほうが呻き声をあげそうなほど。総じて、生きて動いていること自体が奇跡といった様相だ。
はっとした様子で、へたり込んでいた一人が声を上げる。
「逃げ、逃げる、ぞ。このままじゃ、全滅だ!」
「あ、ああ。けど、馬が」
「……走るしか、ない」
「こいつを抱えて? 無理だ! あの化け物から逃げ切れるわけない!」
「やるしかない! どう見たってトゥニカのはもう限界だ!」
「た、たたあ……戦う、のは」
「馬鹿か! あんなぴかぴか光る剣だか鞭だか分からんもん扱う奴とどう戦えって?! 一秒経たないうちに輪切りにされ――お、おいトゥニカ?!」
喧騒に反応して、外套の騎士がぼうっとした顔で振り返った。瞳の焦点があっていない。烈火の如き攻勢をかけた先ほどと打って変わって、今の彼はまるで消えかけの種火のようだ。そよ風でさえかき消されてしまいそうな儚さがある。先の雄姿は、燃え尽きる前の一瞬の輝きであったのか。
彼の瞳に映っているのは、友か、はたまた手招きする死神の姿か。
「くそっ。肩貸せ、走るぞ!」
「…………」
「トゥニカ? トゥニカッ?!」
「……大丈夫」
「……は?」
「ああ、大丈夫、大丈夫だ」
焦りを募らせる友人たちとは裏腹に、ひどく落ち着いた声音で、ふわりと、この場に似つかわしくない微笑みさえ浮かべて。
彼は言う。
「皆は、俺が護るよ」
――焔、未だ消えず。
「……やってくれる」
他方、投げ飛ばされたアルテラは、二度三度と地面を転がってようやく起き上がった。火事場の馬鹿力、とでもいうべきか。思いのほか凄まじい勢いで放り出されたアルテラは、ぎょろりと刃のような視線を向ける。
「……」
膝をつく騎士の姿が見える。何やら友人たちと呑気に言葉を交わしているようだが、そんなことはアルテラの知ったことではない。
まだそこは、彼女の手の届く場所だ。
「
再び暴力的なまでの魔力が立ち上り、湧き上がる傍から軍神の剣がそれを飲み干していく。虹の煌めきを散らしながら、天まで届けとうねり伸長するそれは大蛇か、竜か。
「――砕け散れ」
言葉は静かに。されど巻き起こされるは静寂の対極。それまでの大破壊が遊びに見える、空間そのものをたたき斬らんばかりの暴虐的一閃。
対して外套の騎士は即座に反応して見せた。輝きを放つ聖剣が再度顕現。瞬間的に練り上げられた魔力を平らげて切っ先から豪炎をまとう。そのまま躊躇いなく唐竹に一閃。彼の命を糧に燃え上がる焔は弧を描いて空を駆け、空間さえ断ち切らんとした虹の斬撃と真っ向から衝突した。
轟音。耳を聾する破裂音が弾けて大地をも振るわせ、爆発とともに巻き起こった黒煙が一時的に両者の視界を遮る。
呆れるばかりの持久力だった。あれだけズタボロになった身体の、どこにそれだけの力を残していたというのか。とはいえ事実は事実、外套の騎士は見事に一閃を防ぎきる。
「これも耐えるか」
ぽつりとこぼされたアルテラの言葉には、仕留めきれなかった落胆も凌がれた恐怖もない。もとよりここまで粘って見せたあの騎士が、あの程度の一撃で沈むとは考えていなかったようだ。
次手、先に動いたのは外套の騎士。続けざまに放たれたと思しき焔の斬撃が、一つ二つと黒煙を割って飛来する。
焦ることなく、アルテラは大地に軍神の剣を突き立てた。瞬間、度肝を抜く光景が現れる。豪、と音を立てて一瞬で山のような氷塊が立ち上がり、騎士とアルテラを隔てる防壁と化したのだ。傍にいるだけで凍えるような冷気を放つそれは、まるで極地にそびえる永久凍土。
そこへ、焔の斬撃が続けざまに着弾した。爆炎の華が咲き、絶凍の障壁がぎしぎしと悲鳴を上げて融け落ちる。如何に永久凍土じみているとはいえ、太陽の灼熱を遮るにはあまりにも頼りない。
しかしアルテラにとってはそれで十分。五秒もあればこの障壁ごと、そして叩きつけられる灼熱ごと突き崩す詰めの一手は撃てるのだ。
即ち、軍神の剣の真名解放。破滅という言葉の具現化。かの聖剣使いを確実に打倒するには、それをおいてほかにない。彼女の肉体にも強い負荷がかかる手前乱発はできないが、それでも迷いはなかった。
水平に構えられる軍神の剣。鍔が展開され、刀身とともにゆっくりと回転し始め――
「ぐっ?!」
――そうして生まれた、僅か一瞬の硬直。そこを狙って、白熱した斬光が氷塊を打ち抜いて地平を駆けた。分厚く展開された氷壁を容易く溶解させ、容赦なくアルテラの左肩をえぐったその白光からは、まぎれもなくかの聖剣の波動を感じ取れる。
何度目かわからない驚愕と肩を打ち抜いた灼熱に顔を引きつらせながら、アルテラはその場でよろめいた。
「……
歯を食いしばりながらアルテラは言う。氷塊に穿たれた大穴の先に、長剣の姿に戻った聖剣を杖のように突く騎士の姿が見えた。苦し気に喘ぎ、肩で息をするさまはまさに半死人。されど放たれる威圧感は僅かたりとも揺らがず、それどころか刻一刻とその圧を増しているようにさえ感じられる。
否、事実一秒ごとに、彼から感じられる圧は増していた。熾火に燃料を注ぎ込んだように、加速度的に勢いづき燃え上がる魔力の波動。それが距離を無視してびりびりとアルテラの意識を打ち据える。
その傍に友の姿はない。巻き込むのを恐れて下がらせたようだ。
「――――」
アルテラは無言で、見せつけるように軍神の剣を再度水平に構えた――がしゃりと、鍔が大きく開く。
健在であることの誇示。たかだか傷一つで破壊の大王は止まらない。完全に息の根を止めない限り、この大王は戦い続けるのだ。
それを悟って、外套の騎士も構えなおした。震える膝を殴りつけ、噛み砕かんばかりに歯を食いしばって、真正面からアルテラをにらみ返す。限界を超えて練り上げられた魔力は溢れ出し、彼の周囲に陽炎を生み始めていた。
外套の騎士もようやく決意する。あの大王を打倒するには宝具の開帳以外にありえない。問題は今の自分にそれを御することができるのかどうかだったが……もとより、この戦が始まってから博打の連続であった。今更躊躇することもないと、いっそ開き直ったように騎士は薄く笑みを浮かべる。
ぐっと、軍神の剣を握るアルテラの手に力がこもった。ゆっくりと鍔と刀身が回転し、莫大な魔力がアルテラを包みこんでいく。一秒ごとに加速する回転に周囲の大気は巻き上げられ、捩じ切られ――その中心で、すべてを打ち砕く虹の極光が螺旋を描く。
「――この剣は、太陽の現身」
相対するは太陽の聖剣。
祝詞のように。誓いのように。厳かに文言を唱えながら、彼は聖剣を天高く空へうち上げた。
「もう一振りの、星の聖剣」
高く、さらに高く。あの太陽そのものに迫るように――聖剣は、空の果てを目指す。
「災禍を祓う、守護の陽光ッ!!」
そして、蒼穹の果てに紅蓮が花開いた。果てに在りし原典を再現するような燃え盛る火球から、目を灼く光の奔流が溢れ出して大地に黄金の紋章を刻む。
それは大地を満たす太陽の紋章。地平を照らす無限の光輝。
降り注ぐ光とともに、星の聖剣が騎士の手中に帰還する。彼の手に収まったそれは、もはや剣の姿をした焔だ。万象を焼き尽くす原初の焔が、今この一時のみ一振りの刃として振るわれる。
「それが、お前の全力か」
軍神の剣の威光が霞んで見える天変地異を前にしながら、なおもアルテラは揺らがない。負けじと魔力をつぎ込んで、いよいよそこにあるだけで全てを砕く破壊の具現と化した軍神の剣を片手一本で見事に抑え込んでいる。
「お前が、星の光を示すというのなら――――私は、その星さえ砕いてみせよう」
「
「
遅刻、圧倒的遅刻。
大変申し訳ありませんでした……!