外套の騎士   作:ヘリオスα

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13.再会

「――――――う、ん……」

 

 瞼を開く。寝起き特有のぼやけた視界を晴らすため、しょぼしょぼと二、三回瞬きを繰り返した。すりガラスを通したようだった景色がクリアになり、周りの様子が明らかになる。

 頭上に在るのは天井。自分が寝そべっているのは寝台。考えるまでもない。ここは屋内、寝室だ。

 

「んーあー……よく寝たぁ……」

 

 ぐぐっ、と大きく伸びをして一つあくびをかみ殺す。慣れない船上では揺れと波音で眠るどころの話ではなく、ここ数日ずっと寝不足だったのだ。おかげで今は随分と気分がいい。

 惜しむらくは今がまだ夜であることか。寝台のすぐ横には窓があり、そこからは薄い月光が差し込んでいる。月の光が嫌いというわけではないが、やはり目覚めは太陽と共にでなければどうにもきまりが――

 

 ――――う、ん?

 

「よく、寝た?」

 

 待て。

 待て待て待て。

 

 俺は、一週間余りの船旅を過ごしてからブリテン島にやってきた。それはいい。

 そしてやっとブリテン島に上陸した俺は、周囲の様子をうかがうために単身船を離れた。その通りだ。

 一時間以上歩き通して人っ子一人お目にかかれなかったので、小休止として木陰で食事をとった。これも間違いない。

 

 

 では――一体全体、俺はどういうわけでこんな場所にいる?

 

 

「……やられたな」

 

 記憶を洗いなおす。顎を鍛えるのが目的のような硬い干し肉を水で流し込んだすぐあと、何となしに辺りを見渡していたら強烈な眠気に襲われた、はずだ。そして当然だが、そこから今目覚めるまでの記憶がすっぽりと抜け落ちていた。

 如何に慣れぬ船上生活で疲弊していたとはいえ、たかだか一週間余りのそれで昼間に微睡んでしまうほど軟な鍛え方はしていない。加えて、あの強烈かつ突然の睡魔はどう考えても尋常なものではなかった。『眠った』のではなく『眠らされた』としか思えないほどに。

 

 となれば、答えは一つ――

 

「……拉致された、か」

 

 神秘の島、ブリテン。未だ神代の奇蹟が伝えられる魔境。人間の一人や二人、簡単に眠らせる魔法や魔術が存在していたとして何もおかしくないはずだ。

 仕方のないことだったとはいえ、早くも無知が仇となった。あるいは、知らず知らず自分の身体能力に驕りを抱いていたか。太陽の加護。聖剣の加護。それさえあればある程度対応できると踏んでいたが、それはあまりに迂闊な考えだったらしい。

 

 ここはこの星に残された最後の秘境――大陸の常識は通用しないと肝に銘じてはいたが、より一層気を引き締めなければなるまい。

 

「まずいな、残してきた皆は無事か?」

 

 そして今、何よりも気掛かりなのはここまでの航海で世話になった船長をはじめとする船員たちだ。彼らには聖剣の守りがあるが、相手は俺でさえ抵抗する間も与えず無力化するような魔術師……あんな我流の技が通じるとは思えない。

 また、俺はこうして生きたまま捕らえられたが、彼らもそうだとは限らないのだ。一刻も早くここを脱出して、皆の下へ帰らなければ――

 

 いや、待て。

 

「そもそも、ここまで連れてきた目的はなんだ?」

 

 現状、ローマとブリテンの間にはある程度の溝が存在する。

 

 四〇七年、本国への異民族侵攻に対処するため、ローマ帝国はそれまでブリテン島に駐留させていた防衛部隊を撤退させ始めた。そして四一〇年にはブリテン島の各氏族たちへ、ブリテンの支配権を放棄する旨の手紙が届き、ついにブリテン人たちは帝国による支配から解放された。が、それ自体は手放しで喜べるものではなかった。繰り返すが、今は民族移動時代の真っただ中だ。ローマ帝国諸領域はもちろんのこと、ブリテン島だって異民族たちの標的になっていたのである。

 

 つまり、ブリテン人たちは北方に住まう異民族に加えて海の向こうからやってくる連中とまで、自分たちの力だけで戦わねばならなくなったのだ。しかも、帝国の支配が突然打ち切られたせいで、それまで抑圧されていた諸氏族の族長たちが自分こそはこの島の支配者であると身勝手な主張を始め、内乱まで始めてしまった。まさに泥沼、血で血を洗う暗黒時代の始まりである。

 

 このように、一から十まで帝国が悪いとは言えないが、帝国の身勝手な振る舞いによってブリテン島が戦乱に呑まれ荒廃したのには間違いない。

 よって、ブリテン人がローマ人に対して好印象を持っているとは言い難い。直接アーサー王の下へ乗り込まなかったのはこの辺りも理由の一つだ。

 

 だからこそ現状が解せない。

 

 日の高さから言って、意識を失ったころは午後二時あたりだったか。今は日没だから、ざっと見積もって四ないし五時間も無防備に眠っていたことになる。その間に俺を連れ去り、しかも牢へ捕らえるでもなく、縛めることさえせずに客室と思われる部屋で休息をとらせる――これはいったいどういう目的があってのことなのか?

 

 敵意がない? まさか。ならばどうして眠らせて拉致するなんて面倒な真似をした。初めから正面切って顔を合わせれば済む話だ。

 他に考えられる可能性はなんだ。例えば――『ローマの人間』という括りではなく、『俺』個人に用があった、とか? いや、その場合でもここまで手間をかけた意味が分からない。

 

 くそっ、時間を無駄にできないってのに、面倒なことをしてくれる。

 

「……そういえば、最後に誰かの声を聴いたような」

 

 ふっと思い出す。意識が落ちる直前、幽かに響いたあれは確かに人の声だった。

 あの澄んだ高さからして女性の声だったと思うが……

 

「何だったかな。意識がもうろうとして、うまく聞き取れなかったが……」

 

 短く、一言。

 呪文のような特別な響きでもなかったはずだが――ああ、そうだ。

 

「……『お帰りなさい』、だったか?」

 

 そう。そうだ。

 お帰りなさい――確かに、そういっていた。

 

 …………『お帰りなさい』?

 

「…………ははは、まさかな。まさか……いくら何でも……いや、まさかぁ……」

 

 お帰りなさい。お帰りさない。

 

 何度口の中で転がしても、言葉の響きと意味は変わらない。

 

 外出していた相手へのあいさつ。帰宅、帰還を労う言葉。

 

 必然、それを向けられるのは()()()()()()()

 

「っ?!」

 

 コン、コン、コン。ノック。静寂を破る突然の音。何時の間に現れたのか、扉の向こうには人の気配がある。

 

 さっと、顔から血の気が引いた。

 居る。居るのだ。初めて訪れたこの地で、俺の帰還を労う、しかも魔術師として超一流の腕前を持つであろう人物が。

 

「ど、どうぞ」

「失礼します」

 

 ――幸か不幸か、俺の想定は裏切られた。部屋に入ってきたのは俺の考えていた人物ではなく、白を基調とする仕事着に身を包んだ妙齢の女性だった。月光を受けて澄んだ瞳がきらりと輝き、衣服のそれと比べても遜色ない白い肌がぼうっと浮かび上がる。

 そこはかとなく、作り物めいた雰囲気を持つ女性だ。整った顔立ちではあるが、感情の色がまるで見えない。月光を受けて輝く瞳は磨き上げられたガラス玉か宝石のようだ。染み一つない肌はお世辞にも血色がいいとは言えないが、かといって不健康なイメージを与えない程度には生気を纏っている。総じて、生物としての繊細さではなく、無機物としての脆弱さを感じさせる人物だった。

 

 ふと、頭の内をよぎるものがあった。

 特徴的な、人形の如き儚い美貌を持つ人型の人工生命――ホムンクルス。

 

「ご気分はいかがでしょうか」

「え、えぇ……お陰様で楽になりました」

「さようでございますか。つきましては、夕食の準備が整っております。主が是非ご一緒したいとのことですので、ぜひ」

「待って下さい。その、ご主人というのは」

「それに関しても、食事の席でお話しするとのことです。どうぞ、こちらへ」

 

 

 

 

 

 

 ――そして、出会う

 

「初めまして、旅の騎士様」

 

 この館の女主人。そして、おそらくは俺に魔術をかけた張本人。

 

「よくお眠りになっていたようですね」

 

 先のホムンクルスを容易く上回る美貌だった。

 サラサラと癖のない、指通りのよさそうなプラチナブロンドの髪。目鼻立ちはくっきりとしていて、ぱっちりとした瞳が、今は眩しい物でも見るように細められている。その顔立ちの中に既視感を覚えるのは、昔見たある女性に似ているからか。

 

 それとも、よく見る顔の面影をそこに見出せるからか。

 

「……この度は、お世話になりました。お陰様で長旅の疲れも癒え、楽になりました」

「それはよかった。さあ、食事の用意は済んでいます。どうぞ、席へ」

「その前に――お名前を窺ってもよろしいでしょうか。ここまで丁重にもてなしてもらっておいて、恩人の名も知らないままというのは信義にもとるというもの」

「ああ。そういえば、自己紹介がまだでしたね」

 

「帝国が去りし後、ブリテン島を統べた最も偉大なりし人。卑しくも策略を以て異民族を引き入れ、この島の団結に罅を入れたヴォーティガーンに討たれたウーサー・ペンドラゴンの娘――モルガンと、申します」

 

 モルガン。言葉通り、ウーサー・ペンドラゴンの娘。今島に名を響かせ始めたアーサーの姉に当たる人物。

 

 アーサー王伝説に曰く――妖姫、魔女、アーサーに仇為すもの。しかしながら、湖の乙女の一人として死に瀕した彼を理想郷へいざなう者。

 

 そして、俺の――

 

「さあ、せっかくの夕食が冷めてしまうわ。お話は、食べながらでも」

「は、はい」

 

 促されて席に着く。事ここに至ってようやく目を向けた卓上には、思わず唸ってしまうような御馳走が並べられていた。このご時世、ここまでの代物を用意するのは簡単なことではないだろう。貴重な食料を惜しみなく提供されたことに僅かな罪悪感を抱きながら、席について食事に手を付けた。

 

 

 

 ――無言。食べながら話す、と言いながら双方に会話はないまま、しばらく時間が過ぎた。

 

 

 

 いや、何度か言葉を振ろうとしたのだ。食事の手を止めて、様子を窺って、彼女が一口食べ終わる合間に声をかけようとした。

 しかし、そのたびに――こちらの視線に気づいた彼女の微笑みを見るたびに、口をつぐんでしまう。

 

 なにか、と小さく紡がれた言の葉に、いいえ、と狼狽えながらぼそりと返して。

 

 そうして黙々と食事を味わいながら、時間だけが過ぎていった。

 

「……その」

「はい」

 

 そして。

 殆どの饗膳を食べ終わった食後の余韻の中で、意を決して俺は口を開いた。

 

「この度の御歓待、誠に感謝したします。ですが、私にはここまで持て成していただく心当たりがありません。理由を、お聞かせ願えますか?」

「――あら。あらあら。本当に、分からないのですか?」

 

 

 その一言で、さっと、再び血の気が引いた。

 

 

 彼女の纏う雰囲気は何一つ変わらない。伝説であれほどまで貶められているのが想像もつかないほど、無垢で清楚、静謐な佇まいだった彼女は、その趣を残したまま言葉を零す。

 

 ナイフのように冷え切り、鋭利に研ぎ澄まされた言葉を。

 

「これは少し、戯れが過ぎたのかしら? 見るからに初心で純情そうだものね」

 

「それとも、ええ、私との距離感を測りかねているのかしら。ようやくの再会で、言葉のかけ方もわからない?」

 

「だとしたら、ええ、見かけによらず可愛らしいこと。まだまだお子様、ということなのかしら」

 

 くすくすと笑う。

 言い知れぬ感覚が体中を這い回る。

 

 なんだこれは。何がどうなっている。

 彼女は何ら特別なことをしていない。何も知らない外野から見れば、美しい貴婦人と言葉を交わす騎士といった様子にしか見えないだろう。そんな穏やかな光景なのに、彼女の言葉一つ一つが自分の見えない部分に突き立てられるような錯覚を感じる。

 

「でも、嘘はいけないわ。貴方、もうわかっているのでしょう? 心当たり、あるものね」

「な、にを……ッ!」

「違わないでしょう? だって、貴方が遠路遥々ここまでやってきたのは、そのためでもあるのだから」

 

「ねえ、そうでしょう――外套の騎士様?」

 

 




更新遅れ、失礼しました。
何分、先週は予期せぬ私事が次々と重なってしまい、PCを触れなくて……

加えて、今週は連日の猛暑で軽い熱中症に。
私が言うまでもないことですが、読者の皆様も、水分補給や休憩をしっかりと取ってくださいね。

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