外套の騎士   作:ヘリオスα

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1.名無しの少年

 ぱちり、と。

 薄闇に包まれた部屋で目を覚ます。慣れ親しんだ目覚まし時計は過去の――いや、未来の彼方に飛び去って久しいが、そんな物が無くともこの体は毎朝この時間にきっかりと目を覚ましてくれた。

 同じ部屋に眠る父は、まだもごもご言いながら夢の中だ。彼を起こさぬよう、一つ小さく欠伸をしながら簡素なベッドより身を起こし、寝る前に用意した水で顔を洗った。続いてそろりそろりと、抜き足差し足で歩きながら建付けの悪い戸をできる限り静かに、でも結局ガタガタ言わせながら押し開く。

 途端、溢れんばかりの光輝が闇に慣れた瞳を容赦なく刺し貫く。思わず手をかざしたうえでぎゅっと目をつぶりながら二歩三歩と踏み出して、しきりに瞬きしながら光の出所へ視線をやった。

 水平線の果て、そこから世界を金色に染め上げながら昇りくる巨大な光源。半分ほどしかその姿を見せてはいないが、その輝きは十分以上に世界を照らしている。

 

「おはよう」

 

 毎朝の習慣となった届くわけもない挨拶を零して、もう一つ欠伸をかみ殺した。

 

 

 

 

 吾輩は少年である。名前はまだない。

 

 

 

 

 ……いや、伊達や酔狂で言っているのではなく、本当に名前がないのだ。そしておかしな話だが、過去名乗っていた名前ならある。その――前世、と呼ぶべきだろうか。或いは来世なのだろうか。そういった知識が、物心ついたころに理解できるようになった。正しい表現かはわからないが、他人の、それも未来人の魂が何の因果か過去にある別人の体に収まっているような状態だ。

 

 身も蓋もないストレートな言い方をするなら、俗にいう〝憑依・転生〟というやつである。

 

 今から三年ほど前の話だ。前世の名前・体での最後の記憶は、いつも通り友人たちとオンラインゲームを楽しんだ後、午前一時過ぎに自室のベッドにもぐりこんだところまでである。

 次に気がついたとき、俺はいつの間にやら十数歳ほど若返って、ついでに人種まで変わった状態で意識を取り戻した。それまでの……つまり、幼児期に関しての朧げな記憶は残っていたが、それらとは隔絶した文化、文明の記憶が容赦なく脳を蹂躙し、ひどい頭痛に苛まれたのをよく覚えている。

 

 もちろん混乱した。黒歴史確定レベルで泣いたしキレたし色んなものを色んな所から吐き出して取り乱した。傍にいた男――つまりは今生の父であるが、彼は突然暴れ始めた俺に目を白黒させて、宥めたり叱りつけながらも涙をぼろぼろとこぼして俺が正気に戻るよう神に祈り続けていた。

 

 正直言ってそれら一連の出来事はトラウマになっている、二度と思い出したくはない。

 

 結局最後には泣きつかれて眠りにつき、翌朝まで得体のしれないものに変身する悪夢にうなされ続けてその日は終わった。

 

 

 

 そして、さらに翌日。目覚めと共に直視した朝焼けがすべてを忘れさせてくれた。

 

 あれほど美しい夜明けを、俺は人生で初めて見た。

 

 原初黎明より続く、一日の、世界の、生命の始まりを告げる輝きの刻。由縁定かならぬ太陽からの加護。狂って壊れかけた精神を正す光輝の洗礼。

 

 歪な我が身にも平等に投げかけられたその光に、訳もわからず涙を流した。生きろ、と言われている気がした。生きねば、と決意が全身に染み渡った。

 

 

 

 そうして、一足遅く起きだした父と名乗った男に、開口一番こういったのだ。

 

「俺はあなたの子供ではない。けれど、あなたを父と呼び、共に生きることを許してほしい」

 

 言って、失敗したと思った。頭に上っていた血が、一息につま先めがけて逆流するような感覚が全身を包んで、今更ながら震えが走った。それは、出所のしれない高揚感に煽られて思わず口をついて出た、戯言というにはあまりにも悍ましい告白だった。

 どう考えても正常な言動ではない。昨日突如として息子に取り付いた狂気が、一日たった今でも蝕んでいると父は思い込むだろう。

 

 だが。

 

 徐に、父は俺を抱きしめた。痛いほど、苦しいほど、強く強く抱きしめてくれた。いいぞ、と。もとよりお前は私の子供だ。たとえ誰が否定しようとも、私を父と呼んでくれるなら、お前は永久に私の子だ、と。父はじっくりと抱きしめて、何度も何度も、『私の子だ』と囁きかけてくれた。消して手放すことなく、抱きしめ続けてくれた。

 

 ―――そこに、どんな思いがあったのは、俺にはまだわからないけれど。

 

 朝焼けの中、俺は父の胸の中で再三泣いた。

 この輝ける宣誓を、終生忘れることはない。

 

 

 

 そうして、始まりの日、俺が過去の名を失ってからはや数年が経つ。未だ名乗るべき名を持たぬというのは辛いものが在るが、父曰く『然るべき時に然るべき人物が名付ける』との神託を賜ったそうで、頑として父はわが身に名を与えようとはしなかった。

 

 そうやってただ〝息子〟とか〝少年〟とか呼ばれながら過ごした日々で、いろいろと分かったことがある。

 

 まず、今の年代。東西に分かれながらもローマ帝国が存在していること、しかしその栄光にも陰りが見え、激しい異民族の侵攻にさらされていることなどから推測するに、早めに見積もると紀元四、五世紀あたりになろうか。自分が生きていたのが二十一世紀だから、軽く千五百年強は遡っていることに今更ながら眩暈を覚えた。加えて言えばただのタイムスリップではなく、繰り返すが憑依ないし転生という類のモノだ、これは。ここまでくると変な笑いがこみあげてくる。

 だが――事実は小説よりも奇なり、という言葉があるように、現実は俺の想定をさらりと上回った。父の行商にくっついて村へ遊びに行った、ある日のこと。そこに滞在していた旅人がこう言っているのが耳に入ってきた。

 

『西の海でシレーヌが出たらしい、船が何艘か沈められたそうだ』

『珍しいな。シレーヌが出るなんていつぶりだ?』

『この辺りじゃ聞かなくなって久しいな。西ってことはブリタンニア方面か?』

『ああ。あの辺りはまだまだ不思議なことが起こりやすい』

 

 

 おわかりいただけただろうか。

 

 

 シレーヌ。

 つまり、セイレーンが船を沈めた、ときた。

 

 大雑把に説明すると、シレーヌ――セイレーンとは、さる神々の血を引いた海に住まう数人姉妹の怪物の名称だ。その姿は半人半鳥ないし半人半魚で、人間部分はいずれも見目麗しい女性の姿をしているという。そして楽器や歌声、自分の肢体を使って船乗りを誘惑し、船を座礁もしくは沈没させて乗員たちを喰らうそうだ。

 俺の前世においては伝説・伝承の中にしか存在しない架空の存在である。しかし、微妙な顔をしていた俺がセイレーンに興味があると判断した旅人は、訳知り顔で『この辺りにも昔はセイレーンが居たんだぞ、船が何艘も沈められたんだ』なんて言ってきた。しかもその場にいた歳より連中もしきりに頷いていたところを見るに、この世界ではどうもセイレーンは実在するれっきとした生物の一種であるようなのだ。

 

 つまりはファンタジー。これはただの憑依転生ではなく、その頭に〝平行世界〟とかなんとかつく方だった訳である。

 

 まあ、ファンタジー要素と言うなら俺自身もファンタジーというか、びっくりどっきり生物であることに間違いはない。何せ前世もちである。転生者っぽい何かである。吹聴すればさぞ面白いことになるだろう。そのつもりはかけらもないが。

 

 加えて、さらなるファンタジー要素が俺の体にはあった。

 

 どういうわけか、今の俺はアレ――つまり太陽に、人並み以上のつながりを持っているようで。例えば今のように、どれだけ深く眠っていようともこの時間、すなわち日の出に合わせて目が覚めてしまう。この体質のおかげで今世で寝坊したことは一度もない。といっても、この生活における寝坊の基準が定かではないのだが。

 ほかにも、太陽の光に照らされている限り、同い年の誰にも負けないほどの力……そう、普段の三倍程度の腕力を発揮できたり、あるいは普通なら大怪我する場面でも小さい怪我で済んだりと、恩恵あるいは加護のようなものを太陽から受け取っているようだった。

 

「おはよう、息子よ。今日も早いな」

 

 思索に耽りながら、じっと、その全容を表しつつある太陽を見据えること十数分。全身で吸収するように曙光を浴びていると、眠そうな声が背後から聞こえてきた。どうやら扉を開けた音とこの日差しで父の目が覚めたらしい。

 

「おはよう、父さん。今日もいつも通り、夜明けに目が覚めた。起こしちゃったか?」

「ははは、気にするな。早寝早起き、大いに結構! 偉大な人はみなそうだ。人より早く仕事を始め、光あるうちに成すべきを成し、太陽と共に眠りにつく。お前もいずれ、そうならねばならないのだからな」

 

 よく日焼けした顔で笑いながら、今生の父――ウィアムンドゥスは、同じように日に焼けた手で俺の頭を乱暴に撫でまわした。

 父は漁師だ。毎朝俺とほとんど同時刻に起きだしては、船を用意して一人で漁に出かけていく。そして体感で三時間ほどの漁を終えると、微塵も疲れを見せることなく魚を仕分けては周辺の村々へ行商に行くのだ。

 稼ぎはさほど多くはないが、その大半を俺のために費やしてくれていた。父は俺に惜しみなく愛情を、物を与え、自らの持てる知識の全てを俺に注いでくれた。

 そうそう、なんと父はもともとお貴族様だったらしい。それが何でこんな田舎で漁師なんかやっているのか謎なのだが……そのため、父はこの時代には珍しく読み書きを万全にこなすことができた。おかげで俺もなじみの薄い言語を容易く習得することができた。

 

 さて、今日も父はまず漁に行くはずだ。となれば、まずは網の準備をしなくてはならない。商売道具の網は盗まれたり壊されたりしないように、家の秘密の隠し場所に隠してあるので引っ張り出してこなくては――と、思っていたのだが。何やら父の様子がおかしい。俺がしていたように、目を細めて水平線を見つめて微動だにしない。

 

「息子よ」

「……なに?」

 

 知らず、圧倒されていた。特段厳しい表情をしていたとか、重苦しい声音で呼ばれたとか、そういうわけではなかったのだが。朝焼けの中で黙考していた父からは、何か大きな決断をしたような覇気がにじみ出ていた。

 

 

 

「お前も十分……人並み以上に立派に育った。明日より、旅に出る」

 

「―――ローマへ行くぞ」

 

 

 




とりあえずここまで。

次はできる限り早めにあげたいと思います……
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