外套の騎士   作:ヘリオスα

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5.その剣は誰が為に 中

 頭が痛い。

 

 吐き気がする。

 

 視界は揺動して、蜃気楼の中に叩き落されたよう。

 

「おいトゥニカの! どうした!?」

 

 うるさい。だまれ。

 反響する友人の声に反射的にそう言った気がしたが、果たして本当に言葉になっていたのかどうか。鼓膜さえぎしぎしと軋みを挙げて、まともに音を拾えない。

 

 

 この感覚を知っている。

 あの日。あの場所。この世界に生まれ落ちた、あの瞬間に。この身を苛んだあの苦痛。

 

 

「畜生、こんな時にどうしたってんだ!」

 

 ああ、だから、うるさいんだよ。だまっていられないのかこのぐずめ。

 普段なら口を突くはずもない暴言が次から次へと流れ出る。愚図はどっちだ無能め。目前に迫る軍勢が見えないのか。

 

 いいや、見えている。はっきりと見えているとも。砦を粉砕して押し寄せた異邦の軍勢も、その先頭に立つ王と思しき男も――その傍らに在る、異様な女戦士の姿も。

 見えているからこそ問題なんだ。あれが、あれが異民族、フン族。

 

 その先頭に立つ、あの女。

 

 三色に輝く、なんとも言い難い剣のようなものを構える、あの戦士。

 

 

 知っている。

 俺は、あの女戦士を知っている。

 フン族の王、破壊の使徒、神の災い、神の鞭。

 

 なぜ。どうして。あいつが、ここにいる。

 

「あ、る、て、ら」

「え? なんだって?」

 

 頭を抱えて蹲る。激しい動悸。不規則な呼吸。周囲がやいのやいのと騒がしいが、全く頭に入ってこない。

 浮かぶのははるか遠い過去(未来)の知識。ここではないどこかで見聞した情報が、記憶の奥底から引き上げられて脳裏に氾濫する。

 

 そうか、ああ、つまり、ここは――

 

「――――ああああああッ!!」

「あっ、えっ?」

「お、おい……ふざけんな、ふざけんなよトゥニカの! 狂ってんじゃねぇ! 戻ってこい!!」

 

 思いっきり、地面に額を打ち付けた。じくじくとした痛みが頭の内側から拍動する突き刺すような痛みと混ざって弾け、くらりと意識が飛びそうになる。

 そんな俺を見て、友人の一人が叫びながら俺の胸ぐらをつかんで締め上げた。次いで全力の平手打ち。目の覚めるような衝撃と痛みが霞んだ意識に活を入れる。

 

「……あー」

「ああっ?! もう一発行くか!?」

「おーけい、だいじょーぶ」

「シャキッとしろ、くそ野郎! どうしたってんだよお前は!」

「ああ、だから、もう大丈夫だ。迷惑をかけたな」

「本当だな?!」

「ああ」

 

 ――ああ。ようやく頭の中が落ち着いてきた。

 くそったれめ。ああ本当にくそったれだ。内臓はひっくり返って口から尻から飛び出してきそうだし、脳ミソは滅茶苦茶にかき混ぜられて耳から鼻からこぼれ落ちるんじゃないかって具合で目が回る。最悪のタイミングで余計なことを思い出させやがって。

 いや、余計なことなんかじゃないな。敵を知り己を知れば云々、付随して引き起こされた精神障害諸々はたまったもんじゃないが、引きずりだした知識を考えればおつりが出る計算だ。

 

 

 

 さあ確認を。ミキサーにかけたようにぐちゃぐちゃになった情報を再整理しろ。手に入れた知識を精査しろ。以て今何をすべきかを迅速に弾き出せ。

 

 

 

 時刻はおおよそ十時前。巡回から帰還直後の俺達を迎えたのは、北東方向の砦の一つが陥落したという最悪の情報だった。緊急連絡用の松明が赤々と燃え盛った次の瞬間に虹のような閃光に飲み込まれた、とは這う這うの体でここまでやってきた北東の砦兵の証言だ。突然の知らせに俺達が駐留する砦も張り詰めた空気に包まれ、周囲の砦とひっきりなしに伝令が行き交わせる中、取り残された俺たちは本格的な戦乱の気配に右往左往するばかりだった。

 敵の進行方向から察するに、目標はおそらくローマ。皇帝を討ち取って本格的に西ローマを潰す算段なのだろう。となれば、次に接敵するのは俺たちの駐留するこの砦になると思われた。ここが落ちた砦から一番近く、かつ最短でローマを目指すには避けては通れないポイントだからだ。

 

 その予想は正しく、伝令が入った一時間後の今、援軍もたどり着かないうちに向こうの軍勢がこちらの視認範囲に入った。

 

 平野を埋め尽くすような大軍を想像していたが、敵影は思った以上に少ない。また、全員が騎乗しており、その手には小ぶりな弓を携えた軽装の者が多かった。複合弓と軽装の弓騎兵が主体の軍勢、フン族か――上官が苦々し気に言う。

 

 その時からすでに、俺の眼は一点に釘付けになっていた。

 

 軍勢の先頭、露出の多い服装の女戦士がいる。その女が手に持つ、三原色の光の刃。

 

 まさか、と思う間もなく。脳の奥底から吹きあがった知識の濁流に意識を流された。

 

 

 フン族の王、戦闘王、破壊の尖兵――――軍神の、剣

 

 

 断片的な知識が鑢のように意識をこそぎ落としていく中、半狂乱の俺を友が正気に戻したのがついさっきのことだった。

 

「何を馬鹿やってる新兵どもっ! さっさと陣形を組めっ!!」

 

 鋭い声が耳朶を打つ。ハッとして顔を上げれば、醜態に業を煮やした上官が赫怒の眼差しでこちらを見据えていた。

 敵に動きがあったようだ。もはや残された時間はない。

 

「おい、行くぞ」

「…………」

「何やってんだトゥニカの。……ここまで来たら腹くくるしかないぜ。いくら俺たちが新人だからっつっても、向こうさんは容赦してくれないだろうしな」

「怖くてもやるしかない。やらなきゃ俺達も――ローマも、おしまいだ。俺達が守らなきゃ、みんな死ぬ」

「……ああ、そうだな」

 

 ――みんなの瞳には、覚悟の光がともっていた。

 

 

 俺にはなかった。そんな鋼のような想いは。

 

 

 俺が小姓として修業し軍にまで入ったのは、偏に父がそう望んだからだ。強く、誇り高く、立派な武人に。なみなみと注いでくれた愛情の中に、唯一込められた父の望み。受け取るばかりだった俺は、その意志に逆らおう等とは微塵も思えなかった。

 せめてその程度は、と。歪な我が身にできることなら、と。

 

 そのことに初めて後悔したのは、つい一週間ほど前のことだ。

 

「――今は、そんなことを考えている場合じゃないな。……なあ、悪いけど、お前らの剣を貸してくれないか」

「はぁ? 何言ってんだ……って、おいっ!」

「な、何するんだ、トゥニカっ!」

 

 前をいく二人から強引に剣を奪い取る。丁度いいところに綱が見えたのでそれも失敬。柄に結んで、背中でクロスするように背負う。

 

「貴様、何を考えているっ! 早く隊列に……おいっ!!」

 

 更に馬を一頭拝借――そして、追いすがる全員を振り切って、一人、前へ。

 

「戻ってこい、トゥニカぁー!」

 

 罵声。懇願。全てを振り切って、ひたすら前へ。

 

 ここが『あの世界』なら。あれが、本当に軍神の剣なら。かの女戦士を止められる可能性があるのは俺一人だろう。他の連中ではあの戦士と一合も打ち合えまい。

 まあ、それもすべて俺の推測が正しければ、だが。あちらはほとんど確定だが、この身が俺の思い描いた英雄であると断定するにはわずかばかり不確定要素が多すぎる。とはいえ、死ぬとわかっている連中を前に出すのは夢見が悪い。俺が前に出ないという選択は――

 

「……無いって、断言出来たら格好いいんだけど」

 

 怖い。怖い。精強を誇る東ローマ軍とさえしのぎを削ったであろうあの連中に、たった一人で突撃するなんて正気の沙汰じゃない。ましてや何の覚悟も持たず、僅かな神秘さえ秘めない鉄剣片手に神の鞭に挑むなど蛮勇にさえなりはしない。

 けど――

 

「あいつらの顔見たら、俺一人怖気づいてなんかいられないし」

 

 皆、覚悟を決めていた。ここでわが身朽ち果てようとも、ローマを護る。あるいは、もっと別の何かを護る。死ぬつもりなんてないと、死んでたまるかと奮起している奴だっているだろう。

 激発したみんなの感情にあてられて、うつろな俺も自然と動いていた。覚悟もないままに振るう剣はきっと軽い。あの戦闘王には届かない。それでも、もう、戦わないという選択肢だけは取れなかった。

 

 黙ったまま、死なせてたまるか。俺の最高の友人達を。俺の最愛の父親を。

 

 覚悟と呼ぶにはあまりに不確か、砂で築いた城が如き脆さ。

 今はこんな幼稚な意地しかないけれど。

 

「ぶっつけ本番、やれなきゃくたばるだけ――俺だけじゃなく、みんなも」

 

 撃鉄を起こせ。焔を灯せ。

 この体を、神秘の業を成す機構として再起動しろ。

 

 

 イメージするのは黎明の空。薄墨揺蕩う東雲。そのわずかな闇を裂いて、払暁の明かりがすべてを照らす――ッ!!

 

 

「……っぐ」

 

 せりあがる鉄臭い塊を嚥下する。体中で暴れまわる灼熱の手綱を握る。

 こんな処で血反吐を吐くのはまだ早い。こんな処で燃え尽きるのはまだ早い。

 

「っついなぁ、おい」

 

 上手くいった。まず一つ目の博打に勝って、階段を一つ上れたようだ。しかし相手はいまだ遥か高みにある。一つ二つ上ったところで追いつけるような相手じゃない。更にこの手に聖剣は無く、太陽の加護もあと数十分しかない。上るどころか転げ落ちそうな有様だ。

 だが

 

「それでもやるっきゃねぇよなぁ――!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駿馬を駆って疾駆する軍団。洗練された騎馬戦術を以て多数の異民族を打ち破ってきたフン族の軍勢を率いて、一人の王が先陣を駆け抜ける。騎乗してもいないのに、自らの得物片手に配下の軍勢を差し置いて走るその姿は異様の一言。加えてその姿。戦場には似つかわしくない、いっそあられもないとさえ言える軽装や、それが際立たせる華奢な体の輪郭――つまり、女であることもその異様さに拍車をかける一端となっていた。

 

「アッティラ」

 

 馬の腹をけり、加速してなんとか追いついた男が女に声を掛ける。女の兄、フン族の王国を共同統治するブレダだ。

 

「軍神の剣はどうだ」

「……あと一度。肉体の損傷を考えなければ、三度は解放できる」

「ならば一度とて撃たせられんな。ローマ攻略も控えている以上、お前を此処で失うわけにはいかん」

「そうだな」

 

 冷徹。簡素。そこに兄妹の情などない。

 当然か。彼らが共に玉座について以降、必要に駆られたとはいえ戦乱が途絶えることはなかった。その全てに勝利、あるいは有利に事を運んできたのがこの二人だ。戦場で情を交わすほど青くはなかった。

 

「――む」

 

 ブレダが離れる寸前、これまた異様な情景が二人の目に映った。

 敵方、整然と陣を組んだローマ軍の和を乱して、こちらへ突貫する影が在る。

 ローマ軍の象徴、茜色の各装飾はまだ鮮やかで色褪せはなく、戦いに赴いてから長くないことを容易く察させる。

 

「無謀……いやそれ以下か」

 

 ブレダが吐き捨てる。功に焦ったか、あるいは戦場の熱気にあてられたか。捨て身とさえ言えぬ愚行に彼は顔をしかめさせたが、応じるはずのアッティラは黙したままだった。

 

「どうした」

「下がれ、ブレダ」

「…………」

 

 しかめっ面をさらに歪ませて、ブレダは黙々と後退した。アッティラがこのような態度をとった相手は後にも先にもただ一人、東ローマの皇帝だけだった。世界に覇を唱えたローマ帝国、その片割れに君臨し、自ら魔剣を引っさげてブレダ達を迎撃したあの皇帝の姿は記憶に新しい。それと対峙した時と同じ反応をアッティラがとったのだ。あんな若造が、とは最早思うまいと彼は心に決めた。

 

「頼むぞ――アルテラ」

 

 妹の細腕に頼るしかない現状に内心忸怩たる思いを抱きながら、ブレダは前線から退いていった。

 対してアッティラ――アルテラは、突撃する相手を見据えながら得体のしれない感覚に困惑していた。

 

 コイツは何だ。若く、未熟で、あのローマ皇帝と比べれば覇気など微塵も感じられない。だというのに、なぜ立ち会っただけで私の心を乱す。なぜ――この体は、奴に怯えのような思いを抱く?

 

 戦場で初めて抱く情動。戦闘においては快感も恐怖も抱くことなく、破壊欲求のみで行動してきた彼女をして理解しえない感覚が彼女を包んだ。が、その程度で竦むほど初心ではない。その程度で揺らぐほど弱くはない。一層強く自らの得物――光の三原色を放つ軍神の剣を構え、割り砕くほど強く大地を蹴った。一足飛びに配下を引き離し、剣に力を、自らのうちに滾る魔力を注ぎ込む。一際強く輝く軍神の剣、横一文字に構えられたそれが不気味に蠢動し――

 

「――断ち切れ」

 

 左から右へ。一見間合いからはるか離れた相手へ向けて一閃されたそれは、最早剣の体を成さず。撓り、伸長したそれはまさしく鞭が如く無謀なローマ騎士へ襲い掛かる。

 対する騎士、馬を捨てた。飛び込む様に大地へ身を投げると、頭上を軍神の剣が唸りをあげて通り過ぎ、その背後で横薙ぎの一撃をまともに受けた騎馬が両断、爆散したのも意に介することなく跳ね起きてさらに前進を続ける。

 

 初見のはずにもかかわらず、常識外れの軍神の剣の挙動を見切ったかのような行動だった。そこに感じた僅かな違和感を押し込め、アルテラも前進を再開する。

 駆けながらアルテラは、再度軍神の剣を振るった。唐竹、大上段から大地を砕く一刀――と見せかけて、敢えて短く縮めた軍神の剣を素早く引き戻しながら殴りつけるように右から薙いだ。手は休めず、返す刀で斜めに切り上げる。

 

 驚くべきか、それともやはりというべきなのか。騎士はその軌道を読み切っていたように完璧に躱して見せた。間合いの変化する軍神の剣相手に紙一重などという博打は打たず、しかして冷静に確実に避けながら猛進する。あのローマ皇帝でさえ初めは翻弄して見せたアルテラの剣技が、戦士として未熟な目前の騎士相手に通用しない道理などないはずだったが、ローマ相手の戦役も長く続いている。東西に分かたれているとはいえ、どこかで情報のやり取りがされていないとも限らない。ある程度自身の技量に見切りをつけられていると踏んだアルテラは、至近距離で確実に騎士を討つことを選択した。

 

 全身に魔力を回す。脈動する星の紋章、アルテラの体の随所に刻まれた不可思議な刺青が、明滅しながら彼女の身体能力を押し上げる。一歩一歩で大地を踏み砕きながら、弾丸のように加速した彼女はたった四歩で通常の剣の間合いにローマ騎士の姿を捉えた。やはり若い。ようやく成人に足をかけた程度か。されどアルテラに油断はなかった。

 

 騎士の瞳ははっきりと、戦意を湛えてアルテラを射抜いていた。尋常ならざる機動力を見せたアルテラを、彼は完全に捉えていたのだ。

 踏み込みと同時に振り下ろされた軍神の剣を、半身を引いてかわす。カウンターで稲妻のように跳ね上がった鉄剣には、アルテラをして目を瞠るほどの魔力が込められていた。

 

 首を反らせ、薄皮一枚を斬らせながらアルテラは歯噛みした。初手で気づくべきだったのだ。アルテラに加減という概念はない。挙動を見切られていたとはいえ、全力で振るった初撃に反応してみせた時点で察してしかるべきだった。

 

 今や騎士からは、アルテラと同じく尋常ならざる魔力の奔流が吹きあがっていた。

 

「貴様」

 

 深紅の瞳が、騎士を貫く。剣を振り切った騎士はよけられたとみるや否や、脚力を強化して大きく間合いを取っていた。魔力操作を誤ったか、ぼろぼろと崩れ落ちる鉄剣を投げ捨てて、彼は背後からもう一本の鉄剣を引き抜いた。

 湧きあがる濃密な超常の気配。この神秘消えゆく今に在って、その残滓を色濃く宿す者。アルテラ、東ローマの皇帝と同じ、英雄の気質。

 

「流石、戦闘王。簡単にはいかないか」

 

 騎士はつぶやき、剣を撫でた。充填されていく魔力に、アルテラは鉄剣が一回り肥大化したような錯覚を覚える。

 

「んじゃ、ちょっくら俺と踊ってもらえますか。アルテラ殿?」

 

 さらりと爆弾発言を投げつけ、不敵に笑んだ騎士は荒々しい足取りでアルテラに踏み込んでいった。

 

 




評価、お気に入り登録ありがとうございます。

描写をまとめるのに時間かけ過ぎた……

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