ここでは、本編ストーリーすなわち表舞台の、裏側で起こっていた事を綴ります。読まなくても本編に支障はありませんので、お好きなときにご閲覧ください。原作様の単行本のカバー下にある四コマのような感覚で読んでいただければよろしいかと思います。
《注意点》
・本編で既出の事柄が再度掘り下げられたり、後出予定のネタに軽く触れたりすることがございます。ネタバレというほどではありませんが、ご留意ください。
・この『舞台裏』のお話は時系列に沿い、関連のある表舞台の話の次話として、随時割り込み投稿していく形になります。ご了承下さい。
なお、今回のお話は本編と対応する時間軸が長いので、9話までを読了してからの方が内容が分かりやすいと思われます。
「百合音を八番目の真祖のところに預ける⁉」
つい先程リビングに集められて風谷から聞かされた話に、有紗は思わず悲鳴に近い音域で叫んでいた。
わなわなと震える彼女と相変わらず本に視線を落としている冷優を交互に見て、風谷は「まぁ落ち着いて」と一言添えてから、更なる爆弾を投下する。
「実はさっき百合音が椿に拐われたようでね」
何でもないことのように告げられ、有紗は絶句した。前々から頭の構造が可笑しい人間だと知ってはいたが、それにしても衝撃的なことをさらりと言いすぎである。
一方で、未だに膝の上に本を開いたままの冷優が静かに顔を上げて風谷を正面から見据えた。
「お兄様があの子を連れ去った理由は、分かっているの?」
「大体は見当がつく。そもそもここ数週間、百合音はよく椿と会っていたんだ。勿論、彼が真祖だとは知らずにね。経緯は省くけど、仲良く世間話するような関係だったみたいだね」
「貴女は、それを知っていて放置した、と?」
冷優からの鋭い視線を向けられた風谷はわざとらしく肩をすくめ、困ったように眉尻を下げた。
「あの子のお人好しスイッチが入るとどうしようもないってことくらい、君も知ってるだろう?」
「…………………………」
すっと青い瞳を細めたものの、冷優はそのまま口を噤んだ。
沈黙を肯定と受け取ったのか、風谷は再び口を開く。
「それでつい先日、憂鬱の動向を探っていたら少しおかしな動きがあった」
「どんな?」
「一人の女子高生に関する情報を集めていた……まぁ、一言で言えば百合音の身辺調査だね」
にこりと冗談のように笑う風谷とは対照的に、冷優の表情が不快そうに歪む。
「まぁ、それに関しては適当に撹乱して別の情報に差し換えておいたから、彼らに君たちのことが知られる心配はないよ」
風谷のことだ、本当に“適当に”撹乱したのだろう。憂鬱の誰かさんがどんな情報を掴まされたのか、想像するのも気の毒である。
「さて、もう分かると思うけど、どうやら椿はあの子を気に入ってしまったみたいでね。わざわざ下調べまでしてから拐っていったわけだ」
実に用意周到でご苦労なことだね、と調子だけは愉しげなもののまま一切の感情が削ぎ落とされた声で風谷は締めくくった。目が笑っていない笑顔と似たようなものである。
「……それでどうして、百合音を預けるなんて話になるの?」
そう。本当なら今すぐにでも助けに行くべきはずだろうに、風谷に動く気配はない。風谷の話から八番目の真祖が敵意を持って百合音を拐ったのではないと分かるものの、人間である彼女が吸血鬼の巣窟に閉じ込められていることには変わりないというのに。
僅かながら怒りを滲ませた視線を向ける有紗にもう一度軽くたしなめる言葉を掛け、風谷はそこで真面目な顔をした。
「これは私の私見だが、今あの子を連れ戻すのは、他でもないあの子自体が納得しないと思うんだよ」
相変わらず、冷優は膝の上に乗せた本を読み進めている。それは、今のところ彼女としては口を挟むべき事柄がないと判断しているからであり、つまるところ現在行われているのは有紗と風谷の一対一の話し合いなのだ。
「前に、私がどうして椿に構うのかと聞いたとき、あの子は椿が“寂しそうに見えたから”と答えた。そしてもし今、椿の元からあの子を奪い返すような真似をすれば、あの子と椿はどうあがいたってそこで決別することになる。……さて問題、あの百合音が“寂しそうに見えた”人との関わりを絶ってまで今、この家に戻ってくることを望むと思うかい?」
「………………」
その問題の答えは、有紗も「No」だと思う。百合音は、助けたいと思った誰かから途中で逃げたりなど、絶対にしない人間なのだから。
しかし、有紗が訴えたいのはそういう事ではないのだ。そもそも風谷が……全体的に愉快犯な彼女が、そんな殊勝な理由で決断するだろうか。
「……………………で、本音は?」
有紗がジト目で尋ねると。
「面白そうだったから、つい」
一瞬前までの真剣な顔はどこへやら。俗に言うイイ笑顔で風谷はそう宣った。予想通りすぎる回答に有紗はがっくりと項垂れる。
「冷優ぅ……」
「私は異存ないわ。好きにしなさい」
曲なりにも百合音の
味方の居ない状況だが、有紗は挫けそうになるのをぐっと堪えて食い下がる。
「……敵意がなくても吸血鬼でしょ? 百合音が危ないってことには、変わりないよ」
「だから、“預ける”んだよ」
腹の底を読ませないいつも通りの笑みを浮かべて、風谷は白衣のポケットから二つ折りの携帯を取り出して軽く振って見せる。
「私は椿を知っている、そして椿も“私を知っている”。迂闊に手元に引き寄せたあの子がこの私の娘だと、知っただけであの化け狐は手が出せなくなる。あの男は、狐らしく狡猾だからな」
「………………」
その言葉で、風谷が敷こうとしているロジックはおおよそ理解できた。
あくまでも彼女は、椿を信頼しているわけではないのだ。ただ、八番目の真祖は百合音が風谷の娘だと知らされた状態で下手に手を出すほど馬鹿ではないと、そのしたたかさを信用しているだけだ。
はぁ、と溜め息が出る。
結局のところ、最初から有紗にはどうしようもなかったのだ。
じゃあそういうことだから、と上機嫌に言う風谷を目の前に、有紗は心の中で百合音に手を合わせた。
主の居ない部屋で長らく使われていなかった青いスーツケースを広げ、冷優と有紗は、百合音の荷造りをしていた。
あの話し合いの後、風谷からそうするように頼まれたのだ。そして風谷は風谷で別に確認しておきたいことがあると言い自室へ戻って行ってしまった。
衣類やタオルや洗面具など通常のお泊まりセットの他に、エプロンやトランプなど
淡々と進められていく作業の折、ふと顔を上げた冷優の瞳に、窓際の花瓶に生けられている白い花が留まった。形の整った柳眉が訝しげに潜められる。
(……無趣味なあの子が、自分から花なんて飾るわけがない)
鈴白百合音は素で人助けが趣味という部類の人間だ。そして暇だと言ってはボランティアに参加したり部活の助っ人をしている。大抵のことはこなせる要領の良さと大抵の人間とは仲良くなれる愛想の良さを、十二分に活用しているわけである。
冷優が作業の手を止めているのに気付いた有紗が、その視線の先を追って。
「あ、あの時のお花だ」
「あの時?」
「このあいだの日曜日にね、外から帰ってきた百合音が持ってたんだよ。綺麗にラッピングされてたからお店で買ってきたやつだと思うけど」
「花を? あの子が?」
「うん。なんか、風谷に頼まれたって言ってたよ。……あれ、でも何で百合音の部屋に飾ってあるんだろうね?」
不思議そうに首を傾げる有紗を一瞥し、冷優は再び白い花を見つめる。
そして不機嫌そうな声で呟いた。
「……何が『見守る』だか」
「え? 何か言った?」
「いいえ、何でもな……有紗、それは?」
スーツケースに視線を戻した瞬間に有紗の手によってさりげなく放り込まれた物を見て、冷優は思わず口を挟んだ。
「“これ”? いるかなぁ、と思って」
「要らないでしょう」
「でも、八番目の
「使用可能かどうかではなく、“それ”を使うような状況にはならないと思うけれど」
「百合音だったらなる気がする」
「………………」
迷いのない有紗の切り返しに冷優は沈黙した。
理由は単純。冷優もまた、確かになる気がすると思ってしまったから、である。
冷優たちに頼んで詰めてもらったスーツケースを東京ワールドツリーホテルへ送り、百合音のスマホに電話を掛けて椿と交渉し、そして今。
ツーツーと悲しげに通話終了音を発する携帯をオフにして、風谷は愉しげに口許を歪めた。
(さて、これでこちらから出来る御膳立ては完了した。あとはあの子の立ち回り次第だ)
吸血鬼に囚われた娘に思いを馳せながらも、彼女の表情には一欠片の憂いもない。
それは、全て自分の掌の上だと思っているからなどではない。
寧ろ逆だ。風谷は彼女のための“舞台”をセッティングしただけに過ぎないのだから。
これから始まるのは『彼女』の舞台。
全ての観客を騙し、欺き、魅力する。『鈴白百合音』の一人舞台。
(ーーーーさぁ百合音、存分に演じて魅せてくれ。この舞台のスポットライトは君だけのものだ)
有紗が入れた“何か”は、このあと本編でちゃっかり使用される予定です。