SERVAMP -知られざる九番目-   作:カランコエ

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オトギリの生前の職が見た目通りのものになっていますが、あくまでこの連載内での設定ですのでご了承ください。


幕間2 『埋もれ木の花は独りでは咲けない』

 自分にとって必要な誰かが常に傍にいてくれるとしたら、それは幸福なことだろう。

 ……その“誰か”が幸福であるかどうかを、気にしなければの話だが。

 

 

『 埋もれ木の花は独りでは咲けない 』

 

 

 真夜中のことだった。

 

 椿からの指示をこなしてホテルへ戻ってきていたオトギリは、自室へ戻る途中、ふらりとした足取りで廊下を歩いている少女を見付けた。

 

(…………?)

 

 彼女は、数日前に椿の手で連れて来られた鈴白百合音という名前の“人間”である。

 一方の彼女も、ぺたぺたと廊下に響くオトギリの足音に気付いたのか、くるりと振り返った。

 

「あ……こんばんは、オトギリさん」

 

 ふわりと笑顔を見せる百合音に、オトギリはほんの僅かに眉を潜めた。表情こそ昼間の明るい笑顔と同じだが、顔色だけが酷く悪い。

 

「……何か、ありましたか? 百合音……」

「……………………」

 

 いつもの彼女なら、「何もないですよ?」とでも返しそうなのに、返ってきたのは沈黙だった。

 そして、器用に編まれていた糸が綻ぶように、その表情が分かりやすくぎこちない笑みへと変わる。

 

「…………ちょっと、怖い夢を見ちゃって。眠れないので、お水でももらいに行こうかなと思ってたんです」

 

 直ぐ部屋に戻りますから、大丈夫ですよ。

 おやすみなさい、オトギリさん。

 

 そう言って背を向けようとする彼女の手を、オトギリは咄嗟に掴んだ。

 

「オトギリさん……?」

 

 瞳を瞬かせる百合音に、暫し間をおいてからオトギリは真っ直ぐに視線を合わせて口を開いた。

 

「お茶に、しましょう。……私の部屋で」

 

 何となく、今の彼女を一人にするのは(はばか)られたのだ。人間である彼女は見た目通りの年月しか生きていない訳で、更には思春期で不安定な子供である。何より、普段と様子の違う彼女を放っておくことは出来なかった。

 

 手を引くオトギリに、無言で従う百合音。

 

 いつもなら、きっと間が出来ないよう上手に会話を繋げようとしてくる彼女がこうも口を開かないのは、やはり異常だった。ベルキアが桜哉並みに冷めているとか、シャムロックが一度も若という単語を口にしないのと同じレベルでおかしい。

 部屋に着き、丁度二人が向かい合える小さなテーブルセットの片方に彼女を座らせて、オトギリは色がお気に入りの電気ケトル片手に紅茶を選ぶ。もう夜中なので、茶葉はストレートで飲むのが美味しいものをチョイスした。

 丸いテーブルに紅茶を差し出せば、今度は自然な笑顔で百合音が微笑んだ。

 

「ありがとうございます。いただきます」

 

 ゆっくりと紅茶に口をつける彼女を赤い瞳で眺めながら、オトギリは普段の少女を脳裏に浮かべて、改めてその落差を痛感した。元気がない、と表現すればそれまでだが、どこか、弱々しいという印象すら感じるのだ。

 椿が彼女を連れてきたのはたったの数日前だが、彼女は既に、誰にでも優しく笑顔で接するその性格で“皆”と仲良くなっている。それこそずっと前からそこに居たかのように。

 未だにどうして椿がこの少女を連れて来たのかは分かっていないが、一つ言えるとすれば、彼女には周りの人を惹き付ける魅力が備わっているということ。経緯は不明だが、椿が彼女と関わり始めた切っ掛けもそれではないかとオトギリは思っている。

 

 微かな金属音を立てて、ティーカップがソーサーに戻された。

 

 百合音は俯いて、三分の一ほど残った紅茶の水面を見つめながら、ぽつりと。

 

「……別に、悪夢っていうようなものじゃないんです」

 

 独白のように溢れた呟きを、オトギリは静かに見守る。

 

「怪物に追い回されるわけでも、自分や誰かが死ぬようなものでもなくて……雰囲気で言うなら……知らない場所で迷子になってる夢、とかと同じような感じで……別に目に見えて怖いわけではないけど、少し、不安になるような、そんな夢を見て……」

 

 その台詞を聞いて。

 不安、という単語が少女の口から発せられたことに、オトギリは内心で強い衝撃を受けた。

 

(……困ります……。どうして……今更、当たり前のことに気付くなんて……)

 

 しかし分かっていたはずだ。どれだけ周囲と打ち解けているように見えても、彼女が本意なく拐われてきてこのホテルに半ば軟禁されているということは、変わらない。椿と風谷という人物との間でやり取りが成立したのだと言えど、そこに彼女の意思は含まれていない。そもそも、全く知らない環境に立たされて不安なく過ごせと言う方が無茶だ。無意識に溜め込まれたそれが夢となって現れても不思議ではない。

 オトギリは、彼女に何か声を掛けようとして、けれどそのまま口を噤んだ。大きくもないテーブル一つを挟んでいるだけなのに、目の前の少女との間に明確な隔たりが見えてしまったからだ。

 

 ……この少女は、“家族”ではない。

 

 初日に椿がベルキアに言った“預かりもの”という表現が一番適切なのだろう。何よりまず彼女は人間で、本来ならオトギリたち吸血鬼とは相容れない存在だ。

 

 吸血鬼は人間の血でなければ本能的な喉の乾きは癒せない。

 人間は吸血鬼なんて化け物に血を吸われることは望まない。

 

 当たり前のことだ。オトギリも人間だった頃ならば、吸血鬼に飲ませる血があるなら患者の輸血にでも使いたいと思ったことだろうと、容易に想像できるのだから。

 

「……そういえば、ちょっと気になっていたんですけど、椿さんってここに連れてくるまで私のこと、皆さんに全く話してなかったんですか?」

 

 口を開くべきタイミングで黙り込んでしまったオトギリを気遣ったのか、幾分顔色のましになった百合音が話題を逸らした。

 

「……はい。散歩に行かれる回数が増えた、くらいでした。……いつも気まぐれで、困ります…」

 

 椿がふらふらと散歩へ出ることは珍しくないのだが、思い返せばここ一月(ひとつき)くらいはその回数と時間が増えていた。かといって、椿がオトギリたちに向けて彼女のことらしき話題を持ち出したことは、恐らくはない。あったとしたら、(特にベルキアあたりが騒いで)もっと広まっているはずである。

 

「そうですか……。会う人会う人に初日のベルキアさんみたいな反応されるから、何でだろうって思ってたんですけど。まぁ、話にも上ってなかった人をいきなり紹介されたら驚きますよね」

「…………」

 

 どちらかと言うと、人間を好まないはずの椿が家族候補でも何でもない人間を連れてきた、ということに驚いているのだが、オトギリは敢えてノーコメントを貫くことにした。これ以上、彼女との壁を厚くしたくはない。

 

「でも椿さんって、最初はわりと、一人が好きなタイプなのかなと思ってましたけど……こんなに沢山の人に、家族に、慕われてる人なんですね」

 

 沁々(しみじみ)とした声色でそう宣った百合音に、オトギリは言葉を出さずこくりと頷いた。彼女がそう感じてくれていることは純粋に嬉しかったが、そのせいでまた、少しだけ少女との境界が深くなったようにも感じた。自分と少女では生きてきた境遇が全く違うのだろうと想像できてしまったから。

 憂鬱の下位吸血鬼(サブクラス)は、生前に悩み、傷付き、苦しみ、そして絶望していた者たちだ。

 椿はそんな、咲くことなく埋もれてしまった花たちを見付けて、家族として迎え入れてくれた。紅い紅い彼の花の隣で咲くことを許してくれた。どんな色もどんな香りもどんな姿も、等しく愛でてくれた。

 

 だから、オトギリたちにとって、間違いなく椿は必要な“誰か”だ。

 彼の家族として、彼の傍にいられることは、幸福なことなのだ。

 

 そして椿は、下位吸血鬼(サブクラス)のことをとても大事にしてくれている。元々鋭いが、こと“家族”に関することには本当によく気が付くのだ、彼は。気が付いて、言葉や行動を起こすことを惜しまない。オトギリたちが「必要だ」と言えば、椿はずっと傍にいてくれる。今までも、そうだったのだから。

 

 けれど、オトギリは考えたことがある。

 逆に椿にとって、必要な“誰か”とは、誰なのだろうかと。

 

 その“誰か”は、まずオトギリたちではない。

 椿は“家族”を大切にしているけれど、時に必要だと言葉を掛けてくれることもあるけれど、それでも違うのだ。オトギリたちは椿との繋がりが切れるなど考えられないが、椿はオトギリたちと繋がっていなくともきっと立っていられる。オトギリたちの思いはどう足掻いても一方的なものであって、椿はそれを受け入れてくれているに過ぎない。

 

 ……では、彼女はどうだろうか。

 

 目の前に座る少女は、他でもない椿が連れてきたのだ。何度も偶然の時間を重ねて、最終的に家族と住まうこのホテルにまで(さら)ってきた。それは決して意味の無いことではないはずだ。

 一つ懸念があるとすれば、今の二人の曖昧な関係性そのものだろうか。

 

 彼女と居るときの椿は、酷く不安定だ。

 

 少なくともオトギリはそう感じている。穏やかに笑い合っていても、次の瞬間には殺してしまいそうな、そんな危うさを常に秘めている。

 きっと椿自身にも、彼女の存在に関してはもて余しているところがあるのだろう。彼女は、鈴白百合音は、どこにでもいる人間とは違うから。

 

 少女は。

 紛れもなくそこに引かれているはずの境界線を、恐れることなく踏み越えることの出来る人間だ。

 

 彼女にとっては、椿やオトギリが人間ではないとか吸血鬼であるとかいうことは、大した問題ではない。椿は椿、オトギリはオトギリだと、そう言って受け入れるだけだ。彼女が焦点を当てるのはいつも、目の前にいる本人に対してだけなのだから。

 誰にともなくそのことを証明したくなって、オトギリは少女の黒い瞳と視線を合わせた。

 

「……百合音、手を、貸してください」

「?」

 

 疑いもなく素直に差し出された少女の右手。

 僅かに息を吸って、吐き出して、オトギリはその手を両手で包み込んだ。彼女との間に見えていた透明な隔たりは、たったそれだけで容易に霧散していった。まるでそんなものは最初からなかったかのように。

 

 伝わる温もりに、オトギリは祈るように目を閉じる。

 

 ーーーーもしこの少女が、椿が己に必要な“誰か”だと思って連れてきた人間なのだとしたら。

 ーーーー誰よりも底の見えない暗闇に埋もれていこうとする椿を、見付けてくれたのだとしたら。

 

(それなら…………どうか、)

 

 どうか、この手が彼の救いとなりますように。

 己の手より少しだけ幼い手に、オトギリは願う。願わずにはいられない。

 

 ……たとえ、その願いの先に少女の幸福が含まれていなかったとしても。

 

 




憂鬱下位吸血鬼たちの過去や椿への想いについては、原作を見てのあくまで個人的な解釈ですので、あしからず。

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