SERVAMP -知られざる九番目-   作:カランコエ

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今回は、20話で百合音が有栖院家にお邪魔してる間の冷優のお話です。


幕間4 『沈思黙考して溺れゆく』

 暗い暗い、水底へ。

 踏み出せばもう、沈んでいくだけ。

 

 

『 沈思黙考して溺れゆく 』

 

 

 ぺらり、ぺらり。(ページ)(めく)る音が響く。

 静かな自室で冷優は一人、夜半へ向けて日が傾く窓の外へ微塵も関心を示さずに、本の世界へのめり込んでいた。

 彼女が腰掛けているベッドの反対側には、スライド式の二重構造になっている白い本棚が鎮座している。中身は九割五分が埋まっており、その内六割が日本語以外の言語で記述された本だ。堅い学術書から夢のある小説まで、分類はされているものの種類は多岐(たき)にわたっている。

 音もなく、針が時間を刻む。

 何事であろうと、集中していれば時間の進みは速い。窓から入る光の量はどんどん減り、室内の明るさは読書には適さないほどになっていた。

 レースカーテンの引かれた窓の隣には、文字盤に金色のローマ数字が刻まれた時計が掛けられている。スイープ式の秒針は文字盤の上を止まることなく滑らかに動き続け、静寂を壊さない。長針は秒針に追い立てられるように進み、短針を道連れにして時の流れを示し続けている。

 

 数時間ただ本の(ページ)を捲る時間を過ごし、不意に室内に入り込む夕日の中に数羽の鳥の影が素早く過ったのを視界の端で無意識に捉えて、冷優は次の(ページ)を開こうとする指の動きを止めた。

 

 既に手元すら見にくくなっている室内の暗さにようやく気が付き、彼女は未練がましく(ページ)を捲ろうとする指を離した。読みそびれたそこに、慣れた手付きで長方形の栞を挟む。金色のそれは隅っこに猫のシルエットがあしらわれていた。

 中断した本を脇へ置き、冷優はそのまま後ろに倒れた。ぼすっ、と柔らかなベッドに受け止められるまま、白い天井を見上げる。

 

(……………………)

 

 読書から思考を放した瞬間、彼女の脳裏に浮かび上がったのは二人の人間の言葉。

 

『別に末の兄の側に付いたっていい』

『貴女が椿さんの方へ行きたいならそれはそれで構わないわ』

 

 随分前に風谷に言われた一言と、ついこの前に百合音に投げられた言葉だった。どちらも意味することは同じで、だからこそ理解しがたい。

 あの二人は、敵味方の区別という概念が薄い。

 敵でも助けが必要に見えたなら助けるし、味方でも間違っていると思えば対立する。

 特に百合音の方にとって、その区分はあくまでレッテルであり、彼女の行動方針を左右するほどの意味を持たない。

 

(……本当に、迷惑だわ)

 

 どうして彼女たちがそこまで冷優の存在を引きずり出そうとするのか、分からない……というわけでもない。風谷の思惑も、百合音の考えも、冷優はある程度把握していた。その上で迷惑だと思っているのだ。

 目を閉じて考えるのは、二人に示された道の先にいる兄のこと。

 

 椿。

 冷優と同じく七人兄弟の後に作られ、“先生”の死と共に存在を(ほうむ)られていた真祖。

 

 確かに、他の兄たちと比べて親近感がないのかと聞かれれば、否定は出来ない。

 しかしその親近感を台無しにするような理不尽な問題を、冷優は抱えていた。

 

(ある意味、“私”に相応しい(ごう)なのかもしれないけれど)

 

 彼女は他の真祖たちを、薄い紙の上に描かれた物語の登場人物のような感覚で捉えているところがある。一枚の膜を隔てた別次元の話を聞いているかのように、存在に現実味を欠いているのだ。

 それは彼女が知欲の真祖として、他の真祖たちの情報“だけ”を与えられたことの弊害(へいがい)である。今の冷優にとって兄たちは、活字の羅列で表現された小説のキャラクターたちと、大差ない。

 ……それが悲しいことなのか、幸いなことなのかは、彼女には分からないが。

 

 閉じた瞳を開けば、暗さは更に増していた。

 

 明かりを点けに来るお節介は、今はいない。学校帰りに怠惰の主人(イヴ)と一緒に、色欲の主人(イヴ)の家へお邪魔するのだと言っていた。帰ってくるのはきっと、しっかりと夜になったと言えるような時間帯だろう。

 横目でちらりと時計を確認して、再び冷優は瞼を閉じる。室内と同じくらい暗い海へと、身を投げ出す自分を想起した。それは闇だの孤独だのを表したものではなく、ただ純粋な彼女の思考を象徴したものである。

 思考の海の中は、静かで心地好い。

 何にも邪魔されずそこに溺れていられる時は、冷優にとって最も心安らぐ時間だ。

 深く沈んでいく感覚の中で冷優は、己を作り出した人物ーーーー椿曰くの、“先生”のことを考え始めた。

 

 あの人が九番目の真祖を作ろうとしたのは、ただの遊び心だったのではないかと。

 冷優はそう思っている。

 

 本当なら、最高傑作と云われた八番目が完成した時点で、研究の手を止めても良かったはずなのだから。

 九番目は云わば余談、(ある)いは蛇足(だそく)。……しかしそれだけに“特別”だったのかもしれない。

 

 瞳は『不可能の花』よりも青く、主人(イヴ)との限界距離は無限に、仲間を増やす能力は脆弱(ぜいじゃく)に。

 

 子供がブロックを組み上げるように、人形を着せ替えるように、意外性に走った産物。

 その行為には必要性も理念もなく、(だい)それた目的も意義もなく、ただ作られただけの存在。

 

 今となっては“彼”の真意は誰にも分からないが、少なくとも冷優は、そういうことなのだろうと解釈している。

 

(……それでもただ一つ、“私”に意味があるのだとしたら、それはーーーー)

 

 たった一人で八体もの化け物を生み出していた人間が、最後に作った化け物。

 七つの大罪に(なぞら)えて化け物を作っていたその人物が、最後に付け加えた本当の“大罪”。

 

 すなわち、知欲。

 ひたすらに知識を求める欲望こそ、人間の最も根本的な所に芽吹く罪であると。

 

 “先生”は最後に、その考えを形として示したかったのではないかと、冷優はそう思う。

 

(どちらにせよ元々、私にはお似合いの罪だったのかもしれないけれど…)

 

 流されることもなく下へ下へと、彼女の思考は深みへ沈んでいく。

 

 思い起こすのは、冷優が知欲の真祖(サーヴァンプ)として日の目を見た日のこと。彼女がまさに、『未知』への欲に負けた日のことだ。

 人とは結局、禁忌を破って知恵の実に手を伸ばした愚かな生き物なのだろう。

 ーーーーあの日冷優が、愚かしくも一人の人間の手を取ってしまったように。

 

(もう、懐かしく感じるほどね。それでも鮮明に覚えているわ。風谷……貴女が私を連れ出したときのことを)

 

 風谷が彼女に掛けた誘い文句を思い出し、冷優は今でさえ抗い難い欲を(あお)られる感覚に、目を閉じたまま眉間に(しわ)を寄せた。

 

 ……あれは今考えても、()()()と彼女は思う。

 

おいで君の知らない世界を教えてあげる

 

 あんな殺し文句を面と向かって言われて動かずにいられるほど、彼女は無欲ではない。寧ろあの言葉に揺り動かされないのなら、彼女の根幹に在るものを否定するのと同じことだった。

 

 海面の僅かな光から遠ざかるにつれて、胸が苦しくなる。

 それでもまだ、彼女は沈んでいく。

 

 今一度思考を傾けるべき事柄があったような気になって、沈み行く最中(さなか)に冷優は瞳を開いた。窓の外は完全に日が落ちて、部屋の中は暗闇に包まれていた。青い瞳を瞬かせ、今度は瞼を開けたまま、また溺れるように思考の海へ沈んでいく。

 

 もう一度、二人の言葉を思い出した。

 

 椿か、七人の兄たちか。

 どちらを選んでも構わないと言う彼女たちは二人とも、裏を返せばせめてどちらかを選べと要求している。

 

(……そろって馬鹿ね。そんなこと、最初から考えるまでもないのに)

 

 こればかりは、熟考の必要も感じないほどの自明(じめい)()であった。真祖(サーヴァンプ)は契約した主人(イヴ)によって性質ががらりと変わる。そのことの根本的な意味を、彼女たちは全く分かっていない。初めから、冷優が行動する(たたかう)理由など一つしか与えられていないというのに。

 

 一筋の光も見えないほど暗い場所まで沈んで、ようやく息が出来るようになった。

 それはまるで、彼女の安寧の地はそこであるのだと、暗に伝えているようだった。

 

 瞼を閉じたのと大して変わらない明度の視界で、ただ天井を見詰めながら。

 彼女はその後も、時間の許す限り思考に溺れ続けた。

 

 明かりを点けに来るお節介が帰って来るまで、ずっとーーーー。

 

 




風谷の“殺し文句”が空白なのはバグとかではないのでご安心ください。
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