SERVAMP -知られざる九番目-   作:カランコエ

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3. 目も眩むような

 キンコンカンコン、と終業の鐘が鳴り響く。

 

 放課後の解放感に浮き足立つ生徒たちの波を抜けて、その少女は昇降口を出た。

 通りすがりに気が付いて声を掛けてくる友人たちに笑顔で手を振り、その内の数人によるカラオケやショッピングへの誘いを器用に断り、結局誰とも並んで歩くことなく彼女は校門を潜る。校則に則って黒いヘアゴムを使いハーフアップにされた黒髪が春風に(なび)いた。

 

(随分暖かくなってきたけど、ここからまたすぐ梅雨に入るのよねー…)

 

 洗濯物が乾かない季節がやってくる、と学生らしくない悩みを浮かべつつ少女は帰路を進む。

 大通りに差し掛かったところで、同じく学校帰りの生徒たちから少し離れ彼女は細い裏道に足を踏み入れた。人気がないのがネックだが、地理的にはこちらの方がかなり近道になるのだ。

 

 そして、そんな危機管理意識の低い少女の姿を見掛け足を止めた人物が一人いた。

 

 黒い着流しに白の羽織を纏った、赤い瞳の男。線の細い身体がゆらりと、今しがた少女が入っていった裏路地の方へ向けられる。

 

(……今の子、前に道を教えてくれた子だよね)

 

 ハーフアップにされた長い黒髪と、女子にしては長身で細身な体躯。服装は前と違い制服だったが、その顔には確かに見覚えがあった。

 そして、既視感はもう一つ。

 少女の着ていた制服だ。明るいオレンジ色のブレザーにベージュのスカート、それに胸元の赤いリボンタイ。

 

(桜哉が最近着てる制服に似てるね)

 

 配色から予想するに同じ高校だろう。しかも制服に着古された様子が全くなかった辺り、一年生(どうきゅうせい)である可能性が高い。

 さてどうするか。

 彼の“家族”である桜哉という名の少年は現在、記憶操作を使ってとある高校に潜り込んでいる。普段の学校生活でも、人ではないことがバレないようにかなり気を遣っていることだろう。ならば、彼と交流があるかもしれない生徒に接触するのは控えた方がいいかもしれない。珍しく“家族”が楽しそうに続けている『暇潰し』に水を差すことはできない。

 そう思いながらも、彼の足は既に少女の後を追って路地に踏み込んでいた。一つだけ、気掛かりなことがあったのだ。

 

 少女の首元。制服のブラウスからちらりと見えた、真っ白なガーゼ。まるでぎりぎり制服から見えない位置に付けられたような、怪我の印。

 

(“そういう子”には見えなかったんだけどねぇ…)

 

 しかしもしあの少女が、それこそ桜哉と似たような環境に閉じ込められた子だったなら。彼にはそれを見過ごすという選択肢はない。

 裏道に入ると、丁度少し離れた曲がり角を曲がったオレンジ色の影が目に入る。その背を追って角を曲がると、からころと響く下駄の音に気付いたのか、数歩先で少女が立ち止まって振り向いていた。

 

「やぁ、また会ったね」

 

 コン、と足を止めて声を掛ける。少女が、黒檀のように黒い瞳を瞬かせ軽く首を傾げた。

 

「……………………えっと、」

「三日前だよ。君が雨宿りをしていた時に僕と会ったでしょ?」

 

 戸惑う少女にヒントを与えれば、癖なのか少し視線を下げて記憶を掘り出そうとしているのが分かる。そしてその視線が男の着物に留まった瞬間、少女ははっと目を見開いて顔を上げた。

 

「右手だけ萌え袖の人!」

「ちょっと、僕のアイデンティティをそこに集約するような言い方は止めてくれる?」

 

 非常に不本意な覚え方をされていたことが発覚した。

 

「全く……僕には“椿”って名前があるんだから。変な特徴で覚えないでよ」

「椿、さんですか。綺麗なお名前ですね!」

 

 そう言って、少女は笑った。

 一点の曇りもない、眩しいほどの笑顔だった。

 

(……あぁ、これは、)

 

 杞憂(きゆう)だったかな、と声に出さず椿は呟いた。

 それならば、もうこの少女とこれ以上関わる理由はない。そう結論付け、彼は適当にあしらって少女と別れようと思った。

 だから。

 

「……君の名前は、教えてくれないの?」

 

 だから、他でもない自らの口からそんな台詞が滑り出ていたことに、椿は内心で驚愕した。

 一方で少女は、椿の動揺に気付かないまま笑顔で答えた。

 

「私は“ユリネ”といいます。花の“百合(ゆり)”に“(おと)”と書いて、“百合音(ゆりね)”です」

 

 答えが名字ではなく名前だけなのは、椿がそうだったからだろうか。

 見詰めていると吸い込まれそうな黒い瞳から無意識に視線を外し、椿は一度だけ心の中でその名前を反芻(はんすう)させた。

 

「そういえば椿さんって、お散歩が趣味なんですか?」

 

 このまま立ち話を続ける気なのか、百合音と名乗った少女が他愛ない質問を投げ掛けてくる。

 

「そうだね。暇なときにぶらぶらするのは、好きだよ」

「てことは、ここら辺に来られたのは最近ですか?」

 

 話題が飛躍したように感じて椿は少女に視線を戻した。一拍おいて、質問に疑問で返す。

 

「……どうしてそう思うの?」

「だって、“散歩が趣味”でこの辺りに長く住んでる人なら、“美味しいお蕎麦屋さん”の場所くらい知ってると思いません?」

 

 にっこりと、話の内容を問わずに思わず頷いてしまいそうな笑顔とともにそんな風に返されて、椿は赤い瞳を細めた。無邪気で無垢なだけの子供かと思えば、意外と洞察力の高い人間のようだ。

 

「そう。正解だよ。最近まで海外を転々としていてね」

「わぁ、凄いですね! どんな国に行ったんですか?」

「そうだね、例えばーーーー」

 

 椿が外国の話を始めれば、少女は大きく頷いて聞き入りながら、話のネタが尽きない自然なタイミングで話題を切り替えていく。最近ニュースで取り上げられていた外国の時事的な話から、各国の料理の話、経済成長や少子高齢化の問題を挟んで、いつの間にか日本の話に戻っていたり、最終的には近くに新しくできたショッピングモールの話題になって、椿は随分と長い間少女と話し込んでいた。

 

 ふと、酷く眩しい夕日が目を焼くように射し込んできて漸く、椿は時間の経過に気付く。

 

 同時に、全くそんな気はなかったにも関わらず目の前の少女と会話を続けていたという事実に驚いていた。

 “一緒にいると楽しい、もっと一緒にいたい”。

 きっと、無意識に相手にそう思わせるような魅力を、彼女は持っているのだろう。

 

「ーーーー椿さん?」

 

 急に口を閉ざした椿に、心配そうな声が掛かる。何の不信感もなく知り合ったばかりの誰かを心配できるその心には、きっと汚れ一つないのだろう。だからこそ椿は少女に無言のまま背を向けていた。

 

「椿さん?」

「……少し用事を思い出して、ね。残念だけどもう行かなきゃ」

 

 そうですか…、と本心から残念そうな声が後ろから聞こえる。ありふれた去り際の常套句の一つだというのに、少女が疑うことはなかったようだ。

 

「ではまた、お散歩中に会えたらお話ししましょうね、椿さん!」

「……うん。また、ね」

 

 椿自身は、次に少女を見かけたときには声を掛けるつもりはないと、そう思っている。

 けれどたった今口にした「また」という言葉は、彼の心の中に確かな波紋を浮かべて、沈み込んでいくのだった。

 

 




椿さんが原作開始前に海外を転々としていたというのはあくまで捏造設定ですが、下位吸血鬼にどうみても外人が多いことと、日本ではあまり有名でないリヒトのことを知っていたことから、あながち間違いじゃないと思います(言い訳)。

そしてようやく名前が出てきた本連載の主人公は、こんな感じでコミュ力がカンストしてる子です。

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