SERVAMP -知られざる九番目-   作:カランコエ

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慟哭、霧雨、決断、追悔(ついかい)、もしくは罰。


26. 忘れ得ぬ(後編)

 昔話を聞いてほしいだけ。

 

 そう電話口へ言った途端、直ぐに風谷の語ろうとしている内容を悟ったらしき冷優が隣から「正気?」とでも言いたそうな目を向けてきた。そんな聡い彼女の唇に人差し指を当てて静寂を促しつつ、風谷は昔話の対象となる“少女”の名前を紡ぐ。

 

『…………』

 

 電話の向こう側は沈黙している。綿貫桜哉の方は風谷の意図を考えているのだろうし、椿は先に冷優が()()()()メンタルを潰してしまったせいで放心状態が続いているのだろう。兄の心に会心の一撃を叩き込んでおきながら、手持ち無沙汰になったのか手慰みにいつもの白い本を背表紙をなぞっている当の妹は、そもそも兄がそこまで大きなダメージを受けているとは思っていない可能性が高かったりする。精神面が強い主人を持つ故か、この程度なら容易に立ち直れるレベルだと思っているに違いない。とんだ二次被害である。

 まぁそんなことはさておき、交換条件は交換条件なので風谷は構わず話を進めることにした。この状態でお預けでは聴衆も焦れったいことだろうから。

 

 軽く息を吸って、吐いて。

 

 霧雨の中に取り残された少女と出逢ったあの日を思い浮かべながら、言葉を紡ぎ出す。

 

「ーーーー昔々、ある街に、一人の少女がいました。

 

 ーーーー少女は、母親も、学校の皆も、街の人々も、皆のことが大好きでした。

 

 ーーーー同じ様に、友達や先生、隣人に商店街の人たちも皆、明るく素直で優しい少女のことが好きでした」

 

 物語を朗読するように、努めて穏やかに、風谷は語る。この話において、彼女は登場人物ではない。少女の過去の一部を知るだけの、ただの語り部だ。

 

「ーーーーしかし、ただ一人、母親だけは…少女のことを愛してはいませんでした。いつからか家族を(かえり)みなくなった夫によく似た少女(むすめ)に、行き場のない憎悪をぶつけたのです。

 

 ーーーーけれど、それでも少女は母親のことが大好きでした。たった一人の母親なのですから」

 

 語り部という役に徹しながらも、最早呪いとすら思える“親子”という関係の醜悪さに風谷は内心で吐き気がしていた。きっとそれが母でさえなければ、少女の心の大事な部分を歪められることはなかっただろうに。周囲の人間がどれだけ悪意に塗れた悪人であったとしても、親さえまともであれば少女はきっと、その心根の優しさと強さでもって真っ直ぐに育った。彼女を拾って現在進行形で育てている風谷がそう思うのだからこれ以上の確証はないだろう。

 だが現実には悪意を持っていたのは母親で、周囲の人間は良くも悪くも“普通”だった。程々に好意的で、程々に他人行儀。酷い扱いを受けている子供を見過ごさない程度には善意的で、自ら余所の面倒事を掘り返そうとはしない程度には無関心だった。

 

「ーーーーだから少女は、傷付いた身も心も、周りの人間の目に留まらないように隠しました。自分が傷付けられていると知れば母親が責められると、賢い彼女には分かっていたからです。

 

 ーーーーだから少女は、嘘を吐きました。自分は何時でも元気で、笑顔で、何の憂いも無い健全な子供だと。友達に、先生に、周りの人間全てに、そう思い込ませる嘘を、たくさんたくさん吐きました」

 

 少女の中の歯車が空回りを始めたのは、果たしていつ頃からだったのだろう。子供は純粋だ、だから狂った歯車に自分で気付くことも直すことも出来ない。それは本来なら周囲の大人の役割であるはずだからだ。

 

「ーーーーそして不運なことに、少女には同年代の子供は勿論、大人の目さえ欺けるような、才能がありました。まさに天からの贈り物のような、()()()()()が。

 

 ーーーーだからだぁれも、少女の嘘に気付く人間は居ませんでした」

 

 そうして彼女は誰にも気付かれず、また彼女自身すらも自覚のないまま狂っていった。

 小説やドラマで有りがちかもしれないが、天賦の才能とは必ずしも当人に幸福をもたらすとは限らない。神様からの贈り物は、最悪の形で少女に恩恵をもたらした。

 

「ーーーーそんなある日のことでした。朝から空は不機嫌で、昼でさえ薄暗いような日でした。

 

 ーーーー少女が学校から帰ると、家の様子が違っていました。玄関には滅多に家には居ない筈の父親の靴が、転がっていました。

 

 ーーーー少女がリビングを覗くと、そこには赤い水溜まりに倒れる父親と、その傍らで赤い包丁を持って(たたず)む母親の姿がありました。

 

 ーーーー母親は少女に気付くと、狂った者特有の笑みを浮かべながら、少女にも刃を向けてこう言いました。

 

 ーーーー『あんたも気持ち悪いのよ。家ではにこりともしないくせに外では他人に媚売って生きて。外面ばかり良かったこの人に本当にそっくり』」

 

 …少女が家で笑わなかったのは随分昔に母親に『あんたの笑顔なんて気持ち悪い。吐き気がするから私の前で笑わないで』と言われていたからだが、そんなことは少女にとっても母親にとってもどうでも良いことだった。

 

「ーーーー少女は呆然としていました。ただ目の前の光景を頭の中で処理することで、幼い少女には精一杯だったのです。

 

 ーーーーだから目前に迫り、振り下ろされる銀の刃を見て、そこで初めて、少女は当たり前にこう思いました」

 

 ーーーー死にたくない、と。

 

 そこで物語は一度暗転する。

 その間に少女と母親の二人に起こった事は、()()()()()()

 

 状況証拠として挙げられるとすれば、母親が父親と()()()()()()()()辿()()()ということだけ。

 だからこれは風谷の推測に過ぎないが、恐らく彼女は当たり前の自己防衛本能に従って“反撃”したのだ。大人相手に子供の少女が(かな)うのかという疑問は確かにある。だが果たして、狂乱し理性を失くした大人と死を回避するためだけに思考の全てを費やした子供が相対した時、形成が逆転することがないと言い切れるだろうか。加えて、現在の彼女の戦闘能力の高さを鑑みれば、この頃にその片鱗があっても可笑しくはない。そして事実、あの状況から少女は生き長らえている。

 

「ーーーー少女は霧雨の降りしきる外へ飛び出しました。

 

 ーーーー少女は走っていました。霧雨で煙った街並みに隠されて、誰も少女には気付きません。

 

 ーーーー少女は走っていました。まだ幼い小さな手には不釣り合いな赤い包丁を握り締めながら。

 

 ーーーー走って、走って。少女は人の気配が全くないような薄暗い路地裏で、(ようや)く足を止めました」

 

 その時の事を、当の少女はあまり覚えていないのだと言う。否、覚えてはいるのだろうが、はっきりと思い起こすことを無意識に避けているのだろう。

 風谷にすらも、この頃の胸の内を明かしてくれたのは一度きりなのだから。

 

「ーーーー少女は考えました。どうしてこんな結末になってしまったのかと考えました。一体全体、誰が悪かったのだろうかと考えました。

 

 ーーーーけれどいくら考えても答えは出ません。何故なら、少女の目に映る世界には、()()()()()()()()()()()()()()()()()のですから」

 

 …それが、ある意味ではそれこそが、彼女の内側にある最も大きな“歪み”だった。

 

「ーーーーだから少女は、自分自身に罰を与えることにしました。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と結論付けたからです。

 

 ーーーーだから少女は、赤い刃を自分の首筋に突き立てました。左側に刺したら沢山血が出るのだと、いつか誰かが言っていたからです。

 

 ーーーーそして少女は冷たい地面に横たわり、世界の誰にも気付かれないまま、静かに目を閉じたのでした。めでたし、めでたし」

 

 昔話らしくそう締め括り、風谷は携帯に落としていた視線を上げた。上げた先には冷優がいたのだが、「今の話のどこに目出度(めでた)い要素があったの」かと剣呑な光を宿した青い瞳と目が合った。美人が怒ると怖いと云うが成る程確かに、秀麗な柳眉を(しか)められただけでも中々の迫力である。

 

『…アンタはその話をオレに聞かせて、オレにどうしろって言いたいんだよ』

 

 ややあって返された感想は、想定より棘のある声色だった。しかしそれくらいで丁度良いと、風谷は口角を上げる。

 

「別に、君に何かを求めたつもりはないな。ただ、そうだね、一つ言えるとすれば…」

 

 含みを持たせて、舞台を高みから見物をする脚本家のように語る。

 

「…人は、知ってしまった事実からは逃れられない。どれだけ見ぬ振りをしようともね。だから私はただ知って欲しかっただけなんだ。知った上でどう動くかは君次第さ。ついでに言うとこの話は、君に対しての“等価”だ。不公平だと言っただろう? 実は彼女にも同じだけのものを渡してしまっていてね。だからこれで、平等だよ」

 

 その気になれば読み解くことが出来るだけのヒントを残しながら、わざと回りくどい言葉を選んで風谷は語った。彼にその気があれば言っている意味は分かる筈だ。

 それに、今回は本当に、ただ「聞かせる」ことだけが風谷の目的だった。今この時点で既に、綿貫桜哉をレールの上に乗せることは出来た。従って後は見守るだけである。

 

「さぁ椿、これで取引は終わりだ。君も私も互いの要求を満たしたからね。望む結果であれ何であれ、対価は対価。ご贔屓にとは言わないけれど、また依頼があれば連絡したまえ。それでは失礼」

 

 どうせもう返す言葉もないだろうと、定型文に近い挨拶を最後にして。

 風谷は通話終了のボタンを押した。

 

 

 

 

 

 

 

 通話が切れられた後は、ただ静かだった。

 

 冷優が動物姿にならないようにとカーテンの締め切られた室内は、まだ日のある時間帯とはいえ暗い。二階であるためか表の喧騒は遠く、隣家の生活音も聞こえてはこない。二人の居るこの部屋だけが、世界から隔絶されたような空気に満たされて存在していた。

 暫く視線をさ迷わせていた風谷が、少し躊躇った後で静かに冷優の肩を抱き寄せた。されるがままに引き寄せられると、ふわりと香る吸血鬼の本能を擽るような()()()()。芳しいそれに知らずの内に目を細めた冷優に、静寂に溶けるような低められた声が囁く。

 

「……ごめんね。君をまた、“箱庭の世界”に連れ戻してしまったみたいだ」

 

 労るような口調で掛けられたその言葉に。

 

 ーーーー嗚呼、本当に、貴女は狡い。

 

 そう口から零れそうになったのを、寸前で冷優は唇を引き結んで抑えた。

 代わりに、ふるふると彼女の腕の中で冷優は首を横に振って彼女の言葉を否定する。

 

「…それしか選べなかった頃より、ずっと良いわ」

 

 喉から出たのは随分とか細い声だった。普段の声とは似ても似つかないことを自覚する。元々、あまり意識せずともよく通る声色を持っている冷優だが、今の声では説得力がまるで無い。

 

 それでも、本心だった。

 あの日差し伸べられた手を取って良かったと、冷優は心からそう思っている。

 

 兄姉(けいし)たちに己の存在を知られてしまったという現状を憂慮していても、その思いは揺らがない。…いっそ揺らいでしまえたら楽なのだが。

 抱き寄せられた格好のまま息を吸い込めば、くらりと理性を揺さぶられるような心地がした。人間には分からないが、この風谷巽という人間からは吸血鬼の衝動を酷く掻き立てる香りがする。薄い皮膚に隔てられた所を流れるその血は、口に含めば甘露のようだろうと容易に想像が出来る。血に飢えた吸血鬼は勿論、特定の主人(イヴ)を持つ真祖さえ惑わすような、上質な血の匂いだ。

 一般的な例を挙げれば、魔術師の血統の人間などはその家系の血の濃さにもよるが、概して吸血鬼に狙われやすい。名家と呼ばれる家系の者ほどその傾向は強い。しかし風谷本人の申告に依ればそんなに上等な家に生まれた覚えはないとのことだ。そのため幼い頃は万全な庇護もなく、外出するたび吸血鬼に襲われまくっていたと聞く。

 そんな彼女にとって、C3という機関は数少ない安全が保障された場所だったはずだ。

 だが風谷は五年前にその安全地帯を捨てた。言うまでもなく冷優を目覚めさせて逃げた一件だ。

 

 彼女は、何を思って冷優を、九番目の真祖を連れ出したのだろう。

 

 ずっと疑問ではあったが、ずっと()けずにいたこと。

 明らかに建前のような理由なら告げられた覚えがあるが、真意は隠されたまま。あの時の彼女が何を考えていたのか、推測は得意な冷優でも流石に情報が少なく、推し測ることが出来ない。

 最初の謝罪を言ったきり何も言わない風谷をその腕の中から見上げ、静かに意を決して冷優は口を開いた。

 

「ーーーーどうして貴女は、私を助けたの?」

 

 契約して真祖の力を手に入れようとする訳でもなく、実験材料として我が物にする訳でもない。かと言って解放するだけして野放しにすることはなく、親と名乗られても反感が湧かない程度にはしっかりと養われている。風谷には何のメリットもなかったはずなのに。

 未だにC3の研究員を彷彿とさせる白衣を纏い続ける彼女は、冷優の問い掛けにふっと口許を緩めて。

 

「……そうだね、今考えても若気の至り並みに無謀なことだったけど」

 

 慈愛と回顧を宿した瞳で、告げた。

 

「君に手を伸ばせれば、“あの頃の私”が救われる気がしたんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 通話が切られた後は、ただ重苦しかった。

 

 目下桜哉が検討中なのは、沈黙したまま動く気配のない椿をどうするか、である。忘れ去られていた気がするがここは桜哉の私室なのだ。こうなると分かっていたなら絶対に椿を部屋には入れなかったのに、と密かに独り()つ。

 

 先程、少女のーーーー鈴白百合音の過去の話を聞いて、何も思わなかった訳ではない。

 しかし桜哉は今、彼自身も意外に感じるほどに、落ち着いていた。

 

 元々、同族だと気付いていた関係だ。それなりに悲惨な過去を持っていても、驚きはなかった。昔話の最後の自殺未遂は少し予想外だったが、桜哉も人のことは言えない。

 ただ、風谷巽が語った話には救いも何もなかった。恐らく肝心な部分を彼女は敢えて語らず、鈴白百合音という名の少女を取り巻いた不幸だけを桜哉たちに教えた。何故ならば物語の最後があたかも少女の死を暗示していたが、実際には彼女は現在まで生き延びている。だからあの物語には必ずあと少しの続きがあった筈なのだ。にも関わらず情報屋はそれを切り取った。

 それが意味するのは“教えたくない”なのか、“知らせる必要がない”なのか。

 どちらにせよ彼女はあの後ーーーー包丁で自殺を試みた後、風谷巽に拾われたのだろう。吸血鬼になるでもなく人間の医療技術だけでよく一命を取り止められたなと、思わなくもないが。

 

 ただ、何となく、感想を付けるとすれば。

 それならアイツもきっと、嘘は嫌いなんだろうな、と。そう思った。

 

 嘘が嫌いな大嘘吐き、と。ここまで重なると最早笑えもしないが。

 

「ーーーーそのとき手を伸ばしたのが、僕だったら」

 

 不意に、隣の椿が囁くような声を出した。

 反射的にそちらへ顔を向けた桜哉に気付いた様子もなく、椿は言葉の続きを紡ぐ。

 

「…()は今でも、僕の傍にいてくれた……?」

 

 それは、独り言のようだった。

 

 いや、実際に独り言だったのだろう。あるいは心の中で思ったことを気付かずに口に出してしまっただけかもしれない。椿の声はそれくらいに力がなく、誰に聞かせるつもりもなかったように聞こえた。

 

 だから桜哉は、聞こえなかった振りをした。

 

 代わりに先程の通話に思考を戻す。風谷巽は最後にこう言っていた。先程の昔話は桜哉に対しての等価で、彼女にも同じだけのものを既に渡していると。それはつまり、彼女も桜哉の過去について知らされているという意味だろう。一方だけが知るのは“不公平”だから、もう一方にも等しく過去を伝えた。あの回りくどい説明は、恐らくそういう意味だ。

 彼女は桜哉の過去ーーーー桜哉が吸血鬼になるまでの過程を知って、どんな感想を抱いたのだろう。お人好しな彼女のことだ、桜哉とは違い感情移入し過ぎて寝込んだとか、ちょっとあり得そうでひやりとした。実際それに近い事態が発生していたという事実を桜哉が知る(よし)もないのは、不幸中の幸いである。

 

 あぁ、でも、それにしても。

 

 やはり聞き流したつもりでも耳に残る。先程の椿の発言。

 “そのとき手を伸ばしたのが”ーーーー即ち、物語の続きで百合音を助けたのが、風谷ではなく椿だったら。それはありもしない、けれどあったかもしれない話だと桜哉は思う。

 

(もし椿さんがアイツを拾ってたら、か)

 

 そうしたら“今”は、どうなっていただろうかと。少しだけ、ぼんやりと天井を見上げながら桜哉はそんな未来を想像してみる。

 しかし直ぐに空想の世界には亀裂が走り真っ黒になって掻き消えた。ぱちりと現実に焦点を戻した赤い瞳には、ただ白いだけの壁紙が移り込む。

 

 それが、()()()()()()()()

 

 

 

 思惑は巡る。関わる人間の数だけ複雑に、抱えた過去の重さだけ混迷に。

 全ての者の胸に在るのは、只一つ。今の己を形作る、忘れられないあの日の事だけ。

 

 




お久しぶりでございます。更新遅くなるどころか放置になってしまい大変申し訳ありませんでした。

さて、原作様の方は新章突入で急展開をしているようですがこちらはこれからもマイペースな展開でいきたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いします。

今回の話は、百合音の過去を語り冷優の心情が語られ桜哉の反応まで描いたのですが、ふわふわと漠然とした回りくどい描写になってしまったのは完全に私の技量不足です。読者の皆様におかれましては、その類い希なる読解力を武器に行間を読み解いていただけたらと思います。


…え? もし椿が百合音を拾っていたらどうなっていたのかって?

とりあえず原作開始時点くらいに百合音は椿の元を離れていただろうし、最終的には“皆が幸せなバッドエンド”になっていたと思いますよ。あくまで作者の見解ですが。
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