SERVAMP -知られざる九番目-   作:カランコエ

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それは絶望の中で、灯るもの。


28. 消えない灯火

 有栖院御園のお見舞いという名の、各主従との顔合わせを終えた日の、その夜。

 夕飯も終えて、各自がそろそろ就寝しようかという時間帯。密かに頃合を見計らっていた百合音は、お風呂上がりで黒っぽいパジャマに着替えた姿でホットミルク片手にとある部屋を訪れていた。

 有紗の私室である。

 

「有紗、まだ起きてる?」

 

 扉越しに声を掛ければ、パタパタと形容するに相応しい足音と共に室内側からドアが開かれた。

 

「どうかしたの? 百合音」

 

 不思議そうな顔で迎えた彼女にすかさずホットミルクを差し出す。反射的に華奢な両手が素直にクリーム色のマグを受け取ったのを確認してから、百合音は努めて軽い口調を意識しながら本題を口にした。

 

「ねぇ有紗、今日大丈夫だった?」

「……今日って、病院に行ったこと?」

 

 こてんと傾げられた首に沿って、赤茶の髪がさらりと揺れる。話が続くと察したのか、有紗はそのまま百合音を部屋に招き入れてくれた。

 踏み入れたその部屋は、正に女の子らしい雰囲気の部屋だ。勉強机こそ百合音の部屋にあるものと同じ木目調のものだが、可愛らしいインテリア雑貨と手の平サイズのぬいぐるみで飾られているし、視線を下げれば猫の顔の形をしたミニテーブルに薄ピンクのもふもふカーペット、更にベッドには抱き枕サイズのテディベアが鎮座している。机の上の小物と先日風谷に押し付けられた窓際の花くらいしか彩りのない百合音の部屋に比べると、その違いは一目瞭然である。

 パッと見で誰もが女子の部屋だと認識するその空間の主たる少女は、百合音が訪ねて来るまで座っていたのだろうやや斜めに回転した状態の椅子に座り直して。

 

「特に何もなかったけど……そもそも百合音も一緒だったよね?」

「そういう意味じゃなくて。ほら、他の真祖と主人のペアに会うのは初めてだったでしょ? 怖くなかった?」

 

 問いかけながら、百合音はぽすんと座りなれたベッドへ腰を下ろしつつ、ハチミツ入りのミルクをふぅと冷ます少女の反応をさり気なく、だが注意深く観察する。

 そもそも、何故こんな質問をしにわざわざ彼女の部屋まで来たのかと言うと、勿論理由がある。

 今まで風谷によって何度も理不尽な非日常に放り込まれた経験のある百合音とは違って、有紗はそういった状況に対する免疫や耐性は低い。言わば一般人的な感性の持ち主だ。にもかかわらず今日は、そんな彼女を連れ出してあのような場に立ち会わせた。その緊張と精神的負荷を考えれば、気に掛けるのは当然の事だった。

 …本当ならば、冷優はともかく彼女までを、この兄弟戦争とやらに巻き込むような事はしたくなかったのだが。それでも、偶発的な状況で備えもなく巻き込まれるよりは、せめて味方には初めから仲間として紹介しておく方が安全だろうと冷優に言われ、百合音は反論できなかった。

 

「うーんと、別に何ともなかった、かな。色欲の主人(イヴ)も怠惰の主人(イヴ)も普通の人だったし」

「御園くんとか、苦手になったりしてない?」

「警戒されてたのは仕方ないよ。それに、後から優しい人だって分かったから大丈夫」

 

 柔らかな笑みを浮かべてそう答えた彼女に、ほっと一息つく。どうやら、心配していたほど相性は悪くなかったらしい。

 そしてふと、木目調の勉強机ーーーーより正確にはその上に広げられたノートへ視線を向けて、百合音は悲しげに表情を歪めた。

 

「………()()、書いてたのね」

 

 彼女の反応を受けて、有紗もまた困ったように眉尻を下げる。

 

「……うん。ほんとに、何ともなかったんだよ? でも、用事があって外に出た日は書いておかないと、なんとなく眠れなくって」

 

 本当はやめた方がいいって分かってるんだけどね、と小さく有紗が呟く。

 彼女には昔から、日記を付ける習慣があった。三人の内で最も早く風谷に拾われたのが有紗であるから、その習慣がいつから始まったものなのかを百合音は知らない。少なくとも百合音がこの家に来た時には既に癖づいていたからだ。毎夜、リビングでその日の出来事を日記帳に(したた)める彼女の姿を、ずっと見ていた。

 有紗がその習慣を止めたのは、言うまでもなく下位吸血鬼(サブクラス)となった頃からである。

 

 ーーーー一年前、緋月(ひづき)有紗(ありさ)は通り魔に襲われた。

 

 百合音と冷優が見付けた時には、(おぞ)ましい程の血塗れの状態だった。微かに呼吸があったのは奇跡。しかしそれも、数分も持たないだろうと分かる死に体。

 救急車など到底間に合わない。今にもこと切れそうな彼女を前にしてーーーー百合音は、何も出来なかった。

 冷優でさえ提示出来た手段は一つだけ。有紗に血を飲ませ、下位吸血鬼(サブクラス)にするという方法。

 

 躊躇う事に費やせた時間は数秒だけだった。ただ、失いたくない一心で、百合音と冷優は共にその“罪科”を背負うことを決めた。

 

 下位吸血鬼(サブクラス)として目覚めた有紗は、通り魔の事を覚えてはいなかった。正確には襲われたという出来事に関する記憶が混濁していた。顔は見た気がする、けれど男だったか女だったかすら思い出せない、と。彼女はそう語った。

 吸血鬼となった彼女は、しかし人間だった頃と何も変わらなかった。いっそ見た目からして明確に変わったと言える部分があれば、もっと受け入れやすかったのではないかと思う程に。明るい茶の髪も、小柄な体躯もそのまま。本来赤く染まる筈の瞳すら、元の紫紺色のままだった。

 少し、特殊なのだとーーーー知欲の罪を冠する彼女は言っていた。

 元々異端の九番目として生み出された冷優は、下位吸血鬼(サブクラス)を作る能力を低く“設定”されているのだと。

 だから有紗もまた、少々特殊な下位吸血鬼(サブクラス)と成った。瞳の色も変わらず、吸血衝動も弱い。日の光には拒絶反応があるが、長時間強い日差しに晒されなければ灰塵(ジン)へ還ることはない。

 弱体化された能力では、そもそも瀕死の人間を正常に吸血鬼として生き返らせることが出来るかどうかも怪しかったのだと云う。有紗が息を吹き返した時、滅多に感情の起伏を表に出さない冷優が安堵の息を吐いたのを、百合音は初めて目にした。

 後になって、比較的冷静に状況分析をしていた冷優から聞かされたのはーーーー『有紗を襲ったのは、恐らく吸血鬼だろう』という推測。大量出血の出処であった鋭い刃物による切傷痕の他、有紗の首筋にはくっきりとした噛み跡があったらしい。……この辺りは、全く冷静ではいられなかった百合音にとっては完全に伝聞情報でしかないのだが。

 

 そして、吸血鬼となって、その変化に心が適応できず、ルーティンワークだった日記を止めてしまったーーーー()()()()()()()()()

 

 切っ掛けは、確かに吸血鬼となったこと。だが有紗が明確に日記をつけるのを止めたのは、実を言うとその後日の出来事に端を発する。

 

 ーーーー“日記とは、過去を振り返る為のもの。限られた人生を忙しなく走り抜ける人間にとっては一時の回顧も大切だが、半永久的な寿命を持つ吸血鬼には必要ない。文字通りにキリがないからだ。だから日毎(ひごと)の出来事を際限なく綴るのは止めた方が賢明だ”、と。

 過去、有紗が下位吸血鬼(サブクラス)となって間も無い頃に、冷優が上記の内容をそのまま彼女に言い放った事で大喧嘩になった。勿論喧嘩をしたのは、まだ吸血鬼になった事に混乱を捨て切れない有紗に向かって一切の配慮もない言葉を掛けた事に激怒した百合音と、事実に基づいた忠告をしただけだと言い張る冷優の二人である。有紗は掴み合い寸前の言い合いをする二人の傍らで呆然としていた。普段誰よりも泣き虫な彼女は、その時だけは一粒の涙すら流さなかった。

 ともかくその一件以来、有紗は毎日日記を付けることを止めた。

 だからこそ夜のリビングで、無人のテーブルを見る度にーーーー百合音は一人、喩えようもない物悲しさを感じていた。

 

 悲痛な表情を浮かべて黙り込んでしまった百合音に引き摺られたのか、ホットミルクを机に置いた有紗は、日記帳の左側に置かれていたシャープペンシルを手に取って。

 

「……ごめんね、百合音。一緒に高校行こうって、約束してたのに」

 

 黒地に白い小花が散らされた、シンプルな柄のそれを握り締めながら、絞り出すような声で彼女はそう言った。

 そのシャーペンは、中学三年生に上がったばかりの頃に、二人が色違いのおそろいで買ったものだった。高校ではクラスが離れるかもしれないと思って、互いが互いの選んだ色を贈り合った。二人とも、自分なら絶対に選ばない色を渡されて、似合わないと笑っていた。

 

 そんな、当たり前に来ると思っていた瞬間が、もう永遠に訪れないのだと知ってーーーーそれを絶望と呼ばずして、何と言うのか。

 

 一年、だ。冷優や風谷のことは知らないが、百合音はその変化を日常として受け入れるまでに一年掛かった。一緒に登校出来ない事にも、気軽に日の下を並んで歩けない事にも、この一年でやっと慣れた。慣れたくなどなかったが、いつの間にか心が順応していた。

 だが有紗を襲った通り魔の犯人に対する感情だけは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 折を見て、機会を窺って、これまでもずっと百合音は犯人の手掛かりを探し続けていた。これはもう誰にも伝えてはいない、独断だ。だからこそ風谷にも冷優にも頼る事はせず、彼女自身の広げうる限りの人脈だけを使っている。

 …椿に拉致された時も、内心渡りに船だと思ったくらいだ。

 通り魔は吸血鬼。ならば同じ吸血鬼の方が情報を持っている可能性は高い。それがあの時、彼女が積極的にあのホテルの吸血鬼たちとの交流を築いた理由の一つだ。

 

(……有紗には隠しておかないと。私が未だにそんなことやってるって知ったら、また心配させちゃう)

 

 ただでさえ心配性な彼女に知られる訳にはいかない……いかないが、犯人探しを止める気も百合音にはなかった。どれだけ時間が掛かったとしても必ず見つけ出すと、あの日誓ったのだから。

 必ず見つけ出す。見つけ出してーーーー、

 

「ーーーー百合音?」

 

 ふと、その声に意識を引き戻された。

 

「…………………………、ありさ」

「顔色悪いよ? 大丈夫?」

 

 いつの間にか隣へ移動してきた有紗が、心配そうに顔を覗き込んでいる。ベッドがもう一人分沈んだ感触にすら気付かなかった。心配させたくないと思った矢先にこれか、と。酷い罪悪感が湧き上がる。

 それを自覚して、百合音は。

 

(……これは、ダメね。完全に()()()()()()())

 

 どうやら今日の件に関して()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と思い至る。

 

(そういえば売店に行った時、あの子とリリイさんが病室に残ってたわね。…何かあったのかしら)

 

 あの穏やかな性質の真祖が冷優の平静を乱すような事を言うとは思えないが。一応後で顔を見に行くべきだろうか、と思案する。

 一方その傍らで、百合音の様子がおかしい、と思ったのか、落ち込みまくった雰囲気を変えようとしたのか、有紗が(恐らく考え無しに)口を開いた。

 

「そ、そういえば気になってたんだけど! 今日、冷優は色欲の主人に『椿の味方じゃないのか』って聞かれて『敵対宣言までしたから、椿の味方ではない』って答えたよね?」

「…そうだったかしら。それが?」

「でもさ、その後に『だから色欲や怠惰たちの味方だ』とは、言ってないよね…?」

「……………」

 

 有紗の言わんとしている事を理解して、百合音は顔を(しか)めた。その反応を見て、「あ、言わなきゃ良かったかも」と焦っている彼女には悪いが、確かに明らかな選択ミスである。

 つまり、だ。冷優は椿の味方であることは否定したが、御園たちの味方であるとは言わなかった。それはつまりこの期に及んでまだ冷優は自身の身の置き場を表明していない、とも取れるのだ。

 と、いうことは。

 

「えっと、や、やっぱり冷優ってまだ、迷ってるんじゃない、かな…?」

「えぇー…、なにそれめんどくさい」

「ごめん百合音、でも現実逃避しないで」

 

 ぐでんとベッドに身を投げ出してスプリングの跳ね返りに身を任せる。

 …はっきり言って、百合音は敵だの味方だのの話に興味が無い。だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()。ならば最初から区別する意味が無い、と言う帰結である。

 その価値観故に冷優の発言には大した注意を向けてはいなかったのだが、有紗は違ったのだろう。彼女は敵にも非情にはなれないタイプだが、一方で敵味方の区別自体はしっかり付けるタイプでもある。

 

「……全部私の所為だって、言ったくせに」

 

 愚痴を零すように、百合音はそう呟いた。

 それは正しく愚痴だった。言っても仕方がないけれど、言わずにはいられないこと。

 きっとこの先、結局冷優は自らで決めて、自らで全て背負う。彼女は自分の選択に過不足なく責任を持てる性質だ。だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「………………」

「ねぇ……冷優もだけど、百合音も、本当に今回の“戦争”に参加するの?」

 

 躊躇いがちに、不安げに呟かれたその言葉に、百合音は徐に寝転んでいた体を起こして彼女へと向き直った。

 

「私は戦争がしたいんじゃなくて、椿さんを止めたいだけよ」

「それでも、戦いになるんだよね?」

「それが椿さんの選ぶ手段なら、ね」

()()()()()()()()()?」

()()()()()()()()()()

「…そっか。百合音だもんね。もう、憂鬱の真祖のことは大体わかってるんだよね」

「いいえ? 甘く見積って理解度四割いかないくらいかしら。前に一回失敗してるし」

「し、失敗?!」

 

 そこで、「あ、言わなきゃ良かったかも」と。

 先程有紗が思ったであろう事と同じことが百合音の脳内をよぎる。

 一方で、珍しいことに察しの良さを発揮してしまったらしき有紗の顔色からは血の気が引いていた。折角のホットミルクの血行促進効果が台無しである。

 

「失敗って、……ま、まさか憂鬱の所から帰ってきた時の首の傷っ…!」

「うんあれは確かに私が距離感間違えて踏み込みすぎちゃって反撃喰らったんだけど、間違えて地雷踏んだのは私だし椿さんの反応はある意味普通だから大丈夫大丈夫」

「全く! 何も!! 大丈夫じゃないよ!!?」

 

 がっと肩を掴まれてぐわんぐわんと前後に揺さぶられる。そう言えばこの話は、冷優と風谷は察していたようだが有紗には寝耳に水だっただろう。実は噛まれただけじゃなくて大量出血で意識不明までいってましたとか言ったら気絶しそうな勢いである。

 特に抵抗せず身を任せて揺れていると、やがて一時的な動揺が収まったのか、ピタリと前後運動が止む。

 見れば、俯きがちに赤茶の髪に隠された表情の奥から、今にも泣き出しそうな声色が零れ落ちてきた。

 

「ねぇ、百合音……無茶なこと、しないで。危ないことも。……お願いだから」

「……………………」

 

 それは、懇願のようで、既に有紗と百合音の間では何度も繰り返されてきた、確認の言葉だ。

 百合音にとっては、風谷に拾われる以前にも何度となく掛けられてきた心配の込められた台詞。常識的に無関心な大人たちの、形式美とでも揶揄出来そうな程に、聞き飽きた文言。

 だから笑顔で、何十回何百回と繰り返してきた定型文を、また繰り返す。

 

「大丈夫よ。私には武器(リード)もあるし、簡単にやられたりしないから。ーーーーだから、()()()()()()()()()()()()()()()…ね?」

 

 幾度も、何人もの相手に対して発してきたその言葉。

 相手の目を真っ直ぐ見て、精一杯の真摯さか、もしくは目一杯の明るさを込めて言うのがコツ。たったそれだけで、誰もが簡単に鈴白百合音のことを信じてくれた。

 

 だから。

 

()()()()()()()()()()。…だからちゃんと、無事で、戻ってきて」

 

 だから、目の前の少女から即答で返ってきた否定の言葉にーーーー百合音は心の底からの安堵の笑みを零した。

 それなら、大丈夫。有紗が居てくれる限り、彼女が()()()()()()()()()()()()、鈴白百合音は必ず無事で戻ってくることが出来る。

 それはいつも、ほんの少し気を抜いたら戻って来れなくなりそうになる足を止めて、振り返る為の楔になってくれるもの。

 

 あるいは、常に帰る場所を指し示す、消えることの無い灯台の明かり。

 

 




気が付けば最新話更新から半年以上が経過していた今日この頃。大変お待たせ致しました。

少し前に風谷と冷優の関係性について掘り下げたので、今回は“百合音と有紗の関係性”をテーマに綴りました。性格も価値観も異なっていても、それを理解した上で当たり前のように一緒に居る二人の“家族らしい”雰囲気が伝われば幸いです。

あと、一見有紗が百合音に守られっぱなし頼りっぱなしに見えるこの二人ですが、実は精神的には百合音が有紗に寄り掛かっている構図だったり、とか。
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