誓って原作キャラへのヘイトからくる描写ではありませんが、そういったシリアスパートが苦手な方はある程度の心構えをしてお読み下さい。
夜の街。祭りの喧噪の跡を色濃く見せる灯りたちを見下ろしながら、白い羽織を夜風に靡かせる彼ーーーー椿は、一際高いオフィスビルの屋上に佇んでいた。
人の手で開拓された『街』というものは、地上ほど明るく、空に近付くにつれて暗くなる。皮肉なものだ、空には目先の光など到底及ばない程の光源がいつもあるというのに。今は生憎と雲に隠されてしまっている、主役の座を奪われたその光を見上げて、椿は赤い瞳を細めた。
風が鳴る。ほんの僅かに。
次いで、とん、と軽い音。
ゆっくりと振り向いた椿の視線の先には、夜空とは対象的な白いワンピースを纏った少女の姿。
「ーーーーやぁ、来てくれたんだね。冷優」
「期待はなさらないで下さいと、申し上げたはずですが」
「それでも君は来てくれた。待っていた甲斐があったよ」
そのやり取りは、
さて、何故九番目の真祖である彼女が椿の元へ訪れたのか。それは少しだけ時を遡る。
あのお祭り会場の外側で冷優の姿を見付けた椿は、当然のごとく彼女に声を掛けた。そして、
彼女が降り立ったのは普通に話をするには少しばかり遠い位置取りだったが、幸いにして騒ぎの後の静かな夜だ。先の挨拶で、邪魔されることなく声が届くことは確認できていた。
呼び出した側の椿が何かを言う前に、口火を切ったのは冷優の方だった。
「それで、どのようなご用向きでしょうか」
相変わらず固い口調。しかし形良い唇から流れるように紡がれる敬語は、使い慣れているといった風であまりにも自然体だった。時代錯誤を気にしないのなら、それこそ「深窓のご令嬢」という表現が似合うような印象を受ける。
全てを見通しているかのような澄んだ青と視線が合って、椿はほとんど無意識に姿勢を正した。それは、ある種の緊張から来た仕草だったのかもしれない。
「君に、伝えておきたいことがあったんだ」
あれから。
公園で初めて顔を合わせて、電話での会話を経て、椿の方も多少は心境の整理を付けていた。何でしょうか、と事務的な言葉で続きを促す少女へ向けて、椿は悩んで見付けた彼なりの落としどころを口にする。
「僕は、君のことを大事な唯一の“妹”だと思ってる。たとえ兄さんたち全てが否定しても、僕だけは君の兄でいたいと思ってる。それは、君が兄さんたちの側についていたとしても、変わらない」
何故ならば、彼女は、彼女だけは初めから椿のことを兄だと呼んでくれたから。
彼女に対して家族としての感情を向けていいのかどうかすらも分からず悩んだ時もあったが、結局椿の心に残ったのはその思いだった。たとえ冷優の方が同じだけの感情を返してくれなくとも構わない。ただ、ひとりぼっちだと思っているのは寂しいから、ひとりじゃないという事だけは知っておいて欲しかったのだ。
椿の言葉を受けて、冷優はーーーー
「それは……お兄様は、まだ、私をそちら側に引き入れたいとお考えだということですか?」
「ーーーーーーーー、」
その問い掛けは、どんな意味を含んでいたのだろう。
どこか、意図がずれているような、嚙み合わないような違和感がした。
一体どこで彼女の真意を掴み損ねているのかと、今までの少ない会話を頭の中で思い返しつつも、椿はそれらを表に出さずに答えた。
「君が望んでくれるなら、もちろん。家族にはできるだけそばに居てほしいからね」
本心だった。既に二度断られてはいるが、もしも彼女が望むのなら椿は受け入れるつもりでいた。
椿は存在しない筈の8番目。兄姉たちからの誰からも知られなかった、招かれざる者。
だから、確かに、否定しようもないほど嬉しかったのだ。椿のことを知っていて、椿を兄と呼んでくれた彼女の存在が。そんな“妹”が望んでくれるというのなら、是非もない。
相対する少女は、椿の言葉に何かを思案している様子だった。磨き抜かれた宝石のような青が、ふと虚空を見つめる。
そして視線が椿へと戻されて、白い肌に映える鮮やかな色味の唇が動く。
「理解できません、お兄様」
一言。
たったの一言だったが、椿の心を軋ませるには充分なものだった。
思考が空白に染まる。
「え……?」
「憂鬱のお兄様が兄で、私が妹である。先生が定めたそれを“家族”と呼称することについては理解できます。けれど、どうしてお兄様が私をそばに置くことを望むのかが、分かりかねます」
まるで、教師に質問をする勤勉な学生のようだった。
あまりにも淡々としていて、ノートにメモした内容をそのまま読み上げているような無機質さ。場違いにもそんな連想をするほどの。
さっき感じた小さなずれが、一気に膨らんでいく。それはいっそ、何かに呑まれそうになっているような不気味さだった。
「それは、妹だからだよ。大事な、兄妹だから」
「大事な? その修飾語は適切とは思えません。今までのお兄様との会話を省みても、私がお兄様に何かしら、一定以上の価値を証明したという事実は確認できておりません。お兄様は何か他に、私に価値を見出しておられるのですか?」
「価値……それ、もしかして利用価値ってこと? 違うよ、僕は」
「何故ですか? 味方にと勧誘するのであれば、利用価値があることは前提です。
片端から椿の言葉が否定されていく。
いや違う。否定されているのは、言葉ではなく感情だ。冷優のことを大切な妹だと思っている椿の気持ちそのものを、目の前の少女は認めてくれない。
足元が揺れているような感覚に襲われて、椿は自身が
畳みかけるように少女が鋭利な言の葉を紡ぐ。
「価値がなければ邪魔なだけです。不要なものは切り捨てるべきです。
「違う……僕は君を利用したいわけじゃない。ただ、家族としてそばにいて欲しいだけなんだ」
その冷たい瞳に兄として映してもらいたくて、椿は一歩距離を詰めた。
どうか伝わってほしい。最初の最初から椿のことを兄だと認めてくれていた彼女に、椿もまた、彼女を大事な妹だと思っているのだと。だからこそ一緒にいて欲しいと思うのだと。
しかし。
「そばに? ……それは、例えば、人形としてですか?」
「ーーーーっ」
文字通りに絶句した椿を
「人形、道具、ただの物として、親しみを感じられる物をただ手元に置いておきたい。ーーーー
「違うよ!!」
これ以上聞いていられない。それ以上言わせてはならない。その一心で椿は声を張り上げた。
伝わらない。いや、これは違う。伝わっている、でも理解してくれない。言葉は正しく伝わっているはずなのに、そこに込めた感情を彼女は受け取ってくれない。
焦りで、乾いた喉がひりつく感覚がした。上手く回らない思考回路で、どうして自分が焦っているのかすらも分からないまま、焦燥に追い立てられるままに椿は彼女の元へと足を進めた。冷優は後退ることもなく、ただ椿を見ていた。
もはや隠せもしなくなった狼狽は、彼女にも
下書きをしてから丁寧に本線を引いていったような、美しい曲線で象られた唇が、また動く。
「……何かに利用するわけでも、愛玩用でも、観賞用でもない、と。それでは何の為に、でしょうか」
「それは……僕が、僕にとって、君は妹だから。唯一の、妹だから」
「希少価値の問題という事でしょうか」
「違う…違うよ。そんなんじゃない」
「それでは……そうですね、残る『理由』の中で、考えうる中で一番可能性が高いものを挙げるのなら、私がーーーー」
パン、と。
少女の言葉は、静かな屋上に突然響いた拍手の音に搔き消されて止まった。
「はい、そこまで」
聞き慣れた、別の少女の声が、場の空気を攫うように静けさの中を通り抜けていく。
瞬間的に頭が冷えて、椿はそちらを振り向いた。いつの間にか屋上の
彼女は無言でつかつかと歩み寄ると、やや強引な挙動で冷優を押しのけて二人の間に割って入った。それは無論、彼女の真祖を背に庇い椿と相対する形で。
見上げてくる黒檀の瞳は、椿が一度も見た事のない色を宿していた。
「すみません椿さん、この子、まだそういうのは“勉強中”なんです」
告げられた言葉は、口調だけならあっさりとした印象を抱かせるものだった。その、勉強中、という言葉の意味を理解しようと思考を回した瞬間、見計らったように百合音が続ける。
「勉強中って意味が理解できないなら、もうこの子を勧誘するのはやめて下さい。
それは今までに聞いたことがないような、突き放すような冷たい物言いだった。
(……あぁ、これは)
これは、どう見ても。
彼女は今、怒っている。恐らく椿に対しても、冷優に対しても。
初めて目にする少女の怒りに、その『感情』の温度に、知らず椿は安堵していた。冷え切った指先に温かなものが触れた時のように。
その時、不意に百合音の背後の彼女が主人の袖を引いた。言葉なく、何、という表情で少しだけ百合音が振り向く。つられて椿も冷優を見て、赤い瞳を見開く。
それは、よくよく見なければ分からないような、ごく些細な変化だった。僅かにーーーーほんの僅かに、焦ったような、動揺しているような表情で、彼女は己の主人に向かってこう尋ねた。
「百合音……私、どこか間違えていたの?」
「むしろ間違ってない部分が無いレベルよ馬鹿。ちょっと目を離した隙に、なに真剣な顔で他人のメンタルブレイクしようとしてるのよ」
憤り半分、呆れ半分、といった調子で、百合音はそう返事をした。
ある程度の冷静さを取り戻した頭で椿は思う。やはり彼女は怒っている、と。それでも庇う相手を違えないあたりが、この主従を繋ぐ信頼関係を表していた。
気を取り直したように、軽く振り返っていた顔を戻して正面から椿を見据える少女。手に武器こそないものの、毅然とした面持ちには隙も迷いもない。
「帰ってください椿さん。私、これからこの子のこと叱らないといけないので」
「……まだ、話が」
「言いましたよね『壊れますよ』って。本気で話の続きがしたいですか?」
ジリ、と低い温度の視線が椿を射抜く。百合音の方も、引き下がる気は一切ない様子だった。
これは、分が悪い。
直感的に椿はそう判断した。まだまだ付き合いは短いが、彼女の
無言で一歩、二歩と後退り、三歩目で高く下駄を鳴らして、椿はその場を後にした。
あとに残されたのは、夜の静けさと二人の少女だけ。
はい、またお待たせしてしまいましたが、なんとか投稿することが出来ました。
待たせた挙句に椿のメンタルが心配になるような話で申し訳ないです。前々からどこかでこういう展開を入れないとな、とは思っていたのですが、意外と早く機会が巡ってきてしまいました。
今回のキーポイントは、「人は、自分に出来ることは、相手にも出来ることだと無意識に思い込んでいる」ということ。
焦点を当てたのは勿論のこと「冷優の異質さ」です。はっきり言って読了後の感想は「何コイツ頭おかしい」が正解です。なまじ主人である百合音が、相手の言葉に込められた感情を読み取るのが異常なほど上手い人間なので、逆に一切読み取ってくれない冷優と相対して、椿はそのギャップについていけなかった感じですね。
ついでに言うと百合音が冷優に怒っていた理由は「椿を精神的に傷付けた」からであり、椿に怒っていた理由は「冷優のことを理解しないまま彼女の心に触れようとした」からです。
しかし椿への怒りについては百合音本人も「理不尽な怒り」であることを自覚しているので、本編でも表立ってその怒りをぶつけることはしていません。ただ、百合音と同様に人並みよりも「他人の感情を読み取ること」に優れている椿なので、当たり前のように百合音の感情を読み取ってしまっただけなのです。
それから、最後に。
お祭りの夜は、まだ終わっていません。