運動に秀でる松田とは言え、それを避けることが出来たのは奇跡だった。
遡ること3時間半前、午後8時30分。
松田は自室のベッドに寝転がり、漫画を読んでいた。
木場は八時に迎えに来ると言ったものの、時間になっても彼は来ず、とはいえ一人で学校に行くのは不用心な気がしたので、松田は着替えだけ済ませると時間を潰すことにしたのだ。
「遅いな、あいつ」
そう呟いて、ふと窓の外に目を向けた。
仰向けになっていたことが功を奏したのだろう、窓の外、夜空に浮かぶ不自然な影に気がつく。
それは輝く何かを手にしたそれは振りかぶり――――――。
強烈な嫌な予感に襲われた松田は、勘の囁くままにベッドから転がり落ちた。
次の瞬間、甲高い音を立てて窓ガラスが砕け散る。
飛び散った欠片は部屋中に散乱し、部屋が揺れて机や棚の上の物が零れ落ちた。
やがて静かになった頃、松田は頭を上げた。
振り返ってみれば、そこには一本の槍があった。
ガラス細工のようにも見えるそれは青白い光を放ち、その繊細な見た目に反して、一切欠けることなくマットレスと木製のボトムを貫いていた。
――あと一瞬でも遅れていたら、自分が串刺しになっていた――
はっと我に返ると松田は慌てて自室を飛び出した。
階段を駆け降りて、玄関に辿り着く。
並んでいたスニーカーに足を突っ込むと、勢いをそのままに飛び出した。
ドアの開いた先、そこには灯り一つない街並みが広がっていた。
「いらっしゃーい」
幼げな声がしたその時、松田は己の失態を悟った。
次の瞬間、松田は宙を飛んでいた。
水袋を叩いたような低い音、腹部を襲う強い衝撃。
肺の中の一切の空気を吐き出して、玄関とは真反対、後方へと飛んでいく。
やがて廊下の奥の壁へと激突し、背中を強く打ちつけた。
腹を抱えて、胎児のように丸くなる。声もなく痛みに悶え、額には脂汗が滲む。
コツコツと足音が響く。
やがてそれは松田の顔の前にやってくると足を止めた。
やっとのことで松田は顔を上げると、襲撃者の顔を見た。
「き、きみは……!」
「久しぶりっすねぇ、おにーさん」
見上げた松田の目に映ったのは見覚えのある顔。
ツインテールに纏めた金色の髪に、幼い顔立ち。
先週、駅前にて出会った少女、流都であった。
「流都ちゃん……? 何で……?」
「鈍いっすねぇ、おにーさん。 ウチがおにーさんを殺しに来た堕天使だからに決まってるじゃないっすか。あと、流都は偽名で本当はミッテルトって言うっす。短い間だけど、よろしくっすよ」
にやりと笑い、流都は、否、ミッテルトは松田の左腕を踏みつけた。
ミシミシと骨が軋み、痛みのあまりに声を上げた。
松田は右腕でその足をどかそうと掴んだり叩いたりするが、その華奢な見た目に反してびくともしない。
「いい声で鳴くっすねぇ……。そうそう、助けを呼んでも無駄っすよ。あの金髪のおにーさんたちは自分たちのことで手一杯っすから」
彼女は恍惚として語り、ふいに虚空へと手を伸ばした。
その手から青白い光が放たれると、それは瞬く間に一本の光の束となり槍を形作る。
「お姉さまから時間はたっぷり貰ったっすから、じっくりと楽しませて貰うっすよ。そうっすね……最初っすから謙虚に手とかでいくっすか?」
ぺろりと舌なめずりをしたミッテルトは、槍を両手で構えてその切先を松田の掌へと定めた。
「それじゃあ、一回目逝ってみるっすかぁあ!!」
振りかぶった槍が振り下ろされる。
☆
同刻、松田の住居から約2キロメートル地点。
街灯の淡い光に照らされる住宅街の路地、闇の中で火花や閃光が弾けては炸裂音と悲鳴が響く。
オカルト研究部部員もとい、グレモリーの配下が一人、木場裕斗は松田の保護へと走る中、はぐれ
「――――シッ!」
短い呼吸と共に剣を振るえば、鮮血が舞う。
崩れ落ちる
視線の先、次のはぐれ祓魔師が刀身の輝く剣を構えた。
勢いのままに振り下ろすが、防がれる。
木場の持つ西洋剣が輝く剣と克ち合うこと数度。
鍔迫り合いに縺れ込むと、男が左手を己の懐に突っ込んだ。
取り出したのは一丁の拳銃。
剣で両手の塞がった木場に防ぐ術はない。
「取ったッ!」
男が叫び引き金を引く寸前、木場は剣から左手を放すと、手刀さながら振り下ろした。
瞬間、その手には短刀が現われ、男の小手を打つ。
手首とともに落下した銃がアスファルトにぶつかり音を立てた。
「ぐぅっ……だが、ただでは死なん!」
「なっ!? しまった!」
右手の一刀で男を切り伏せる寸前、木場は男に羽交い絞めにされる。
振り解こうともがく木場が目にしたのは、輝く弾丸の雨だった。
光の弾丸が群れを成し、木場へと殺到する。
視界が白く染めるほどのそれは周囲のアスファルトをも蹂躙し、流れ弾を浴びた街灯は火花を散らし光を失った。
「……やったか?」
「いや、油断するな」
家屋や塀の陰からわらわらと男たちが現れる。
男たちは拳銃を構えながら倒れた人影を遠巻きに囲んだ。
無精髭の生えた男が顎をしゃくり死体を確認するよう指示を出す。
男たちの一人が頷くと拳銃を構えながら、倒れ伏す人影へと近づいていく。
一歩一歩、ゆっくりと踏みしめながら歩み寄り、襤褸きれのようになったそれの側に立った。
男は一度足で小突いた後、足先で引っ掛けるようにしてひっくり返した。
次の瞬間、その男の背から刃が伸びた。
ずるりと剣が抜けて男が崩れ落ちれば、その陰から傷だらけの木場が現われる。
剣を振り、刃に着いた血を払うと木場ははぐれ祓魔師たちへ構えた。
「撃ち殺せ!」
間髪を入れず、無精髭の男が叫んだ。
彼の言葉を合図に男たちの構える拳銃から、音もなく光の弾丸が放たれる。
木場は手に持った剣を振るい、雨霰のように襲い来るそれらを切り払った。
振るわれた刀身から黒い靄が放たれ、触れた弾丸は次々と溶けるように消えていく。
「馬鹿な!? 堕天使様の光で出来ているのだぞ!」
驚きのあまりに無精髭の男が叫んだ。
無理もない。天使や堕天使が宿し、彼らから授かった光の力は、正しく悪魔を殺すための毒。悪魔である限りその力から逃れることはできないのだ、本来ならば。
「
「神器持ち、だと!? 悪魔が身の程知らずな!」
はぐれ祓魔師たちに動揺が広がる。
その時だ。弾が切れたのだろう、雨霰の如く放たれていた光の弾幕が止む。
「今だ!」
フッと息を吸い、木場は剣を構えて踏み込んだ。
金色の髪を靡かせて、一迅の風となる。
「早く撃ち殺せ!」
「馬鹿、仲間に当たるぞ!」
「剣だ! 剣を抜け!」
男たちは口々に言い合うが、もう遅い。
木場は瞬く間に集団の中へと潜り込むと剣を振るった。
剣が閃き縦横無尽に刃が走る。
鮮血が舞い、真っ赤な花が咲く。
はぐれ祓魔師たちは次々と倒れていき、十を数える間もなく、その全てが地に伏せた。
「ふう……ちょっと危なかった」
ほっと溜息をつくと木場は額の汗を拭う。
腕時計を見れば、松田と合流する約束の時間をとうに過ぎていた。
「参ったな、まだ松田くんが無事だといいんだけれど」
松田の家へと駆け出そうとしたその時、首筋にチリリと焦げつくような感覚を覚える。
己の勘が示すままに木場は剣を振った。
硬質な音と鈍い手応えが剣から伝わる。
伏兵かと、木場は舌を打った。
息をつく間もなく再び凶刃が木場へと迫る。
その場から飛び退き一撃を避けると木場はやっと敵の顔を認めた。
「君は……!」
「よう、お久しぶりじゃーん。いやそんなほどでもないかも」
銀色の髪、神父服、嘲るような軽薄な笑み。
先日、松田を襲ったはぐれエクソシストの少年だった。
少年神父はクルクルと剣をステッキの様に振りながら近づいてくる。
「そういやぁ、自己紹介がまだだったな。俺はフリード=セルゼン、とある悪魔祓いの組織の方から来たものでございますですよ。冥途の土産に覚えとけよ! ああそうそう、お前の名前は言わなくていいから。犬のクソほども覚える価値ねぇから。つーか、一丁前に名前があることもおこがましいから」
「……相変わらず、品のない神父だね」
そう口にしながら、木場は剣を傾けた。
音もなく放たれた弾丸が刃に喰われて消える。
その様子を見て、銃を腰だめに構えたフリードは舌を打った。
木場が喋り出した瞬間、その隙を狙って早打ちを試みたのである。
フリードは腰だめに構えていた銃をクルクルと回すと口を開く。
「まあ、そうツレないこと言うなよ。俺とお前の仲じゃん? 肉屋ごっこしようぜ、オレが肉屋でお前が豚な!」
「……今は忙しいんだ、後にしてくれないかな?」
「はあ? 知るかよ、バーカ! ゴミの意見なんざ聞いてねぇんだよ!」
少年神父は罵声を上げると剣と銃を構え駆け出した。
――こんなことをしてる場合じゃないのに!――
沸き立つ焦燥を抑え込み、木場は再び剣を構えた。
☆
神器。
それは人類にのみ発現する規格外の力。
特定の個人に宿り、歴史上に名を残した偉人の多くが神器所有者であったとされる。
事実、学園で女子の視線を一身に集める木場裕斗、聖女とまで持て囃されたアーシア・アルジェントなど、神器を持つ者は何らかの結果を残している。
ところで、
エロボウズやらセクハラパパラッチやらと駒王学園の多くの生徒に知られる松田少年だが、実は彼が中学時代に様々な競技で数々の記録を塗り替えた
☆
走馬灯というのだろうか。
松田は凶刃が迫りくる最中、夢を見ていた。
学校、兵藤一誠、通学路、黒髪の少女、メール。
列車から見える車窓の景色のように、それは瞬きの間に脳の中で流れ、松田は
カンと乾いた音を立てて刃は松田の手に弾かれた。
「何すか!?」
「うおらああああ、ア゛ア!」
ミッテルトの驚いた隙をつき、松田は全力で左手を振り上げる。
吹き飛ばされた勢いのままに彼女は後方へと飛んだ。
着地した彼女は松田を睨めつけ、そして目を剥いた。
「『
松田は壁を支えにヨロヨロと立ち上がる。
壁に触れるその左手には、いつの間にか橙色の籠手が嵌まっていた。
金属質なその籠手は肘から指先までを覆い、その手の甲では緑色の宝玉がぼんやりと輝いている。
「そんな、だって前会った時にはそんな気配なんか!」
「クソったれ、やっと全部思い出したぞ……。あのアマ、馬鹿にしやがって」
ミッテルトが狼狽える一方で、松田はぶつぶつと何かの悪態をついていた。
額に手を当てて、まるで熱に浮かされた様子で無防備に立っている。
「は、はは、まあ何てことないっすよ。目覚めてすぐの神器使いなんか!」
ミッテルトはそう自分に言い聞かせると、手にした光の槍で松田へと襲い掛かった。
片手で構えた槍を一直線に、松田の腹へ目掛けて突き出す。
【Boost!!】
男とも女ともつかない合成音声染みた声が響き、宝玉の輝きが強くなる。
瞬間、松田は体を捻り、籠手で以てアッパーを放つ。
斜めに振り抜かれたその一撃は、槍を下方から叩きその軌道を外へと曲げる。
「えっ?」
槍は松田の右肩を掠め、後方の壁に突き刺さる。
およそ素人には出来ない動き、予想だにしない事態にミッテルトの思考は停止する。
一瞬の思考の空白、はっと我に返った時には既に遅い。
ミッテルトの眼前に迫った松田が右腕を振りかぶっていた。
「っらあ!!」
発声とともには風を切り、ミッテルトの顔を打ち抜いた。
少女の鼻骨が圧し折れる。頭蓋が軋む音を耳にする。
痛みのあまりに槍を手放し、己の鼻を押さえてたたらを踏む。
「イッタいじゃないっすかぁ!!」
ミッテルトは叫びと共に無造作に右腕を振った。
その手のうちに光の刃を形成しながら、目の前を滅茶苦茶に薙ぐ。
人知を超える凶刃が暴れ回り、壁を床を天井を切り刻んでいく。
しかし、松田はそれをゆらりゆらりと掻い潜り、するりと懐へ飛び込んだ。
「ごほっ」
ボディーブローが刺さる。
所詮は只人のひ弱な一撃。堕天使であるミッテルトの体には、大したダメージになりえない。
しかし、腐っても堕天使である己が只人に二度も傷をつけられたという事実が、狩られるだけの獲物が己を圧倒しているという現実が、彼女の心と自尊心を蝕んでいく。
「何なんすか…、何なんっすか、お前は!!」
再び槍を振るうが、やはり刃は松田を捉える事は出来ず、するりと懐に入られ一撃を加えられる。
怒りに飲まれ動きに精彩を欠き、ミッテルトが攻撃を受ける頻度が上がっていく。
終には、一撃に対して倍の反撃を受けるようになり、彼女が抱いていた感情は別のものへと変化する。
「あ、あああああ!」
己の死を予感して、ミッテルトは背を向け逃げ出した。
しかし、幾度もの打撃でボロボロになった身体では走ることなどままならない。
咄嗟に翼を羽搏かせるが、ここは狭い家屋の中、翼がつっかえていては当然飛ぶことなどできない。
「なに逃げてんだ」
松田は彼女の大きな翼を掴み引っ張った。同時に左手の鋼鉄の拳を握りしめて振り被る。
飛ぼうとしていたミッテルトの体が松田の下へと強引に引き寄せられる。
「そんな、こんな奴にぃいいいい!!」
絶叫するミッテルトへと鋼鉄の拳が放たれた。
それは彼女の
ミッテルトは白目をむくとその場にぐちゃりと崩れ落ちた。
【Time over】
籠手の宝玉から光が失われ、電子音声と共に体から力が抜ける。
残心が崩れ、松田は床に膝をついた。
額から汗がしたたり落ちる。
やがて呼吸が整うと松田は立ち上がった。
「————。」
玄関を出た松田は何かを呟くと、夜の闇の中へ消えていった。
松田くんが中学時代様々な記録を塗り替えた万能スポーツ少年なのは公式設定です(一巻25ページ参照)。多分、何かあったんだろね。