友人『兵藤一誠』を追うために上級悪魔『リアス=グレモリー』と契約し、魂を売り渡した松田だったが、彼を待っていたのは下っ端悪魔としての新生活だった。
オカルト研究部にようこそ
短針が『4』の字を指した。
未だ薄暗い部屋の中、ジリジリと鐘の音が響き渡る。
パッと目を覚ました松田は、枕元の目覚まし時計を叩くとベッドから降りた。
寝間着からジャージへと着替え、備え付けられた洗面所で顔を洗う。
ものの数分で身嗜みを整え終えると、机の上に置いておいたタオルと水筒を掴んで部屋を出た。
紅いカーペットの敷かれた長い廊下を渡り、階段を降りる。
玄関についてみれば、既に彼女は準備を終えて待っていた。
松田が挨拶をすると、彼女は紅い髪を揺らし振り返った。
「おはようございます。……すいません、待たせましたか」
「いいえ、私も丁度来たところよ」
立場は逆なものの、恋人が出来たら使いたい言葉だったよななどと松田は考えたが、これから始まるのはデートなどと甘い響きの物ではない。
「今日もお願いします、部長」
「ええ、それじゃあまずはランニング20キロからよ」
「押忍!」
笑顔でそう口にする彼女に、松田は顔を引き締めて頷いた。
☆
堕天使達との一件から二週間、一誠がいなくなってから約一か月が経っていた。
松田はあの事件で様々な物を失った。
親友、己の命、そして家。
そう、家である。松田がミッテルトに襲われたために彼の家はボロボロになってしまっていた。
幸いなことにリアスが修繕費を出してくれたが――彼女曰く、悪魔をやっているとその程度の大金は簡単に稼げるとのこと――、今度は家を直している間、松田一家がどこに住むかという問題が出てくる。
両親は引いた覚えもないクジを
そこで、松田はリアスの住む豪邸に住まわせて貰うことになった。
学園のマドンナである美女と一つ屋根の下。実に心躍る響きではあるが、松田を待っていたのはそんなに甘酸っぱいものではなかった。
「ランニング終わり、次は坂道ダッシュ100本!」
「押忍!!」
「良い調子ね、今度は腕立て100回」
「押忍!」
「まだまだ! 腹筋背筋100回ずつよ!」
「お、押忍!」
「ペース落ちてきてるわよ! 追加で50回!」
「押、忍!」
彼を待っていたのは、血と汗の塩辛い筋トレの日々。
というのも、下級悪魔に転生したことで松田の身体能力は劇的に向上したものの、悪魔としてはまだに下の下。文字通り魑魅魍魎が跋扈する世界では吹けば飛ぶような程度でしかない。
悪魔として生きていく以上戦闘は避けられず、一誠を見つけ助け出すためにも松田は一刻も早く強くなる必要があった。
故に、松田は主であるリアスに朝早くからの鍛練を申し付けられ、今日も今日とて励んでいるのである。
「筋トレ各種もこれで終わり、と。……これで今日のメニューは終わりよ。お疲れ様」
「お、押忍……」
リアスがそう言って微笑むと松田はへなへなと地面に腰をついた。
彼女から言い渡された朝練は、松田の予想を超えて厳しいものだった。
設定されたメニューが、ダッシュを百本以上やら筋トレ各種百回やらと度を超えているというのもあるが、それ以上に松田を苦しめたのが『朝』という時間帯だった。
様々な書物に残されている『悪魔』の生態には、いくつかのデマと虚偽が混じっているものの、そこまで外れているわけではないらしい――らしい、というのは松田がその手の本を読んだことがなく、リアスから聞かされたこと以上は知らないからだ――。
例えば、聖書に記される神はもちろんのこと、神聖なものや聖別されたものは文字通り悪魔にとって毒となるし、神への祈りや聖書の言葉は耳にするだけでも激しい頭痛を引き起こす。そして、朝日は悪魔の身体からあらゆる力を奪い去っていく。
そう、朝日である。
悪魔という生き物が夜行性であること以上に、朝日の放つ光には悪魔を苦しめる
しかし、この光は天使や
「はい、水よ」
「ありがとう、ございます……」
差しだされた水筒を松田は震える手で受け取った。
一気に呷りたくなるのを我慢して、松田はゆっくりと飲むように心掛ける。
スポーツドリンクの甘い味が口の中に広がって疲れた体にしみていく。
ごくりと喉を鳴らせば、火照った体を冷えていった。
水筒を飲み干して、松田はほっと溜息をつくと右隣にリアスが腰を下ろした。
ふわりと花のような匂いが香る。
なんとなく気恥ずかしく覚え、松田は正面をじっと見つめて何でもないふりをした。
リアスは松田を見て微笑むと口を開いた。
「それにしても、まだ悪魔になって日が浅いというのによく頑張っているわね。泣き言の一つや二つは言うかと思っていたのだけれど」
「あいつを見つけるためにも、早く強くならないといけないって言ったのは部長じゃないですか。それなら、泣き言なんて言ってる暇はないっすよ」
そう答えると松田は朝日に自身の左手を翳す。
光に透けた掌には赤い血が流れているばかりで、そこに何かが見えるわけではない。
しかし、松田はその手に特別な力が宿っていることを知っていた。
その力は『一定時間の間、自身の身体能力を倍加させる』というもの。
必然、その効果は通常時の身体能力が高いほどに増すため、リアスの課した鍛練こそが松田にとって強くなる近道となる。
「それに中学の頃は運動部だったので似たようなことをしてましたし……ここまでハードではなかったですけど」
「あら、それは初耳ね。何部に入ってたの?」
「陸上部です。ちょっとした自慢ですが、県大会で優勝したこともあったんですよ」
「へえ、すごいわね。それならレーティングゲームでも活躍してくれそうで楽しみだわ」
「レーティングゲーム?」
聞き慣れない言葉に松田は首を傾げた。
その様子にリアスはきょとんとすると、そう言えば話してなかったわねと呟いて話し始めた。
「レーティングゲームはプレイヤーである主とその下僕を駒として行なう大掛かりなチェスよ。爵位持ちの悪魔の間で流行している遊戯なの。ただ、単なる遊びとは違って、決闘の一つに使われたり能力を測る試験として行なわれたり、ゲームの勝敗が己の進退にしばしば関係してくるのだけれど……続きは今日の部活でしましょうか」
リアスはそう言うと立ち上がった。
松田が腕時計を見てみれば針は既に七時を過ぎていた。
汗を流し、着替えることを考えればあまり時間はないだろう。
彼女はジャージを叩き、砂を落とすと松田の方へ向き直った。
「さあ、帰るまでがトレーニングよ。駆け足!」
「えっ、メニューは終わりって」
「トレーニングが終わったとは言ってないわね。ほら、急がないと遅刻しちゃうわよ」
彼女のスパルタ振りを改めて思い知りつつ、松田はただ返事をした。
「……押忍!」
☆
「はぁ」
朗らかな日の照る通学路で松田はため息をついた。
人間の頃は心地の良かった日差しも、今では冷たい雨のように松田から気力を奪い去っていく。
朝練の成果もあり悪魔になったばかりの頃に比べれば、大分マシになったものの、それでも辛いものは辛い。
まるで大人一人に圧し掛かられているように重い体を引きずって学園を目指す。
そんな憂鬱な登校時間であるが、ここ最近の松田には楽しみがあった。
通学路の途中、高台と高台とに架かる歩道橋に着くと松田はコの字型の車止めに腰掛けた。
松田はふうと息をついて腕時計を確認しつつ
「松田さん、おはようございます」
柔らかな少女の声を耳にして、松田は振り向いた。
エメラルドのような碧眼に白い肌、金色の長い髪は朝日を反射してキラキラと輝いている。
どこか儚さを感じる彼女はいつかの時のような修道服でなく、駒王学園の制服に身を包んでいた。
「おお、アーシアちゃん。おはよう」
立ち上がり挨拶を返すと彼女―――アーシア=アルジェントは微笑んだ。
――アーシア=アルジェント。
彼女は二週間前にこの駒王町へとやってきた若い
シスターと言っても実は
その組織で『駒王町でなら追手を恐れずに平穏な暮らしを送れる』と聞かされ、彼女はこの町にやってきたのだが、それは真っ赤な嘘。件の堕天使達が彼女の身に宿る神器を奪うための罠であった。
あわや自身の神器を奪われるかと思ったその寸前、颯爽と現れたリアスの手により助け出されたのだという。
運よく命を拾った――神器はその人間の魂に根付いているため奪われると持ち主は絶命するという――が、身を寄せていた組織さえ信用できない彼女にもはや寄る辺はなく、哀れに思ったリアスにそのまま保護されることになった。
長らく望んでいたこととは言え、本当にこんな美少女と話しながら登校する日がくるなんてと、松田は拳を握り締めて喜びを噛み締める。
「松田さん?」
「おっと、何でもないよアーシアちゃん」
松田はアーシアに声をかけられて我に返った。
危うく貴重なこの時間を無駄にするところだったと自分を戒めると、松田は彼女に話し掛ける。
「今日でアーシアちゃんが学校に来るようになってから一週間になるけど、そろそろ学校は慣れてきた?」
「はい、クラスの皆さんも良くしてくれますから」
「そっか、それなら良かったよ」
リアスから安全な住居と戸籍を与えられたアーシアは、松田の同級生として駒王学園に通うことになった。
この町で暮らすならば、ただあの古教会のシスターとしてよりも駒王学園に通う学生として住む方が
彼女が入ったクラスが松田と同じ『二年B組』であることも、その
というのも、悪魔となった松田には『多言語理解』という新たな能力が備わっており――聞いた話では、人間と契約を結ぶために獲得した悪魔の持つ超能力の一つらしい――、彼女の通訳をするようにリアスから言いつけられていたのだ。
とはいえ、見目麗しく庇護欲のそそられる彼女はすぐにクラスの人気者となり、学校で一二を争う問題児である松田とは離されていることがほとんどだったが。
「それに困った時には松田さんが伝えてくれますもの。いつもありがとうございます」
「いやあ、大したことしてないって。アーシアちゃんならきっと一人でも大丈夫だっただろうし、まだこっちに来たばかりなのに日本語も随分話せるようになったじゃないか」
「そんなことないですよ」
とんでもないと言わんばかりにアーシアは頭を横に振ると、松田の手を取り両手で包み込んだ。
松田は驚いて足を止める。
振り向いて見れば、アーシアがこちらをまっすぐに見上げていた。
彼女は松田の手をぎゅっと握り締めると口を開く。
「私、松田さんがいてくれてとっても助かったんですよ。同じ言葉を話せる人がいるだけでとっても安心できるんですから。だから、そうやって自分を卑下しないでください。松田さんがいてくれて、私とっても嬉しいです」
「い、いや、別に卑下したつもりは……。へへ、うへへ」
思わぬ反応に松田は狼狽えるが、彼女の柔らかな手に全てがどうでもよくなり、ただ鼻の下を伸ばした。
彼女の柔らかな手に松田は鼻の下を伸ばしながらそう答える。
彼女には感情が昂るとボディタッチが増える癖があるらしく、こうして話していると時々彼女に触れられることがあるのだ。こうして手を握るなどはもちろんのこと、彼女が強く感激した時には抱擁することまであった。
ちなみに『もしかして俺に気があるのかも』などと勘違いした男子生徒たちが次々と彼女に告白しては玉砕し、通訳のために近くにいる松田へと憎しみを募らせているのは余談である。
「松田さん?」
「え? どうしたのアーシアちゃん」
ふと、彼女は心配そうな顔をする。
松田が首を傾げると彼女はむっとした顔をする。
「どうしたのじゃないです、松田さんまた調子が悪そうですよ」
「え? ああ、まだちょっと朝日になれてなくてさ」
「また我慢なんかして! だから、さっきも様子が変だったんですね」
「いや、あれはそう言うわけじゃ……」
「言い訳ならもういいです。ほら、そこにしゃがんで下さい」
頬を膨らませる彼女に流されるまま、松田は身をかがめた。
彼女は松田の頭に手を翳す。
フウと彼女の手から緑色の輝きが放たれて、光が松田の身体を癒し始める。
松田の身体に快い温かさが広がっていき、圧し掛かっていた重いものが落ちていく気がした。
しばらくして光が止むと彼女は口を開いた。
「どうですか?」
「……うん、すっかり良くなったよ。ありがとう」
松田は立ち上がりそう答えるとぐぐっと伸びをした。
「よかったです。また辛くなったら言ってくださいね」
「ああ、そうするよ」
「……本当ですよ、無理しちゃダメですからね」
「わかっているって、次からはちゃんと言うさ」
心配性な彼女に松田は苦笑する。
「ほら、そろそろ行こう。この時間だと走らないと間に合わないんだ」
「えっ!? はわわ、もうこんな時間! 急ぎましょう!」
そう言って松田が腕時計を見せるとアーシアは慌てて走り出す。
朗らかな日の照る道を二人は走っていた。
ひとまず投稿しましたが、次話投稿日は未定です。
追記;原作一巻を読み返したところ、レーティングゲームの成り立ちについて言及があったので修正。また、文中のいくつかの表現を変更。