赤龍帝が死んだ   作:ホウラ

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 旧校舎のある一室。少年はある少女と相対していた。
 少年の目の前に座る少女が尋ねる。
「先週会った時は、何も変わったことはなかったのね」
「はい、その日は帰りがてらにラーメンを食べて、その後はいつものように別れました」
 そう言って少年は頷いたものの、怪訝な顔をしていた。
「何か気になることでもあった?」
「いえ、何か忘れているような気がして……気のせいかもしれません」
「そう、もし思い出したら教えてちょうだい」
「はい。……話を戻しましょうか、俺が異変に気が付いたのは次の週になった時でした」 


2年B組欠席者無し

 週末の休日を挟み、月曜日。

 頭上にはぼんやりとした青色が一面に広がっている。

 天から柔らかい日の光が降り注ぎ、ぽかぽかとする坊主頭を松田はなんとなく撫でた。

 道の脇に植えられたツツジが薄赤色の花を咲かせ、その合間から三角にとがった草が背を伸ばして青々とした葉を広げている。

 始業式には満開に咲いていた桜も疎らになり始め、その花々の間からぴょこぴょこと若葉が顔を覗かせていた。

 

「おはよう、松田」

 松田が学生鞄を揺らしながら歩いていると、挨拶とともにポンと肩を叩かれる。

 振り返ると見慣れた顔がそこにあった、元浜だ。

 

「おう、元浜。おはよう」

 

 軽く右手を上げて挨拶を返すと彼もまた同じように手を上げた。

 通学路が同じこともあり、松田は元浜と一緒に登校している。

 特に待ち合わせをしたわけでもないのだが、一年繰り返すうちに自然と日課のようになっていた。

 松田の隣に並ぶと元浜は意気揚々と喋り出した。

 

「ふふ、朝からいいモノ見てしまってね」

「というと?」

「その時は他校のかわいい子が前を歩いていてさ、そこにこう、悪戯な風がブワーッと吹いてきてね……」

 

 そこまで言うと、元浜は天を仰いでフッと気障に笑った。

 光を反射した眼鏡の縁がきらりと光る。

 ほうと相槌を打つと松田は仰々しく腕を組んで神妙そうに尋ねた。

 

「ふむ、色はどうだった?」

 

 対して、元浜は一言一言を噛み締めるように答える。

 

「紫だった……」

「紫、か」

 

 二人は足を止めると青空を仰いだ。

 何処までも広がる空を一羽の真っ黒な烏が横切っていく。

 暖かな風が彼らの額をなでて、元浜の髪を揺らした。

 彼らの表情は悟りを開いた僧侶の如く穏やかであった。

 

「……大胆だな」

「……大胆だよな」

 

 己の感嘆を噛みしめるように松田は感想を言葉にする。

 元浜もウムウムと頷いて、しばしの間、二人は紫パンツに思いを馳せていた。

 なお、通学路の真ん中で佇む二人を避けては女生徒たちが冷たい視線を送っていたことは言うまでもない。

 この辺りではしばしば見られる光景である。

 何を隠そう、二人は学園で知らない者はいないほどの問題児。

『エロボウズ』に『セクハラパパラッチ』、『エロメガネ』に『セクハラスカウター』と二人とも様々な渾名が着けられる程に悪名を轟かせている。

 公衆の面前で猥談を行う程度は当たり前だった。

 ちなみに、今この場にいない兵藤一誠にはどういうわけか具体的な渾名がない。

 渾名がある分だけ矢面に出されることが多いので、松田はこの扱いの差に大変不満である。

 閑話休題、しばらく佇んでいた二人を嗤うように烏が鳴いた。

 

「おっと、こんなことしている場合じゃなかった。ホームルームの前にイッセーにDVD返さないといけないんだったぜ」

 

 烏の声で我に返った松田は再び歩き出す。

 遅れて意識を取り戻した元浜もその後に続く。

 

「へえ、お宝を貸し借りするような同志が他にもいるとはね、今度紹介してくれよ」

「……うん? いや、イッセーだよ。別に新しい知り合いができたってわけじゃないって」

「イッセー……? そんな名前の奴なんて知らないぞ、誰かと間違えてないか」

 

 はあ、と松田は呆れるような声で聞き返した。

 歩みを止めて振り返ると松田はやれやれと首を振って答える。

 

「まったく、寝ぼけてるのか? 『イッセー』だよ、兵藤一誠。いつも三人でつるんでいるんだから忘れるわけないだろ。この前も三人でラーメン食いに行ったんだしさ」

 

 松田がそう言うと元浜は首を傾げた。

 元浜は眉をへの字に曲げると困惑した様子で口を開く。

 

「知らないぞ、そんな名前の奴。高校入って以来、そんな名前の生徒とあった覚えもない。大体、ここ最近ラーメンを食べにいったときは全部二人きりだったさ。寝ぼけてるのは松田の方じゃないの?」

 元浜の言葉に松田は瞠目(どうもく)すると眉を(ひそ)めて尋ねる。

 

「元浜、何かあったのか? あいつのことを覚えてないはずないだろ、一年の頃からクラスも一緒なんだぞ」

「お前こそ何言ってるんだ、クラスにそんな名前の奴はいなかっただろ。お前こそどうかしているんじゃないのか」

「いやいやいや、そんな訳ないだろ。何で覚えてないんだよ、お前」

 

 同じクラスの生徒の話。

 学校内で流れる噂のようなフワフワとした話題ならともかく、そんな答えが明らかな話を二人はしているのだ。本来ならば、揉めようもない。

 それにも関わらず、二人の会話は全く噛み合うことはなく、お互いが物わかりの悪い相手に苛立ち白熱していく。

 

「いないって言ってんだろ、さっきから失礼な奴だな。どうかしているとしたら、お前の方だ」

 

 やがて元浜が吐き捨てるように答えるとハアとため息を吐いた。

 

「今日はもう話し掛けないでくれ。不愉快だ」

 

 低い声でそう告げた元浜は松田を押し退けて足早に去っていく。

 松田はその背に向かっておいと声を掛けたが、元浜が振り向くことはなかった。

 

「何だよ、あいつ」

 

 不貞腐れたように呟き肩をすくめると松田もまた歩き出す。

 きっと寝ぼけているのだろう、思い出したら向こうから謝ってくるに違いない。

 そう暢気(のんき)に考えていた。

 

 

 

 学校へ一人到着した松田は教室へ入ると自分の席へと着いた。

 自分の席へと向かう途中で元浜の席のある方へと目を向けたが、目の合った途端にそっぽを向かれてしまう。

 今日一日、松田は彼と話す事は出来ないだろう。

 松田が鞄の中の教科書を机の中に移していると声を掛けられる。

 

「ねぇ、ちょっと。元浜と何かあったの? あいつ、何か凄い機嫌が悪そうじゃない」

 

 桐原だ、彼女は女子から毛嫌いされている松田たちと親交のある奇特な少女である。

 彼女は内緒話をするように松田に顔を近づけると潜めた声で尋ねる。

 

「いや、ちょっと言い合いになってさ」

 

 松田がばつの悪そうに答えを濁すと、彼女はふうんと口にして肩をすくめた。

 

「まあ、詳しくは聞かないけど、早く仲直りしちゃいなさいよ。馬鹿に明るいあなたたちがそんなだと、クラスの雰囲気まで辛気臭くなっちゃうもの」

「おう、すまんな」

 

 松田は愛想笑いを浮かべつつ謝ると、彼女はいいのよと言って松田の席から離れていった。

 しばらくして、一時限目の授業の準備も終えた後、松田はぼんやりと席に座っていた。

 普段ならば、空いた時間は元浜や一誠と話をして潰していたのだが、元浜とは喧嘩してしまったのでそういう訳にもいかなくなっていた。

 一方、一誠の方はと言うと、どういうわけか一向に登校してこないのである。

 ちらりと黒板の側にある時計を見てみれば、ホームルームまで五分を切っていた。

 松田は教室を見回してみたものの、依然として彼は姿を見せない。

 寝坊でもしたのだろうかと、首を傾げる松田の脳に今朝の出来事が過る。

 

――知らないぞ、そんな名前の奴――

 

 ふと浮かんだ考えを松田は笑ってしまう。

 いくら何でも、『突然、知り合いがが初めからいなかったことになる』なんて出来事が現実で起こるはずがないだろう、漫画の中の話ではあるまいし。

 考え過ぎだろうと松田が結論付けたところで、教室のスピーカーから予鈴が鳴った。

 ガヤガヤと騒ぎながら生徒たちが各々の席に着く。

 ガラガラと音を立てて引き戸が開き、担任の先生が入ってくる。

 先生が教卓に着いたのに合わせて、学級委員が起立と口にした。

 

「おはようございます」

 

 生徒たちは立ち上がり、号令に合わせて礼をする。

 一瞬の静寂。

 着席の合図に併せて皆が椅子へと腰を下ろした。

 

「よし、出席を取るぞ……」

 

 そうして先生は学級名簿を捲ると生徒たちの名前を呼び始める。

 いつも通りの、何も変わらない朝の風景だった。

 ただし、それは『ここまで』だったが。

 しばらくして、先生が出席を取り終えた頃、松田は一誠の名前が呼ばれなかったことに気づいた。

 それ事態は別段珍しい話ではない、予め電話などで欠席の連絡が入っている時は、しばしば出席確認の際には省かれるからである。

 今日もまた、そういうことなのだろうと松田はなんとなしに先生へ尋ねた。

 

「先生、一誠は休みですか」

 

 手を上げて松田がそう言った瞬間、ざわりと教室の空気が変わった。

 クラス中の視線が松田に突き刺さっている。

 驚く者、呆れる者、嘲る者、反応に差はあれど、一様に失敗した者に向ける目だった。

 周囲の様子に困惑する松田を他所(よそ)に、先生は目を丸くして答えた。

 

「何言ってるんだ、松田。一誠なんて名前の生徒はこのクラスにいないだろう」

 

 一瞬、すべての音が遠く小さくなり、その一言だけが嫌にはっきりと松田の耳に届いた。

 背筋が凍りつき、呼吸が止まる。

 全身の毛が逆立って、松田の細目が限界まで見開かれた。

 

「……っはぁ?」

 

 狼狽える松田がやっとのことで絞り出したのは、ただそれ一言だけだった。

 

「ははん。さては松田、寝惚けて一年の時のクラスと間違えたんだろう。ダメだぞー、早く寝るようにしないとな」

 

 先生がしたり顔で言うとクラスのあちこちから笑い声が漏れる。

 まるで授業中に素っ頓狂なことを言った時の具合で、担任の先生もどの生徒も暢気に笑っている。

 まるでいつも通りな様子で笑っている。

 

「おかしいだろ」

 

「何で、誰も覚えてないんだ?」

 

☆  

 

「薄情な奴らめ」

 

 口から零れた悪態は白昼の静けさの中に溶けていく。

 辺りに人気はなく、大通りから離れたこの道からは車の走る音さえも届かない。

 聞えるものと言えば、時折に遠くで鳴いている鴬の声くらいである。

 午前十時、大小様々な家屋の並ぶ住宅街を松田は一人歩いていた。

 あの後、松田はクラスの皆に一誠の存在を訴えたが、誰一人として彼を信じることはなく、それどころか担任の先生から早退して自宅で療養するように言い渡された。

 どうやら、頭が()()()()()()()()()のは松田だと思われたらしい。

 言われた通りに学校を出た松田だったが、素直にその言葉に従う気はなく、向かったのは自宅ではなく一誠の住む兵藤家だった。

 自身の正気を確かめるのはもちろんのこと、忘れ去れた本人がどうなっているのか心配だったのだ。

 幸い、幾度か一誠の家へと招かれたことがあったので、彼の家への行き方を覚えている。

 黙々と歩き続けながら松田は右手の携帯電話の画面をチラリと見る。

 画面には電話帳に記録された連絡先がずらりと並んでいるが、そこに『イッセー』の名はない。

 いつのまにか、メールアドレスから電話番号、過去のメールに至るまで『兵藤一誠』への連絡先は消えていたのだ。

 本来ならば携帯電話の電話帳に記録されているものをわざわざ電話番号を覚えているということもなく、松田は一誠の家を直接訪ねる以外に彼と連絡を取る手段を失っていた。

 しばらく歩いていると見覚えのある曲がり角に差し掛かる。

 普段、松田が一誠の家へ遊びに行くときに目印にしている場所だった。

 目的地までもうすぐである。

 

「やっとか……」

 

 今朝からの異常事態に疲れていたのだろう、松田は千里を歩いてきたような心持になっていた。

 ふうとため息をつき、大きく息を吸った。

 その時だ。

 つんとした焦臭さが松田の鼻を突く。

 それは家で魚や肉を焦がしたときのようなものと違う、様々な臭いの混ざったような、形容しがたく嗅ぎ慣れないものだった。

 そう、それはさながら……。

 松田の脳裏に嫌な想像が浮かぶ。

 半ば確信ともいえるその強烈な予感に駆られて松田は走り出す。

 角を右へ曲がり、コンクリート塀に沿ってまっすぐ進み、左に曲がる。

 そして松田はそれを目にした。

 

 黒い。ベージュ色だった壁は黒い煤にまみれて汚れてしまっている。

 ガラスの無くなった窓からはさらに真っ黒に染まった室内が見えており、その奥に空いた穴からは青い空まで覗いていた。

 玄関のあった家屋の左側は焼け落ちて、抉れるように崩れ落ちた壁からは炭化した柱が露出している。

 庭は消火に使われたであろう水でドロドロにぬかるんでおり、近くの側溝へと流れていった水の軌跡を灰と思しき汚れがなぞっていた。

 一誠の家は焼け落ちていた。

 

「一体、何が起きているんだよ……」

 

 へなへなと足から力が抜けた松田はその場にへたり込む。

 焼け落ちた友人の家を松田はただ呆然と見つめていた。




「あいつの家、日曜日に火事に遭っていたらしいんです。近所の人に尋ねたらすぐに教えてくれました、『空き家から身元不明の焼死体が二つも出た』って、何でもその辺りで噂になっていたそうで」
 少年はそう言ってうなだれる。
「俺、あいつの家によく遊びにいってたからよく知ってるんです。二人とも優しくてとってもいい人でした」
 少女にはただ黙って聞くことしかできなかった。
 すすり泣く声が響いていた。

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