戦姫絶唱シンフォギアF to G 片翼の鳥 作:きさらぎむつみ
恋に生きた女性より、想いを咲かせよと力を託された者の幕間劇。
想いの向かう先にあるのは、防人の構えし剣の
* * *
畳敷きの道場で二人の女性が向かいあい、互いに相手を見据えていた。
一人は白い道着に紺染めの袴。その手にした木刀を正眼に構えている。
片や、白い道着に黒の
その両手がゆっくりと上げられ、まるで見えない刀を持つような構えを取った。
その姿勢は、紺袴の女性よりやや前傾か。
「良いぞ、翼」
「では、参る」
互いにそう言葉を放ち、また静寂が二人を包む。
その静寂を破ったのは、木刀を構えていた女性からの風切り音。
ヒュンッ、と。
強い踏み込み一歩で間合いを詰めた女性の木刀が振り下ろされる。
その動作に合わせるように、黒袴の女性がわずかに下がる。
正中を断ち切るかの如く真っ直ぐに振り下ろされた木刀を躱すように斜行、転回した女性が振り下ろされた木刀を持つ腕に片手を添える。
その手に込めたほんの少しの加圧、それが木刀を振り下ろした女性の重心を踏み込んだ足からわずかに前方へと押しやる。
それで十分。
添えた手で軽く掴みながら捻りを加え、もう一方の手も添える。
そのまま、相手の木刀を持つ手をまるで己の得物のように少し振り上げ、
「や」
振り下ろす。
軽く掴んだ腕の持ち主の身体が、いとも容易く宙で回転する。
バンッ! とやたらに派手な音が道場に響き渡る。
しかし、その音の大きさほどには叩き伏せられた女性に衝撃は無い。
掴んでいた相手の手が床への衝突の際に引かれていたし、彼女自身もしっかり受け身を取っていた。
「流石だな、歌織は」
「何を言う。お主ほどの技量が無ければこれほど奇麗には決まらんよ」
木刀を持つ女性を掴んだ手で引き上げながら、歌織と呼ばれた女性は言葉を返す。
「そもそも、稽古での“剣取り”を決められぬようでは、私は何だという話になる」
すっと起きあがった木刀持ちの女性に、歌織は続ける。
「しかし、以前にも増しての技の冴え。見事なものだな、翼」
「これほど奇麗に投げられた後では、その言葉も複雑に思えるな」
「邪推するな。お主も先ほどまで私を幾度も斬り伏せていたではないか。結局私はお主に、一太刀も浴びせられず仕舞いだ」
歌織は道場の壁際に畳んで置いていたタオルを手にすると、その一つを翼と呼んだ女性の方へと投げ渡す。
片手でタオルを受け取った木刀を持つ女性、風鳴翼はそれで首回りの汗を拭った。
「先に汗を流して来い。私は
「悪いな、では先に頂こう」
翼から渡された木刀を道場の壁に掛け、歌織も翼と共に道場を後にした。
再び、道場は静寂に包まれる。
* * *
大きな檜風呂を備えた浴場で一人、翼はシャワーを浴びていた。
(……変わらんな、歌織は)
朝方、自室を出てバイクを飛ばし約二時間。隣県にあるこの地原家に到着して挨拶もそこそこに掛けられた言葉が「では一勝負と参ろうか」だった。
風鳴家とは遠縁の、分家筋に当たる地原家。
先代以前は疎遠となっていた間柄だったが、歌織が翼の叔父である風鳴弦十郎に師事して以来、多少なりとも交流があった。
(あの頃から何も変わっていない……奏と私と、共に鍛錬を積んだあの頃から)
身体を纏う石鹸の泡を流し、湯船の中へ足を下ろす。
肩まで浸かった湯の温かさは申し分なく快適だった。
(奏がいなくなって私が足を運ぶことも無くなっていたが……ここでの思い出を遠ざけていたかったからかもしれない)
翼は過去に思いを馳せる。
天羽奏と風鳴翼、地原歌織の三人で互いを鍛え高め合った日々の記憶に。
(今思えば、私が一人で張りつめていただけだったのだろうな……そのせいで、歌織とも距離を取ってしまった)
考えてみれば、あのライブでのことがあって以降、歌織が風鳴の家を訪れることもなかった。
彼女なりの気遣いだったのだろう。
しかし、弦十郎との定期的な遣り取りは続けていたようだ。
そしてこの度、久方振りの御招待である。
(きっと今まで、私は
湯船の
(少しずつでも返して……いや、こう堅苦しい考え方もいけないのだろ――ん?)
物音に、翼の思考が中断する。音は脱衣所からのものだったようだ。
脱衣所の引き戸が開けられ、閉められ、そして続いたのは衣擦れの音。
(今、この屋敷には私と歌織しか居ないはずだが……)
浴場の戸の磨り硝子越しに肌色の人影が見える。
(まさかっ!?)
がらがらがらっと音を立てて開けられた浴場の戸の向こうには、一糸纏わぬ女性の姿。
翼は咄嗟にその両腕を胸の前で交差させる。
「歌織ッ! 何故入ってくるッ?」
地原歌織その人であった。
「何、私も汗を流しに来ただけだが?」
「それは、私の後ではなかったのか?」
「いや、考えてみればそれでは昼餉の支度が遅くなってしまう。大事な客人を待たせるわけにはいかんだろう?」
さもあらん、と堂々と言ってのける歌織。
「……歌織は、それが本音だから対処に困る……」
「ん? 女同士、見られて困ることもなかろう。以前も稽古後は三人で湯浴みしたではないか」
すでに歌織は蛇口を捻って、シャワーからの湯で身体を流していた。
「一人で入るには無駄に大きい風呂桶だが、このような際には都合が良いな」
一通り身体を流し終えた歌織が、翼の浸かる湯の中へと身を下ろす。
二人が向かい合わせで足を伸ばしても触れ合わない広さの湯船。
「ん、いい塩梅だ……翼には
「いや、そうではない……」
翼は内心諦めつつ、胸の前で合わせていた、身体の正面を隠すようにしていた腕を解く。
はっ、とわずかに張っていた気が口から漏れた。
「……道場でも思ったが、こうしてみるとやはりお主は、引き締まったいい肉付きだな。羨ましい」
「なッ! どこを見て言っている!?」
「二の腕や脛だ。私は最近、余計な肉が付いた。少々身体を動かす機会が減ったのでな」
思わず声を荒げた翼の言葉など意に介さず、歌織は自分の腕を
「あ……ああ、そうか。しかし、大学でも武芸の活動は何かしらあるだろう?」
「いや、あちらでは勉学のみだ。私の武技を披露できるような場も無いし、披露してよいものではないからな」
風鳴に連なる地原の武術は元来が
「これまで本腰を入れられなかった物事を深めるのはそれはそれで興が乗るが、なかなか思うような両立とは行かぬな」
「そうなのか……難しいものだな」
「何を言う。
「いや、あれは……支えてくれる人たちがいればこそで、己の力だけで為していることではない」
「そのように支えてもらえるのは、やはりお主の力が為したことであるだろう。それは誇ってよいことだ」
「そう……なのか?」
「
翼の問いを一言で肯定する歌織。そのまま仰ぎ見るように天井の方へ視線を向け、立ち上る湯気の行方を眺めていた。
「……もしや、胸のことだったのか?」
「……はあッ!?」
歌織の呟きに一瞬遅れて声を上げる翼。
「いや、確かに小振りな方ではあろうが私も
「それはここを見て言っているのか!」
翼は思わず、再び両腕を身体の前で交差させ、慎ましやかに成長を続けている胸を歌織の視線から隠した。
急に身を捩じらせたので、湯に波が立つ。
「そこ“も”見ていただけだが、何を気にしている? 私もお主にこうして晒しているではないか」
確かに、翼の視線の先には歌織の裸体が湯船に浸かっていた。
隠しもせず、気にもせず、惜しげもなく。
(た、確かに私も見てはいるし、本人が言うように……しかし、立花ほどはあるか? いや、上背が有る分だけ歌織のは大きく感じない……と、そういう話ではなくっ!)
「気にしたところで、急に変わるものでもなかろうよ」
「……まぁ、確かに、その通りなのだがな」
歌織があまりにも“この件”に対して素っ気ないので、翼も気にするのが馬鹿らしくなってくる。
「人の肉体も心も、何かしらの切っ掛けが無ければ早々には変わらん」
「ああ、そうだな」
そう答えて、翼はゆっくりと湯船で立ち上がる。
「もう上がるか?」
「少々長話をしたようだ。これ以上は湯中りしそうだ」
「浴衣は用意しておいたぞ。湯冷めせんようにな」
「ああ、済まないな」
歌織が入ってきた時と同じように引き戸を開け、翼は浴場から出ていく。
(……何かしら無ければ、変わらん――変われんよなぁ……)
一人、浴槽に残った歌織は呟きもせずに、ただ思う。その視線は、立ち上る湯気を追いかけて再び天井へと向かった。
湯の温もりを味わいながら、歌織は目を閉じる。
(切っ掛けを得て変わったのか、変わるために切っ掛けを欲したのか……)
歌織の思いは、瞼の裏のくらやみに湯気のように散って消えた。
* * *
「ありもので済まんな。山菜は近隣の農家から分けて頂いた朝取りのものだが」
「素麺か。昔はよく食べたな」
「弦十郎叔父が山のように茹で、それを皆で平らげていたな」
歌織が用意した昼食は他に山菜の天麩羅、ホウレン草の御浸しを添えた胡麻豆腐の冷奴という、夏らしい涼やかな和食だった。
「時に、叔父殿は御壮健か?」
「ああ、あの人は相変わらずだ」
(腹を貫かれる大怪我をしたというのに、もうすっかり治してしまったからな)
翼は、件の人物がつい
歌織は、翼や弦十郎がどういったことをしているのか、どのような役目を担っているのかを知っている。
その為に奏が、命を散らせたことも。
知っていて、自ら距離を取っている。
そのような彼女に要らぬ心配は掛けたくない、と翼は思っていた。
「では、頂こう」
「ああ、頂きます」
手を合わせ、二人は箸を取る。
翼は歌織の料理の腕も知っている。
「うん、美味しいな。特に天麩羅が」
「むしろ、
「大学へはここから通っているのか?」
「こちらからの方が近い。去年、免許も修得したしな。もっとも、通学には使用せんが」
独りは色々と気楽だ、などと続ける歌織。
おそらく、これ以上は掘り下げてくれるな、という意思表示だろう。そう、翼は聞き取った。
「そういえば翼、お主は先日まで欧州へと飛んでいたのであったな。向こうは如何様であった?」
「こちらで歌う時と何ら違いは無い。私は、目の前の観客に向けて、その時の全てを込めて歌うだけだ」
「
歌織は箸を留め、翼を見据える。
「歌女の覚悟は、防人のそれと同等か」
「そうだな……今の私には、どちらも同じように大事なものだ」
翼は、それを先々月までの騒動の中でそれを思い知らされた。
翼をそう変える“切っ掛け”となったのは、おそらくは“彼女”との出会い。
「そうだ。歌織も驚く話があるぞ」
「ほう、それは是非とも聞かせて貰おう」
「最近、叔父の修行を受けた者がいる」
「…………それは、驚愕に値するな。何処の誰だ?」
「私の通う学院の、後輩だ」
「女学院であろう? ……私が問うのもどうかと思うが、その
「どうだろうな、私にも分からん」
「いや、確かにその話は仰天だ。差支えなければ仔細を訊きたい」
「そうだな……私の話せる範囲で構わなければ、な」
風鳴翼と地原歌織、共に同じ師の下で修練を積んだ旧友との会話に花が咲く。
夏の日差しが届かないその座敷に、山に繁る木々を抜けた涼やかな風が蝉の音を乗せて二人の頬を撫でていた。
#1 fin.
オリジナル設定解説
地原歌織
風鳴翼、天羽奏と共に風鳴弦十郎の教えを受けていた女性。現在20歳。大学二年生。
風鳴家の分家であり、風鳴の剣術や武芸とは違う地原家独自の徒手格闘術を受け継いでいる。(その基本は“構え”を取る合気道。)
現在は実家を離れ、亡くなった祖父母の屋敷に独り住まいをしている。
著者あとがき
今作は次回予告をせず、著者の呟きを掲載します。
ええ、書いてみないことには次回予告文が詐欺になりかねないと学習しました(泣)
SAKIMORIさんのお友達にと設定していったキャラが、いつの間にやらSAKIMORIさんになっていました……。
な…何を言っているのかわからねーと思うが(以下略)
きっと“SAKIMORI語使い同士は惹かれあう”んでしょうね。
おかげで面倒くささが二倍です。そんなんだからそんなんなんですよ、全く。
しかし、それはそれでキャラ立ちしそうな歌織さんをこれから描いていくのが楽しみになってまいりました。
すでに十年一昔以上に前の武道経験(といっても二年ほど)を思い出しながらの執筆になりますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
今回のテーマは“切っ掛けと変化”“和の立ち回り”、そして勝手に追加の“翼さんに負けないSAKIMORIッシュ”とでもなりそうな予感です。あくまで予感。
前回のテーマは『FtoG 終・始』にあとがきの章として近日追加しようと思います。
今回の連載も皆さんに楽しんでいただけるものになるよう鋭意努力いたします。
では、また次回のあとがきでお会いいたしましょう。