実に下らない話だが、神はダイスを振るらしい(本編完結)   作:ピクト人

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投稿が遅れて申し訳ありません。お詫びにいつもより文章多めにしたので許してヒヤシンス。


……主人公全ッ然出てこないけどな!



キメラアント編
晦冥天眼、蟻封に在りて燃ゆる蒼眸


 ミテネ連邦───東ゴルトー共和国、西ゴルトー共和国、ハス共和国、ロカリオ共和国、NGL自治国の五か国からなる連邦国家である。いずれも世界的に見れば後進国にあたる小国であるが、中でもNGL自治国は異彩を放っている。

 NGL(ネオグリーンライフ)……機械文明を捨て、完全な自然の中での生活を是とする者たちで構成された国家であり、その徹底ぶりたるや常軌を逸している。金属類や石油製品、ガラス製品を始めとして、化学繊維や金属が含まれた衣類の持ち込みすら不可能となっているのである。

 

 如意自然───自然のままに生き、自然のままに死ぬ。それこそが大いなる生態系の中に属する人間の、本来あるべき正しい姿である、と。

 

 だが、そんなものは欺瞞である。自然保護の名の下に国そのものを外部から隔離し、立ち入りを制限した上での麻薬生産が横行している───それがNGLの真の姿、裏の顔であった。

 確かに一般の国民は表向きのNGLの理念に沿った生活をしているのだろう。しかし国の上層部の姿は清貧とはかけ離れたところにあり、麻薬工場から生産されるドラッグ……(ディーディー)の密売により暴利を貪っていたのである。

 

 自然調和?人間は生態系の一部?ちゃんちゃらおかしい。人間こそが生態系の破壊者であり、自然を統べるべく生まれた霊長の王なのだ。

 

 

「動くんじゃねぇぜ。死んじまっても責任取れないからな」

 

 

 ───そう信じて疑わないある一人の男は、人ならざる異形に追われ絶体絶命の窮地に陥っていた。

 

 それは男の腰ほどまでしかない矮躯であり、糊のきいた子供用のスーツをピシリと着こなしていた。体格に比してやけに大きな足に履かれた靴は世界的に有名なブランドの高級品であり、一分の隙もなく磨き上げられている。

 

 しかして、その頭部は紛うことなきコアラであった。大きな黒い鼻とつぶらな瞳、そして大きな丸い耳。獣毛に覆われたそれは間違いなく人間のものではない。にも拘らず、その異形は瞳に知性の色を宿し、獣の口で流暢な人語を話すのである。

 

 これこそがキメラアントの成れの果て……捕食したものの特性を次代に引き継ぎ進化する怪物の姿であった。

 

 このキメラアントが人間とコアラの因子を宿しているのは明白である。もはや蟻としての名残など手足と額の単眼ぐらいにしか現れてはいないが、これがキメラアントという生物の正しい進化の姿である。……蟻らしからぬ巨大さに目を瞑れば、であるが。

 

 突然変異体である巨大キメラアントの女王が産み落とした、亜人型のキメラアント……それがこの異形の正体である。しかしそんなことなど知る由もないこの男からすれば、目の前の意味の分からない怪物(モンスター)はただひたすらに恐ろしく───そして我慢のならない存在であった。

 見下されている、と男は悟った。目は口程に物を言う。コアラの真っ黒でつぶらな目が、確かな知性を感じさせるその目が。矮躯故に男を見上げる形でありながら、その目は確かに男を見下ろしていたのだ。

 

 その目にあったのは、僅かな哀れみと───まるで路傍の小石か羽虫でも眺めるかのような、上から目線の無関心であった。

 

 そうと分かった途端、男の中で恐怖よりも怒りが勝った。無条件で人間こそが全生命体の頂点であると疑わぬ男は、その昆虫標本でも眺めているかのような無機質な視線が我慢ならなかった。

 

「ケモノの分際で、人間様に指図すんじゃねぇ……ッ!!」

 

「分際?人間様?分からないね……俺とお宅でどこが違うんだ?」

 

 怒鳴り散らす男を前に、異形は全く動じた様子がない。節足動物らしい六本の鉤爪のついた腕で掴んだ瓢箪を持ち上げ、中の水に口を付けながら素っ気なく返した。

 どこが違うのかだと?決まっている。人間であるか否か、それが両者を違える明確な差異である。そして人間こそが自然界の勝者だと信じる男からすれば、獣風情に同列と見做されることはこの上ない屈辱であった。

 

 否、同列に語られるぐらいならまだ許そう。しかしこの眼前に立つ異形は、明確に人間()を見下している。到底許せることではなかった。カッと頭に血を上らせた男は、抱えた丸太を怒りに任せて振り回した。

 

「うるせぇ────!!」

 

 人ならざる畜生の分際で、人のように喋るな。何もかもが癇に障る眼前の異形を黙らせようと、男は力任せに振り回した丸太をコアラの頭に叩きつけた。

 

 しかし───異形はびくともしない。同程度の体格の人間の子供であれば今の衝撃で吹き飛びそうなものだが、異形は強靭な足腰で容易くその場に踏ん張り、平然と己の頭で丸太を受け止めたのである。

 その硬さたるや、まるで鉱石を殴りつけたが如し。逆に丸太は圧し折れ、異形の頭には僅かにうっすらと血が滲む程度の、傷とも言えぬ負傷しか与えられなかった。まるで痛痒を感じた様子のない異形は、やれやれと呆れたように首を振った。

 

「質問にはちゃんと答えろって親に教わらなかったのか?救えねぇな、オッサン」

 

 至極どうでもよさげにそう言い放ち、異形は口に含んだ水を吹き掛けた。

 瓢箪に収められ、そして異形の口に含まれたそれはただの水だ。何の変哲もない、ただの水……されど、それがこの異形の口腔を経た途端、ただの水は凶器へと変貌する。人外の威力で放出された水は、まるで弾丸の如く飛翔し男の額を貫通せしめた。

 

「生まれ変わって出直しな」

 

 その一言が、男が聞いた最後の言葉であった。男は顔中の穴という穴から血と水を吹き散らし、呆気なく絶命したのであった。

 

「───あーあ、殺っちまった?」

 

 すると、今し方死んだ男は元より、コアラの異形のものとも異なる声が木霊する。姿は見えず、気配もしない。コアラはすんと鼻を動かし、声のした方向へと顔を向けた。

 今は絶命し倒れ伏す男が背にしていた岩壁の一部が不自然に揺らめき、徐々にその色合いを移ろわせていく。武骨な灰色から鮮やかな緑色へと変じ、声の主は姿を現した。

 

 その異形の外見を端的に表現するならば、それはパーカーを羽織った二足歩行のカメレオンであった。長い尻尾をくねらせ、大きく張り出した眼球を左右別々に動かし周囲を睥睨する様はまさしくカメレオンそのものであったが、手足の蟻の鉤爪がこの異形もまたキメラアントの一種であると明確に物語っている。

 

「殺しちまったら保存しておけねーだろ?」

 

「ふん、今日中に肉団子にして女王様に差し出せばいいだろ。……癇に障るんだよ、こういう野郎は。身の程ってものを知らねぇ」

 

 鱗に覆われた表皮を撫でながら皮肉気な口調で詰問するカメレオンに対し、コアラは憮然とした表情で返した。

 

「コソコソ逃げ回るようならまだ可愛げがあるってもんさ」

 

「けっ、昨日は泣いて逃げ回る子供を後ろから撃ったじゃねーかよ?

 オレに任せれば餌が暴れることもなくスマートに捕獲できるのによ?『動くな』ってのはオレに言ったんだよな?師団長のオレによ?え?」

 

「………」

 

 その皮肉に満ちた言い様に嫌気が差したからか、図星を突かれたからか、あるいはその両方か。コアラは無言でそっぽを向き、ペッと地面に唾を吐き捨てた。

 カメレオンはちらと物言わぬ男の骸を一瞥し、やれやれとでも言いたげに肩を竦めてみせた。

 

「あんまり調子に乗るんじゃねーぜ?心の広いオレだから大目に見てやってるんだぜ?そんなに殺しが好きなら、給餌部隊に志願したらどうだ?」

 

 最後にそう告げると、カメレオンはコアラに背を向けてその場から立ち去って行った。コアラは去り行くカメレオンの背を無言で見送り、そして自らが手を掛けた男の骸に視線を落とした。

 

「救えねぇ」

 

 それは男に向けたものか、上司たるカメレオンに向けたものか。……あるいは、己に向けて言ったものか。

 キメラアントは、通常の蟻と同じく女王蟻を頂点とした社会を構築する。女王の直下には直属護衛軍が属し、そしてその下に師団長は位置している。つまり師団長たるカメレオンは実質的なナンバースリーであり───師団長は一人ではないので厳密にはナンバースリーとも言い難いのだが───一兵隊長に過ぎないコアラにはカメレオンに意見する権利はない。本来なら彼は指示通りに人間を生け捕りにし、巣に持ち帰らねばならない。

 

 そして生け捕りになった人間の末路は悲惨なものだ。餌となった彼らは神経毒により身動きが取れない状態のまま保存され、いざ給餌の際には生きたまま肉を裂かれ団子状に丸められるのである。そこには些かの慈悲もなく、泣き喚こうが問答無用で腹を開き、引きずり出した臓腑を引き潰し骨を砕いて肉団子へと変えられ、そして女王へと捧げられるのだ。全ては、より優れた王を生むために。

 

 それを残酷だと感じてしまうコアラは、キメラアントとしては欠陥であると言わざるを得ないだろう。人間を取り込んだことで高度な思考能力を獲得したまでは良かったが、それで人間らしい感性までも引き継いでしまったのは思わぬ弊害であった。いっそ素となった人間が救いようのない悪人であったのなら、こうして懊悩することもなかっただろうに。

 

「……救えねぇ」

 

 溜め息と共にもう一度そう呟き、コアラは瓢箪の水を勢いよく呷った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 ───その様子を、揺らめく蒼眼が寂々と見下ろしていた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「キャハハハ!これサイコー!」

 

 魚類の頭部に甲殻類の胴体、そして水掻きの足を持った異様な風体のキメラアントが歓声を上げる。それは人から奪ったと思しき拳銃を器用に蟻の鉤爪で両手に持ち、捕らえた人間に向けて乱射しては狂ったように笑っていた。

 その水棲類のキメラアントは気の向くままに人を殺し、部下の下級兵たちは骸と化した人間を粛々と運び出していく。その様を、崖の上から四人の男女が恐々と見下ろしていた。

 

「……大丈夫か?」

 

「……うん」

 

 幻獣ハンターにして、ゴンたちと同じく287期のハンター試験を乗り越えたプロハンターの一人、ポックルが気遣わしげに傍らの少女を見やる。冷や汗を流し顔を青褪めさせる少女、蜂使いのポンズは何とか平静を装いつつ頷いた。

 

「やばいぜ、あの生き物……」

 

「ああ、やばすぎる……!」

 

 厳つい顔立ちの黒髪の男と、不安げな表情を隠す余裕もない金髪の男が戦慄に声を震わせる。二人の所感はポックルにとっても全くの同意見だった。ただでさえ人間サイズの昆虫というだけでも厄介なのに、その凶暴性たるや常軌を逸している。幻獣ハンターとして知性を有する魔獣とは何度か遭遇したことのあるポックルであったが、彼をしてここまでの残虐性を見せる生物にはお目に掛ったことがなかった。

 

 その時、一匹の蜂が四人の下に飛んでくる。その蜂は小さく折り畳まれた紙を六本の足で抱えており、ゆっくりと減速しポンズの手の中に納まった。

 蜂使いポンズ。彼女は念能力者ではないが、多くの蜂を従え操ることができる。この蜂は彼女の支配下にある内の一匹であり、伝書鳩代わりに手紙を届ける役割を請け負っていた。しかし抱えている手紙には手が付けられた様子はなく、誰にも届けられず止むなく戻ってきたことは明白であった。

 

「……駄目ね、メッセージを受け取ってないわ。私たちと連絡を取り合っていた五組のハンターたちは全滅ってこと」

 

「そうか……」

 

 ポックルは暫し瞑目し亡くなった同僚たちに黙祷を捧げると、目を開きチームの仲間たちを見渡した。

 

「……戻ろう。アレはオレたちだけで手に負える生き物じゃない。一度NGL(ここ)を出て、全世界にこの事実を発表し正式に駆除隊を結成する!」

 

 リーダーであるポックルの言葉に、三人は異を唱えるべくもなく同意する。中でもポンズ以上に顔色の悪い金髪の男は脂汗を流しながら激しく頷いた。

 

「な、何でもいいから早くここから逃げようぜ!このままだと皆───」

 

 全滅する、と。そう言い掛けた男の背後の地面から音もなく一匹のキメラアントが現れ、強靭な前脚の一撃で頭部を吹き飛ばした。

 

『!?』

 

 そのキメラアントには螻蛄(オケラ)の因子が強く表れており、土を掘り進むことに特化したスコップ状の前脚が大きく発達しているのが分かる。対して人間の因子はあまり強く受け継がれていないのか、蟻と螻蛄の合いの子のような姿からは一見して人間らしい要素は見当たらない。精々後ろ脚で立ち上がり二足歩行をしているぐらいだろうか。

 螻蛄のキメラアントに吹き飛ばされた金髪の男の頭はゴロゴロと地面を転がり、ややあって首の切断面を下にして静止した。偶然にも上下正常な視界を得た男は、意識が途絶える最期の一瞬に自身を殺したキメラアントの姿を目撃した。

 

「で……出たああああああ!!」

 

 それが男の最期の言葉であった。その悲鳴で我に返ったポックルは、怒りと恐怖に突き動かされるままにキメラアントへと躍り掛かった。

 

「"七色弓箭(レインボウ)"───赤の弓!!」

 

 四人の中で唯一念能力者であったポックルは、オーラを練り上げ能力を発現させた。

 ポックルは弓の扱いを得意とする。念能力を習得する以前より優れた弓手であった彼は、自身の念能力もまた弓に関するものと定め完成させた。大きく上下に広げた左手の中指と親指を弓身と見立て、指先から伸びるオーラの弦に赤く輝くオーラの矢を番えた。

 

 これがポックルの念能力、"七色弓箭(レインボウ)"。弓としての長所と短所を併せ持ち、また念能力としては破壊力に欠ける。しかし発動の容易さ、状況を選ばぬ汎用性は優れたメリットであり、しかも生成する矢の種類によって様々な効果を使い分けることもできる。狩人として、いかなる状況・獲物であっても対応を可能とするポックルらしい念能力であると言えるだろう。弓も矢も要らず、オーラが尽きぬ限り無限に放てる変幻自在の弓矢である。

 

 そして今ポックルが番えたのは、赤色のオーラで形作られた"赤の弓"。彼の()を離れ飛翔したオーラの矢は狙い違わずキメラアントの頭部に命中、直後に激しく発火した。

 昆虫の外骨格を形成する組成は、主にクチクラや石灰質、そして蛋白質である。いずれも火に弱く、それはキメラアントもまた例外ではない。どれだけ他生物の因子を内包しようが、基本(ベース)となる蟻の性質からは逃れられないのだ。

 

「ギイイイイィィィ────!!」

 

 脳を射貫かれた程度では───昆虫の脳は一つではない───簡単には死なないキメラアントであろうとも、激しく燃え広がる火炎が相手では分が悪い。螻蛄のキメラアントは絶命の間際、一際甲高く耳障りな金切り声を響き渡らせた。

 

「ッ!に、逃げろォ────!!仲間が集まってくるぞ!!」

 

 警戒音だ、と気付いたポックルは血相を変える。彼は声を張り上げ、呆然と立ち竦む残り二人の仲間へと指示を出した。

 しかし、ポックルの焦りは遅きに失していた。螻蛄のキメラアントに見つかった時点で、彼らの命運は既に尽きていたのだ。

 

 ザザザザザ、と激しい擦過音を上げながら、巨大な蜘蛛のキメラアントが崖を這い上がってくる。しかしそのキメラアントには、先の螻蛄のキメラアントとは明確に異なる特徴があった。

 

「ひ……人の顔!?」

 

 そのキメラアントは、蜘蛛の胴体と人面を有する異形であった。しかも八本脚の内、後ろの四本脚は腹部から生えている。尋常な進化をした生物にはあり得ない特徴……キメラアントという種の異様さが顕著に表れた個体であると言えよう。

 

「何なのよこいつ!?」

 

「撃て!撃ってくれええええ!!」

 

 そのあまりの異形さを目の当たりにした二人の仲間が半狂乱になって叫ぶ。自身もまた動揺の中にあったポックルは、二人に請われるまま半ば反射的に矢を放っていた。撃ち放たれた矢の色は橙。先の赤の弓とは比較にならぬ速度で飛翔する矢は過たず人面目掛けて突き進み───

 

 しかし、崖から這い上がった蜘蛛のキメラアントは片手を持ち上げ、四本の指で呆気なくポックルの矢を掴み取ってしまった。

 

「な───」

 

「なーんだ、ハッキリ見えるでねーか。下級兵っこ共はこんなモンも見ることできねーんだべか」

 

 蜘蛛のキメラアントは、左腕の一本で掴んだ橙の弓を眺めながらニタリと不気味に笑んだ。その様子にポックルは戦慄する。"七色弓箭(レインボウ)"で生成できる七色の矢の中で最速を誇る橙の弓を容易く見切ったこともさることながら、念能力者でなければ見えぬ筈のオーラの矢を目視できていることそのものに驚愕を隠せない。

 

(コイツ、念能力者でもないのに……!)

 

「お前さんの身体を覆っている、生命力そのものとも言えるエネルギー……それがこの武器の源だな。女王様にとって最上級の栄養食になりそうだべ……」

 

 そう呟くや、蜘蛛のキメラアントは突如大きく身体を反らし、後ろ脚二本のみで立ち上がると腹部の先端をポックルへと向けた。

 

「!?」

 

 直感的に危機感を覚えたポックルは、その場に倒れ込むようにして腹部先端───出糸突起の射線から逃れる。そして回避したポックルの頭上を掠めるようにして、蜘蛛のキメラアントの糸疣から強靭な蜘蛛糸が射出された。

 まるで弾丸のような速度で射出された蜘蛛糸は、運悪くポックルの指示通り背を向けて逃げていた男の背中に着弾する。男は僅かたりとも踏ん張ること叶わず、凄まじい剛力で引き戻される糸と共に引き寄せられた。

 

「ひっ、ヒイイイィィ!?」

 

「バルダ!?」

 

 ポックルは叫び、慌てて手を伸ばすがもう遅い。歓喜の表情で待ち受ける蜘蛛のキメラアントの六本脚に迎え入れられた男───バルダの頭に、乱杭歯が並ぶ口腔が食らいついた。

 砕かれる頭蓋。間欠泉の如く噴出する鮮血と零れる脳漿。即死できたことはむしろ幸運か───その無惨な末路を見届けたポックルは愕然とその場に立ち竦んだ。

 

「あ……あ~~~~しまった!また反射的に喰っちまっただ!兵隊が先に手を付けたら女王様にはやれないだ!あ────あ、またザザン様に怒られちまうだな~~~~~!」

 

「………ッ!」

 

 ぐっちゃぐっちゃとご満悦にバルダの肉を咀嚼していた蜘蛛のキメラアントは、ハッと我に返るや頭を抱えた。女王に絶対の忠誠を捧げる兵隊蟻として、まさか至高の君に下賤の食い掛けを献上するわけにはいかない。以前にも同じことをやらかして上司に怒られた蜘蛛は、「やっちまった」とでも言いたげな表情で狼狽えた。

 

「き……キサマぁ────ッ!!」

 

 尤も、大事な仲間を食い殺されて「やっちまった」で済まされては堪らない。激昂したポックルは再び"七色弓箭(レインボウ)"を発動、橙の弓を番えて射かけた。

 

「おっとっと」

 

 だが、一度通用しなかったものが二度通じる道理はない。二射目の橙の弓も容易く捕らえられてしまう……が、そんなことは織り込み済みであるポックルは弓を捨て殴り掛かった。彼は狩人、獲物を狩るのに手段は問わない。弓が通用しなければ罠を用い、罠の持ち合わせがなければ徒手を用いるに躊躇いはなかった。

 

「あら」

 

 ドガッとオーラが込められた拳打が蜘蛛の人面にクリーンヒットする。堅牢なキメラアントの外殻は念能力者の攻撃であってもそう簡単には寄せ付けないが、しかしダメージが皆無というわけではない。しかし蜘蛛のキメラアントは避けることも、腕でガードすることもしなかった。

 

「ちょっとちょっとタンマ!手がふさがっちまっただよー!」

 

 八本脚の内、前脚四本は二射分の橙の弓とバルダを捕らえるのに使用済み。そして物を掴むのに適していない後ろ脚は、自身の巨体を支えるために地に付けている。ポックルの拳打を防ぐには手が足りなかった。

 行ける、とその様子を見たポックルは"七色弓箭(レインボウ)"を構えた。最速の橙の弓が通用しない故に使用は控えていたが、敵に多足を扱いきる能がないのなら好都合。このまま至近距離から射貫いてくれる───!

 

「食らえ───!」

 

 殺された仲間たちの仇だ。死んであの世で詫びろ、怪物が。

 しかし悲しいかな───繰り返しになるが、彼らの命運は螻蛄のキメラアントに捕捉された時点で尽きていたのだ。

 

 ドスッ……と鈍い音を立ててポックルの首筋に鋭い針が突き立った。目の前の仇敵に固執するあまり背後への警戒を怠っていたポックルは、終ぞ忍び寄るもう一つの敵影に気付かなかったのである。

 

「ギッ……」

 

 首筋に走る鋭い痛みと、一瞬で全身に広がっていく痺れ。麻痺毒だ、と気付いた時にはポックルは指一本動かせず地に倒れ伏していた。

 

 シュル……と首筋より引き抜かれた長大な蠍の尾が毒液を滴らせながらうねる。その蠍の尾と体色以外は完全に人間の女性そのものの外見をしたキメラアントは、倒れ伏すポックルを見下ろし嗜虐的な笑みを満面に浮かべた。

 

「ザザン様!」

 

 慌てて居住まいを正した蜘蛛のキメラアントが平伏する。この蠍のキメラアントこそが彼の直属の上司たる師団長、ザザンであった。

 

「相変わらず戦い方がお粗末ねぇ。持ってるモノを放せばいいでしょうに」

 

「あ……本当だ」

 

 ザザンの呆れたような言葉に、ハッとなった蜘蛛のキメラアントは掴んでいた橙の弓とバルダを手放す。オーラの矢は虚空に溶けるようにして消失し、バルダは壊れた人形のようにどしゃりと放り出された。大地に赤い染みが広がっていく。

 

「もう戻るよ。こいつは普通の人間(エサ)の千人分にも値する栄養がありそうね。お手柄よ、パイク」

 

「あ……」

 

 蜘蛛のキメラアント───パイクはザザンの言葉を受け、頬を朱に染め陶然とする。彼は尊敬して止まぬ美しき上司からの称賛に心の底から喜びを覚えた。

 

「あ、ありがたきお言葉!身に余る光栄でありますべ!!」

 

 喜びに身を震わせながら、パイクはポックルとバルダを乱雑に掴み上げる。女王に献上する優秀な栄養食(ポックル)は肩に担ぎ、食べ掛け(バルダ)は片手で引き摺りながら先行するザザンを追いかけた。

 

「……ッ」

 

 その一部始終を木陰から見ていたポンズは、後ろ髪を引かれつつも連れ去られる仲間を振り切って駆け出した。

 

(私じゃ助けられない!応援を呼ばなきゃ!まだ……まだ間に合う!連れて行かれても、すぐに食べられてしまうわけじゃないはず!!)

 

 キメラアントの生態についても多少の知識があるポンズは、生け捕りにされた獲物がすぐには加工されず保存されることを知っていた。大丈夫、まだ間に合うと自らに言い聞かせながら、ポンズは自身の血をインク代わりに、メモ用紙に必要最低限の情報を殴り書いた。

 

(お願い!なるべく強いオーラを纏っているハンターの下へ……!)

 

 四匹の蜂にそれぞれ情報を記したメモを持たせ、ポンズはそう願いながら解き放った。蜂たちが無事に飛び立ったのを見届けると、彼女は再び走り出す。

 

(一刻も早く国境へ戻らなきゃ……!きっとまだ仲間がいる!)

 

 自慢の蜂たちを信用していないわけではないが、この魔境と化したNGLで並のハンターが生き残っている可能性は低いだろうとポンズは考えていた。ハンター試験以降行動を共にし、その強さには全幅の信頼を置いていたポックルすらあっさりやられてしまったのだから。

 もはやNGLは人間の生きられる土地ではない。ポンズ自身がこの魔境を脱出し、国境前で待機している筈の仲間たちにこの重大事を確実に伝える必要がある。そして可及的速やかに強力なプロハンターから成る駆除隊を結成してもらい、連れ去られたポックルを救出してもらうのだ。

 

 

 ───尤も。テレパシーによる遠隔会話を可能とするキメラアントに見つかった時点で、もはや手遅れだったのだが。

 

 

 パァン、と乾いた発砲音が木霊する。螻蛄のキメラアントが死に際に発したテレパシーを聞きつけた水棲類のキメラアントが、横合いからポンズの頭目掛け発砲したのである。

 脳漿を撒き散らして吹き飛ぶポンズ。その死に様を眺めやり、水棲類のキメラアントは二イイィィッと口角を吊り上げ邪悪に笑った。

 

「キャハッ!キャハハハハ!」

 

 水棲類のキメラアントは弾を打ち尽くした拳銃を投げ捨てると、勢いよく動かなくなったポンズの腹を食い破った。乱杭歯で皮を裂き、頭を突っ込むようにして生温かい臓腑に喰らいつく。血を啜り肉を食み、蟻の鉤爪で力任せにその五体を引き裂いた。

 

「キャハハ、面白れぇーッ!」

 

 柔らかな肉を咀嚼する───面白い。

 溢れ出る鮮血を嚥下する───面白い。

 そして、強者として弱者を虐げる歓び───ああ、面白い。

 

 水棲類のキメラアントは血走った眼球を蕩けさせ、殺戮の快感に打ち震える。陶酔混じりの血生臭い吐息を吐き出した。

 強者による一方的な搾取。覆ることのない力関係。───そうか、これが「狩り」か。

 

「狩りって───面白れぇ……ッ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 ───その様子を、揺らめく蒼眼が寂々と見下ろしていた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「……?」

 

「ん?どうかした、カイト?」

 

「いや……何でもない。気のせいだったようだ」

 

 ふと誰かに見られているような気がしたカイトだったが、しかし周囲にそれらしき影はない。念のためにと"円"を広げてみるも、やはり約45メートル四方に自分たち以外の気配は存在しなかった。何でもない、とゴンに返し、カイトは村を観察する作業に戻る。

 

(確かに何者かからの視線を感じたように思ったんだがな……衰えたか?まだ若いと思ってたんだが)

 

 先にNGLに入り調査をしていた人物が飼いならしていたと思しき、一匹の蜂から預かったメモを頼りにNGL国内を進むカイトたち。彼らが辿り着いたのは、生活の痕跡だけ残して人々が消え失せた無人の村であった。

 カイトが視線を感じたのは、この村に入った直後だった。まるでこちらを観察するような、冷徹で無機質な視線。しかしゴンとキルアに変わった様子はなく、その視線を感じたのは自分だけであるらしい。

 

「ボクも何も感じなかったけど♠疲れてるんじゃないかい♥」

 

「………ああ、そうかもな。疲れているのは確かだ。どこかの誰かさんの所為でな……!」

 

 ぽん、と気遣わし気に肩に置かれた手を振り払い、カイトは苛立たし気に声を荒げた。

 おやおや……とぞんざいに対応されても気分を害した様子なくニマニマと笑うのは、雫と星のペイントが特徴的な赤髪の道化師───ヒソカであった。

 NGL入国の際、強制的に着ていた服を剥ぎ取られたために、普段とは全く趣きの異なる質素な服装へと着替えている。にも拘らず道化師のペイントはそのままなので、ややちぐはぐな印象を受ける。しかしヒソカ本人に気にした様子はなく、こうしている今も櫛を入れ逆立たせた燃えるような赤髪の手入れを怠っていない。

 

(全く、ゴンもキルアだけ連れてくれば良かったものを。何故こんな不審人物も連れて来たのか……)

 

 まるで子供の友好関係に苦言を呈する父親のような心境になりつつ、カイトは大きくため息を吐いた。ヒソカ曰く「情弱なボクでも知っているジンに一目会ってみたかったから」がゴンたちと同行している理由らしいが、なら自分はジンではないのだから度々熱い視線(殺気)を送ってくるのをやめて欲しい、とカイトは切に思った。お陰で普段以上に気力を消耗している有り様である。

 

(しかし、戦力として見るならゴンとキルア以上なのは確かだ。コイツからは曲者の匂いがする……こういう奴は敵に回すと何をしてくるか分からんから厄介だが、味方に付ければ頼もしい戦力になるからな)

 

 ちらとヒソカの手元に目をやれば、彼が手にしているのは何とプラスチック製の櫛である。知っての通りNGLは自然由来の素材を使わない人工物は持ち込めない。彼は国境におけるあの厳重な審査をどうにかして潜り抜けたのだろうが、抜け目のない男である。

 ジンならこういう奴でも上手く使いこなすのだろうか……とカイトが黄昏ていると、村を散策していたゴンがスンと鼻を動かし眉を顰めた。

 

「何か臭うよ。……あっちからだ」

 

 ゴンが臭いのする方を指差し、彼の並外れた嗅覚を知っているキルアとカイトはすぐにゴンの先導に従って森の中へと踏み込んだ。ヒソカも感心した様子でその後に続く。

 

 やがて、ゴン以外の三人にもハッキリと分かるほど臭いが強くなっていった。最も身近なもので例えるならば……夏場に日の当たる場所で放置した生ゴミ、あるいは牛舎や豚小屋の臭いだろうか。まるでそれらをギュッと圧縮したような異臭であるが、しかし明確にそれらとは異なる種類の臭いでもある。甘いのだ。砂糖や果物の甘さとは似ているようで異なる、暑さの中で蕩けるような、重苦しく、濃度の高い、いつまでも鼻に纏わりつくような不快な甘い臭いである。

 ゴンとキルアはこの嗅いだことのない臭いに首を傾げる。対して異臭の正体に気付いたカイトは渋面を作り、ヒソカは鼻をつまむ仕草をしながら「懐かしい臭いだね♣️」と笑った。

 

 ───そして、四人は異臭の源へと辿り着いた。

 

「……なるほどな、これが死臭……腐敗臭ってヤツか。蛋白質の腐った臭い。新鮮な死体にしかお目に掛ったことがないから分からなかったぜ」

 

 そこにあったのは、枯れ木に股下から脳天までを串刺しにされ、ゆっくりと腐敗していく最中にある牛馬の死骸であった。恐らくは無人となった村で飼育されていた家畜だったのだろう。キルアは「趣味悪ィ」と吐き捨てた。

 

「まるで早贄(はやにえ)だ……」

 

「え?」

 

(もず)の早贄……鵙って鳥の習性だな。捕らえた餌を木の枝なんかに刺して保存しておくんだ」

 

 生き物の生態に詳しいゴンが呟き、それをカイトが補足する。鵙が早贄を行う理由については諸説ありハッキリとはしていないが、一説によると早贄によって縄張りを主張しているのだという。

 

(つまりここに早贄があるってことは……)

 

「───おい」

 

 突如、四人の背後から剣呑な声が上がる。何の前触れもなく発された声と気配に、彼らは弾かれたように背後を振り返った。

 

「な……」

 

「なんだコイツ……」

 

 そこにいたのは、鵙と兎を掛け合わせたかのような人型の異形であった。鵙の羽毛に覆われた両腕に、兎の強靭な後ろ脚。人間と兎の合いの子のような顔は憤怒に歪み、頭の横から生える兎の耳と髭が細かく痙攣していた。

 

(鵙と兎、そして人間の因子を持ったキメラアント。なるほど、完全に気配を消せるか)

 

「ゴミ共……それはオレのだ」

 

 ビキビキと額の血管を浮き上がらせ、そのキメラアントは最も早贄の近くにいたゴンとキルアを睨み据えた。

 

「───近付くなッ!」

 

 ドン、と大地を蹴る。兎の脚力が齎す跳躍は瞬く間にゴンたちとの距離をゼロにし、キメラアントは動揺する二人に殴り掛かった。

 羽毛に覆われた両腕を交差させ、裏拳の要領で振り抜かれるキメラアントの拳。ゴンとキルアは咄嗟にオーラを込めた両腕でガードするも、その拳打の威力は平然と防御を越えて二人を吹き飛ばした。

 

 ギロリ、と次なる獲物を求めてキメラアントは両目を蠢かせる。人ならざる獣の眼球が映したのは、カイトとヒソカの二人だった。

 

「……!」

 

 しかし、飛び掛かろうとしたキメラアントは既のところで踏み止まった。激情に支配されていた思考が急速に冷え、冷静になった目で両者を観察する。

 

「……」

 

「おや、来ないのかい♦」

 

 ユラリ、と独特の構えをとるカイト。どこからともなく取り出したトランプを弄び、ふざけた態度で佇むヒソカ。対照的な印象を与える二人だが、キメラアントは本能で両者の強さを悟っていた。

 

(こいつらは強いな……戦うと手古摺りそうだ)

 

 勝てない、などとは露程も考えない。それでも敵の強さを認めたキメラアントは、腰を落とし油断なく身構えた。

 

 油断なく身構えた───その筈であった。一切視線を逸らさなかったにも拘らず、カイトは一瞬でキメラアントの視界から消え失せ、ゴンとキルアの背後に音もなく移動していた。

 

「!?」

 

「ゴン、キルア。あいつはお前たちだけで何とかしろ」

 

「ボクも戦いたいナー♠」

 

「お前は黙ってろ」

 

 腕を組んで完全に静観する態度になり、カイトは二人に端的に告げた。

 

「あれはキメラアントの兵隊だ。ここから先はあんな奴らがゾロゾロ湧いてくる。戦闘中は一々お前たちを助けてられん、あいつを倒せないようなら帰れ。

 

 ───邪魔だからな」

 

『!』

 

 眼光鋭く冷徹に告げるカイト。その言葉を受けたゴンとキルアは、ここに来てようやく意識が切り替わった。

 ズズズ……と二人の総身から練り上げられたオーラが立ち昇る。それを見たキメラアントは僅かに驚いたように眉を上げた。

 

「……言っただろカイト、オレたちだってプロだ」

 

 ゴンは僅かに流れていた鼻血を拭い、キルアは上着の袖を捲り上げる。視線を鋭くさせ臨戦態勢に入った二人は、オーラを身に纏わせキメラアントへと向き直った。

 

『───ガキ扱いするな!』

 

 そう啖呵を切り、二人は同時に駆け出した。二手に散開し、左右から挟み込むようにしてキメラアントへと挟撃を仕掛ける。

 

(どんなカラクリだ?急に強くなった感じがするぞ、こいつら)

 

 並の兵隊長クラスを凌駕する加速で迫る両者を視界に収めながら、キメラアントは努めて冷静に彼我の戦力を推し量ろうとする。

 キルアの飛び蹴りを左腕で受け止め、その防御の隙を衝く形で迫るゴンを羽ばたきによる風圧で押し返す。予想外の剛力で自身の蹴りが受け止められたことに動揺するキルアを殴り飛ばし、キメラアントはニヤリと笑った。

 

(パワーはあるがオレほどじゃない。スピードも対処できるレベル。何だ、警戒して損したぜ)

 

 幾分か余裕を取り戻したキメラアントは、迫るゴンの拳を受けるまでもなく軽く躱してみせた。

 一方、殴り飛ばされたもののオーラでガードしたお陰で殆ど無傷であるキルアは、むしろ攻撃を受けたことで完全にギアが入っていた。

 

(試してやる!)

 

 ドン、とキメラアントに負けず劣らずの跳躍力で飛び上がったキルアは、オーラを電撃に変化させて右手に集め始める。最初はキルアの意図が読めず首を傾げていたキメラアントも、バチバチと音を立てて威力を上げていく雷を見て目の色を変えた。

 

「"落雷(ナルカミ)"!!」

 

 キルアが腕を振り下ろすと同時、右手から放たれた電撃は落雷となってキメラアントを襲った。キメラアントは文字通りの雷速で迫り来るオーラ攻撃を避けること叶わず、回避も虚しく直撃を許してしまう。

 

「ギッ……」

 

 感電し黒煙を上げてよろめく。電撃による熱攻撃も効いたが、キメラアントを最も苦しめたのは電気による筋肉の痙攣だ。身体が麻痺し上手く動けないでいる中、余裕を持ってオーラを溜め込んでいたゴンが接近する。

 

「最初はグー!ジャン!ケン───」

 

 マズイ、とゴンの拳を見たキメラアントは直感する。未だ念を知らずともオーラは見える彼は、ゴンの右拳に内包されたオーラ量を見てその威力の程を悟ったのだ。

 避けなければ、と思うも上手く脚が動かない。せめてあと数秒あれば麻痺からも回復しただろうが、キルアの"落雷(ナルカミ)"の初動を見てすぐ"ジャンケン"の準備に入っていたゴンの攻撃タイミングは完璧であった。

 

「───グー!!」

 

 そして、限界までオーラを充填したゴンの拳がキメラアントの土手腹に叩き込まれた。その威力たるや、堅牢な蟻の外殻と強靭な筋肉の鎧をも貫通し、キメラアントの巨体を天高く打ち上げる程であった。

 それを見たキルアが思わず「ジャストミート!」と歓声を上げる程のクリーンヒット。しかし重力に従って落ちてくる定めにあったキメラアントは、突如空を飛んで現れたもう一体のキメラアントによって空中で攫われていってしまった。

 

「なっ!?」

 

 予想していなかったもう一匹のキメラアントの存在にゴンたちが絶句する中、運搬され徐々に距離を離していくキメラアントはギロリと眼球を動かしゴンとキルアを睨みつけた。

 

「ぅ───ぅうぉおおおぉあああぁぁああ────ッ!!キサマら!!必ず喰ってやるぞ!!」

 

 喀血し血液混じりの唾液を吐きながら、キメラアントは力の限りの咆哮を上げた。人ならざる異相は苦痛とそれを上回る憤怒に醜く歪み、目を血走らせ牙を剥き、恨み骨髄と言わんばかりの呪詛をゴンとキルアに対して吐き掛けた。

 

「必ず!!必ずだ!!覚えていろ────ッ!!」

 

 負け犬の遠吠えと言うにはあまりに恐ろしい獣の咆哮。背筋が凍る程の憤激が込められた絶叫を受け、二人は初めてキメラアントという種の脅威を目の当たりにした。

 

 ───攻撃が……効いていない……!?

 

 ゴンにとっての必殺技、甚大な威力を内包した"ジャンケン・グー"。これをまともに受ければ一流の念能力者であろうと昏倒は必至、にも拘らずあのキメラアントは非念能力者でありながらそれを耐え、剰え啖呵を返す程の体力を残していたのだ。驚くべき生命力であると言えよう。

 

「頭のいい奴だ。部下に戦わせこちらの手の内を探ったのか」

 

「……」

 

 キメラアントが去っていった空を見上げながらそう呟くカイト。敵を仕留めきれず、しかも取り逃がす羽目になったゴンとキルアは悔しそうに俯いた。

 

「……来るか?」

 

「え?」

 

 だからこそ、カイトに同行を促す言葉を掛けられた二人は驚いた様子で顔を上げた。てっきり力不足を指摘され追い返されるとばかり思っていただけに、カイトのその言葉は意外だったのだ。

 

「そんなに落ち込むほど悪くはなかったぞ、今の攻撃。後はどれくらい場数を踏むかだ」

 

 決して安い慰めではなく、カイトは本心からそう告げた。電撃という特異且つ有用な性質へとオーラを変化させるキルア。そして年齢不相応のオーラ量と爆発力を備えるゴン。むしろ期待以上の戦力だとカイトは判断していた。

 普通なら十一歳かそこらの子供をこの魔境に放り込むなど狂気の沙汰だろう。しかし彼らは歴としたプロハンターであり、その肩書に恥じない実力と伸びしろを持っている。

 

「一人前になりたいならここは格好の修羅場だ。但しまともな神経じゃ一歩も耐えられん。───進む先、勝っても負けても地獄だぞ。……それでも来るか?」

 

「……行くさ!」

 

 カイトの言葉は決して脅しではない。爆発的に増殖するキメラアント相手に一度の勝利など何ら意味を成さず、負ければ奴らの餌となる暗澹たる結末が待ち受けている。

 本音を言うなら、こんな生きて帰れる確率が非常に低い危険な任務に未来溢れる子供たちを連れて行きたくはない。しかしたった今彼らをプロと認めた手前、感情論で自分で吐いた言葉を曲げるわけにはいかなかった。

 

(それにどの道、こいつらなら是が非でもついてくるだろう。なら目が届く範囲にいてくれた方がこちらとしても助かる)

 

 万が一の時はコイツに託せばいいか……と内心呟き、カイトはいまいち何を考えているのか分からない道化師に視線を向けた。ゴンとどういう関係なのかは聞き出していないが、こうして行動を共にしている以上は悪いことにはならないだろう、と。

 

(正直なところ、オレ自身も無事で帰れるとは思っていないしな。……それに、何か胸騒ぎがする)

 

 カイトは再び"円"を展開し、周囲一帯を精査する。何事かとこちらを見るゴンたちを無視し、カイトは限界まで神経を尖らせ隈なく気配を探った。

 

「───クソ、やはり怪しいものは何もないな」

 

 小さく舌打ちし、ガシガシと乱暴に頭を掻き毟る。一度は気の所為かと思い込んだ何者かからの視線を、カイトは再び感じ取っていたのである。

 最初は隠れ潜んでいたキメラアントのものかと思っていたが、鵙のキメラアントを目の当たりにして「これは違う」と判断した。たった今も一瞬だけ感じ取った視線は、まるで木陰から獲物を狙う狩人のように鋭く、それでいてガラス越しにサンプルを観察する研究者のように無感情且つ無機質なものであった。あの敵意と悪意に塗れたキメラアントの視線とは根本的に異なる。

 

「考え過ぎは良くないよ?神経を使うからね♠」

 

「……ヒソカか。お前は何も感じなかったのか?」

 

「さあ?でも考えるだけ無駄さ♥相手が何であれ、ボクたちがやることは一つだけ♣️違うかい?」

 

「はぁ……まあ、確かにその通りなんだが」

 

 道化師のような男、ヒソカ=モロウ。掴みどころのない男だが、しかし彼の言葉に理があることを認めたカイトはすっぱりと思考を切り替えた。どの道カイトが持ち得る手段で視線の主を探せないのなら、確かにヒソカが言う通り考えるだけ無駄である。いつ何が来ても即応できるよう身構えておく方が余程建設的だし効率的だ。

 

「……だが、お前に正論を言われるとムカつくな」

 

「気にしない気にしない♦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 ───その様子を、揺らめく蒼眼が寂々と見下ろしていた。

 




主人公が全く出てこない話なんて面白くもなんともないだろうと思ったので、普段の二話分の文章量を一話に纏めてさっさと終わらせました。
今回はキメラアント編の導入であり、また原作登場人物たちの活躍の裏で、主人公は彼らに全く関与せず独自行動を取っていることを示唆する内容でした。次回からは主人公に関しても描写していく予定ですので、どうかご寛恕ください。

それでは、また次回。キメラアント編はただでさえ長いので、序盤のようにカット多めで行きますよー。

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