実に下らない話だが、神はダイスを振るらしい(本編完結) 作:ピクト人
基本的に遅筆なピクト人にあるまじき投稿速度、オレでなきゃ見逃しちゃうね……!(自画自賛)
空いた時間を何とか駆使してちょびちょび書いていた前話とは比べ物にならいぐらい捗りましたよ。熱に浮かされながら書いた第二十一話ですが、どうぞお楽しみ下さい。
───オレは王になれる。
事の始まりは数日前、
その光の正体が何なのか。念を知らぬラモットには知る術がなかったが、その光がこの圧倒的なパワーの源であると本能的に理解した。そしてこれが、自分たちがレアモノと呼ぶ人間やあの忌々しいガキ共が纏っていたものと同じものである、とも。
───オレは奴らと同じ力を手に入れた。いや、同じではない。元々奴ら人間共より遥かに優れるキメラアントたるオレだからこそ、より高みへ……キメラアントすら超越した存在へと至ったのだ!
ラモットは漲るパワーが齎す万能感に酔いしれる。四肢に横溢する埒外の剛力、僅かな風の流れすら読み取る犀利な五感……いずれも以前までとは比較にならない。
そしてコルト師団長の指示によって捕らえた
(やはりオレには才能がある!天より与えられた運命!選ばれた者の力!この能力を使いこなせれば───)
───オレが王になることすら可能……!
キメラアントの中から生まれた初の念能力者、ラモット。確かに彼の増長はそう的外れなものではなく、今の彼の力は並み居る師団長すら凌ぐものだろう。
元々人間とは比較にならない力を持ったキメラアントが、更に念能力という力を得る……正しく鬼に金棒である。しかしラモットは知らなかった。この金棒はラモットのみの専売特許ではなく、生命エネルギーを有する全ての者に等しく与えられた可能性であることを。そしてその場合、より強い鬼がより強力な金棒を得ることは明白である。
……そのことを。己がただの一兵隊長に過ぎなかったのだという事実を。ラモットは、すぐに身を以て知ることになる。
「───面白そうな話をしてるね……才能がどうとか。僕も交ぜてよ」
───それは、まるで死神に抱擁されたが如き悪寒であった。
ゾワッッ!!と全身の獣毛と羽毛を逆立たせたラモットは、感じた悪寒のままに背後を振り返る。果たして屠殺場の入り口に背中を預けるようにして立っていたのは、一匹の小柄なキメラアントであった。
生まれた時から身につけていたのか、あるいは生まれた後に人間の遺品から拝借したものか。シンプルな黒衣に身を包んだそれは、節足動物特有の関節部分を除けば一見してただの少女にも見える。それを明確に異形足らしめているのは、頭部と臀部から生える猫耳と尻尾である。
猫のキメラアント───否、アレを本当にキメラアントと呼んで良いものか。少なくとも、ラモットにはその少女が自分と同じ種族の生き物であるとは思えなかった。
格が違う。気付けば、ラモットは跪き服従を示していた。そこには常の反骨精神など欠片もなく、ただ恐竜が通り過ぎるのを怯えて待つ蟻の怯懦のみがあった。
見よ、あの禍々しくも強大な
(オレが……オレ如きが王になるだと?バカバカしい、なんと浅はかな思い上がり。短い、そして愚かな夢だった)
ラモットは本能で確信する。この怪物こそが女王に、そして女王より生まれる未来の王に仕える直属護衛軍であると。まるで悪夢を見ているかのような心地であった。護衛軍ですらこの怪物ぶり……であれば、いずれ生まれる王とは如何ほどの化け物なのか。
(知らなかった。これが決して覆ることのない、予め決められた地位というものか)
ラモットは生来反骨心が旺盛なキメラアントだ。兵隊長としては抜きん出た力を持ち、その実力は本人の獰猛さも相俟って師団長に迫るものがある。それ故か、ラモットは誰かに仕えるということが苦手であった。それは相手が女王であっても例外ではない。オレと大して変わらない実力の癖して、偉そうにするんじゃねぇ───そう常々思っていたのである。
だからこそ、抗うことすら許されない絶対的な力の差を前にして、ラモットは遂に折れた。反発の余地すらない圧倒的強者の存在を知ったのである。
ズズン……と跪いたラモットの垂れた頭に巨人の掌が置かれる。実際はこの猫のキメラアントの小さな手が置かれただけなのだが、その生命エネルギーの巨大さ故にラモットにはそう感じられたのだ。
「楽にしていい。あっちで話そうよ」
「は……はいっ」
フッと押さえ付けられるような圧が消える。生存を許されたラモットは滝のように流れる脂汗を拭い、彼の性格を知る者からすれば目を疑う程の従順さで猫のキメラアントに追従した。
(まるで蒙を啓かれたような思いだ。今こそハッキリと理解した。オレのこの能力は、オレのために非ず!この方に……そしてこの方が仕える王に奉仕するためにあるのだ!)
亜人型キメラアント故の強力な自我を有していたラモットは、いま初めて働き蟻としての奉仕本能を取り戻したのである。
「…………」
その一部始終を、ポックルは積み上げられた人骨の山の中から見ていた。
(あり得ない!何だ、あの禍々しいオーラは……!)
パイクとザザンによって捕らえられたポックルは、奥歯に仕込んでいた解毒剤によって僅かだが麻痺から回復。給餌部隊の目を盗んで
その猫のキメラアントを見て、ポックルは恐怖に慄いた。別段"練"をしているというわけでもないだろうに、漏れ出る余剰オーラだけで常軌を逸した圧を発している。
そして何より、この世のものとは思えぬオーラの禍々しさよ。まるで人間らしさを感じぬ、悪意を煮詰めて凝縮したかのような悍ましさである。世紀の極悪人ですらもっとマシなオーラをしているだろうに。"絶"で気配を絶ちながら、ポックルは一秒でも早くあの怪物がこの場からいなくなることを願った。
「ところでさー……。
───何で骨の下に生きた人間がいるのかな?」
「…………ッッ!!??」
縦に割れた虹彩、獣の黄色い眼球が真っ直ぐにポックルを射貫く。猫のキメラアントは、ラモットや他のキメラアントが全く気付かなかったポックルの気配を容易く察知したのである。
(ああ……終わった)
ゆっくりと迫る蟻の鉤爪。絶望に曇る視界で眺めながら、ポックルの脳裏を過ったのは一人の少女の横顔であった。
───そういえば、ポンズは無事に逃げられたんだろうか……?
───軍団長ネフェルピトーより、全師団長・兵隊長に告ぐ!
───これより第一講堂において授与式を執り行う。そこで諸君は多少の苦痛と引き換えに莫大なパワーを得られることになる!
───その力、遺憾なく女王様のため発揮せよ!
(凡夫って大変だなぁ。こんな面倒なことしなきゃ能力を引き出せないなんて)
オーラを込められたラモットの拳がキメラアントの一匹を襲う。これが授与式……オーラ攻撃によって強制的に精孔を開かせる、キメラアントの生命力がなければ不可能な儀式であった。
その様子を退屈そうに眺めながら、猫のキメラアント───ネフェルピトーは自身が生まれながらに持つこの能力……念能力について思いを馳せる。
(本人の好みや願望が色濃く反映される個別能力……"発"か。はてさて、僕はどんな能力になるものか……)
ズズズ……と暗黒を宿すオーラが拳に宿る。己の意思一つで自在に動かせるこのオーラとやら、これの量がどうやら他と比べて規格外であるらしいと気付いたネフェルピトーは、その力の使い道に頭を悩ませる。女王に、延いてはいずれ生まれる王のためにこの力を捧げると誓ったからには、罷り間違っても無駄な使い方をしてはならない。捕らえたレアモノの人間から強制的に聞き出した念能力の情報を吟味しつつ、ネフェルピトーは暫し思案に耽った。
「……!」
ネフェルピトーを思考の海から引き揚げたのは、彼女の並外れた気配探知に引っ掛かったとある存在であった。ピクピクと猫耳を動かし、ネフェルピトーはその存在───一際強力なオーラを発する存在へと意識を向ける。
(へぇ、ラモット程度とは比べ物にならないカンジ。ちょっと距離がありすぎて詳しくは分かんないけど、中々いいオーラを持ってるっぽいヤツ発見♪)
ピリ、と俄かに張り詰めた空気を察知したイワトビペンギンのキメラアント───ペギーが慌てたようにネフェルピトーへと声を掛ける。
「い、如何なさいましたか。ネフェルピトー様」
「ちょっと確かめてくる。僕がどのくらい強いのかを、ね。……後は頼んだよ、ペギー」
ネフェルピトーはペギーに授与式の取り纏めを任せると、第一講堂の窓辺に足を掛けた。その視線が向かうのは、数キロ離れた地点にある森の中だ。
「見ーっけ♪」
「───……化け物だ」
冷や汗を流し、カイトは喘ぐようにそう呟く。見ればヒソカも常の軽薄な笑みを消し、鋭い眼差しを遠くに見えるキメラアントの巣へと送っていた。
突然緊張を帯びた二人の様子に首を傾げるゴンとキルア。戦闘能力という点では既に並の念能力者を凌駕している少年二人であるが、短い期間での成長故に未だ育ち切っていない面も存在する。彼らは遠くからの敵意を感知する術をまだ会得していなかった。
「信じられん、この短期間でここまで……ゴン、キルア、すぐに逃げろ」
「え?それってどういう……」
「いいから早く行け!ここから離れろ!!」
伝わらぬもどかしさに声を荒げるカイト。身を潜めていた木陰から飛び出し、二人を庇うように前に立った。
「オレから───離れろ!!」
どちゅっ、と。肉が潰れる湿った音が辺りに木霊した。
「───────」
ドサリ、と千切れたカイトの右腕が下草の上に放り出される。あり得ないものを見たようにゴンの目が見開かれた。
ヒソカは既に臨戦態勢へと移行していた。総身に極限まで張り詰めた気迫とオーラを纏い、取り出したトランプを手に身構えている。
「これは……少しマズイかもね♠」
カイトとヒソカ、ゴンとキルアを二組に分断するように降り立ったのは、すれ違いざまにカイトの腕を引き千切ったネフェルピトーであった。驚くべきことに、彼女は遥か数キロ離れた蟻塚からここまで一度の跳躍で辿り着いたのである。
「……」
ネフェルピトーはちらと背後を振り返り、立ち竦むゴンとキルアへと視線を向けた。その僅かな挙動だけで、溢れんばかりのオーラの一部、制御すらされていない余剰オーラが波濤のように二人へと押し寄せた。
『───ッ!?』
視線が向けられたのは一瞬のみ。ネフェルピトーはすぐに興味を失ったように二人から視線を外し、カイトとヒソカへと向き直った。しかし、そのたった一瞬の内にゴンとキルアが味わったプレッシャーは、彼らを狂乱に陥れるには十分なものであった。
「うああああああああ───ッ!!」
大切な人が傷つけられたことへの怒り。襲い来る恐怖に対する自己防衛本能。それらが綯い交ぜになったゴンは狂乱し、絶叫を上げ全身からオーラを放出した。
(馬鹿、止め───)
わざわざ敵の注意を引きにいくなど、自殺行為に等しい。それがネフェルピトー程の怪物であれば尚のこと。慌てて止めさせようとしたカイトだったが、それより先にキルアが動いた。
手加減も遠慮もなく、力一杯の一撃がゴンの延髄に叩き込まれる。全力のオーラで身を覆ったゴンの身体は戦車の装甲のようなものだが、キルアの鋭い一撃はオーラの障壁を抜けてゴンの意識を刈り取った。
「いい判断だ、キルア。そのままゴンを連れて逃げろ」
「……ッ、……!」
一瞬泣きそうな表情を浮かべるも、キルアは気絶したゴンを肩に担ぎ迅速にその場から離れる。無駄に声を上げるような愚は犯さない。キルアは悔し気に唇を噛み締めながら、脇目も振らずに駆け出して行った。
「───そろそろか……」
───呟き、揺らめく蒼眼が静かに閉じられる。暗室は闇に包まれ、机上の水晶のみが冷え冷えとした輝きを放っていた。
『ひゃはははは、絶体絶命の
カイトの念能力、"気狂いピエロ"が場にそぐわぬテンションで喚く。出た目の数は「3」。その姿を短杖へと変えた"気狂いピエロ"を構え、カイトは油断なくネフェルピトーと相対した。
「本当なら、有事の際はお前にゴンたちを任せるつもりだったんだが」
「人選ミスじゃない?って真っ当なツッコミは置いといて……さて、どうしたものかな♥コレ、控え目に言ってかなりヤバイ状況じゃない♣️」
「ああ、掛け値なしにヤバイ状況だな」
軽口を交わし合いながらも、二人の視線は片時もネフェルピトーから離れることはない。一瞬の気の緩みが即、死に繋がると理解しているからだ。
一方、ネフェルピトーは目移りするように二人の間を視線が行ったり来たりしている。彼女にとって、この襲撃の目的は自身の性能テストのようなものだ。手頃な位置に強そうなのがいたから襲ったのであって、戦えさえすれば相手がカイトだろうがヒソカだろうがどちらでも良かったのである。
「キミはどう見る?ボクたちに勝ち目はあるかな♦」
「……オレの腕が無事だったと仮定するなら、良くて五分五分だろう」
「五割の確率で、倒せる?」
「まさか。五割で程々に傷を負わせて撃退できる、だ。……奴に一時撤退を選択できる思考があれば、だが」
「全く以て同意見♠ボクたちって気が合うね♥」
「寝言は寝て言え」
……つまり、カイトが万全でない今は万に一つも勝機がないということであった。カイトは機械のように冷徹な戦略眼で、ヒソカは第六感が囁く死の予感で、それぞれ自分たちの避けられぬ敗北を予見したのである。
「決ーめたっ」
うろうろと彷徨わせていたネフェルピトーの目が、一点を凝視して止まる。
「───ッ!!」
身を捩る。予めいつでも動けるように身構えておき、更に全身をオーラで防御していたからこそ成し得た奇跡であった。
「───これで、二人ともお揃いだね」
───最初に狙われたのはヒソカであった。隆起する筋肉で両脚が膨張した……そう認識した次の瞬間にはネフェルピトーはヒソカの真横を駆け抜けており。咄嗟の回避すら無意味に堕し、オーラの防御すら無視し、ネフェルピトーの突撃はヒソカの右腕をズタズタに引き裂いたのである。
「ヒソカ!」
「うーん、掠っただけでこの威力……♣️」
完全に腕が引き千切れなかったのは奇跡であろう。ヒソカは痛みに脂汗を浮かべているが、念能力者の回復力ならば修復が可能な範囲の負傷ではある。絶対安静にした上で回復に専念すれば、という仮定であるが。
そんな時間を敵が与えてくれるとは思えない。何より左利きのカイトと違い、ヒソカの利き腕が右腕であったことも痛かった。ある意味ではカイトの右腕損失以上の大幅な戦力ダウンである。
(あらら、これって冗談抜きで絶体絶命?)
痛みによるものとは異なる汗が額を流れる。今になってヒソカは考えなしにこの任務に帯同したことを後悔し始めていた。しかしその後悔とは、ここで死んでしまうことに対する恐怖故ではない。戦闘狂であるヒソカは死など全く恐れてはいないのだから。
ヒソカの後悔。それは、まだ味わっていない果実を二つも残したまま死んでしまうことであった。
(ああ、ゴン!どうせ死ぬなら、せめて成長したキミに殺されて最期を迎えたかった!いやいや、カオルに殺される最期も捨てがたい!特に彼女は現時点で既にボクと同等かそれ以上の力をつけている!今がまさに食べ頃じゃあないか!嗚呼、口惜しや!口惜しや!)
二人が聞いたら苦虫を百匹ぐらい噛み潰したような渋面を浮かべるであろう、見苦しい末期の言葉を脳内で垂れ流すヒソカ。しかし敵にそんな切なる思いを察する術も斟酌する心積もりもなく、ネフェルピトーは再び突撃する構えを見せた。
「じゃ、もう一回行くよー!」
(チッ、本格的にマズイぞ。せめてオレかヒソカ、どちらかが生き残る方法を模索しなければ!)
(ああ、こんな思いをするぐらいならもっと早くに食べておくべきだった!)
カイトとヒソカが全く正反対の思いを抱く中、ネフェルピトーの自慢の両脚に万力が宿る。ギリギリと軋みを上げ、
───その時。ふと、彼らは視界の端に流れる黒髪を見た気がした。
突如として、衝撃波を伴う大音響が響き渡る。まるで幾千の大砲を一斉に起爆させたが如き轟音が周囲一帯に降り注ぎ、その場にいた全員を襲ったのである。
カイトとヒソカは、あまりの衝撃に堪らず吹き飛んだ。轟音のあまりに三半規管が機能不全を起こし、まともに受け身も取れず無様に転がる。
「ぅ……ぐッ……なに、が……」
オーラによる身体強化の賜物か、幸いにも鼓膜が破れることは免れたカイトはよろめきながら立ち上がる。歪む視界の中、懸命に周囲の様子を探ったカイトは、その惨状に目を見開いた。
それはさながら爆心地の様相を呈していた。先程まで彼らが立っていた地点は放射状に抉れ弾け飛び、草木や樹木すら軒並み焼失し、あるいは薙ぎ倒されていたのである。一部の地面などはあまりの高熱に硝子化しており、今以て白い蒸気を噴き上げている有り様だ。
(一体何が起こった……?いや、それよりも……奴は、あのキメラアントはどこへ消えた!?)
そう、何故かネフェルピトーの姿が見えないのである。あの爆発によって消し飛んだ……などと楽観はしない。というより、同じく爆心地にいたカイトが無事なのだから、あの怪物が死んでいるなど有り得ないのだが。
「く、くく……ククククク……」
「ヒソカ、無事だったか。……どうした、気でも触れたか?」
少し離れた位置に座り込むヒソカは、何故か無事な左手で顔を覆いくつくつと肩を震わせて笑っている。まさかあの怪物を前にした恐怖で狂ったのか……と訝るカイトを余所に、遂にヒソカは声を上げて笑い始めた。
「アッハハハハ!ここまで来ると運命的ですらあるね!まさかここにキミが来ていたとは!いやぁ、お陰で命拾いしたよ♦」
「なに?お前は今の爆発の原因を知っているのか?」
「勿論♠見えた影は一瞬だけだったけど、あの気配とオーラには見覚えがあったからね♥」
それと……とヒソカは笑いながらカイトの言を訂正する。そもそもアレは爆発ではない、と。
「アレは超音速によって発生したソニックブームだよ。普通あんな至近距離で受けることなんてないから、爆発と間違えるのも無理ないけどね♣️」
「ガァ……ッ!ご、ぶ……!?」
何者かによって超音速の突撃を受け、そのまま遥か彼方まで運ばれたネフェルピトーは隕石のような勢いで大地に叩き付けられる。落下した際の背中への衝撃と、突撃を受けた胸への衝撃によって激しく嘔吐き血反吐を吐いた。
苦しげに咳き込みながらも、バッと身を翻し跳ね起きる。胸に空いた穴から青黒い血と真っ青な粘液を垂れ流しつつ、ネフェルピトーは周囲の様子を窺った。
(ぐっ、辛うじて心臓は外れてるけど……何だコレ、ちょっとマズイ感じだぞ)
じくじくと胸の傷から広がり身体を侵食していく青。ゆっくりと、だが確実に肉体を蝕むそれにネフェルピトーは恐怖を覚えた。
「一体何なんだ……何者だ、お前は……!?」
よろめき血を吐きながら、ネフェルピトーは前方で佇む人影に向けて誰何する。その人影こそが、自分たちの戦いに水を差した張本人だと確信して。
「……蟻如きに名乗る謂れはない」
重力に逆らって棘と乱れる黒髪。影の掛かった面貌の中、蒼い双眸が炯とした眼光を放つ。
その身から発されるオーラはネフェルピトーと同等かそれ以上の力強さ。赫奕を後光の如く従え、人影は極寒の眼差しで彼女を見下ろした。
「───死ね、キメラアント」
血に煙る森の中、閃く銀光が一条。光差さぬ緑蔭に在りて、殺意に濡れる白銀の具足が冷たい輝きを放っていた。
───オレたちは自惚れていた。
気を失ったゴンを横たえ、キルアは大樹の根元に蹲っていた。その胸中を埋めるのは後悔の念。みすみす死中にカイトとヒソカを置いてきたことと、彼らを置いて逃げることしか出来なかった己の力不足に。
(それなりに修行を積んで、"発"も形になってきて、カイトに認められて……オレは調子に乗っていたんだ。奴はカイトとヒソカしか眼中になく、オレとゴンには何の興味も抱かなかった。それが現実……!)
しかもただ力及ばなかったばかりか、徒に足を引っ張る結果となった。もしあの場面で二人にもっと実力があれば、カイトは片腕を失わずに済んでいただろう。
(オレたちは大馬鹿だ……!自分たちの実力も弁えないで無謀に挑み、挙句に他人の足を引っ張るなんて!)
あんな怪物が出現するなど誰にも予想できなかったのだから、事情を知れば殊更にキルアを責める者などいないだろう。しかし、他ならぬキルア自身が己を許せなかった。キルアにとって、これほど自分の力不足を呪ったのは生まれて初めてであった。
(オレたちにもっと力があれば、カイトは……ッ)
募りゆく慚愧の念。そんな中、キルアの前に一台の車が停車する。扉が開き、降りてきたのは三人の人物。
「……!」
その三人の内、先頭に立つ人物にキルアは見覚えがあった。否、ハンターであれば彼の御仁を知らぬ者などいないだろう。
(ネテロ会長……!)
遍く全てのハンターたちを統べるハンター協会の長。心源流拳法の開祖にして、最強の誉れも高き至高の戦闘者であり念能力者。
───アイザック=ネテロが、遂に魔境NGLへと踏み入ったのである。
「何だ、ガキじゃねえか。物見遊山で首突っ込むから火傷すんだよ。さっさとお家に帰んな」
布で包まれた巨大な棍棒のようなものを担ぐ、サングラスを掛けた大男───モラウが小馬鹿にしたようにキルアを見下ろす。その物言いにキルアはムッとするも、全く以てその通りなので言い返すことなく黙り込んだ。
「おやめなさいモラウさん、可哀想でしょう。相手はただの子供なのだから」
眼鏡のブリッジを押し上げ、酷薄な眼差しを向けるスーツ姿の男───ノヴがそう言ってモラウを窘める。彼にとっては言葉通りの本心を告げただけなのかもしれないが、子供扱いされたキルアは更に消沈する。「オレたちもプロだ」と言い返せればどれだけ胸が空くことか。
「ほっほっほ、随分とヘコんでおるのー。そんなに敵は手強かったか?」
「……念を使える奴がいた。今まで会った誰よりも……薄気味悪いオーラだった」
好々爺然とした佇まいで話し掛けてくるネテロに、キルアはNGLで出会った怪物───ネフェルピトーについて話す。返す返すも不気味なオーラの持ち主であった。イルミやヒソカなど、アレと比べれば可愛いものだ。あの邪悪なオーラを思い出す度に身震いがする。
「……自分で念を覚えてみて、よく分かる。アンタたちも凄く強い」
ハンター試験のときには分からなかったが、今だからこそ理解できる。見た目はただの小柄な老人であるネテロから感じられるオーラの、何と力強いことか。脇に控える二人もそれに劣ることなく、キルアなどより遥かに強いオーラを無意識で放っていた。
───だがそれだけだ。彼らの清澄で力強いオーラの波動……あの邪悪を極めたようなオーラを前には数段劣る。
「アンタたちは強い……それでも、奴に勝てる気がしない」
「フ……人は得体の知れないものに出会うとそれを過大に評価するものです。キミは一種の恐慌状態に陥っているのですよ」
言外にネフェルピトーよりも下だと言われたノヴだったが、彼は怒るでもなく冷静に受け止め、その上で虚言と切って捨てた。それは確かな実力に裏打ちされた、己の力に対する信頼故の言葉であった。
「ボウズ、念能力者同士の戦いに『勝ち目』なんて言ってる時点でお前はズレてるんだよ。相手の能力がどんなものか分からないのが普通、ほんの一瞬の弛み・怯みが致命傷になるのが常。一見したオーラの多寡なんざ気休めにもならねぇ。勝敗なんて揺蕩って当たり前だ……それが念での戦闘!
───だがそれでも、百パーセント勝つ気で
対して、モラウは相手が格上だろうが、それでも勝つのだと豪快に言い切った。相手のオーラに気圧され逃げた時点で、念能力者としては敗者以下である、と。
「巨大キメラアントが人を食うという信じ難い話。しかしそれが事実である以上、我らは全力で被害拡大を防がねばならぬ。……だが、中途半端な戦力は敵に吸収される恐れがある。分かるな?」
「……ああ」
その究極系があの猫のキメラアントなのだろう。キルアはネテロの主張に全面的に同意する。徒に戦力を投入しても、それが巡り巡って次代のキメラアントを強化する羽目になるのならそれは悪手。
(だからこその三人……少数精鋭。ネテロ会長はオレたちにこう言っているんだ。「戦力外」だ……と)
その通りだ、とキルアは自嘲する。兵隊長クラスすら満足に仕留められないような腕で、ましてや敵を前に逃走した分際で、どうして彼らに同行できようか。
「最寄りの街に二人、刺客を放った」
───だからこそ、続くネテロの言葉をキルアは信じられない思いで受け止めた。
「戦うも戦わぬも自由。じゃが、もし追ってくる気概がまだあるのなら……彼らを倒してから追っておいで。それがハンターとして生きるということじゃ」
投げ渡された二つの木片を、キルアは呆然と受け取る。その木片には、それぞれ「飛」「行」と彫られていた。
「猫の手は要らん。必要なのは強者のみ!」
「宜しかったのですか?あの少年に割符を渡して」
「ほっほっほ、お前さんは不満かの?ノヴ」
「いえ……たしかに将来有望だとは思いますが」
口では厳しいことを言ったノヴとモラウであったが、少年二人が身に帯びるオーラには少なからず驚いていた。更に、それが逃走であったとしても敵地から生還できたという点においては一定の評価を下していたのだ。並のハンターであればまず生きては帰れまい。
「新進気鋭……って言うのかねぇ。ありゃあ将来化けるぜ。だが現時点では……」
現時点では明確に力不足。新進気鋭という評価は伸びしろに対しての賞賛であり、裏を返せば現状における未熟が誰の目にも明らかであるということだ。それでも勢いはあるだろうから、相手の混乱を誘えるなら戦果も期待できるが……些か以上に相手が悪すぎる。総合力に差がありすぎるのだ。将来有望な人材を徒に使い潰すような真似はしたくないし、その果てにより強力なキメラアントが生まれては本末転倒である。
「追いつけますか?将来性はあるのでしょうが、かと言って一朝一夕で実力がつくものでもないでしょう。時間は限られており、しかも相手はモラウさんの弟子ですからね」
「手塩に掛けて育てた弟子共だ。そう簡単には突破できませんぜ」
「ほほ、まあ確かにの。現実的に考えれば短期間での急成長など夢物語じゃ。しかし、ゼロではないとワシは見ておる」
「その心は?」
「なぁに。老い先短いジジイの、若人への期待というヤツじゃよ。それに───」
「───妙に胸騒ぎがする。杞憂であれば良いが……あるいは、猫の手であっても借りねばならぬ事態になるかもしれんのぉ」
「───Ia,Ia……Ph’nglui……mglw’nafh……」
水音が響く。湿り気を帯びた魔力が充満し、魂を蝕む腐臭に満ちた空気が森を侵食する。
「───病める海神の眷属……穢らわしき深きものどもよ」
白濁した眼球が虚ろを映す。鱗に覆われた四肢は穢れた絖りを帯びて濡れ光り、泡立つような呻き声が辺りに木霊した。
「───旧き支配者、深みの祭祀長……その悍ましき落とし子どもよ」
粘液に塗れた触手が蠢く。硝子を引っ掻くような耳障りな金切り声が唱和し、不快な合唱を奏でた。
「
命令はただ一つ。貪り、喰らい、埋め尽くし───
「───私に贄を捧げよ」
精神を犯し、魂を貶める魔性共の絶叫が響き渡る。主命は下された。魔導書を媒介に深淵より這い出ずる海魔たちは、命令のままに進軍し、手当たり次第に生命を捕食し主へとその魂を捧げるだろう。
───我ら食餌の刻だ。
「さあ、狩りの時だ。精々残り僅かの余生を謳歌するがいい、キメラアントども───」
魔力を帯びた頁が棚引き、淀んだ魔力光に照らされた少女の顔が笑みの形に歪む。狂気を宿した蒼眼が熾火のように揺らめいた。