実に下らない話だが、神はダイスを振るらしい(本編完結)   作:ピクト人

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難産でした。不満点等々あるでしょうが、作者の未熟と思って流して下さい。
疲れた。でも書いてて楽しかったよ……。


満願成就の刻

「『弁財天五弦琵琶(サラスヴァティー・メルトアウト)』ッ!!」

 

 カオルは左腕を庇いながら叫び、宝具の真名を開放する。有無を言わせぬ二度目の宝具発動には王を牽制する目的があった。術者の精神状態に大きく左右される念能力と異なり、宝具は必要な魔力を動員できれば粛々とその効果を発揮する。普通であれば宝具など易々と乱発できるようなものではないが、今のカオルは海魔をドレインしたことで魔力が充実している。

 

「小賢しい!」

 

 神格一歩手前にまで至った海魔をも飲み込んだ水の柱。だが、王は激しく翅を羽搏(はばた)かせることでそれを呆気なく吹き飛ばしてしまった。

 吹き荒れる暴風は周囲一帯に破壊を巻き起こした。地盤が捲れ上がり、打ち上げられた岩や木々が粉砕される。尋常でない風圧に晒される宝具の激流は、嵐を纏う王に触れることすらできず虚しく飛沫を上げた。

 

 カオルは正真正銘の切り札である宝具が防がれたことに渋面を浮かべる。せめてもう少し早くこの身体に馴染んでいれば、王がこうなる前に宝具の全力開放を狙えただろうに。

 全ては後の祭りだ。だが、王を牽制するという目的は果たせた。散々オーラを吸収され、果てには目の前で大海魔すら飲み込んだ水の柱を王は最大限に警戒している。吹き散らされつつも執拗に獲物を狙って荒れ狂う激流を跳ね除けるべく、王はその場に留まり必死になって風を起こしている。その隙にカオルは大きく跳躍し王から距離を取った。

 

「ッ、づぅ……」

 

 着地時の僅かな衝撃ですら激しく痛む左腕を抱え、カオルは漏れる呻き声を抑えるように唇を噛み締める。激痛のあまりに滂沱と流れる涙を乱暴に拭った。

 

「泣くな、私……クソッタレが、惨めに泣きたくないからここまで強くなったんだろうが……!」

 

 己に言い聞かせるように叫び、カオルは自己の裡に意識を埋没させた。

 

 実のところ、厳密にはカオルには脳も神経も血も肉も存在しない。高密度の情報体と魔力で構成された水流が形を取り、少女の形骸を成しているというのが真相だ。無論、この少女としての姿こそがデフォルトの形であることに違いはないのだが。

 故に、カオルはこの異形の肉体を意識的に()()する。まず全身に張り巡らされた疑似神経を末端に至るまで掌握し、左腕断面の痛覚を遮断した。意識のみに依って肉体を操作することは電子生命の十八番(おはこ)である。

 続いて、この肉体を過不足なく運用するべく精神に構築された情報処理回路に手を加える。分割思考の要領で己の裡にもう一つの己を構築し、あらゆる感情からの干渉を遮断した上で配置する。思考の一部とするにはあまりに機械的に過ぎるそれの役割は、究極の自己客観視。まるでゲームの第三者視点のように常にメインの精神回路を観察・監視し、精神の動揺を抑制する役目を持たせた。

 

 一連の作業を終え、カオルの意識が浮上する。瞑想にも似た意識の沈黙は僅か数秒。否、数秒()掛かったと言うべきか。もっとこの異形に馴染めば、それこそ戦闘行動の最中であろうが刹那の内に終わらせるだろう。これが今のカオルの限界だ。

 涙は既に乾いている。一瞬で氷点下にまで冷え込んだ瞳が見開かれるのと、王が水の柱を粉砕するのは全くの同時であった。

 

 王は獰猛に笑い、牙を剥いてカオル目掛け真っ直ぐに飛翔する。そこに生えたばかりの器官の扱いに苦慮する様子は見られない。既に己の一部として使いこなしている。

 聞きしに勝る化け物だ。成長する怪物……否、ここまで来ると成長ではなく進化の域。護衛軍とはいえ、配下の蟻一匹を食らっただけでこれだ。もしこれに加えてモントゥトゥユピーや人間の念能力者をも捕食していたらと考えると背筋が凍る。

 

 だがモントゥトゥユピーは既にカオルが吸収した。ネフェルピトーすらもだ。成長する怪物という点ではカオルも同類であり、現時点ではまだ彼女に一日の長がある。いずれ追いつかれるにしてもそれは今ではない。

 

 ビキビキと音を立てて王の鉤爪が伸びる。凶器と化した両腕を振り上げ、高速で迫る王はカオルに組み付かんと更に加速した。

 だが、そんな馬鹿正直に正面から来る攻撃を食らうカオルではない。左前腕の喪失で狂ったバランスを修正しつつ、彼女は王を上回る超速で背後に回る。

 魔力を充填した踵が唸る。"霊気放出(オーラバースト)"の加速を乗せ、魔剣ジゼルは王の頸を目掛けて振り抜かれた。

 

 それを。

 

「無駄だ」

 

 ──事もなげに、王は拳を振るい弾き飛ばした。

 

「な──」

 

「貴様の動きは見えずとも、何度も食らえば流石に覚える」

 

 横からの衝撃によって軌道を逸らされ、魔剣の斬撃は見当違いの方向へと飛んでいく。大地に断層を刻む程の一撃も当たらなければ何の意味もない。

 

「必殺の一撃を放とうとする時、貴様が使うのは常に右脚だ。そして狙いは常に首。こうもワンパターンであれば見えずとも対処の仕様はある」

 

 カオルは凶手ではなく、故に殺気もなく敵を攻撃する術など知る筈もない。王はその殺気を感じ取り、首目掛けて放たれる一撃を待ち構えていればいい。王の反射神経であればそれで十分に対処できる。

 

「後の先を取るとはこういうことよ」

 

 慌ててオーラを吹かし離脱しようとするカオルの脚を掴んで引き寄せ、王は彼女の肩に鉤爪を食い込ませた。

 

「いッ──」

 

「柔い肉だ。食いでがなさそうであるが──まあ、贅沢は言うまい」

 

 ぐわり、と王の口が開かれる。昆虫というよりは人間のものに近い形の(あぎと)に並ぶのは、人間にはあり得ぬ鋭利な牙。まるで魔獣のような口腔は耳まで大きく裂け、カオルの首に食らいつかんと牙を剥いた。

 

(コイツ、私を食う気か!?)

 

 王は捕食した相手のオーラを吸収し自己を強化するという特質系の能力を生まれながらに有している。それをつい先ほど自覚した王にとって、カオルはこの上ない御馳走であった。

 

「冗談じゃない……!」

 

 せめて倒してから食えと吐き捨て、カオルは身体を流体化させ拘束から逃れる。噛み合わさった牙から火花が飛び散るのを尻目に、獲物を求めて蠢く鉤爪の間をすり抜けて離脱した。

 

「チッ……そう言えば、そんな大道芸もあったな」

 

 ガチガチと牙を打ち鳴らす王は不満げに鼻を鳴らす。しかし一転して笑みを浮かべると、地面に降り立ったカオルへと挑発的な視線を寄越した。

 

「ククク……貴様の動揺、恐怖の感情が手に取るように分かるぞ。これがプフの能力か……強力なオーラに阻まれ肝心の催眠効果は通らぬが、中々どうして役に立つではないか」

 

「"鱗粉乃愛泉(スピリチュアルメッセージ)"か……!」

 

「その通り」

 

 輝く粒子が周囲に満ちる。羽搏きと同時に振り撒かれていたシャウアプフの鱗粉が大気中に舞い、触れた者のオーラから感情を汲み取り王へと伝えていた。

 

「貴様は余に多大な恐怖を抱いているな。しかし同時に、いっそ無機質と言ってもよい程に冷静な思考も同居している……面白いものだ」

 

「………」

 

「貴様が余に歯向かうのは恐怖故か? 愚かな。恐れるならば伏して命乞いでもすればまだ可愛げがあったものを」

 

「ほざけ……命乞いだと? 人間に対する慈悲など微塵もない癖によく言う」

 

「当たり前だ。貴様らは家畜の命乞いに耳を貸すか? 否、貸さぬだろう。それと同じよ。餌に過ぎぬ畜生風情に与える慈悲など、寸毫(すんごう)たりとも持ち合わせておらぬわ!」

 

「───ッ!」

 

 カッとカオルの頭に血が上る。しかし冷静な部分は王の言葉にも全く揺れ動くことなく、あくまで冷徹に殺戮の最適解を模索する。

 落ち着け、ただの挑発だ──俯瞰視点で戦局を眺める分割思考がそう囁き、感情のままに殺意を剥き出しにする己を諫める。その指摘は正鵠を射ており、真実王はカオルを挑発し観察していた。

 王はカオルの動作の癖を学習し、"鱗粉乃愛泉(スピリチュアルメッセージ)"の読心と併せて後の先を取ることに成功した。しかしこれは王の動作がカオルより遅いことの証明であり、遠からず対応されてしまうものと心得ていた。対処できないと高を括っていたからこそのワンパターンな攻撃動作だったのであって、対処されると分かっていればカオルにもやりようはあるだろう。

 

 どうせ対応されるのならば、その手段を限定させる。挑発で冷静さを失うならばそれで良し。そうでなくとも、「心が読める」というアドバンテージを活かし翻弄するまで。

 

「さあどうする? 次はどう出る? 首を落とすか、それとも心臓を突くか。──分かるぞ。行動が読まれると焦っているな?」

 

 右脚を多用すると指摘された。ならば次は左脚を使うか?

 首狙いだと看破された。ならば次に狙うのは手足か、それとも心臓か?

 王は舌鋒を駆使してカオルの行動を制限しようとする。王は誇り高い故に敵が己より格上であることを認めており、こうした小手先の技を使うことに嫌悪はなかった。

 

 さあ、どう動く? 出方を窺う王が見つめる中、対峙するカオルが選んだのは──考えることを止める。即ち敢えて冷静さを捨て、怒りに身を任せることだった。

 分割思考が沈黙すると同時、一切の加減なく放出されたオーラが激流の如くに荒れ狂う。荒ぶるオーラは怒り一色に染め上がり、目も眩むような嚇怒の念に王は圧倒される。

 

「"渦巻く憤激(アンフォーギブン)"!!」

 

 次の瞬間、噴き上がるオーラが蒼炎となってカオルの総身を包み込んだ。渦を巻くように立ち昇るオーラの炎が菫色の長髪を逆立たせ、まるで火炎のように揺らめかせる。

 敵から受けた痛みを怒りに変え、その怒りを糧にオーラを増強させ灼熱を放つ能力"許されざる者(ペインパッカー)太陽に灼かれて(ライジングサン)"。かつて幻影旅団の一人であるフェイタンの能力を奪い改良したものがこの"渦巻く憤激(アンフォーギブン)"である。

 "許されざる者(ペインパッカー)"が強化系と変化系、放出系の三種複合であるのなら、"渦巻く憤激(アンフォーギブン)"は強化系と変化系の二種複合である。灼熱のオーラを放出するのではなく、内に留め全オーラを身体強化に回す純粋な自己強化に傾いた能力と言えよう。自己暗示によって増幅した怒りを燃焼させてオーラを増大させ、ただでさえ莫大なカオルのオーラは火山噴火のように更なる爆発的増加を果たす。

 

「ァァァアアアアアア───ッ!!」

 

 血を吐くような雄叫びを上げたカオルは、憤怒に歪んだ凶相で王目掛け飛び掛かった。そこにバレリーナのような優雅さは微塵も存在せず、しかし暴力的に過ぎるそれは速さという一点において大きく上回っている。

 この変化に王は焦燥を露わにする。王はカオルの感情を読むことで行動を予測し、目で追いきれぬ彼女の攻撃を凌いでみせた。しかし今のカオルからは何も読み取れない。──否、読み取れないと言うと語弊がある。読み取れはするが、それは只管に純粋で濃密な怒りと殺意のみであり、そこから一切の思考を見出すことができないのだ。放射している殺意の密度が常軌を逸して濃過ぎるが故に、攻撃に伴う意が覆い尽くされている。

 

 つまりは()(殺意)に隠している。極大の怒りが王に読心を許さなかった。

 

 掛かる加速度(G)を無視し、狂戦士となったカオルは"霊気放出(オーラバースト)"を乱発し虚空を直角に飛翔する。まるで餓狼のような動きで死角に回り込み、殺意の塊は王を組み敷きに掛かった。

 

「ぬぅ……ッ!?」

 

「殺す、殺す殺す殺す殺すッ!!」

 

 諸余怨敵皆悉摧滅(かいしつざいめつ)──殺意に濁った眼球からは蒼炎が噴き上がり、異形と化した双眸が王を睨み付ける。王に組み付き地面へと叩きつけ、カオルは力任せに膝の棘を大腿に突き刺し大地に縫い付けた。

 カオルの総身を覆う蒼炎は灼熱となって王を襲う。しかしそれ以上に、自身の耐久力すら度外視して強化された怪力が脅威だった。──甲殻が軋んでいる。カオルの繊手は湯水のように注がれるオーラの強化によって埒外の剛力を宿しており、掴んだ王の腕を圧し折らんばかりだった。

 

「猪口才な……ッ」

 

 振り解けぬと見るや、王は尾を振るいカオルの頭を殴りつける。キメラアントである王は人間とは異なり、武器となるものは手足に限定されない。

 しかし、驚くべきことにカオルは顔面目掛けて振るわれる尾に食らいついた。小さな口を限界まで開き、並びの良い白い歯で噛みついたのだ。今のカオルはおよそ正気とは言えず、故に正気であれば取らぬような戦法も平然と実行してみせる。

 

「この、狂犬が……!」

 

 組み敷かれた王は至近距離でカオルを見上げ、そしてそれ故に気付いた。大き過ぎる憤怒によって正気を失ったように見えるカオルであったが、その瞳の奥に理性の光を見出したのだ。

 見る者に悪寒を誘う程の色濃い殺意と凶気に濡れた蒼眼。しかしその奥の瞳は静謐を湛え凪いでいる。行為の残虐性とは裏腹の冴え凍るような静の気配を有している。それは狂気が薄れ理性が浮上しているのではなく、狂気の深淵に理性が潜んでいるのだ。狂気と正気が同居するという矛盾を破綻なく実現しているのは、彼女がアルターエゴであるが故。狂気の巷に呑まれることなく、彼女の精神に佇む分割思考は絶えず戦場を俯瞰していた。

 

 "鱗粉乃愛泉(スピリチュアルメッセージ)"が通用しない──それを理解した王はオーラの消耗を抑えるために能力を解除し、翅を羽搏かせ浮き上がった。

 左腕はカオルの右手で拘束され動かない。唯一自由に動く右腕を伸ばし、王はカオルの首を掴み逆に彼女を大地に叩きつけた。

 攻守逆転──しかし、王は右手に感じる感触に瞠目する。硬い。まるで鋼鉄のような手応え。

 

 王は知る由もない。これは念能力の基本となる四大行を更に発展させたものの一つ、"凝"による防御だ。今のカオルのオーラであれば"硬"でなくとも十分な防御力を得られる。これによって首を守ったカオルは獣の如き唸り声を上げ、渾身の力を込めて遂に王の左腕を握り潰し尾を噛み千切った。

 

「がああああッ!」

 

 苦悶を上げ、しかし王は右手に込める力を緩めない。徐々に込める力は増していき、確実にカオルの気道を締め上げていく。蒼炎で炙られ掌から煙が上がろうがお構いなしだ。

 このまま縊り殺してくれる──脂汗を流しながらも殺意を鈍らせずにいる王の右肩に、ぽんと背後から軽い衝撃が加わった。

 

『コッチヲ見ロォ……!』

 

「!?」

 

 奈落の亡者の如き虚ろに掠れた声。弾かれるように背後を見た王の目に映ったのは、縦に割れた虹彩の黄色い眼球が覗く獣頭の髑髏であった。

 王は先端部分を食い千切られた尾を薙ぎ払い、血が噴き出るのも構わず突如として現れた骸骨を打ち据える。するとまるで抵抗もなく骸骨は砕け、圧し折れた背骨と肋骨を地面に撒き散らした。

 しかし上半身のみとなった異形の骸骨はなおも動く。カタカタと笑うように顎を動かし、骸骨は親指で右手人差し指の先端を押し込んだ。

 

「"爆殺女王(キラークイーン)"」

 

 刹那、王の右肩から右上腕に掛けて浸透していた爆発性のオーラが励起。瞬間的に膨れ上がり、紅蓮の炎を噴き上げて激しい爆発を起こした。

 

「ぐおおあああッ!?」

 

 王は堪らず悲鳴を上げる。肩の付け根から右腕が吹き飛び、首の締め付けから解放されたカオルは勢いよく上体を起こし頭突きを食らわせた。

 脳を揺らす衝撃に呻いた王は左大腿部に突き刺さった具足の棘を無理矢理引き抜くと、翅を動かし遮二無二その場から離脱した。

 

「この──化け物がァッ!!」

 

「死ねェ化け物ォッ!!」

 

 遂に恐怖の表情を張り付けた王が全力で後退し、カオルが全力でそれに追い縋る。翅を持つ王の方が空中での機動力においては優位だが、しかし瞬間的な加速力ならば"霊気放出(オーラバースト)"を持つカオルに軍配が上がる。渦巻く蒼炎を纏い、火の玉となったカオルは猟犬の動きで獲物を追い詰めんとする。

 だが、ここで"渦巻く憤激(アンフォーギブン)"の効果が切れる。怒りに任せて無理矢理オーラを燃焼させるという性質上、この能力は持続力において難を抱えていた。瞬間的な強化幅は大きいがその分反動も著しく、急激な虚脱感に襲われたカオルは失速し大地に落ちる。

 

「クソ、間の悪い……!」

 

 全身が重度の筋肉痛のような鈍痛に襲われている。直ちに痛覚を遮断するも、まるで生まれたての小鹿のように足が痙攣し上手く走れない。

 一方、カオルの失速の隙を衝き距離を稼いでいた王にも限界が訪れる。まず膝の棘によって風穴が開いていた左足が溶け落ちた。次いで砕けた左腕と爆ぜた右腕の断面から血液と共に青い粘液が流れ落ちる。

 

「が、ごぶ……!」

 

 咳き込むと同時に吐血に混じって青い粘液が零れる。いよいよメルトウイルスによる浸食が無視できないところまで進行していることの証左であった。

 

「……何と無様な姿か。これが絶対者として生まれた蟻の王の姿とは、我ながら失笑を禁じ得んな」

 

 王は自嘲するように力なく笑った。ボロボロで傷だらけの甲殻に、右足を除き失われた四肢。内臓は既に七割がウイルスによる浸食を受けて跡形もない。絶対者の名が聞いて呆れる、非の打ち所のない敗残者の姿だった。

 王の心は既に折れている。カオルを化け物と罵った時点で己の敗北を受け入れてしまっており、その時点で反抗の気概は失われていた。

 

 しかし、それでもなお王は生存を諦めてはいなかった。絶対者として他種族全ての上に君臨し支配するという野望はもはや叶わぬが、王としてキメラアントという種の存続を図るという至上命題は失われていない。

 

「余は、王だ……どれだけ無様であろうと落ち延び、次代にこの命を継がねばならん……!」

 

 敗北者の烙印は甘んじて受け入れよう。だが滅びぬ。王の身体を構成する遺伝子。王を生んだ母が。母を生んだ王が。その王を生んだ女王が……連綿と受け継ぎ蓄積してきたこの遺伝子を絶やしてはならないと、王の魂に根差したキメラアントの本能が叫んでいる。

 

 ──あんな、魔獣以下の蟻であった時代に戻ることは罷りならん──

 

 故に、這ってでもあの化け物から逃げ果せ生き延びてみせる。幸いなことに、王には臣下から託された翅がある。手足は動かず呼吸もままならずとも、空を飛び前に進むことができる。

 

 

 

 ──ネテロがこの場に現れたのは、まさにその瞬間だった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「どういう状況だこりゃあ……」

 

 あまりに濃密過ぎる殺意とオーラが飛び交う爆心地に飛び込むことを恐れたネテロたち討伐隊の一行は、周囲の状況を窺うこともままならずにノヴの"四次元マンション(ハイドアンドシーク)"の内部で足踏みしていた。

 しかしそれに業を煮やしたネテロは単独での先行を決断。最強戦力であるネテロであるからこそ生存率は最も高く、故に最も危険な偵察の任を請け負ったのだ。

 

 そして"絶"で身を隠しつつ進むこと暫し。時折り飛んでくる攻撃の余波と思しき衝撃波に肝を冷やしながら前進するネテロの目に最初に映ったのは、地面に膝をつく華奢な少女の背中だった。

 少女の視線を辿って上空を見上げ、ネテロは目を見開く。そこには巨大な蝶の翅を広げふらふらと飛行する満身創痍の王の姿があった。身の毛もよだつようなオーラは健在ながら、酷く消耗したその姿は風前の灯火という言葉が最も相応しい。一方、座り込む少女も疲労は色濃いものの、その生命力溢れるオーラは死の気配からは程遠いように見受けられた。

 

「ネテロ、会長……!?」

 

 こちらを振り返り、驚愕に目を見開くカオル。どうにも記憶にある姿と髪色が異なるが、ハンター試験で出会った少女と同一人物であることを認めたネテロは慌てて駆け寄ろうとする。

 

「大丈夫か! ……何てこった、まさかキメラアントの王を退けるたぁ──」

 

「──私を殴りなさい!」

 

 はい? とネテロは呆気に取られる。駆け寄ろうとした足も思わず止め、青白くも整った少女の面貌をまじまじと凝視する。

 

「……M?」

 

「馬鹿言ってんじゃないの! アナタは撃鉄! 私は弾丸! 狙いはあの蟻よ! 急いでッ!」

 

 そう叫ぶや、カオルは疲労で震える両脚に無理矢理オーラを流し込んで立ち上がる。そこまで言われれば流石のネテロも察する。要するに王の下まで投げ飛ばせということだろう。

 だがいくら何でも傷ついた女の子を殴れというのも……と逡巡するネテロ。しかし、瞬間的に膨れ上がったカオルのオーラを見てその遠慮が的外れなものであると気付かされる。

 

急げっつってんの(Hurry, Hurry, Hurry!)全力で(Full power!)!」

 

「遠慮は無用ってことかい……"百式観音"ッ!!」

 

 刹那、ネテロのオーラの高まりに呼応し巨大な観音像が現れる。それは百は下らない数の腕を具えており、ネテロの意識に従って厳かに蠢いている。

 

「"壱乃掌"!」

 

 祈り、構え、打つ。その一連の基本動作はあまりに速過ぎて誰の目にも映らない。恐ろしい程に洗練され練り込まれたオーラの一撃が、観音像の掌打を通して打ち放たれた。

 その一撃を、カオルは流体変化能力も併用した極限の脱力状態で受ける。下手に防御して威力を減衰させるようなことはしない。ダメージは歯を食いしばって耐え、余さず全ての衝撃を受け入れる。その威力を利用してカオルは弾丸のように飛び出した。

 "百式観音"の掌打をカタパルト代わりに打ち出されたカオルは、全身を流体化させることでその形状を変化。白銀に輝く投槍(ジャベリン)、あるいは鏃と化して飛翔する。真っ直ぐ王を照準する穂先は莫大な魔力を宿し輝き、"霊気放出(オーラバースト)"によって噴射される極大のオーラが矢羽のように煌めいた。

 

 光の矢──空を裂き飛翔する一条の光輝を見て、ネテロはそう形容した。音速を超え光速に迫るその嚆矢は、狩猟の女神アルテミスの権能の後押しを受け必中の概念を宿すに至る。

 其は女神の槍。城門を越え都市を破壊するパラディオンの勝利の槍。真名()を──

 

 

 

「『偽・その愛楽は流星のように(ヴァージンレイザー・パラディオン)』───!!」

 

 

 

 猛る魔力が咆哮する。パッションリップの『トラッシュ&クラッシュ』をカタパルトとしたオリジナルと比べれば幾分威力は落ちるが、それでも発揮されるエネルギーは戦術核にも匹敵する。それが光の槍という形に凝集されているのだから、その熱量は計り知れない。文字通りの神速で飛翔し、渦巻き迸る光の奔流は狙い違わず背を向ける王を貫いた。

 

「ここまで、か──無念──……」

 

 燃え尽きる。光に灼かれ、千々に散らばり燃え落ちていく翅の残骸が虚空に舞い踊る。力を失った王は煌めき舞い散るそれに手を伸ばそうとし──

 

 返す刃で眼前に迫る蒼い斬擊を最後に、その意識は永遠に失われた。

 

 

 

「やった……のか……?」

 

 残心を解いたネテロは、胸に大穴を開けて地に落ちた王を凝視する。すると王の身体は徐々に輪郭を崩して溶けていき、最終的に青いスライム状となって地面に広がった。

 

 ──それを。青い粘液と化した王の亡骸を、カオルは容赦なく踏み躙った。

 

 宝具発動の反動か、その姿は満身創痍の様相を呈している。あれほど潤沢にあったオーラも大部分が枯渇し、まさに立っているのがやっとというような有り様であった。

 血の気の失せた表情で幽鬼のように佇み、しかしカオルは身体に鞭打ち何度も何度も王の亡骸を踏み(しだ)く。何度も、何度も。まるで積年の恨みを晴らすかのように、何度も。

 

「は、はは、ははははは……終わった……やった、やったんだ……私はやった、遂に成し遂げた!」

 

 ぐしゃり、ぐちゃりと、飛沫を上げて王だったものが辺りに飛び散る。

 

「この悍ましい怪物を! 斬って斬って斬って潰して潰して潰して、青色のスライムに変えてやった!

 

 ──どうだ、化け物めが!

 

 お前がどんな化け物でも、この有り様ではもはや何者も脅かせはしないでしょう! あらゆる全てを削ぎ落とされ、ただの情報体、ただの養分に成り下がったその姿こそが、お前の末路として相応しいわ!

 ひ、ヒヒ……あっはははははハハハハハははは───!!」

 

 どんな悪徳を重ねた大罪人であれ、死ねば皆仏だ。その死骸が辱められて良い道理はない。その道理に照らせば今カオルがやっていることはまさに下種、畜生の行いである。誰もが眉を顰めるであろうその蛮行を見て、しかしネテロは怒るでなく悲し気に目を伏せた。

 あまりに痛ましい。行いの下劣さよりも、まるで泣き伏せる童のような痛ましい有り様が見るに堪えない。

 

「カオル!」

 

「生きてるのか!?」

 

 背後から聞こえてきた少年らの声にネテロは振り向く。オーラと殺意の嵐が去ったことでノヴが"四次元マンション(ハイドアンドシーク)"を解除したのだろう。見ればゴンとキルア、ノヴ、モラウ、ナックル、シュート、コルトら七人がこちらに向かってきている。

 真っ先に走り寄ってきたゴンとキルアは、まず友人が生きていたことに胸を撫で下ろす。しかし近付くにつれ強くなる彼女から放たれる鬼気を感じ取り、二人は戸惑うように立ち止まった。

 

「ああ……ゴン、キルア。無事だったのね」

 

「う、うん。オレたちは平気だよ。……それより、カオルは大丈夫なの? 髪の色も変だし、それに腕が──」

 

「よく聞いてくれたわ!」

 

 ぐりん、とカオルが首を巡らす。そこで初めてカオルと目が合ったゴンとキルアは、殺意と憎悪と昏い歓びに濁った狂気を宿す瞳の凝視に息を呑んだ。

 

「どう、素晴らしいでしょう!? キメラアントを、そしてその王を! 私は悉く殺し尽くしたのよ! このスライムはその成れ果てよ。醜く、そして強大な怪物だったわ! でも私はやったの、打ち倒したのよ! 原形も残さない程に磨り潰して、その死骸をばら撒いてやったわ!」

 

 ばしゃり、と青が跳ねる。狂ったように捲し立てるカオルの足元で、うぞうぞと蠢くスライムは鋼の具足を通して彼女の内に吸収されていった。

 次の瞬間、カオルの全身から莫大量のオーラが立ち昇った。それは思わずネテロが後退りする程の圧を発し、超新星爆発のような光輝を放って周囲一帯にオーラの暴風を巻き起こした。

 

「私は……私はやったんだああああああああ!!! アッハハハハハハァ───ッ!!」

 

 まさしく狂乱と言うに相応しい。髪を振り乱し、目を見開きカオルは勝利の咆哮を上げた。

 ビリビリと肌を叩く極大の重圧(プレッシャー)。巨大なオーラを無差別に撒き散らすカオルの狂態を目の当たりにし、モラウ以下五人もゴンらと同じように絶句し固まった。

 

 

「ヒャハハハハ、アハハハハハ……はは、あはははははァ──……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──あれ、まだ蟻が残ってるじゃない

 

 

 硬直するコルトの眼前に狂気を宿した蒼眼が現れる。瞬きにも満たぬ刹那の内にカオルはコルトの目の前へと移動し、至近距離からその目を覗き込んでいた。

 ひゅっ、とコルトの息が詰まる。死神に魅入られた恐怖に竦み上がる彼を嘲笑うように口元を吊り上げ、カオルは白銀の刃を蠢かせた。

 

 

「"百式観音"ッ!」

 

 

 凶刃がコルトに触れるより早く、カオルの眼前に巨大な掌が現れ死線を遮った。しかしカオルは些かの逡巡もなくこれを切り裂き払い除ける。

 だが、なおもコルトを狙うカオル目掛けて十を超える掌が殺到する。流石のカオルも超質量の十連撃は堪えるのか、五つの掌打を消し飛ばしたところで舌打ちし飛び退った。

 

 ──この一連の攻防は一秒以下の世界で行われた。カオルが現れたかと思えば、眼前を豪風と共に銀と金の光芒が幾条も走り、次の瞬間には彼女は数メートル離れた位置まで後退していた……コルトの視点ではそうとしか映らなかった。

 

「……何のつもり?」

 

「それはこちらの台詞じゃ。……と言いたいところだが、そう言えばお主は知らんのだったな。ハンター協会はキメラアント側からの降伏の申し入れを受諾した。王が倒れた以上、残るキメラアントに手を出すことはならぬぞ」

 

「───」

 

 そう告げた瞬間、カオルの表情からあらゆる感情が欠落する。直前までの狂気も何もかもが抜け落ちた無表情──ネテロには、それが嵐の前の静けさに思えて仕方がなかった。

 

「……思うところはあるだろうが、踏み止まってくれ。これはワシが下した正式な──」

 

「黙りなさい。……黙って、お願い」

 

 カオルの視線がネテロの顔とコルトの顔を行ったり来たりする。「冗談でしょう?」という呟きが漏れた。

 

「キメラアントと人間は相容れないわ。どんなに人間臭く感じても、コイツらの本性はどうしようもない化け物なのよ。私はそれを知っている。……考え直しましょう。こんな化け物を生かしておいたら、後で取り返しのつかないことになる」

 

「カオルよ、お主は疲れているのじゃ。極端な思考になるのは心が不安定であるからで──」

 

 ゴッとオーラの暴風が吹き荒れ、強引にネテロの口上を遮る。遂にネテロたちにまで殺気を振り撒き始めたカオルは、据わった目つきでその場の全員を睥睨した。

 

「……そう、それがアナタたちの総意というわけね。なら目を覚まさせてあげる。それがどれだけ愚かな選択なのか、身体に教え込んであげるわ!」

 

「待って、カオル!」

 

 ゴンが悲鳴のような制止を上げるが、もはやその声はカオルには届かない。今の彼女にあるのはキメラアントを滅ぼさんとする殺意のみだ。それ以外の一切を不要として切り捨て純化している。

 蟻殺しの怪物が鎌首を擡げる。事の善悪すら判然としない霞掛かった思考の中、殺意に濡れる凶刃が獲物を求めて軋みを上げた。

 




△<私はやったんだああああああああ!!!

大満足。

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