実に下らない話だが、神はダイスを振るらしい(本編完結)   作:ピクト人

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H×H世界基準ではあり得ないほど強くなった主人公ですが、それでも日中ガウェインと鎧ありカルナに勝てるビジョンが全く見えない。
え、ギルガメッシュ? むりくぼなんですけど。


災厄

 

 実のところ、カオルは乱脈した言動ほどに理性を失っているわけではなかった。今の彼女に具わる精神構造は人間のものとは異なる。狂乱に陥り錯乱したかに見えて、その実思考の根幹の部分では驚くほどに冷めていた。

 それがアルターエゴという種の特性によるものか、あるいは肉体に影響され変異した精神の歪みなのかは誰にも分からない。だが現実としてカオルは短時間に引き起こされた肉体と精神の変容にも耐え、今なお思考は冴え渡っている。……少なくとも、本人の認識ではそうだった。

 

 故に、カオルは至極冷静だ。極めて理性的に、彼女はキメラアントの一切根絶を訴えているのである。

 

 

 

「アナタたちには危機感が欠けている」

 

 カオルは対峙する八人を見据え、傲岸にそう告げた。

 

「ネテロ会長はともかく、他の六人は災厄の何たるかを理解していない。真の怪物を前にした恐怖を知らない。なまじ実力があるばかりに誤解している。どんな強敵が相手でも、自分たちならば何とかなると。

 ……下らない。反吐が出るような増上慢だわ」

 

 実際に暗黒大陸に足を踏み入れたことがあるらしいネテロに関しては、正直カオルのご高説など釈迦に説法であろう。しかし他の六人……モラウ、ノヴ、ナックル、シュートは言うに及ばず。そしてネフェルピトーと対峙した経験のあるゴンとキルアでさえ、決定的に危機感を欠いていると言わざるを得ない。

 だがこれは仕方のないことだ。彼らは王をその目で見ていない。災厄を知らないのだ。知らぬものを恐れる道理など、勇敢な戦士である彼らには存在しない。

 

「言ってくれるじゃねえか」

 

 その上から目線の物言いに真っ先に噛みついたのはナックルだった。ナックルは不良じみた格好や態度とは裏腹に、誇り高い戦士としての一面を持つ優れた念能力者だ。モラウに師事しその薫陶を受けてきた彼にとって、己の実力を軽視されることは尊敬する師を侮辱されるに等しい屈辱である。

 

「反吐が出るはこっちのセリフだぜ。問答無用でコルトを殺そうとした異常者が何様のつもりだ、えぇ?」

 

「あら、気に障った? でも事実よ」

 

 無知は愚かだが罪ではない。彼らは無知故に化け物(コルト)を庇い立てするような愚行に及んでいるが、カオルは殊更にそのことを責める気はなかった。

 知らぬのならば理解させる……それだけだ。噛んで含めるように丁寧に、そして無慈悲にその不明を啓蒙してくれよう。

 

「言った通りよ。身体に教え込んであげる。災厄が災厄たる所以……その暴威を、災厄(わたし)が分からせてあげるわ」

 

 そう言うや否や、カオルは勢いよくオーラを放出させて飛び出した。その姿を目で追えたのはネテロだけだ。その彼ですら全神経を集中させてようやくといった有り様であり、当然ながら他の六人は反応することすらできない。

 

「まずは一人」

 

 最初に餌食となったのはシュートだった。カオルは彼の背後へと移動し、その延髄に手刀を叩きつけた。

 如何にカオルが特質系であり肉体の強化が不得手と謂えど、度重なるレベルドレインによりそもそもの身体能力が既に常人の域にはない。具体的には、今の彼女は一般的な乗用車程度ならオーラ強化なしの素手で解体できるだろう。そんな怪力で急所を殴られれば流石のシュートであっても耐えられない。彼は何が起きたのかすら認識できないままに意識を失った。

 シュートの念能力"暗い宿(ホテル・ラフレシア)"は標的のダメージを与えた箇所を奪い、彼が所持する籠の中に閉じ込めることができる。下手に彼の攻撃を腕でガードしようものなら即座に腕を喪失し戦闘力が激減してしまうことだろう。そして怪我ではない故に自然治癒も働かない。近接戦闘を得手とする強化系念能力者にとっては鬼門と言える、格上の相手に対しても刺されば一発逆転の可能性を秘めた能力であった。……尤も、カオルが相手では攻撃を当てることさえ至難の業であろうが。

 

「二人目」

 

 続く標的は崩れ落ちたシュートに気を取られたナックル。"秘密の花園(シークレットガーデン)"によって変形した右足による回し蹴りが脇腹に叩き込まれる。普通の足の形になり鋭利さが失われようが鋼は鋼であり、その質量や硬度は変形前と何も変わっていない。片足だけで十キロを超える重量があるのだから、彼が受けた衝撃は鉄塊で殴られたに等しい。ナックルはあばら骨が圧し折れる音を聞きながら吹き飛び、血を吐きながら地面に転がった。

 

「シュート!? ナックル!?」

 

 二人の弟子がほぼ同時に昏倒し、そこでようやくモラウが反応を示す。彼からすればカオルが消えたと同時にシュートが頽れナックルが吹き飛んだようにしか見えなかったのだから、その驚愕は当然のものであった。

 モラウが同じく反応できなかったノヴと二人して硬直する中、黄金の観音像が現れ無差別に放射されるカオルのオーラと相克する。半分の腕が二人を守るように伸び広がり、残る半分が標的を狙って蠢いた。

 

「あら、嘗められたものね。片腕で私とやり合うつもり?」

 

 最強の名を冠する念能力者の"発"を前に、しかしカオルは涼しい顔だ。確かに"百式観音"の掌打は速く対応には苦慮するが、逆に言えば苦労するだけで対処は不可能ではない。ましてや半分の腕を防御に回していては文字通り手が足りないだろう。

 片腹痛い。そんな手抜きの攻撃がこの期に及んで通用する筈もなかろうが。

 

 一呼吸の内に放たれる掌打の数は実に三十を超える。人の倍程はある巨大な掌が壁となって殺到するのだから、相対する者にとっては正に悪夢だろう。

 ()()()()()()()()。速さは申し分ないし威力も上々だが、それでもカオルを捉え打ち倒すには明確にオーラが不足していた。カオルは慣性の法則を無視したように直角の軌道を描いて虚空を奔り、三十連撃の掌打を掻い潜って肉薄する。

 

 直撃さえすれば耐久力に難のあるカオルを打ち倒すことも叶うだろう。だが今の彼女を捉えるには衰えた現在のネテロでは荷が重く、また掠った程度でダメージを負う程カオルも柔くはなかった。

 

「これでも捉えられぬか……だが」

 

 三十連撃を越え接近するカオルを阻むように、更なる怒涛の連打が襲い来る。拳を打つのが一瞬なら、拳を引き戻し再度打ち放つのもまた一瞬。続く第二波は威力を絞り手数に重きを置いた速攻であった。

 その数、七十二。流石のカオルもこれを避け切ることは不可能だ。そして一度でも被弾を許し足を止めたが最後、"百式観音"の掌打は無慈悲な連撃で彼女のオーラを削ぎ落とし肉を打つだろう。そうなればただでは済まない。

 ならば──撃ち落とす。避けられぬならば相殺するまで。"秘密の花園(シークレットガーデン)"が解除され白銀の具足が露わとなり、現れた踵に莫大なオーラが宿る。

 

「消し飛ばす!」

 

 左脚を支点に華麗に一回転し、振り抜かれた右脚からオーラの大斬撃が放たれる。それは迫る掌を残らず粉砕して突き進み、本体である観音像を両断した。

 

「何!?」

 

「温い、そして脆い!」

 

 目を剥くネテロへと一喝し、カオルは真っ直ぐに彼へと突進した。

 狙うは大将首ただ一つ。周りの雑兵二名は後でじっくり料理してくれよう。なに、殺しはしない。キメラアントを殲滅する間、こちらの邪魔をせず眠っていてくれればよいのだ。

 

 再び"秘密の花園(シークレットガーデン)"が発動し、鋼の鈍器となった足を振り上げネテロの脳天目掛けての踵落としが炸裂する。

 だがネテロは辛くもこれを受け流し、咄嗟に放った肘打ちでカオルを突き放した。しかし苦し紛れの一撃がダメージになる筈もなく、身を翻したカオルは再び突撃の構えを取る。

 

 しかし着地したカオルを待ち構えていたかのように紫煙が立ち昇り、生き物のように動き彼女の周囲を取り囲んだ。

 "監獄ロック(スモーキージェイル)"──モラウの念能力"紫煙拳(ディープパープル)"から派生した拘束能力であり、紫煙の結界を作り対象を閉じ込める。この結界は物理的な攻撃では破壊することができず、特に己の肉体を武器とするキメラアントにとっては対処不能な「監獄」となるだろう。

 

洒落臭(しゃらくさ)い!」

 

 だが、それがカオルに通用するかと問われれば否だろう。"霊気放出(オーラバースト)"で爆ぜるように全方位へと噴出したオーラによって"監獄ロック(スモーキージェイル)"は呆気なく吹き散らされた。

 邪魔をするならば是非もなし。カオルは標的を切り替え、冷や汗を流しながらも不敵に笑うモラウと視線を交錯させる。

 

「隙を見せたな──ノヴ!」

 

「"窓を開く者(スクリーム)"!」

 

 煙に紛れてカオルへと接近していたノヴが能力を発動させる。ノヴの両手の間に"四次元マンション(ハイドアンドシーク)"へと通じる「窓」が現れ、オーラ放出のために踏ん張っていたカオルの左脚を呑み込んだ。

 通常時であればただ念空間と繋がる通路でしかない「窓」は、ノヴの手によってより攻撃的な一面を露わにする。現れた「窓」に鋼の脚が半ばまで沈んだのを確認したノヴは、問答無用で「窓」を閉じた。

 これこそが"窓を開く者(スクリーム)"の能力。空間を隔てて"四次元マンション(ハイドアンドシーク)"へと繋がる「窓」は、閉じることで空間ごと対象を切断する防御不能の断頭台と化す。これを防ぐことは、たとえオーラを獲得しより強靭な甲殻を得たキメラアントであっても不可能である。

 

 冷酷に眼鏡を光らせるノヴは、たとえ相手が可憐な少女の姿をしていようが容赦はしない。仮にも王を打倒した立役者とはいえ、ネテロを──延いてはハンター協会を敵に回した相手に情けを掛けるような甘さとは無縁であった。

 

(敵となったのならば打ち倒すまで。可哀想ですが、まずは足を切り落としてその機動力を奪いましょう──む?)

 

 ノヴは怪訝に眉を寄せ──そして違和感の正体に気付き絶句した。

 

「あら、手品は終わり? だとしたら期待外れなのだけど」

 

 ──「窓」が閉じない。閉じようとする「窓」の絶対切断など知らぬとばかりに白銀の具足は曇りなく、火花すら散らすことなく泰然と空間を押し退けていた。

 

「馬鹿な! 空間ごと切断するこの技を防ぐだと!?」

 

「空間切断……大層な能力だけど、神の鱗が相手では分が悪かったようね」

 

 白銀の具足は、まさにメルトリリスという英霊の象徴だ。鋼の脚が占める神秘のリソースは他部位の比ではなく、全体的に脆弱な彼女の肉体の中で唯一の例外と言えた。

 凡そ通常の金属ではあり得ぬ強度を持つ具足の正体は、旧約聖書において「最強の生物」と讃えられた大海嘯レヴィアタンの鱗である。あらゆる武器を通さず不死身であり、「神の最高傑作」ベヒモスと対を成す神格の防御を破ることは同じ神格でもなければ不可能。メルトリリスという枠に落とし込まれる過程で多少グレードダウンしていようが、当然ながら神ならぬ人間の手によって引き起こされた「物理現象」程度が通じる道理はなかった。

 

 「窓」の向こうから蒼い光が漏れる。魔力を宿して輝く踵は元に戻ろうとする空間の強制力を無視して振り抜かれ、軌道上にある万象を切り裂きノヴの「窓」を破壊した。

 

「我が踵の名は魔剣ジゼル──恐れ入りなさい、絶対切断とはこういうものよ」

 

 顔面を蒼白にするノヴを見下ろして嗤い、カオルは呆然とする彼の手を取り躊躇なく握り潰した。

 

「あ"あ"あ"あ"あ"あ"!?」

 

「いい声で鳴くこと。その澄まし顔が苦痛に歪む様は見ていて胸が空くようだわ!」

 

 蹲るノヴの腹に再び人の足となったカオルの爪先が突き刺さる。ノヴは吐瀉物を撒き散らして吹き飛び、もんどり打って倒れ込んだ。

 

「ノヴ!? テメエ、調子に──」

 

 モラウは仲間を足蹴にしたカオルへと怒りを向けようとし──いない。片時も視線を外さなかったにも拘わらず、たった今ノヴを蹴り上げた筈の少女の姿は煙のように消え失せていた。

 

「これで三人。……そして四人目」

 

「ッ!?」

 

 その囁きは背後から。甘い香りと共に少女の吐息が耳に掛かり、モラウは反射的に手にする巨大煙管(キセル)を振り回した。

 

「な……!?」

 

 だが、棍棒と見紛うような巨大さを誇る煙管は既に半ばから断ち切られていた。予想より軽い手応えと共に空振り、モラウの身体が流れる。

 そしてバランスを崩してつんのめったモラウの後頭部に重い蹴りが叩き込まれる。再び背後へと回ったカオルが後ろ回し蹴りを放ったのだ。地面と平行に吹き飛んだモラウは受け身を取ることすらできずに転がり土を舐めた。

 

「残るはアナタだけね、ネテロ会長サマ?」

 

「………」

 

 つ、とネテロの額を汗が伝う。

 速い、あまりにも速すぎる。砕かれた"百式観音"を再構築するたった十数秒の間に討伐隊の精鋭が倒された。彼らはキメラアントの討伐にあたりネテロ自らが選出した精鋭中の精鋭、間違いなく一流の念能力者だったのに。

 

(それがこうも容易く一蹴されるか……!)

 

 見誤っていた。

 ネテロを含め、彼らは災厄というものの脅威を果てしなく見誤っていたのだ。これ程までに隔絶した実力を見せつけられれば、自ずとキメラアントの王の強大さも理解できる。理解せざるを得ない。

 

 恐らくその脅威を最も理解しているのは他ならぬカオルなのだろうとネテロは思う。暗黒大陸へと踏み込み、しかしその入り口で戦いもせずに逃げ帰った己などより、実際に干戈(かんか)を交えた彼女の方が災厄の恐ろしさは身に染みているに違いないのだから。

 だからこそのキメラアント殲滅論。確かにその主張は正しく、意見を募れば協会内にも彼女に同調する者は一定数出てくるだろう。特に国政に携わる者などは諸手を上げて賛同する筈だ。国防、否、人類圏の守護という観点からすれば不安要素の根絶は間違いなく「正義」の行いであるのだから。

 

 確かにキメラアントはNGLという国を一つ滅ぼした。もし女王が、そして王が今なお生きていればその被害は一国には留まらなかっただろう。燎原の火のように災禍は広がり、やがては人類を滅ぼしていた可能性も確かにあったことだろう。

 だが女王は死んだ。他ならぬ王の手によって。

 そして王も死んだ。他ならぬカオルの手によって! 彼女は王を斃し、つまりは世界を救ったのだ。それまでの行いがどうであれ、その瞬間、確かに彼女は英雄であったのだ。

 

 ──なのに彼女は己を怪物であると、災厄であると言う。そして実際にそうなろうとしている。長い時を生きてきたネテロの目を以てすれば、カオルの精神性の変容は一目瞭然であった。

 そして、彼女が深層に抱く恐怖の感情もまた。

 

「……カオル君。君は強くなった。初めてハンター試験で出会った時と比べれば、その成長は見違えるようじゃ」

 

「………」

 

「なのに、一体何を恐れる? それだけの強さがあれば何もかもが思いのままじゃろう。強大な魔獣の爪牙も、あらゆる念能力者の技も歯牙にすらかけぬ絶対的な力。圧倒的な暴力。……もはやキメラアントなど脅威でもなんでもなかろうに、何故そうまで降伏を選んだ彼らに固執する。何がそんなに恐ろしいのじゃ」

 

 ネテロはカオルの能力を知っている。他者を溶かし、吸収し己の力に変えるという規格外の力。キメラアントの王をも葬り去った今の彼女であれば、仮に王がもう一度現れたとしても容易く対処できるだろうに。

 

「……その口ぶりだと、今回の騒動の原因となったキメラアントの突然変異種が暗黒大陸から流れ着いたことは調べがついているようね。なら理解できるでしょう。キメラアントの王など、暗黒大陸においてはただの羽虫に過ぎないことを」

 

「……それは」

 

「キメラアントの残党なんて虫けら、私は断じて恐れてなどいないわ。私が恐いのは、暗黒大陸という魔境そのものよ」

 

 何故ならカオルは知っている。暗黒大陸というこの世の地獄が、どれだけ恐ろしい災厄を内包しているのかを。

 

「殺意を伝染させる魔物、"双尾の蛇"へルベル。

 

 欲望の共依存、"ガス生命体"アイ。

 

 快楽と命の等価交換、"人飼いの獣"パプ。

 

 古代遺跡を守護する正体不明の球体、"兵器"ブリオン。

 

 希望を騙る底なしの絶望、"不死の病"ゾバエ病。

 

 ──五大災厄って言うんですってね? 身の丈に合わぬ希望(リターン)に手を伸ばした人類の愚かさの象徴。自業自得の災い」

 

「──まさか、何故それを知っている……!?」

 

 陰鬱な口調で語られた言葉の内容に、ネテロは愕然と目を剥いた。

 それはハンター協会においてすら極一部の者しか知らない特級の秘匿事項。近代五大陸──通称V5が犯した禁忌の応報。

 たった一つでも人類圏に持ち込まれれば滅亡を引き起こしかねない文字通りの「災厄」。決して世間に知られることのないように星持ちのハンターにすら秘匿されている機密を、何故カオルが知っているのか。

 

「単純な暴力では測れぬ脅威、人智及ばぬ災害……恐ろしいことだわ。そして同時に幸運であるとも。何故なら人類は暗黒大陸の脅威を知った。そんな災禍が当たり前のものとして蔓延る人外魔境の一端に触れた、滅びることなく!

 ……これは暗黒大陸が人類に示した最後の慈悲なのよ。お前たちはもう二度と、新世界に触れるべきではない!」

 

 ギロリ、と狂気的な眼光がネテロを射貫く。

 否、それは果たして狂気だろうか。偏執的でこそあれ、その恐れは至極真っ当な感性のものではなかろうか。

 

「人類は新世界に手を出すべきではない──それは一部の野心ある国家を除き、多くの人間が共通して抱いた不文律。それ故の不可侵条約だった。……けれど今回の件で証明されてしまった。災厄は、向こうからもやって来るのだと」

 

 やって来たのがキメラアント程度だったから良かった。だがもしこれがへルベルだったら? もしこれがゾバエ病だったら?

 そんな可能性はあり得ないなどとは言わせない。そういう可能性があるのだと、我々は今回の件で思い知った筈なのだ。

 

「故に、危険の芽は悉く除かねばならない。たとえそれがキメラアント程度の羽虫だったとしても、災厄は滅ぼさねばならない!」

 

「それが理由か。それが殲滅に固執する君の本心か……!」

 

「そうよ。私は私を脅かす災厄を許さない。私を守るために、私は人類を守るでしょう」

 

 だからこそ許し難い。欲望のために希望(リターン)に手を伸ばし災厄(リスク)の報復を受けたV5。そしてその危険性を知りながらキメラアントという災厄(リスク)を許容する者ら。両者の間に如何ほどの違いがあろうか。

 理解不能。脳に蛆が湧いている。皆々等しく愚か者である。

 

「その果てに自らの怪物性を受け入れてどうする。災厄を憎む君が災厄に成り果てるなど、まるで本末転倒ではないか」

 

「本末転倒ですって? いいえ、逆よ。災厄を憎むが故に災厄になるの! 毒を以て毒を制するように、災厄となることで私は災厄を制する!

 怪物性を受け入れる? 結構なことだわ。化け物を殺せるのは化け物だけ。それで済むのならば私は喜んで化け物になるでしょう!」

 

 

 

 

「…………カオルは化け物なんかじゃないよ」

 

 緊迫した空間に投げ込まれる少年の声。振り向いたカオルの目に映ったのは、燃えるような意志を宿したゴンの褐色の瞳であった。

 

「あら、優しいのね。なら私は何だと言うのかしら」

 

「カオルは人間だよ。オレたちと何も変わらない、感情のある人間じゃないか!」

 

「それは大いなる誤解というものよ、愚かなゴン。感情ですって? 人間らしい感情なんて、とうの昔に置いてきたわ」

 

 そもそも、とカオルは口元を歪める。その眼差しには明確な嫌悪が現れていた。

 

「私が人間であるというその言葉。親切心からの発言なんでしょうけど、不愉快よ。私はもうアナタたちのように不完全で不合理な旧人類とは違う」

 

 

 

「私は快楽のアルターエゴ、メルトリリス。上位生命体としてアナタたち人間を守護し、大陸に閉じ込める最新の災厄よ───!」

 

 

 

「関係ない!」

 

 

 

「えっ」

 

「そんなの関係ないよ! オレにとってカオルは人間の女の子で、大切な友達だ! たとえカオルが災厄を名乗ろうと、それだけは変わらない!」

 

 一世一代の大暴露を「関係ない」の一言で切って捨てられ地味に傷ついたカオルを余所に、ゴンは変わらぬ真っ直ぐな眼差しで彼女を見据え喝破した。

 

「カオルの言うことは正しいのかもしれない。けど、コルトさんたちを助けることを選んだネテロ会長が間違ってるとも思えない。オレたちと同じように泣いて笑って怒る、そんな感情のあるキメラアントを『危険だから』ってだけで殺すなんてきっと間違ってる!」

 

 確かにネフェルピトーと相対した直後の、凶悪な怪物としてのキメラアントしか知らないゴンであればカオルの主張に全面的に同意していたかもしれない。

 しかしゴンはここに来るまでの間に、コルトというキメラアントを知ってしまった。人として生きていた時の心を思い出し、「大切な者を守る」という気高い意志を胸に秘めた男のことを。

 彼はゴンたちと対面するや頭を下げ、これまでの己の所業を謝罪すると共に王との決別を果たすための戦いに協力して欲しいことを願い出た。その真摯な姿勢に一切の虚飾はなく、ゴンはコルトの姿から失われぬ確かな人間性を垣間見たのだ。

 

「……ふん、短絡的な結論ね。人としての心を取り戻した──それが真実だとして、そいつらがNGLで犯した所業が許されるわけではないでしょうに」

 

「確かにそれは許されるべきじゃない。だけど彼らは加害者であると同時に、元NGLの人間という被害者でもあるはずだよ。罪には罰を、けどその罰は"死"であるべきじゃないんだ!」

 

 そう、元人間という背景を持つ彼らキメラアントは加害者であり被害者でもある。人間だった頃の記憶を取り戻した彼らは、果たして人のような化け物なのか、化け物のような人なのか。

 何にせよ、王を誕生させるために同じ知性体を食い物にしていた所業を悔いる気持ちが生き残った今のキメラアントたちにはあった。どうあれ自分たちの行いを顧みて贖罪を(ねが)うなら、その思いは蔑ろにされるべきではない。

 

 そう主張するゴンの言葉に、カオルは強く言い返すことができなかった。何故なら、カオルにはキメラアントが人里を襲う場面を知りながら見過ごした負い目があるからだ。王を生まれさせ、己の糧とするためにその犠牲を許容した。罪深いと言うならば、カオルこそがキメラアントをも超える「悪」である。

 確かに女王の漂着と亜人型キメラアントの発生そのもののタイミングはカオルにとっても不明だった。しかしキメラアントが繁殖し増加していくのを黙って見送らず、全てを殲滅して王が生まれる前に女王を討つこともカオルには可能だったのだ。

 

(それでも、私に後悔はない)

 

 だが、外道の誹りを受けようともカオルは己の選択が間違いだったとは思わない。N()G()L()()()()()()()()で災厄から己と人類を守り抜く力を得られたのだ。大事の前の小事。小を切り捨てることで大を救う力を得られたのだから結構なことではあるまいか。

 そもそも、化け物である己が死にゆく人の悲鳴を見逃したから何だというのだ。人が人を殺すのは罪だろうが、化け物が人を殺したとてそこに何の咎があろう。──否、ある筈もない。人間だって自分たちの繁栄のために多くの生命に犠牲を強いてきたのだ。化け物(わたし)が人間を見殺しにした程度、可愛いものだ。

 むしろ喜ぶべきだろう。災厄を跳ね除ける暴力機構を人間は手に入れたのだから!

 

「よくぞ言った、ゴン」

 

 カオルと睨み合うゴンの隣にネテロが並び立つ。

 否、ネテロだけではない。いつの間に復帰したのか、モラウとノヴもまたゴンを守るように前に出た。

 

「……私は以前、キミたちをただの子供だと言いました。その言葉は撤回しましょう」

 

「全くだぜ。見上げたガッツだ、ボウズ。よくあれだけの相手に啖呵を切った」

 

 モラウとノヴは身を以てカオルという人の形をした災害の脅威を知った。ゴンはその一部始終を見ていた筈だった。

 にも拘わらず、彼は恐れることなくカオル相手に我を通したのだ。それが蛮勇であれ、勇気であることに変わりはない。確かな意地を見せたゴンを二人は高く評価した。

 

「そして……すまねぇな、キルア。オレはあのとき偉そうなこと言ったが、敵はオレの想像の何倍もヤベエ奴だった。今ならお前がネフェルピトー相手に戦意を失った気持ちが理解できるぜ」

 

 ノヴの念空間から煙管の予備を取り出しながら、モラウはキルアに向けて謝罪の言葉を口にした。

 ここまでずっと黙り込んでいたキルア。彼は青を通り越して紙色に表情を染め、目を逸らすこともできずに恐怖の視線でカオルを凝視していた。

 

 無理もない、とモラウは思う。災厄とはよく言ったもので、彼はカオルに対する勝機を全く見出すことができなかった。精神論など入り込む余地のない絶対的な実力差。それがこうも絶望的だとは。

 正直に本音を語るなら、今すぐこの場から逃げ出したい。それはノヴも同じ気持ちである。──だがそれでも立ち向かわねばならない。男に二言は存在せず、コルトらを助けると誓ったからには貫き通さねばならない。

 

「キルア、コルトを連れて逃げてくれ。カオルは何が何でもコルトを殺すだろう」

 

「ッ! いや、オレの首ならどうなってもいい! その代価に他の仲間が助かるのなら──」

 

「そんな生易しい相手じゃねぇってのは見て分かるだろうが。アイツはアイツで、生半可な覚悟でこの場にいるわけじゃねえのさ。……全く、たまんねえなァ。謂わばこれは覚悟と覚悟のぶつかり合い、男の戦いってヤツだ。恐くて恐くて堪らねえが、中々どうして燃えるモンがあるじゃねえの。

 

 ──そうだろう、ナックル! シュート! バカ弟子どもが、いつまで寝てやがる!!」

 

 その時、完全にゴンら四人に気を取られていたカオルの背後で強力なオーラが立ち昇った。

 ナックルだ。"絶"で気配を絶ち、限界まで近付いたところで"硬"を纏う右拳を振り被る。

 

「! いつの間に──」

 

「"天上不知唯我独損(ハコワレ)"ェッ!!」

 

 咄嗟に顔を覆ったカオルの腕にナックルの全力の一撃がぶつかる。しかしそれはカオルのオーラ防御を抜けられず、些かのダメージも与えられない。

 だがそれでいい。「攻撃を加えた」という事実のみがこの能力には重要なのだ。

 

「このっ」

 

 苛立ちを乗せ、カオルは手加減抜きの蹴りを背後に向けて放つ。"秘密の花園(シークレットガーデン)"を発動していない剥き出しの魔剣の一撃だ。当然ながらナックルにこれを防ぐ術はない。

 だが、カオルが背後を振り返った時には既にナックルは射程範囲から離脱していた。素早い後退を可能にしたのはシュートが操る"浮遊する三つの左手"である。予めナックルに取り付いていた左手は、カオルに一撃加えたと見るや速やかに彼を運び出したのだ。

 

「や、やってやった……やってやったぞザマァ見やがれコラァ!!」

 

「落ち着けナックル、折れた骨が痛むぞ」

 

 カオルは逃げるナックルを追わず、傍らに出現したマスコットのように可愛らしくデフォルメされた小人に目を向けた。

 この小人の名は「ポットクリン」。ナックルの念能力"天上不知唯我独損(ハコワレ)"発動時に現れるオーラの虚像である。

 そして"天上不知唯我独損(ハコワレ)"の要でもある。このポットクリンに取り付かれた者にはナックルが攻撃した分のオーラが貸し付けられ、そのオーラに十秒毎に一割の利息が加算されていく。ポットクリンが持つ数値カウンターに表示された数字は取り付いた対象に貸したオーラ量を表しており、最終的に加算されるオーラ量が対象の総オーラ量を超過すると対象は「破産」──即ち「三十日間強制的に"絶"の状態となり念能力が使用不能になる」という強力なバッドステータスを押し付けられるのだ。

 

「……まあいいでしょう。どうせこんなもの、今更脅威になりはしないのだから」

 

「何ィ!?」

 

 カオルは嘲るように笑い、ポットクリンを指でつついた。

 ポットクリンは"天上不知唯我独損(ハコワレ)"が定めた強制力に守られており、誰にも触れることはできず粛々と利息の加算をカウントし続ける。しかしカオルにそんなルールは通用しない。念能力とは異なる法則で動く異能……i-des『メルトウイルス』ならば問答無用でポットクリンをただの養分として溶かし尽くすだろう。

 

 だが、そんなことをするまでもなくコレは脅威足り得ない。それを示すかのように、カオルは見せつけるように"練"を行った。

 間欠泉のように際限なく湧き上がるオーラ。止め処なく溢れ周囲を染め上げていくそれは天井知らずの活性を続けていく。

 

「……オイオイオイ冗談だろオイ。師匠の何倍だコレは。一度だけ見せてもらった師匠の全力の"練"と比較しても桁が違ェ……! 何千倍だ! 何万倍だ!? チートも大概にしろやコラァ!!」

 

「……数値に換算したら幾つだ、ナックル。得意だろうお前。おおよそでいい」

 

「知るかボケェ! こんなの恐くて数字にしたくねえ!

 ……だが敢えて言うなら、一千万とか二千万とかそういう次元だよ!!」

 

 ナックルが示したあまりのオーラ量にシュートは愕然とし、彼の観察眼を信頼するモラウもまた驚愕に目を剥いた。

 彼らの驚愕も当然のものであり、例えばプロの中堅クラスと評されたゴンのオーラ量が二万程度だった。つまりカオルの保有するオーラはゴンの約千倍であり、当然ながらそんなものは人間に許された生命力ではあり得ない。今は亡きモントゥトゥユピーですら数十万程度だったのだから、その規格外さは明白であった。

 

「あら、予想より少ない……まあ当然か。王をドレインしてもそれまでの消耗を帳消しにできたわけじゃない。そうね、だいたい最大値の三分の二ってところかしら?」

 

 その言葉に、今度こそ全員が呆然とする。

 そして思い知る。己を化け物と自称するカオルの言葉は誇張でも何でもなく、文字通りの意味であったのだと。災厄の名に偽りなし。これは少女の形をしているだけの災害である。

 

 なるほど脅威に思わぬわけだ。こんな馬鹿げたオーラ量、破産させるのに一体どれだけの時間が掛かるのか。

 ナックルの"天上不知唯我独損(ハコワレ)"は発動時に彼が込めたオーラ分を超える量の一撃を食らえば解除されてしまう。故に本来であれば遅滞戦闘を仕掛け時間稼ぎに徹するような戦い方をするのだが、"百式観音"を掻い潜るような相手にそれが成立するとは思えない。あっさり近寄られて殴られ、それで終わりだろう。

 

「ふふ、良い顔。そうよ、そういう表情が見たかったの。

 ……これが最後通告よ。そこのキメラアントを差し出し、災厄の根絶に手を貸しなさい。そうすれば私がアナタたちを守ってあげる。誰も大陸から出さない代わりに、暗黒大陸からのあらゆる侵入を許さない。この大陸を新世界から隔絶した楽園にするのよ! ──アナタたちにとっても、悪い話ではないと思うけれど?」

 

「……ハッ、そんなディストピアは願い下げだ。こちとらハンターだぜ? 自由を貴ぶオレたちがそんな提案を呑むとでも思ったかアホがッ!!」

 

 シュートの肩を借りて立ち上がり、ナックルは気丈にカオルの誘いを跳ね除ける。

 カオルは一同の表情を見渡し、それが全員の総意であることを認識し目を細めた。

 

「そう──なら殺すわ。もう手加減なんてしない。精々足掻くがいいわ、人間(ヒューマン)ッ!!」

 

 垂れ流されていたオーラが収束する。それは暴風となって総身を覆い、あらゆる衝撃を跳ね除ける鎧と化す。

 さあ、最後の戦いを始めましょう──そう嘯き、災厄としての本性を露わにした少女は疾走を開始した。

 

 




何か主人公が色々えらそーに語ってますけど、半分くらいは聞き流して頂いて結構です。
やっぱ自分本位なメルト(偽)は駄目だな! 時代は湖から飛び立ったメルト(真)ですよ。

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