実に下らない話だが、神はダイスを振るらしい(本編完結)   作:ピクト人

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前回は碌に感想に返信できず申し訳ありませんでした。申し開きというか言い訳は活動報告にまとめてあるのでここで長々と語ることはしませんが、興味のある方は覗いてみて下さい。

宣言通り今回は本編の続きではなく番外編です。タイトル通りバッドエンドですので、私のようにバッドエンド嫌いの方は注意して下さい。


BAD END√ 第六の災厄

「おい、ありゃあどういうことだクソ親父」

 

「久し振りに顔を見せたかと思えば。開口一番に何じゃ、バカ息子」

 

 場所はハンター協会本部、会長室。肩を怒らせて部屋に踏み込んできた大男に目をやり、ネテロは気怠げにため息を吐いた。恐らく必死に止めようとしたであろう秘書のビーンズは後で労ってやらねばなるまい。

 顔面に十字傷を刻んだその男の容姿は若かりし頃のネテロとまさに瓜二つである。然もあらん、この男こそがネテロの実子たるビヨンド=ネテロその人なのだから。

 尤も、若いと言ってもそれはネテロと比較した場合の話であり、彼も既に初老に差し掛かっていると言ってよい程度には年を重ねている。しかし総身に充溢する覇気は些かの蔭りも見せておらず、ビヨンドが戦士としてもハンターとしてもまだまだ現役であることを如実に知らしめていた。

 

 だが、ビヨンドの表情からは常の絶対的な自信に溢れた不敵な笑みが失われている。困惑と焦燥、そして怒りに彩られた複雑な表情を晒す息子を見やり、ネテロは再びため息を吐いた。

 

「あれ、では分からんよ。アポも取らずにこんな所まで乗り込んで、一体何の用じゃ」

 

「惚けるなよ。先日のニュースと、メビウス湖の異変だ。アンタのことだ、どうせ何か知っていて黙ってるんだろうが」

 

 だろうな、とネテロはビヨンドと相反する覇気の失われた表情の下で呟く。いま全世界を震撼させている話題において、このビヨンドが反応を示さないわけがないのだから。

 

 

 

 事の起こりは数日前。突如として全世界のあらゆるネットワーク及び電子媒体がハッキングされ、強制的にチャンネルを固定された映像機器に一人の少女の姿が映し出されたのだった。

 

『おはようございます/こんにちは/こんばんは。初めまして/お久しぶりです。私の名前はメルトリリス。第六の災厄として、アナタたち人類を守護する者です』

 

 美しい少女であった。人形のようだと形容するに相応しい無表情ではあったが、人間味が感じられぬ故の神秘性を内包した少女であったことは確かである。

 

『突然ですが、カキン帝国は滅亡しました』

 

 だからこそ、顔色一つ変えずに国家の滅亡を語る彼女の姿はある種異様に映った。

 

『いいえ、訂正します。私が滅ぼしました。愚かにもカキン帝国は暗黒大陸への渡航計画を企て、かつてのV5と同じ轍を踏もうとしていました。これは人類圏の安全を脅かす、明確な人類への裏切りです。故に滅ぼしました』

 

 まずは暗黒大陸について説明しましょう、と画面の中に揺蕩う少女は小首を傾げた。──そう。全世界に対する同時ハッキングである以上、この映像は一般市民にすら公開されているのだ。家の中でいつも通りの日常を過ごしていた人々は勝手に起動したテレビの映像を何事かと注視し、街中を往く人々はビルに掲げられた大型ディスプレイを呆然と見上げる。テレビの少ない田舎ですら、ラジオから同じ内容の音声が垂れ流されている。

 慌てふためく諸国の政府が各地の放送局に命じて止めさせようとするも、映像は一向に止まらない。何故なら、地上を覆う電子の海は既にして少女の掌中にあったからだ。

 

 斯くして秘匿は破られた。一般的に認識されている「世界」は孤島、「海」は湖。そして文字通りの人外魔境たる新世界「暗黒大陸」。そしてV5によって齎された「五大災厄」。暗黒大陸中央に位置する巨大湖メビウスの只中に浮かぶ小さな島々こそが人類に許された唯一の生存圏(せかい)なのだと、遂に全ての人間が認識するに至ったのである。

 到底信じ難い話だ。事実として最初の内は誰も彼女の話を信じなかった。ただ世界規模で起こったハッキング行為に慄き驚いたのみであった。──後に、新国家カキン帝国が本当に滅亡したとの情報が激震と共に世界中を巡るまでは。

 

『これは見せしめです。門番の警告に従わず、野心のままに災厄(リスク)を顧みず希望(リターン)に手を伸ばした愚か者。カキン帝国国王ナスビ=ホイコーロは国家諸共その報いを受けたのです。……ですがご安心下さい。アナタたちがこの世界に留まる限り、私があらゆる暗黒大陸の脅威から人類を守るでしょう』

 

 可笑しな話だ。暗黒大陸の話が本当だったとして、ならばただの少女がどうやって災厄から世界全てを守るのか。人々が抱いたそんな疑問を見透かしたように、少女はうっすらと微笑を浮かべた。美しく虚無的で、しかし毒々しい。まるで(ケージ)の中で囀る小鳥を眺めるような眼差しが、画面を通して全ての人類に向けられる。

 

『改めて名乗りましょう。私は第六の災厄、()()()()()()()()()。既に無きメビウス湖に代わり、新世界と人類圏とを隔てる境界線。あらゆる災厄の侵入を阻み、何人をも外には出さぬ凪の海。私という揺り籠に守られて、どうぞ人類の皆様は永遠の繁栄を続けて下さいな──』

 

 その言葉を最後に、メルトリリスを名乗る少女がその姿を衆目に晒すことはなかった。

 すぐさま世界中のあらゆる機関が事の真偽を確かめるべく調査を開始。その結果、驚くべき事実が明らかとなる。

 

 まず真っ先に判明したのは、カキン帝国の滅亡であった。国内にあった建造物を始めとする人工物はそのままに、生き物だけが忽然と姿を消していたのである。

 木々や畑の植物は勿論のこと、雑草すらも残らず消滅。犬猫や魔獣も跡形もなく、何より人間の姿が影も形もない。唯一の例外は興奮したように鳴きながら空を飛び回る鳥ぐらいのもので、蟻一匹に至るまで悉くの生物が一夜の内に消失してしまったのである。

 

 動くものが何もない伽藍の地と化したカキン帝国。これを知った全ての者が戦慄する中、続いて報じられたのは海──巨大湖メビウスの異変であった。

 一目で分かる異変として、まず波がないことが挙げられた。風はあるのに、鏡のような水面には細波(さざなみ)一つ立たない。水平線の彼方まで変わらぬ景色が続く凪の海。小石を投げ込んでみても、生じる波紋は数秒の後には痕跡すら残さず消滅する。

 続いて判明したのは水質の変化。直接肌で触れることのないよう慎重を期して行われた調査の結果、海の水は全く異なる性質のものへと変異していたのである。それは既存のあらゆる物質と比較しても共通点を見出せぬ未知の水であり、あらゆる調査機関が総力を挙げて調べても終ぞ結論を出せなかった。水のようであり水でなく、鉱物のようであり鉱物でない。まずこれが物質であるかどうかすら判然とせず、とある一人の研究者が「今の技術では観測できぬ未知の成分が介在しているが故にその性質を特定できないのではないか」との見解を出したが、あまりに荒唐無稽であるため発言した本人すら首を傾げる始末であった。

 

 そして結果の出ぬ水質調査に痺れを切らした調査団──ハンター協会から派遣されたシーハンターたちによる海中調査が決行される。念を知る彼らからすれば、この変異した海の本質が朧気ながら理解できていた故に警戒はあれど恐怖はなかった。

 この海は生きている──それが怪我を押して参加した調査団リーダーのシーハンター、モラウ=マッカーナーの言葉であった。海とは元より生物の宝庫であり、彼らが発する生命力(オーラ)で満ちている場所だ。しかし変異後の海は違う。()()()()()()()()()()()()()()()

 潜ってみればそれは一目瞭然であった。魚も、海藻も、珊瑚も、恐らくはプランクトンなどの微生物すらもいない。ひたすらに青く澄んだ水と砂ばかりが広がる、変わり果てた海の姿がそこにはあった。生物がいないのだから、海中を満たすオーラの出処は一つしかない。即ち海の水そのものがオーラを発しているのだと、調査団のハンターたちは満場一致で結論を出した。

 だが、それだけならば然したる脅威もない。水質が分からぬというのは不気味であるし、海の生物が消えたことは漁業の壊滅を意味するので大問題だが、それだけでは人類を絶滅させるような影響はない。シーハンターたちの調査によって水が人体に悪影響を及ぼさないことも判明した。災厄の定義が「人類を滅ぼし得る危険」である以上、これを災厄と認定するには五大災厄の存在が大き過ぎたのだ。

 

 しかし、巨大湖メビウス──否、彼女曰く巨大湖メルトリリス。その自らを災厄と称した恐るべき本質が明らかになるにつれ、楽観を抱きつつあった彼らの表情は恐怖に染まることになる。

 事件が起こったのは、ハンター協会の管轄ではないハンターから成る調査団──V5の何れかが派遣したと思われる──が強引な調査を決行した時だった。船を用意した彼らは、何と暗黒大陸への渡航へと踏み切ったのである。

 無論、彼らに本当に暗黒大陸に上陸する気などなかった。本当に上陸する気があるのなら海路ではなく空路を行く。伝聞でこそあったが新世界の危険性は承知していたし、何よりV5が上陸許可を出す筈がない。彼らが知りたかったのは、彼女の「あらゆる災厄の侵入を阻み、何人をも外には出さぬ」という言葉の意味である。海の水を、未知であれ触れても飲んでも人体に害のない水に変化させた程度で災厄を名乗るとは片腹痛い。その化けの皮を剥いでくれようと意気込み、血気に逸る彼らは一路新世界へと舵を切った。

 

 変化が訪れたのは、ようやく水平線の向こうに暗黒大陸が見えてきた辺りだった。「新世界が見えた。ここまで変化なし」とカメラを回す調査団の一人が無線に向けて言葉を発する。ここまでの航海は全てビデオカメラを通して中継されており、事の一部始終を世界へと伝えていた。──その行為が、結果として第六の災厄の脅威を知らしめることになるとも知らずに。

 まず、何の前触れもなく船首に佇んでいた調査団のリーダーが溶けて消えた。リーダーだったものは青い粘体(スライム)となって溶け崩れ、船べりを伝って海に落ちる。

 誰もが愕然として硬直する中、リーダーの消失を皮切りに次々と同じ現象が調査団を襲い始める。慌ててリーダーが落ちた海面を覗き込んだ副リーダーも同じ末路を辿り、それを見て船内へ逃げ戻ろうとした者たちも続々と溶けていく。

 「助けてくれ」「嫌だ」「溶けていく、俺の身体が──」「腕が」「誰か、俺の目玉を知らないか」──惨劇が船上を席捲する。ビデオカメラを構えていた撮影係の最後の一人は、歯の根が合わぬ中ただただその一部始終をカメラに収め続けていた。

 

『やはり、あの女の言うことは真実だったんだ……俺たちはもっと考えるべきだった……カキン帝国から、メビウス湖から生物が消えてなくなったことの意味を、もっとよく考えるべきだったんだ……! これは紛れもなく災厄だ……こんな、こんなものが揺り籠なものか! こんな悍ましい海に囲まれて、お、俺たちは未来永劫、大陸の外に、出られない──』

 

 それが最後に残った団員の末期の言葉だった。その言葉を最後に途絶したこの映像はあらゆる国家に周知され、以て世界は理解することになる。巨大湖メビウス改め巨大湖メルトリリスによって、人類は大陸に閉じ込められたのだ……と。

 

 

 

 それが現在世界を揺るがしている、新たなる災厄によって引き起こされた諸々の概要だった。

 そこにネテロが、ネテロたち「キメラアント討伐隊」のみが知り得る事実を付け加える。ネテロは語る。NGLで起こった亜人型キメラアント発生のこと。その王をカオルというハンターが討ち取ったこと。そして彼女が明らかにした自らの野望。それに反発した討伐隊との戦い。

 

 ──そして、カオルただ一人に討伐隊が敗北したこと。

 

「こちらはコルト君を含めれば九人。しかしあちらは一人。人数差は圧倒的、精鋭も揃っておった。……だが、それでもなお足りなかった。我々を殺さぬよう配慮されても、なお。彼女はあまりにも強すぎた……あれは、言い訳の余地のない完敗であったよ」

 

「アンタがいても負けたのか」

 

「届かなかった。ワシだけでなく他の面々も善戦したが、それでも足りんかった。カオル君には他の生命を吸収し自身を強化する特異能力があり、遂にはキメラアントの王すらも取り込んだ彼女の力は想像を絶していたのじゃ」

 

「生命を吸収する? ……まさか、巨大湖メルトリリスの正体ってのは──」

 

「やはりそう思うか。あの戦いで気を失った我々はその後の彼女の動向を知らぬが、十中八九お前が考えている通りだろうて」

 

「───」

 

 人工物を除き、あらゆる生命が一夜にして消滅したカキン帝国。同じく一夜の内に生命なき海へと変貌したメビウス湖。そして溶け崩れ海に還っていった調査団。これらから導き出される結論とは、つまり。

 

「……てぇことは、アレか? オレたちはあの電波女の腹の中にいるってことかよ」

 

「揺り籠とは言い得て妙であったな。あの海が彼女の成れの果てであるのなら、なるほど我らは彼女の中で揺蕩う幼子といったところか」

 

「何が言い得て妙だ、悍ましい。揺り籠だァ? 牢獄の間違いだろうが」

 

 吐き捨て、ビヨンドは苛立ちも露わに机の脇にあった観葉植物を蹴倒した。

 

「オレはこの五十年、ずっと待っていた。アンタがおっ死ぬのを。そして、再び新世界……暗黒大陸の地を踏むことを。暗黒大陸という未踏の世界(フロンティア)を開拓することを……ずっと、ずっと夢見てきたんだ」

 

「………」

 

「アンタが死ぬまでオレは暗黒大陸には行けない──そういう約定があった。だから亜人型キメラアントの討伐に『心』Tシャツを着て挑んだって聞いた時は、いよいよアンタにも死期がやってきたもんだと期待したってのによォ。カキン帝国にも働きかけて、後はアンタが死ぬのを待つばかりだったんだぜ。

 ……なのに、蓋を開けてみりゃこれだ。第六の災厄? メルトリリス? 人類を守護するだと? 馬鹿馬鹿しい! これが夢なら醒めてほしいもんだぜ。奴の所為で、オレの夢は永遠に断たれたッ!」

 

 激情のままに振るわれたビヨンドの拳が机を叩き割る。しかしネテロはそれに何を言うでもなく、ただ覇気のない表情で彼を眺めていた。

 

「永遠の繁栄を続けてくれだァ? 進歩あっての人類だろうが! かつて獣だった人は二本の足で歩くことを覚え、自由に動かせるようになった手は人に新たなる進化の可能性を生み出した! 今の人類の繁栄は、四足が二足になるような劇的な進歩なくしてあり得ねえ! これから人類が更なる繁栄を、更なる進化を望むなら! そんな爆発的な進歩が必要なのさ! そして暗黒大陸にはそのための起爆剤がゴロゴロしていやがるんだぜ!? これで心躍らねえような奴はハンターじゃ……いいや、人間じゃねえ! 戦争なんて下らねえお国同士のお遊びで殺し合ってるような今の停滞した人類が次のステージに進むためには、起爆剤が……希望(リターン)が必要なんだよ! それが何故分からない!?

 ……災厄(リスク)が恐ろしいのは分かる。オレだって徒に人類に危険を及ぼしたいわけじゃねえ。だが、だからといって災厄から逃げ続けていては何も始まらんだろうに! 戦争が科学技術の成長を促したのならば、希望(リターン)の獲得と災厄(リスク)との戦いは人類そのものの成長を促す先駆けよ。避けては通れぬ宿命の闘争なのさ」

 

 思いの限りを吐き出したビヨンドは、荒い息を吐きながらどっかと床に座り込んだ。じろりと下から睨め上げるような眼差しがネテロの顔に突き刺さる。

 

「虚しいな。虚しい限りだぜ、親父殿。こんな所でアンタに当たり散らしたって何も変わりはしない。アンタが勝てなかったような怪物にオレが勝てる道理もなし。ましてや敵は今や海そのものになったと来たもんだ。母なる海に人間が太刀打ちできるものかよ」

 

「………」

 

「だがオレは諦めねえ。諦めきれるものかよ。さっきアンタは完敗しただの何だのとほざいていたが、オレはまだ敗北を認めちゃいねえ。何年、何十年と掛かろうがオレはメルトリリスを攻略してみせるぜ。奴が"災厄"だというのなら、いつかはオレに打ち倒される運命にあるのさ!」

 

 ネテロは立ち上がった息子を見上げる。口端が不敵に吊り上がり、黒々とした(まなこ)にはギラギラと野心に燃える炎が宿る。常の自信に満ち溢れたビヨンドの姿がそこにはあった。

 不撓不屈、と言うべきか。これこそがハンターの正しい姿なのだろうとネテロは思う。武人と二足の草鞋であるネテロと違い、ビヨンドは根っからのハンターなのだ。諦めを踏破し、未知を既知とすべく冒険する者ら。"生"の極致たる恐れ知らずの狩人ども。

 

「邪魔をしたな、クソ親父。次に会う時は、オレがメルトリリスをぶっ倒した後だろうぜ」

 

「そうか。いつになるかは分からんが、楽しみに待っているとしよう」

 

「フン」

 

 鼻を鳴らしたビヨンドは荒々しい足取りで部屋を後にしようとする。だが、扉に手を掛けたところで立ち止まり顔だけでネテロへと振り返った。

 

「……アイザック=ネテロ、最強のハンターだった男よ。オレはアンタが死ぬのを五十年間ずっと心待ちにしていた。生きているアンタの顔は見るまいと心に決めていたぜ」

 

「うむ、そうじゃろうな」

 

「だが、今のクソッたれなアンタの顔はもっと見たくなかった。それはオレが最も嫌う、諦めきった人間の顔だ。……最強の男に、諦めは似合わねえ」

 

 それだけ告げると今度こそビヨンドは去っていった。部屋に残されたネテロは、閉ざされた扉から目を逸らし窓辺に近寄った。外は生憎の曇天であり、故に窓に映る己の顔がよく見えた。以前の己であればあり得ない、腑抜けきった老人の顔が。

 

「諦めた、か。そうかもしれぬ。老いるばかりのワシでは、もはや彼女を止められぬじゃろう。だがワシとて武人の端くれ、敵わぬからとて諦めるような己ではない。

 ……ワシはな、満足してしまったのじゃよ」

 

 最強の座についてからは、己を凌ぐ強敵との闘争を熱望する毎日だった。ハンター協会の会長として働く日々は楽しかったし充実していたが、それでも「挑む」という武人の根源的な渇望に勝るものではない。

 本来であればキメラアントの王が待ち望んだ強敵となる筈であったが、それはカオルという一人のハンターにとって代わられた。だが彼女はネテロの想像を超える強敵であり、討伐隊の総力を挙げてもなお届かぬ最強の敵として彼の前に立ちはだかってくれたのだ。

 不謹慎と罵るならば甘んじて受け入れよう。ネテロは確かにカオルとの戦いを楽しんでいたのだ。老骨に残された最後の力を振り絞って挑み──そして敗北した。ネテロはその敗北を受け入れ、それで満足してしまったのだ。

 武人には敵がいなくては意味がなく、しかし少し前までネテロには敵がいない状態だった。飢餓感にも似たそれは徐々にネテロを蝕んでいき、それは老いという形で彼から力を奪っていった。そんな中で遂に見えた己を凌ぐ強敵。それは甘露のように滴りネテロを満たした。全てを出し尽くしてなお届かぬ強敵。それに挑むことの、なんと甘美なことか!

 

 だが敗北から醒めて美々しき強敵に再挑戦することに心躍らせていると、ふとネテロの内にある不安が芽生える。それは、また以前の敵がいない状態に逆戻りしてしまうことに対する危惧だった。

 ネテロは強敵に挑むことの歓びを思い出してしまった。だが仮にネテロがカオルに勝利してしまえば、またあの充実した、しかしどこか虚無的な"最強"の毎日に戻ってしまう。……それは、ネテロが生まれて初めて抱いた恐怖であった。人は失って初めてその大切さに気付くという。だがネテロは"挑戦"を失って"最強"を得、しかし"最強"を失い再び得た"挑戦"を手放せなくなってしまった。彼の中で、急速に"最強"の輝きが色を失っていくのを感じたのだ。

 

 ──強敵を渇望する毎日を死ぬまで過ごすくらいなら、最強の座など要らぬ。強敵に敗北し、強敵に挑む充足感に包まれながら死にたい──

 

 それが"挑戦"すらも手放す愚行であると知りながら。ネテロは、己より上があるという現状に満足してしまったのだった。

 

「……老いたな。これ程までに老いを実感したのは初めてじゃ。かつては最強を、武の頂を目指していたというのにこの有り様よ。なるほど、なるほど……これが、老いか。何とも甘く、しかし恐ろしいものじゃのう」

 

 満足のいく強敵であった。満足のいく戦いであった。満足のいく敗北であった。

 

「心残りがあるとすれば……そう。たった一人の少女の心を救うことすらできなかったことか」

 

 だが、それはネテロの役割ではないのだろう。思い浮かべるのは、二人の少年の姿だった。諦めを踏破し、友を思い続ける若き戦士たち。彼らならば、あるいは──

 

「……満足のいく強敵であった。満足のいく戦いであった。満足のいく敗北であった。だが──」

 

 

 ──どこか、後味の悪い敗北であった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 "守護を騙る牢獄"巨大湖メルトリリス

 

 危険度:C(A+)

 

 

……ある日突然現れ、自らその存在を周知し人類の守護を謳った異色の災厄。映像を通して見せた少女の姿は擬態、あるいは親機に対する子機のようなものであり、その本体は大陸の周囲に広がる海──暗黒大陸との間に広がる巨大な湖そのものであるとされる。知性ある液状生命体であり、それは何をするでもなく大陸の外を満たしている。

 しかし一度(ひとたび)人間が大陸の外に出ようとすると、それは災厄としての本性を露わにする。かつてのメビウス湖から、そしてカキン帝国からあらゆる生命を奪い去ったように、外に出ようとする者は例外なく溶かされメルトリリスに吸収されてしまう。なお、飛行船を使って海を越えようとしてもその末路は同じである。どれ程の高度を飛翔しようと原因不明の爆発を起こして墜落してしまい、最終的には海に呑まれてしまうのだ。爆発の原理は依然として不明であり、通信記録には「窓の外に蝶がいる」との発言が残っているものの生還者がいないため真相は闇に包まれている。

 

 だが暗黒大陸に向かわぬ限りは人類に対して全くの無害であり、その危険度は極めて低い。しかし一夜にして一国を滅ぼした背景から最高ランクの危険度を主張する意見も多数あり、未だに意見が割れている。

 また近年においてはメルトリリスを神聖視する動きも各地で見られ、それは新しい宗教として一定の支持を集めているようだ。確かに全人類が暗黒大陸という魔境を知った今、暗黒大陸と人類圏とを遮る防護壁たるメルトリリスの存在を心強く感じる心理は理解できる。外に出る人間を襲うメルトリリスの脅威は、外から内へと侵入してくる他の災厄にも向けられるのだ。

 しかしその存在によって人類の可能性の一つが失われたのは確かである。音に聞く希望(リターン)の存在はそのどれもが得も言われぬ魅力に満ちている。どれか一つだけでも人類の手に出来れば、今の文明は大きな発展を遂げることだろう。それ故にその存在を煙たがる人間も少なからずおり、メルトリリスを神聖視する者たちとの間に意見の対立を見せている。基本的に人類に害しか齎さぬ他の五つの災厄と比較し、人類に益も害も齎すこの六つ目の災厄は非常に興味深い存在と言えるだろう……

 

ある研究者のレポートより一部抜粋

 




ネテロとビヨンドのキャラに違和感がある? それは作者も同じ気持ちですのでご安心を。

ちなみにこうなった主人公にはまともな自我が残っていません。大きくなり過ぎて精神崩壊したプロテアちゃん程ではありませんが、メビウス湖を丸ごとドレインし拡張し過ぎた結果、所詮は元一般人でしかなかった主人公の精神は限界を迎えました。ただ外に出ようとする人間と内に入ってこようとする災厄をモグモグするだけの機械と化しています。


もう絶対バッドエンドとか書かねーから!

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