実に下らない話だが、神はダイスを振るらしい(本編完結)   作:ピクト人

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道化師の流儀

「やあゴン、キルア♠ 数日ぶりだね♥」

 

「ひ……ヒソカ!?」

 

「生きてたのか!?」

 

「その反応は酷くない?」

 

 ゴンとキルアが驚愕の声を上げる。ネフェルピトーの前に殿として残った筈のヒソカは左腕以外に目立った傷もなく、五体満足な姿で彼らの前に現れた。

 毒蛇のような視線、酷薄に吊り上がる口元。鍛錬に依らず戦いの中でのみ磨き上げられた肉体、そして立ち昇る邪悪だが強力なオーラ。目元のペイントを落とし、NGLで支給された簡素な衣装に身を包んだヒソカからは常の軽薄な印象が薄れ、彼の戦士としての一面を見る者に印象付ける。

 

「待てよ……ヒソカが無事ってことは、もしかして……」

 

「──そういうことだ。(すんで)のところで命を拾ったのさ。……いや、救われたというべきかな」

 

「カイト!!」

 

 すぅ、と音もなく一塊となるゴンたちの背後から現れる長髪の男。彼こそはヒソカと共にネフェルピトーへと立ち向かい生死不明となっていたハンター──カイトであった。

 再会できた喜びに破顔するゴンへと微かに笑い掛け、しかしすぐに真剣な表情に戻ったカイトはカオルへと視線を向けた。

 

「ヒソカから聞いている。彼女が賞金首(ブラックリスト)ハンターのカオルだな?」

 

「うん……お願いだよカイト、カオルを止めるのに協力して欲しいんだ……!」

 

「……正直事情が掴めん。何故彼女は協会と敵対しているのだ」

 

「それはワシから話そう」

 

 そう言ってカイトへと歩み寄るネテロ。カイトは居住まいを正し、協会の長たる老人へと向き直った。その表情が一瞬強張ったのは、信じられない程に研ぎ澄まされたネテロの念を目の当たりにしたからか。

 

「お会いできて光栄です、ネテロ会長」

 

「うむ。無事……とは言い難いようだが、何はともあれ生きておったことはワシにとっても望外の喜びじゃよ」

 

「恐縮です」

 

 ネテロはちらとカイトの左腕へと目を向ける。持ち込んだ包帯だけでは足りなかったのか、破いた服をも包帯代わりに巻き付けてある左腕……とくに肩部からは大量出血の痕が窺える。多分に応急処置的ではあるが既に出血は止まっているようで、見る限りは問題ない様子だった。

 

「左腕についてはご心配なく。碌に動かすことも出来ませんが……一応繋がってはおります」

 

「帰ったらすぐに病院で診てもらいなさい。無事に帰れたら、だがね」

 

 心配そうに見つめるゴンに吊った左腕の指先を僅かに動かしてみせるカイト。そんな彼へとネテロは今に至るまでの経緯を語って聞かせるのだった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「何をしに来た……ヒソカ」

 

「分かり切ったことを聞くのは賢くないな♣ ボクが世間話をしに来たように見えるのかい?」

 

「そのよく回る舌を切り落としてやろうか」

 

 煽るようなヒソカの語り口に、カオルは即座に殺意の籠もった返答を放つ。これまでとは比較にならぬほど鬼気迫るカオルの様子にヒソカは心底嬉しげに口元を歪めた。

 滔々と溢れるオーラと濃密な殺気が肌を叩く。自らを最強と称して憚らぬヒソカだが、流石に今のカオルを前にして大口を叩けるほど考えなしではない。にも拘らず命知らずな軽口を叩くのは今のカオルの状態を見切っているからであった。

 

「無理はしない方がいい♦ 少しばかり話をしようじゃないか……息が整うまでの間くらいはね♠」

 

「……チッ」

 

 カオルはネテロたち討伐隊と矛を交えるより以前からキメラアント相手に大立ち回りを演じていた。如何に莫大なオーラを有していようが、体力までは無尽蔵ではない。その積み重なった疲労は確実にその身を蝕んでいた。

 特に精神的な消耗が著しい。埒外の生命体たるキメラアントの王、そして最強のハンターことアイザック=ネテロとの連戦である。多大な集中力を要する極限の戦闘が齎す精神疲労は如何ばかりか。ヒソカの思惑に乗るのは癪だが、多少でも一息つける猶予が得られるのは有難かった。

 

 「世間話をしに来たように見えるのか?」などと煽るような言動を放っておいて平然とカオルを話に付き合わせようとしてくるふてぶてしさ。しかもそれに利があるのだからタチが悪い。もしこれがカオルを苛立たせることで集中力を削ごうという作戦であったのなら、間違いなく大成功であると言わざるを得ないだろう。

 

 しかし状況の拙さはカオルとて理解している。さしもの彼女といえど疲労が重なり集中力を欠いた状態でヒソカまで相手取ることの愚は避けたかった。

 もしこれがヒソカにとっても想定外の突発的な遭遇戦であるのなら一息に押し潰してしまうのだが、彼は先程「トラップを張った」と漏らしていた。つまりヒソカは罠を張れるぐらい前からこの場にいたことになる。戦う(カオル)の姿を観察し罠を張り巡らせ、十分な勝機を確信出来たからこそこのタイミングで満を持して現れたのだ。

 

「……いつからこの場にいた?」

 

「カオルが最初に分裂した辺りかな? いやー、見てたけどキミってばホント多芸だね♥ 一人の人間からあんなに沢山の"発"が出てくるなんて、まるでビックリ箱みたいじゃないか♣️」

 

 つまりは第二ラウンド……分身からの絨毯爆撃を敢行した時には既にこの場にいたらしい。ならばヒソカが得られた時間は十五~二十分程度。それだけの時間があったのなら準備時間としては十分だろう。特に彼の手癖の悪さは折り紙付きだ。敵状視察も罠張りも過不足なく行えたに違いない。厄介なことだ、とカオルは内心で舌打ちする。

 ハッキリ言って真っ向切っての正面戦闘ならばヒソカはネテロの足元にも及ばない。が、それは別にヒソカが弱いということを意味しない。"奇術師"の異名が示す通り、彼の真骨頂は搦め手を交えた攪乱戦法にある。十分な下準備の時間が与えられ、敵の手の内も十分に明かされた今の状況はヒソカに味方していると言える。事前に戦場を整える手管も実力の一つ。変な()()を交えるような悪癖が発露しなければ、ヒソカという男は極めて戦上手な男なのだ。何も考えず突っ込めば思わぬ逆撃を食らう恐れがあるだろう。

 

 ──などと、そんな思考を巡らせているとヒソカは予想しているのだろう。だがそれはあまりにカオルを嘗めていると言わざるを得ない。

 

 確かにカオルはそれほど頭が良いとは言えない。高度な戦術を巡らすのは苦手だし、無駄に頭を使って刃を曇らせるぐらいならば無策の突撃を選ぶ。そんな無謀が許される程度には力をつけたからだ。

 ヒソカの立場からすれば、むしろカオルではなくネテロたちの呼吸が整うのを待っているのだろう。カオルを相手取るのにヒソカ一人では荷が重い。だから突っ込む。敵の罠も何も考えずに突っ込むのだ。この場においては巧遅より拙速が最適解であると彼女は判断した。

 

(敢えて余裕の態度を取って罠の存在を仄めかし、さも私相手に通用する秘策があるように振る舞う。そうすれば罠を警戒して二の足を踏むと期待したんでしょうけど、お生憎様。今の私なら罠ごと踏み潰せる)

 

 一塊となるネテロたちとヒソカの立ち位置はやや離れている。カオルの注意をネテロたちから逸らす意図があったのだろうが、それが裏目に出た。この距離ならばネテロが何かする前にカオルはヒソカを始末できる。

 小手先の技でちょいとでも何とかなると思ったのがヒソカの過ちだ。その思惑ごと踏み砕いてくれる──!

 

 瞬間、更に口を開こうとするヒソカの機先を制する形でカオルが飛び出した。馬鹿正直にヒソカの話に付き合っていてはそれこそ彼の思う壺だ。何をされるのか分からないのが恐ろしいのなら、そもそも何もさせなければ良いのだと──そんな理屈の下、カオルは整息を待つことなく不意打ちじみた先制攻撃を敢行した。

 

 ……だが、この時点でカオルは二つの思い違いをしていた。

 

 一つは、休息を挟むことなく畳み掛けることでヒソカの思惑を外せると思い込んだこと。そもそもヒソカからすればカオルが疲れていてくれた方が有難いのだ。ただでさえ両者の戦力には大きな開きがある。互いに同じ条件下で正々堂々と……などというスポーツマンシップとは無縁である以上、ヒソカからすれば策を弄さぬ理由がない。

 ヒソカにとって一番避けたいのはカオルに逃げられることだ。そもそも確実な勝利を求めるのならカオルは馬鹿正直に正面から戦うべきではなかった。深い森の中という状況、そして何者にも勝る機動力という武器があるのなら、彼女が取るべき戦法は闇に紛れての各個撃破。ヒットアンドアウェイに徹し、徐々に、だが確実に敵戦力を削いでやればよい。そうすれば敵の連携に阻まれることもなく、労せずして彼女は勝利していただろう。

 カオルは決して馬鹿ではない。少し考えれば分かりそうなものだが、思い至らなかったということは少なからず冷静ではなかったのだろう。あるいはプライドが邪魔をしたか。いずれにせよヒソカにとっては好都合だった。ここで冷静に立ち返られて闇に潜まれては本格的に勝ち目がなくなってしまう。隠れる側のカオルは休息するも攻撃するも自由。されど受け身に回らざるを得ないヒソカ側はいつ来るとも知れぬカオルの攻撃を警戒して常に神経を張り巡らせなければならないのだ*1

 

 故に、ヒソカは話術を駆使してカオルが向かってくるように仕向けた。二人が敵同士として対峙したのは三回ほど、そして実際に干戈を交えたのは内二回だけだ。一見すると少ないが、ヒソカにとってはそれだけあればカオルの思考パターンを把握するのに十分である。

 ヒソカから見て、戦闘時のカオルはともすれば強化系なのではないかと思うほど直情傾向にある。その一方で全面的に思考を手放すほど向こう見ずではない。素人に毛が生えた程度ではあるが戦術を弄する知恵はあるし、同じ過ちを二度三度と繰り返すような馬鹿ではない。そしてそう言った手合いこそがヒソカにとって最も与し易い相手である。クロロのような天才肌は読み合いだけで千日手に陥る可能性があるし、ゴンやウボォーギンのような(無論良い意味での)バカが相手だと想定外の一手を打たれ痛い目を見ることもしばしば。その中間、常識的な思考回路の人間こそが最も奇術に掛かり易い。

 

 「話をしよう。少し休んだ方がやり易いだろう?」──だから逆に休まず戦う。それで裏をかけると考えるあたりが全く以て()()()だ。ヒソカは変化系の念能力者。変化系は嘘吐きで気紛れ。口から出る言葉が本心からのものである保証などないと言うのに。まったく可愛らしいなぁと呟き、ヒソカはパチリと指を鳴らした。

 

 カオルが出せる速度は既に常人が目で追える域を超えている。到底ヒソカの格闘技術で対処できるものではないし、そこはヒソカ自身も認めるところだ。だがカオルが十メートルと少しの距離を隔てて対峙するヒソカに攻撃を食らわせるよりも、二十メートルほど離れた位置に立つネテロが念を届かせるよりも──ヒソカが伸縮自在の愛(バンジーガム)を解除する方が早い。何しろ意思一つで完了するのだから、文字通りの一瞬である。

 

 刹那、やや離れた場所に仕掛けられた罠が作動する。

 千切れるギリギリまで引き伸ばされた二つの伸縮自在の愛(バンジーガム)が並ぶように根を張る大木に貼り付けられている。引き絞られた弓弦のように軋む念糸の先にあるのは、カオルとネテロたちの戦いの余波を受け破壊された木々の砕片、あるいは岩石である。それらは引き絞られた先で同じく伸縮自在の愛(バンジーガム)によって地面、または別の木に貼り付けられている。

 まるで投石器(スリングショット)のような有り様であり、事実その通りであった。ヒソカの意思によって伸縮自在の愛(バンジーガム)はガムとしての機能を失い、貼り付けられていた「弾」が牽引するゴムの伸縮によって弾かれるように飛び出した。そして弓弦としての役割を担っていた伸縮自在の愛(バンジーガム)は「弾」に十分な加速が乗った時点で同じくガムを解除され分離する。以上の工程を経てミサイルと化した「弾」は今にも飛び出そうとするカオルへと凄まじい勢いで着弾した。

 

「ガ──!?」

 

 眼前のヒソカに目を取られていたカオルは突如として意識外から飛来したそれの直撃を許してしまう。ボウリングの球ほどはある岩塊の砲弾はカオルの"堅"を貫通することこそないが、発生した運動エネルギーは彼女の矮躯を吹き飛ばして余りある。威力は殺せても衝撃までは殺せず、脇腹に受けた一撃によって地面に転がった。

 

「この……っ」

 

 当然ながらオーラで強化されたわけでもない純粋な物理攻撃程度で傷を負うカオルではない。大きく吹き飛ばされたもののダメージはなく、カオルはすぐさま起き上がった。

 その瞬間、身を起こしたカオルの側頭部に狙い澄ましたように飛来した倒木が激突する。メリ、という嫌な音を立てて彼女の細い首が重量に耐え兼ね直角に折れ曲がった。

 

「~~~~~ッ!?」

 

 声にならない悲鳴はカオルのものか、それとも外野から眺めるゴンたちが漏らしたものか。普通の人間ならば即死である凄惨な有り様だが、それでもカオルは死なない。そもそも骨などないも同然なのだからこれで致命傷を負う道理もなく、当然のように元の位置に戻った頭を振って立ち上がった。

 

「──ぶっ殺す」

 

 大地を蹴りつけ、カオルが再びの加速を見せる。接近されれば勝ち目のないヒソカは直ちに飛び退るが、"霊気放出(オーラバースト)"を使わずともその速度は圧倒的だ。カオルは瞬時に距離を詰めるも、更にトラップが作動し倒木や岩石がカオルを狙って放たれる。

 ヒソカが弾として選んだのは辺りに転がっている倒木や岩石である。なまじオーラを纏っていない故に先程は不覚を取ったが、来ることが分かっているのならば回避は容易だ。更に言えばトラップの性質からして弾が放たれる方向は変えられない。数と立ち回りで補ってはいるが、そもそも精密射撃ができるような代物ではないのだ。的が少しでも速度に乗ってしまえば当てるのは至難の業となる。案の定、わざわざ回避行動を取るまでもなく弾はカオルが駆け抜けた後を虚しく通り抜けていく。

 

 ()った──瞬く間に接近したカオルはそう確信し、刃に更なる加速を乗せるべく大きく踏み込んだ。

 その瞬間である。踏み込んだ左脚に、地面に爪先が突き刺さるのとは異なる感触が伝わる。まるで吐き捨てられたガムを踏みつけたような不快な異物感だ。

 

(また"伸縮自在の愛(バンジーガム)"か)

 

 相手がヒソカである以上、考えるまでもなく異物の正体は明白である。変化系念能力者たるヒソカの常套手段、粘着性を帯びたオーラによる鳥黐(とりもち)だろう。単純な性質変化故に強力な粘着力を持つ罠だが、今のカオルの手に掛かれば引き剥がすのは容易い。魔力かオーラを込めた刃で切り裂いても良いし、オールドレインによって吸収しても良い。今更こんな子供騙しの拘束など、一秒以下の僅かな時間を作るのが精々だろうに。

 ……そう思っていたからこそ、直後に起こったことはカオルにとっても不意打ちとなった。一秒以下とは言え隙は隙、達人にとっては十分に付け入る余地がある。殊に、ヒソカはそういった付け入る隙を嗅ぎ分ける才覚においてはまさに天性のものがあった。

 

 ほんの一瞬だった。"伸縮自在の愛(バンジーガム)"の鳥黐に引っ掛かり全身が僅かに緊張したのが一瞬ならば、硬直から立ち直りオーラのガムを振り切ったのはまさに須臾の間の出来事と言えよう。

 その刹那の間に、ヒソカの身体はカオルと密着する距離にまで迫っていた。

 

「は──!?」

 

 当然距離を取るものと思っていたカオルにとって、よもや逆に距離を詰めてくるなど想定外と言う他ない。互いの睫毛が、鼻先が、唇が触れるのではないかという程の至近距離において、道化師は悪辣にして凄絶な笑みを隠すことなく剥き出しにしていた。

 

「正直ボクのこと嘗めてたろ? ネテロの爺さんと比べてさ♦」

 

 確かにヒソカにはネテロのような攻撃速度は望むべくもない。キメラアントの王のような馬鹿げた怪力や頑強さも持たない。だが駆け引きの巧みさ……敵を自分のペースに持ち込む手腕にかけては他の追随を許さなかった。彼が殊更にタイマン勝負に拘るのも、腹の探り合い、手の読み合いにおける強烈な自負があるからこそである。

 「気が付けばヒソカのペースに乗せられている」……彼と戦い、運良く生き残った者は口を揃えてそう語ったという。やること為すことが裏目裏目に出る。取る行動悉くがヒソカに利する結果となる。まるで悪夢のような戦いを演出すること、それこそが奇術師の手練であると。

 しかしどれだけ相手のペースを崩そうが、結局のところ敵を倒すのはヒソカ自身の手足である。奇術では絶望的に開いた戦力差を埋めることはできても、ひっくり返すことまではできない。奇術だけでは、駆け引きの有利だけではカオルを前には張子の虎も同然である。

 単体では切り札足り得ないそれを支えるのが、数多くの戦いの中で鍛え上げられた確かな戦闘技術である。ヒソカは泥臭い鍛錬を嫌う。恐らく努力の量という一点ならば既にゴンはヒソカを凌駕しているだろう。だがヒソカは天才であった。素質においてはネテロにすら──精神性において致命的なまでに武術家には向いていないが──迫る程に。

 

 "伸縮自在の愛(バンジーガム)"の罠によって作り出した一瞬の隙に付け込むのにヒソカが用いたのは、同じく"伸縮自在の愛(バンジーガム)"である。しかし前者がガムとして粘着性を帯びていたのに対し、後者は弾力性……ゴムとしての性質を具えていた。足の裏に仕込んだそれを発条(バネ)として用い、一時的に凄まじい瞬発力を発揮したのである。

 自分から距離を詰めるのと、向こうから間合いを詰められるのとでは当然ながら反応も異なる。前者ならば予定調和、後者ならば不意打ちであり、今のカオルは正面から不意を打たれたも同然だった。如何な名刀名剣も振り下ろす腕を止められれば威力を発揮することができないように、近すぎる間合いは脚に具わる刃を立てるに適さない。結果として無傷での接近に成功したヒソカはカオルの顔面へと拳を叩き込んだ。

 

 ──カオルが犯した二つの思い違い。もう一つは、ヒソカがネテロたちと協力して挑んでくるものと思い込んだことだった。

 

 カオルとヒソカの間にある戦闘力の差は大きい。攻撃力、敏捷性、オーラ量、あらゆる面においてヒソカはカオルの後塵を拝している。勝っているのはオーラ強化抜きの筋力と耐久力ぐらいのものだろう。そんなものは圧倒的なオーラ量に任せた強化で容易くひっくり返るのだから何の慰めにもなりはしない。

 それでも──それでも、ヒソカは誰かの手を借りてカオルと対峙するような真似は御免だった。たとえここまでのカオルの消耗に第三者の手が関わっていようと、いざ面と向かったからには自分一人で戦わなければ気が済まない。自分一人の勝利でなければならない。そうでなければ気持ち良くない。

 カイトに語った言葉に嘘はない。ヒソカが本当に望む戦いを演じるには些か以上に時機を逸してしまったという自覚はある。()()()()()、今を逃してはならないと強く思う。腐っても鯛とは言うが、本当に腐ってしまえば食べることすらできなくなってしまうのだから。

 

 誰にも渡さない。

 誰にも邪魔はさせない。

 

(たとえ、待っているのが確実な死だとしても──)

 

 この女は、自分(ボク)の獲物だ。自分(ボク)が先に目を付けた。先約があるのだ。誰にも譲りはしない。

 

 ヒソカはカオルの顔面に拳を叩き込んだ瞬間、親指を目の中に突き入れて殴り抜いた。"堅"のように全身に均等に攻防力を振り分けた場合、部位ごとの耐久力の差は強化後も変わらない。胸や背中より腹の方が柔らかいし、額や頬より眼球の方が脆い。

 そして"堅"の防御を抜けて眼球を潰したことで、ヒソカはカオルに常の()()がないことを確信した。万全な状態のカオルであれば、今のような不意を打たれた状況であっても確実に"凝"か"硬"による防御を間に合わせていただろう。それ程に彼女の"流"の技術はずば抜けている。

 疲労によるパフォーマンスの低下は大きいらしい……予想通りだ。そうなるのを待ってから飛び出したのだから当然とも言えるが。

 

(そしてこれも予想通り♠)

 

 次の瞬間、カオルを殴った左腕の肘から先が呆気なく切断される。不意を突いて一撃加えても、クロスレンジでヒソカに出来るのはそこまでだ。カオルは目を潰された痛みに叫びながらも、咄嗟に動かした脚で腕を切り裂いた。

 予想通り……いや予想以上の切れ味だ。"堅"をまるで障子紙か何かのようにあっさりと切断する踵の鋭さは脅威の一言に尽きた。ネテロをして"凝"ではなく"硬"を用いねば打ち合えなかったのも頷ける。

 

(分かってたことだけど、これは殴り合いなんて以ての外だな……!)

 

 そう判断するや、ヒソカは直ちに距離をとるべく飛び退った。しかしただ後ろに下がっただけではまたすぐに追いつかれるだろう。今し方のような「逃げる振りをして逆に距離を詰める」不意打ちはもう通用しないと見ていい。

 ならばどうするか──簡単なことだ。別の不意打ちを使えばいいだけのこと。そう簡単にネタが尽きるほど奇術師の手品は浅くない。

 

「Present for you♥」

 

 切断されて宙を舞った左腕が突如として軌道を変えカオルに張り付いた。それが"伸縮自在の愛(バンジーガム)"によるものであることは明白だが、だから何だというのか。

 溶かすか剥がすか、それとも無視するか。一瞬とはいえそれに気を取られたカオルの目の前でべろりと腕の皮が捲れる。

 否、それは人皮ではなかった。剥がれた"薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー)"の下から現れたのは、手首に括りつけられた──爆弾。

 

 Bomb(ドカン)、と呟いたヒソカの右手の中で信管が作動する。炸裂した爆弾は激しい音と衝撃を発し、爆炎の代わりにピンクの煙幕を撒き散らした。

 

「性懲りもなく目潰しかッ──!」

 

 恐らく手品の小道具だったのだろうそれは瞬時に拡散しカオルの視界を塗り潰す。だが煙幕に紛れて攻撃してくるのは明らか。ならば来るのは背後か側面か、あるいは意表を突いて正面からか──

 

 面倒臭い、全て斬る。カオルはその場で一回転するように脚を振り抜き、全方位へと円状の斬撃を見舞った。

 だが不発──手応えなし。拡散する衝撃により晴れつつある煙幕の向こうを、カオルは涙に滲む右の目を忙しなく動かし探る。

 

 いた。足元で地面と同化するように寝そべるヒソカが気配を殺して潜んでいる。不意を打たれる前に発見できたのは僥倖、条件反射的に動いた脚がヒソカを突き殺さんと振り上げられる。

 凡そ生物が最も油断するのは獲物を仕留める瞬間であると──その言葉に則るならば、今のカオルこそ油断の只中にある。その無防備な背中を、ミサイルのように飛来した倒木が打ち抜いた。

 銃弾は防弾着越しであっても金属バットで殴られるような衝撃を人に与えるという。銃弾とは比較にならぬ大質量の激突はオーラの防御を抜いて衝撃を伝え、一瞬だがカオルの息を詰まらせた。

 

 その硬直をこそ待っていたと、肉食獣の眼光を宿すヒソカは跳ね上がるように身を起こす。そして瞬時に"絶"から"練"へ、そして"練"から"凝"へと移行し下段からの蹴りを放った。

 カオルの股座(またぐら)へと。

 

「~~~~~ッ、ァ」

 

 誤解されがちだが、股間を急所とするのは何も男性に限った話ではない。確かに露出した内臓(睾丸)のようなあからさまな弱点をぶら下げているわけではないが、女性にとっても金的は十分な致命傷となり得る。肋骨のように堅固に内臓を守護する骨格はないし、腹筋のように強靭な筋肉もない。直接腹部の内臓へと衝撃が届くため、むしろ普通に腹を殴られるよりも受けるダメージは大きいのだ。

 下腹部から脳天へと突き上げる衝撃と共に名状し難い不快感がカオルを襲う。確かにカオルの身体に真っ当な骨格や臓器など存在しないが、人型を取る以上は構造的な弱点もある程度は人体と共通する。人体にとっての急所はカオルにとっても急所足り得た。

 

 生理的反応として嘔吐(えず)くように口を開いたカオルの口腔へとヒソカの爪先が突き込まれる。彼の戦闘勘はここを攻め時と判断していた。疾風のように戦場を駆ける彼女が無防備を晒している、この好機を逃す手はない。

 カオルは有する戦闘力に比して経験や痛みに対する耐性に乏しい。然もあらん、彼女ほどの機動力の持ち主にまともに攻撃を当てられるような者が果たしてどれだけいるものか。仮に当てられたとしても、豊富なオーラが作り出す"堅"や"凝"の防御を超えられない。結果としてダメージらしいダメージを受けることのなかったカオルは、痛みに慣れぬという戦いを生業とする者にはあり得ぬ歪みを抱えたまま今に至った。

 

 それが今はどうだ。疲労により得意の"流"は見る影もなく衰え、連戦に次ぐ連戦によってオーラの底も見え始めている。表出した綻びにあからさまな弱点、こんな美味しい隙を見逃してやるほどヒソカは優しくなかった。

 回し蹴りによって頭部を毬のように蹴り上げられたカオルへと容赦なく攻め手を加える。人中、水月への打突、蟀谷(こめかみ)や顎部への執拗な殴打。頸椎や脇の下、上腕骨隙間へと手刀を奔らせる。

 外野から観戦するキルアをも唸らせるような正確無比な急所への攻撃。これまでのヒソカの戦いの歴史が透けて見えるような鮮やかな手際は、幼い凶手をして驚嘆させるに足るものだった。無慈悲なまでに効率的。よほど人体を破壊するという行為に慣れていなければこうも的確に急所は狙えまい。

 

「なんとも惨い……」

 

 思わず、といった様子でネテロの口から唸り声が零れる。だがそれはいいように遊ばれるカオルを哀れんでの言葉ではなかった。

 

「──ッ」

 

 ギリ、と噛み締められた唇から血が流れる。怒涛の猛攻を加えるヒソカはしかし、己の肉体に迫るタイムリミットとの戦いを余儀なくされていた。

 

 振り上げられようとする脚の初動を抑え、カオルの反撃を封じたヒソカは眉間へと中指の中節骨(鉄菱)を捻り込む。常人であれば肉を抉り頭蓋を粉砕して余りある威力の拳撃を叩き込むも、拳に返ってくる手応えは人体を打ったものとは異なっていた。筋肉の靭性も骨の硬質な抵抗も感じられず、拳を通して伝わるのは千尋が如き水の淵ばかり。

 ヒソカのような歴戦の戦士からすればカオルは経験不足の荒が目立つが、彼とて毒の詰まった水袋を相手に戦った経験などない。オーラの防壁を越えたヒソカの前に立ちはだかったのは、"念能力者カオル=フジワラ"ではなく"英霊メルトリリス"の肉体の特異性だった。

 

 溶ける、熔ける、融ける。打突手刀足刀貫手前蹴り、少女の五体急所に叩き込まれる暴力の嵐。その代償としてヒソカの手足は崩壊の一途を辿る。メルトリリスを生身で相手するとはそういうことだった。接触時間は拳や足を打つ一瞬なれど、その一瞬が積み重なれば比例して毒も蓄積する。既にヒソカの手足は毒に侵され、じわじわと青に染まりつつあった。

 殴れば肉が溶け骨が露出する。突き出した骨で叩けば骨が溶ける。やがて拳を作るのにも難儀し始めるに至り、未だ水の器を攻略する手立てを見出せぬ事実に腹の奥から焦燥が鎌首を擡げた。

 

(酷い話もあったものだ♣ 攻撃してるのはこちらなのに、ダメージを負うのはこちらばかりだなんて♦)

 

 嘗めていたと言わざるを得ない。侮っていたと認めざるを得ない。流体へと変じる水の身体、その牙城を崩すことならず。"百式観音"のように器ごと叩き伏せるような大質量攻撃手段を持たぬヒソカにとって、徒手格闘で挑むにはあまりに相性が悪かった。ダメージを与えている確信はあるが、それが命にまで届く気配がない。まるで海を相手に拳を振るっているような──

 

(井の中の蛙大海を知らず……ジャポンの格言(コトワザ)だったかな♠)

 

 よもやこんな身体の人間がいたとは、流石に想像もしていなかった。例えばボノレノフなどもヒソカからすれば十分にビックリ人間だったが、カオルの異常性はそれを優に上回る。折角ネテロたちの手でオーラの城壁を剥がして貰ったのに、このザマでは立つ瀬がない。

 それに──そろそろ限界だ。痛みと混乱で揺れていた視線が定まり、急速に冷え込みつつある蒼眼がぎょろりとヒソカを見据える。脅し騙し透かし何とか攻撃を加えてきたが、カオルは徐々にヒソカの手口に対応しつつあった。

 

 所詮痛みとは慣れるものである。それに急所とはいえ、それが直接死に繋がらないのが明白ならば素人にもやりようはある。痛くとも死なぬのならば無視すればよい。

 

「ヂャッ!」

 

「ぐ……!」

 

 膝蹴りが顎を打ち上げ、しかしカオルはそれを意に介さず殴り返した。顎を打たれて脳が揺れるのが問題ならば、()()()()()()()()()()()()()()()

 特質系、それも少女の細腕による理合いも何もないテレフォンパンチ。しかしそんなものでも一定以上の威力を発揮してしまうのが念能力者の、そして未だ尽きぬオーラを宿すカオルの理不尽さである。クロスカウンターの要領で放たれた何の変哲もない拳は大きくヒソカを仰け反らせた。

 槍の間合いこそがカオルの脚の間合いである。密着状態から弾き出された時点でヒソカの優位性は消え失せた。もはや窮地を脱する手品も尽きたのならば、その代償を支払ってゆけ。ぞん、と悍ましい風切り音を上げてヒソカの右腕が肩口から切り離された。

 

「……!」

 

 右腕を代価に距離を取ったヒソカは"伸縮自在の愛(バンジーガム)"のゴムの反発で加速し、ガムの粘着で木の幹に張り付いた。

 その木も瞬時に駆け寄ったカオルによって切り倒される。辛うじて斬撃から身を躱したヒソカは再びゴムの弾力を利用して木立の中へと逃げ込んだ。それが時間稼ぎにすらなっていないとは自覚しているが、今となっては逃げるしかない。

 

 もはや詰みだ。心優しいゴンはヒソカの窮地に駆け出そうとするが、その行動はカイトの手によって止められた。

 

「黙って見届けてやってくれ。あれこそアイツがお前という果実を諦めてまで望んだ戦いだ。アイツらしからぬ純粋な思いと覚悟の下に臨んだ戦いだ。死ぬことを承知で熱望した一対一のタイマンに水を差したくない」

 

 下手すればこっちが殺される、と。事実、横槍など入れようものならヒソカは激昂し無粋な闖入者を叩き殺すだろう。そうと分かっていたからカイトは手を貸さなかったし、察したネテロは介入する素振りすら見せなかった。

 

 死すら勘定に入れた男の執念は凄まじい。両腕を失ってなおヒソカは戦意を衰えさせず、木々を盾にカオルへと食い下がろうとしていた。ゴム毬のように不規則な挙動で跳ね回るヒソカは飛び交う斬撃に身を削られつつ、何とか肉迫せんと目を光らせる。

 

「しつ、こい……!」

 

 噴出したオーラの奔流がカオルの背を押し出す。ここまで消耗を抑えるために温存していた"霊気放出(オーラバースト)"を開放し、小癪にも食い下がるヒソカへと突進した。

 

(ここまでか☠)

 

 指のない足で移動するのも限界だ。青い粘液を滴らせる足先を庇うように踵で制動を掛け、どっしりと腰を落としたヒソカはカオルを待ち受ける。

 直後、カオルの膝蹴りがヒソカの腹に突き刺さる。腹筋を押し退け臓腑を貫き、膝に具わる鉄杭が土手腹に風穴を開けた。

 

「ガ、ふッ……!?」

 

「これで終わり……!」

 

 体内へと侵入した棘が毒液(ウイルス)を分泌する。表皮を介して触れるのとは訳が違う。無防備な体内で増殖するメルトウイルスは瞬く間にヒソカの肉体を崩壊させるだろう。

 そんなことは先刻承知──悪鬼の形相を帯びたヒソカは上体を仰け反らせ、勢いよく頭突きを叩き込んだ。カオルの頭は歪み、ヒソカの額が砕けるような、そんな渾身のヘッドバッド。

 

「……やっぱり、届かなかったか♥」

 

「この石頭が……」

 

 顔を顰めるカオルからは血の一滴も流れていないが、額を砕いたヒソカの顔は真っ赤だ。遂に下半身の感覚が消え失せたのか、棘を引き抜かれたヒソカは力なく地面に座り込んだ。

 

「随分と手古摺らせてくれたけど……私の勝ちよ」

 

「ああ、ボクの負けだ♣」

 

 思えばカオルとの因縁ももう五年になるのか、と飛びそうになる意識を繋ぎ止めながら益体もなく考える。流れる血液が眼球に侵入し赤く染まる視界の中、ヒソカは己を下した少女を見上げた。

 何度見ても美しい少女だった。放たれるオーラの輝きは暗い森を照らす月影よりなお明るく、霞む視界の中でもその畏怖すべき美は明白である。険を帯びる表情すら生来の可憐さは隠せず、されど総身より滲み出る高貴にして霊威甚大の威容は少女らしからぬ荘厳さ。超人、とは他ならぬ彼女をこそ指すのだろう。そんな少女が己の敵として在ってくれる運命にヒソカは感謝した。今や遠ざけ続けてきた敗北すらもが愛おしい。

 

 恍惚を噛み含んで己を見上げるヒソカの視線を、カオルは正面から受け止める。今以て眼前の男に対する嫌悪や敵愾心は消えないが、死に往く者を前に表情を取り繕う程度の理性は残っていた。

 

「言い残すことは?」

 

「ないね♦」

 

「死に様ぐらいは選ばせてあげるわ。上下か前後か左右か、好きに切り分けてあげる」

 

「ご随意に♠ 最後にキミと一つになれるのなら大満足さ♥」

 

「──安心しなさい。私は一度として敵の死を無駄にしたことはないわ」

 

 リン、と鈴を鳴らすような涼やかな金属音が響き渡る。奔る銀閃は最後の瞬間まで己を貫いた道化師の素首を切り落とし、五年に渡る因縁に終止符を打った。

 

「さようなら」

 

 ヒソカ=モロウ、死す。その事実を噛み締めながら、カオルは己の裡に溶けていく男の魂を嚥下した。

 

 

*1
現状、ヒソカはノヴの念能力について知らない

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