実に下らない話だが、神はダイスを振るらしい(本編完結)   作:ピクト人

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 自分以外の中で、一番注目しているのは?

 ───やっぱり412番かしら。あのピエロと同意見というのは癪だけど、あの子の才能は目を見張るものがあるわね。何事にも怖じることなく飛び込む挑戦心は、今期の誰よりハンターらしいと思うわ。

 では、今一番戦いたくないのは?

 ───44番。当たり前でしょう?叶うなら二度と顔を合わせたくないものね。

 では最後に。

「お前さん、自分が生まれたときのことを覚えておるかね?」

「……いいえ。生憎だけど、私は流星街の出身なの。気づいたときにはゴミ山の上だったわ」


 以上がアイザック=ネテロ会長による、382番の受験者に対して行われた個人面談の会話の記録である。



天空闘技場編
蝶は羽ばたき、白鳥が吹き飛ばされる第三話


 

 ハッ、ハッ、ハッ、と浅く乱れた呼吸が反響する。打ち捨てられた工場跡を駆けるその男は、恐怖に引き攣った表情で何かから逃げていた。

 

 ずる…………ずる…………

 

 ハッ、ハッ、ハッ、と犬のようにだらしなく舌を垂らし、必死になって酸素を求める。それでも足は止めない。

 

 ずる…………ずちゅり。ずるる…………

 

 木霊する湿った水音。充満する磯の香り。耳鳴りは静かな深海の中にいるかのようで、煩いぐらいに鼓動を打つ己の心臓の音だけが、今や男が生きている実感を得られる唯一の(よすが)だった。

 

 ぐちゃり。

 

 端的に言って、生きた心地がしない。

 

「ヒッ……ひああああああああああああ!!」

 

 恐怖に耐えかね悲鳴を上げる。逃走中に声を上げるなど自分の位置を教えているようなものだが、しかしかれこれ一時間以上逃げ続けていながら振り切れないのだ。完全に姿を捉えられていると見て間違いないだろう。

 しかも、走っても走っても出口に辿り着けない。そんなに広いはずがないのに、男は同じような道をずっと走り続けている。もはや自分がどこにいるかも分からず、左右どころか、遂には上下の境すら曖昧となってきた。

 

(何故!何故!何故だ!?何故これだけ走って逃げられない!?何故俺はこんな目に遭っているんだ!?)

 

 厳つい顔を泣きそうなほどに歪め、男は何度目になるかも分からないその問いを反芻する。

 

 しかし何故こんな目に遭っているのかと問われれば、それはこの男が指名手配中の連続殺人鬼だからに他ならない。

 

 男は既に十年以上も前から快楽殺人を繰り返し、計百人以上もの一般市民を惨たらしく殺している。そしてそれだけの罪を重ねていながら一度も逮捕されていないのは、この男の尋常ならざる健脚にあった。

 男は並のプロハンターなど鼻で笑うようなタフネスを誇り、車と同等以上のスピードで三日三晩走り続けることができた。ある時など態と警察署の前で通り魔事件を起こしてやり、追い縋るパトカーを散々煽った末にまんまと逃げ果せたりしたのだから凄まじい。

 

 アマチュアの自称ハンターでは手に余る。故に、とうとう男の前に本物のプロハンターが現れたのだ。

 

『アナタが"韋駄天"とか呼ばれている連続殺人犯のカイドウね?私は賞金首ハンターのカオル。まあ新人だけど』

 

 ───足の速さが自慢なのでしょう?なら逃げ切ってご覧なさいな。

 

 そう告げる少女の酷薄な眼差しに、男は久しく忘れていた危機感を思い出した。故に本気で逃走し、より確実に撒くために工場跡に逃げ込んだりもしたのだ。

 そしてその結果が今である。男は工場跡から出ることすらできなくなり、しかも少女が嗾けたと思しき怪物に追われている。

 

「ひッ、」

 

 ガッ、と何かに躓いたのかバランスを崩して倒れる。慌てて立ち上がろうとするも、何故か足が動かない。まるでなにか縄のようなもので縛り上げられているかのような感触に、男は恐る恐る足元に目を向けた。

 

 そこにいたのは、汚らしい粘液を滴らせる触手で己の足にしがみつく青黒い怪物だった。

 

「Gyiii……Gyiiiiii───!」

 

「あああああああああああ!?」

 

 それは常識という境界の外側、悪夢からの使者という他なかった。漂う潮の匂いと腐乱した肉の悪臭は、この悍ましき怪物が海を由来とする魔物であることを如実に主張している。

 しかし、男はこんな怪物を知らない。こんな、斯くの如く人の正気を揺さぶる悪夢の如き生き物がこの世にいるのだという恐ろしい事実に、男は絶叫と共に恐怖と絶望の感情を露わにする。

 

「───Ia,Ia……うふふふふ。鬼ごっこはもう終わり、ということで良いのかしら?」

 

「ヒィッ!?」

 

 カツン、と鋼のヒールがコンクリートの床を打つ。顔面蒼白で震える男の前に、暗闇から滲み出るようにして一人の少女が現れた。

 暗黒の夜空を切り取ったような黒髪が(おどろ)に揺らめく。深海の淵を映す蒼眼が男を射貫き、白銀の月影を思わせる具足が冷たい輝きを放っていた。

 

 賞金首ハンター、カオル=フジワラ。またの名を、"首狩り"のカオル。男にとっての死神が、暗澹たる深淵の底から死を告げにきたのだ。

 

 気づけば、周囲悉くを怪物に囲まれていた。いま男を捕らえる触手の怪物もいれば、目のない蛇のような魔物が蠢いている。更に魚と人間を足して二で割り、そこに神の悪意を付け足したかのような悪魔の如き怪異が群れを成して包囲の隙間を埋めていた。

 

「あ、あ、ああああ……」

 

 細く鋭敏に尖っていた男の神経に無遠慮に爪を立てるが如く、狂気の光景が剥き出しの脳髄に突き刺さる。怖くて見たくないのに、目を逸らすことすら許されない。ガタガタと子供のように震える男に、もはや連続殺人鬼としての矜恃や威圧感など微塵も残ってはいなかった。

 

「さて、どうしてくれようかしら。殺すのは確定だけど、ただ殺すだけじゃ面白くないものねぇ?」

 

「そ、そんな!じ、自首する!だから殺すのだけは……!」

 

 それに、この状況でまともな死など望むべくもない。きっとこの名状し難き怪物たちに食い尽くされて骨も残らないに違いないのだ。

 

(い、いやだ。そんな目に遭うくらいなら、いっそ刺し違えてでも……)

 

 そう思って懐からナイフを取り出す。今まで多くの人の命を理不尽に奪ってきた刃が煌めき───

 

 ぐしゃり、と鋭利な踵がナイフを踏み砕いた。

 

「あら、冗談よ。私に加虐趣味はないわ。殺すときは一瞬で、痛みも苦しみもなく逝かせてあげる」

 

 絶対嘘だ。男は確信する。加虐趣味などないと言うが、この少女は生粋のサディストだ。でなければ、無様に狼狽える男を見てこんなにも晴れやかな笑顔を浮かべるわけがないのだから。

 

「な、何故だ!自首すると言ってるだろう!?何で頑なに殺そうとする!?」

 

「それ、命乞いのつもり?残念だけど、私はアナタの身体にしか興味がないの。首から上は要らないから、頭だけ残して依頼者に差し出すわ」

 

 更に触手が伸び、男の手足を強く縛める。ピクリとも動けなくなった男の首に、刃物のような爪先が添えられた。剃刀よりも鋭利な刃だ。軽く触れただけにもかかわらず、首の皮が裂け血が滲み出る。

 

「い、いやだ!死にたくない!死にたくないッ!」

 

「アナタに殺された人たちも同じことを考えたでしょうね。因果は巡るものよ。十年の時を経て、ようやくアナタの番が回ってきただけ」

 

 だから安心して、未練なく死になさい───

 

 その言葉を最後に断頭の刃が振るわれる。回転する視界の中、男は海の音を聞いた。

 

 

 

───Ph’nglui mglw’nafh Cthulhu R’lyeh wgah’nagl fhtagn───

 

 

 ぶくぶくと泡の音が耳朶を打つ。深海の底に沈むように、ゆっくりと男の意識は遠ざかっていった。

 

 

 

***

 

 

 

 キン、と甲高い音を奏でて床を叩く。鋭利な踵はそれだけで血を振るい落とし、元の曇りなき刃先を取り戻した。

 

「ハァ……」

 

 先程までの高圧的な態度から一転、カオルは憂鬱な表情でため息をつく。メルトウイルスによってブルーの粘液へと形を崩していく元連続殺人犯の身体を眺めつつ、思い起こすのは数ヶ月前の……ゼビル島での一幕。

 

『また遊ぼうね、カオル♦』

 

 ビキィッ、と足元のコンクリートに罅が走る。カオルの怒りに呼応し、放出されるオーラがビシビシと罅を広げていった。

 

「あんのド変態ピエロが……」

 

 地の底から響くようなドスの利いた声。返す返すも口惜しい。あのときヒソカを殺し切れなかったことを、カオルは未だに悔やんでいたのだ。

 

 カオルが思うに、あそこまで順調にヒソカを追い詰めることができたのは、あらゆる攻撃が初見だったあの時あの状況をおいて他にない。次に相対するとき、同じ技は二度通じないだろうと見て間違いなかった。

 巫山戯た言動やゴンに対する態度を見ているとつい忘れそうになるが、ヒソカという男はこの上なく狡猾で残忍で、そして尋常ならざる実力の持ち主だ。ドレインを繰り返して肉体を強化したカオルといえど、こと念の技量や戦闘経験でヒソカに勝てるとは思っていなかった。単純なカタログスペックでは測れない実力を持った変態なのだ、彼は。

 だからこそ、尚更あのとき殺し切れなかったことが悔やまれるのだが。また戦っても負けはしないだろうが、しかし容易に勝てると思えるほど楽観できなかった。

 ささくれ立った心はどんどん暗い方へと思考を傾けていく。

 

 ───海魔のいる場所へ誘導したつもりでいたが、そもそも自分の方がゴンのいる場所へと誘導されていたのではないか。ヒソカの"円"の範囲は知らないがあの陰険なピエロのことだ、十分ありえる。

 ───そもそも止めを刺すつもりでいたが、ヒソカがそう簡単にやられるタマだろうか。自分が気づかなかっただけで、実はあの状況を覆す奥の手の一つや二つ持っていたのではないか。抜け目ないあのピエロのことだ、十分ありえる。

 

「……チッ」

 

 もはや被害妄想にも等しい無駄な思考を打ち切り、カオルは完全に溶けた元連続殺人犯に鋼の脚を突き刺しあらゆる情報を経験値として吸収する。肉片一つに血の一滴、選り好みせずに総てを溶かし吸い尽くしても……残念ながら、今のカオルにとっては微々たるものでしかない。レベルを上げすぎると、街の外のスライム程度では中々成長しないのと同じ現象だった。

 

「そろそろ普通の人間相手じゃ打ち止めかしらね……」

 

 しかし、念を扱えるような危険度の高い賞金首は確実性を重視して経歴の長いプロハンターに優先して回される。ライセンスを取得したばかりのカオルが受けられるのは、精々がB級の賞金首依頼だ。

 

 世知辛いものだ。はぁ、と再びため息を零して隣を見やる。そこには、戯れに呼び出した海の神話生物たちが狂乱の宴を催している光景があった。

 硝子を引っ掻くような甲高い叫び声。ボコボコと泡が弾けるような不快な呻き声。狂喜に身を震わせ、深淵の眷属どもは今し方肉体から離れていった魂を捕食している。一つの魂を力任せに引き裂いて腑分けし、各々に分配しては正気を削る奇声を上げて食らいついた。憐れな殺人犯の魂は、さて。ただ眷属たちの腹に収まって消滅するだけなのか、はたまた深淵で微睡む異界の神の御許に送られるのか。どちらにしても碌な末路ではないだろう。犠牲者たちの魂も浮かばれるというものだ。

 

 ───いやいや、何を考えてるんだ私。そんな不謹慎な……そもそも人のことを言える立場でもないのに。

 

 忘れてはならない。どのような大義名分があろうと、カオルもまた既にして大量殺人者であるのだ。

 

 どうも先ほどからネガティブ思考から抜け出せない。悪趣味なのを承知で賞金首を追い回し、恐怖を煽る言動で憂さを晴らそうとしたが気が晴れない。というかこいつらの瘴気が原因なんじゃねぇの、とようやく気付いたカオルは魔力供給を断ち切って眷属たちを返還(リリース)した。

 

「はぁ……」

 

 三度ため息が漏れる。もうさっさと帰って自棄酒呷って寝よう、とカオルは工場跡を後にした。

 日は完全に落ち、星々を映す夜空は鮮やかなダークブルーに染まっている。吹き抜ける風は心地よく、それだけで後ろ向きだった思考が晴れていくような感覚さえする。

 

「……いえ、潮の匂いが落ちただけね」

 

 やはり酒だ、酒。ライセンスがあれば未成年でも酒が買える。というか「こう見えて成人です」というあからさまな嘘ですら信じてもらえるようになる、が正しい。

 

 ───Piririririri……

 

 ライセンスの力ってスゲー、という思いを再確認していると、カオルの携帯電話が着信を告げる。今まで連絡先を交換し合うような相手がいなかったので、相手は非常に限られる。一体誰だろうか。

 

「ゴン……は携帯を持っていなかったわね。ならキルアかクラピカかレオリオか……」

 

 つまり、三次試験で知り合ったあの三人しかいない。圧倒的な交友関係の狭さである。

 携帯を開いて画面を見る。そこに表示されていたのは、「キルア・ゾルディック」という名前だった。

 

 

 

***

 

 

 

「お願い、カオル!オレを強くしてほしいんだ!」

 

 そう言ってゴンは勢いよく頭を下げる。しかし、正直私は混乱するばかりだった。昨晩キルアに電話で会えないかどうかを聞かれたので了承したのだが、指定された待ち合わせ場所に着くやキルアと一緒に現れたゴンにこうして頭を下げられている。

 唐突すぎてよく分からない。一体どういうことだろうか。

 

「(なあ、やっぱり止めようぜゴン。コイツあのヒソカと知り合いなんだろ?絶対ヤベー奴だって!)」

 

「(でも、ヒソカをあと一歩ってところまで追い詰めていたんだ。カオルならきっと頼りになるよ!)」

 

「(なおヤベーじゃねーか!)」

 

 ……ああ、なるほど。その会話でだいたい理解した。やはりヒソカと戦っていたあの場面はバッチリ見られていたというわけだ。

 思えば、今のゴンはククルーマウンテンでキルアと再会し、打倒ヒソカを誓って力をつけようとしている時期。ならば、ゴンから見てヒソカ級の実力者だと思しき私を頼ろうとするのは不自然ではない。故に携帯を持っているキルアに頼んで連絡を寄こしたのだろう。

 

「お願い!オレ、絶対ヒソカより強くなりたいんだ!」

 

「……オレからも頼む。正直あんたは不気味だけど、力が欲しいって思ってるのはオレも同じなんだ」

 

 再びゴンが深々と頭を下げ、キルアもまた渋々ながら(少し)頭を下げて頼み込んでくる。さて、どうしたものか。

 正直、力になってやりたいとは思う。ゴンは素直ないい子で見ていて好感が持てるし、キルアも素直ではないが根は善良な少年だ。それに、キルアには最終試験で見捨てたという負い目もある。結末を知っていながら、ゾルディック家怖さに兄イルミの洗脳で苦しむ彼に対して碌に何もしてやれなかったのだ。十一歳の少年が恐怖に顔を歪める様はあまりに痛々しくて直視に耐えず、少しだけ手を出したが……そんなもの何の慰めにもなりはしない。

 

 しかし───

 

「うーん……」

 

「や、やっぱりダメ?」

 

「いえ、そうじゃないのだけど……」

 

 そういう心情に関係なく。現実的な問題として、私には「他者を教えた経験」がないのである。

 

 念能力とは繊細な技術だ。誤った指導の元に使えば最悪命を落とす危険性もある。いくら原作知識として念のいろはを諳んじることすらできるといっても、「知識がある」のと「知識と技術を伝授する」のでは全く異なるのだ。誰かに教えてもらったことのない私では少々手に余る。

 この輝かんばかりの才能を有する金の卵を育成するには、私では圧倒的に経験不足だった。

 

「……残念だけど、私には荷が勝ちすぎる話だわ。私は完全な独学で力をつけたから、誰かを教えたことがないのよ」

 

「うーん、そっか……」

 

 うっ、ゴンがしょぼんと落ち込んでいる。こんな純真な少年を落ち込ませるとか、罪悪感が半端ではないのだが。

 

「(独学でヒソカ級に強くなるとか、この女化け物かよ……)」

 

 しかし、私が役に立たないからとてこの二人の未来が閉ざされたわけではない。ここは流れに身を任せ(原作に則り)、素直に相応しき人物の元に師事させるのだ。

 

「私は力になれないけれど、二人が師事するに値する実力者に心当たりがあるわ。良ければ案内してあげましょうか?」

 

 向かうは「格闘のメッカ」、「野蛮人の聖地」───天空闘技場である。

 

 

 

***

 

 

 

 「心源流」という、極東の島国ジャポンより発祥した拳法を起源とする一つの流派がある。ジャポンそのものはそこまで知名度のある国ではないが、しかしプロハンターの中でこの心源流を知らぬ者はいない。何故ならこれは最強の呼び声も高いハンター協会会長アイザック=ネテロが創設したとされる流派で、「この世で最も多くの門下生を有する」拳法として一般にも広く膾炙しているのだ。

 

 これからゴンと共に紹介される予定のプロハンターも、この心源流を修めている師範代であるらしい。キルアは天空闘技場へと向かう飛行船の中で、まだ見ぬその人物に思いを馳せる。

 

(心源流、ねぇ……そりゃあオレだって知ってるけど、そんなに凄い流派なのかよ。このヒソカとやりあえる実力の女が言うほどのものなのか?)

 

 キルアは頬杖をつきながら、じっと向かいの席に座る少女を観察する。年は十代後半程度。腰まで届く黒髪に青い瞳。華奢な体躯は頼りなく、パッと見そんな強者であるとは思えない。少なくとも、常に気味の悪い気配を垂れ流しにしていたヒソカと比べれば一般人にしか見えないというのが正直なところであった。

 だからこそ不気味なのだ。こんな手弱女が、あの道化師と同等であると……ゾルディックの寵児であるキルアですら実力を見抜けないという事実が、暗殺者として育てられたキルアには殊の外気味悪く感じてしまう。

 

 このカオル=フジワラという少女と出会ったのは、ハンター試験の三次試験でのことだ。トリックタワーというふざけた名前の塔を降る試験にて、親友のゴン、友人のクラピカ、何かついてきたレオリオと同じ部屋に落ちた後、しばらくして加わったのがこの少女。つまりは偶然の出会いであった。

 一次・二次試験を生き残ったのだからある程度の実力はあるのだろうが、しかし最初の印象は「こいつ足手まといにならないだろうな?」だったのは記憶に新しい。それだけ普通の少女にしか見えなかったのだ。

 

 その印象が覆ったのは、無期懲役の重罪人たちと戦う試練の場でのことだ。実力を疑問視されているのだと自覚していたのか、カオルは一番槍として名乗りを上げ、リングに立ったのである。

 そして、フェミニストぶって───今にして思えば本気で心配していたのだろうが───引き留めようとするレオリオを尻目に、カオルは蹴りの一発で屈強な大男を昏倒させたのだ。顎への鋭い一閃、いとも容易く脳震盪を引き起こし、ものの数秒で自陣に凱旋したのである。

 

 その鋭い蹴りを見て、キルアは少なくない戦慄を覚えた。見えなかったのである。技の起こりを視認できず、気づいたら既に敵は倒れていた。このとき、この少女は意図して実力を隠していたのだとようやくキルアは気づけたのだ。

 未だ一流とは言い難いものの、しかしそうあれと暗殺者として訓練を受け育ってきたキルアの動体視力をして見えない。そして隠していたと見抜けない。これは異常なことだ。やもすると、ネテロ会長とのゲームでも垣間見た隔絶した「何か」を感じ取ったのかもしれない。キルアは本能に近い部分でカオルに対して苦手意識を抱いた。

 

 このとき感じていた違和感が確信に変わったのは、四次試験を終えてゴンから話を聞いたときだ。───まさか、あのヒソカを追い詰めるほどの実力者だとは思ってもみなかった。

 

(間違いない。カオルは……この女は兄貴と同類だ)

 

 即ち、底知れぬ実力を隠した逸脱者。あからさまに強そうな見た目と雰囲気であればまだいいが、こうして巧妙に力を隠して近寄ってくる者はキルアにとっては天敵だと言えた。不気味なことこの上ない。

 故にもう決してカオルには近づくまいと……そう思っていたのだ。

 

『お前に友達なんてできないよ、キルア』

 

 唐突に目の前に現れた実の兄。キルアにとっての恐怖の象徴───イルミ=ゾルディックの登場によって錯乱し、その後191番の受験者ボドロを不意打ちで殺そうとした己を止めてくれたのが、他ならぬカオルであったのだ。

 「何もできなくてごめんなさいね」と言っていたが、とんでもない。あのとき一線を越えて外道に手を出そうとした己を止めてくれなければ、きっとキルアは掛け替えのない親友を裏切ったような気になり立ち直れなかったはずだ。結局、その場は自ら試験そのものを降りることで事なきを得た。

 

 故にキルアにとって、カオルという少女は底知れぬ不気味な人間で……そして恩人である。近寄りがたく感じるのは今も変わらないが、しかしそれでも悪感情は抱いていない。だから今回もゴンの力になろうと一緒になって頭を下げたのだ。……期待していた答えは貰えなかったが。

 

(ふん、まあいいさ。こいつも「協力は惜しまない」って言っていたし、精々利用してすぐに強くなってやるさ)

 

 キルアは己より強い者を見ると、何故か異様なほど恐怖を覚えてしまう。だが、目の前の少女を怖くないと思えるほど自分が強くなれば……そのときは、面と向かって礼の一つでも言ってやるか、とキルアは考えていた。

 

 そして、キルアたち三人は天空闘技場に辿り着く。ここで鍛え実力を磨き、更なる高みへと至るのだと気合を入れ───逃れられぬ絶望と出会った。

 

 

 

「やあ♥また会ったね♠」

 

 

 

 何でこんなに早くエンカウントするんだ、と絶叫したカオルが頭を抱えて頽れた。同感である。キルアは早くもこの先の展開に不安を覚え始めていた。

 

 




 知らなかったのか?ピエロからは逃げられない。

 ※タイトル意訳:バタフライエフェクト、カオルは死ぬ。

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