「じゃあね、詩音、魔理沙! 絶対にまた遊びに来てね!」
「おう、もちろんだ! な?」
「ええ。楽しみですね」
ついさっきまで虐げられていたことなどすっかり忘れたかのように、漆黒は幻想の空を押し並べて覆っていた。羽振りよく広がる夜の空一面には、既に年一度の逢瀬を終えた織姫と彦星が輝く。そして地平の線まで続く天の川が、二人の悲劇を彩るように煌めいている。
そんな自然の装飾に溢れた夜空で一際存在感を放つ衛星、月は、
「…………」
「──お嬢様」
このように絶景と言える空模様だったが、時間が時間なためにのんびりと眺めている者はほとんどいない。
日付と日付の境界はもう目前。人間は酩酊でもしていなければ床に着き、妖怪が野山を駆け回るそんな時刻に、しかし紅い吸血鬼の館は騒然とした様相を見せていた。
開け放たれた地下室の天井付近で離別の挨拶を交わすのは、二人の人間と一体の吸血鬼。
この異変の中核を担った一人と一体、それを見届けた一人は、新たな縁で結ばれた。フランドールにとって初めて『友人』と呼べる存在が誕生したのだ。
とは言え、友人であってもずっと行動を共にする訳にはいかない。詩音と魔理沙にも帰る家がある。彼女らは別れを惜しみつつ、再会の指切りをする。
……そして、そんな少女たちを隠密に眺める、ぼろぼろの少女が一体。
「……首尾は?」
「上々。どころか、最高ですね」
妹が、飛び立つ友人に笑顔で手を振っている。そんな他人からすれば当たり前とも言える光景も、悩める姉レミリア・スカーレットの瞳には驚愕と感動の映像として映っていた。
心なしか、その瞳はいつもより多めの水分を含んでいるように見える。
「みたいね。あのフランが、あんなに笑っているんだもの……」
「……もしかして、泣いてますか?」
「そ、そんなことないわよ!」
鼻を赤くしている彼女は、魔理沙と同じく見届けた一員である美鈴の言葉を慌てて否定する。
それでも生暖かい笑みを向けてくる門番。そんな視線は吸血鬼の誇りが許さなかったのだろう、レミリアは断罪の言葉を投げかけた。
「美鈴、明日から一週間ご飯抜きね」
「ええっ!?」
「そりゃそうでしょう。詩音はともかく、霊夢やあの魔法使いにまで侵入を許したのでしょう? 相応の罰は必要じゃないかしら」
「そ、そんな殺生な……!」
打って代わって狼狽し出した美鈴を見て、レミリアはふふっ、と笑顔を溢した。幾分か機嫌も和らいだようだ。
「……ま、今後私にそのキモチワルイ笑顔を向けないのなら考えてやらないこともないけど?」
「ありがとうございます強く気高く美しいレミリアお嬢様ああぁぁ!!」
「ここまでわかりやすいといっそ清々しいわね……」
実に扱いやすい部下である。良し悪しはさておいて。
レミリアは再び笑みを見せた。
「それで? 詩音は、どうやってフランを救ってくれたのかしら」
「あれ、運命で見えるんじゃないんですか?」
「……私の能力は、そこまで万能じゃないわ。ただ、運命を辿った先の結末が朧気に見えるだけ。過程まで見えていたら、ここまで苦労しないわよ」
「成る程、そりゃごもっとも」
珍しく弱気な言葉を、レミリアは吐露する。あるいは、博麗の巫女との激闘で精根疲れ果てていたのかもしれない。
──そんな百年に一度もないくらいの、自分が主よりも有利な状況に、愚かな門番は調子に乗ってしまったようだ。大変勿体ぶった言い方で、レミリアに向かい詩を紡ぎ出す。
「──She made good friends and then there were none.」
「は?」
「孤独な少女に友達ができ、独りぼっちはいなくなった──ってとこですかね」
「……は?」
「ふふっ、まあそういうことですね」
微笑みかける美鈴。はっきり言ってしまえば藪蛇だろう。
「そ。じゃあ今月のご飯はずっと抜きってことで──
「わかりました話します話しますからそれだけはぁぁ!!」
「数秒前に見たばっかりなんだけどこの光景」
どれ程美鈴にとって食事の比重が大きいのか、改めて思い知らされたレミリアである。最早滑稽を越して呆れが混じった表情をしている。
「ならこれから、私の部屋で何があったのかを洗いざらい教えて頂戴」
「承知致しました。……あ、紅茶は要りますか?」
「うーん……。いえ、今日はワインでも開けましょうか。だって、こんなにめでたい日なんですもの」
「了解です。じゃあ、咲夜さんにお願いしてきますね」
どうにか主人のご機嫌をとって飢えを回避した美鈴は、そう言い残し夜の館へと消えていく。
それを最後まで見守ってから、ふとレミリアは空を見上げた。
日付と日付の境界を越えた月は、天の頂にそびえて世界を明るく、白く照らす。太古より受け継がれし輝きは、レミリアのいる幻想の地までもを等しく包み込む。
紅く妖しく光る月もいいけれど、やっぱり本物にはえもいわれぬ感慨深さがあるわね。細く開かれたその目は、ようやく晴れた彼女の心中を如実に語っているようだった。
「まったく、楽しい紅はもう終わってしまったというのに──
──こんなにも素晴らしい夜は、初めてよ」
それは、旋律の響く夜。
異変を見事に解決した巫女が、妖怪や人里から改めて一目置かれるようになった夜。
見事に吸血鬼の少女を救った彼女に、魔法使いが仄かな羨望を抱くようになった夜。
疲れ果てて、夜行性の筈の吸血鬼が快眠へと誘われた夜。
もう一欠片の吸血鬼が、門番とメイドを交え、酒も入って上機嫌に語り明かした夜。
外界の少女の、普通でない日々が始まった夜。
これは、全ての境界になった夜の。
全てが普通の夏に起こった、ちょっとだけ普通でない物語の顛末である──
Ending No.1『幻想曲《紅楽日和》』
***
「──なあ、詩音」
「何ですか?」
「あの時、どうしてあそこまで怒鳴ったんだ? フランがレミリアとかいうやつの気持ちを踏み躙ったのは事実なんだろうが、何もあんな剣幕じゃなくても……。途中、口調も変わってたし」
「…………」
「……? どうした?」
「魔理沙さんは、知っていますか」
「知ってるか、って……何を?」
「『隣の芝は青い』」
「……それが?」
「何でもないですよ、ふふ。
それよりも、口調が変わってたってホントですか?」
「あれ、無自覚だったのか。なんかこう、『オマエー』とか『アネキー』とか言ってたぜ?」
「……────」
「自覚なしに口調が変わるとか、どんだけ頭に血が上ってたんだよ──って、ん?
あれ、おい、詩音?」
「おーい、詩音! しおーん!!!」
「……おかしいな。詩音の奴──
──一体、どこに消えたんだ?」
という訳で、紅魔郷・異変編は終了です。次回からは日常編となります。
果たして、詩音はどうなってしまったのか、これからの幻想郷はどうなるのか……最後までお付き合い頂ければ幸いです。
……果てしなくどうでもいいですが、『異変編』って声に出すと読みにくそうですよね。