魔法の森。
そこは、一年を通して瘴気の繁る土地。化け物茸があちこちに育成し、正に“禍々しい”を可視化したような場所である。
紅い霧が収まりはや数日。その時間は、そんな魔法の森にも立て直しの余地を与えていた。茸の胞子が降り注ぎ、じっとりとした空気が木の葉を包む。そこには生命の気配は少ないながらも、平穏で非現実的な日常が取り戻されている。
『七色の人形使い』アリス・マーガトロイドの住む家は、そんな森に位置している。
アリスの目標は、自分で思考をする完全な自立型人形を製作すること。そのために彼女は、日夜魔法の研究に励んでいた。ちなみに同じく魔法の森に住む某魔法使いとは違って、空を覆い尽くす紅霧には特に興味を抱いていなかった者の一人である。
そんなアリスは今、人形に作らせた紅茶と洋菓子を嗜んでいた。料理までも人形に任せ生活の全てを人形の研究に捧げている、と捉えるならば聞こえは良くなるが、まあおそらくはただ休憩をしているだけであろう。時間的にも八つ時前、甘味が恋しくなる頃合いである。
「……あら、この茶葉は初めて買ったけど香りがいいわね。今度のもこれにしようかしら」
「シャンハーイ」
「ええ、そうね。上海の作ったクッキーも美味しいわ」
「ホーラーイ!」
そんな風に、アリスは人形との会話を楽しみながら、穏やかな昼下がりを過ごしていた。
すると突然、戸を叩く音が響く。
「ノック? こんな所に客人かしら……。
あ、ここは私が出るから貴方たちは下がってなさい」
「オタズネモノー」
人形たちを手で制し、彼女は玄関へと向かう。
「誰だろう……魔理沙ならノックなんて律儀なことをする筈がないし。でも他にここまで来る人なんて……
──はーい、ちょっと待っててー」
木でできた西洋風の扉を、ゆっくりと押し開けて──
そこに立っていたのは、見覚えのない普通の少女だった。
魔法の森という場所には不釣り合いなほど普通な彼女に、思わずアリスはしばし黙りを決め込みじろじろと観察を始めてしまう。
種族は見るからに人間で、特に魔法などの力は感じられない。所持品もごく一般的で……特筆すべき点としては、左右の瞳の色が異なっているくらいだ。
「あの……私の顔に何か付いてますか?」
「──え? ああ、いや、ごめんなさい。こんな辺鄙な所に来る人なんて珍しいから、つい」
「そ、そうなんですか」
「で? 私の家に、何か用かしら」
そして、敵意などもなさそうである。
とにかくアリスは、本人に事情を聞いてみることにしたようだ。
すると彼女は、何故かもじもじとしてなかなか言葉を発せずにいる。
「あ、あの……」
「……?」
「違ってたら、凄く変なことを聞くことになるんですけど……
──ここって、幻想郷で合ってますか?」
「……は?」
*
「成る程ねぇ。貴女、詩音はこの間の、紅い霧の異変と同時に幻想郷に迷い込んだ。それでなんやかんやあった後、その時知り合った人と喋りながら飛んでいた。そしたら突然外界の、自分の家の前に戻ってた、と」
「はい、そうです」
「そして数日が経ち、あの異世界は何だったんだろう、と思って、また行きたいと強く念じた訳ね」
「はい。そして気づいたら、キノコだらけのこの森にいました」
「いや訳がわからないわよ」
「え? 割りとシンプルじゃないですか?」
「ワケガワカラナイヨ」
アリスの家へと訪問者があってから少しして。彼女は、その件の訪問者──翡翠の左目を持つ少女、古卿詩音を家の中に招き入れ事情を聞いていた。
それによれば……詩音はなんともまあ、異常なことを仕出かしているようだ。
「はぁ……。あのね、貴女は知らないだろうけど、幻想郷は結界によって外の世界と隔てられているのよ」
「あーそういえば、なんか藍さんがそんなようなことを言ってたような」
「まあ私も詳しい仕組みは知らないんだけどね。
そして、それを越えるのは普通の妖怪には到底不可能なのよ。人間なんてもってのほか。それこそ、スキマ妖怪みたいな境界を操る力を持ってなかったらね」
「へぇー、勉強になります」
アリスの瞳を見つめて、真摯に話を聞く詩音。
……ひょっとしたら、彼女は物凄く馬鹿なんじゃないだろうか。自覚が足りなさ過ぎるにも程がある。
「……貴女、本当に外界から来たのよね?」
「ええ、ここから見ればそうですね」
「じゃあどうやって、普通は越えられない筈の結界を越えたの?」
「……さあ?」
「いや『さあ?』じゃないわよ! その話が本当なら、貴女はとんでもないことを仕出かしてるのよ!?」
アリスは思わず声を荒らげる。その気持ちには激しく同意だ。
実は、幻想郷に迷い込む者自体は年に何人もいる。ちなみに外の世界では、この現象を神隠しと呼んでいるらしい。
そのような者たちは、アリスの説明からわかるように自力で故郷へと帰ることなど叶わない。そのまま幻想郷に住み着くか、神社へ向かい巫女に外界へと帰してもらうか──悲惨な結末を迎えるか。これ以外の選択肢は存在しない、筈だった。
だというのにこの小娘は、自力で外界へと帰り、更にはまた来たという。というか、ここにそんな友達の家感覚で来られても困る。
故に、アリスの反応も無理のないことと言える。
「はあ……。にわかには信じがたいけど、見た感じ嘘を言ってるようじゃなさそうだし。ってか、そんな嘘ついて何になんの?って話だし」
「ですね。外界ブランドとかあるなら別ですが」
「まあ確かに、人里とかでは珍しがられてるフシはあるけどね。あと天狗辺りは新聞のネタに使いそう」
「アヤヤヤ,コレハダイスクープデスヨ! ッテカ」
「へー、天狗なんかもここにはいるんですね」
するとここで、アリスの人形の一つが新たな容器を運んできた。
「そういえば外界には天狗なんていないのね──っと、お茶を入れてくれたみたいね。蓬莱、ありがと」
「ホーライ! ホーライ!」
「わかったわかった。ほら、よしよし」
「ホーラーイ…」
「ふふふ。そんなに嬉しかったかしら。
あ、詩音はミルクやシュガーは必要?」
「…………」
「詩音?」
アリスは声をかけるが、詩音は反応を示さない。
何事かと思い彼女の方へと視線をやると、詩音はじーっとアリスの人形、蓬莱人形を見つめていた。
「ホ,ホーライ?」
「……かわいい」
「えっ?」
「あ、いえ。この人形どうやって動いてるのかなー、って思いまして」
ああ成る程、とアリスは納得する。確かに外来人の詩音にしてみれば、一人で動く人形なんて見たことないのだろう。
「その子は蓬莱。で、こっちが上海。魔法を使って私が操ってるわ」
「シャンハーイ」
「ホーラーイ」
「へー、魔法ってそんなことも出来るんですね。まほうのちからってすげー」
「まあね。他にも弾幕ごっこの時とかはもっとたくさんの人形を使ったり──」
そう得意気に語っていたアリスだったが……ふと言葉を断ち、窓の外を睨み出す。
何事かと思い詩音もそちらを向いたが、その瞳には禍々しい森と、その木々の途切れ目から所々顔を覗かせる真夏の青空が映るのみ。特に怪しい様子は認識できない。
沈黙の意図が読めないからだろう、詩音は困惑している。
そんな中、アリスがぽつりと呟いた。
「この音は……ったく、今日は来客の多い日だこと」
「え?」
刹那、入り口の戸が勢いよく開かれる。
「──邪魔するぜっ、アリス!」
「うわっ!?」
「よくわかってるじゃない。邪魔よ、帰りなさい」
「はは、手厳しいな」
苦笑しながらも、彼女はずかずかとアリスの家へと入り込んでくる。
そう彼女こそ、アリスと同じ魔法の森に住む某魔法使い──もとい魔理沙であった。
「あ……ま、魔理沙さん!!」
「ん? お前は……」
「あら詩音、魔理沙を知っているの?」
「詩音……ってあの詩音か!? え、なんでアリスの家にいるんだ!?」
「はい、さっき言った、一緒に帰った知り合いってのが魔理沙さんのことです」
思いがけない人物との遭遇に、双方が驚愕の声を上げる。
「魔理沙さんこそ、どうしてアリスさんの家に突貫みたいなことをしてるんですか?」
「なんでって……まあ、コイツとは家が近所だしな。それにアリスが、どうしても私にお茶と茶菓子をご馳走したいって言うから」
「おいコラ」
「へぇー、成る程。魔理沙さんの家もこの近くなんですね」
「え、貴女それで納得するの? 明らかに理不尽な物言いなのに?」
「んで、詩音はなんでここにいるんだ? ってか、どうして異変の日、突然消えたりしたんだ?」
魔理沙はそのまま、先ほどまでアリスが座っていた席へと腰を下ろす。目の前の菓子にまで手を伸ばし始めた。
「ん、このクッキー美味いな」
「同感です」
「アラヤダ,ホメテモナニモデマセンワヨオクサマ」
「はぁ……あんたらねぇ……」
アリスはわかりやすく溜め息をつき、自分用に新たな椅子を出してきた。
いつの時代も、常識人とは割りを食うものである。早く誰かなんとかして欲しい。
「んで、私がここにいる理由でしたっけ。実はかくかくしかじかでして」
「はぁ!? 外の世界とこっちを行き来してるのかお前!? ってかそもそも外来人だったのかよ!?」
「ショウセツッテベンリダネ」
再び、魔理沙の叫ぶ声が響く。
しかし何か思い当たることがあったようで、乗り出した身を静かに元の位置へと戻した。
「……あー、でも詩音なら確かにやりかねない気がするな」
「あら魔理沙、心当たりがあるのかしら」
「ああ。こいつ、滅茶苦茶弾幕ごっこが、なんていうかこう──ヤバいんだ」
「……どういうこと?」
神妙な面持ちで語る魔理沙。ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえてきそうな程である。
……しかし、残念なことに語彙力が足りない。アリスも、そして張本人の詩音すら、真意を測りかねているようだった。
「なんか、面と向かってそんなこと言われると複雑ですね」
「あ、いや良い意味でだぜ!?
もちろん、弾幕ごっこが上手いってこともある。でもそれよりも、変な剣出したり弾幕ぶった切ったり光ったり、挙げ句の果てにあの“ラストワード”だろ? あれはもうヤバいとしか表現のしようがないと思う」
「……貴女そんなこと出来るの?」
「ええ、まあ。何か想像したスペルカードが勝手に手の中に出来上がるんですよね」
「はぁ!? スペルカードが出来上がるって──
「そこで、だ」
突如息を荒くしたかと思うと、魔理沙は自分の顔を詩音の、文字通り目と鼻の先までもってくる。
反射的に、詩音は身体を仰け反らそうとする。しかし、自分の目の中まで一直線に見つめてくる金色の瞳に、捕らわれるようにしてその動きを止めた。
「…………」
「なっ……な、何ですか?」
「詩音。お前の、能力は何だ」
「の、能力?……この雰囲気から察するに、『封印されし我が邪気眼があぁっ!』とか言ったら──
「ぶっ飛ばすぞ」
「ですよねー」
「何よ邪気眼って」
あまりの剣幕に押され、詩音は腕を組んで考え出す。
が、すぐに構えを解きあっけらかんと言い放った。
「わからないですね」
「いやおまっ、わからないって──
「それって例えば、フランさんが『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を持ってる、みたいな感じですよね?」
「……ああ。私は『魔法を使う程度の能力』を持ってるし、アリスは……ってアリスも同じか」
「ええ。まあ、あくまで自己申告だから、自分がどんな力を使ってるかっていうアピールみたいなものね」
「だったら尚更、わからないです。なんか不思議な力を使ってるなーっていう自覚はあるんですが、それが何なのかは私にもさっぱり」
そう言い切る詩音の言葉を聞いて、魔理沙は大きく息をつき再び腰を下ろす。そして、目の前の紅茶を一気に呷った。
「──ぷはっ、マジかそれ。あ、アリスおかわり」
「私はおかわりじゃないわよ。ったくもう、もっと嗜好品としての正しい味わい方を実践して欲しいわ……」
「じゃあ私もおかわり、お願いします」
「はいはい。蓬莱、よろしく」
「ホーライ!」
健気な人形は主人の言葉に従い、台所へと紅茶を淹れに行く。
「にしてもまさか、わからないとはなぁ。絶対に強い能力を持ってるのは間違いないと思うんだが……」
「すみません、わからなくて」
「別に詩音が謝る必要はないわ。外の世界の人間なんて、そうそう能力を使うことはないんでしょう?」
「そうですね。こんな特殊能力なんて、人前で見せればたちまち有名人ですよ。私も幻想郷に来るまで、こんな力を持ってるなんて知らなかったです」
そういうもんなのか、と魔理沙は呟く。まあ、普段から能力ありきの生活を送っていると、あまり実感はし辛いのかもしれない。
そうしている間に、新たな芳しい香りが三人前運ばれてきた。
「おっ、来たな。ミルクと砂糖をたっぷり入れてくれ!」
「あ、私も今度はミルク入れて下さい」
「わかったわ。……相変わらず、魔理沙は甘いものが好きなのね。だからスペルの味も甘くなるのよ」
「へへっ、よせやい。照れるぜ」
「ホメテネーヨ」
「……スペルが甘いってどういうことですか……?」
──まだ見ぬ境地を知った者の好奇心は、そんな風に尽きることを知らなかった。
詩音の質問に魔理沙とアリスが答え、その二人の疑問に今度は詩音が回答する。互いを深く知るに比例して、茶と菓子の消費は増加していく。
そうして、爽やかな夏の午後に、爽やかとは言い難い森で開かれた茶会は、優雅でありながら彼女らにとって実りのあるものへと閉じられていった。
***
「──そういえば詩音、お前両目が緑色じゃなかったっけか?」
「え? いや私は物心ついた時から、左目だけが翡翠色ですよ?」
「んーそうか……気のせい、じゃあないと思うんだがなぁ……」
「なにそれこわい」
「そういえば他のことにすっかり埋もれてたけど、オッドアイってだけでも十分珍しいわよね」
「そうですねー。やっぱ外の世界で街中歩いてると、ジロジロ見られたりしますし」
「……今度フランにも確認してみるかぁ」
「……さっきも名前が出てたけど、そのフランとかいう、物騒な能力を持っているのは誰なの?」
「あ、それはですね──」