東方幻操卿   作:さんにい

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驚き桃の木疎密の気

 黄昏時。

 それは、人間たちは里に籠り、家族の団欒を楽しむなり酒の席で弾けるなりして、就寝までの余暇を楽しむひととき。

 それは、妖怪たちが活動を本格化し、あちらこちらで宴会が開かれ始める時間。

 そして外の世界においては、子供たちが学業を終え、帰宅の路につく時──

 

 翡翠の目を持っていようが幻想郷へと頻繁に入り浸っていようが、それは勿論変わらない事実だ。

 そんな訳で、外界の暦で言えば平日にも関わらず、珍しくも詩音は幻想郷を訪問していた。いつものような和装でなく制服らしきものを着ていることから、恐らく学校からそのまま来たのかと思われる。

 

「いやーやっぱ自分で飛べるって、超気持ちいい!ですね」

 

 以前手に入れた飛翔板に乗り、異変時には歩いて通過した木々の間を悠々と飛ぶ詩音。その高度が低めなのは、まだ高所にあまり慣れていないからであろうか。

 

 夕焼けは空を、木々を、空飛ぶ少女を、満遍なく染め上げている。その橙は同じ系統の色ながら、かつて蔓延していた紅とは違った印象を与えている。とりあえず、明日の天気が快晴であることは間違いないだろう。

 

 さて、そんな森の隙間から洩れる柔らかな光を存分に享受していた詩音であったが──

 ──突如響き渡った、茂みの揺れる音に警戒感を露にした。

 

「!! だ、誰ですか!?」

 

 返事はない。

 あまり周囲に集中していなかったため、どこからその音が聞こえたのか詩音にはわかっていなかった。ただ、その場に彼女以外の何者かが存在するのは確実だ。

 そして、このような時間に人間が外を出歩いていることはまずないため──十中八九、妖怪だろう。

 

 詩音の緊張が、急激に高まる。

 彼女はこれまで、何度も魔理沙に言い聞かされていた。

『知能の低い野良妖怪には、スペルカードルールなどは通用しない。容赦なく襲われれば命が危ないぞ』と。

 何より彼女は、食べることを禁じられている人里の人間ではないのだ。生命の保証などどこにもない。

 

 そうしている間にも、その気配はどんどんと近づいてくる。寒さの厳しい中であるにも関わらず、詩音の額には汗が滲む。呼吸が響き、辺りの木の葉を揺らしそうなほどに鼓動が高まる。

 そしてそれは目前まで迫り──

 

 

「──おどろけーー!!!」

 

 ……拍子抜け、というのが最も適切な表現だろうか。

 

 木と木の隙間から突如現れた彼女は、夕焼けとは対照的であった。水色の服に髪、趣とは無縁そうなその態度。唯一共通していたのは、手に持つ傘の色合いが、黄昏と夜の境界をなすような紫色である点くらいか。

 そんな彼女は、緊張の糸がぶった切られて唖然としている詩音の周囲をうろちょろしている。実に鬱陶しい。

 

「どう? 驚いた? 驚いた!?」

「え、えーと……別の意味で驚きました」

 

 無論、悪い意味で、であろう。

 しかしそれに気づかないのか、赤と水色の瞳を有する彼女は目を輝かせてはしゃぎ始める。見方によれば可愛いと言う者もいるかもしれないが、今はただ鬱陶しいのみだ。

 だがそうしていれば、流石に異変を察知したようで。

 

「……あれ!? 驚かせたのに、おなかいっぱいになってない!!」

「……お腹?」

「ううー、ひもじいよー、おなかすいたよー。もうここ一月くらい、おなかいっぱいになってない……」

「え!? そ、それは大変です、よかったらこのチョコでも──」

 

 突如涙目になり、人間だったら生死に関わりそうなことを彼女が口にしたために、詩音は慌てて服の中から菓子を取り出した。

 しかし、目の前に突き出された指はそれを遮る。

 

「ち、ち、ち。私たち妖怪は、そんなもんじゃあ心から満たされないよ!」

「……? じゃあ、どうやったら」

「それは、あなたが心から驚いた時だよ! という訳でおどろけー!!」

 

 そう言うと突然、再び彼女は舌を出し、詩音の前で目一杯身体を広げる。これで不意を討ったつもりらしい。……何だか、彼女の所作全てが鬱陶しく感じるようになってきた。

 

 ……一応補足しておくと、妖怪にはこの青髪のように人間の感情を糧とする者も多い。彼女の場合はそれが、驚きの感情なのだろう。

 と言っても、ついでとばかりに詩音の手から菓子を奪うその姿には、あまり説得力もないだろうが。

 

「んー、あまーい」

「…………」

 

 喜怒哀楽の激しい彼女に、詩音はかける言葉がなかなか見つからないようだ。

 すると彼女が、ようやく普通とは違う点に気がついた。

 

「──あれ? そういえばあなた、人里では見ない格好してるね。なんで?」

「…………。そうですね、私は外の世界から来ているから──

「えー、本当!? あなた名前はー?」

 

 今度は興味津々といった面持ちで詩音に迫る彼女。はっきり言って鬱陶しい。何回目だこれ言うの。

 

「えーと、古卿詩音です」

「なるほど、よろしく詩音! 私は多々良小傘、『人間を驚かす程度の能力』を持つ化け傘だよー!」

 

 詩音は、耳を疑った。

 

「え……人間を、驚かす?」

「うん!」

「え、あれで?」

「むっ、今私をバカにしたでしょ!」

 

 そういうことには目敏い彼女──もとい、忘れ傘の付喪神、小傘であった。

 だがまあ、詩音の反応は当然であろう。何せあの襲撃である。あれで驚く方が難しい。

 しかし、どうやらその発言は小傘の琴線に触れるものであったようだ。

 

「あまり舐めないでぇもらいたいもんだねぇ……わちきには、付喪神なりのぽりすぅいというのがあるんでぇござんすよ!」

「何ですかその口調」

「わちきのぽりすぅい、それは、食糧確保には能力を使わないこと! これだけは譲れないねー」

 

 ……それで餓死したら本末転倒な気がするのだが。

 どうだ、と胸を張る彼女に対して詩音が思ったことも、恐らく同じであろう。

 

「……小傘さん、私からあなたに、こんな素敵な言葉を送りましょう」

「ん、なになに?」

「そんなプライド犬に食わせておけ」

「ひっ、ひどい!?」

 

 存外に毒の強い発言に、小傘は再び涙目になっている。

 

「……ありゃ、ちょっと言い過ぎましたかね」

「ふ、ふん、いいよ、目にものを見せてあげるからね! 驚き過ぎてチビっちゃっても知らないんだから!」

 

 しかし、それでも小傘はめげなかった。発言は思い切り小物だが、目を閉じて何かに集中し始める。その顔は真面目そのものだ。

 展開が急過ぎていささか追い付いていないようだが、とりあえず静かになった彼女に合わせ、詩音も口をつぐんだ。

 

 そして、小傘が目を開いた時──

 

「……え!? 小傘さん、左目が赤く光って……!?」

 

 それは、色は違えども見覚えのある光景で。

 そのまま小傘は、

 

「──うらめしやー!!!」

 

 詩音の後方、何もない虚空へとそう叫んだ。

 

 ……開いた口が塞がらない、とはこのことだろう。

 元々どこか抜けていそうな少女だったが、まさか幻覚まで見てしまうとは。呆れを越えて、可哀想になってくる。

 たぶん同じようなことを思ったであろう詩音は、かける言葉も見つからず。とりあえず小傘の肩にそっと手を置こうとして──

 

 そこには、詩音のものよりも小さな手が既に置かれていた。

 

「────!?」

「──こりゃあ、驚いたな。まだ異変も起こしてないのに、まさか付喪神に気づかれるとは。お前さん、見所あるねぇ」

「へへー、驚いたでしょー」

 

 同時に、詩音のでも小傘のものでもない声が響く。その突然の現象に、詩音は訳がわからず目を白黒させる。

 

 そうして詩音が混乱している間にも、小傘の目の前に何かが少しずつ集まっていた。最初はただの霧のようだったそれも、次第に一つの形を成していき──そこには、大きな角の生えた、小傘よりも小柄な少女が出現していた。

 

「よー。こんな年の瀬にご苦労なこった。紅霧異変の()()解決人、古卿詩音さんや」

「あなたは……?」

「私? ふっふっふ……聞いて驚け!」

「見て笑えー!」

「かつて山を支配した鬼の四天王が一角、伊吹萃香たぁ私のことさ!」

「イエーイ!」

 

 そう言うと、『小さな百鬼夜行』伊吹萃香は瓢箪の中身を飲み干し、手を高く挙げ小傘と打ち合わせた。周囲に漂う芳香とその赤く染まった顔から、瓢箪の中身はもしかしなくても酒だろう。

 

「鬼ですか……。いやまあ、()()()だとは思ってましたけど。それよりも、あの、酔ってますよね?」

「はっ、あたりめーよ! シラフだったのなんて何十年前かね!? ほら、詩音も飲め飲め!」

「えっいや私まだ未成年──

「なー!? 私の酒が飲めないってのか~!?」

 

 その勢いにたじろぐ詩音だが、萃香はそんな彼女などお構い無し。必死に抵抗する詩音の口に、その瓢箪をぐいぐい近づけていく。

 

「いやだから私まだ未成年なんですって!」

「そんなのは外の世界の法だろ? 幻想郷にゃ関係ないね」

「でも私が飲んじゃったら萃香さんの分が──

「心配には及ばないよ。なんたってこれは無限に酒の湧く秘宝、伊吹瓢だからね! さあ飲め飲め!」

「何ですかそのRPGのボーナスアイテムにありそうなやつ! いやーっ! アルハラ反対ーっ! 急性アルコール中毒で死んじゃうーっ!!」

 

 しかし、鬼の髄力に人間が敵う筈もない。

 必死の抵抗も虚しく、詩音のまだ穢れのない口に鬼の秘宝が突き刺さり、穢れも神聖さをも巻き込み酩酊の彼方へと持ち去る大量の、白濁の液体が、詩音の身体を一歩大人へと近づけてゆく──

 

「──おっと、それは困るね」

 

 ──ことはなかった。

 突如解放される詩音。状況がよく飲み込めていないようだ。

 

「……え、急にどうしたんですか? まさか不殺(ころさず)の誓いでもしてるんですか?」

「いいや、てか何それ。そうじゃなくって、詩音に何かあると私が泉熙(みつき)に怒られちゃうからさー」

 

 まあわざわざ中毒死させる気もないけど、と萃香再び酒を呷る。

 ……その、瓢箪を持つ手首には、詩音にとって見覚えのある鎖がつけられていた。

 

「泉熙さん、ですか?」

「ああ。詩音、異変ん時に泉熙と約束してたでしょ? 次会った時に弾幕ごっこしよう、って。鬼の約束を鬼である私が破らせる訳にもいかないしね」

 

 それは、四ヶ月程前に一度見た、ある少女の手首にもつけられていたもの。

 その時も詩音は、それが何であるか気になっていた。それを萃香もつけていて、尚且つ今の萃香の発言。そこから導かれることは──

 

 ……しかし、ここで一つだけ疑問が残る。

 

「……あの、萃香さん。泉熙さんって、人間なんですよね? あの時そう言ってましたし」

「人間……?

 ……っははは! そうか、そうだったなぁ!!」

 

 詩音の尤もな質問を聞いて、何故か萃香は笑い出した。その反応に、益々詩音は混乱していくばかりである。

 

「はははっ! またあいつは、()()()()()()()()ことを言って……!」

「え……ギリギリ嘘でない、ですか?」

 

 すると萃香は、沈みつつある太陽と詩音との間にその身体を持っていく。

 詩音は思わず、眩しさから目を細めた。

 

 最も煌めきが強くなる夕焼けを背に。

 短いながらも大きく、その両腕を広げ。

 妖しさを感じさせる笑みを浮かべながら。

 

「そうさ!! あいつは、八瀬泉熙は、私と同じ鬼の四天王に数えられる妖怪にして、人間の血を引く稀有な存在!

 ──鬼と人間の間に生まれた“半人半鬼”さ!」

 

 萃香は声高々に、そう告げた。

 

「半人、半鬼……」

「にしし、まあそういうこと。鬼ってのはね、嘘をつかれるのが何よりも嫌いなんだ。だからまた、あいつに会った時にゃ是非戦ってやってな」

 

 そう言うと、萃香は再び酒を飲み始める。その姿は何故か、ひどく嬉しそうだった。

 

 

 黄昏時の頂を通り越し、周囲の木々には陰が目立つようになってきた。昼と夜の均衡は完全に後者の優勢に傾き、このままでは間もなく世界は暗闇に覆われるだろう。しかし、その闇は決して生物と相容れないものではない。むしろ、そこにあるからこそ日の出を、夜明けの光を感じさせるような、かけがえのないものではないだろうか。

 そんな感傷を見る者の心に浸透させるように、昼と夜の境界である黄昏時と、更に夜との境界を成す紫の空が、二人の視界一面に広がっていた。

 

「……まあ確かに、普通の人間じゃあないとは思ってましたけどねー」

「ははっ、不可思議幻想人間の詩音に言われたかねーだろうな。あいつもまだ百歳ちょいだし」

「なんですかその二つ名。ってか百歳って十分長生きですけど」

「そうかい? 私らの中じゃ一番年下だけどね。なのに四天王って呼ばれてんだから、あいつは本当に面白いやつだよ!」

 

 広がってはいたが……そんなもんお構い無しに、萃香は上機嫌でぐびぐび瓢箪を呷っていく。その姿は正直、感傷もへったくれもない。

 

「やっぱ私の育て方が良かったんだろうね、うん違いない!」

「そういうこと言う人に限って反面教師だったりするんですよね」

「私は人じゃないから問題ないな!」

 

 そう言っている間にも、大量の酒が驚愕の速さで萃香の体内に消えてゆく。いくら鬼とはいえ、さすがに飲み過ぎだろう。こういう所が、会ってばかりの詩音に反面教師呼ばわりされる理由なのだが。

 

 そんな彼女を見ていて……ふと、詩音はある点が気になった。

 

「──そういえば、萃香さんが泉熙さんを育てたんですか?」

「ん? ああ、まあ私っていうか、鬼のみんなで育てたね」

「ってことは、泉熙さんの親って──

「そういえば詩音、どこかに向かってるんじゃないか?」

「え、え──あっ」

 

 萃香に言われ、辺りを見渡す詩音。既日は沈み、二人のいる森はそのほとんどを暗闇が支配していた。

 

「ヤバっ、紅魔館に招待されていたのを忘れてました! 折角部活終わってから直で来たのに……」

「なら、早いとこ行った方がいいんじゃない? ほら、あの吸血鬼待つのは嫌いそうだし」

「そうですね、それじゃあ全速力で向かわせてもらいます。では萃香さん、また!」

「おう、またなー」

 

 そのまま詩音は暗闇の中、飛翔板に乗り彼方へと消えていく。彼女が巻き起こした突風により、木々がざわめくように、音をたてて揺らいでいた。

 

 残った萃香は、再び酒を飲み始める。よくもまあ飽きないものだ。

 だが、夜の帳に一人漂う彼女は先ほどまでのように、酩酊者の底がない明るさは纏っておらず──

 

「『意識拡散』……悪いね、詩音」

 

 遥か頭上に煌めく星々に、そして登り始めた満月に、懐かしむかのような視線を送っていた。

 

「泉熙の親、ね……。

 あいつもきっと、詩音を、今の幻想郷を見れば──」

 

 

 ──それは、年の瀬も近い、何でもない冬の一幕。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「……あれ、そういえば小傘さん、気づいたらいなくなってましたね。一体どこに──」

 

 

「うらめしやーー!!!」

 

「ぎゃああああああああ!!! あ、あ、あ──『アイシクルフォール』!!」

 

「へぁ──!?」

 

「……んむ? さっきのは──」

 

「さ、寒い……動けない……」

 

「!! ふ、ふん、あたいにたてついたのが運のつきよ! なんたって、あたいはサイキョーなんだから!!」

 

「チルノちゃーん、なんかすごい声が聞こえてきたけど……」

 

「あ、大ちゃん! やっぱりあたいはサイキョーだね!」

 

「ど、どうしたの──」

 

 

「……聞かなかったことにしましょうか」

 

 




ちなみに、私の推しは小傘とフランです。
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