「ぴぎゃーーーっ!!」
ここは、とある境界に建つ神社の近くの、禍々しい森の中。幻想郷において“禍々しい”と“森林”が同時に言及される際は、大抵魔法の森のことが指される。しかし、この日だけは違った。
その森の中は、いや幻想郷すべてが、紅い霧に包まれていた。その紅色の幻想は陽の光を遮断していて、数多の木が茂るそこはまさに逢魔が時の表象を見せている。
その、紅く染まった木々の間を、幼い悲鳴が駆け巡る。
悲痛であり、どこか間の抜けたその声は、夏で活動期真っ盛りの少女──緑の短髪に生えた触角が特徴的な、紺の袴を穿く蟲の妖怪──リグル・ナイトバグのすぐ側も走り抜けていったようだ。
偶然にも、彼女にはこの声の主に心当たりがあった。
「この声は……ルーミア?」
ルーミアとは、彼女がよく遊ぶ友人の片割れ──金髪の、常闇の妖怪のことである。
そんな友人の緊急事態らしき叫びに、リグルは小走りで声の発生源へと向かった。
その動きに同調して、紅い幻想は揺らぎ、刻一刻と姿を変える。時に、雨のように。時に、渦のように。時に、虫のように。
しかし、彼女はその叫びが特に緊急ではないということも予想がついていた。
なぜなら、悲鳴のした方向は、先ほどまで彩り豊かな光が舞っていたからだ。
つまり、
「弾幕ごっこ、だよね……。ルーミアったら、そんなに強くないんだからやらなきゃいいのに……」
弾幕ごっこ。
それは、少し前にこの忘れられた地、幻想郷で発案された決闘方法である。
最大の特徴は、相手を
重要なのは、どちらが、より
このことから、後に普通の魔法使いはこう述べている。
『ルールの無い世界では弾幕はナンセンスである』
──故に、魅せ方は人妖それぞれ。ただひたすら氷柱を打ち出す者もいれば、難題と呼ばれた秘宝を用いる者も、正体不明の弾を操る者もいる。
この少女、リグルも、弾幕ごっこの基本法則であるスペルカードルールが公布された時に、仲の良い友人三、四人と弾幕ごっこを行ったそうだ。どうやらその時、ルーミアの実力も知ったようである。
……と、話が逸れた。
つまり、スペルカードルールに則った弾幕ごっこにおいては、それほど危険は内在しない、ということだ。
無論、不慮の事故は起こり得るだろうが……ルーミアは、力は弱いがれっきとした妖怪。その程度で命が脅かされるということはないだろう。
彼女が行き着いた結論も、どうやら同じだったようだ。急いではいるものの、その足取りに緊張感は見られない。
「ったく、どうせボロボロの姿で『負けたのかー』とか言ってるんだろうな……」
まだ会ってもいないが、リグルは既に友人への愚痴を呟いている。それほど彼女たちは仲が良いということなのかもしれない。
少し歩いた所で、リグルは飛翔を開始した。どうやら、彼女が思っていたよりも目的地が遠かったようだ。
そのまま、速度を速めて──
「!!」
リグルは急停止をした。
釣られ、
「これは……人間?」
どうやらこの辺りの揺らぎを生み出していたのは、リグルだけではなかったようだ。
不意に感じられた妖怪ならざる者の気配に、リグルは警戒心を高めた。
何せそこは、異変時には見敵必殺で名高い博麗の巫女の本拠地、博麗神社のすぐ近くである。
妖怪が人間に怯えるのも可笑しな話だが、彼女のような弱小なら、まあ仕方がないことであろう。
しかし、妖霧を切り開いて現れたその姿は、見事にリグルの予想を裏切ることとなる。
「──って、おお。また空を飛んでいますね……。
もしかしてここは、ワンダー・飛行少女・ランドなのでしょうか」
「…………?」
深い森の中から覗かれたその姿。
それは、至って普通の少女だった。
「あらら、こんな所に人間だなんて。あなたは、食べてもいい人類なのかな?」
リグルは緊張を解き、逆に相手に恐怖を与えにかかる。
何せ、相手はただの人間。
普通の、肩にかかるくらいの黒髪をしていて。
普通の、リグルよりも少し大きいくらいの体格をしていて。
普通の、人里の者と同じような着物を着ていて。
普通でないところと挙げるとするならば、リグルから見て右側、つまりその人間の左目だけが、翡翠のような緑に染まっていることくらいだろう。
確かにリグルは、片目が黒、片目が緑という人間は見たことはなかった。しかし、それがどうして警戒にあたることだろうか。
実際、その少女の存在は、周囲の霧に飲み込まれそうなほど儚かった。
「うーん、どちらかと言うと、食べられたくない人類ですかね。
……にしても、ここはどこなんでしょう。やっぱり、ワンダー・カニバル・ランド、なのでしょうか」
「さっきから何を言ってるの? ここは幻想郷だよ。そんな変なとこじゃない」
それでも尚、どこか足りていないやり取りを続ける人間。
ここで、リグルはある一つの可能性に気づいた。
「もしかしてあなた……外来人!?」
通常の場合、幻想郷において人を食らうことは禁じられている。その理由について語ると、人間と妖怪の相互に対する定義付けから始めなければならないためここでは割愛する。
まあ、“どっちも幻想郷には必要だよ!”とでも思って貰えば構わない。
しかしそれは、“幻想郷に”住む人間の場合。当然、それなりの頻度で迷い込んでくる外来人たちには、それは適応されない。
従って、外来人が無事に元の住処へと帰るためには、妖怪と遭遇することなく博麗の巫女の所へと向かうことが必要最低限の条件だ。
何故なら妖怪が、そんな滅多にありつけない
それがこの非常識の世界、幻想郷での常識である。
故にここからリグルがとった行動は、ごく自然のものだった。彼女はそれに何ら恥じることはない、と思う。
「なぁんだ、やっぱり食べてもいい人類じゃない! それなら、遠慮なく行かせて貰うよ!」
リグルはこの時、今までのどの一瞬よりも満面な笑みをしていた。古今東西、妖怪にとって人間がご馳走であることは、やはり避けられないのかもしれない。
そのままリグルは、自身の周囲に弾幕を展開する。
紅い空の中できらびやかに踊る光の弾は、どこか喜ばしげで。しかし、それに纏わりつく
経ずして、その幻想は人間の少女へと達する。
「いーぞーっ! そのまま私の弾幕においしく焼かれなさいっ」
そうして、広い範囲に、隙間を埋め尽くすようにして展開された弾幕は──
人間の少女の元へと、
しかしここで、リグルにとって一つ目の誤算が発生する。
人間の少女は、押し寄せる弾幕を寸前まで引き付けると、跳躍。辺りに豊富にある木の枝を掴み、それを回避したのだ。
「……!! なら、これはどうかしら?」
リグルは少し驚いたが、追加でより多くの弾幕を発生させた。霧で遮られた天の太陽に代わり、生み出された小さな太陽たちが木々を照らす。
それを、妖怪の勘に任せて四方八方に射出したのだが──
それら光の波は、再び
「おりゃっ! それっ! ほいさっ!」
たかが人間の少女に、全て避けられていった。
掴んでいた枝を離し、着地をしたかと思うと、それでも押し寄せる弾幕を宙返りをして避ける。空を切る足に合わせて霧が揺らぎ、少女のしなやかさを際立たせてていた。
そして、そのままの流れで少女は再び跳躍し、今度はあちらの木、そちらの木へと飛び移る。少女が移った数瞬後には、足場であった木々は粉微塵になっていた。
木屑が散り、葉が踊り、少女はそれでも忍者のように動く動く。そこには、一種の完成された競技のような美しさが垣間見える。
飛び交う電飾を尻目に、
「……あなたっ、人間のくせに、めちゃくちゃスゴいじゃない! 人間にも、そんなことが出来るのがいるんだね!」
その華麗な動きにしばし見とれていたリグルだったが、ふと我に返り、その少女を称賛した。彼女が今まで遭遇した人間といえば、一目散に逃げ出すか、自分を妖怪と知らず安易に近づいてくる者しかいなかったため、とてつもなく驚いていたのだ。
……当然、とんでもない馬火力を放ってくる魔法使いや、舞うどころか瞬間移動すらしてくるメイドなんてものは、この時のリグルは露知らず。
……まあ、御愁傷様、とだけ言っておこう。
「いやー、まあちょっと競技の体操やってるんで……。
それよりもその光の弾、さっきの人たちも使ってましたね。流行ってるんですか?」
「これは弾幕ごっこだよ──って、ルーミアのこと忘れてた! 人間、ルーミアがどうなったか知ってるの?」
リグルは忘れかけていたが、彼女の本来の目的は先ほどまで舞っていた、これよりも大規模な弾幕の場所。そちらへと向かっていた際にこの少女が現れたということは、彼女はルーミアの行方を知っている可能性が高いだろう。
「ルーミア……? それはもしかして、金髪に赤い髪飾りをした女の子のことですか?」
「そうそう!」
その人間が挙げる人物像に、リグルは肯定の言葉を発する。
……今は関係ないことだが、リグルは自分の友人の、ある噂について思い出していた。なんでも、赤い髪飾りには怨念がこもっており、何かが封じられているとか──
「それなら、腋を出した紅白の女の子にやられたあと、『負けたのかー』って言いながらどこかへ飛んでいきましたよ」
実に予想通りであった。
思わず、リグルは苦笑する。
「まあそれなら元気っぽいし、大丈夫かなー。
それよりも人間、あなたに興味が出たよ。名前は?」
名前を尋ねたということは、その少女が飢えを満たす食糧から、対等に話す相手へと評価が変わった、ということだ。もしかするとこの時、リグルはこの人間を友人としてやってもいい、とでも考えていたかもしれない。
「名前、ですか? うーん……。
……まあ、普通でいいですかね。私は、古卿詩音と申します」
「へー、詩音って言うのか。
私は、リグル・ナイトバグ! 泣く子も、一部人外並みを除けば黙る、蟲の妖怪さ!」
リグルはそう、少ない胸を張って名乗りを上げた。
「なるほど、蟲妖怪ですか……。ってことは、やっぱりもしかして……!
あのー、一つよろしいですか?」
「ん? なに?」
リグルの名前を聞いてから、しばらく何かをぶつぶつと呟いていた詩音だったが、ふと顔を上げるとリグルに質問を投げかけた。
それを受け、リグルはどんとこい、と再び胸を張る。どんな質問でもいい、幻想郷のことか、弾幕ごっこのことか、それとも
「最初に見たときから思ってたんですが──
もしかしてリグルさんって、Gの妖怪さんですか!?」
『季節外れのバタフライストーム』
リグルは、弱小妖怪としては破格の威力を誇るスペルカードを持っている。それがこの、『季節外れのバタフライストーム』。それを、あろうことか普通の人間に対し、彼女は全身全霊を懸けて発動させた。
これが答えとでも言わんばかりに。
「私に、一番言っちゃいけないことを言ったね………………!
もういいっ、詩音! そのまま森と私の栄養分になりなさいっ!!」
リグルは、半泣き状態で怒号を捲し立てる。
それに呼応するようにして、黄、緑、青、白、そして赤い弾幕が、紅い幻想の空に舞い踊る。
蔓延する妖霧が、今までになく激しく揺らいだ。
生み出された色とりどりの弾幕は、時に直線的に、時に壁のように、刻一刻とその形態を変化させながら詩音へと、今度は吸い込まれることなく迫っていく。
詩音の視界は、白から赤、青、そしてまた赤へと塗り替えられる。
それらと同時に繰り出される黄色や緑の弾幕は相手の動きを封じ、回避可能な空間は須臾もなかった。
その不規則のようで、規則的かもしれない動きは、まさに蝶の舞と言えよう。
これほどの圧倒的物量を前にしては、ただの人間ならば骨も残らない。
そう、
その時、リグルが対峙していたのは、
……時に、幻想郷は常識と非常識を分ける結界で、外界と隔てられている。
そのため、外界での常識は、幻想郷では通用しない。
同様に、幻想郷での常識は、その
ここに、リグルの二つ目の誤算が生じた。
「おおっ! それは、さっきの二人も使ってたカッコいいカード!」
その少女、詩音は、リグルが取り出したスペルカードを見て、まず何よりも先に歓喜の声を上げた。
……この時点で、ただの人間には有り得ない肝の据わりようである。
そして、
「うーんと、これを……こうですか?」
迫り来る弾幕を前にしても、呑気なまま手に力を集めると、
「────おおっ、こうですね」
「……えっ?!」
「これが、私の……スペルカード、っていうんですか?
名前は……これで!」
幻操
詩音の宣言と同時に、リグルの放った弾幕が詩音を襲う。
しかしそれは、そこで
「何だ、あれ…………!!」
リグルはもはや先ほどまでの怒りを忘れ、目の前で巻き起こる、不可逆である筈の現象に見とれていた。
リグルの放った、『季節外れのバタフライストーム』は、ある一点まで集中すると、その色を反転させていた。
黄色の弾幕は紫へ。緑の弾幕は橙色へ。青の弾幕は緋色へ。白の弾幕は黒色へ。そして赤い弾幕は、空色へ。
更にそれらの弾幕は、色彩だけでなく進行方向すらも反転させられていたのだ。
紫、橙、緋、黒、そして空色の弾幕は、元の飼い主の手を既に離れ、自由奔放に飛び回っていた。
先ほどまでの様相が幽霊の演舞だとすると、今はまるで八百万の妖精が駆け回っているような、そんな印象を受ける。
……通常、放たれた弾幕の軌道を外部の力でねじ曲げることは、不可能とされる。何故なら、スペルカードというのは、ある程度綿密に組まれた術式だからだ。
もちろん、一部の格が違う妖怪は出来るかもしれないが……リグルのような弱小や、ましてや人間などには、到底不可能であろう。
故の、不可逆現象。
しかしそれは、現実にリグルの目前で繰り広げられていた。
「なに…………これ…………!!」
圧巻の光景に、言葉がでない。
そのような隙を、元リグルの弾幕が逃すはずもなかった。
あっという間に、いやあっと声を上げる刹那さえ与えず、リグルは弾幕の嵐に飲まれていく。
そして、リグルが墜ちる瞬間に見たもの──
それは、先ほどまでとはうって代わり、紅い空を飛翔をしていて。
その目が、妖精のように
……左の瞳が翡翠に
Stage1 始まりのG!~リグル・ナイトバグ~
Stage Clear!