東方幻操卿   作:さんにい

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Stage5 尊大なる吸血鬼のささやかな望み

「──にしても、ほんとに(あか)ばっかしですね」

 

 豪華絢爛な装飾が美しい広間に、どこまでも続くのではないかと思われるほどの回廊。それらを過ぎ詩音は、改めて誰もが感じるであろう事実を言葉に著す。

 

「そりゃあそうですよ。なんてったってうちのお嬢様は紅い悪魔、スカーレットデビルと呼ばれている方ですから」

 

 今、彼女らが歩いている廊下も、床には血に染められたような絨毯が敷かれ、天井にも壁にも一面に紅が咲き誇っている。その鮮血を思わせるような色彩は、苦手な者が見れば卒倒してしまうかもしれない。

 また吸血鬼の特性上、陽の光を歓迎してしまう窓は一つも設置されていなかった。辺りを照らすのは、妖しく揺らぐ蝋燭の炎のみ。妖怪の居城には相応しい空間と言えよう。

 

 時刻は、既に大いなる太陽に別れを告げている。代わって月が、妖怪が幻想郷を支配することを許していた。

 

「ところで、そのお嬢様──レミリアさんは、どんな方なんですか?」

 

 そんな薄暗い廊下に響くのは、四本の足から奏でられる靴音と、二人の、緊張感が欠けた声のみ。

 その一つ、詩音は、もう一つの音を発生させている美鈴に尋ねる。

 

「どんな方、ですか……。そうですね、一言で言うのなら、とてもカリスマのある方です。五百歳という幼い年齢ながら、この紅魔館の当主を務めていますから」

「五百歳で幼いって、やっぱスケールが違いますね……」

 

 ここに入ってから、一体どれほどの燭台を見てきたのだろうか。紅い館を赤く照らすその光は、彼女らが近くを通過する度に儚い幻想のように型を崩し、そして再生させる。

 そんな明暗入り雑じった光に照らされた、美鈴の顔。己の主を語るその顔は、どこか嬉しそうであった。

 

「まあ、それだけで終わらないのがお嬢様の良いところなんですが──

 ──っと、見えてきましたね。ご足労感謝致します、来賓さま」

「おお、あそこが……」

 

 美鈴の言葉と共に、詩音は突き当たりにある、両開きの扉を視界に捉えた。

 その扉は、やはり紅一色に染められている。しかし今までの何よりも立派な風貌をしているそれは、先に広がる空間がこの館で最も高貴であることを物語っていた。

 

「この先が、我等が主、紅魔館当主レミリア・スカーレット様の私室です。

 ……お嬢様が、どうして詩音さんを招かれたのかはわかりませんが」

「が?」

 

 取っ手に手を掛けたまま、美鈴はふと詩音の方に振り返った。その瞳には、目の前の友人を心配するかのような憂いが籠っている。

 

「──もしお嬢様が気分を悪くなされれば、詩音さんはお嬢様の、今夜のジュースとなるでしょう。なのでくれぐれも、粗相のないようにして下さい。

 ……貴方とは、またお手合わせをお願いしたいですからね」

 

 ──そう。詩音がこれから相対するのは、数多く存在する妖怪の中でも群を抜いて気高く、自尊心が強いことで名の通った吸血鬼である。いくら招かれた身分とはいえ、悪戯に怒りを買えば塵芥も残らないだろう。

 その気になれば、腕の一振りで簡単に命など奪える。それが、強大な妖怪にとっての人間なのだから。

 

「成る程……大丈夫です、問題ありません」

「と言ってもまあ、今お嬢様は機嫌がいいようですし、それにご自分から招待された客人を滅したことはほとんどないので、心配ないとは思いますよ」

 

 重々しい雰囲気になってしまったことを案じたのか、美鈴が今度は笑顔でそう述べた。彼女としては、敬愛する主人に対してあまり戦々恐々として欲しくない、という気持ちもあるのかもしれない。

 ……人間にとっては、“ほとんど”という部分が死活問題のような気はするが。

 

 だがまあ、妖怪である美鈴にはそんな細かい所は気にならないのだろう。

 美鈴は一呼吸置くと、そのまま目前の扉を叩いた。

 周囲に、年月を経た木材の音が響く。

 

「では、入りますよ──

 失礼します、お嬢様。今宵のご客人、古卿詩音様をお連れしました」

 

 そして、運命の扉は開かれた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 紅い扉の先に広がっていたのは、やはり紅くて紅い部屋だった。

 上下左右、全てが一色単に塗られているその部屋は、見ているだけで目眩が起こされそうである。そして、昼間には封じられているのだろう、角に追いやられた小さな窓からは、紅い月の光が射し込んでいる。

 

 そんな紅の中央には、一つの円卓と二つの椅子。そして片方に座す、『永遠に紅い幼き月』がいた。

 

 その少女は青みがかった銀髪をしていて、その上に特徴的な、ひらひらとした帽子を被っている。また服も、帽子と似たように裾がひらひらしており、彼女の幼い外見にとてもお似合いであった。

 そんな、齢五百にして紅魔館当主、そして詩音を招いた張本人であるレミリア・スカーレットは、突然の招待に快く応じた翡翠の客に挨拶をしようと腰掛けから離れ、前に進み出た。

 

「よくぞ来てくれたわね、人間。今夜は──

 

「──天が呼ぶ、地が呼ぶ」

 

 ……しかし、図ったような折にして、彼女の幼い声とは違うものがその空間に轟く。

 

 その元凶のすぐ隣にいた門番、美鈴には、阿呆のような顔をしてその光景を眺めていることしか出来なかった。開いた口が塞がらない、とはまさにこのことである。

 いくら運命を操るといっても、流石にこの展開は予想外だったのか。レミリアも、目をぱちくりさせている。

 

「──忘れ去られし、幻想が呼ぶ!

 我は、悠久に命運を託せし霊長と孤高の栄華を誇る虚空、その二者の嘱望を一身に擁す叡智なる人間(じんかん)! そしてたった今ご紹介に預かった古卿詩音!

 尊大なる、紅い悪魔殿(スカーレットデビル)よ。変革を催すこの出逢いを喜念し、我が翡翠をその双眼にしかと印刻するがよい……!!!」

 

「──なにやらかしてるんですかこの人ぉぉぉォォォ!!!!!」

 

 開け放たれた扉から、烈火のごとく言霊が氾濫した。それは、ごく一部のわかる者からすれば、電撃を浴びたような高揚を味わうのかもしれない。無論、殆どの知的生命体には理解できない。

 ……それにおまけのように伴うのは、哀れな門番の、本日何度目かわからない驚愕の叫び。いい加減間に立つ彼女のことも考慮に入れてあげて欲しい。

 

 そして、その言霊を全身に受容したレミリアはというと──

 

「……………………」

「あ、あのですねお嬢様、これはその、あれ、あれですあれ、きっと有名なジャパニーズジョークですよ、だから、どうかお怒りをお鎮めにおなりになって欲しいことを願わんこともなきもなしに候いまして……」

 

 ──顔を俯かせ、黙して語らない。表情は見えないが、良い気分ではないだろう。

 

 外界では、“押すな押すな”は押せの隠喩である、ということを耳にしたことがあるが、詩音はこれもそう受け取ったのだろうか。もっと時と場合という物を考えるべきではないのか。

 大妖怪を前にしても芯がぶれない姿は、最早清々しさも遥かに通り越している。それは、一種の畏敬の念すら抱かれ得るかもしれない。絶対に手本にしたくはないが。

 

 だがしかし、詩音の運命は、目の前の少女に握られている。彼女が詩音の態度を是と成さなければ、そんな悠長なことは言っていられない。

 

 ……レミリアの腕は、怒りのためだろうか、小刻みに震えていて──

 

「……………………くくっ」

「……あれ? お、お嬢様?」

「およ?」

 

 ──それは紛れもなく、快悦から漏れた声で。

 

「くくっ、くくくっ、アハハははっ!

 ──五百年生きてきたけど、貴女みたいな人間は初めてよ! 流石は、八雲の式を破っただけのことはあるわね」

「いえいえそんな。お褒めに預かり誠に恐縮です」

「…………あ、あれー?」

 

 レミリアは至極愉快、と目が、口が、表情が、言葉を経ずとも語るほど、破顔一笑をしていた。

 

 ……レミリアの立場上、これまで彼女を訪れた人間は皆、彼女を一目見ただけでひれ伏し、恭順を誓ったのだろう。それはそれで大変結構なことである。が、この吸血鬼がそんな状況を退屈に感じていたのも、これまた容易に想像がつく。

 だからであろう。レミリアは、新たなる幻想の風を一身に受けても、その佇まいを揺るがすことはなかった。むしろ、危機感の微塵もないこの翡翠の人間を気に入ったようである。

 

「──いいわ。客人がそれを望むのならば、当主である私も相応しい応対を見せなきゃね」

 

 ……突如、レミリアが浮遊を始めた。

 威風堂々としたその姿は、ある種の超越したものを醸し出しており。

 

「ちょっお嬢様、一体何を──

 

「──蛮勇なる人間よ、その高邁なる雅語(イデアルハート)、しかと聞き届けた!

 我は、運命を絡繰る永劫の月(エターナル・ディスティニムーン)、レミリア・スカーレット!!

 今、汝のその功績に呼応し、我が魔性は華胥の国より舞い戻らん……さあ、その下等なる種族に囚われし節穴(ヒューマン・リミテッド・アイボール)で、この高貴なる妖魔にせいぜい刮目するが良い!!

 今夜は、こんなに月も紅いから──

 

 Never Starving Scarlet to You(楽しい夜になりそうね)……!!!」

 

 ……一種の既視感も感じられた。

 

「…………」

「うおー! レミリアさん、めっちゃかくっいーーです!!」

 

 沸き立つ賞賛の声に、レミリアもかなりご満悦の様子である。早速、美鈴などそっちのけで新たな友人とのお茶と会話を楽しみ始めた。

 円卓を挟んで対面する、人間と吸血鬼。その間には、種族の壁による意見の齟齬などは確認されない。

 

 思わず美鈴が呟いた、その言葉。この状況を言い表すのに、これほど適当な言葉は他にないだろう。

 

「……類は友を呼ぶ、ですか……」

 

 

 

 

「ふふん、ようやくこの良さを理解する者が現れたわ。パチェも咲夜も、首を傾げるだけなんだもの」

 

「なんと、レミリアさんのセンスの素晴らしさをわからないとは、勿体無いですね……」

 

「そうよねそうよね!!

 あと、皆私のスペカの名前がダサいって言ってくるのよ? 別にそんなことでいちいち怒ったりはしないけど、ほんとーに可哀想だと思うわ」

 

「へえ……それはどんなのですか?」

 

「あら、聞きたい? 聞きたい?

 ──ならば教えてしんぜよう!」

 

「ワーワーパチパチ」

 

「その名も──紅符『不夜城レッド』! そして、魔符『全世界ナイトメア』!!」

 

「……!! す、凄い……!!!」

 

「くくっ、そんなに衝撃を受けたかしら? 言っとくけど、あげないわよ」

 

「いえいえそんな頂くなんて……!

 ……でも、今度新しくスペルを作った時に、参考にさせて貰う、っていうのは……」

 

「ふふん、そうねぇ……。

 ──この私が許可しよう!!!」

 

「ほ、本当ですか!? ありがとうございます、感謝感激雨霰です!!」

 

 

 

 

「か、会話に入れない……。

 ってかお嬢様、カリスマが……」

 

 ……いくら当主とは言えども、レミリアは吸血鬼としてはまだまだ子供。それ故彼女は他の大妖怪にはない好奇心の旺盛さ、無邪気さを備えており、それもまたレミリアの部下が彼女に惹かれる要因の一つであった。尤も彼女自身は、自分の強大なカリスマに惚れたのだ、とばかり思い込んでいるようだが。

 とは言え、流石に今回は脱線し過ぎではないだろうか。そう思った美鈴は、二人に声をかけようとして……

 

「──で。今日、私がここに()()()()理由は何ですか? まさか、楽しくお喋りするためではないでしょうし」

 

 ──その場の雰囲気が、一瞬にして変わったのを肌で感じ取った。

 

 鋭く、目前のレミリアを見据える詩音。その瞳は、発してこそはいないが、一人の人間には有り余る程の光を貯えている。

 

「──ふう。()()()ではなく、()()()、ねぇ。まさかそこまでお見通しとは……。

 ……いいわ、教えましょう。今日は詩音、貴女にお願いしたいことがあるの」

 

 詩音の問い掛けに、レミリアは静かに、だが確実に応じる。その口調からは、先ほどのような無邪気さは影も見えず、代わりに吸血鬼としての彼女の気高さが垣間見える。

 しかしその紅い瞳には、彼女らしからぬ、慈しみのような祈念が覗いていて。

 

 ……どうやら、美鈴も主の狙いに気がついたようだ。

 

「お嬢様、もしかして──」

「ええ。詩音、貴女には──

 

 この愚鈍で駄目な姉に代わって、私の妹──フランを、救って欲しいの」

 

 

 *

 

 

 レミリアの話は、こうだった。

 

 彼女には、五つ下の妹がいる。その名をフランドール・スカーレット。宝石のような羽と純粋な心を持つ自慢の妹だ、とレミリアは話す。

 しかし、純粋さというのは時に危うさにも繋がる。それは、神に創られた最初の、純粋な人間が、いとも簡単に誓いを破り禁断の実を口にしてしまったように。

 

 フランドールの場合、純粋さは無垢なる狂気へと結び付いた。しかも、彼女の持つ『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』がそれに拍車をかけてしまった。

 想像してみて欲しい。自分の家族が、友人が、大切な者が、そして世界の全てが、その気はなくとも、少し手を靡かせれば跡形もなく消え去ってしまう、そんな世界を。

 そのような状態に陥れば、誰だって気の一つや二つはおかしくなる。フランドールの状態が悪化してしまったのはその為避けられないことであり、責められるべきではない。

 

 しかし間近の者がそう易々と受け入れられるか、と問われれば、それは否であろう。自分の隣に、いつ爆発するかもわからない爆弾がずっと存在する。そんな状況に喜んで身を投じる者などいない。

 

 かつて、フランドールの狂気が今までにない程に暴走したことがあった。

 

「……あの時のことは、今でも夢に見る。崩壊した館に焼き払われた森、おびただしい数の(むくろ)。そして、その頂点で笑い続けるフラン。

 ……あそこは正に、地獄だった」

 

 それ故。

 レミリアは、自分の妹に、かけがえのない筈の家族に、恐怖してしまった。

 

 そしてフランドールを、地下へと幽閉した。

 この紅魔館のため、皆の安全を保証するためと、己に言い訳を続けて。

 

「……でも、それは間違いだった。外へと出ることがなくなったフランは、ますます狂気を深めていったわ。それは、一度表出してしまえば私でも抑えられない程に」

 

 紅魔館を守り、フランドールの居場所を守る。そう言って彼女を抑圧した時間が、より狂気を深めていた。……なんとも皮肉なことだ。

 

「別に、私がフランの狂気に飲み込まれ、滅されてしまっても構わない。それほどのことを、私はフランにしてしまったのだから。

 ……でも」

 

 ……レミリアもまた、深すぎる罪を背負っているから。

 そして、誰よりも深くフランドールを愛しているから。

 

「──私が、フランを閉じ込めてしまった私が、その犠牲の上でのうのうと生きてきた私が、どうして、どうして平気な顔を向けることができるっていうの……?」

 

 ……その目には、いつの間にか痛ましい水が湛えられていた。

 

「だから詩音、お願い。貴女なら、フランの運命を変えられる。私の、運命を操る程度しかできない能力がそう告げている。このどうしようもない姉に代わって、フランを助けて欲しい。

 ──この、通りよ」

「ちょっ、お嬢様……!」

 

 席を立ち、頭を下げる小さな姿。

 それは人間や吸血鬼など関係なしに、ただ大切な妹を思う、姉の必死な姿だった。

 

 

 

「──頭を、上げてください」

 

 しばしの沈黙。そして、ぽつりと呟かれた、その言葉。

 レミリアは、恐る恐る顔を上げ、詩音の表情を覗く。

 そこには、

 

「そこまで必死にお願いされて、断ることなんて私には出来ないですよ」

 

 優しい笑みを浮かべる、少女の姿があった。

 

「ほっ……ほ、本当? お願いしといてなんだけど、今のフランはとても危険よ、命の保証はできないわ」

「ええ、それでも大丈夫です」

 

 人間が生死を懸け吸血鬼に臨むなど、はっきり言って前代未聞である。しかし、それを受け入れてこその、この翡翠の少女であった。

 レミリアも、まさかこんなに気軽に許諾を貰えるとは思っていなかったのだろう。目を丸くさせている。

 

 だが。

 

「それに──家族を救いたい、なんて言葉、私が拒否できるはずがないじゃないですか」

 

 ──その言葉は、誰にも届くことなく紅へと溶けていった。

 

 

 *

 

 

「……で、さしあたって大きな問題が一つあるのですが」

「何かしら? 私に出来ることなら何でも言って頂戴」

 

 夜は尚一層深まり、小さな窓からは月光が顔を覗かせる。

 しかしこの建物の外、幻想郷は、紅い妖霧に覆われており、本来の幻想的な月が少女たちの目に届くことはない。代わって変貌を遂げた、紅い幻想が艶やかに輝く。

 自らの名にも含まれるその、“紅い”月の光を浴びて、レミリア・“スカーレット”は自分の妖力が昂っているのをひしひしと感じていた。

 

 そんな彼女の正面に先ほどから座しているのは、翡翠の左眼を有する人間。

 ついさっきレミリアの悲願を託された詩音は、しかしながら若干の不安要素を抱えていた。

 

「えーとですね、実は──

「──お嬢様。申し訳ございません、最終線を突破されてしまいました」

 

 だが、突如として現れたその声は詩音の言葉を遮った。

 聞き覚えのないそれに、詩音は驚く。すると、美鈴とは主人を挟んで反対、レミリアの右側に、ぼろぼろになったメイド服を着た少女が、瞬間的に出現した。

 

「うおっ! どちらさんですか? それはもしかして、瞬間移動!?」

「……お嬢様、この方は……」

「客人よ、咲夜。今朝言った、私達のこれからの運命を握ってる」

 

 だが、自分が大事な場面を妨害したと悟ったのだろう。銀髪にカチューシャを付け、丈の短い従者服を着こなす瀟洒なメイド──十六夜咲夜は、慌てて二人へと頭を垂れる。

 

「これは、会話を中断してしまい申し訳ございません。お嬢様も」

「いえいえ、私ならお構いなく」

「そうよ、私も別に気にしてないわ。

 ……にしても、貴女がこんなに早く墜ちてしまうとは。やはり、今代の巫女の実力は確かなようね」

 

 ……そういえばすっかり意識の外へ飛ばされていたが、今は異変の真っ最中である。それなのに、異変解決人である博麗の巫女による襲来が未だ訪れていないのは不思議であったが、どうやら咲夜が足止めをしていたようだ。

 しかしレミリアの呟きを聞き、尚一層咲夜は申し訳なさそうな顔をしてしまった。

 

「そんなことはありません、まだまだ私の精進が足りないだけですわ。本当に申し訳──

「さっきから謝ってばっかりねぇ。それだと、客人に悪い印象を与えてしまうわ。もっと前向きに捉えなさい、そうでないと人生全てが面白くなくなってしまうわよ。

 咲夜、貴女は充分時間を稼いでくれた。褒めて使わすわ」

 

「──勿体無いお言葉、至極の喜びに存じます」

 

 ……こうして何気なく気遣いできる辺りに、レミリアの器の大きさが伺える。先ほどは子供っぽい姿を露呈していたが、やはり彼女は吸血鬼、幻想郷の均衡を担う一翼なのだ。

 事実、この咲夜という人間も、自分の主人にかなり惚れ込んでいるようである。

 

「……え、今朝言ったって……?

 も、もしかして咲夜さん、この話知ってたんですか? あれ、知らなかったの私だけ!?」

「美鈴は黙りなさい。

 ──それで詩音、問題って何かしら」

 

 この場の全員の視線が、一挙に詩音へと集結した。それもそうだ、彼女はつい先ほど健気な姉妹の繋がりを、この館の命運を、そして“紅霧異変”の帰結をその手に握ってしまったのだから。

 それはきっと、一人の人間には背負いきれない重荷。だがこの少女のことだ、遊戯をする際の()()くらいにしか考えていないかも知れない。

 

 そんな詩音はしかし、困惑したような表情をこの時ばかりは浮かべていた。

 

「実は、ですね……

 

 ……私、空飛べないんですよ」

 

「……は?」

「えっ」

「……ふぇ? いやいや詩音さん、さっき飛んでたじゃないですか!?」

 

 ──その場の空気が凍りついた。

 全員の顔に、驚愕の表情が貼り付く。

 

 耐えかね、詩音は補足をし始めた。

 

「いや、あの、何て言えばいいか……。

 ……正確に言うのなら、()()()()()()()使()()()()()()()飛べない、んですよね」

 

 ……成る程、そう言われてみれば。

 思い出せば詩音は、今まで飛んだ方が明らかに容易な所でも飛翔を使ってこなかった場面があった。湖を渡った時などがその最たる例であろう。

 

 しかしまあ、それはなんとも……

 

「……めんどくさいシステムね」

「これはまた、珍しい……」

「……と言うか、私は初めて聞きましたよ」

 

 ……そしてまた、致命的である。

 

 飛翔が出来ないというのは即ち、移動可能な領域が地上に限られる、ということである。いざ、という時に空中へと逃れられないのは、かなりの痛手ではないだろうか。

 加えて、これから詩音が対峙するのは、今までのどの妖怪よりも遥かに強大な吸血鬼だ。一撃一撃が、脆い人間には命取りである。

 故に、致命的。飛行能力がなければ任務の遂行はおろか、生還する確率もぐっと下がるのは目に見えている。

 

 ……そして恐らく、レミリアは詩音の運命を操ることでこの問題を解決することが出来る。そこまで加味した上での発言ならば、詩音もなかなかに頭が切れるのかも知れない。

 

「……成る程。それくらいなら、私がどうにかできるわ。お茶の子さいさいよ、任せなさい」

「わあ、ありがとうございます!!」

 

 そう言うとレミリアは、詩音の両の瞳を見つめ、彼女の運命への干渉を始めた。

 

 ──能力の行使に伴い、静寂が部屋における勢力を拡大していく。辺りに響くのは蝋燭の揺れる音と、懐中時計の針による奏でのみ。そこは呼吸をするのさえ憚られるような、そんな空間。

 しかし、紅い悪魔の掌の上では、着実に行程が前進の様相を見せていた。その証に、レミリアの紅い瞳は一瞬一瞬にしてその紅い光を強くしている。比例して、吸血鬼の妖艶な笑みも増す。

 

 そして、輝きが極大点を迎えようとした、その時。

 

 

 

 ──その須臾、その瞬間だけ、煌めき出した翡翠が紅色を飲み込んで。

 

 直後、辺りに静電気が走ったかのような、ばちっ、という痺れる音が響いた。

 その衝撃でレミリアは椅子に叩きつけられる。

 

「────ッ!!!」

「お嬢様っ!!」

「れ、レミリアさん!? 大丈夫ですか!?」

 

 皆が動揺に包まれた。咲夜も、美鈴も、そして張本人の詩音も、誰もがこのような事態を予測できていなかったに違いない。

 

 そんな中、レミリアだけは冷静だった。

 

「……っ、大丈夫よ。少々手違いが起こったけど、大したことはないわ」

「おっお嬢様、今のは一体何が──

「そんなことは、今は重要じゃない。

 ……兎に角詩音、貴女はもう飛ぶことが出来る筈よ。ちょっとやってみなさい」

 

 レミリアは何故か、焦ったような口調で美鈴を制す。そして確認のためであろう、詩音に実践を促した。

 言われて詩音は、意識を飛翔へと移行する。思えば先ほどまで、スペルカードを発動している時は無意識に飛翔していたのだ。()()などは疾うに理解しているだろう。

 

 程無くして、翡翠の少女は浮遊をし始めた。

 やはり空を自由に飛ぶというのは、人間の永久なる願いなのだろうか。赤い灯火と紅い光に照らされた、血のように美しい部屋の中を詩音は嬉々としながら飛び回っている。

 

 ……しかし、少女の翡翠を眺める紅い瞳は、どこか泣き出しそうな色合いであった。

 

「うわ、凄い! 本当に飛べてます!」

「それは良かったわね。

 ──でも詩音、一つだけ問題があるの」

 

 突如、レミリアが不穏な口調を兆した。伴って、紅い瞳もまた陰影とした雰囲気を醸し出す。

 ……その目は、何かに怯えているようにも見えた。

 

「実は、私が能力をもって付与したその力──あと一刻しか持たないの。

 ……まあでも、それだけあればフランと弾幕ごっこしてもお釣りが返ってくるでしょうから、大丈夫よね?」

 

 それは彼女の言うように、さほど深刻な問題ではない。詩音にとって随時の飛翔能力を得られないことは残念であろうが、弾幕ごっこに一刻以上要することはまずないからだ。

 

 ……だがそうなると、レミリアの話ぶりに何か不信感を抱かざるを得ないのだが。

 

「え、でもお嬢様──

「美鈴。貴女は詩音を引き続き、今度はフランの所へ案内して頂戴。咲夜はもう少しだけ巫女の時間稼ぎをお願いするわ。

 ……ここからが、我らの“紅霧異変”の正念場よ。二人とも、そして詩音。精々この私のために頑張りなさい!!」

 

 しかしそんな朧気な違和を拭い去るかの如く、レミリアは大声を発した。やはりその威厳は際立っており、その声が耳に入るだけで引き締まった気分にさせられる。

 

「オッケーです!!」

「仰せのままに」

「……御意」

 

 それに応える三者の言葉、その中に吐露される感情は三様であった。

 片や、溢れる興味、義務感。此方、絶対的服従、親愛。そして、絶大な信頼と、しかしながらの疑問。

 

 

 とは言っても、この四者の目的はただ一つ、異変の成功(フランドールの解放)。その目的の限り、彼女らが食い違うことは決してない。

 

 何故なら、

 

『妹を救いたい』

『親愛なる主の願いを叶えたい』

『あの悲劇を、二度と繰り返してはならない』

『家族を大切にする気持ちを、無下にしてはならない』

 

 ……理由はどうであれ、この目的は各々にとって絶対に譲れないものであるから。

 

 

 そしてレミリアを独り残し、詩音、美鈴、咲夜の三人は部屋を退出した。

 ──己の命を果たすために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………行った、かしら?」

 

 足音が聞こえなくなったのを確認し、レミリアはだらんと円卓に突っ伏した。何故だかひどく憔悴仕切った様子をしている。

 

「……何よ、あいつ」

 

 この時レミリアは、先ほどの一瞬、翡翠が紅を飲み込んだ一瞬を思い出していた。

 それは瞳の、奥の奥のそのまた深淵にある、運命の因果。その根源を覗いた時のことである。

 

 幼き月は、ぶるっと身震いした。

 

「何でよ……」

 

 ……レミリアは今まで、数こそ少ないものの、運命を覗くことが出来ない者との接触を経験している。

 彼女は別に、その事を気にしたことはない。そんな全知全能を自称する程思い上がってもいないし、能力の相性もある。例えば、運命操作などという形而上的な力では、『境界を操る程度の能力』には太刀打ちできないだろう。

 

 しかしながら、

 

「何で、見れるし触れられるのに、操れないのよ……!」

 

 そのような存在に会ったのは、全くもって初めてのことであった。

 

 自由に覗くことができ、一見容易く意のままになりそうな、普通の人間。それが詩音の運命に対する第一印象だった。しかし、絶対に介入を許さない。それほどの因果律を翡翠の少女は持っている。

 結局レミリアには、うわべだけを弄って誤魔化すことしか出来なかった。それでも、レミリアの実体に影響が及ぶ程の拒絶反応が起こったのである。

 

 レミリアにとって、詩音は明らかに“異端”であった。

 

「うぅ……」

 

 レミリアは再び身震いし、手で顔を覆う。その心中に氾濫するのは、異端者に対する恐怖。誰であっても異端者に自らの領域を犯されれば、恐れ(おのの)くだろう。

 

 ましてや、いくら尊大であるとはいえ彼女は吸血鬼の範疇ではまだ子供。だから──

 

「……こ、怖かったよぉ……ぐすっ」

 

 ──こういう反応をしてしまうのは、まあ致し方がないのかも知れない。

 

 赤よりも紅い、幻想の中で。

 ひっそりと晒されたのは、部下には決して見せられない『永遠に幼き月』の本音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Stage5 尊大なる吸血鬼のささやかな望み

 

 ──Completed.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

『うぅ……怖かったよぉ……』

 

「ああああお嬢様、今すぐ駆け寄って抱き締めてあげたいしかし、私達がいなくなるまでずっと我慢してらっしゃったのだから、その懸命な気持ちを汲み取って耐えるのよ咲夜……!

 ──ああでもでもでも、抱き締めて『もう大丈夫ですよ』と優しく声をかけてあげたい……!!」

 

「……美鈴さん、ドアの隙間を覗いたりして、メイドさんは一体何を」

 

「……一種のお決まりみたいなものですから、放置して構いませんよ。

 それにしても、これだからお嬢様は会話を早く終わらせようとしてたんですね……」

 

「そしてそして、きっとお嬢様は目を潤ませぎゅっと抱き返し、こう仰るのよ──『うー……咲夜、もう少しこのまま抱き締めていていい?』

 ……キャーもちろんですお嬢様あああ!!!」

 

「……毎回こうなんですか?」

 

「ええ、まあ。私も、お嬢様の必死に弱みを隠そうとする態度は、健気だなーとかは思いますけど。ここまでは……」

 

「──ふぅ。お待たせしてすみません」

 

「あれ咲夜さん、今日は早めですね──って、鼻……」

 

「……あのー、メイドさん。よかったらこのハンカチ」

 

「ん? ……ああ、ありがとうございます。ちょっと忠誠心が溢れてしまいまして。お客様の前でのこのような振る舞い、お詫び致します」

 

「ちゅ、忠誠心ですか」

 

「あと、私は十六夜咲夜です。メイドは役職名であって、呼称ではありませんよ」

 

「そうですかね? だってほら、相撲をする人はお相撲さんって呼びますし。それにツール・アシステッド・スピードランをする人は──」

 

「はいはい、もうその話は終わりです! 詩音さん、さっさと地下へ向かいましょう」

 

「それもそうですね。ではメイド──もとい咲夜さん、また」

 

「はい。ご健闘をお祈りしています。

 

 ……………………」

 

 

 

 

『……ぐすっ、ふえぇ……』

「!! …………ああお嬢様、何とも麗しい……」

 

 

 

 

「……って、いけないいけない。せめて1ボムでも減らさないと……!」

 

 




ここの咲夜さんも駄メイドでした。


……初めて聞いた時『全世界ナイトメア』のネーミングをカッケぇと思ったのですが、私が間違ってるんですかね。
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