イビルアイが仮面を外すとき   作:朔乱

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蒼の薔薇がエ・ランテルに来てから二、三ヶ月後辺りの話です。



デミウルゴスの憂鬱(前編)

 一見殺人鬼を思わせるような顔をした少女が、聖騎士の紋章が入った軽装鎧を身に纏い、聖王から下賜されたロングボウを背負って、大勢の民衆の前に用意された壇の上に軽やかに飛び乗る。それと同時に民衆からは、歓声と共に「魔導王陛下万歳!」「正義の為に!」などという叫び声が上がる。少女は慣れた様子で軽く手を振り、鋭い表情で民衆を()めつけるが、誰も恐れる事なく、それどころか逆に感動して打ち震えている。かつては誰からも恐れられた彼女の凶悪な目付きは、今では伝説的な意味合いを持つようになっていた。

 

 ――『救国の英雄魔導王の従者』にして『真なる神の伝道者』に与えられた祝福の証『魔眼』なのだと。

 

「皆さん、聞いてください! 我々は聖王カスポンド陛下、そして恩顧ある魔導王陛下に仇をなそうとする反乱軍にあと一歩のところまでやってきました。我々の力でなんとしてでも聖王国に平和をもたらすのです! 正義の為に日々努力し、魔導王陛下への感謝を忘れなかった皆さんならきっと出来るはずです!」

 

 民衆から更に一層の歓声と喜びの声が上がる。

 

「しかし、皆さんに忘れないで欲しいことがあります。魔導王陛下はこう仰られました。初めの戦いは負けても構わない。最終的に勝てればいいのだと。ですから、敵の力が明らかになるまでは勝つことよりも生き残ることを優先してください。相手の力を見極め、それから我々の真の力を見せつけてやるのです! そうすることで、祖国が、ひいては家族が、友人が……我々の愛するもの全てが被害を被ることがない新しい未来を作ることになるのです!! 我々を救い、正義とは何かを教えてくださった魔導王陛下により一層の感謝を捧げましょう! 魔導王陛下、万歳!」

 

「魔導王陛下、万歳!!!」

 

 少女の声に民衆の声が唱和し、拍手が沸き起こる。皆、熱狂的に拳を天に突き上げ、その叫びは大地を揺るがすかのようだった。

 

 

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 ローブル聖王国首都ホバンスにある聖王の自室で、聖王カスポンド・べサーレスは自らの上司である人物に対して跪いていた。その人物は部屋にある窓から外を眺めながら、カスポンドからの報告を聞いていた。

 

(どのみち、この方は全てこの報告の内容など計画の範疇内のことで、特段興味深くも関心があるわけでもないのでしょうが)

 

 カスポンドは心の中でそう呟く。しかし、カスポンドとしても別にそれに否やがあるわけではない。自分は所詮御方々の被造物である方と比べれば、下僕としての格は遥かに低い。それにデミウルゴスが自分を信頼しているわけでも、重用しているわけでもないことはわかっている。

 

「ふむ。随分と順調に計画は進んでいるようですね」

「やはり、アインズ様がお作りになられた駒の存在にかなり助けられています。こちらが自主的に動かなくても、彼女が自然とこちらの望む通りに動き、民もそれに追従する。聖王家としては彼女を後押しするようにさえしていれば、大抵のことはそれで片がつきますから」

 

 ネイア・バラハはカスポンドの即位式の後、正式に聖騎士団の一員となった。そして、ヤルダバオトとの一連の戦いを通して得られた教訓として、剣のみであった聖騎士団に弓兵部隊も設けるべき、という進言を行った。それを新聖王カスポンド及び、新聖騎士団長グスターボ・モンタニュスが承認し、聖王国北部では公然たる事実である『救国の英雄』魔導王の従者だったネイア・バラハを初代部隊長に抜擢した。

 

 現在は、聖王国の正義の象徴たる戦乙女として、自らの弓兵団及び魔導王の信奉者達を掌握し、北部と南部に分裂し内乱となった聖王国を再び統一する戦いに身を投じている。

 

 今やネイア・バラハは聖王や南部の貴族たちでも無視することの出来ないカリスマを持つ人物として認識されており、聖王国内に一大派閥を築いている。ネイア・バラハを始めとする信奉者、すなわち魔導王を神と崇める者達の数は、およそ百万とも二百万とも言われ、今や北部では感化されていない者の方が少ないくらいだ。聖王国南部でもネイア・バラハの説く正義の教えに共感し、反乱軍から投降するものも増えている。

 

 そして、聖王カスポンドはネイア・バラハを支援することを公言しており、その勢力を積極的に支援していた。

 

「恐らく既に聖王家よりも、ネイア・バラハを、いえ、魔導王陛下を支持している者の方が多いと思われます。中にはアインズ様を神の如き王、即ち神王と呼ぶ者まで出てきているようです」

 

「ほう、神王ですか。人間共が考えたにしては、なかなか良い呼称ですね。やはりアインズ様には王などよりも、神という御位がお似合いになる……」

 

 上機嫌なデミウルゴスの様子を、カスポンドは黙って見ていた。

 

「ふふ、流石はアインズ様。恐らくこのようになることも、全てアインズ様は見越しておられたに違いありません。我々はあのような優れた主にお仕え出来ることに感謝しなければいけません。――そして、いかに我々の上に永遠に君臨して頂くか……。いえ、これは余計でした。今聞いたことは忘れるように」

「はっ」

 

 カスポンドは静かに頭を下げる。デミウルゴスは窓の外を見つめながらしばらく物思いに耽っている様子だったが、やがて口を開いた。

 

「それでは、私はナザリックに帰還しますが、何か必要なものはありますか?」

 

「恐れながら、そろそろ私の死体をご用意いただければ、と愚考致します。この件に関してはデミウルゴス様のご指示を待つべきかと思いましたが、ネイア・バラハの動きが想定よりも早いため、そろそろ手元にあったほうが安心かと」

 

「なるほど。第二段階の終盤にいつ入るのか、あなたでも予測が難しいということですね?」

「はい。それと、第三段階の方針等のご指示も頂きたく存じます」

 

「あなたの要望はわかりました。遺体はこちらに運搬するように手配しておきます。それと第三段階については追って指示書を作成します。それに従って行動するように」

「畏まりました」

 

 カスポンドは深々と頭を下げる。

 

「あなたも随分よく働いてくれましたね。これからも期待していますよ」

 

 少しだけ振り向いて聞こえの良い言葉で下僕を労うと、デミウルゴスは〈上位転移〉を使いその場から姿を消した。

 

 

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 アインズから任された聖王国の件が順調であることに機嫌を良くしながら、デミウルゴスはナザリック地下大墳墓に帰還した。恐らくこの報告をすればアインズからお褒めの言葉を賜ることは確実だろう。それに、アインズと共に今後の計画について話し合い、その深謀なる智慧を垣間見られるのは、何にも代えがたい喜びである。

 

 ナザリック第九階層は何時でも至高の御方々の神に等しい御力を感じられ、その地にいるだけでもデミウルゴスの気分を高揚させてくれる。だが、今日はいつもに増して軽い足取りでアインズの執務室に向かって歩いていた。

 

 突然、目的地の方から物凄い音と悲鳴が響くのが聞こえる。静寂を旨とするこの階層では本来あってはならない事態に、廊下の端でデミウルゴスに頭を下げていたメイド達も驚いてざわめく。

 

「な……、まさかアインズ様に何か!?」

 

 デミウルゴスは蒼白になってアインズの部屋まで駆けつけた。常時扉の外に控えている護衛兵達は、部屋の内部から何の指示もないことに動転している。デミウルゴスは護衛を一旦脇に追いやり、ノックをしたが中から返事はなく、非常事態と判断して扉を開けた。

 

「デミウルゴスです。失礼致します! アインズ様、何かございましたか!?」

 

 中に入ると、奥のアインズの寝室に向かう扉が僅かに開いており、その入口でシクススが完全に固まって震えているのが見える。この様子からして、先程の悲鳴は恐らく彼女のものに違いない。デミウルゴスは奥に足を向けながらシクススに声をかけた。

 

「シクスス、どういうことです? アインズ様は!?」

 

「デ、デミウルゴス様、その……、アルベド様が……」

 デミウルゴスの登場でほっとしたのか、シクススが半分泣きながらデミウルゴスの後ろに隠れるように動いた。

 

「アルベドがどうしたのです?」

「その、先程突然いらしたかと思いましたら、アインズ様の寝室に入るなりいきなり暴れ始められて……。一応お止めしようとはしたのですが、お話を全く聞いてくださらないし、私ではどうしようもなくて困っていたところだったんです。アインズ様もセバス様もまだエ・ランテルからお戻りになってませんし……」

 

 そういう話をしている間にも、確かにアインズの寝室から「どおりゃああ!」という叫びとともに妙な地響きが聞こえてくる。デミウルゴスは眉をひそめた。

 

「アルベドが? ……わかりました。シクスス、危険ですから貴女は下がっていて構いませんよ」

「ありがとうございます、デミウルゴス様!」

 

 シクススは深くデミウルゴスに頭を下げると、そのまま部屋からそそくさと退出していった。

 

(やれやれ、アルベドは今度は何が原因で暴走しているのでしょうか……)

 

 これまでの守護者統括の奇行の数々を頭に思い浮かべながら、寝室の扉の隙間からそっと中を覗き込むと、完全に本性を露わにしたアルベドがのっしのっしとアインズのベッドの周囲を歩き回り、あちこちを嗅ぎ回りながら地団駄を踏んでいるところだった。デミウルゴスは深い溜め息をつくと、開いたままになっている扉を強めにノックし、アルベドを睨みつけた。

 

「アルベド、何をしているんです? ここはアインズ様の寝室ですよ」

 

「……デーミウルゴスー?」

 

 のそりと、まさに大口ゴリラとしか形容できない毛むくじゃらの巨体がこちらを振り向く。

 

「せめて本性くらいは隠したらどうですか? その姿では百年の恋も冷めそうですよ。いくら慈悲深いアインズ様でもね」

「なーんですってー!?」

 

 アルベドは「きしゃあぁあ!」という叫びを上げてデミウルゴスを威嚇したが、動じることもなく辛辣な視線を投げつけるデミウルゴスの態度と、アインズの名前で多少冷静さを取り戻したのか、ようやく普段の女神もかくやというサキュバスの姿に戻った。

 

「はぁ……、私としたことがちょっと興奮しすぎてしまったわね。貴方が来てくれなかったら、暴走してアインズ様のお部屋をめちゃくちゃにしてしまっていたかもしれないわ。もし、そんなことをしてしまったら、アインズ様に申し開きをすることも出来なかったでしょう。酷いところを見せてしまって、悪かったわ」

 流石のアルベドも多少バツが悪そうな顔をして、デミウルゴスに謝罪する。

 

「何かあったんですか? いくら貴女がアインズ様のお部屋を使う許可を得ているとはいっても、先程の行為は、私としては看過し難いのですが」

 

 デミウルゴスは腕を組み、若干威圧的にアルベドを問いただした。

 

 アルベドがアインズの寝室で普段やらかしていることは、アンデッドであるアインズにどういう効果をもたらすのか、デミウルゴスとしても多少興味があったので、一応大目に見ていた。しかし、主の部屋を破壊しかねない行為となれば話は別だ。例え、今一番アインズの正妃に近い立場であるアルベドといえど、あまりに不敬が過ぎるだろう。なんといっても、まだアインズに正妃と認められた訳ではない。それに……。

 

(アインズ様はもしかしたら、アルベドを選ばないかもしれませんし)

 

 デミウルゴスは、仮面で顔を隠したアンデッドの少女を思い浮かべる。

 

(イビルアイは現地人で、ナザリックの高位の下僕に比べればレベルもそれほど高くはないですが、アインズ様と同じアンデッドですし、この世界の詳しい知識もある。彼女の持つ知識にはナザリックにとって重要な情報も多い。それに、なによりアインズ様が気に入っておられるご様子。私としては、なかなか悪くない相手だと思いますけどね)

 

「デミウルゴス、貴方は、この部屋で何か気がつくことはないの?」

 自分の考えに耽っているデミウルゴスに、憤懣やるかたない表情でアルベドは言った。

 

「気がつくこと……ですか。貴女が暴れていたのが一番印象深かったですね。それ以外は特にいつもと同じように見えますが?」

 

「香りよ! この部屋に漂う香りがアインズ様の香りじゃないのよ!」

 

 完全な骸骨(オーバーロード)であるアインズ様に匂いなどないだろう、とデミウルゴスは思ったが敢えて口には出さなかった。

 

「どういうことです? 私にはよくわかりませんが……」

「全く、これだから男はダメね。恋する乙女にはわかるのよ! この部屋には、アインズ様の香りじゃない、別の……そう、女の匂いがするの。つまり、私の超超超超愛してるアインズ様の寝室に入り込んだ泥棒猫がいるってことよ!」

 

 そういうと、アルベドは再び部屋の中を嗅ぎ回りはじめた。どうやら匂いの原因を突き止めようとしているらしい。

 

「言われてみれば、多少甘い香りがしますね」

「やっとわかった? 私なんて部屋に入った瞬間に気がついたわよ。でも、一体どこの誰がアインズ様の神聖な寝所に立ち入ったというのかしら? それも私に気が付かれずに……!!」

 

 再び興奮しはじめたアルベドを見ながら考え込んだデミウルゴスは、ふと一つの可能性に思い当たった。

 

「そういえば、先日の王国との晩餐会の時にアインズ様はイビルアイと朝までお話されたと仰っておられましたね。この香り、あの時のアインズ様のお部屋からもしていたような気がします」

 

「ああああ、やっと思い出したわ! どうも覚えがある匂いだと思ったら……!」

 ギリィと大きな歯ぎしりが響く。

 

「でも、一体どうやって? イビルアイはあの後ナザリックには来ていないはず。……たまにエ・ランテルの執務室には来ることがあるけれど」

「そういうことなら、恐らく、その時にアインズ様のお召し物に香りが移っただけでしょう。アインズ様がナザリックにイビルアイを連れてきているという話は私も聞いていませんから」

「確かにそういうことなら、あってもおかしくはないけれど……」

 

 香りについては一応それで納得したようではあったが、それでもアルベドの怒りは収まったわけではなかった。

 

「あの時、アインズ様はあまりにも貴重な情報だったのでつい時間を忘れて話し込んでしまったと仰っておられたわよね。確かにプレイヤーの情報はこれまでアインズ様を随分悩ませてらしたから、その断片でも得られたのはナザリックにとっても益が多いと私も思うわ。でもだからといって、一晩中アインズ様のお部屋に居座るなんて流石に許せないわよ! そうは思わない!?」

 

「アインズ様も朝まで共に過ごされた、というのは少々軽率な行動だったと反省しておられましたし、それでいいではありませんか。別にイビルアイが御寵愛を賜ったわけでもないわけですし。それにアインズ様は我々にも及びもつかない深遠なるお考えの下で行動される御方。あの件も、恐らく遠い未来を見据えた上での布石を打っていらしたのかもしれません」

 

「確かにそういう可能性は否定出来ないわ。私だってアインズ様のお考えの全てを把握出来ているわけじゃないもの。でも、それは貴方だってそうでしょう? デミウルゴス。それに、それとこれとはやっぱり同じには出来ないわよ! 私はアインズ様に愛することを命じられているというのに……、まだ、たったの一度も! 夜にお側に呼ばれたことなんてないのよ!?」

 

 これは、前回よりも宥めるのに苦労しそうだ。デミウルゴスはアルベドには聞こえないように独りごちた。

 

 王国との晩餐会の翌朝、イビルアイが朝帰りしたことを知ったアルベドがアインズに詰め寄り、自分とパンドラズ・アクターで必死になって抑え込もうとしたが、力のあまり強くない二人では上手く行かず、結局他の階層守護者も巻き込んだ大騒動になった。本来なら王国の一行を見送るのはアルベドの予定だったが、急遽セバスに変わってもらい、アインズと階層守護者全員は緊急会議――という名のアインズ審問会――になったことを思い出して、デミウルゴスはため息をつく。

 

「アルベド、貴女も守護者統括なのですから、イビルアイの価値についてはわかっているでしょう? アインズ様のお考えの通り、彼女はなんとしてでもナザリックに取り込むべき人材です」

「そんなことはわかってるわよ! でも、後から来た小娘にアインズ様の隣の席を取られるなんて、許せるわけないでしょ!?」

 

「それは貴女の行動次第なのではありませんか? 何より、守護者統括である貴女は、一番アインズ様の御側に侍る時間が長いはずです。だとしたら、たまに来る程度のイビルアイにそんなに目くじら立てる必要などないでしょう。それに――」

「それに?」

 アルベドは不審そうに首を傾げた。

 

「元々アインズ様ほどの御方の妃が一人ではおかしいと話していたのは貴女とシャルティアだったはず。であれば、別にその末席くらい他の者に許してやってもいいではありませんか」

「それは……、正妃が私ということであれば、別にイビルアイが多少お情けをかけられるくらいは気にはしないけど……」

 

「貴女がすべきことは、アインズ様の御心をつかみ、閨に呼んで頂けるように努力することでしょう。少なくともアインズ様にとって最も近い地位にいる貴女が一番チャンスがあるのは間違いないのですよ? 良妻たるもの、多少のことで動じてはいけないと私は思いますけどね」

 

「――確かに、デミウルゴスの言う通りだわね。少し私も頭に血が上りすぎたようだわ」

 

 ようやく気持ちが落ち着いたのか、アルベドはいつもの淑女然とした微笑みを見せた。

 

「ご理解頂けたのなら結構ですよ。しかし、私も今は貴女が正妃になる方がいいと思っていますが、貴女があまりにもアインズ様にご迷惑をおかけするようなことばかりするのなら、私にも考えがありますよ。それは忘れないで頂きたいですね」

 

 デミウルゴスの厳しい視線を、アルベドは穏やかな笑顔で受け止めた。

 

「わかっているわよ。私だって、出来るなら貴方には味方でいて欲しいと思っているし」

「それならいいんですがね」

 

 デミウルゴスは軽く肩をすくめた。

 

「ところで、アルベド。私はアインズ様にお会いしたくてここに来たのですが、今はエ・ランテルにおられるということで間違いないですか?」

「ええ、そうよ。午前の執務の後、アインズ様はまだしばらく執務室におられると仰られたので、私だけナザリックに戻ってきたの。少しだけ気分転換をしたかったから……」

 

 アルベドの目が獲物を狙う爬虫類のようなものに変わり、せっかくの美女が台無しになったところで、アルベドが何をするためにこの場所に来たのか悟ったデミウルゴスは、急ぎの用があるからとアルベドの前を辞した。

 

 

----

 

 

 ナザリック第九階層から地上へと向かう通路を歩きながら、デミウルゴスは溜め息をついた。

 

(全く困ったものですね。アルベドは優秀だし、我々至高のお方々の御手で創造された者の中では最高位と定められている。理想を言えば確かに彼女がアインズ様の正妃となり、御世継ぎを授かるのが一番良いのでしょう。しかし――)

 

 これまで守護者統括が至高なる主に対して行った不埒な行為は、デミウルゴスが把握しているだけでもかなりの数になる。ましてや、デミウルゴスは様々な用件でナザリックを離れていることも多く、自分が知らないものもあるかもしれない。アインズのこととなると普段の聡明さが失われ、後先考えなくなるアルベドに多少苛つくのを感じる。

 

 今ナザリックで正妃候補として名乗りを上げているアルベドとシャルティアは、守護者統括と階層守護者。地位としてはどちらも申し分のない相手だ。しかし、アルベドは畏れ多くもアインズに襲いかかって謹慎処分を複数回受けているし、シャルティアはいくら洗脳されていたとはいえ、アインズに反逆し剣を向けている。そういう意味では、二人とも正妃に相応しいとはいい難い。

 

 ただ、他に女性の守護者となるとアウラしかいない。アウラはまだ幼いものの、理性的に物事に対処できる能力もあるし、アインズも我が子のように可愛がっている。もしアウラにその気があるなら、選択肢としてはあの二人よりも好ましいかもしれない。もっともアウラはまだ七十代で、御世継ぎを儲けるという点ではまだ少し早すぎるのが難点だが。

 

 デミウルゴスは、正直言えばアインズの正妃が誰であるかについてはこだわりはなかった。大切なのは、アインズが愛着を持つ相手と結ばれることで、他の御方々のように『りある』という地に去られることなく、この世界で自分達の上に長く君臨してもらうことであり、万一の保険としてアインズの世継ぎを得ること、それだけだった。

 

 だから、アインズの相手がナザリックの者であるのは理想だとは思うけれども、御世継ぎさえ得られるのであれば、相手が現地人だろうが、そう、例え劣等種である人間だろうが構わないと思っていた。その相手をアインズが望むのであれば。

 

(私もこれまで牧場で様々な交配実験を行ってきましたが、結果はどれも芳しくはありませんでした。しかも牧場で実験したのは、比較的種が近い人間と亜人だったにも関わらず、まだ確実な異種交配法すら確立出来ていない。だとすると、我々のような異形種では異種交配自体出来ない可能性すらありえますね)

 

 しかも、アインズはアンデッドだ。アンデッドとは本来生命の理から外れた存在である。となると、他の異形種よりも生殖自体が困難なのは容易に予想できる。いや、それよりもデミウルゴスにとって重大な問題があった。

 

 ――そもそも、アインズ様は生殖能力をお持ちなのでしょうか?

 

 あまりにも不敬な考えだが、目を逸らすわけにはいかない。

 

 転移直後、羊皮紙の件について話に行ったついでに、デミウルゴスは最古図書館の司書長であるティトゥスに密かに相談したことがある。その時ティトゥスには、はっきりと断言された。

 

『アンデッドには生殖能力はない。特にスケルトン種はそもそも生殖器官すらない。支配者アインズ様なら、自分達とは違う特別な御力がある可能性は否定できない。しかしスケルトンメイジである私も、図書館にいるオーバーロード達もエルダーリッチ達も、子を為すことは不可能である』

 

 以前、デミウルゴスがアインズに風呂を共にしたいと提案したことがある。アインズには、懇親を深めるのに風呂が良いと聞いたからだと説明したが、本音はアインズの身体を間近に見て生殖器があるかどうか確認したかったのだ。そして、デミウルゴスが見る限り、残念ながらアインズにはそのようなものは存在しなかった。となると、そもそもアインズに世継ぎを望むのは無理なのかもしれない。そう思うだけで、デミウルゴスは背筋が凍るような思いに駆られる。

 

 聖王国での作戦で、アインズにヤルダバオトに敗れて死ぬことを提案された時の恐怖は、今でもデミウルゴスの心の中で深い傷になって残っていた。アルベドの前では強がって見せたが、正直に言えば、アインズが死ぬ、ということをデミウルゴスは受け入れることが出来なかったのだ。

 

(確かにあれは、作戦としては非常に効果的ではありました。結果として、アインズ様が亡くなられたという情報が流れた場合の他国の反応を知ることも出来ましたし、我々としても、万が一に備えて考えなければいけない点がたくさんあることを認識させられました。まさに智謀の王であるアインズ様でしか考えつくことの出来ない、優れた知見であったと申せましょう。私自身、普段どれだけアインズ様に支えられていたのか改めて思い知らされましたし)

 

 しかし、あの一件の後、デミウルゴスにとってアインズの世継ぎを得ることは至上命題となった。そのためなら手段を選ばない覚悟もある。

 

(そういえば、セバスとツアレには今だに子どもが出来る気配がありませんね。人間形態の竜人のセバスであれば、人間のツアレとも子を成しやすいかと思っていましたが、そう簡単な問題ではないかもしれません。やはり、セバスだけに任せておかず、私自身でも実験した方がいいかもしれません)

 

 ヤルダバオトとして亜人を率いた際に、自分の子種を褒美として欲しがった亜人達がかなりいたことを思い起こし、デミウルゴスはほくそ笑む。ヤルダバオトの仮面はもう使えないが、強者の子種を欲しがる者達であれば、別に自分でも問題なく受け入れることだろう。実験対象には事欠かないはずだ。

 

 しかし、肝心のアインズにそのような能力がないのであれば、いくら実験をしたとしても全く意味はない。ナザリックの戦力強化の一環にはなるかもしれないが。

 

(アインズ様に直接お伺いすれば、慈悲深いあの御方のこと、恐らくお答え頂けるのでしょうが。さすがにそれは、いくらなんでも不敬過ぎるでしょう)

 

 そこまで考えて苦笑したデミウルゴスは、アインズ本人に擬態することが出来るパンドラズ・アクターなら、何かわかるかもしれないというアイディアが閃く。どのみち、これからエ・ランテルに行くのだし、恐らくパンドラズ・アクターもエ・ランテルにいるはずだ。パンドラズ・アクターは多少うざったいところはあるが、アイテムに関する造詣の深さも、創造主から与えられた能力も比類ないものだ。少なくともこの件では彼の協力がなければ、デミウルゴスの望みを達成するのは不可能に思える。

 

(アインズ様にお会いする前に、パンドラズ・アクターのいるエ・ランテルの館に行ってみますか。いなければ、次の機会でも構わないことだし)

 

 ナザリックの地上部にたどり着いたデミウルゴスは、念のため、影の悪魔を一匹パンドラズ・アクターへの伝令として放ち、蛙頭の形態に変化すると、エ・ランテルへと転移した。

 

 

 




佐藤東沙様、アンチメシア様、ant_axax 様、瀕死寸前のカブトムシ様、誤字報告ありがとうございました。

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