イビルアイが仮面を外すとき   作:朔乱

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5: アインズとイビルアイ、デートをする

 翌日のエ・ランテルはまさにデート日和といってもいい素晴らしい天気だった。

 

 イビルアイは、結局昨夜はどうしても気分を落ち着けることができず、ベッドで一晩中ひたすら悩んでいたのだが、夜明けとともにベッドから出ると、これまでのエ・ランテル滞在中に入手したまさに対モモン様用決戦装備とでもいうべき服を何着か鞄から取り出す。

 

「こっちかな……、でも、やっぱりモモン様の隣に並ぶんだからやっぱりこっちの赤いやつの方が……」

 

 散々悩んだ後、結局いつも着ている赤いローブによく似た、赤いフリル付きのワンピースに着替える。そして、鏡とにらめっこしながら、髪を櫛で何度も何度もとかし、自慢の金色の髪がふんわりと顔を包むように整える。それから、おまじないのつもりで持ってきた怪しい形状の瓶をとりだして、魅了効果があるという話の香水を少しだけつけてみる。

 

(本当にそんな効果があるのかどうかはわからないが、こういうのは、気分の問題だからな……)

 その香水はほんのり甘く香り、イビルアイは少しくすぐったい気持ちになる。

 

 散らかった服と瓶を鞄にしまい、ワンピースの皺を軽く整える。

 

「……モモン様、綺麗っていってくれるかな……」

 

 鏡の中では、赤く輝く瞳も美しい一人の吸血姫が、その髪と瞳によく映える洒落た服を着て微笑んでいる。

 

(これなら絶対大丈夫。勇気出せ、キーノ・ファスリス・インベルン!!)

 パンパンと音をたてて頬を叩き、自分自身を鼓舞する。

 

「……なんか、これから本当に負けられない戦いに行くみたいだな」

 これから会うのは敵ではなく、自分が恋する相手だというのに。イビルアイは思わず苦笑する。

 

 それから鏡の前に置いてあったいつもの仮面を手に取る。

 なぜか、普段は自然と身につけるそれが、今日はひどく忌々しいもののように感じる。

 

 イビルアイはしばらくそれを睨みつけた後、結局ため息をついていつものように仮面を被る。

 

 部屋の窓から外を見ると、既に街の往来を人々が闊歩している様子が見える。

 

 まだ約束の時間まではかなりあるが、少し街の中をぶらぶらして心を落ち着けたほうがいいかもしれないと思い、イビルアイはエ・ランテルの街中へ向かうことにした。

 

 

----

 

 

 エ・ランテルの街は、イビルアイが初めてエ・ランテルにやってきた時と同様に賑わっている。

 

 相変わらず、本来はとてつもなく強力なアンデッドであるソウル・イーターが引く馬車がのんびり走り、どこかに向かうらしいエルダーリッチがすぐ側を通り過ぎても、街を行き交う人々は、全く動じる様子もなく談笑しながら歩いていく。

 

 空を見上げれば、ドラゴンが背中に何かを載せ、大きく羽を広げて遠くの方に飛んでいくのが見えるし、道端では、見たこともない巨人が大きな石を運んで歩いている。その脇ではドワーフと人間がスケルトンに指示を出しながら一緒に少し崩れた道路の補修をしている。

 

 街の中をゆっくりと歩きながら、イビルアイは考える。

 

 以前は、モモン様を無理やり配下にしたと聞いて、強大なアンデッドである魔導王に対しては憎しみに近い感情しか抱いていなかった。本当は自分だってアンデッドなのだけれど、自分は元々人間だったという思いが強いせいか、アンデッドに対してよりも人間に対してより強く親しみを感じてしまっている。

 

 そもそも、自分の長い人生を思い返してみると、この世に生を受けて以来、好意を持つような対象になるアンデッドと出会ったことなんて一度もなかった気がする。

 

(死霊使いならいたけどな)

 

 以前共に旅をした、仲のいい気さくな老女を懐かしく思い起こす。そういえば、昨夜は彼女やツアー、そして、もう死んでしまったリーダーの思い出に大分励まされてしまった……。リグリットにはもう随分長いこと会っていないが、今も元気でやっているのだろうか。今回の件が片付いたら、久しぶりに会いに行ってみるのもいいかもしれない。彼女なら自分にも役に立つアドバイスをくれるはずだ。もっとも、その前にインベルンの嬢ちゃんが恋煩いだなんてねぇ、と思いっきり笑われそうな気もするが。

 

 イビルアイは静かに微笑むと、そっと自分の冷たい手を動かない心臓に当てる。もう二百年も何の変化もないこの身体。自分がこういうモノであることは、諦めとともに受けいれたつもりだった。

 

 だが、イビルアイのこのアンデッドの身体は、イビルアイ自身の罪の象徴でもあるのだ。

 

『国堕し』

 

 イビルアイにつけられたその異名を、これまでどれだけ呪ってきたことだろう。

 

 その気持ちが、アンデッドである自分自身を愛せない、認められない自分を作り出していたのかもしれない。自分自身を愛せないなら、その他のアンデッドに好意を抱けないのも当然のこと。

 

 だけど――

 

 この国はなぜこんなに平穏なのだろう?

 なぜ、アンデッドを恐れずに人間や亜人が笑って暮らしているのだろう?

 

 そして、今まで考えたこともみなかったことに思い至る。

 

 自分は、モモンは無理やり魔導王に従わされていると思い、それを疑うこと無く信じていた。何万人もの人間を無慈悲に殺したアンデッドなのだ。当然、魔導王には慈悲や温情などあるわけもなく、生ある全てのものの敵であることは間違いないと。

 

 だが自分だって故郷の国を滅ぼした存在。あの時、自分のタレントが暴走したことで一体どれだけの数の人間を殺し、アンデッドにしてしまったのか。まだ幼かった自分にはよくわからなかったし、その後もその事実からなるべく目を逸して生きてきた。

 

 だけど、自分は紛うこと無く『大量殺戮者』だ。王都で見かけた蟲のメイドを人間に敵対しているからと殺そうとした。しかし、自分だって、普通の人間からすればどっちもどっちの化物なのだ。少なくとも、人類の庇護者などといえる立場じゃない。

 

 十三英雄や蒼の薔薇と行動を共にし、人間を助ける行動をしているのは、そうすることが自分にとっての罪滅ぼしになる、と泣いてばかりいた自分に長い付き合いの友が諭してくれたからだった。

 

 モモンは強い。それだけではなく、彼はとても優しく礼儀正しい。そして弱いものを率先して守ってくれる。まさに真の英雄というべき存在だ。

 

 ヤルダバオトに襲われたあの日、王城でも王都でもモモンの姿を見かけた全ての人々は、彼に期待と憧れに満ちた熱い眼差しを向けていた。そう、自分だけではない。あの時、彼に出会った人の多くは男女を問わず、ほんの一瞬でモモンに恋に近い思いを彼に抱いてしまっていたのだ。

 

 そんなモモンが邪悪な魔導王の配下に入ることなんてありえない。モモンが魔導王の治世に協力していることに嫌悪感を抱き、彼が無理やりそうさせられているだけだと思ったのは、そうであってほしいと願う自分自身のただの愚かな願望だったのかもしれない。

 

 しかし、あの英雄モモンなら、魔導王が人々にこのような安寧をもたらす存在だとその鋭い力で見抜き、自ら従った可能性だって、本当はあったのだ。

 

 もしかしたら、強大なアンデッドだというだけで魔導王のことをよく知ろうともせず、彼の王の本質からひたすら目を背けていたアンデッドである私自身こそが、実はアンデッドを一番憎んでいたのかもしれない……。

 

(なんという自己矛盾! 二百年も生きてきて、今更こんなことに気付かされるなんて!)

 

 イビルアイは乾いた笑いをあげた。

 

 改めてエ・ランテルの街を見る。そこに繰り広げられている光景は先程までと変わらない。

 

 しかし、今のイビルアイの目には、人々の笑顔に、街の喧騒に、より暖かなものが通っているのが感じられる。

 

「そうだ。ここでは誰も相手がアンデッドだからといって石を投げたりしない。私だって……この国でならこの仮面を外して生きていけるんだ……」

 

 イビルアイの仮面の下の表情は、先程までとは少し違う、どこか満たされたものに変わっていた。

 

----

 

(はぁ……。やっぱり、会いたくないな……)

 

 漆黒のモモン姿のアインズは、自分としてはまったくもって見たくもない、自身の姿を象った巨大な像の下に立って、イビルアイが来るのを待っていた。これから自分がやらなくてはいけないことを考えると非常に気が重い。

 

 昨夜、アインズはパンドラズ・アクターから分厚いマニュアルを渡され、夜を徹して付きっきりでイビルアイ対策作戦を伝授された。それは、女性に対する基本的な振る舞い方やマナー、エ・ランテルでカップルに人気がある場所、女性に愛される行動や言動など、非常に実践的かつ詳細な内容であり、これまでの人生を完璧な魔法使いとして過ごしてきたアインズにとっては、そのほとんどが全く未知の領域であったため、それなりに有意義なものであった。デミウルゴスもこんな感じに詳しく説明してくれればいいのに、とも少し思ったくらいだ。

 

 しかし――

 

(自分の特大フィギュアの下で待ち合わせをするだなんて、一体なんの羞恥プレイなんだ!? パンドラズ・アクターめ、後で覚えてろ……)

 

『麗しい父上の像の下が、エ・ランテルでは特に有名な「でーと・すぽっと」なるものになっているそうですよ。なんでも父上の加護で恋が叶うとか』

 

 そんな風に自慢げに報告してきたパンドラズ・アクターを、アインズは真剣に殴りたかった。奴に悪気があるわけではないはずだから一応自重はしたが……。

 

 この場所に立っているせいか、いつもなら英雄モモンに対する羨望の眼差しを向けてくる市民たちが、今日は若干生暖かい視線をこちらに向けているような気がする。

 

(これからデートです、って自分で言ってるようなものだもんな)

 アインズは出ないため息をこぼす。

 

 しかも、一応不可視化した下僕だけとはいえ、アインズがざっと見ただけでも少なくとも五体のハンゾウの他、多数の八肢刀の暗殺蟲がそこかしこに潜んでいるのがわかる。姿は見えないが、シャドウ・デーモン達もかなりの数が配置されているのは間違いない。一体、何が悲しくて大勢のシモベの監視下で女性と会わねばならないのだろう。しかも女性といっても、所詮相手はイビルアイで何が起こるわけでも楽しみなことがあるわけでもない。

 

『父上、イビルアイがやってきたようです。ご健闘をお祈りいたします!!』

 

 突然、妙にテンションが高いパンドラズ・アクターから〈伝言〉が入る。お前まで監視してるのかよ……。

 

 アインズはげんなりしつつも、既に散々削られた気力をやっとの思いで奮い立たせ、広場にやってくるイビルアイに目を向け軽く手を振る。

 

 モモンを見つけたのか、こちらに向かってイビルアイがどことなく弾むような足取りで走ってくる。着ている服は今まで見たことのないもので、もしかしたら、イビルアイなりに一生懸命お洒落でもしてきてくれたのかもしれない。

 

「モモンさまぁ!」

 妙に上ずったイビルアイの声が聴こえる。

 

「お、おまたせしてしまいましたか!?」

「いや、そんなことはない。今来たところだ」

 一応、手の中に隠したカンペもちらっと確認する。こういうときにはこんな感じに回答するのがお約束と書いてある。

 

「そ、それなら良かったです! 私も、急いで来たつもりだったんだが、いや、ですが……」

 

 そういうと、イビルアイは一瞬躊躇ってから、おもむろにアインズの右腕にしがみつく。

 

(なんだ、これ……なんでいきなり腕を掴んでくるんだ!? それともこれが、パンドラズ・アクターのいう恋する乙女の行動ってやつなのか?)

 

 全く理解できない。しかしこれも実験なんだ。そう。実験。アインズは自分自身に言い聞かせる。アルベドにこの状態を知られたら間違いなく誰かが血を見るだろう。

 

「それでは行くか。あぁ、その服は随分可愛らしいな。良く似合っている」

「あ、ありがとうございます!」

 

 なるべく穏やかな声をだすように努力しながらアインズが声をかけると、イビルアイは嬉しそうに頷く。仮面に隠れて見えないが、何故かイビルアイの顔が真っ赤になっているように感じる。それに、気のせいか、少し甘いふんわりした香りがイビルアイから漂ってくるような気がする。自分のベッドからするものとはまた違うが、こういう香りも悪くないと少し思う。

 

「イビルアイ、何か香水でもつけているのか?」

「え、あ、あの、そうです。気になりますか?」

「いや……そう、イビルアイらしい雰囲気の香りだと思ってな」

 そういったとたん、イビルアイが一瞬挙動不審になったようだが、アインズはあえて気にしないことにする。

 

「それでは、まず、市場でも見に行こうか」

 右腕にイビルアイをぶら下げながら歩き出す。

 

(ええと、後はどうすればいいんだったか……)

 一生懸命昨日の講習を思い出しつつ、次に取るべき行動を考える。イビルアイは、ひたすらアインズにくっついたまま、ひどく楽しそうに歩いている。

 

(まあ、なんとかするしかない……。頑張れ、俺……。少なくとも、聖王国のときよりは行動マニュアルがちゃんとしてるし、流れでよろしくとかは書いてなかった。前回に比べれば、かなり楽な作戦に違いないんだ)

 アインズは自分自身を必死になって鼓舞する。

 

 アインズにとって、非常に長い午後になりそうだった……。

 

 

----

 

 

 イビルアイは、魔導王の像の下に立って、こちらに向かって手を振るモモンの姿を見た瞬間、さっきまでの葛藤は何処へやら、再び完全な恋する乙女モードにシフトしていた。 

 

 しかも、イビルアイが一生懸命お洒落したことも、香水をつけてきたこともわかってくれたらしく、褒めてくれた。こんなに自分に注意を払ってくれるなんて、それだけでも嬉しくて仕方がない。

 

 その勢いで、少しはためらいはしたが、つい、モモン様の右腕にしがみついてしまったけれど、モモン様はちっとも嫌がる様子もなく、穏やかに優しく話をしてくれる。

 

(あぁ、モモン様は本当になんてお優しい方なんだろう……。まるで夢を見ているみたいだ……)

 

 こんな展開になることを完全に諦めたこともあったのに、今の自分はなんて幸せなんだろう。

 

 話しかけられても、緊張でつい声が裏返ってしまうけど、モモン様はそれを全然笑ったりせずに大人な対応をしてくれる。

 

(本当に、こういう方がいるんだな……)

 

 何処か行きたいところがあるか聞かれたりするけど、自分としては、行く場所なんてモモン様と一緒ならどこでもいい。

 

 いつまでも、こうして側にいて話をしていたい。

 

 自分の心から溢れ出るモモンに対する感情が止めどもなく流れ出し、その量がどんどん大きくなって巨大な洪水のようになり、心の中がそれで膨れ上がって一杯になっているのに、それが流れ出る場所がなくてそこに留まり、自分の心を堰き止める壁のようなものをひたすら圧迫して、それが苦しくてたまらない。

 

(ああ、私は、モモン様が本当に好きなんだ。この人と別れるなんて……この人なしで生きていくなんて考えられない……)

 

 でも、その自分自身の気持ちを最後まで貫くのなら……、昨日、心の中で固く誓ったことを実行しなければいけない。例え、その結果モモン様を失うことになったとしても。

 

(覚悟を決めろ。私は、今日、絶対にモモン様に愛を告白する。そして……全てを包み隠さずモモン様にお話しするんだ……! ダメだったら……その時はその時。それでモモン様に嫌われるなら仕方がない。言わないで終わらせるよりもずっといい。ガガーランだって、玉砕してこいっていってたじゃないか! このキーノ・ファスリス・インベルンの矜持を、覚悟をモモン様に見せてやるんだ!)

 

 イビルアイは、モモンの話に頷きながら、その兜を被った横顔とその奥にちらりと見える赤い灯火のような光をじっと見つめた。

 

 

----

 

 

 アインズとイビルアイは、しばらくぎこちない調子で会話を続けながら、パンドラズ・アクターにお勧めされた場所をいくつか巡り、通りすがりの店の中を冷やかしたり、最近整備されたばかりの美しい街並みを見たりしているうちに、ほんの少しずつお互いの緊張感も薄れてきたのか、多少ではあるが打ち解けてきつつあった。

 

 あちこち店を覗き込んでははしゃぐ様子は、これまでイビルアイに抱いていたイメージを変えるくらい案外可愛らしく、いつもの変に大人びた雰囲気とは違い、年齢相応の子どもらしい様子に見える。

 

(なんか、こうしているとアウラやマーレを思い出すなぁ。今度はできればあの二人とこんな感じに出歩きたいものだけど、それはやっぱりちょっと難しいかなぁ。あの二人とだとお忍びというには無理があるし……)

 

 イビルアイについては、どうしてもエントマのことで多少の引っ掛かりは覚えなくはないが、こうも違う顔を見せられ、なんとも微妙な熱意のある瞳を向けられ続けると、人間に対してほとんど感情が動くことのない自分でも、顔見知りの子猫くらいには可愛らしく見えてくるから不思議なものだ。もしかしたら、パンドラズ・アクターはこんな風にアインズが多少なりとも女性に対して心を動かすことを期待しているのかもしれない。

 

(まぁ、特別な関係とかそういう感じには、この分だとどう考えてもならなさそうだけどな)

 

 アインズ自身の意識としては、どちらかというとイビルアイとのデートもどきはあくまでもおまけだった。

 

 魔導国建国以降、アインズはモモンとしての活動は完全にパンドラズ・アクターに任せる形になったため、その後は王としての立場で時々短時間街を歩き回ることはあっても、自由に散策できる時間はほとんどなかった。そのため、いくら不可視のシモベに監視されているとはいえ、今日のように比較的自由に現在のエ・ランテルを見て回ることができるのは滅多にない機会であり、アインズはこの貴重な時間を内心とても楽しんでいた。

 

(報告では聞いていたけど、やはり実際に見てみるとかなり印象が違うな。思っていた以上に素晴らしい街になって来ているじゃないか)

 あとで、シモベたちをねぎらってやらねば、と心のメモ帳にメモしつつ、傍らのイビルアイに目を向ける。

 

「イビルアイは、エ・ランテルに滞在している間はどの辺りを見て回っていたんだ?」

「えっと、モモン様のお屋敷に行った後は、市場を見たり、以前行ったことのある場所を見て回ったりとかしてたかな」

 

「ふむ、なるほど。どこか気に入った場所とか、今日一緒に行ってみたい場所はないのか? せっかくだから、お前のお勧めの場所なんていうのも見てみたい気がするが」

「わ、わたしは、モモン様と一緒なら、どこを見ても……その、楽しいです……」

 

「そうなのか?」

「は、はい!」

 

 仮面に隠れて表情は見えないが、イビルアイの顔が真っ赤になっているように感じる。そして、しがみついている右腕に、更に力を込めてしがみついているようだ。鎧ごしのせいで、正直よくわからないが。

 

「なるほど。……それでは少し質問を変えよう。せっかくだから、王国から来た者の意見も参考にしたいからな」

 

「?? はい、なんでしょうか?」

 イビルアイは少し不思議そうに答える。

 

「イビルアイは今のエ・ランテルを見てどんな風に思う? 率直な意見を聞かせてもらえると嬉しいのだが」

 一瞬口ごもるイビルアイを見て、ちょっといい方がまずかったかと思い、アインズは付け加える。

 

「別に、悪いことを言われても怒ったりしないから、安心して、思ったことを話してくれ」

 

「その……、わたしは……」

 

 イビルアイは不意に足を止める。

 それに引っ張られるような形になり、アインズも足を止めた。

 

「ん? どうした?」

 

「……とても正直にいうと、王都を離れてここに来るまでは、エ・ランテルは廃墟かスラム街みたいになってるんじゃないかと思っていた」

 

「…………そうか。そうだろうな」

 

 恐らく、それが魔導国にまだ足を踏み入れたことのない人間が現在の魔導国に持つ偽らざる印象なのだろう。

 それを責めるつもりはアインズには全くなかった。実際、自分だって逆の立場ならそう思うに決まっている。

 

「だが、一歩足を踏み入れて驚いた。もちろん、整備された街道を見ても驚いたけれど。とてもいい意味で印象が裏切られた」

 

 イビルアイはアインズを真っ直ぐに見上げた。

 

「ここは、本当に素晴らしい街だと思う。街並みも美しいし、道路もきれいだし、食べ物も豊富だし、服とかいろんなものもたくさん売っている。正直、今の王国とは比べ物にならないくらい、豊かな街だと思う。そして、人間だけじゃなくて、他の種族も当たり前のように一緒に笑って暮らしている。王国とも他のどこの国とも違う。まさか、こんな国がこの世界にできるとは、私は思っていなかった。これが……モモン様が一生懸命守って作り上げた街なのだな……」

 

 思っていたよりも真摯なイビルアイの様子にアインズは驚く。先程までのはしゃいだ少女とはまるで別人のようだ。

 

「そうか。そんな風に思ってくれたなんて、とても嬉しいよ」

 

 アインズはそう答えると、いつもの癖でついイビルアイの頭を撫でた。イビルアイの身体がびくっとするのが感じられる。アインズは、自分の失敗に気が付き心のなかで舌打ちをした。うっかり、アウラ達と同じようなつもりで頭を撫でてしまったが、さすがに少々まずい行動だったかもしれない。身体の大きさが同じくらいだからついやってしまったが……。

 

「あ、すまん、変なことをしてしまったな……。女性に対して断りもなくやっていいことではなかった。許してくれ」

 謝罪し、慌てて手を引っ込めた。

 

「…………」

 

 急に無口になったイビルアイに、アインズは怒らせてしまったかと思い、心配になる。

 イビルアイは、しがみついていたアインズの右腕をそっと離すと、ゆっくりとアインズの正面に立つ。

 

「モモン様、私は……」

 いいかけて、一度言いよどむが、イビルアイは勇気をふりしぼるかのように、もう一度口を開いた。

 

「私は、そんなモモン様をとても尊敬している。そして、それだけじゃない」

 

 アインズの両手をその小さい手でしっかりと握る。

 そして少しの間逡巡すると、やがて意を決したかのように、イビルアイは毅然とアインズを見つめた。

 

「私はモモン様が好きだ。心から愛している」

 

 そう高らかに宣言すると、イビルアイは一瞬躊躇った後、握りしめたアインズの手に口づけをした。

 

 その偽りの全く感じられないイビルアイの言葉にアインズは完全にフリーズした。まさかここまで直球で来るとは思っていなかったのだ。

 

 おまけに、こんな人目のある場所で、こういう行動に出ること自体どうなんだろう。まさか、手を振り払うわけにもいかないし、かといってこのままにしておくわけにもいかない。

 

(ど、どうしよう!? これ、どう対応したらいいの!? 助けて、パンドラズ・アクター!!)

 

 恋愛経験値ゼロのアインズでは、このような状況に正しく対応できる自信なんてない。というか、絶対無理。慌てて用意したカンペをちらっと流し見るが、さすがにこんな事態に関することなんて書いてない。

 

 頭の中が真っ白になり考える事自体を放棄したくなるが、即座に精神が沈静化される。しかし、自分がいくらこの手のことに無知だとはいえ、ここまで真摯な気持ちを無碍にするのはまずいということだけは、鈍感なアインズにも理解できる。

 

「そうか……。その気持はとてもありがたいと思うし、嬉しくも思う」

 

 なんとか、少し震える声を抑え、平静を装うと、かろうじてそう応える。

 

「しかし、こういってはなんだが、私達はまだ出会ったばかりだろう? それなのに、なぜ君はそんなに私に好意を持つことができるんだ?」

 

「わからない。私も自分自身の気持ちが理解できない。だって、こんな風に思ったのは、こんなに好きになったのは、モモン様が初めてなんだ……」

 

 震えるように細いイビルアイの声は、まるで今にも泣きそうに聞こえる。

 

(まずい。このままでは人目のある場所で話したくない内容になりそうだ。できれば、もう少し人気のない場所に移動しなければ……)

 

 さり気なく周囲を見回すと、英雄モモンとその連れの間に漂う尋常ならぬ雰囲気に街の人々も気がついたのか、かなり多くの人が遠巻きに見ている。

 

「イビルアイ、もう少し景色のいいところに行かないか? いい場所を知っているんだ。せっかくだからそこで話をしよう」

 

「………」

 イビルアイは無言で頷く。

 

 その小さな身体を隠すように、イビルアイの手を引きつつ、アインズはそそくさとその場を離れた。

 

 

 




gomaneko 様、薫竜様、kuzuchi様、誤字報告ありがとうございました。

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