過去ログを漁ってたらひょっこり出て来たので、こちらにも上げてみます。
英霊アタランテ。
聖獣たる雌熊に育てられた彼女は、狩人としての野性味と戦士としての気品を持ち合わせた非常に魅力的な女性であった。
実際、英霊・人間問わずカルデア内に於いては、多くの男性が彼女に心を惹かれていたのだが、彼らが本気でアプローチをかける事はまず無い。
それはもちろん、彼女の伝承があるからというのも理由の一つであるが、最も大きな理由は、彼女がマスター以外には殆ど笑顔を見せない事だった。
だが、そんな孤高さを誇っていた彼女だが、唯一感情のままに狼狽える相手がいた。
それは、
「入るぞ」
簡素な言葉とともに、アタランテは通い慣れた部屋へと入る。
すると、中にいた彼女たちは向日葵のようにパッと笑顔を見せてアタランテの元に駆けつける。
「あー、アタランテだ!」
まず真っ先にアタランテにタックルを仕掛けるのはジャック・ザ・リッパーだ。
「こらジャック、急に飛びついたらアタランテさんがビックリしてしまいますよ!」
そして決まってジャックを嗜めるのは、少し背伸びがちなジャンヌダルクオルタサンタリリイ。
「別に構わないのだわ、アタランテはそれが楽しみでここにきてるのだもの」
ナーサリーライムはそんな二人を一歩引いた所で評している。
いつもの光景だ。
他の部屋より高い声音が鳴り響く部屋に、アタランテは頰を緩めながら、挨拶を返す。
「元気にしていたか、汝ら。ジャック、私に抱きつくのは構わないが、他の者には程々にしておけよ。ジャンヌリリイ、汝はもう少し子供らしくはしゃいでも良いのだぞ。ナーサリー、そんなに離れて無いで汝もこちらに来い、お菓子を持ってきたぞ」
各々、やったーお菓子!とはしゃいだり、私そんなに子供じゃありませんから!と憤慨したり、あるいは柔らかな笑みを浮かべて近づいて来る彼女達を見て、アタランテは目尻を下げる。
1週間に1度、彼女たちの部屋に訪れる事が、アタランテにとって何よりの楽しみであった。
幼い時分より捨てられ、人との触れ合いが儘ならなかった彼女には、子供達の幸福こそが何よりの願いであった。
ここにいるサーヴァント達は、厳密には子供と言い表せない存在であったが、それでもアタランテにとって無垢なる存在である事は間違いなく、こうやって彼女たちの笑顔を見る事はアタランテの強い活力となっていたのだ。
「ねーねー、アタランテ、遊ぼ遊ぼ!」
3人組の中で最も無邪気なジャックが、アタランテの手を引っ張りながら、ピョンピョンと跳ねる。
「いいだろう、何がいい?汝は体を動かすのが好きだからな、かけっこか?」
「うーんとね、解体!」
得意げな笑みとともに「私は早いぞ」と続けようとしたアタランテに被せるように、ジャックはニコニコと自らの要望を出す。
「…汝はまたそれか、言ったであろう。それは遊びでは無いと。」
やれやれ、と言った調子でジャックを諌めるアタランテだったが、それよりも苛烈に反応したのはジャンヌリリイ出会った。
「んもー、ジャックさん言ってるじゃ無いですか!遊びで人を解体してはいけないのですよ。」
プンプンと頭から湯気が立っているのを幻視する程、怒っているジャンヌリリイだが、ジャック当人はキョトンとした顔をするばかりだ。
「でも解体、楽しいよ?」
「楽しい、楽しく無いではないのです!とにかく人を解体しては…ああもう、いいです!こうなったらトナカイさんにお説教してもらいますから!」
よほど腹に据えかねたのか、最終手段に出たジャンヌリリイに、ジャックはえぇーと非難の声を上げる。
「でもおかあさん、あんまり怒らないよ?」
「それでも、です!トナカイさんに諭されれば、ジャックさんも暫くは大人しくしますから。さあ、行きますよ!」
ジャンヌリリイはそう言ってジャックの手を掴むとズルズルと引きずって部屋を後にする。
「じゃあねー、アタランテー。」
引きずられながらも、ジャックはさして気に留めてないようで、空いた片方の手で、アタランテに手を振ってみせた。
アタランテもそれに応じて手を振りながら、二人が部屋から出ていくのを見届ける。
そして必然部屋にはアタランテとナーサリーライムの二人が残される形となった。
少しのあいだ、部屋に沈黙が訪れる。
無邪気なジャックや理性的に振る舞おうと背伸びするジャンヌリリイに比べると、ナーサリーライムは何を考えているのか分かりづらいというのが、アタランテの正直な気持ちだった。
無邪気な子供のように振る舞うこともあれば、子供達を見届ける保護者のような顔つきを見せることもある。
マスター曰く、彼女は童歌という概念そのものであるという。子どもとともに常に寄り添う存在であり、子ども達の成長を見届ける存在。
であればなるほど、彼女のあり方にも一抹の納得がいくが、だからといって他の二人と違う扱いをするのもまた違う気がして、アタランテはどう対応したものか悩んでいたのだ。
「ねえ、アタランテ」
沈黙を先に破ったのはナーサリーだった。
急に声を掛けられ、思わずビクッと耳を立てるアタランテであったが辛うじて平静を保ち「な、なんだ?」と言葉を返す。
「貴女はご本を読んだことがあるかしら?」
「…いや、私にはあまり縁が無いものだな。」
「そう…とっても寂しのね、可愛い狩人さん。まるで陸に上がった人魚姫のよう。」
柔らかな、哀れみを感じさせるような声音に、しかしアタランテは金槌で頭を叩かれたような衝撃を覚えた。
「な、汝は…何を」
喘ぐように声を絞り出すアタランテであったが、ナーサリーライムはアタランテの言葉が聞こえて無いかのように言葉を続ける。
「自分に無いものを求めて、ありもしない足を生やして。自分の寂しさを埋めるために、私たちに幸せを求めて。」
「…違う」
アタランテは意識する前に言葉を放っていた。
だが、ナーサリーは相変わらずアタランテの言葉を介さず自分の言葉を紡ぐ。
歌うように、
唄うように、
詠うように。
「それは、とっても悲しいお人形遊び。ふしぎなお人形を繰る少女のよう。とっても寂しい一人遊び。貴女は私、私は貴女。沢山悲しい想いを残して来たから、私たちに代わりに慰めて貰ってるのね。」
「違う!」
吐き出すように叫び、アタランテは自然と立ち上がっていた。
震える肩を必死に宥めようとするが、一向に収まる気配がない。
ナーサリーライムはそんなアタランテを悲しげに見上げるばかりだった。
…ああ、そうだ。わかっていたのだ。
自分が戦士である事に後悔した事はない。
育ててくれた聖獣には感謝の言葉しかない。
…だが、それでも。
それでも、自分にも人と触れ合う幼い日々があったのでは無いかと。
そう恋い焦がれずにはいられなかったのだ。
親からの愛を一身に受け、同じ年の子と言葉を交わし、絵本に胸をときめかせる、そんな日々があったのでは無いかと、思わずにはいられなかったのだ。
「…ぐ、う」
遠い記憶の残滓、心の中に眠っていた想いの大きさに、アタランテは思わず両手で頭を抱え、その場に蹲る。
そこに残されていたのは、狩人としての野性味も、戦士としてのプライドも剥がされた、ただのか弱い少女であった。
肩を震わせ、アタランテは湧き上がる嗚咽を抑え込む、1度感情を出してしまえば、自分の感情を制御出来そうに無かったのだ。
震えて蹲る彼女を、ナーサリーライムはその人形の様な腕でそっと抱く。
「いいのよ、いいの。悲しい、寂しい人魚姫。貴女の寂しさは、わたしが埋めて上げる。さあご本を一緒に読みましょう。」
「な…汝は」
ナーサリーの囁くような優しい声に、アタランテは顔を上げる。
ナーサリーのそれは我が子に向ける慈母のそれであり、決してアタランテが手にしなかったものであり-
「う…うああぁ…」
自然アタランテの目から涙が零れおちる。1度流れ出してしまえば、その感情の奔流をアタランテに止める術は無かった。
「ああぁ…うわあああぁぁあ!」
子どもの様に泣きじゃくるアタランテの体を、ナーサリーライムはそっと抱きしめる。
柔らかな、剥き身の肉にそっと触れる様に、優しく優しく、抱きしめ続けたのだった。