沈め掻き臥せ戦禍の沼に【完結】   作:皇我リキ

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護ったもの

 目を閉じて走った。

 耳を塞いで、何もかもから逃げて。

 

 

 そうしてたどり着いた場所で、不貞腐れたような表情の男は生れつきこの顔なんだと言わんばかりにそのままの表情で口を開く。

 

「お前だけか?」

 ダービアは意外そうな表情でそう言った。

 

 言われた少年───ラルクが周りを見渡しても、他の人物の面影もない。

 

 

 当たり前だが、彼の手を引いてくれていた女性の姿はない。

 きっともう───そんな想いが脳裏を過って、吐き気のままその場に崩れ落ちる。

 

 

「おいおいやめてくれよ。大体、ここも安全って訳じゃない。お前だけならそれで良い。とっとと行くぞ」

 背後の洞窟は安全なベースキャンプに繋がっているが、この場所自体が安全な訳ではない。

 

 彼らの目の前に広がる草原では今さっきまで悲鳴が聞こえて、イーオスが仲間達を屠っていた所なのだから。

 

 

「え、エドナリアさんは……」

 分かっていても、そう呟くしかなかった。

 

 

「ここに居ないって事はそういう事だろ。大体、一緒に居たんじゃなかったのか?」

 確信を突かれて、ラルクは俯いて固まる。

 

 

 ──走って!!!──

 

 耳に残る彼女の怒号が、何度も何度も脳裏を駆け巡った。

 

 

「僕は……言われた通り、走っただけで」

 自分は悪くない、自分は悪くない、そう言い聞かせる。そうでないと、もうここから先に進めない気がして。

 後戻りしそうで。またあの地獄に自ら足を踏み入れそうで。

 

 それが嫌だから、言い聞かせた。

 

 

「……人間ってのはな、生存本能だけで生きてる訳じゃない。良心や思想、己の感性で生きてやがるしそれを捨てる事なんざ出来ないのさ」

「僕は……」

 それでも、生存本能には逆らえないのだろう。

 

 

 彼は逃げてしまった。後戻り出来ないとは分かっていても、己の生を取ってしまった。

 

「だが生存本能こそ、動物が生きる上で一番必要な感性よ。お前は何も間違っちゃいない。もしあの女がお前を庇って散ったというなら、その方が異常なのさ」

「そ、そんな事───」

「ならお前はあの女を助けに行けるか? もう既に死んでいるかもしれないあの女を、自分の命が奪われるかもしれないと分かっていて助けに行けるのか?」

 返事も出来ない。自分の答えを出す事すら出来ない。

 

 

 少年はただ俯いて、大粒の涙を流す。

 

 何も出来ない自分に、答えも出せない自分に、ただただ苛立ちが募った。

 

 

 

「何もしないなら置いて行くぞ。俺は生存本能に従いたいからな」

 少年を見下ろすダービアは、遂に彼に背を向けて洞窟に歩いて行く。

 

 彼について行くのが正解だ。そんな事は分かりきっている。

 ここまで走ってきてしまった時点で、もう後戻りはできない。そんな事は分かっていた。

 

 

 それなのに───

 

 

 

 ──無事で良かった──

 

 彼女の言葉が、姿が、頭の中で砕けて行く。イーオスに囲まれて、悲鳴を上げて、血肉に変わっていった。

 

 

「僕は───」

 振り向いて、耳をすます。眼をこじ上げる。

 

 前を見ろ。自分の答えを出せ。

 

 

 

「……生存本能が人を生かすのなら、人は生存本能を殺すという事か。嫌だねぇ、本当」

 

 

   ☆ ☆ ☆

 

 血飛沫が地面を濡らした。

 

 

 膝をついて、眼前で倒れるイーオスの死を確認する余裕もなく。

 エドナリアは必死に息を整えようと肩を上下した。

 

「はぁ……っ、はぁ……」

 操虫棍を杖にしてなんとか姿勢を維持するが、イーオスの毒を貰い更に左肩を噛まれ足を爪に切り裂かれとてもじゃないが意識を保つだけでも精一杯。

 そんな彼女の肩を何かが叩く。ほぼ反射的に首を後ろに向けたその目に映ったのは、人の腕だった。

 

 

「……っ、お、驚かせないで下さい。生きていたんですね」

 その手に見覚えがあって、エドナリアは安堵したような声をあげる。

 

 つい数刻前に自分達と別れた青年の顔が浮かび上がった。

 元々は片手剣使いだと言っていた彼も、なんとかこの窮地を生き延びたのだろう。

 

 ───そう思った。

 

 

「───っ、ぃ、嫌ぁ!!」

 彼女の肩に乗っていた()が地面に落ちる。

 

 肘関節から先しか存在しないその腕は、嫌な音を立てて血をばら撒いた。

 心臓が飛び跳ねる。過呼吸になる胸を押さえ、なんとか冷静を保とうとした。

 

 集中を欠けば次こうなるのは自分だろう。そんな思いがさらに鼓動を早くする。

 

 

 結局の所、どれだけ冷静でいようとしても人は己の命の危機を知れば動揺を隠す事等出来ない。

 彼女が地面に落ちた腕の意味に気が付いた時には、既に遅かった。

 

 

「───っは?!」

 背後の草むらが揺れる。

 

 当たり前の事だが───人の腕だけが自然に彼女の肩を叩く訳がない。

 

 

 狡猾な鳥竜種の罠に気が付いた時には、既に彼女の身体は草原を倒しながら地面を転がっていた。

 次の瞬間、腹部に鈍痛が走る。血反吐を吐きながら目を開けると自分を踏み付ける赤い影が視界に入った。

 

 普通のイーオスではない。

 特徴的な鶏冠を持ち、体格もイーオスより一回りは大きな個体。

 

 

 群のボス───ドスイーオス。

 

 

 

 群の長に集まるように、次々とイーオスが増えていく。

 視界いっぱいに牙を持つ怪物が写り、その怪物の涎が彼女の頬を濡らした。

 

 同時に別の物が頬を濡らす。

 どうしようもない恐怖感と絶望に、身体中から情けない液体を漏らし、意味もなく暴れて抵抗した。

 

 

 これから自分がどうなるか考えると失神しそうになる。そうなってしまえばおしまいだが、いっそ失神してしまえるならどれだけ楽か。

 それが出来ないから、彼女は今から生きたままその鋭利な牙で肉を削がれ腑を抉られるのだ。叫ぶ事もままならず、ただ掠れた声でイーオス達を拒む。

 

 その時が来たら嫌でも絶叫するのだろうが、まだ声は出なかった。

 

 

 

 イーオスの口が開かれて、振り下ろされる。鋭利な牙が血飛沫を上げて───吹き飛んだ。

 

 

 

「───っ?!」

「その人から離れろぉ……ッ!!」

 唐突に草むらの中から聞こえる若い声。まだ声変わりもしていないだろうその声に、エドナリアは目を見開く。

 

 ラルクのライトボウガンから放たれた銃弾により牙を吹き飛ばされたドスイーオスは、顎から血を流しながら銃弾の飛んで来た方角を睨み付けた。

 

 

「ラル……ク?」

 どうしてここに?

 そんな事よりも、自分が今助かった事に安堵する。

 しかしそれは、彼女を助けた少年が再び危険に晒されているという事と同義だった。

 

 どうして助けに来てしまったのか。

 

 

 それでも、覚悟を決めた筈だったのに、一度得てしまった生が重く彼女の心を突き刺す。

 

 

 

 死にたくない。死なせたくない。

 

 

 

 ドスイーオス始め、イーオス達はエドナリアに背を向けて少年の声がした方角を睨んでいた。

 視界に少年は映らない。

 

 

 しかし、感覚の鋭いイーオス達にはさっきの銃弾と声で少年が何処にいるのか分かっているようだった。

 一点を見つめるイーオス達に、ドスイーオスが指示を出す。

 

 同時に跳び上がったイーオス達は、草むらを走って前に進んでいたラルクの正面に降り立った。

 

 

「うわぁ?!」

 エドナリアを助けようと走っていたラルクだが、突然の奇襲に尻餅をついて悲鳴をあげる。

 意気込んで戻って来たはいいものの、いざ竜が目の前に現れて少年の頭は一瞬でパニック状態に陥っていた。

 

 

 ラルクの周りを複数のイーオス達が囲む。

 座り込んで何も出来なくなった少年は、これでは前と一緒だと震える足で立ち上がった。

 

 

「ぼ、僕は……エドナリアさんを助けるんだ……っ!!」

 笑う膝を掴んで黙らせ、はっきりと声を上げる。

 

 

 ハンターになりたかった。

 

 身体が小さくて、ひ弱で、周りの友達にバカにされていた少年は───ただ強い存在に憧れて前を進む。

 両親の仕事の関係上、多くの狩人の姿を見て来た少年がそう思うのは必然だった。

 

 彼らの様な、誰かを守れる存在になりたい。胸を張って人前で歩けるようになりたい。

 

 

 ───視界に入った竜が、その心をへし折る。

 

 

「ドスイーオス……」

 勉強は欠かさずにしていたラルクはその存在を知っていた。

 

 イーオスより一回りも大きな群のボス。

 牙を数カ所ふきとばされ、怒り狂った眼光で少年を睨むその竜が唸り声を上げると、周りのイーオス達が一斉に牙を開く。

 

 

 ダメだ。

 

 

 怖い。

 

 

 死ぬ。

 

 

 

「───だぁぁぁああああ!!!」

 その声は上から聞こえる。

 

 立ち並ぶ草木よりも高くジャンプしたエドナリアは、ドスイーオスとラルクの間に割って入って操虫棍を振り回した。

 

 打撃と斬撃が周りのイーオスを薙ぎ払う。

 それで一気に形勢を立て直したかと思えたが、ドスイーオスの一声でイーオス達はたちまち姿勢を直して彼女達を囲った。

 

 

「ひぃ?! そ、そんな……。え、エドナリアさん……僕───」

 結局自分は何も出来ないのか。反射的に悲鳴をあげて丸まってしまった少年は、震えた声で彼女に謝罪をしようとする。

 

 彼女の邪魔をしてしまった。結局重荷になってしまった。

 

 

「ありがとう、ラルク。助かりました」

 そう思っていたラルクの耳に入るそんな言葉。

 

 上を向くと、不敵に笑いながら武器を構えるエドナリアの姿が映る。

 

 

「あなたに命を助けられました」

「そんな……。僕なんて何も」

「いえ、そんな事はありません。現に私が今ここに立っているのは、あなたのおかげなのですから」

 そう言いながらも周りへの警戒は怠らない。

 

 

 実際ここから生きて帰る可能性が上がった訳ではなかった。

 

 

 それでも、今この瞬間彼女が立っていられるのは彼のおかげだという事だけは変わらない。

 あの射撃がなければ、彼がここまで戻ってきてくれなければ、今頃彼女は肉の塊になっていただろう。

 

 

 

 痺れを切らしたのか、大口を開きながら前進するドスイーオス。

 その眼前を一瞬何かが横切った。エドナリアの猟虫である。

 

 その猟虫に一瞬気を取られた所で、操虫棍の刃がドスイーオスの顎を切り裂いた。

 銃弾で牙を吹き飛ばされた下顎に刃が通り鮮血が舞う。

 

 

 それでもその命の灯火は力強く燃え続け、怒りに満ちた眼光で彼女達を睨みながら鳴き声を上げた。

 周りのイーオス達が姿勢を落とす。一斉に飛び掛かってこられたらいよいよ次はない。

 

 

 ───次の瞬間、周りを爆炎が焼き払った。

 

 

「うわぁ?!」

「なんですか?!」

 それは当の二人も予期せぬ出来事で、イーオス達諸共爆風で地面を転がる。

 

 

「おら死に損ない共!! 死にたくなきゃ走れぇ!!」

 大声でそう言いながらヘビィボウガンを空に向けて引き金を引くのは、先に草原を抜けたダービアだった。

 

 放たれた弾丸は山形に進み、ある程度の高度でバラバラに砕ける。

 砕けた弾丸は着地と同時に弾けて爆発を起こした。

 

 それを、彼は何発も発射する。

 

 

 空から落ちてくる爆弾の雨に、イーオス達だけでなくラルク達も悲鳴をあげた。

 

 

 

「うわぁぁ?!」

「あの人無茶苦茶です……っ!」

 ただ、これで活路が見出せる。

 

 少々荒っぽいが、彼が先にたどり着いたからこそ出来る作戦だ。これならイーオス達も無闇に動けない。

 

 

「走りましょう!」

 少年の手を握って、ボロボロの身体に鞭を打って走る。

 

 死んでいたかもしれない。

 再びそれを実感して、エドナリアはその手を強く握りしめた。

 

 

 

「おらおら、とっとと洞窟の奥まで行きな」

 待っていたダービアを通り過ぎて奥にある洞窟に向かう。

 ダービアは鋭く彼等を睨み付ける一匹の竜と睨み合った。

 

 

「よう大将。もうお前らにやる餌はねぇ」

 そう言って、彼は親指を下に向ける。

 

 

「もし追いかけてこようものなら、次狩られるのはお前達の方だぜ。お前達が狩人であるように、俺達も狩人であるからだ。この世界に獲物なんて存在しない。狩り、狩られ、最後に狩った方が狩人になる。それだけよ」

 洞窟の入り口に弾丸をばら撒き、ダービアは洞窟に入ってからその弾丸に火を付けて爆破した。

 

 

 崩れ落ちる洞窟を最後まで睨み付ける竜は、洞窟の入り口が崩れ追う事の出来なくなった獲物(・・)に向けて吠える。

 

 

 

 次こそは、と。

 

 

 

   ☆ ☆ ☆

 

 迎えの飛行船が来たのは、翌日の事だった。

 船から降りて来たギルドの職員が見たのは、たった三人だけの生き残った狩人である。

 

 

「……全て、私の責任です」

 飛行船のベッドの上で、失意の言葉を漏らすエドナリア。

 そんな彼女に何か言葉を掛けないといけないとは思いつつも、ラルクは何も口にする事が出来なかった。

 

 

 

 やっと家に帰れる。

 そしたら、もうこんな危険な目に合うことはなくなるんだ。

 

 それで良いじゃないか。

 元々自分はそんな危険なクエストに参加する予定はなかったのだから。

 

 

 ドンドルマに帰れば、それで全て終わり。家に帰って、また日が昇って。

 クエストを受けようとして結局受けられない。そんな毎日に戻ればそれで───

 

 

「死に損なった俺達は前に進むしかない。責任もなにも、まだ何も終わっちゃいねーさ」

「私は何も出来なかった……」

 ───それで良いのか?

 

 

「───そんな事、ない」

 少年は震える声でそう言う。

 

 

「そんな事、ないです。僕は、エドナリアさんが居なかったら死んでいた! エドナリアさんに助けられたんです。何も出来てないのは僕だ。僕のせいでギルドナイトの人も、船から落ちた人も……皆、皆……」

 ハンターになりたかった。

 

 身体が小さくて、ひ弱で、周りの友達にバカにされていたから。いつか誰かを守れる存在になりたい。胸を張って人前で歩けるようになりたい。

 

 

 それなのに───

 

 

「そんな事、ないですよ」

 エドナリアは優しい声で少年の頭を撫でる。

 

 少年は大粒の涙を流しながら彼女の瞳を見た。真っ直ぐな瞳は、しっかりと彼を見ている。

 

 

「そうですね。私もあなたを救えたのです。そしてラルク。あなたも私の命を救ってくれました。それはとても凄い事だから、その胸に誇って下さい。……私も、あなたを救えた事を誇りに思います」

 そんな言葉を聞いて、少年はその場に崩れ落ちた。

 

 恐怖を思い出して、生を思い出して、喜びを思い出して、必死な気持ちを思い出して。

 少年は涙が枯れるまで泣き果てる。

 

 

 エドナリアはそんな少年が疲れて寝てしまうまで、その手を握り続けた。

 

 

 

 

 船がドンドルマに到着し、ゴグマジオスの現在地を古龍観察局員に聞いたエドナリアは戦慄する。

 

 

 

「……ゴグマジオスが渓谷に辿り着くまで、残り三日ですか」

 運命の日は刻々と迫っていた。




やっと話が進みそうです。エタる前に書き上げたい。

この作品に主人公はいません。ですが、とても影の薄くなってしまったメインキャラが居るので焦ってます。
長くし過ぎたね、ゴグマジオス誘導作戦編。


読了ありがとうございました!
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