沈め掻き臥せ戦禍の沼に【完結】   作:皇我リキ

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たった一人の英雄

 ただ熱かったのを覚えている。

 

 

 火傷だとか、そういうレベルの問題じゃない。

 周りの物は全て灰になって、爆散して、逆に何が残っているのか聞きたくなる光景が眼前に広がっていた。

 

 

 助けて。助けて。

 

 

 ただそう心で叫ぶも、助けなんて来るわけがない。

 唇を噛み締め、妹の手を握る。

 

 

 妹だけは自分が守るんだと、眼前の龍を睨み付けた。

 

 

 

 赤い。

 

 一対の翼と四本の脚。鋭い牙は血に塗れ、青い瞳が小さな子供を睨む。

 龍が撒き散らした粉塵が視界で点滅し、幼い妹を守る少年は内心死を覚悟していた。

 

 

「もう大丈夫よ!」

 そんな少年の前に立ったのは、大きな金色の盾を持った女性。

 龍の牙から少年を守り、女性は盾を構えたまま振り返る。

 

 

「ケイド、テオ・テスカトルは私達が抑えるからこの子供達をお願い!」

 その表情がとても優しい物だった事を、少年は忘れられなかった。

 

 

「分かった、絶対に無茶はするなよ!」

 振り返った先で、身の丈の程の大剣を背負った赤髪の青年が笑っていたのを覚えている。

 

 

「大丈夫、皆は私が守るわ」

 その背中に憧れた。

 

 

「バーカ、俺達がお前を守るんだよ」

「お前が怪我でもしたら、ケイドにぶっ殺されるぜ! ハッハッ!」

 頼もしい背中を覚えている。

 

 

 

「ったく、馬鹿野郎共が。よしチビ達、もう大丈夫だ。俺達が来たからにはドンドルマも安全さ。まずはお兄さんに着いてきなさい」

 そう言う青年に手を取られ、少年と少女は命を救われた。少年がその事を忘れた日は一日とてありはしないだろう。

 

 

 

 十八年前、ドンドルマに一匹の古龍が襲来した。

 

 

 多数の犠牲者が出たが、奇跡的に一般人に死者が一人も出なかったは英雄たるハンター達の手腕によるものだと伝えられている。

 ドンドルマ防衛戦に参加したハンターは総勢百人を超えていた。

 

 しかし、その中で生き残ったのは───

 

 

 

 

「───馬鹿野郎共が……」

 ───たったの一人だったという。

 

 

   ☆ ☆ ☆

 

「おい起きろ兄ちゃん。あんたの武器、見終わったぞ」

 ドンドルマの工房で、工房の主である赤髪の中年が一人の青年の背中を揺すった。

 

 

 青年は呻き声を上げながら、伏せていた顔を持ち上げる。

 彼の武器であるランスを見終わった工房の主人は、呆れた顔で青年を見下ろしていた。

 

「よくもまぁ、こんなに無茶な使い方をしたものだな」

「……っ、あぁ……すみません。寝てました」

 工房に自らの武器を預けていた青年──イアン──は、身体を起こして口を開く。

 

 前日にグラビモスの討伐に成功したこの青年が、クエストの帰り際に見た不自然な生き物の報告をギルドに済ませてから、睡眠も取らずに加工屋に自らの武具を預け数時間。

 心身共に疲れていたからか、昔の夢を見ながら机に突っ伏していたらしい。イアンは焦った様子で立ち上がって、工房の主人に「どうでした?」と武具の様子を訪ねた。

 

「今言った通りだ。アレはもう使い物にならないだろうな」

「うぉ……。困ったな」

 想像こそしていたが、まさか修復不可能とは。

 

 

 グラビモスのブレスから主人を守った盾は、その役目を全うしたらしい。

 工房の奥に見える自らの武器を見るイアンは、内心で「これまでありがとう」と語りかける。

 

 その直後に盾は真っ二つに割れて、彼は目を見開いた。

 

 

「……こ、困ったな」

「あんな使い方してたら、お前自身が持たないぞ」

 ドンドルマのこの工房に来たのは初めてだが、分かったような事を言う工房の主人にイアンは眉をひそめる。

 どう言われようが、誰かを守る為にその盾を握っているんだ。そのポリシーを変えるつもりはないし、文句を言われる筋合いもない。

 

 

「……十八年前、このドンドルマを救った英雄の話を知っているか?」

 突然そう語る工房の主の話を聞き、青年はさらに眉間に皺を寄せる。

 

 たった今夢ですら見たあの英雄達の姿を忘れる訳がなかった。

 この生涯で一日たりとも忘れた事はないだろう。

 

 

炎王龍(テオ・テスカトル)から街を救った百人の英雄ですよね。この街で育った人なら知らない人は居ない」

 青年は今でこそドンドルマ近くの町に住んでいるが、幼い頃───それこそ十八年前まではドンドルマで暮らしていた。

 

 

 当時ドンドルマに襲来した古龍による大災害。

 百人のハンターが果敢にもその龍と戦い、九十九人が犠牲になるも戦いは勝利を収めている。

 

 

 だが、それは彼を助けた英雄達の死を意味していた。

 憧れた背中の女性もきっと───

 

 

 だからこうしてイアンは盾を持ち、仲間を守るためにも戦っている。

 その気持ちを馬鹿にされたようで、彼の表情は自然と硬くなった。

 

 

「そうだ。その百人の中に、あんたみたいな正義感の強い女がいたよ。……誰かを守る事に必死になって、挙句もうこの世には居ない大馬鹿野郎がな」

「……誰かを守る為に死んだ人を馬鹿呼ばわりする権利がアンタにあるのか!」

 そして男の言葉についカッとなった青年は、机を叩いて声を上げる。

 

 加工屋の男にハンターの何が分かるんだ、と。そんな心境だった。

 

 

「……俺もあの場に居たからな。分かるさ。良いか? 自分の命すら守れない奴が、誰かを守ろうなんてそんなのはただの思い上がりだ」

 ただ、男は静かにそう言う。

 

 その声に青年は微かに聞き覚えがあった。

 

 

 

「まさか……」

「……っと、長話が過ぎた。お前の武器だが、長話の礼にあそこに置いてあるのを一本くれてやる」

 そう言って彼が指差すのは、金色に輝く見覚えがある槍である。

 それは工房の中央に飾られていて、年期を感じさせる埃が付いていた。

 

 

「アレは確か……ロストバベル。超一級品のランスじゃないですか」

 それは記憶にある英雄が背負っていた物と同じ武器である。かなりレアな素材を使う武器であり、一級品の品物だ。

 

 

「な、なんで俺にそんな物を……。素材もお金も、そんなにありませんよ」

「くれてやるって言ったろ。持っていけ。……お前、あの時のチビなんだろ?」

 そう言葉を残した工房の主人は、一度工房に戻るとまた別のランスを持って表に出てくる。

 

 火竜の甲殻を使って作られたレッドテイルというランスだ。これも、それなりに貴重な逸品である。

 

 

「ロストバベルだが、整備がいるからな。二日くらいはコイツを使ってくれ」

「ま、待ってくれ! なんで俺にそこまでしてくれるんだ?! アンタ、あの時のハンターさんなのか? それがなんで、こんな所で加工屋をやってる?!」

 考えれば想像に容易い事だ。

 

 

 十八年前、イアンを助けたハンター。つまり、百人の中で生き延びた一人のハンターが、あの時助けた子供を懐かしく思い大盤振る舞いなサービスを施してくれる。

 イアンがこの加工屋に来たのは初めてだが、彼がイアンを覚えていたのならそんな事もあるかもしれない。

 

 しかし、都合が良過ぎた。そんな事が本当にあるのか?

 

 

「……ハンターはな、辞めたんだ。お前みたいに誰かを守ろうなんて、そんな気にはなれないんだよ。九十九人すら、一人すら守れなかった俺に戦う資格なんてない」

 そう言うと主人は工房に戻っていく。イアンにはまだ彼の真意が分からない。

 

 

「……変な奴だと思ってるんだろう? いや、ただ偶然なんだよ。俺の娘がな、今日上位ハンターになったんだ。下位と比べて危険も増える。俺は辞めろと伝えたんだが、どうも口下手でな」

「それとこれに……どんな関係が?」

「ハンターって存在に関わるのが嫌になったのさ。この店も潰して、隠居する予定なんだ」

「な……」

 その言葉に反応して手を伸ばすイアンだが、既に主人は工房の中だ。

 

 主人は顔半分だけ振り向くと、そんな彼を見て小さく笑う。

 

 

「あなたは……ケイドさんなんですね?!」

「……お前の知ってるケイドはもう居ないがな。グラビモス装備だが、竜人族のじっちゃん達によればこっちも二日後だ。店は近々閉めるんだから、あんまり長く待たせるんじゃねーぞ」

 手でイアンを払いながら、工房の奥に入っていく主人───ケイド。

 

 

 そんな彼が居なくなった後の工房で、少しの間イアンは呆然と立ち尽くしていた。

 まさか憧れの人とこんな所で会えるなんて。そんな喜びの感情と、彼が自分の知っているあの英雄と変わってしまったという複雑な心境が混ざり合う。

 

 

 

 そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、ケイドは工房の裏で瓶に直接口を付けて酒を飲んでいた。

 目の前には黄金に輝くランス──ロストバベル──が横たわっている。

 

 

「……ふぅ、やっとお前の引き取り手が見つかったぜ。これで目障りな武具ともおさらばだ」

 彼の目の前にはそれともう一つ、紅蓮に輝く大剣が横たわっていた。殆ど使われていない新品のようだが、やはりこれも埃を被っている。

 

 

 

「後はこれだけか」

 ケイドは溜息を吐いてから、もう一度酒を喉に流し込んだ。

 机に叩きつけられた瓶の中には既に一滴も水分は残されていない。

 

 続いて彼は二本目の酒瓶を開ける。

 

 

「……ハンターなんて糞食らえ」

 目を細めるケイドに、イアンが過去に見た英雄の表情は残されてはいなかった。

 

 

   ☆ ☆ ☆

 

 ドンドルマには、九十九人の英雄の像という物が郊外に設置されている。

 これはかつてこの地で命を落とした九十九人の英雄を祀る物で、今はギルドが経営する酒場のオブジェクトになっていた。

 

 

「人は、死ななければ英雄にはなれない。英雄とはなるものではないからだ。……人が英雄というものを作るのか、英雄という概念が人を呼ぶのか」

 酒場で酒を飲んでいたガタイの良い男が立ち上がり、叫ぶ。

 男を囲っている者達もそれに釣られ、酒瓶を持ち上げて立ち上がった。

 

「死にゆく英雄に問おう、嬢ちゃん! アンタはどっちだ?!」

 男が声を上げる先では、一人の少女が英雄の像に手を合わせている。

 

 

 肩まで伸びた赤い髪。整った顔立ちの割に、使い古された装備はお世辞にも綺麗とは言えない。

 しかし背中に背負う二本の剣は、対称的によく整備されており新品そのものだった。

 

 

「あたしは英雄にはならない。……死なないから」

 男にそう答えた少女は、凛とした表情でその場を後にする。

 

 向かう先は酒場のカウンターで、ギルドの受付にもなっている場所だ。

 

 

 男の言葉を半ば無視されたのに腹が立ったのか、取り巻きの男二人が立ち上がって彼女の元に向かう。

 スラッシュアックスとチャージアックスを担ぐ二人の男は、先程声を上げていた男を信奉する双子の兄弟のハンターだった。

 

 

 

「おいおいネーチャン、ダービアさんの事を無視するなんて中々大物だねぇ!」

「アーツ兄さん、そんなに大声で寄って行ったらネーチャンが可哀想だろう。ハッハッ!」

 ハンターの中ではこの程度の柄の悪さは普通である。

 

 ある程度力を持っている者がならず者になるのは自然の摂理というもので、ギルドの受付嬢達はただ震えて待つしかない。

 

 

 こんな事は下町の酒場では日常茶飯事だ。

 

 

 

 ダービアと呼ばれた彼等のボスは目を細めているが、二人の愚行を止めようとする者は誰もいない。

 

 

 

「……な、何よあんたら。あたしはネーなんて名前じゃない。ちゃんとレイラ・バルバルスって名前があるの!」

「バルバルス……あの、たった一人の英雄か」

 二人の内、弟である男が小さく呟く。

 

 

 

 ケイド・バルバルス。

 このドンドルマで生まれ育った物なら名前を知らない者は居ない。

 

 勇敢にも古龍に挑み、たった一人生き延びた男の名前だ。

 

 

「……っ。父さんをそんな異名で呼ぶな!」

 何が気に障ったのか、少女は手を振り回して声を上げる。

 

 二人の内、兄のアーツにその手が当たり、彼は大袈裟にその場に転がった。

 

 

「……っおぉぉ、痛い! 腕が折れちまった。なんて事しやがる!」

「アーツ兄さん! おいおい、やってくれたなぁ」

「ニーツよぉ、落とし前、付けといてくれよぉ〜」

 ニーツと呼ばれた男は唇を舐めながら「あいよ、アーツ兄さん」と小さく呟く。

 

「ちょ、ぇ、何よあんたら……はぁ?」

 それを聞いた少女──レイラ──は表情を引攣らせながら後退りした。

 

 母に挨拶をしに来た今日に限って、変な男達に絡まれてしまっている。レイラは少しだけ自分の不幸を呪った。

 

 

「へっへ、こりゃ弁償だぜ。一緒に夜のクエストに行って貰おうか!」

「ちょ、離しなさいよ!」

 ニーツが少女の手を掴んでそう言うが、ギルドの職員達は動く気配がない。

 ギルドナイトを呼んでは居るだろうが、彼等が駆けつけるには少し時間が掛かるだろう。

 

 

 こういう事も日常的にあるものだが、大体が飲み過ぎたハンターの暴走である事が多い。

 ギルドナイトがその場を収めるのが城跡なのだが、その時だけは少しだけ状況が違っていた。

 

 

 

「おい酔っ払い。その娘を離せよ」

 黒髪の青年が一人、ニーツの手を掴んで払いのける。

 

「……んだぁ? テメェ」

「離せって言ってるだろ」

「やんのかオラァ!」

 言われた通り手を離し、その手を振り被るニーツ。しかしその拳は払い除けられるように受け流され、逆に青年の拳がニーツの頬を殴り飛ばした。

 

 宙を舞うニーツ。兄のアーツはそれを唖然とした表情で眺めている。

 

 

「こんなか弱い女の子を捕まえて。……お前らそれでもハンターか!」

「お、おいイアン! あー、もう、やっちまった」

 ニーツが地面に倒れる音と共に、アーツと青年──イアン──の乱闘が始まったのは言うまでもなく。

 

 

 ギルドナイトが来るまで、二人の乱闘は収まらなかった。




割と物語は急いで進めてます。そんなに長くはならない筈です。
それにしても、キャラが多いですね。申し訳ない。

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