沈め掻き臥せ戦禍の沼に【完結】   作:皇我リキ

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ある少年の場合

 ただひたすらに怖かった。

 

 

 しかしそれが間違いという訳ではなくて。

 それでも少年は、なんとか自分を制しようと手を強く握る。

 

 竜車に同乗していた女性はそんな少年を優しく見守っていた。

 

 

「着きましたよ。逃げるなら今のうちです」

 女性───エドナリアは竜車の揺れが止まると、意地悪そうな表情でそう言う。

 勿論悪意がある訳でもなく、もし少年がその選択肢を取るのなら優しく慰するつもりだった。

 

 

「……っ、た……た、戦います!」

 エドナリアの言葉に目を見開いて驚いた少年───ラルクは、跳ねるように立ち上がってそう口にする。

 少年を焦らせた本人はその姿を見て短く笑うが、ラルクはただ顔を真っ赤にして俯いた。

 

 

「ごめんなさい、僕……」

「いいえ、今のは私が悪いですね。お詫びにコレを渡しておきます」

 そう言って、エドナリアはポーチから小瓶に詰められた黄色く濁った液体を取り出す。

 それを受け取ったラルクは瓶のコルクを抜いて匂いを嗅いで───

 

「おぇぇ……」

 ───吐いた。

 

 

「ラルク?! 大丈夫ですか?!」

 小瓶の中身をなんとか落とさないようにソレを持ち上げるラルク。

 エドナリアは焦った声で少年の背中を摩る。

 

「……な、なんですか?! これ」

「秘薬ですね。確かに匂いは頂けないものですが、回復薬よりも強力な薬ですよ」

 回復薬は擦り傷程度なら一瞬で止血から傷を塞ぐ事まで出来る、一般的医学から見れば劇薬だ。

 その劇薬よりも強力と言われ、ラルクは顔を真っ青にして小瓶の蓋に栓をする。

 

 

「もし命の危機だと思ったら直ぐに使って下さい。勿論、使わないに越した事はないのでお守りみたいなものですよ」

 エドナリアはラルクの手の中の小瓶を彼のポーチにしまいながら、笑顔でそう言った。

 

 ラルクは気を引き締めてエドナリアと目を合わせる。自分の頬を叩いて、準備完了だという意思を伝えた。

 

 

 彼等の標的はドスイーオス。

 誘導作戦の時に出現した個体と同個体かは定かではないが、二人には因縁のあるモンスターである。

 

 小型の鳥竜種に見られる大きな群れを持ち、強力な毒を有するイーオス達のボス。

 一般的に危険度は低いとされているモンスターだが、群れの連携や毒は非常に厄介で注意が必要だ。

 

 

 小型と言っても人間からすれば体格でも負けていて、武具なしでは歯も立たない。

 それがモンスターという存在である。狩人はそんな相手に、勇気を持って立ち向かうのだ。

 

 

「解読薬は直ぐに取り出せる場所にしまっておいて下さい。……それでは、行きましょう」

 エドナリアの手を借りて竜車から降りたラルクは、周りを見渡して背負ったライトボウガンに手を向ける。

 

 ここからはいつ何処からモンスターと遭遇してもおかしくない。

 特にイーオスは木の陰に隠れていて突然襲って来るなんて事もあり得るのだ。警戒は怠らないに越した事はないだろう。

 

 

 そんなラルクを見て、エドナリアは「頼もしいです。背中は預けますよ」と声を漏らして前を歩いた。

 そんな彼女に着いていくラルクは唾液を飲んで、視線を左右に揺らす。イーオスの姿は見当たらない。

 

 

「もしドスイーオスがあのドスイーオスなら、左側に回り込むように立ち回って下さい」

 歩きながらそういうエドナリアの言葉に、ラルクは首を横に傾けた。何か意味があるのだろうが、彼の頭の知識の中にドスイーオスは左側に弱いだとかそんな情報はない。

 

 

「あのドスイーオス、左眼に傷を負っていたんですよ。ハンターか、モンスターか、何かと戦って着いた傷でしょう。……そういう、深い傷を負っても生きているモンスターは手強いものです」

 陽動作戦での事を思い出しながら、エドナリアは「しかし左眼が見えていないなら、それは分かりやすい弱点ですから」と付け加える。

 ラルクはあの時必死だったからそんな事には気が付かなかったが、よく思い出せば確かにそんな気がしてきた。

 

 

 その左眼の傷は、ゴグマジオスの進行方向の調査クエストでアーツ・パブリックが付けたものである。

 

 ドスイーオスはおこぼれを貰う算段でゴグマジオスの進路方向に先回りしていたのだった。

 そして今回沼地に現れたドスイーオスも同個体であり、その右眼の眼光が二人の狩人を睨んでいる。

 

 

 

 木陰の脇で、足音を立てないように赤い身体がゆっくりと動いた。

 

 毒々しい体色に頭の上のコブと鶏冠。

 ドスイーオスは、既にラルク達を見付けていて静かに動き出す。

 

 

「───止まって下さい」

 何かに気が付いたエドナリアは真剣な声でそう言ってラルクの足を止めさせた。

 真剣な表情で辺りを見合す彼女の姿に、ラルクも表情を引き締めて視線を左右に揺らす。

 

 しかし、何かが動く気配はなかった。

 次第に湿地帯特有の霧が濃くなり、視界は険悪になっていく。

 

 

「足音が聞こえた気がするのですが……」

「僕達の足音だった……とか?」

 エドナリアの言葉に、ラルクは自信なさげにそう言った。その言葉を聞いたエドナリアは「そうかもしれませんね。慎重になり過ぎでしょうか?」と苦笑いをする。

 

 再び歩き出す二人だが、しかしどうもエドナリアは足音が気になった。

 

 

 それもその筈。

 既に彼女達の周りを囲んでいたイーオス達は、二人が歩くのに合わせて足を動かして、足音を気付きにくくしていたのだから。

 

 

 不自然に思いエドナリアが足を止める度に、周りのイーオス達も足を止める。

 その繰り返しで、霧が濃くなっていく中イーオス達は少しずつ二人に近付いていった。

 

 

「……流石に霧が濃いですね。この中で戦いになるのは避けたいので、霧の外まで引き返しましょう」

 霧は彼女達が進むに連れて濃くなっていく。

 

 どちらにせよドスイーオスは討伐しなければならないが、自分から悪条件に向かう必要はない。

 そう判断してエドナリアが振り返ったその時だった。

 

 

「伏せて下さい!!」

 言いながらラルクの頭を彼女が抑えると同時に、エドナリアの右手に止まっていた猟虫が飛び出す。

 鈍い音がなり、何かと思って振り向いたラルクの視界に入ったのは───

 

 

「っ?!」

 ───一匹のイーオスの姿だった。

 

 

「はぁっ!!」

 猟虫の突進で怯んだイーオスの頭を操虫棍の刃が跳ねる。

 頭部を失ったイーオスは力なく倒れるが、同時にラルクも腰を抜かして倒れてしまった。

 

 

 

「……い、いつから」

 漏らしそうになるのを我慢して、なんとか意識を保つ。

 

 気が付かなかった。

 後ろを任せて貰っていたのに、こんなに近くに接近されたのに。

 

 

「私も迂闊でした……。ラルク、立って下さい。多分囲まれています」

 冷や汗を流しながら、しかし少年の事を責める様子もなく辺りを見渡すエドナリア。

 しかし周りに何かが動く気配はない。ジッと気配を消しているのか、それとも───

 

 

「……い、居ます! 右側!!」

 しかし、立ち上がったラルクはエドナリアの視界に映らないイーオスの姿をいち早く見付け出す。

 エドナリアが視線を言われた通りに向けると、数瞬の内にイーオスが霧の中から飛び出してきた。

 

 素早く刃を切り返し、彼女は飛び込んで来たイーオスの身体を二つに分ける。

 上手く迎撃したが今のはラルクが忠告してくれなかったら反応出来なかった。

 

 

 ふと、誘導作戦での事を思い出しす。

 背の高い草が立ち並ぶ場所で視界が悪かったにも関わらず、彼は自分の事を見付けて助けてくれた。

 

 不思議なものを見る目でラルクを見るエドナリア。ラルクはただ、その意味も分からずに首を横に傾ける。

 

 

「目が良いのですか……?」

「え? えーと、よく分からないです……」

 憶測を立ててみたが、今はそんな事をしている場合じゃなかった。

 

「とにかく戻りましょう。ラルク、周りに注意して襲ってくるイーオスが居たら直ぐに教えてください」

 兎にも角にも今はこの霧から出なければ何も始まらない。

 

 エドナリアはラルクの背中をゆっくりと押しながらそう言う。

 ラルクも彼にしては大きな声で「はい」と声を上げると、自分の足で前に歩き出した。

 

 

 二人がその場から離れて少ししてから、イーオスの死体を何かが踏む。

 群れのボス───ドスイーオスは、仲間の死体を見下ろして何を思ったのか。

 

 悲しみか、復讐心か、否。ドスイーオスにとっては個の存続よりも群れの存続が第一だ。

 

 

 何故こうなったのかを考える。

 この深い霧の中で、人間の五感は彼等と比べ遥かに劣る事をそのドスイーオスは知っていた。

 

 

 なのに、どうして。

 

 

 左眼の傷が疼く。

 

 

 

 二人をそれ以上追う事はなく、ドスイーオスは甲高い鳴き声を湿地帯に響かせた。

 

 

   ☆ ☆ ☆

 

 霧を抜けて、ラルクは集中力が切れたのかその場に倒れこむ。

 そんな彼を支えたエドナリアは「頑張りましたね」と労いの声を掛けた。

 

 

「でもあの後、一度も出て来なかった……」

 ラルクの言う通り、二度目の襲撃以降イーオス達は二人を一度も襲ってきていない。

 

 あの二匹だけとは考え難く、エドナリアは瞳を閉じて深く溜息を吐く。

 

 

「相当戦い慣れている、のかもしれませんね。あの動きは確実に無差別な襲い方ではありませんでしたし、群れのボス(ドスイーオス)が居る筈です」

 険しい表情でそういうと、彼女は顎に手を触れて思考を回した。

 

 

 あの状況で追って来なかったという事は、何かしらの理由がある筈。

 

 

「追って来なかったのは……ラッキー、なのかな」

 安心しきった表情でそう言うラルクだが、エドナリアは「いいえ」と短くその言葉を否定する。

 

「今の私達の目的は逃げる事ではなくて戦う事ですから、むしろここに来てイーオス達に引かれると困ります」

「えーと、どういう事ですか……?」

 彼女の言葉の意味が分からず、ラルクは首を横に傾けた。一つ重大な事実を彼は見逃している。

 

 

「ラルク、このクエストの目的はなんでしたか?」

 意地悪そうな表情で彼女がそう言うと、少年はハッとした表情で溜息を吐いた。

 

「……ど、ドスイーオスの討伐」

「そうです。しかし、ドスイーオスは霧の中から出て来ない」

 エドナリアのいう通り。霧の中から追って来なかった、つまり霧の中に留まっているドスイーオスを彼女達は討伐しなければならない。

 

 もしドスイーオスが追って来てくれれば、霧の中で戦う必要はなかっただろう。

 しかしドスイーオスに引かれてしまった以上、こちらから仕掛けるしかないのだ。

 

 

「……困った」

「そうです。困りました。……こちらとしてもクエスト時間を長引かせる訳にもいけませんし、かといってドスイーオスを放置する事も出来ません。このままゴグマジオスと共に街に近寄られては被害が出る恐れもありますから」

 つまり、二人は霧の中に戻りドスイーオスを討伐するしかない。

 

 とはいえそれこそ、ある種の自殺行為である。

 

 

 人の武器はその知能であり、地の利や不利を無視する事はその武器を手放すと同義だ。

 

 

 

「ラルクはどうしてイーオスの姿が見えていたのですか?」

 ふとした疑問を呟くと、ラルクはその質問の答えを見付けられなくて頭を横に傾ける。

 

 

 どうして?

 そんな疑問を抱く以前に、彼の目にはハッキリとイーオスの姿が映っていたからだ。

 

 霧の中でも、背の高い草の中でも。

 彼の目にはしっかりとその影が映っている。

 

 

「……僕、下ばかり見てたから……かもしれないです」

「……下?」

 吊られてエドナリアが視線を落とすと、雲の隙間から覗く光によった出来た自分達の影が視界に映った。

 

 そこから考えて───例えばあの時も、彼の視線が下に向いていたのなら。

 イーオスが居る場所は自然と背の高い草も踏まれて倒れる。それを目印にすれば、イーオスを見つけるのも容易かったのかもしれない。

 

 

「なる……ほど」

 それとは別に、性格上物音や動きに敏感というのも相まって彼はイーオスを探知するのが早かった。

 

 自分自身にはない、彼だけが持ち得る技術。

 

 

 これなら───

 

 

「───行けるかもしれません」

「え」

 エドナリアの真剣な声にラルクは素っ頓狂な声を漏らす。

 

 行けるって何が。いや、何が。少年の頭は現実逃避でいっぱいだった。

 

 

「ラルクの指示で私が動きます。居場所さえ分かれば、後は気配でなんとかなりますから」

 事実無茶苦茶な事を言っているエドナリアだが、本当にそれが出来てしまうのが彼女の実力とギルドナイトとして活動している所以である。

 

 

 問題はイーオスが急に飛び出して来る事だった。

 

 確かに下を気にしていればイーオスを見つける事くらいならエドナリアにも出来るかもしれない。

 しかしそれでは遅いし、下を見ながら戦えるほどエドナリアも器用ではない。そしてイーオスを見付けるのは彼女よりラルクの方が早いだろう。

 

 

「む、無理……っ! 無理です……っ!」

 ただ、それは少年には気の重い作戦だった。

 

 自分の指示一つで誰かを危険な目に合わせてしまう。狩人としても人としてもまだ若い彼には、考えるのも耐えられなかった。

 

 

「僕にそんな……。もし僕が失敗したら、エドナリアさんが危ない……」

「それは、お互い様ですよ」

 俯く少年の頭を撫でながら、エドナリアは優しく微笑む。

 

 

「狩人というのは、そういうものです。仲間のミスはそのまま死に直結します。残酷な言い方ですが、ひ弱な人間は本当に簡単に死んでしまうんです」

 言いながらも、彼女は少年を強く抱きしめた。

 

 

「それでも狩人を続けるのならば、その覚悟をしなければなりません。……私も、ラルクを失うのが怖いですし。勿論自分が死ぬのも怖い。でもそれを乗り越えなければ、狩人にはなれません」

 エドナリアはラルクの背中を叩きながら「私は一度死んでいます」と続ける。

 

「ラルクが助けてくれなかったら、私はあの時死んでいました。その事実を思い出して、自信を持って下さい。……それでも耐えられないなら、勿論辞めてしまうのも手ですよ」

「辞めたら……どうなるの」

「私が困ってしまいますね」

 少し離れて、本当に困ったような表情を見せるエドナリア。ラルクは「ひ、卑怯ですよ……」と目を逸らした。

 

 

「確かに仲間がいなければ死因は自分のミスだけですが、その方が気が楽という人もいれば怖いという人もいるんです」

「エドナリアさんは……?」

「さて、どっちでしょうか」

 悪戯な笑みを見せると、彼女は振り向いて霧の中に視線を向ける。

 

 

 中からドスイーオスが出て来る気配はない。

 

 

 

「どのみち、私は行かないといけません」

「……僕、は───」

 手を伸ばした。でも、怖くてその手は伸び切らない。

 

 

 自分はどうしたいんだろう。逃げればいい。簡単な事だ。なのに、どうして?

 心臓の鼓動が早い。きっとこれは間違いだろう。でも、ずっと夢だったんだ。何かの間違いでも、やっと前に進めたんだ。

 

 

「───ハンターになりたい……っ!」

「なりましょう。私があなたを守ります。……だから、私を守って下さい」

 一人の狩人が、一歩前に踏み出す。




ゴグマジオスはどこに行ったのか
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